かちこめ! 花子さん   作:ラミトン

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そのじゅうご  恐怖!驚かしお化け決定戦!

 

 

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 太郎くんへ

 

 

 こんにちは。

 

 いよいよ冬が近づいてきたね。幻想郷に来た時はまだ夏でもなかったのに、時間が経つのは早いです。

 

 文さんとの決闘には負けてしまったけれど、私はたくさん大事なことを学びました。もう、外からの新入り妖怪だなんて呼ばせないんだから!

 

 今日、私と同じ人を驚かす妖怪と出会いました。猫又と唐傘お化けの女の子だよ。みんなで、誰が一番うまく驚かせるか競争したの。

 

 誰が勝ったと思う? 太郎くんは優しいから、私が勝ったと言ってくれるかな?

 

 答えは……秘密にします。怒っているかな? もしもそうなら、ごめんね。

 

 いつか、きっと教えてあげるね。それで許してほしいな。

 

 今日はここまでにします。それでは。

 

 

 花子より

 

 

~~~~

 

 

 

 天の頂にあった太陽が、その身を少し西に傾けた頃、花子は昼食として準備していた焼き魚を食べ終えた。

 山で取った、慣れ親しんだ魚の味は、もう当分楽しめないだろう。名残惜しさを感じつつも、残さず綺麗に胃袋へ収め、骨は土に返るよう地面に埋める。

 水筒に入った川の水で手についた土を落としてから、紅魔館で借りた竹編みの弁当箱をリュックにしまって、立ち上がった。

 食休みを入れてから出発しようと、花子は大きく伸びをする。快晴の空は見上げるたびに気持ちがよくなり、心が躍った。

 

「うーん、いい天気」

 

 街道に人影はほとんどないものの、不思議と寂しさは感じない。今日のような日は、どこまでも歩いていけそうだ。

 もう少し休もうかと思っていたのだが、早く歩きたいという思いに負けて、花子は早々にリュックへと振り返る。

 そして、つい数秒前まであったリュックサックが消えていることに、気がついた。

 

「……あれ?」

 

 花子の背中をすっぽり隠すほどのリュックだ、簡単になくなるものではない。だというのに、近くには全く見当たらないのだ。

 全く唐突に消えてしまい、花子はしばしの間呆然としていた。もっとも正気に戻ったところで、解決策が思いつくわけではないのだが。

 どこを探せばいいのだろうと途方にくれかけた時、花子の背後――街道方面から、声が聞こえた。

 

「なんだぁ、空っぽじゃない!」

 

 そちらを見てみれば、花子と背丈の変わらない少女が、リュックにしまったはずの弁当箱を、蓋を開けてひっくり返していた。

 緑のナイトキャップから、猫の耳が覗いている。二本の尻尾は黒く、先端だけが白かった。その外見からして、人間でないことはすぐに分かる。しかし、花子としてはそれどころではない。

 

「ちょ、ちょっと! そのお弁当箱は借りているものなの、返してよ!」

「え、そうなの? じゃあ返さないと、(らん)さまに怒られる」

 

 藍なる人物が誰なのか花子は知らないが、そもそも人の物を盗んだことを怒られるべきだ。弁当箱を丁寧にしまいリュックを返してくれる猫又の少女に詰め寄り、

 

「私のリュックを盗ったことが、一番いけないことだよ!」

「へ? 何言ってるのさ、あたしは妖獣だよ? 妖怪が悪いことしちゃいけないなんて、そんなおかしな話ないよ」

 

 以前、レミリアにも同じことを言われたなと、花子は思い出した。

 小学校で暮らしてきた花子は、妖怪でありながら人間の常識が身に染み込んでしまっているのだ。

 

「う、そ、それとこれとは違うよ! ダメなものはダメ!」

「ちぇ。ま、別にお腹が減ってたわけじゃないから、いいんだけどさ」

 

 頭の後ろで両手を組みながら、少女が鼻を鳴らす。

 ならばなぜ盗ったのかと聞きたかったが、花子が行動を起こす前に、少女はいかにもイタズラが好きそうな瞳をこちらに向けた。

 

「あたしは(ちぇん)。化け猫だよ。あんたも妖怪なんでしょ?」

「あ、うん。えぇと、御手洗花子です、よろしくね。お手洗いで子供を驚かす妖怪なの」

「ふぅん。……ん? 花子って、(ゆかり)さまがお話してらした妖怪じゃない。へぇー、あんたが花子なんだ」

「手紙のお姉さんと、知り合いなの?」

 

 訊ねると、橙は実に自慢げに小さな胸を張り、

 

「そう! 何を隠そう、あたしは八雲紫さまの式!」

「おぉ!」

「……である、八雲藍(やくもらん)さまの式だよ!」

「お、おぉ……」

 

 式についての知識が欠けている花子は、紫の式の式がどの程度の地位なのか、いまいち理解しかねた。

 実際、八雲藍は妖獣の頂点に立つ九尾である。彼女の式ともなれば、妖獣どころか妖怪としてもかなりの権力を持っていると言っていいだろう。

 しかし、藍は橙が可愛いから式にしたという側面が強く、橙の式としての力は決して高いものではない。また、権力の使い道もよく分からず、主人である藍も「まだ早い」と教えてくれないようだ。

 まさに、猫に小判。こうして威張り散らすくらいの使い道しか、橙は知らない。

 

「す、すごいんだよね?」

「なんで聞くのさ。すごいに決まってんじゃん!」

「そっか、すごいんだ。へぇー」

 

 いまいちリアクションが取りづらく、花子は曖昧な返事しかできなかった。それがどうにも気に食わないらしく、橙が不機嫌そうに頬を膨らませる。

 

「あんたね、本当に分かってるの?」

「たぶん、きっと、おそらく……?」

「もう! いい? 式神ってのはねぇ――」

 

 説明しかけた橙が、止まる。長話を覚悟した花子だが、彼女があっけに取られたような顔で、空中の一点を凝視していることに気がついた。

 視線を追いかけ、花子もまた、口をぽかんと開ける。

 始めは点であった。空中からすごい勢いでこちらに近づき、それは徐々に大きくなっていく。

 よく見れば、大きなベロを生やした傘を持つ少女だった。水色のミニスカートをはためかせ、空色のショートボブが高速移動でむちゃくちゃになってしまっている。

 

「うーらめーしやぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 絶叫しつつ迫る少女は、花子と橙から完全に認識されている。叫びの内容から驚かそうとしているのかもしれないが、花子はとてもその気にはなれなかった。

 突っ込んでくる空色の少女を、花子と橙はひょいとかわす。

 

「あぁぁぁぁぁっ!?」

 

 盛大に地面へ衝突し転がっていく少女。巻き上がる砂煙を迷惑そうに手で払い、花子と橙は目を合わせ、

 

「そっとしておこっか」

「そうしよう」

「待ってよぉぉぉ!」

 

 起き上がった少女は、スカートを払い髪を整えつつ傘を大事そうに抱え上げるという忙しそうな仕草を終えると、水色と赤のオッドアイを怒りに吊り上げながら近づいてきた。

 近くで見てみると、この少女は花子と橙よりも背が高い。だというのに、年上の貫禄が微塵も感じられないのは、なぜだろうか。まだこいしの方が大人っぽいかもしれない。

 

「驚いてよ! ていうか、受け止めてよ、私を!」

「そんな無茶な」

 

 理不尽な叫びに花子が苦笑いで答えると、少女は橙へと狙いを変えた。

 

「化け猫、あなたなら受け止められたんじゃないの? 力持ちなんでしょ、妖獣って」

「なんで見ず知らずの唐傘お化けを助けなきゃなんないの。てかさ、あんな勢いで突っ込んでくりゃこうなるって、普通分かるでしょ」

「分かった時には転んでたの!」

 

 会話が成立しているようで、まるで成立していない。きっと怒っているからなのだろうなと、花子は前向きに解釈した。

 わずかに怒りが冷めたのか、それでも顔は赤いまま、少女は腰に両手を当てる。

 

「私は多々良小傘(たたらこがさ)。見ての通り、唐傘お化けよ。これでもう見ず知らずじゃないんだから、次は助けてよね」

「そこに保険をかけるのは、間違っているんじゃないかなぁ」

「だって、急には止まれないじゃない。受け止めてもらうのが一番よ」

 

 どうにもずれている小傘。花子は外の世界で「天然ボケ」なる言葉があることを知っていたが、小傘にこそふさわしい呼称に違いない。

 先ほどのような驚かし方など、生まれてこの方考えついたこともない。橙も全く同意見らしく、腕組みなどしながら、

 

「そもそもさぁ、あんなので誰かが驚くと、本当に思ってるの? 人間の子供でも怖がらないよ、あれじゃ」

「むむ、なにさ。そんじゃあんたは、私よりうまく人間を驚かせられるっていうの?」

「はん! 当たり前じゃない。あたしの妖術にかかれば、人間なんてイチコロよ!」

 

 自慢げに鼻を鳴らす橙を眺めながら、花子は最近誰も驚かしていないことを思い出した。時々どうにもむずむずして落ち着かなかったのは、そのせいかもしれない。

 会話を聞くに、どうやら小傘と橙も人を怖がらせたり驚かせたりする妖怪らしい。なんとなく親近感を覚えていた花子だが、次に放たれた橙と小傘の言葉で、抱いた感情は競争心へとすり替わる。

 

「花子っていったっけ。あんたも子供しか驚かせないんでしょ? あたしが大人の驚かし方を教えてあげよっか?」

「えー、ホントに!? 子供しか驚かせないの? はっずかしーい! 子供を驚かすのが許されるのは、妖精までだよねー!」

「……」

 

 途端、花子は心に冷たい闇が舞い降りたような心地になった。

 外では忘れられてしまったが、それでも彼女は一世を風靡した伝説のお化けだ。プライドを傷つけられて、黙っているわけにはいかない。

 できるだけ見下すような視線を心がけながら、挑発するかのように口の端を持ち上げ、

 

「ふふん。唐傘お化けと化け猫風情が、『トイレの花子さん』たる私にそんな口を聞くの?」

 

 ちなみに、この口調は射命丸文の真似である。非常にぎこちないが、橙と小傘にはそれなりに通用したらしい。

 

「な、なによ。トイレの花子さんなんて、私聞いたこともないもん」

「そうだそうだ! おトイレの妖怪が、猫又のあたしより強いわけあるもんか!」

 

 口々に反発する二人に、花子は冷たく鼻を鳴らす。

 

「はっ。世間知らずだねぇ。トイレの花子さんといえば、外の世界で知らない子供はいないほどの大妖怪だというのに」

 

 正確に言えば、「知らない子供がいなかった」という過去形になる上に大妖怪などではない。慣れない口調と笑い方で口が痙攣しそうになっていたりもするので、完全に虚勢だ。

 口元がしんどいと思っている花子の心中など露知らず、小傘は怯えたように紫の傘を抱え、

 

「だ、大妖怪……!? どのくらい強いの?」

「ど、どのくらい? えぇと、うぅんと、そう! 私は吸血鬼や鬼と友達なんだから!」

「えぇぇぇっ! きゅきゅきゅ吸血鬼!? それと、お、鬼まで!」

 

 すっかり縮こまる小傘。なんとも不思議な優越感は癖になりそうで、花子はなんとなく文の気持ちが分かった気がした。

 怯える小傘を押しのけて、橙が花子を睨みつける。

 

「はん! そんなの嘘に決まってるね! あたしには分かるもん、あんたからそんな妖気は感じないもん!」

「う、嘘じゃないよ! 私は本当に、萃香さんやレミィと友達だもの」

「弱くたって友達にはなれるでしょ。あたしの友達の友達だって、鬼なんだからね!」

 

 橙の言う友人がミスティアであり、その友人である鬼が萃香であることを、花子が知るはずもなかった。

 

「だっ、でっ、でも! えぇと、私、外では本当に有名だったんだよ!」

「ここは幻想郷ですー! 外の世界じゃありませんー!」

「むぅー!」

「悔しかったら、大妖怪の力を見せてみなよ。ほら、今すぐ証拠を見せてよ!」

 

 簡単に信じてくれた小傘が可愛く感じるほど、橙は小憎たらしい笑みを浮かべていた。

 完全に子供のケンカだが、舌戦の流れは橙に傾いている。虚勢がばれた時ほど、不利な状況はない。

 なんとかして取り繕わなければと、花子は咄嗟に口を開く。

 

「じゃ、じゃあ勝負する? 私と小傘と橙で、誰が一番上手に人間を驚かせられるか、勝負しようよ」

「上等じゃん! あとで泣いても知らないかんねっ!」

「わわわ、私だって、負けないもん!」

 

 なんだかんだで小傘も参戦表明をし、三人は熱く火花を散らす。

 人間を巻き込む迷惑極まりない戦いの火蓋が、切って落とされた。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 一番手は、人を驚かせることで腹を膨らませているのだと自信満々に語る小傘となった。街道脇の木に登り、じっと通行人を待つ。

 彼女の能力がそのものずばり「人を驚かす程度の能力」であるため、この戦いは小傘にとって沽券に関わるものとなる。失敗は決して許されないのだ。

 もっとも、花子も橙も人間を驚かせることを生業としている妖怪なので、彼女の専売特許というわけではない。それでも小傘は妖怪の代名詞ともいえる唐傘お化けであり、プライドだけならばチビの妖獣や子供で満足している幼い妖怪に負けるつもりはなかった。

 妖怪どころか人間からすら、「驚かなさすぎて逆に驚く」などと馬鹿にされてしまう小傘である。最近は墓場という地の利を生かさなければ仕事もできず、肩身の狭い思いをしているのだ。こんなところで敗北を喫するわけにはいかない。

 

「今に見てなさいよ……!」

 

 唐傘お化けなど驚くに値しないと人間の巫女や魔法使いに言われてしまったこともあるが、今こそ付喪神(つくもがみ)の恐ろしさを教えてやらねばなるまい。小傘は赤と青のオッドアイを、爛々と輝かせる。

 日の傾いた街道に、人間がやってきた。若い男だ。木箱がいくつか積まれた、大きな荷車を引いている。商人だろうか。

 焦らず、タイミングを待つ。小傘の間合いに入ったその瞬間、男の命運は尽きるのだ。

 

「ベテランの貫禄ってもんを、見せてやるんだから」

 

 妖怪としての生を受けて二百余年、驚かしてきた人間は――遥か昔も数えるならば――数知れず。小傘は手に抱く傘のそれとは対照的なほど小さい舌で、唇を舐めた。

 若い人間の驚く心は、なかなか美味だ。その分子供や老人よりも驚かしにくいのだが、今日はうまくいく気がする。根拠もなにもありはしない直感を信じて、荷車を引く男をじっと見据えた。

 徐々にその時が近づいてくる。人間の一歩が近づくたびに、小傘の鼓動も高まっていく。

 男はこちらにまるで気づく様子もなく、鼻歌など口ずさんでいた。あの顔が驚愕に歪む瞬間を想像して、小傘は成功もしていないのにほくそ笑む。

 商用の荷車が、登っている木のほぼ真下に差し掛かる。今しかない。大きく息を吸い込んで、

 

「うらめし――」

 

 傘を抱え、小傘は木の中から飛び出した。しかし、傘から生えている舌が枝に引っかかり、勢いをそのままに、大きくバランスを崩す。

 

「わひゃぁぁぁぁっ!?」

 

 木の葉を舞い散らせ、もみくちゃになりながら落下する。ただでさえボロボロの傘をこれ以上傷つけまいと必死に抱えながら、街道へと盛大に転がった。

 擦り傷がいくつかできてしまったが、痛みを感じる余裕もなく、小傘は青い顔で体を起こした。命にも等しい大事な傘は壊れていないだろうか。手早く、しかし丹念に調べ終え、故障がないことを確認、胸を撫で下ろす。

 そして、はっとする。背中にひしひしと視線を感じ、慌てて振り返れば、荷車を引いた体勢のまま固まっている青年が、口をだらしなく半開きにして小傘を凝視していた。

 その様子は、驚いているといえばそうなのだが、小傘が望むそれとはベクトルが違う。

 目がばっちりと合って、青年は会釈を一つ、あからさまに引きつった笑みを浮かべた。

 

「だ、大丈夫っすか?」

「え? あ、はい。私こう見えて、結構頑丈ですから。えへへ」

「そうっすか。それはよかった」

「こちらこそ、わざわざどうも」

 

 律儀に礼を返してから、小傘は遠慮がちに顔を上げた。青年はもう行ってもいいものかと逡巡しているようだった。突然木から少女が落ちてきては、反応に困るのも無理はない。

 青年の顔に「もう関わりたくない」という思念が浮かんでいたが、もう少しだけ付き合ってくださいと、小傘は心の中で頭を下げた。

 媚びるような上目遣いで男を見上げ、小さな舌をぺろりと出して、

 

「う、うらめしや」

「……はい?」

「だから、その、うら……めしや……」

「えぇっと、おいらは反物屋っすけど」

 

 早く仕事に戻りたいのだろう、驚きが苛立ちに変わり始めている青年が、引きつったままの頬をピクピクと痙攣させている。

 赤い舌を引っ込めて、小傘は気の毒になるほどしょんぼりと俯いた。

 

「人違いでした……」

「そうすか、そんじゃ、おいらはこれで」

「お気をつけて」

 

 もう一度会釈をする青年にお辞儀を返して、小傘は荷車を見送る。

 遠ざかっていく青年の後姿を見つめながら、いつか出会った風祝の言葉を思い出す。うらめしや、に対して、「はいはい、表は蕎麦屋」と彼女は言っていた。

 なるほど。驚いてもらえない原因はきっと――

 

「台詞が悪いのかなぁ?」

 

 まるで見当違いなことをなるたけ笑顔で呟いて見た小傘だったが、ボロボロになったプライドと共に流れ落ちた一筋の涙にだけは、嘘をつけなかった。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 意気消沈して帰ってきた小傘は、二人に背中を向けたまま、膝を抱えて座り込んでしまった。ぶつぶつと一人で何かをぼやいているが、どうやら内容は言い訳らしい。

 同情を誘う後姿に、花子は声をかけてやろうかとも思ったが、面倒が増えそうなのでやめた。

 ライバルが一人消えたことで、橙のテンションはうなぎのぼりのようだ。固めた拳を掌に打ち合わせて、やる気に満ちた瞳を爛々と輝かせる。

 

「ほうら、唐傘お化けなんてこんなもんさ。あたしがお手本ってやつを見せてあげるよ!」

 

 ひたすら独り言を呟いている小傘からは、やはり返事は返ってこなかった。

 花子の知識では、化け猫は人を食らうはずだ。しかし、獲物はいないかと街道を眺めている橙は、どうもその気がないように見える。

 

「橙は、人を食べたりしないの?」

「ん? あー、昔の化け猫はしてたみたいだけど、幻想郷の人間は取って食べちゃいけないから、驚かすだけで満足しなさいって紫さまに言われたんだ。それに、藍さまが作ってくれるご飯のほうがおいしいから」

 

 外から供給される人肉も、橙は口にしたことがない。妖怪としての面目は、人間を襲って小遣い程度の金銭を巻き上げることで成り立っている。それすらも、やりすぎれば主に叱られてしまうのだが。

 もしかしたら、この場にいる妖怪少女は皆同レベルなのではないか。花子の脳裏にどんぐりの背比べということわざがよぎったが、小さくかぶりを振る。言いだしっぺは花子なのだから、今更やめようなどとは言えない。

 

「お、人間かな」

 

 草むらに隠れて街道を眺めていた橙が、人影を見つけたようだ。

 街道を歩いてくる人間の姿を見て、花子は戦慄した。なぜ、あのような人種が幻想郷にいるのだと、一瞬頭の中が真っ白になった。

 

 不自然に日焼けした肌、あまりにも汚い金髪。肌はドス黒いのに目元の周りは妙に真っ白で、耳にはいくつも大きな飾りをつけている。上着は花子と似たセーラー服だが、纏うスカートは酷く短い。これでもかとばかりにストラップがついた携帯電話を弄り回しながら、クチャクチャと音を立ててガムを噛んでいる。

 そんな、一昔前の典型的不良女子高生が、二人。外から迷い込んだ外来人だろうが、これではどちらが妖怪か分からない。橙も酷く困惑しているようだ。

 

「人間……かな……?」

「一応、人間だよ。外の世界には、ああいった人もいるの」

「ふ、ふぅん。何かの儀式をするのかな、変な化粧しちゃってさ」

 

 若干怯え気味ながらも、橙は彼女達を標的にすると決めたようだ。

 

「そんじゃ、行ってくる。あたしの活躍を、しっかり見ててよ!」

「う、うん。強敵だと思うけど、がんばってね」

「任せといて!」

 

 颯爽と草むらから飛び出す橙。花子は思った。今回もきっとダメだと。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 草を掻き分け街道に躍り出て、橙は両手を腰に当てて人間を睨みつけた。二人揃って手元の小さな箱――としか、橙には表現できない――に夢中で、こちらに気付いていない。

 

「ねぇ、あいつなんつってたっけ? ハクレージンジャーだっけ、ちょっとカッコイくない? ぜってークラブの名前だよね」

「はぁー!? お前マジ馬鹿じゃね? 神社だから、マジクラブとかねぇから!」

「馬鹿とか酷いんですけどー、マジうざいんですけどー」

「つーか歩くのマジダリィ、タクシーとかねぇの? バスもなくね?」

「むしろ電線がねぇから! 田舎すぎじゃねここ、むしろウケるんだけど」

「ケータイも圏外だしさー、ホントありえなくねー?」

 

 この頃には、橙は彼女ら二人を狙ったことを後悔していた。今からなら逃げられるかとも思ったが、そうする前に見つかってしまう。

 橙よりも遥かに人外じみた顔をした少女(?)の瞳が、こちらを向く。なんとも説明のつかない恐怖に、橙の尻尾が両足の間に潜ってしまった。

 

「ににに人間! あたしは化け猫だぞ、覚悟、覚悟しろ!」

 

 なんとか搾り出した脅しではあったが、対する二人の外来人は、たくさんの飾りがついた箱を開き、

 

「チョーカワイー! いやこれ写メだべ、タカオに送ろ」

「コスプレ? 猫のコスプレ? やべーこれ待ち受けにするわ」

 

 二人揃って、カシャカシャとやかましい音を立て始める。カメラならまだしも、携帯で撮影された経験など橙にあるはずもなく、尻尾の毛はすっかり逆立ち、必死に牙を剥いて威嚇してみるものの、目じりには涙が溜まっていた。

 

「うぅー! 馬鹿にして、許さないぞ!」

「馬鹿にしてねぇし! 超ウケんだけどこの子!」

「キャッヒャヒャヒャヒャ!」

 

 下品な笑い声を上げる二人に、橙は実力行使以外の手段がないという結論を出した。

 全身に妖気を滾らせ、外来人の二人を睨みつける。八雲藍の使い魔としての意地が、橙を奮い立たせた。

 

「あたしの力、見せてやる!」

 

 妖力を足に集中させ、駆け出す。一足でトップスピードにまで達し、人間の目では追えない速度で二人の背後に回りこんだ。

 少女のような姿をした人間だろうモノは、完全に橙を見失っているようだ。したり顔を浮かべながら、橙はできる限り大きな声で叫ぶ。

 

「こっちだよ、ノロマ!」

「うお、マジで!? 何今の、手品?」

「まじすげぇ! ちょっともっかいやってみ? 動画取るから、もっかいやってみ?」

 

 多少は驚いたようだが、どちらかというと感心したというほうが近いか。例の箱と橙を交互に見ている外来人である。

 このままでは面白くない。橙は顔を真っ赤にしながら、声を荒げた。

 

「な、なら、こいつでどうだ!」

 

 再び走り出し、二人の周りをぐるぐると回る。このスピードならば、人間の目には無数の自分が駆け回っているように見えているだろうと思ってのことだ。

 無論そんなことになるわけもなく、外来人もさして驚いたりせずに、再びカシャカシャとやり出している。

 

「撮れねぇー! マジどうなってんのこれ、チョッパヤすぎなんですけどー」

「あーこれ尻尾だわ、尻尾しか撮れてないんだけど。もっかい撮ろ」

 

 携帯で撮影される間、止め時が分からなくなった橙はひたすら走り続けた。どうにかして少女っぽい二人を驚かせられないかと考えていたのだが、

 

「うっぷ――」

 

 尋常ならざる吐き気を覚え、立ち止まる。円をかくように高速で走り回っていたのだから、三半規管がいかれたとしても不思議はない。

 真っ青な顔で目も虚ろな橙だが、外来人に慈悲の心はないらしく、

 

「ちょ、まだ撮れてねーから、もっぺん走ってよ」

「バッテリーやべーから、早くしてくんね?」

「う、うぅぅ」

 

 仕掛けたのは橙であり、外来人の彼女達にはなんら責任はないのだが、それでも橙は少女もどきを恨めしそうに睨む。

 

「うぅぅぅ!」

「はぁー? なんなのこいつ、マジウゼェー!」

「ガンくれてんじゃねーよクソガキ!」

「うにゃぁぁあぁぁっ!」

 

 半ば泣き喚くような声を上げながら、橙は草むらへと逃げ込んでいくのだった。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

「なんなの、あいつら! 全然驚かないし、なんか変な箱いじって攻撃してくるし! ホントに人間なの!?」

 

 戻ってきた橙は、自身の両肩を抱きながらぶるぶると震えつつ、そんな悲鳴を上げた。

 

「えぇと、あれはなんというか……。ギャルという人種で、一応人間だよ。日本人だし」

「化け物だよ。あんなの、絶対化け物だよ……」

 

 小学校を主な活動拠点としていた花子は、彼女らのようなタイプの人間との接点は薄い。しかしそれでも、時折ギャルに感化された子供がいたりもしたため、その恐ろしさは身に沁みて分かっているつもりだ。

 前もって教えてやったほうがよかったか。橙には可哀想なことをしたかもしれないなと思いつつ、花子は身支度を始める。

 赤いワンピースに着替え、ロングヘアーのかつらを被った。トイレ以外で人を怖がらせた経験は少ないが、ないわけではない。そういう時には、いつも決まってこのワンピースに着替えていた。

 特段意味があるわけではない。いわゆる、気分転換というやつだ。

 

「おトイレの妖怪が、外で驚かせられるの?」

 

 少し立ち直ったらしい小傘が、それでも赤くなった鼻をスンスンやりながら、訊ねてきた。花子はそれに、自信満々に頷く。

 

「もちろん! 私の変化(へんげ)は怖いって、知り合いの中では評判だったもの!」

 

 花子が顔を変化させているときは、ホラー映画さながらの怖さだと有名だったのは本当のことだ。

 手段はもう決めてある。街道脇でうずくまり、苦しそうな声を出しておく。そうすれば、心配した人間が声をかけてくるに違いない。油断した心の隙を突き、渾身の一撃を加えてやるのだ。

 街道に、人影はない。準備をするなら、今のうちだろう。ここで驚かすことができれば、花子の一人勝ちだ。

 

「ようし、私、がんばっちゃう!」

 

 頬を上気させて息巻きながら、花子は草むらから街道へ出て行った。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 時刻は若干夕刻に差し掛かったものの、まだまだ日は高い。人間の視力であっても、街道の隅っこでうずくまる赤いワンピースは、嫌でも目に付くだろう。

 ワンピースは薄着なため、この季節は少し寒い。できれば早く来てほしいなと思いつつ、花子はじっと身を縮こまらせて人間を待っていた。

 

「うーん、うぅーん」

 

 苦しげな呻き声を出しつつ待つこと、三十分。そろそろ足が痺れそうだと思っていた時だ。街道を歩く足音が、花子の耳に届いた。

 軽やかで迷いのない足取りを思わせる、体重を感じさせない音。間違いない、子供だ。花子は勝利を確信する。

 足音は次第に近づいてきて、やがて花子の背後で止まった。呻きはやめずに、話しかけられるのを今か今かと待ち望む。

 

「うぅん、うぅーん」

「どこか、苦しいの?」

 

 甲高い声に聞き覚えはなかったが、どうしてか違和感を覚えた。無理に声色を変えているような印象を受けたのだ。

 しかし、人の声などそれこそ十人十色。少し変わった声ではあるが、子供のものには間違いない。花子は用意していた台詞に、ありったけの感情を込める。

 

「お腹が、とても苦しいの」

「あら、大丈夫? お医者さん、呼んでこようか?」

「苦しい、苦しいよぉ。死にたくないよぉ」

 

 それこそ死んでしまいそうな声だ。我ながら素晴らしい演技だと自画自賛しつつ、変化(へんげ)の妖術を自分に施し始める。

 まずは頭。髪の毛がこぶのように膨れ上がり、血管が引きちぎれるような嫌な音が辺りに響く。

 

「どうしたの? 大丈夫……?」

 

 少女の声に、不安の色が宿る。この声を待っていたと、花子は笑みを隠せなかった。

 ゴキゴキと骨が鳴り、肩が異様な動きを見せる。なお、音はあくまで演出なので、花子の体に異常があるわけではない。外見の変化はあくまで幻覚なので、ロングヘアーのかつらが取れるようなこともなかった。

 

「死にたく、ないから――お前の――」

 

 声までが、次第に低くおどろおどろしい声色に変わっていく。

 化け物へと変貌しようとするその様に、草むらの橙と小傘が目を丸くしている。

 これこそが、人を驚かせるということなのだ。きっと声をかけてきた少女も、恐怖のあまりに立ち尽くしているに違いない。

 真っ白な顔に、眼球が見えないほど窪んだ眼窩。開かれた赤黒い唇の向こうには、深い闇が広がっている。

 幾千万の子供を怖がらせてきた「トイレの花子さん」の姿が、そこにあった。ここはトイレではないが、怖いものは怖いはずだ。

 少女からの反応はない。声も出ないほど怖がっているのか。この時点で、花子はだいぶ悦に浸っていた。

 さぁ、驚け。恐ろしい顔のまま、

 

「お前の――命を、よこせ――!」

 

 長い黒髪を振り乱しながら、背後の少女へと振り返る。

 その瞬間、花子の時間は完全に停止した。

 

「……」

「……」

 

 目が合った少女――赤と白の巫女装束、髪には大きな赤いリボンをつけた博麗霊夢が、花子の正面にかがみこんでいた。

 なぜ、どうして。そんな疑問符ばかりが浮かんだが、そもそも何が分からないのかが、花子には分からない。例の恐ろしい顔はそのままに、病的に白い頬を、一筋の汗が伝う。

 誰もが竦みあがりそうな奈落の眼窩をじっとりと見据え、霊夢は無感動な表情のまま、

 

「きゃーこわーい」

 

 この甲高い声は、彼女の作り声だったらしい。

 頬だけでなく背中まで冷や汗が伝い、次の瞬間には、空気が抜けたかのように変化(へんげ)が解けてしまった。

 逃げることは、きっとできないだろう。どうにかして穏便に済ませようと、花子はとりあえず愛想笑いを浮かべてみることにした。

 

「あ、はは……いい天気だね、霊夢」

「それがどうしたの?」

 

 放たれた無常な言葉には、もう作り声の甲高さはない。どころか、殺気に近い何かまで感じる始末だ。

 立ち上がろうとして、花子は自分が腰を抜かしていることに気がつく。膝も笑っていて、どうあっても動くことはできそうにない。

 霊夢が左手に握る大幣を一振りすると、神聖な光の粒子が舞い散った。

 

「私さぁ、今日は魔理沙に茶屋で饅頭奢ってもらう約束してたんだわ」

「う、うん……」

「でもさぁ、なんか街道でアホっぽい妖怪が降ってきたって話を商人さんから聞いてさぁ」

 

 小傘のことだろう。機嫌を損ねないように、花子は小さく頷いた。

 

「うん……」

「仕事しないわけにもいかないじゃない、妖怪退治でご飯食べてるんだし。お茶もまたの機会になっちゃったのよ」

 

 語るたびに、霊夢のこめかみには青筋が浮かんでいく。霊力までもが高まり、オーラとなって見え始めていた。

 

「今日を逃したら、魔理沙が……次の機会を用意するはずッ……ないのにねぇッ……!」

 

 握り締める大幣が、みしみしと音を立て始めた。花子は涙目になって、必死に後ずさりを始める。

 

「ひ、ひぇぇっ」

「逃がさないわよ」

 

 右手で襟首を掴まれ、細い腕のどこにそんな力があるのか、花子はひょいと持ち上げられた。

 もはや抵抗はできまい。こうなったら神頼みしかないと両手を合わせて、とりあえず頭に浮かんだ神、秋姉妹に祈りを捧げる。ご利益のほどは、期待できない。

 霊夢はおもむろに、大幣を草むらの一点――的確に、橙と小傘が隠れている場所へ向けた。

 

「そこの猫又と付喪神! 出てきなさい」

 

 しばしの間があったが、橙と小傘はおとなしく草むらから這い出てきた。二人とも顔面蒼白で、痛い目に合うことは覚悟しているようだ。

 花子を放り投げ、霊夢は妖怪少女三人を、自身の前に正座させた。

 

「さて。まぁあんたら三匹ってことは、せいぜい人間を誰が一番驚かせるかで遊んでたってとこでしょうけど」

「な、なんで分かるの?」

 

 訊ねる小傘に、霊夢は鼻を鳴らして、

 

「勘」

「あぁ……そう……」

 

 小傘は、何かを諦めたようだった。

 

「でまぁ、ちょうどいっぺんに集められたんだし、いっぺんに退治しましょうか」

「待ってよ! あたしはその、花子にケンカを売られたんだ! だからあたしは悪くないでしょ?」

「えぇっ!? 橙、ひどい! 自分だけ助かろうなんて!」

 

 尻尾を立てて霊夢に甘える橙に、花子が叫んだ。しかし橙は、花子と小傘から注がれる非難の視線もそっちのけで、霊夢にすりついて媚を売る。

 が、妖怪退治のエキスパートは、そんなことで動じはしない。霊夢は幼子同然の橙を、容赦なく蹴り飛ばした。

 

「ふにゃっ! 痛ぁい、何するのさ!」

「はん。あたしは悪くない? 馬鹿言うんじゃないわよ。あんたらがやったことは間違いなく悪いことでしょうが。っていうか妖怪が妖怪であることがすでに悪だわ。こうして私の手を煩わせてるんだからね」

「そんなぁ!」

「ごちゃごちゃうるさい。あんたらに与えられた選択肢は三つよ」

 

 完全にこちらの意志を無視して、霊夢は指を三本立てた。花子達が、あまりの緊張感に息を呑む。

 

「一つ、うちの家宝の陰陽玉。当たると痛いわ。二つ、博麗アミュレット。当たると痛いわ。三つ、大幣。当たると痛いわ。さぁ、どれがいい?」

「そんなの、全部――」

 

 嫌だ。そう言おうとした花子だが、正座している膝もとに大幣を叩きつけられ、ビクリと肩を震わせる。

 恐る恐る見上げれば、霊夢は逆光になり怖すぎる笑顔で、大幣をゆっくり肩に担いでいた。

 

「全部拒否するってなら、かなり本気の夢想封印が火を噴くことになるわ」

「……」

 

 花子は、橙と小傘と目を合わせ、しばし無言で相談しあった。

 妖怪に対しては容赦のない霊夢のことだ。どれもこれも死ぬほど痛いのだろうが、その中でより軽度なものを選び取らなければならない。

 一分がすぎた頃になって、三人は意思の疎通を完了し、揃って神妙に頷く。霊夢へと顔を上げ、花子、橙、小傘の順番で、その場に土下座した。

 

「大幣で」

「ソフトに」

「お願いします」

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 秋の日は釣瓶落とし。あっという間に暗くなった街道に、大幣でしこたまお尻を叩かれた妖怪少女達が転がっていた。

 街道を通るわずかな人間は、彼女達の姿に悲鳴を上げて、もと来た道を戻っていく。今の花子達ほど無害な妖怪もいないのだが、死体のように倒れる三人を見れば、怖くなるのも無理はないだろう。

 人間を驚かせるという目的を図らずとも達成した三人。しかし、誰もがその事実に気付かず、痛むお尻を手で押さえ、

 

「うぅ……」

「巫女が怖いよぉ……」

「い……痛いぃ……」

 

 呪われそうな少女の呻き声は、一晩中街道に響いていたという。


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