開幕挨拶 ※改訂版
ーー何処にでもありうるような御伽話。
かつて世界の何処かに聖者の血を受けて神秘を得た聖なる物々が在った。聖骸を包んだ布は信仰により主を信ずる者を護り賜う結界となり、神の子を害した槍は狂信により人類の支配者たる資格を得る救世の戦士の象徴となり、その神の子の血を受けた杯は崇拝により万物の願望に形を与える聖杯となった。
しかしそれら全てが今日まで現存しているとは言い難いまでに夢の又夢だ、流行りのものがある日忽然と姿を暗ましてしまうが如く。在るとしてもそれらは贋作の様な夢の跡でしかないだろう。
だがそれでも尚夢に焦がれた人間達は永きに渡りその空想を真実と語り続けた。
古の騎士団も、十字旗の軍隊も、世界を戦慄させた独裁者も真に受けて悲願の為に捜し求めたものの、遂に見出せずその真価を目の当たりに出来た者など誰一人として現れなかったというのに。
しかし、この真実は諦めに陥った者を生み出しただけでは終わりはしなかった。
“魔術師” ーー神秘探求の先駆けたる彼らはその奇跡を自らの手にて再現せんと試みたのだ。
その執念を以て幾百年を経て編み出した方法は略式になるが大方次の通りとなる。
まず聖杯機能の要である願望成就能力の再現の為に実際には土地それぞれの特有の神話に登場する類似する存在を模した事で、本物には程遠いのだろうがそれ相応の能力を持ち得た願望器を作り出す事に成功した。
次に、その願望機を機動させる為に必要不可欠な膨大なエネルギー量の魔力の生産方法としてある贄を決闘に用いるよう、儀式に組み込んだ。それは聖杯の導きにより選定された七人の魔術師に与えられる剣にして盾である最高級の使い魔。それは集合的無意識と社会学で呼ばれ、俗信でアカシックレコードと言い、魔術師達がその性質から仏教用語でアラヤ識と呼称した「 」という根源の渦の何処かに在るとされる英霊の座より招来した神話、歴史に記録された模倣。選出されたそれらーー否彼らは己が残せし伝承から所縁の深く、かつ業の深く最も適当な位格を授けられるのだ。
「最優」の剣士
「最速」の槍兵
「魔弾」の弓兵
「破軍」の騎兵
「暗躍」の魔術師
「策略」の暗殺者
「暴力」の狂戦士 そして
運命の魔術師達は彼らを供としてあらゆる手段を用い、最後の一組となるまで殺し合う。勝ち残った魔術師にその杯の奇跡を得られる、というものだ。
この儀式を通称して聖杯戦争とし、血塗れを同意の下に闘争は始められたのだ。
‥‥だがそれでも、それでも尚、その杯を以てしても奇跡を手にしたものは誰一人として現れなかった。
第一の闘争は勝者無き始まりの惨劇で閉幕した。
第二の闘争は聖杯の無力化で霧散してしまった。
第三の闘争にてある違反が後の火種となり、
第四の闘争は聖杯戦争史上最悪の災禍を産み落とし、某国某州都市部の一端を瓦礫の焦土と変えた。
これだけの悲劇を巻き起こしておきながら多くの魔術師は疑問を浮かべるどころか、気に留めることすらなく闘争を続ける所存であった。否、知りもしなかったからというべきか。罪深き血の河を産むその聖杯がかの違反によってその在り方を歪め、最早眠れる邪神の揺籃(ゆりかご) と化しているのだと誰も知らず。
‥‥しかしその悲劇は突然、次の世代達の闘争を節目に忽然とその姿を消し去った。
第五の闘争、それは悲劇に終止符を打つ鍵の物語となった。一人の少年を英雄にし、一人の少女に至福への道を示し、一人の英霊に心からの救いを与え、幾多もの犠牲の上、遂に。
そして第六の闘争にて聖杯は全て解体された。施行者は第四次の生還者と第五次の少年少女と従者。彼らの手により、かの混沌悲喜劇の作詞者は解体/殺されたのだ。奇跡への追求の道は潰えるが、真実を知る者達にそれは最早不要の代物。またあの惨劇を繰り返しかねないまま奇跡を我が手にしようなど絶対に成してはならないのだと決していた。
こうして永きに渡る聖杯を巡る闘争は幕を引き、歴史の闇深く葬られ静寂の底に沈んでいった。
ーーはずだったのだ。
追記.
開幕式を閉じる前に一つ言わなければならない。例えこの物語の顛末がどの様な終幕を迎えるとしてもこの悲喜劇は姿形を変化させてまた新たな書き手に紡がれる。その物語達が産まれ、讃えられ、潰えるのを繰り返しどれほどの年月が流れるかは定かではないが、語れることは唯一つ。
時系列で言えば最後の舞台は月の上だ。遠い未来、人類/我々の滅びが刻々と迫る時にこの活劇は再び幕開き、少々趣を変えられた闘争にこそ最も派手で惨たらしい悲喜劇は謳われるだろう。
ーーでは今度こそ物語を語ろう。