壱.日本 東北の某県の何処か
「だとすれば、あなたはもう、もう……」
PCのキーボードを細やかに打つ静かな音が次の瞬間、止んだ。 …次に続く言葉が思い浮かばない。何も、何も。思考の停止、だ。
あ、慌てるな、待て。少しでいい。今はアイデアが来るのを待て、待つんだ…。
………ダメだ、思い浮かばない。…? いや、だが、だが代わりに何かそれらしい言葉が、
「ーーあなたを、犯人です」
違う違う違う違う! これじゃあない! 俺の求めているのはこれじゃあない! ええい、去れ!邪念!…何か、何かいい言葉は……!
「むしろ空白でいいーんじゃない?」
「………へ?」
今度の俺は、聞き覚えのある少女の声に思考を停止した。
「だからぁ、あえて空白にしとくのよ」
その声のある横に振り向けば、そこには可愛いらしい顔した黒髪のポニテ少女がいた。
「…ノゾミ、一体いつからそこにいたんだ?」
「珍妙な恥ずかし言葉を放ってた前から」
「まじでか………」
妹に小っ恥ずかしい所を観られて羞恥の念にかられて顔を伏せたのだった、まる。
…ええと、紹介の前にお見苦しい所を観せたことを謝罪したい。
本当に申し訳有りませんでした。全くの説明も無く進めたのも含めて済みません。
では、改めて。どうも初めまして。
俺の名前は幾ノ瀬 光一(いくのせ こういち)
どこにでもいるであろう成人男性一歩手前の境界人だ。
現代、神話の人物や獣や神、果ては哲学用語からの片仮名名前にうまいこと漢字を当てる親御さん方が急増している最中、至って普通過ぎてマイナーな名前なのが何か妙に気後れするのが今の所の悩みだ。
しかし、だからと言って俺はこの名であることを悔やんだことはない。まあ、言葉も理解出来ない幼い頃にそんな名前付けられても大きくなってその名前を付けられた理由を知ったも困るだろうから別にいいのだが。
「で、どう? 私の案は?」
で、さっきから自分の案を推すポニテ少女は幾ノ瀬 希望(いくのせ のぞみ) 俺の妹だ。
可愛いらしい奴だが、こいつは俺のデカ過ぎる悩みの種だ。普段はそんな気になるような行動は取らないのだが、何か、…イケメンとか、イケメンとか、イケメンとかを目にした途端、こいつは突然正気を失うのだ。おかげでどれだけの迷惑を生んだことか。変に報道機関に取り上げられなかったことが奇跡だ。神様仏様、ありがとうございます。
「あー、うん、良かったよ。ありがとさん」
実の所、俺は既に社会人の身だ。地元高校を卒業後、親の許可を得て自営業を始めている。無論、非合法なものではないので安心して聞いてほしい。
営んでいるのは小さな民宿だ。場所は…これまた親に頭を下げてそれに関する責任を全て負う形で、昔祖父母が暮していたという小さな日本屋敷を貸してくれた。そこは同時に俺の住処でもある。
とは言えこの屋敷、貸してくれたのは本来父さんが売却しようとしていた所を、「まだあまり中を片付けていないから、それを代わりにしてくれるなら」という条件付きで売却を止めてくれたのだが、初めて来た時の屋敷の中はまさに“幽霊屋敷”だった。ひどいよ父さん。
今でこそ綺麗にされているが、部屋だけは使用していない所は今も幽霊屋敷の面影を生々しく残している。(あまり人に見せたくない。評判が下がるのは困るから。)
「あっ、そうだ忘れてた! にいちゃんに言わなきゃいけないことがあったんだ!」
と、突然妹は思い出したように声を上げた。 ああ、それがここに来た理由か。で、面倒なことならとっとと部屋から出てくれな。
「いやいや、それはないから。仕事の方の話だよ。実は明日、久しぶりにお客様がくるんだ!」
こんなやりとりが俺の知る限りの変わらない日常/普通の世界の姿だったのだ。
Fate/of dark night02