壱.東北某県某市 郊外の森
ーー炎の魔女と惑う青年の邂逅より早五日が経った。
夜。時刻は深夜を回り、辺り一体は欠けた月光に照らされた薄闇のみだ。だが此処は秋冬の季節ですらないというのに月光ですら届くことの無い奥先には誰であろうと入り込むのを躊躇う程の冷気すらまとったかの如き恐怖と全てが眠りに就いたかの如き静寂が無造作、或いは計算され尽くされたかのように佇んでいる。無音のみが反響するそこはまさに冥府への入り口と直喩するべきだった。
その闇を恐れずに歩むどころか、凄まじい速度 (スピード) で駆ける異形の人影が二つ。
ーー彼らはこの世界の常識においては理解不能の、否。魔術という深淵の真理を知らぬ者には理解されてはならない存在だ。
過去より蘇った奇跡 (ぼうれい) ーーそれがこの森を駆けている。
一方は両に一振り、計して二本の青銅色の槍を携えて駆ける栗色の髪を風になびかす銀の女戦士の姿。彼女の足運びは世界中の誰をも寄せつけないであろう速さだ。それによって地面を覆う小さな草花は引き裂かれるように散っていった。
一方は女の得物より幾分か見劣りする、現物や贋作を見た覚えのある者には普遍的な長槍を片腕に携えて駆ける金髪の男の姿。彼もまた彼女にやや劣るものの、それでも尚常人では至るはずも無い驚異の脚の速さでもって彼女に拮抗していた。その足運びは重力を無視したかの如く足音を響かせず、まるで気体が色と型を持って現れたかのようだった。
「はっ、いい脚しているわねぇ優男! 私と似たような武具を持って “本来の位格” ですらないくせにさぁ!」
「お褒めの言葉と受け取っておきますよ、 “本当” の槍兵!」
男の返す声に誉めに似た挑発の言を放った彼女‥‥遠坂 凛の使い魔、ランサーのペンテシレイアは内心焦燥していると同時に、嬉しさが溢れていた。
聖杯の知識と彼女の主の話から思考するに男は間違いなく今回の戦いでいうイレギュラー、番外位格 (エクストラクラス) だと確信出来た。
過去、七つの位格の他に無理矢理仕上げた位格を参戦させた例は少ないが存在する。
第三の闘争、錬金術の家系アインツベルンの反則、復讐者/アヴェンジャー。
第五の闘争、キャスターのサーヴァントの反則、暗殺者/アサシン
‥‥しかし、聞かされた前例に奴はどれにも不適当だ。復讐者は論外として、暗殺者にするもかなり実力が有り、そもそも槍を持って現れた時点でそれは無い。自分より劣りはするが、明らかに従来の位格として機能している様相だ。だとすれば、おそらく‥‥。
(ーー考えるだけ無駄、か。なら‥‥)
その思考の刹那、偶然にも広い空間が二人の前に現れーー剣戟が反響した。
「ーーそうね、此処なら」
「ーーええ、此処なら」
「誰にも邪魔されない」‥‥そう思考した二人は徒競走を止め、戦闘に移行したのだ。
“まだ見ぬ闘争に心踊らせていた。”
ーー数秒間の槍による鍔競り合いの沈黙の後、槍兵と槍兵の戦いから聖杯戦争は真に幕を開いた。
弐.同所 郊外の森
土、風、鉄、風、鉄、鉄、土、鉄、風、土ーー
ーーしばし静粛が支配し、
土、風、鉄、鉄、風、木、木、鉄、風、土ーー
‥‥空を舞い、風を切り、鉄を打ち響かせ、地を、樹木を蹴りーー攻防による不規則かつ規則性を持つ調律が何度も何度も繰り返された。
剣舞という言葉がある。東洋で、特に中国や朝鮮、明治期の日本での刀剣を用いた舞踊を指すが、平たく言えば刃を空に晒した剣を持って踊ることだ。
彼らはそれを槍でもって行っているだけにも見える。
突きを避ける為に回り込み、その隙に蹴りや拳を入れ、躱し、防ぎ、追撃を喰らわせんと踏み込み、いなされ‥‥。
それら全てを常軌から乖離する速度で無駄無く繰り返されているのだ。
それが行われる都度に、度に、束の間に周辺は秒単位で一変していく。
一撃一撃の身代わりにされた幾つもの大木は実は張りぼてだったのかと思わす程容易く経に、緯に、斜に裂かれ、或いは踏み台ーー壁として助走の為に蹴り砕かれ、折れ、大地は一瞬間の内に地震に襲われたかの如く一線に裂かれ、時に弾けたかのように砕け‥‥。
ーー其処は、それこそ嵐や竜巻の類が此処のみで猛威を振るっていたとした例えようがない惨状へと化していった。
二人に実力差は無い。強いて差異を挙げるとすると金髪の男は風に舞う木の葉を思わす身軽さを駆使しており、対して彼女はその可憐な身体からは想像も出来ない剛鉄の如き腕力や脚力を武器としていると言えば良いか。
柔と剛。異種格闘技に近しいその (彼らにとって) “戯合い” は実に甲乙付け難い勝負と成り果てていた。
「はっーー!」
「とぁっ!! 」
最後の一撃を双方が叩き込み、その反動で双方が距離を取り、それを合図にまた静粛が訪れた。二人は再度身構える。その間の静けさは時計の短針の如き速度が流れているかのように錯覚を催させた。
「やるわねェ、優男」
「いえ、それ程でも」
さてもう一度戯れるとしようか、双方がまた随分と好戦的な思考を回し始めたその時だった。
「待ったと云わせて貰おうか、二人の槍兵よーー」
再開の前に突然、声が響いた。二人は邪魔をした声の主を探すが、姿どころか影の形すら見つけることが出来ない。ーー間もなく、次の声が響いた。
「騎士戦士の試合にこの様な茶々を入れてしまい申し訳ない。しかしそうしてでも折入れて願い出たい話があるのだ‥‥」
「ーー恐れながらこの戦い、己も混ぜて貰おうか!」
その声が響き終わる間もなく二人は急激な異変を感覚から気付いた。
ーー上だ、真上から何か強力な気配を嫌でも感じる。地震や津波に似た膨大なエネルギーの塊のような何かが降りて来る。
「これはーー!!」
夜空を見上げれば深い黒に欠けた月と共に少々の星々が瞬いている。だが先程より数が多いある上に内に怪しげに煌めく赤や橙、紫の星々があるのだ。ーーいや、違う。これは正確では無い。言い直す、その星々は急速に大きくなっているように落ちてくるのだ。
やがてそれははっきりと正体を現した。
黄金で彩られた節、羽。独特の風切り音。炎や雷を纏った銀色の鏃。
矢だ。矢としか言いようがない。
それらがここへ向けて約数百本、墜ちてくる。何者から放たれている。
「何ですか、まるで火の雨の如きこの攻撃はっ⁉」
「黄金の神の雨は聞き覚えはあるけど、これは流石に初見ねェ!!」
あまりにも唐突な第三の敵の猛威には二人も流石に驚きはしたが、簡単に負ける気は微塵も無かった。ーー寧ろ勇ませ、闘志を灯させる代物だったからだ。
腹を決めた二人の槍兵の行動は素早かった。
自身の得物を構え直して数秒後、着弾寸前の神秘を魅せる神代の矢の群の内、彼女は不動を貫く以上避けるのが不可能な一撃必殺のそれらをーー切り払った、いや叩き落とした。
一方の金髪の男は神眼を所持しているのかと思わすかのように墜ちてくる死の雨を風にたゆたうーーを超えて最早彼自身が風の化身ではないのかと言わしめる程の‥‥名付けて “避け舞” を披露して観せた。
彼女が矢の雨を切り、折り、斬り、折る度に爆風と閃光が後ろで連続した。
彼が矢の雨を避け、躱し、立ち止まり、跳ぶ度に彼が居た地面は焼き焦がれていく。
ーーそれから約一分後。
「実に見事、 この程度はやはり “朝飯前” のようだ‥‥」
先程の試合よりも更に凄惨な “空き地” となった森の隙間で未だ二人の槍兵は健在しているのを確認し、二人の偉業に静かに賞賛の拍手を送る者は、猛威から無事だった林の向こう側から姿を露わにした。
「先程の無礼の詫びだーー我が真名、語せて頂こう」
現れたのは一人のやや大きい弓を携えた青年だったーーが、ご都合主義の御約束か明らかに異形を思わす気配を放っていた。
軽そうな金色の武具を纏った下半身以外はほぼ裸同然の東洋特有の薄い色黒の肌。頭には独特な伝統を物語る冠。額の赤い印。薔薇色の瞳。
その姿勢は無頼の類とは全く逆の戦士ーーそれも規律を厳守する者の姿勢だった。二人の槍兵はその様を静かに見守って冷静の仮面の下で心臓の鼓動を早く打たせまいと緊迫を抑えていた。
「己(わたし)は秩序神第七転生月の如きラーマ、王のラーマだ!」
今宵この戯れに招かれた者は、抑止の顕現たる者の一人の愛と正義の王子はそう名乗りを上げた。
参.同所 某ビルの屋上
ワレは一体何を物思うていたのか。何故に心底より熱を持つ殺意が這い上がらんとするのだろうか。
ワレには笑い、怒り、泣く為の意味も、理由も、衝動も、思考も既に在らん。感情などあの地獄の底にて摩耗して在る筈が無いのだ。在るとすればあの軟弱者が目に移る刻のみ、それのみにワレは生きている。
そうだ、ワレの悲願は人の身にして神の転生たる “奴” を魔道に堕つす事。それさえ完遂出来たならば例えワレが歴史より抹消されようと構わぬ。
再度剣を取れ、軟弱よ、次は正面より相手する。
ーーだがワレは今世に殊類となりて顕現せどこの世界の醜態に嘆きに嘆きようの無き憤怒に駆られてしまった。
奴の死後教団の理は広く宣教され、修正と再起を繰り返し幾多の分派が現れていった。それはどうでもいい。だが今世、全ての神秘が息途絶えたかの如き世界であの軟弱の転生 (アバターラ) を宣う阿呆が数える程度に幾多もいる事実はワレを憤慨させるのに十分過ぎたのだ。
奴はこの乱れた様を傍観しか出来ないのか。はたまたこれで影武者を量産し己のが身を暗ました積りか。何方にせよ嘆かわしい。大層呆れるぞ愚か者めが。
今宵は奴の気配は未だ皆無か。いや、そもこの戯れに奴は参る事は有り得るのかーー。
「ーー恐れながらこの戦い、己も混ぜて貰おうか!」
その遠い声に眼を凝らし、驚愕した。
ワレは目に映る存在に殺意を確かめるようにこの手を開いては閉じること数回行っていた。
‥‥似ている。忌まわしくもワレの知る奴に酷似している。
この眼が奴のかの英雄たる姿を、
(だが、何かが違う。奴はあれ程の豪傑だったか?)
この耳が忌まわしくも徳の在る言霊を、
(だが、口調が違う。奴はあれ程手馴れていたか?)
この手があの逞しい奴の腕を、
(だが、あれは‥‥。)
何よりもあの忌々しい迄の優顔と神々しさを、
(だが、似ているだけだ。そう、ただの錯誤だ。)
ワレは記憶しているのだ。
‥‥ふと思いが浮かんだ。あの弓兵はもしやあの秩序神の転生たる王子、月如き戦士 (ラーマ・チャンドラ) ではないのか。だとすればあれらの差異も頷ける。
‥‥否だ、そう在る筈が無い。あれは英雄 (それ) に似ただけの同郷ではないのだろうか。そも、彼の者は言うなれば世界に顕現す抑止の神。我らが未曾有の危惧に天上より来たる救世主。かの様に相当規模の膨大な神の血を受けた杯とは有れど、所詮模造。人の身の魔術で降臨なぞ到底ーー。
「己は秩序神第七転生月の如きラーマ、王のラーマだ!」
ーー何と?
今、あの者は何と申した? 自らをあの王子と‥‥⁉
なればーーそれは、いやまさか‥‥在るのか、あれ程の厄災が。
「悉達多」
そうか、お前はーーお前は!!
「悉達多ァあああああ!!」
‥‥げに鬼より恐ろしきは妄執哉。己と同郷であるはずの英雄を宿敵の先鋒と見定めた暗殺者は狂疾した笑顔 (えみ) のまま雄叫びを上げた次の瞬間、その両手甲に毒々しい紫色の液に塗れる長い鉤爪を虚空より現すと周辺の床に一閃、そして狂気の笑いを続けながら微速かつ迅速に水へ溶解しゆく塩や砂糖の如く存在の薄い空と成り果てー去っていった。
跡にはやや浅く平行に緩やかな双曲線に刻まれたコンクリートの床とそれに沿うように塗られ、飛び散った紫色の線と飛沫が残っていた。
「貴様には (ry 何よりも速さが足りない!」 どうも茨の男です。最近難産な気がして仕方がありません。しかし最近出来た結合機能に次からは助けられそうです。亀更新なこの駄作を見てくれる人が居てくれて本当に有り難いくって‥‥またすぐに出せるかはわからないですが、次回も楽しみにお待ちして下さい。
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