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太郎くんへ
こんにちは。幻想郷はすっかり秋になってしまったけれど、そちらはどうですか? 今いる学校は、もう寒いかな? それともまだ暑いかな?
空も飛べるようになったし、スペルカードもいっぱい作りました。なんだか今では、外の世界にいた頃の私が嘘みたいです。
ずっと自分が飛ばすかお手本を見るかしかしてなかった弾幕だけれど、正面で見ると、すごいね。とっても迫力があって、どきどきしたよ!
男の子がよくやっていた、ドッジボールってあるでしょ? あれのボールをすっごくいっぱいにしたのが、弾幕です。想像できればいいんだけど、どうですか?
避けるので精一杯だったけど、上手な人は避けながら弾幕を撃つみたい。私もできるようにならないと!
こいしちゃんは、もう練習いらないよーなんて言っていたけれど、そんなことないよね。もっともっと特訓して、文さんに勝たなくちゃ!
寒くなると学校のトイレは辛いから、太郎くんもこれからがんばり時だよね。一緒にがんばろうね!
またお手紙書きます。これからも、どうか元気でいてね。
花子より
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「弾幕を撃ちたいかぁー!」
雲一つない見事な秋晴れの空に、風に飛ばされないよう帽子を押さえたこいしの声が響く。
「おぉー!」
「うぉー!」
「撃たせろー!」
呼応する声は一つや二つではなく、重なりに重なって花子の耳へと届いた。
元気一杯に腕など振り上げてみせる、花子よりも背が低い何人もの少女達。彼女らが持つ蝶のような羽は、一様に似ているようでそれぞれが独自の個性を持っていた。自然の具現、妖精だ。
萃香の提案で、花子は実戦に近い弾幕回避練習を行うことになった。妖精のほとんどは、スペルカードにできるような技を使えるほどの力を持たない。せいぜい、弾幕ごっこをさらに単純化した弾のぶつけ合いができる程度だ。
弾幕もどきとはいえ、飛ばしている物は紛れもない妖弾だ。妖精の性格によって大きさや形も変わるため、彼女達の相手をすることは花子にとって間違いなく経験値となるだろう。
この案自体は、花子も賛成した。妖精はイタズラ好きだが無邪気だし、遊ぶ感覚で練習できるのならば文句もない。
しかし、なぜか張り切って飛び立ったこいしが数十分後に連れてきた妖精の数が、どうしても理解できなかった。
「花子と遊びたいかぁー!」
「誰か知らないけど、誰とでも遊びたいぞー!」
「遊ぶぞー! 遊ばせろー!」
「弾幕撃たせろー!」
三十人はいるだろうか、整列するでもなく自分勝手に飛び回る妖精達だが、どういうわけかこいしの言うことにはしっかりと従っている。
せいぜい五、六人を相手にすると思っていた花子は、頬が引きつるのを感じた。後方の萃香も似たような顔をしているだろう。あるいは、にやりと楽しげに口元を歪めているか。
「よぉーし、それじゃ花子、そろそろいくよぉー」
「うぇ、ちょっと待っ――」
まだ心の準備が。そう叫ぼうとした花子だが、彼女の声が口から出ることはなかった。
びしりと、こいしが花子を指差す。同時に、今まで好き勝手に動いていた妖精が軍隊よろしく花子へと向き直った。
「そーいん、発射よーい!」
「おおおお!」
妖精達が揃って両手を振り上げた。同時に出現する、大小さまざまな無数の妖弾。花子は息を飲んだ。
やるしかない。覚悟を決めろ。こいしもきっと、花子のためにこんなにたくさんの妖精を集めてくれたのだから。
大きく息を吸い込んで、花子は決意を声に乗せ、叫んだ。
「私はいつでもいいよ! さぁ、かかってき」
「撃てぇー!」
「とりゃああああああ!」
「えぇぇぇぇっ!?」
覚悟の決め台詞を途中で遮り、妖精達がいっせいに弾幕を投げ飛ばした。個性豊かな妖弾が、花子の視界を埋め尽くす。
「最後まで聞いてよぉぉぉぉっ!」
「えー? なにぃー?」
耳に手など当てて、こいしが答えた。こういう時の彼女は、まず反省をしない。それでも文句を言ってやりたかったが、妖弾はもう目の前に迫っている。
「もぉぉぉぉっ! こいしちゃんの馬鹿ぁ!」
「はぇー? なにぃー?」
速度すらもばらばらな妖弾をかわしつつ、花子は悲鳴にも近い声を上げた。
反撃は萃香に禁止されている。花子の力はもう下級妖怪の中でもそこそこのものになっているので、下手に弾幕を展開すれば、力の差を見た妖精が逃げてしまうかもしれないからだ。
「花子がんばれぇー」
なんとも暢気なこいしに答える余裕など、花子にはなかった。ただでさえ弾幕を避けるなどしたことがないのに、これだけの量だ。歯を食いしばり、愚直なほどに真っ直ぐ進んでくる妖弾を避けていく。
妖精が放つ弾幕だけあって、特別な動きはまったくなかった。ひたすらに花子を狙ってくる直球ばかりで、眼前よりもその奥からくる妖弾に意識を向けていけば、回避は難しくない。
油断さえしなければ、被弾しないで済みそうだ。そんな思いが脳裏をよぎった瞬間だった。
「っ……!」
正面に集中していた花子の頭上から、妖精達のものではない弾が現れたのだ。赤と青のハート型をしている、何度もお手本として見せてもらった妖弾だ。
気付くと同時に、花子は集中を前方以外にも向けなければならなくなった。縦横無尽に駆け抜けるハートは、妖精の弾幕と衝突し霧散していく。
こいしだ。妖精だけでは相手にならないと判断したのか、それとも自分も混ぜてほしいという無邪気な思いからの参戦か。どちらにせよ、彼女の気まぐれはすぐには終わらない。
視界が開けた。妖精達のスタミナが切れて、妖弾の数が一気に減ったのだろう。直線に狙ってくる妖精の弾はやがて数えるほどになり、花子の目はようやくこいしの姿を捉えた。
そして、愕然とした。こいしが自慢げな顔で、一枚の紙をこちらに見せ付けている。
「……へ?」
見紛うはずもない、スペルカードだ。彼女は今、カード宣言をしている。
「本番、いくよぉー」
「えぇぇ! カードを使うなんて、私聞いてない――」
「そぉれー!」
花子の声を聞こうともせず、こいしが無数のハートを発射した。
本能「イドの解放」。ばら撒いているようにしか見えないハートの妖弾は、しかしすぐに、こいしを中心として規則的な動きをしていることが分かった。
「ずるい! 練習なんだからスペルはなしだよ!」
叫んではみたものの、弾幕を展開するこいしの顔はいつも以上にぼうっとしていて、とても話を聞いてくれるとは思えなかった。なぜあんな顔でこれほどの弾幕が撃てるのかと突っ込みたかったが、彼女のことだ。いつものようにはぐらかされるに違いない。
練習とはいえ、妖弾は当たればそこそこ痛い。今は弾幕を避けることに集中しようと、花子は視線を戻した。
高速で迫ってきた妖弾だが、身構える花子をよそに突然減速を始めた。遅くなったとはいえ、妖精達の妖弾程度の速度はあるのだが。
上下左右から狙ってくる弾幕は、ストレートな妖精のものに比べれば難しかったが、避けられないほどのものではなかった。手加減してくれているのかと思ったが、わずかな余裕を見つけて背後を振り向いた花子は、自分の考えがいかにも甘かったことを思い知らされる。
「うぇっ!?」
回避した弾幕がさらに減速し、後続の妖弾と合流して溜まっているのだ。もうすでに花子のすぐ背後にまで押し寄せている。これ以上同じ場所に留まり避けていては、いずれ溜まった妖弾に当たってしまう。
視線を戻して迫るハートの弾幕を回避しつつ、花子の体は無意識のうちに、こいしへと吸い寄せられるように前進していった。
上方から落下するかのように花子を狙う妖弾を上体をそらして避け、直後に身を翻して宙返り。飛ぶことにはすっかり慣れたとはいえ、こんなにもアクロバティックな動きを連続でしたことはなかった。早々に息が切れてくる。
しかし、こいしの弾幕は優しくなるどころか、むしろ一気に難しくなったように感じた。それは当然のことで、この時花子はまだ気付いていなかったが、すでに彼女は妖弾の減速域よりも奥、高速で妖弾が飛び交うこいしの目前まで来ていたのだ。
大雑把に避けるだけでなんとかなった妖精のそれとは異なり、こいしの技は細かく正確に動いてかわさなければならない。体力も精神力も削られる。彼女が特別というわけではなく、スペルカードの技は、そういうものなのだろう。
赤と青のハートが、体を掠めていく。こんな状況では、弾幕の美しさを堪能することなどできるはずもなかった。秋も深まり涼しくなったというのに、汗が頬を伝っていく。
これ以上は集中力が持たないと、花子がわずかに諦めかけた時だった。ぴたりと、こいしの弾幕が止んだ。
何事かと見てみれば、こいしがあっけに取られたような顔をしてこちらを見ていた。弾幕を撃っている時も似たような顔だったが、彼女とはそこそこ長い付き合いになってきている。表情の変化を間違えることはないだろう。
「ど、どうしたの……?」
息も絶え絶えに訊ねてみると、こいしは突然両手を合わせて、ぱっと笑顔を浮かべた。
「すごぉーい! 花子、よく避けたねぇー!」
「え? ……え?」
「全部避けられちゃったから、これが弾幕ごっこだったら花子に得点だよぉ」
一瞬、こいしの言っている意味が分からなかった。避けきったというのか。初めての弾幕、それもかなりの実力者であるこいしのスペルを。
喜びが胸に湧き上がったが、それを表に出す前に、こいしがポケットから新たなカードを取り出した。
「でも、今の『イドの解放』はこのスペルとセットなの。ねぇ、もう一枚付き合ってぇー」
「……うん、いいよ」
頷いて答えると、こいしは嬉しそうにカードを持ち上げた。
こいしのスペルを攻略したことで、花子は今までにないほど自信に満ちていた。それに、弾幕を避ける感覚を忘れたくないという思いもある。
「ありがと! それじゃあいくよぉー」
「よし、こーい!」
カードをしまい、彼女にしてはとても珍しく思える真剣な顔つきで、こいしが両手を広げた。その真っ直ぐな瞳に、思わず体が強張る。
いつ妖弾が来るか分からないので、油断せずに身構えた。しかし、一秒二秒と時間が過ぎても、こいしは弾幕を展開しない。
どこか調子が悪いのだろうか。声をかけようかと思った、その時。花子の背後から現れたハートの妖弾が、横を通り抜けていった。
「な、なに?」
口から漏れた疑問には、弾幕そのものが答えてくれた。
さきほど避けたはずの妖弾が、こいしへと向かっていくのだ。ハートは全て、彼女が広げた掌に吸い込まれていく。
こいしを見ていてはいけないと、花子はようやく気付いた。慌てて、背後の溜まった弾幕へと振り返る。
しかし、遅すぎたようだ。密集したハートが蠢いたかと思うと、爆発したかのように花子の視界一杯に展開された。
抑制「スーパーエゴ」。ハートの形が連想させる可憐さは感じられない。むしろ、徐々に恐怖心すら芽生えてくる。妖弾は一気にこいしへと吸い込まれ、その途中にいる花子すらも飲み込んでいく。
「うっ……」
もう少し早く気付ければ、対処法を思いつけたかもしれない。しかし、花子はその場から少しも動くことができなかった。弾幕の不気味さと勢いに呑まれてしまったのだ。
目前に青いハートが迫り、思わず頭を抱えた。これがいけなかった。
身を縮こまらせてしまったがために、ハートが花子の脳天に直撃したのだ。
「あうっ」
我ながらおかしな声が出たなと思った時には、花子はもう落下を始めていた。当たり所が悪かったのか、妖力の集中が一気に解けてしまったらしい。
世界がひっくり返ると同時に、意識も薄れていく。幻想郷に来てからというもの、気を失ってばかりだ。胸中で溜息すらつく余裕ができたところで、こいしの悲鳴が聞こえてきた。
「はわわ、萃香さん! 花子がぁー!」
「分かってる! 花子、しっかりしな!」
大慌てで飛んできた萃香に抱き止められた直後に、花子は痛みの眠りへと落ちていった。
◇◆◇◆◇
包帯が巻かれた頭に触ると、まだ脳天がズキリと痛む。重傷と呼ぶほどのものではないので、この手当ては大げさだと思ったが、こいしがどうしてもと言うので任せた結果だ。当たった場所は頭のてっぺんだったので、額のあたりに巻かれた包帯には何の意味もなかったりする。
「うぅ、痛いなぁ」
「思いっきり頭に当たったんでしょ? 想像しただけでこっちも痛くなるよ」
言葉とは裏腹に楽しそうな笑顔を見せたのは、袖をたすきがけにした和服の妖怪少女、ミスティアだ。花子達は今、すっかり馴染みの店になってしまった八目鰻の屋台に来ている。
こいしが花子にお詫びをしたいと言い出したので、彼女の誘いを受けてやってきたのだ。今日の支払いは全てこいしが持つそうだが、お金のほうは大丈夫なのだろうか。
本人に聞いてみようにも、こいしは隣で突っ伏して眠りこけている。萃香のペースに合わせて飲んだせいで、すっかり酔いつぶれてしまったのだ。さらにその隣では、萃香も夢の世界に飛び立っている。
「……私、お金持っていないのに」
「いいよ、ツケておくから。いつものことだしね」
にこりと微笑むミスティアは、外見だけならばこいしと大差ないというのにとても大人びて見えた。彼女の爪の垢を煎じてこいしに無理矢理飲ませたいとすら思ってしまう。
普段の彼女はイタズラ好きな妖怪らしいのだが、屋台を切り盛りする姿からは、そんなミスティアを想像することができなかった。
「でも、花子ちゃんはラッキーだったと思うよ」
「ラッキー、ですか?」
「うん」
頷きながら、ミスティアが焼きたての鰻を出してくれた。頼んでいないのだが、彼女は時々こういったサービスをしてくれる。
「初めてだったんでしょ? 弾幕ごっこ」
「私は避けるだけだったけれど、うん。初めてでした」
「こいしちゃんは弾幕ごっこ強いから、スペルを避けれたっていうのはとても大きな経験だと思うな」
「それは……確かに、私も嬉しかったです」
こいしのスペルカードを攻略できたことは、素直に嬉しい。しかし、その後があまりにもお粗末すぎる。
溜息を漏らした花子のコップに酒を注ぎながら、ミスティアが少し意地悪な笑顔を浮かべた。
「それに、弾幕の痛さも知れたんだし。次からは覚悟できるでしょ?」
「う、まぁ……」
「ふふ、妖弾は痛いもんね。でも、霊夢の霊力弾はもっと痛いよ」
「そうなんですか?」
なみなみと注がれた酒を少しだけ口に含んで、花子は霊夢のことを思い出した。幻想郷を冒険するきっかけとなった巫女だが、もうおぼろげにしか顔を覚えていない。服装が特徴的なので、見れば分かる自信はあるが。
一升瓶を作業台に置いてから、ミスティアが肩をすくめた。
「もとは妖怪を封印する技だったらしいからね、巫女のスペルは。人間も当たると痛いみたいだけど、妖怪には大ダメージだよ。アレには当たりたくないなぁ」
「ミスティアさんは、霊夢と弾幕ごっこをしたことがあるんですか?」
「あるよ、何回か。勝てなかったけど。嘘みたいに強いんだから」
いつか戦うことになるかもね、と付け足して、ミスティアはウィンクなどしてみせる。妖怪である以上、退治屋の霊夢や魔理沙と対峙することは覚悟しておけと萃香に言われたが、花子は今から身震いする思いだった。
萃香もこいしも起きる様子がないので、花子とミスティアはしばしの談笑を楽しんだ。
普段よく遊んでいるらしい宵闇の妖怪と里の外にいた商人を脅かしてみたり、八目鰻は夜目に効くと宣伝しておきながら自分の歌で夜目を効かなくさせていたりと、やはりミスティアも外見にふさわしい子供っぽさを持っているようだ。
屋台の常連となっている花子だが、いつか店の女将としての彼女ではなく、一人の少女としてのミスティアとも話してみたいと思った。
もう水のように飲めてしまう酒を楽しんでいると、焼いている鰻にたれを塗りながら、ミスティアが訊ねてきた。
「そういえば、文さんとの決闘はいつするの?」
コップをテーブルに置いて、花子は視線を宙に彷徨わせた。勢いのままに特訓を続けてきたが、明確な予定などは一切立っていない。酷いときには、弾幕ごっこの練習が楽しすぎて、文のことを忘れていることすらある。
おかっぱ頭をポリポリと掻いてから、花子は苦笑を浮かべた。
「まだ決めてないんですよ。もっと練習しなきゃいけないから」
「うーん、そうかなぁ。こいしちゃんの弾幕を避けたんなら、もういい勝負できると思うけど」
実のところ、花子としてもどこまで練習を重ねればいいのかは分からなかった。最近はもっぱら弾幕を撃つ練習をしていたが、避ける練習は今日始まったばかりだ。
ミスティアの言うとおり、花子は避けることだけで言えば、なかなかのセンスを持っていた。無論、本人に自覚はない。
「でも、まだ弾幕ごっこ自体はやったことがないもの」
「ふぅん。じゃあやってみればいいんじゃない? そこらの妖怪なら、結構乗ってくるよ」
あまりにもあっけらかんとした顔で提案してくるミスティア。彼女は挨拶代わりに弾幕を飛ばすほど、遊びに手馴れている。まさか花子が弾幕ごっこを重い試練と受け止めていようとは、思いもしなかったのだ。
もちろん花子も弾幕ごっこは遊びであると知っているため、心中を正直に語らず、誤魔化す言葉を探した。
「うぅん、でもまだまだ……」
「やっていくうちにコツも分かってくるよ。練習試合だと思えば、ね?」
花子は唸り声を上げた。ルールはもう覚えているし、スペルも必要な数を揃えてある。いつ実戦をしても問題ないのだが、こいしのスペルを見て、さらに直撃を受けたことで、わずかに恐怖心が芽生えてしまっていた。
加えて、彼女にとっての仮想敵があの射命丸文なのだ。こいしから聞いた話では、文は取材と称してこいしに挑み、その弾幕を避けきっただけでなく写真を撮る余裕すら見せたという。
文との実力の差を埋めるには、どれほどの訓練を積めばいいのだろうか。そんな思いが胸にあるため、いざ本番となると、どうにも気が引けてしまうのだ。
しばらく腕組みをしつつ考え込んでから、花子は小さく自嘲気味に笑って、
「まだへたっぴだし、やっぱりもう少し練習してから――」
「弾幕するのぉー?」
突然隣から声が上がり、花子は驚いてそちらを向いた。いつの間にか、こいしが目覚めていたらしい。
酔いもすっかり醒めているらしく、こいしは目をきらきらと輝かせて花子の顔を覗いた。
「誰とやるの? 私?」
「いやだから、練習してからにしよっかなって」
「えぇー。もう練習することないよぅ。後はいっぱい遊んで強くなればいいの!」
「そ、そうかなぁ」
断言されてしまい、花子は頬を掻いた。弾幕ごっこに関しては大先輩であり、何より大好きな趣味だと豪語するこいしが言うと、とても説得力がある。
助けを求めるようにミスティアを見るが、彼女もまた笑顔で頷くばかりだ。
「やってみようよ。きっと楽しいよ」
「うんうん。花子なら上手にできるよぉ、私が保証するもん」
二人から背中を押されて、思わず俯く。無論、花子としても実戦を体験してみたいという思いもあるし、弾幕ごっこは遊びなのだから、そこまで緊張し思いつめる必要はないということも分かっている。
こいしの向こう側にいる師をちらりと見るも、萃香は幸せそうな顔でいびきなど掻いている。どうやら、決断は自分自身でしなければならないらしい。
「……もう、できるかな?」
「できるできる! 吸血鬼さんのためにがんばってきた花子なら、絶対大丈夫だよぉ。自分を信じてぇー」
特訓を始めた頃から付き合ってくれていたこいしにここまで言われては、引くわけにもいくまい。
それに、なにより。
「レミリアさん、フランちゃん……」
地下で花子を待ってくれているフランドールと弾幕ごっこで遊べるようになるために、そして、初めての友人であるレミリアへの侮辱を取り下げさせるために。
コップの中身を一気に飲み干し、喉を下る熱い酒をやる気に変えて、花子は一大決心をした。
「よし――。弾幕ごっこ、やってみる!」
「やったぁ! じゃあ明日、山の中を飛んでみようよ。遊びたくてうずうずしてる子、きっといるよぉ」
「じゃあ私も、明日は屋台お休みにしてお弁当作っていくね」
「おぉー、みすちーのお弁当、楽しみぃ」
花子にしてみれば目指していたものに手を伸ばす一大決心なのだが、こいしとミスティアはなんとも気楽なものだった。彼女達にとっては、遊び仲間が一人増えた程度の認識なのだろう。
その後、ルールの再確認やスペルカードの話などにすっかり夢中になってしまった三人は、いつもの閉店時間を過ぎても談笑を続けた。途中で目を覚ました萃香までもが加わって、さらに話は盛り上がり――
翌日、花子達は全員揃って、昼過ぎまで寝過ごした。
◇◆◇◆◇
太陽の日差しに照らされながらも涼しい空を飛びながら、妖怪の山を見下ろす。妖怪も妖精も浮かれてしまうような、とても良い天気だ。
「こういう日は、面白い記事が書けそうな気がしますねぇ」
いつも持ち歩いている文花帖と写真機を手に、文は目を細めた。
通り抜けていく風すらも、楽しげな歌を口ずさんでいる。風を操る力を持つ文にとって、耳元で奏でられるその音色は心をくすぐるものがあった。
今日は何か、いいことが起こりそうだ。そう心で呟いた時だった。
「あら、文じゃない」
聞き覚えがある、というより馴染み深いとすら言えるその声に、文はわずかに渋面を浮かべて振り返った。
その先にいた人物は、やはり頻繁に会う人物だった。しかし、できれば妖怪の山では出くわしたくない相手でもある。
こちらの顔を見て、その少女は不満げに眉を寄せた。
「なによ、その顔」
「ここで出くわして、他にどんな顔しろっていうのかしら?」
思わず、呆れの溜息が出た。相変わらずおめでたい配色の巫女装束に身を包み、人間の癖に堂々たる態度で腰に手を当てている。妖怪の天敵、博麗霊夢だ。
また強制妖怪退治に乗り込んできたのかと思ったが、彼女が手首に下げている木の札が、そうではないと教えてくれている。
「通行手形? なんであなたがそれを持ってるの?」
「今日は早苗に呼ばれてるの。ついでにおゆはんもご馳走になる予定よ」
「……二つ目はあなたの中でだけですね」
「だから予定。提案はこれから」
「ふんぞり返って言うことじゃないわね。妖怪退治でもらったお金をその日の宴会で使い果たすから、いつも金欠なのよ」
その宴会で好き勝手飲み食いする自分を棚に上げ、文はやれやれと肩をすくめた。
ともかく、今日の霊夢は守矢神社から正式な招待を受けている。追い返すために戦う必要もない。
「それにしても、守矢とは商売敵じゃなかった? お呼ばれするような仲じゃなかったと思うんだけど」
「まぁあそこの分社がうちにあるくらいだし、敵ってほどでもないわ。それに、タダでご飯が食べられるなら、そっちを優先するのは当然でしょ?」
「プライドよりも食欲が優先だなんて。幻想郷はこんなのがバランサーでいいのかしら」
もはや突っ込む気にもなれず、とりあえず無駄に威張り散らす霊夢をファインダーに収めておいた。一面記事にはなり得ないが、遭遇したネタはとりあえず撮っておくのが信条なのだ。
霊夢のペースに合わせて山頂へと飛びながら、他愛もない話を続けた。何か面白いことでもあればそちらに行くのだが、眼下の森は平和である。
と、霊夢が突然停止した。あさっての方向を見つめる彼女の視線を追うと、色鮮やかな妖弾が舞っているのが見えた。幻想郷では珍しくない、弾幕ごっこの輝きだ。
弾幕自体は、強者である二人を驚かせるほどのものではない。しかし、文はすぐに霊夢が見つめているものに気がついた。
「おや……あれは」
「一時は馴染めないかとも思ったけど、案外うまくやってるみたいね」
黒髪のおかっぱに、セーラー服ともんぺ。一心不乱に弾幕を飛ばすその少女は、特徴がなさすぎるのが特徴と言える新入り妖怪、御手洗花子だ。
相手の名前は分からない。だが、弾幕の腕はそこそこのものと言える妖怪少女と、花子は今、文の目から見ても互角以上に戦えていた。
初めて会った時以来見ていなかったが、当然のように空を飛び、スペルカードとして使えるレベルの弾幕を飛ばせるまでになっていたらしい。
「なるほど、確かに――うまくやっているようですね」
「あんたを倒すために、ね。どう? 散々馬鹿にしたダメ妖怪が、それなりのレベルになって立ちふさがる気持ちは」
答えられなかったが、こちらの顔を見たらしい霊夢が「なるほどね」と呟く声が聞こえてきた。文自身も、頬が緩んでいるのを自覚している。
我ながら嫌な性格をしているとは思う文は、いつも憎まれ口を叩いてしまう。そんな嫌味な言葉に秘められた想いに気付いてくれる者は、少ない。
花子はそれに気付いてくれた。あるいは萃香辺りが気付かせたのかもしれないが、そんなことは些細なことだ。
悔しがり、強くなり、同じ土俵に立てる所まで登ってきてくれた。そのことが、文にとって嬉しくないわけがなかった。
「近いうちに、山で宴会がありそうね」
霊夢が言った。ゆっくりと頷いてから、
「えぇ、そうね。とびっきり楽しい宴会が」
「ちゃんと私も呼びなさいよ? いつも招待してあげてるんだから」
「仕方ないわね。ただし、鳥鍋は出ませんよ?」
「ま、兎鍋で我慢してあげるわ」
冗談などを交わしつつ、文は先に飛び立った霊夢の背を追った。
霊夢と共に山頂へ向かい、再びネタ探しを始める。しかし、どうしてか花子の弾幕が瞳に焼き付いて離れない。
文は、花子と対峙し彼女の弾幕を正面から見る時が、楽しみで仕方なくなっていた。
その一週間後、射命丸文の自宅に一通の手紙が届けられた。
配達人は、八雲紫。
差出人は、御手洗花子。
丁寧に糊付けされた茶封筒に、あて先は書かれておらず――
代わりに、大きな字ではっきりと、『果たし状』と書かれていたのだった。