かちこめ! 花子さん   作:ラミトン

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第二部 妖怪の花子さん
またねのいっぽ


 妖怪の山を降りてしばらく歩いたところに、一件の茶屋があった。切り盛りしている老女曰く、かなりの老舗だとか。

 そもそも茶屋なるものに入ったことがない花子にとって、どの辺りが老舗なのかは分からない。しかし、お茶と団子がとても美味しいことだけは間違いなかった。一緒になって縁台に腰掛け饅頭を頬張るこいしも、わざわざ訊ねる必要がないほど甘味の喜びを顔に浮かべている。

 一方で、甘いものばかりで酒の肴になるものがなく、萃香は少し不満そうだ。甘辛いみたらし団子を頼んではいるが、彼女の酒とは合わないらしい。

 

「文句を言うつもりはないけどねェ」

「萃香さん、それがすでに文句ですよ」

「むぅ」

 

 そうは言っても、と萃香が唇を尖らせる。花子とこいしは顔を合わせてから、二人して愉快そうに笑った。

 ふと、花子は妖怪の山を見上げる。深まった秋に彩られた山は、空の青さも相まって、とても美しい。頂にある神社は、さすがにここからでは見えないようだ。

 四十余年を生きてきた花子だが、この山に入ってから人生が大きく変わった。生まれ変わったとすら言えるかもしれない。

 訪れてからまだ短い時間しか経っていないが、花子にとって幻想郷はもう、新たな故郷となりつつあった。

 

「さてと、ここいらが別れ道だねェ」

 

 おもむろに、萃香が切り出した。口にするのが嫌であえて言わずにいたことだったのだが、彼女はいつもと変わらない調子で続ける。

 

「こいしと花子は、これからどうするんだい?」

「んー、と……」

 

 答えられなかったのは、別れが寂しいからだ。自分をここまで育ててくれた、幻想郷に来て一番長く連れ添った友人と、花子は離れたくなかった。

 しかし、百や千という年月を過ごす萃香とこいしにとって、一時の別れは手馴れたものらしい。こいしが饅頭を口に含んだまま、

 

「わらひはれぇ、いっらんはえろうろ」

「飲み込んでからにしなって、何度も言わせるんじゃないよ」

 

 萃香に怒られて、こいしは素直にお茶で饅頭を流し込んだ。ふぅと一息ついて、ハンカチで口元を拭う。

 

「ん、っとねぇ。私は地霊殿に帰ることにするよぉ。だいぶ長く遊んじゃったしねぇ」

「長いなんてもんじゃないけどね。さとりも心配してるだろうし、それがいいよ」

「うん! お姉ちゃんが寂しくて泣いちゃう前に帰らなきゃねぇー。花子はぁ?」

 

 どちらかについていきたいというのが、花子の本音だった。しかし、幼子のような発言をして二人に失望されたくないと思えるほどにまで、花子は成長していた。

 冷めかけたお茶を一息に飲み干し、少しだけ白くなる息をゆっくり吐き出してから、花子は努めて笑顔で答える。

 

「レミリアさんのお家、行こうと思ってるんだ」

「紅魔館か。あそこは赤すぎて眩しいんだよねェ」

 

 萃香が苦笑いを浮かべる。中も外も真紅に彩られた紅魔館は、確かに目に優しいとは言い難い。

 

「あは、分かります。でも、絨毯はふかふかだしベッドももふもふしてましたよ」

「地霊殿もふかふかのもふもふだよぉー」

 

 こいしの遊びに来いというアピールに、花子は「いつか必ず行くよ」と首肯する。

 そういえば、とこいしが萃香に訊ねた。

 

「萃香さんは、これからどうするのぉ?」

「霊夢の神社に行かないとねェ。あの子は掃除をしてるっぽい動きをしてるだけで、掃除はしてないからね。私が定期的に埃を萃めてやらなきゃ、どんどん酷くなるんだよ」

「……ズボラなんですね、霊夢って」

 

 正直な花子の感想に、萃香は肩をすくめるだけで、否定はしなかった。 

 朝早くに山を下り始めたのだが、日はもう高いところまで登っている。少し肌寒かった朝の空気も、だいぶ温かくなっていた。

 いい日和だ、と萃香が立ち上がる。こいしもそれに続き、花子は空になった茶碗をしばらく手の中で遊ばせてから、縁台にそっと置いた。

 リュックを背負っている間に、萃香が茶屋の老女――彼女は妖怪をまるで恐れない――に支払いを済ませていた。

 

「おんや、鬼さんにはお団子、口に合わんかったかねぇ」

 

 萃香が残してしまったみたらし団子を見て、老女は少しばかり残念そうな顔をする。しかし、茶で満たされたまま手のつけられていない椀と萃香の瓢箪を見比べ、事情を察したようだ。

 

「今度来る時までに、おしんこでも作っておこうねぇ」

「そうしてもらえるなら、また来るよ。団子は美味かったさ、本当に」

「おやおや、お世辞でも嬉しいこっちゃよぉ」

「鬼は嘘をつかないよ、お婆ちゃん。それじゃ、ごちそうさま」

 

 軽く手を上げて、萃香が老女に背を向ける。花子とこいしは丁寧に頭を下げて、ごちそうさま、と揃って告げた。

 ずいぶんと客が少ない茶屋は、値段も驚くほど安かった。老女の道楽でやっているようなものなのだろう。老女は歩き出した三人が見えなくなるまで、茶屋の入り口から見送ってくれた。 

 茶屋が完全に見えなくなったところで、一向は二股に分かれた道へと出た。

 片方は博麗神社への近道、もう一方は人里や霧の湖へと続いている道だ。どうやら、ここが別れの場所となるらしい。

 

「さて、そんじゃァここらでだね。たまにゃ歩いて神社に向かうのもいいかな」

「うん。私は山の洞窟だから、飛んでいくよぉ」

「私はこっち。それじゃ……萃香さん、こいしちゃん」

 

 花子はおもむろに、萃香とこいしが面食らうほど、深く頭を下げた。

 辛くも楽しい修行の日々や、一緒に遊び、ご飯を食べた記憶が蘇る。どれも輝かしく、思い出すだけで二人と離れるのが辛くなってしまう。

 それでも、涙だけは流すまいと、花子はぐっと堪えた。また、泣き虫だと言われてしまう。それは少し、悔しい。

 

「今まで――お世話になりました」

 

 顔を上げ、にこりと笑う。萃香もこいしも似たような笑顔だったので、花子も釣られてしまったのだ。

 着飾った言葉は、それ以上必要なかった。萃香が花子の肩を軽い調子でポンと叩き、こいしは指を絡めるように花子の手を取りおでことおでこを優しくぶつけてから、それぞれ歩き出し、また飛び上がる。

 スカートを押さえたこいしが手を振り、萃香は二人に背を向けたまま、片手を挙げる。

 

「また遊ぼうねぇー」

「元気でやるんだよ」

 

 去っていく二人の後ろ姿に、花子は大きく両手を振った。

 

「うん、またね!」

 

 元気いっぱいな声が、秋空に響く。

 小さくなっていく萃香とこいしをしばらく見つめていたが、やがて花子も、自分の進むべき道へと振り返る。

 山での出来事は、一生忘れられないだろう。あまりにも刺激的で、新鮮だった。

 そしてきっと、これから起こることも。青く澄み渡る空を見上げて、期待で胸がいっぱいだ。

 

「さぁて、行きますかっ」

 

 心地よい風と一緒に、花子は歩き出す。

 二つの丸っこい瞳は、山で培った自信とたくさんの希望で、キラキラと輝いていた。


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