課金厨のソシャゲ廃人がリリカルなのは世界に神様転生してまた課金するようです   作:ルシエド

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ユーノ「よし、二択問題で心理テストをしよう。
    崖があります。僕とクロノがぶら下がってるとします。
    どちらか一人しか引き上げられないとして、かっちゃんはどっちを引き上げる?」

かっちゃん「その場でイベ走るの再開して半ギレの二人が上がって来るの待つわ」

ユーノ「はっ倒すぞ」


永遠のフレンド

 シュトゥラの城下町に現れたジェイルは1080人。

 その全てが絶え間なく動いていたが、ベルカ達と戦闘していたのは最大時でも200人程度。ならば800~900人のジェイルが戦闘の陰で動いていたということになる。

 それだけの数のジェイルが、シュトゥラで暴挙を働いていたのだ。

 あるジェイルは街を壊し、あるジェイルは人々の絶望を煽るために動き、あるジェイルはシュトゥラの戦力を削るために駆けつけて来た騎士達を殺害していた。

 

 人を絶望させて連鎖的に全滅させることが目的だった以上、民草の死者数は微々たるものであったが、その分家屋などの被害と帰る家の無い避難民の大量発生が問題だった。

 帰る家のない状況が続けば、今は高揚している民草もいずれは絶望していくことだろう。

 町を守るために駆けつけた騎士は、駆けつけるのが早かった順に殺された。駆けつけるのが早いということは、騎士として優秀であるということ。

 されどその優秀さも数の差と力の差の前では蟷螂の斧でしかなく、優秀な騎士から順にジェイルに殺されていった。

 

「本当に酷いな、これは……」

 

「すまないベルカ。あれだけの大規模戦闘の直後に回復役として走り回らせてしまって」

 

「そりゃお互い様だろ、クラウス」

 

 ジェイル達の撤退から二時間ほど経った現在、クラウスとベルカは二人一組で町を駆け回り、怪我人の救助や町の復旧にあたっていた。

 二人共へとへとであったが、クラウスがこういう時にじっとしていられるはずもなく、ベルカがそんなクラウスを手伝わないわけもない。

 

 ベルカが瀕死の怪我人からかすり傷の怪我人まで幅広く治し、クラウスが家の屋根をぽんぽん投げ飛ばし、拳の衝撃波で数十トンの瓦礫をどかして避難用の広場を作っていく。

 左右を見渡せば、壊され燃え落ちた多くの家屋が見える。

 前後を見れば、背後の避難所に集う人達と、前方の避難所に向かって来る人達が見える。

 上下を交互に見れば、空の上に浮かんでいるスルトと、血の染み込んだ大地が見える。

 

 シュトゥラはジェイル達の襲撃のせいで、10年単位での復興を計画しなければならないほどの損害を受けていた。

 

「どこもかしこもこんな状態だ。たった一週間で、どの程度準備できるものか……」

 

 一週間後。

 最終決戦まであと一週間というのは、長いようで短かった。

 ただでさえ復興に時間をかけなければならないというのに……被害を受けた国は、シュトゥラだけではなかったのだ。

 

 カリギュラが聖王のゆりかご奪取のついでに聖王国で暴れたせいで、中央に集められていた聖王国の連合戦力はほぼ壊滅状態。大陸列強・聖王連合は分裂の危機に晒されていた。

 スルトが脅し目的で撃ったビームも、町に当たりそうなものは王や騎士達が命を捨て体を張って守っており、各国戦力の漸減(ぜんげん)を引き起こしている。

 更に現在進行形で、大陸の各所に『Gadget』と印字された機械兵器が出現し、各国の軍と衝突を始めていた。言うまでもなく、先の戦いの最中にジェイルが放っていた自動兵器である。

 

 ここに大前提として"ジェイルが続けさせた戦乱による国の疲弊"が加わる。

 大陸各国はもはや、ジェイルの挑戦に対し全軍をもってあたることもできない状況であった。

 

 敗戦間近で余裕が無い国、今戦力をジェイルに向ければすぐさま敗戦に至る国、戦争で疲弊しすぎて国外に戦力を出す余裕が無い国、国防に穴が空きそうな国。

 ジェイルの出現によるあれこれで軍事力が減り内乱の危機な国、あと少しで戦争に勝てるからという理由でジェイルを後回しにしている国、他世界への逃亡を考えている国。

 各々で理由は違うものの、各国の援軍は期待できない状況であると言っていい。

 

 シュトゥラも、クラウス達を除けば今動ける魔導師AAランク相当以上の人間が2、3人しかいないというありさまだ。これで他国をどうこう言えるわけもない。

 

「……できれば、僕らだけでなく敵の幹部級と戦える者も加えて挑みたいところだが」

 

「無理だろ。シュトゥラ単独でも、聖王連合が力貸してくれても、それでも足りてない」

 

 スルト内部で戦うことを考えれば、敵戦力は最低でも万のジェイル・カリギュラ・ウーンズにナハト。妥当に考えるならば、ここにスルトの内部防衛機構とガジェットが加わる。

 

「人手を集めるのはともかく、人材を集めるのは難しいんだよなあ」

 

 魔導師で言えば、せめてAAランク以上は欲しい。

 頭を悩ませながら町の人々を救い続けるクラウスとベルカに、そこで息を切らして駆けつけて来た十代の若い騎士達三人が、興奮冷めやらぬ様子で話しかけて来た。

 

「クラウス様! ベルカ様!

 町の復興と救助は我々に任せ、お二人は悪を倒すことに専念してください!」

「そうです!」

「我々は新米で、かの敵を倒すほどの力もありませんが、それでも人を助けることはできます!」

 

「君達は……今年入った新入りの騎士か」

 

 彼らは今年、シュトゥラの騎士団に入ったばかりの騎士達である。

 新米であるがためか情熱に燃えていて、三人とも体のどこかに傷を負い包帯を巻いているが、それでも精力的に救助に動き回ってくれているようだ。

 実はベルカを最初に課金王と呼び始めたのも彼らだったりする。

 いい仕事をしたのか、余計な事をしたのは、ちょっと判断に困るところだ。

 

「お二人は、世界を救うことだけ考えてください! それでは!」

 

 三人はベルカとクラウスの仕事を引き受け、ジェイル戦に専念するよう二人の背中を押して、どこかへ走り去っていった。

 どうしたものかと悩みながら、二人は疲れた体をおして、"とりあえず寝よう"とシュトゥラ城に向かって行く。

 

「世界を救う、か」

 

「ベルカ、いい考えはないか?」

 

 一週間。それで出来ることなどあまりにも少ない。

 

「あてはまあ、無いこともない」

 

 されどベルカには、秘策があるようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方その頃、シュトゥラで虐殺を行った側の者達は、アルハザードロボ・スルトの内部にてつまらない話に興じていた。

 カリギュラが椅子に腰掛け、ジェイルのやり口に呆れた心情が透けて見える声を出す。

 

「また酔狂か」

 

 ジェイルは座ったままその言葉を、楽しそうに笑って肯定した。

 

「かもしれないね」

 

 本来なら彼らの勝利は揺らがないだろうに、ジェイルはベルカ達の側にも1%の勝機を与え、最終決戦の場を作り上げているようだ。

 妄執に囚われているものの、カリギュラにだって理性はある。

 計算ができても理性が吹っ飛んでいるジェイルとは、根本的な部分が噛み合っていなかった。

 

「ただ、遊び心だけではないと言っておこう」

 

「ほう?」

 

「あの場面で彼らを殺すところまで行きたくなかった。

 課金王達の行動が引き起こした余熱が残っていたからね」

 

「ああ、なるほどな。お前は皆殺しの前提条件を作るため絶望させたかったんだったか」

 

 最終決戦の舞台を用意し、そこでベルカ達を殺そうとした理由。

 それは『宗教の教祖を下手に殺してはいけない』のと同じ理屈だった。

 

 皆の心を支える柱となった人物を、下手に殺してはならない。

 宗教の教祖のように人の心に残ることもあれば、「あの人はきっとどこかで生きてる」と盲信する人間を生み出してしまうこともあるからだ。

 そうなってしまえば、ジェイルが企んだ古代ベルカの全人類抹殺という企みは不可能な事柄になってしまうだろう。

 『駆逐できなかった希望』が、ジェイルの企みを殺す毒になるからだ。

 

 やるならば、ベルカ達をじわじわといたぶりながら殺していくしかない。

 希望の象徴をなぶり殺す過程でこの世界の人々の心を絶望に寄せていき、メシウマ魔法の可能性を根絶しつつ、"ジェイルを倒せる者が居なくなった"という事実で絶望を確定させるしかない。

 そのための、最終決戦なのだ。

 

「厄介なものだよ。この星を一方的に壊すのは容易だが、それだと周辺世界に人が残ってしまう」

 

 この世界を絶望で染める。

 その大前提をクリアしなければ、ベルカ文明の人間を根絶することなど出来ないのだ。

 だがジェイルからいくら理屈を聞いても、カリギュラは呆れが見える声色を変えやしない。

 

「そうは言うが、どうせお前のくだらない趣味のせいだろうに」

 

「カリギュラ君がそう思うのなら、そうなんだろうね」

 

 色々理屈を付けることもできるだろうが、ジェイルがベルカ達との最終決戦を用意しようとした最たる理由は、やはり趣味というか、生来持って生まれた性質というやつだろう。

 

「私は『そう作られた』のか、どうにも自分の欲求を抑えきれないようでね。

 もっと上手くやれるはずなのに。

 もっと隙なくやれるはずなのに。

 どうしても、人の欲望に沿う形……"盛り上がる形"に仕上げたくなってしまう」

 

 彼は世界の危機をもたらすに足る能力と、勇者たる人物に突かれるのには十分な隙、健全な社会と共存できない悪性を持ち合わせて生まれて来た。

 自分の生まれに疑問や不満を持ったことはない。

 彼はただひたすらに、欲望を掲げて秩序と正義とぶつかり続ける。

 

 世界としてのベルカも、個人としてのベルカも、ジェイルは殺さねばならない。

 でなければ、人という種が欲望に負けずに進歩してしまうかもしれない。

 欲望渦巻く人の文明が変革を迎えてしまうかもしれない。

 

 そんなことを、ジェイルが許容できるわけがない。

 それが創られた命である彼の、たったひとつの生きる意味であるからだ。

 

「お前のそういう演出過多なところは、気に食わん」

 

「だろうね、君は」

 

「だが、俺の目的が果たせるのなら文句はない。最後まで付き合ってやる」

 

「そう言ってくれると思ったよ、君は」

 

 カリギュラはそれだけ言って、どこぞへと去って行った。

 その背中を見送りながら、ジェイルは嘲りの笑みを浮かべる。

 善人も虐殺者や復讐鬼になれることを証明するかのように、カリギュラは復讐心から虐殺を行うような人間にはなれても、ジェイルのような悪人にはなれていなかった。

 

 ああいう人間が、ジェイルは好きだ。

 一つ何かが違えば、世界丸ごと救えていたであろう優秀で善良な人間が、ボタン一つ掛け違えただけで悪魔に成り果てたがゆえの姿。

 自殺と自滅を心のどこかで望んでいる哀れな聖王。

 我欲を満たすこともできず、幸福を掴むこともできず、利己に走ることもできず、もう戻らない大切な人を思い続けながら、自分が最も苦しむ生き方を進んでしなければならない。

 

 あの救いようの無さ、無残な死を迎える以外の未来が存在しない在り方は、ジェイルにとっては見ていて楽しいものだった。

 

「いいねえ、本当に」

 

 ジェイルは愉快な気分に浸っていたが、そこは悪役のサガなのか、突如ドアを勢い良く開いて現れた男に、いい気分に水を刺されてしまう。

 

「ジェイル!」

 

「おやおや、ウーンズ君」

 

 ドアを開けて現れたウーンズを視界に入れて、ジェイルは愉快一色だった心情を、一瞬できっちり嘲笑一色に塗り替えた。

 

「わたしが一人で奴らを罠に嵌め、一瞬で全員死に至らしめてみせよう!

 スルトの制御権をわたしに渡すがいい、ジェイル! 結果は約束してやる!」

 

「……はぁ」

 

「なんだその溜め息は! 貴様、生涯無敗のわたしをコケにしているのか!?」

 

 "生涯無敗"。

 "だからわたしは天才なのだ"。

 この男の口癖だ。ウーンズがこの言葉で自尊心を保っているということが、初対面の人間にもすぐに分かる言葉である。

 そんな言葉を聞かされ、ジェイルは悪意と打算たっぷりに――

 

 

 

「君は面白いな。何度も何度も完膚なきまでに彼らに負けているというのに」

 

 

 

 ――言ってはならなかった言葉を、言ってしまった、

 

「……はは、冗談が上手いな、ジェイル」

 

 ジェイルは椅子を回し、ウーンズに背中を向ける。

 無防備な背中だ。いつでもかかって来いと言わんばかりに隙だらけの背中。

 なのにウーンズは、ジェイルに何もしようとしない。

 声は震え、声色はトーンが落ち、声を聞いているだけでも動揺と憤怒が伝わってくるくらいだというのに、ウーンズはジェイルに口で喧嘩を売るだけで何もしようとしない。

 

 ジェイルはウーンズに背中を向けていたが、ウーンズが今どんな表情をしているのかは、手に取るように分かっていた。

 

「冗談のような生き方をしているのは君の方だろう。

 だからこそ私は君を選び、君の異常性がもたらす最悪の光景に期待したんだ」

 

「いい加減にしてもらいたいな。

 わたしは貴様が嫌いだ。貴様が癇に障るようなら、すぐにでも貴様を殺すことも躊躇わんぞ」

 

 ジェイルが嘲笑する。

 カリギュラに向けた嘲笑が哀れな存在を笑うものであるのなら、ウーンズに向けられたこの嘲笑は、能力だけが高い愚昧を笑うものだった。

 

「それこそお笑い種だ。

 ならば何故、君は私に今すぐにでも反逆しないんだい?」

 

「―――」

 

「君は私のような在り方をしている人間を軽蔑し、憎んでいる。

 現に私に向ける殺意も絶やしたことはない。そんな君が、私を殺しに来ない理由は……」

 

「黙れ」

 

「私に楯突けば必ず負けると、確信しているからだろう?」

 

「黙れ!」

 

「君が不敗であると誇っている人生が、否定されてしまうからだろう?」

 

「黙れぇッ!」

 

 ウーンズは、その生涯において"自分が負けた"と思わせてきそうな要因を、一から十まで徹底して排除してきた。子供の頃からずっと、ずっとだ。

 自分より強そうな人間を暗殺することも、自分より頭が良さそうな人間を毒殺したことも、自分が敗北した事実を自己暗示で消し、自分を負かした人間を闇討ちしたことも一度や二度ではない。

 

 だから彼は、自分に勝った人間を讃えたことがない。

 自分より明確に優れた人間が居ると認めたことがない。

 敗北から何かを学んだことがない。

 敗北を認めたことがない。

 

 ジェイルはウーンズのこの世界でも五指に入る頭脳ではなく、その破綻と歪みを抱えた思考回路にこそ、味方に引き入れたいという魅力を感じていた。

 

「君は一度も負けたことがない人間ではない。

 『自分が負けたという事実を受け止められない』

 『自分が負けたという事実に耐えられない』

 『自分の敗北を認めず、敗北の事実から逃げ続ける』

 人間だ。それこそ異常にね。その歪んだ在り方にこそ、私は期待した」

 

「う、ぁ……」

 

「滅びた文明の生きた悪の遺産。

 愛の喪失を理由に世界の滅びを願う哀れな聖王。

 自分の気分を害する要因を自らの人生に認められない愚者。

 私達のような人間こそが、世界の敵となる邪悪に相応しいのさ」

 

「……っ!」

 

 ジェイルが椅子を回し、ウーンズと向き合おうとする。

 

「さあ、君はどうす……と、もう居ないか」

 

 だが、ウーンズは既にそこには居ない。

 派手に、自信満々に、大きな音を立てながら現れたウーンズ。なのに帰り際は静かに、怯えて逃げるように、音も立てないように逃げたというのだから皮肉なものだ。

 ジェイルはどこか満足した様子で、追い詰められた愚昧が引き起こす大惨事に想いを馳せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 若者達は悪に立ち向かい、世界を守るための咆哮を上げる。

 それを見ていた王達が居た。それを見ていた大人達が居た。

 クラウス達に『黒幕』捜索の命を与え、資金の提供や騎士団の指揮権の一部を与えるなど国単位での支援を行い、悪に毅然と立ち向かう姿を見せていたシュトゥラ王もそうだった。

 

「失礼します。何か御用でしょうか、我が王よ」

 

 クラウスの願いを聞いてベルカを毎朝鍛えている黒髪の騎士が、そんなシュトゥラ王に深夜に呼び出され、王の私室に足を踏み入れる。

 深夜に王の部屋に呼び出されるほど、黒髪の騎士は王に信頼されているようだ。

 それも当然。

 この黒髪の騎士は、複数人が交代交代で努める王の護衛の一人なのだ。

 

「うむ、よく来たな。座るがいい」

 

 それも、王やクラウスに格別の扱いをされている騎士である。

 黒髪の騎士は、この大陸において差別されている民族の生まれであり、そこをシュトゥラの王に拾い上げられ恩返しに騎士となった。

 そのため忠誠心厚く、王の護衛に上り詰めたことからも分かるが実力も高い。

 魔導師で言えばまずAAランクはあるだろう。

 "主を守護する"という事柄において、彼は生来優れた能力を持っていた。

 

「ベルカから、一緒に来て欲しいと頼まれているのだろう?」

 

「! もう耳にされていたとは、流石王……」

 

「行くがいい、我が騎士よ。クラウスと共に行くのだ」

 

 だからこそ王は、一人息子の援軍に黒髪の騎士(信頼する部下)を送ろうとしていた。

 

「ですが王。今の情勢は不安定すぎます。

 いつかの悪党どもが気まぐれを起こし、刺客を送ってくるか分かりません。

 他の国もそうなのでしょう。もしものことを考え、王の護衛は万全にしなければ」

 

「世界より大切な王などあるものか。忘れるな。

 今は国難ではなく、世界の危機なのだ。

 世界の危機に全力で立ち向かえない他者の存在は、我らが手を抜く理由にはならぬ」

 

「……っ」

 

 されど黒髪の騎士は、世界を守るために騎士になったのではなく、王を守るために騎士になった男だった。

 

「王……! 私は、王を守るためにこそ戦いたいのですっ……」

 

 ベルカ、クラウス、オリヴィエ、エレミア、それぞれに戦う理由があるように。

 ジェイル、カリギュラ、ウーンズ、それぞれに悪を働く理由があるように。

 どんな人間にも、何のためにどこでどう戦うかを選ぼうとする理由がある。

 

(わたし)を守るために強くなれるお前なら。

 世界(みな)を守るためにも強くなれるはずだ。違うか?」

 

「……!」

 

 王とは、個々人の『理由』を受け止め、包括し、尊重した上で皆に同じ方向を向かせる者だ。

 黒髪の騎士は王の言葉にグラつくも、なんとかこらえる。

 そして自嘲するような口調で、王に己の胸中を明かした。

 

「……こういう時は、王子達が羨ましい」

 

「どういうことだ?」

 

「彼らの無鉄砲さが羨ましい。

 一番に守るべき者を躊躇いなく守りに行ける彼らが。

 私は、ああはなれない。

 王よ……あなたは何故、あそこまで迷わず怖れず前に進んで行く子らの背中を押せたのですか」

 

 黒髪の騎士は、細かいことはいいんだよ! の精神で、守るべきものを見据えてあらゆるリスクを無視できる若者達を、羨望の目で見ているようだ。

 王の存在が心に引っ掛かり、クラウス達の援護に踏み切れない自分と比べているのだろう。

 

 騎士が話題に出したのは、かつてベルカ達が『黒幕』を探すと言い出した時、ベルカ達を支援すると決めた王の判断のことだ。

 あの時、黒幕(ジェイル)が実在するという絶対的な証拠はなかった。

 クラウス達がやらかす可能性も、黒幕を誤認してしまう可能性も、国の金と人材の時間を無為に使ってしまう可能性だってあった。

 だがシュトゥラ王は、若者達をバックアップすることを決めた。

 

 黒髪の騎士は、あの時王が若者達の背中を押した理由を聞こうとしていた。

 自分が最終決戦に行くか行かないかを決める前に、どうしてもその理由が聞きたかった。

 

「ふむ……そうだな」

 

「……」

 

 王は少しばかり、自分の中で考えをまとめる様子を見せる。

 

「少しだが、私の心情も混じえた余計な話をしよう。

 世間では、子供がやらかすと大人が手綱を握っていなかったことを責められるな。

 だが基本的には子供の自主性に任せ、子供の好きなようにさせる親が立派であるとされる」

 

「はい。子供を縛る親が立派でないとされる風潮はあります」

 

 人は自由と責任を持ち、時に他人に対し自主性の尊重と監督責任を持つことを求められる。

 

「大人が子供に任せるべき時。

 または任せるべきでなく、大人がそれをやるべき時。

 その境界線はどこにある? その違いはどこにあるのだろうな?」

 

 子供に全てを丸投げする大人は間違っているだろう。

 かといって子供に何もさせず自由にさせない大人も間違っている。

 ならば、任せる任せないの判断基準はどこにあるのだろうか?

 

「私はそれを、子供が自分で自分のやったことの責任を取れるかどうかであると考える」

 

「責任、ですか」

 

 自分で責任を取れるなら、若人にそれを任せてもいい。

 その若人が責任を取れないと判断したなら、年長者は任せるべきでない。

 時には"誰にも失敗した時の責任が取りきれない"案件もあるだろうが、その時は皆で力を合わせて皆で責任を取るか、上が責任を取るべきなのだ。

 

 王は、王子達がもう自分で責任を取れる人間であると判断し、彼らの背中を押した。

 クラウスは、ベルカは、オリヴィエは、エレミアは、最初から王に期待されていたのだ。

 そして今、"誰にも失敗した時の責任が取りきれない"案件……世界の命運をかけて戦う決戦が行われようとしている今、シュトゥラの王は彼らしい在り方を見せていた。

 

「この世界の未来は、あの若者達が決めるだろう。

 そしてこの世界の未来を生きるという形で、彼らは責任を取っていくはずだ。

 ……責任を背負い切れそうに無かったならば、その時こそ我らが支えるべき時だろう?」

 

「!」

 

 民の被害への補償。

 最終決戦の邪魔になりそうな他国の干渉のカット。

 残った戦力での各国家防衛。

 心置きなく彼らが行けるようにとバックアップ。

 最終決戦の後も、戦後復興などすることがあれこれとある。

 

 前線で戦う人間が全てではない。

 クラウス達が心置きなく前に出て戦えるよう、彼らの後ろを固める誰かが必要なのだ。

 大人が子供の後ろに立つように、親が子の後ろに立つように、後ろから支える誰かが。

 

「子供にできないことは我々がやればいい。

 我々にできないことは子供がやってくれる。

 王であるわたしにできないことも、騎士であるお前ならば可能であるのと同じように」

 

「……王」

 

 シュトゥラの王はそうして、王としての言葉であり、年長者としての言葉であり、親としての言葉でもあるそれで、黒髪の騎士の背中も押した。

 

「ならば私は、彼らに付いて行きましょう。

 王であるあなたが、心置きなく私にできないことを行えるように」

 

「うむ」

 

 どうやら、最終決戦に心強い味方が一人加わってくれた様子。

 

 

 

 

 

 同時刻。

 シュトゥラの王が、親としての自分を垣間見せた夜。

 俯いたままのウーンズが、自宅に帰宅した。

 

「お帰りなさいませ、ウーンズ様」

 

「……」

 

「ウーンズ様?」

 

 エプロンをかけたナハトがそれを迎えるが、ウーンズは返事を返さない。

 ウーンズは無言のまま、俯いたまま家に入って来るが、ナハトはそこに異様な雰囲気を感じ取った。こういう雰囲気を纏っている時のウーンズは危ういところがあると、彼女は知っている。

 

「ナハト」

 

「はい、なんでしょうかウーンズ様」

 

「お前とユーリは、私を愛しているか?」

 

 突然の問いにナハトは目を丸くして、やがて微笑んで答えた。

 

「勿論です。家族ですから」

 

「そうか……愛しているなら、何でもできるな?」

 

「ええ、なんなりとお申し付けください。

 ウーンズ様から何かを望まれることが少ないユーリも、きっと喜びますよ」

 

 愛を確かめ合ったかのような感覚に、ナハトは嬉しそうに笑う。

 彼女はどこまでもスレていなかった。もっと世間に触れてスレるべきだったのだ。

 物語のヒロインとしてならば純粋さは単純な武器となっただろうが、悪意ある世界の中では、純粋すぎることは弱点にしかならない。

 

 彼女は疑問に思うべきだった。

 ウーンズがナハトを愛してると、そう言ったわけではないことに。

 彼からの愛は何も確かめられていないということに。

 彼女は問うべきだった。

 "ならあなたは妻と娘を愛しているのか"と。

 彼からの愛を、面倒臭い女の言動だと思われようが、この時確かめるべきだったのだ。

 

「お父様!」

 

 少なくとも、ユーリがここに飛び込んで来る前には。

 

「ユーリ! 行儀が……」

 

「お母様は少し静かにしていてください!

 お父様! お父様は悪い人と戦っていると言っていました!

 自分は社会の害になる人間を排除するため戦っているのだと、そうおっしゃっていました!」

 

「ああ、そう言ったな」

 

 ユーリはあらゆる感情が混ざった中に、特に大きな感情が三つ見える表情で――怒り、悲しみ、不信――ウーンズを問い詰めていた。

 それに、どこか様子がおかしいウーンズが静かに応える。

 

「でも……でも!

 お父様が前に仲間だと言っていた人は、人を苦しめていました!

 お父様の仲間は悪い人で、その魔の手からあの人が皆を守っていました!」

 

「……あの人?」

 

「シュトゥラの騎士、ベルカさんです!」

 

「―――! ユーリ貴様、あの男とっ!?」

 

 そして、ウーンズの顔に感情が戻る。

 ユーリは真実を知った。ウーンズは自分が正しいと信じ、自分が正しいことをやっているとユーリに語り続けていたが、その化けの皮が剥がれたのだ。

 敵と会っていたというユーリにウーンズは激怒するが、ユーリは幼いその身で父の威圧に毅然と立ち向かい、一歩も引く姿勢を見せはしなかった。

 

 少女は、ジェイルが町に起こした惨状を見ていたのだ。

 ベルカに避難しろと言われ、避難した先で暴虐を働くジェイルと脅かされる人々を目にして、人を守る魔法を行使していたベルカを見て、ユーリは立ち向かう勇気を貰う。

 彼女は本当に"とてもいい子"だった。

 ウーンズのような逃避癖も、大人になれば身につく保身的な考えも、持ち合わせていなかった。

 

「ユーリ、私達は正しいことをしている!

 貴様は赤の他人と血の繋がった父のどちらを信じるのだ!? あの男は私の敵だ!」

 

 ウーンズは自分が正義だと疑っていない。

 ユーリにも本気で、自分が正しいのだと語っていた。

 社会不適合者に類する者は、その味方は、全て殺してでも排除すべきだと信じていた。

 そんな男の言葉では、子供特有の潔癖さがあるユーリの心には届かない。

 

「でも、お父様の敵だとしても、あの人は優しかった」

 

 彼女の心に届いていたのは、見知らぬ誰かにベルカが差し向けた、ほんの少しの優しさだった。

 

「私はあの人より、お父様を愛しています……けど!

 お父様より、あの人を信じています! あの人の方が好きです! お父様よりずっとずっと!」

 

「―――」

 

 ジェイルの"君は負けたんだ"という言葉は、ウーンズに絶対に言ってはならない言葉だった。

 そして今ユーリが口にした言葉もまた、ウーンズに絶対に言ってはならない言葉だった。

 

「だって、だって……!

 私が失敗した時、お父様は私をその手で叩いたけど!

 あの人は……あの人は! その手を差し伸べてくれたんです!」

 

 ユーリが何か失敗した時、ウーンズは役立たずめ、もっと頑張れと手を上げた。

 だからあの日、町で迷ってしまった日も、ユーリは心のどこかで不安に思っていたのだ。

 「また怒られちゃう」と。

 「叱られるのは痛いから嫌」と。

 「私はお使いもできない悪い子なんだ」と。

 顔に出していなかっただけで、迷子になったあの日に、ユーリは心の中で泣いていた。

 

 そこで何気なく差し伸べられた手が、その後も差し伸べられ続けた手が、どれほどユーリの心に大きなものを与えていたか、ベルカは知るよしも無いだろう。

 

 クラウスはベルカを助け、手を差し伸べた。

 ベルカはその在り方が尊いと思い、彼の生き方を目標にした。

 オリヴィエはベルカに共感を示した。

 記憶のないベルカは"相手の気持ちに共感しようとする"ことを学んだ。

 エレミアはベルカに新たな手を与えた。

 ベルカはその手を、誰かに差し伸べるために使おうと思った。

 

 それは『善意のバトン』である。

 

「手を、繋いでくれたんです!」

 

 ユーリの脳裏に、先日のナハトの言葉とベルカの言葉が蘇る。

 

―――いい子だ、ユーリ。お母さんも鼻が高いよ

―――いい子だ。避難所に行ったらそこに居る騎士の人の指示に従うんだぞ

 

 ユーリが本当に欲しかった言葉をくれたのは、母とベルカだけだった。

 

「お父様は、一度だって私のことを"いい子"だって言ってくれないじゃないですか!」

 

 愛はある。

 娘が父に向ける愛はある。

 ユーリが叫んでいるのも、父に変わって欲しいと思っているからだ。だから、愛はあるのだ。

 愛ゆえに否定する。

 それは普通の人間関係ならば、当たり前のようにあってしかるべき事象。

 

「私はお父様を愛してはいても、好きじゃないです……!」

 

「……」

 

 だが当たり前のことであるということと、それにウーンズが耐えられるかどうかは別問題で。

 

「ああ、そうか」

 

「ユーリ、謝―――ぐっ!」

 

 ウーンズの顔から怒気が消えた。

 分かってくれたのかな、とユーリは思うが、次の瞬間にそんな思考は消し飛んでしまう。

 ナハトが夫を止めようとして、ウーンズに殴られる。ウーンズの顔には怒気の代わりに、育成に失敗したキャラデータをリセットする前のプレイヤーが浮かべるような、徒労と放棄の感情が薄っすらと見える無表情が浮かんでいた。

 

「よく分かった」

 

 ブチ、と、何かが切れる音がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あと数日で決戦だ。

 心落ち着かない様子を見せていた者も少なくない。

 会議室に集まって様々なことを話し合っていたクラウス・オリヴィエ・エレミアもまた、どこか落ち着かない様子を見せていた。

 

「え!?」

「ならエレミアは、ベルカが未来から来た人間だと知っていたというのか!?」

 

「……そうじゃないかと、思ってただけだよ」

 

 会話の流れで、彼らの会話は作戦のための会話から、友についての会話に流れた。

 

「彼の武装……アンチメンテ、といったかな。

 あれを義腕に組み込んだ時に、いくつかデータの吸い出しができたんだ。

 バラバラになっていたから記憶媒体はむき出しだったしね。

 未知の武装の接続端子を解析しつつ一から接続端子を作るよりは、よっぽど楽だったよ」

 

「なら、何故僕達にすぐそれを言わなかったんだ?」

 

「……認めたく、なかったんだ」

 

 エレミアはマントに手を当てて、それをギュッと握る。

 その仕草で、彼女は感情を抑えた。

 その仕草で、彼女は涙をこらえた。

 けれど泣きそうな顔と声だけは、隠し切れていなかった。

 

「彼が未来から来たのなら、記憶を取り戻した彼が帰る場所はきっと未来にある」

 

「!」

 

「なら、お別れだ。きっとそのまま、僕らはもう二度と会うこともない」

 

 終わりは近い。

 時空を超えたスマートフォンの召喚で、ベルカの記憶も急速に戻り始めた。

 次の戦いが最後の戦いになるだろう。

 ベルカとエレミア達が共に戦う、という意味でも。

 

「だから、認めたくなかったんだ……!」

 

「エレミア……」

 

「こんな気持ちになるなら……

 "こんな感情"、最初からいらなかった……!

 こんなにも悲しいなら、辛いなら、苦しいなら、いっそ最初から―――」

 

 エレミアは自分の中の淡い気持ちを全否定する言葉を吐こうとするが、そこでオリヴィエがエレミアの唇に人差し指を当て、エレミアの続く言葉を押し留める。

 

「いけません、エレミア」

 

「ヴィヴィ様……」

 

「その言葉だけは、絶対に口にしてはなりません。あなたにとって毒にしかなりませんから」

 

 微笑むオリヴィエ。

 その笑顔に、エレミアの心も多少なりと落ち着いていく。

 一連の流れを横で聞いていたクラウスは、エレミアとオリヴィエの発言の意図をイマイチ把握できていなかったが、そこで会話の意図を聞くほど空気を読めない人間でもなかったので、二人の会話の邪魔にならないよう黙っていた。

 

「少しでいいですから、ベルカと話しましょう?

 あなたにはそれが必要だと思います。彼が帰るとしても、帰らないとしても」

 

「……うん」

 

 オリヴィエの微笑みは穏やかで、その語り口も穏やかだ。

 姉が妹をなだめるようなその口調は、ベルカに帰って欲しくない気持ちで熱くなったエレミアの心を、少しづつ鎮めていく。

 やがて静かになった会議室に、ノックの音が響き渡った。

 

「入っていいか?」

 

「! じゅ、10秒待って!」

 

 ベルカの声が聞こえて、エレミアが慌てて入室を止める。

 10秒でできることなど、深呼吸一回くらいのものだろう。

 されどその深呼吸一回で、エレミアはなんとか常の自分を取り繕うことに成功していた。

 

「コーヒー入ったぞー」

 

 気を使ってコーヒーを人数分持って来てくれたベルカ。

 間がいいのか悪いのか、はてさてどちらだろうか。

 クラウス達はベルカに各々礼を言いながら、彼からコーヒーを受け取っていく。

 そこでクラウスは、オリヴィエやエレミアが全く予想していなかった行動に出た。

 

「ベルカ、君はジェイルを倒し記憶が完全に戻ったら、未来に帰ってしまうのか?」

 

「!?」

「!?」

 

「……ん、そうだな。帰ると思う」

 

 真っ直ぐなクラウスは、遅かれ早かれ聞かなければならないことなのだからと、このタイミングでド直球にベルカに問う。

 ベルカもベルカでこの問いを予想していたのか、少し間を置いたがサラッと答える。

 迷いのない『帰る』というベルカの言葉は、クラウス達が聞きたがっていた彼の意志であり、彼らが聞きたくなかった方の選択だった。

 

「記憶はまだ全然戻ってないが、オレには帰る場所がある。

 それだけは、オレもちゃんと思い出したんだ」

 

「帰る場所、か」

 

「……」

 

 その瞬間のエレミアの落ち込みようは、顔を見れば小学生でも分かるくらいのものだった。

 いや、エレミアだけでなく、クラウスやオリヴィエの落ち込みようも目に見えて酷い。

 心のどこかで、彼らはずっと四人で居られると思っていた。

 ずっと皆で一緒に居たいと思っていた。

 別れたくないと思っていた。

 ここまでショックを受けていることに驚いているのは、彼ら自身だろう。

 

 クラウス、オリヴィエ、エレミアの中で、ベルカという青年はいつの間にかに、とても大きな存在となっていたようだ。

 

 記憶をいくらか取り戻していたベルカの迷いのない『帰る』という意思表示に、彼らはベルカの帰りを待つ誰かが居るのだろう、と想像する。

 クラウスは、"彼を待つ家族も居るだろう"と思った。

 オリヴィエは、"彼を待っている友達もきっと居るはず"と思った。

 エレミアは、"彼を待っている恋人が居るのかもしれない"と思った。

 

「ここに居ればいいじゃないか!

 僕が面倒見るから、不自由なんかさせないから、だから……!」

 

 エレミアの声の悲痛さが、先ほどオリヴィエとクラウスに叫んだものより、数段悲痛なものになっているのは、気のせいではないだろう。

 

「オレはオレが居たい世界に生きる。

 楽に生きられる世界より、贅沢に暮らせる世界より、好きな世界の方を選ぶ」

 

 生きたいように生きるこの男を無理矢理に縛ることなど、誰にもできはしない。

 どんなソシャゲを遊び続けるかが人の自由であるように、選ぶ時に迷いや葛藤はあるだろうが、人はどの世界を生きるのかを選ぶ権利を持っている。

 ベルカは記憶を一部しか取り戻していないこの状態でも、この古代ベルカの世界ではなく、大切な人が待つ元の世界を選んだ。

 きっとその選択の根底にあるのは、元の世界に対する『愛着』なのだろう。

 

「行かないで、って、言っても……?」

 

 エレミアは、ベルカに懇願するような声を出す。

 縋り付いてでも止めようとしたが、羞恥心から思い留まり、ベルカの服の裾をつまむに留まる。

 どこにも行かないで欲しかった。

 ここに居て欲しかった。

 隣に居て欲しかった。

 クラウスも、オリヴィエも、きっと良い友人であるベルカに対しそう思っていたが……エレミアのそれはきっと、二人のそれとは大きく違う感情だった。

 

「一緒に居て欲しい、って言っても……?」

 

 服の裾をつまんでいたエレミアの手が、ベルカの服をぎゅっと掴み直す。

 つまむのではなく掴み、力強く服の裾を握りしめるエレミアの手は、ベルカを離したくないという彼女の気持ちをそのまま表していた。

 どこにも行かせたくない。

 だから彼女は、強く掴む。

 

「悪いな」

 

 ベルカはそんなエレミアを見て、慈しむような、罪悪感が垣間見える顔をする。

 そしてエレミアの手をゆっくり外し、近場にあったエレミアの脱いだマントを引っ掴み、エレミアの顔をすっぽり隠すように彼女の頭に投げつける。

 そしてマントの上から、両手でワシャワシャとエレミアの髪をくしゃくしゃにし始めた。

 

「わ、わっ」

 

「これに関しては、全面的にオレが悪い」

 

 罪悪感のあるベルカの苦笑を見るだけで、オリヴィエの胸は痛む。

 ベルカにもエレミアにもかける言葉が見つからない。

 だからオリヴィエは、黙っているしかなかった。

 ベルカは早くも別れの空気に染まっている部屋の中で、クラウスに明るい口調で話しかける。

 

「たぶんこの戦いが終わればオレはどっかに行くだろうから、そのつもりで頼むわ」

 

「ベルカ……」

 

「一つ、お願いがあるんだ。聞いてくれるか? クラウス」

 

「ああ。僕の……私の命にかけて、その願いは叶えてみせる」

 

 彼が願うはただ一つ。

 

「最後は笑顔で別れようぜ。約束だ」

 

 それが、ベルカが献身の対価に望んだたった一つの願いであり。

 

 エレミアにとっては悪夢のような永遠の別れの最後を飾る、別れの花束だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カリギュラは、永遠の別れという名の悪夢を夢に見る。

 

『あなたは、生きて』

 

 愛する姉が死んだ時。

 憎むべき姪が生まれたあの日。

 あの瞬間を、カリギュラは何度も何度も夢に見る。

 

『あなたが弟だったことは……私の人生で、数少ない幸福だったわ』

 

 夢の中でも、目が覚めても。

 

「姉さんっ! ……ぐ、く、ぐ……夢、か……」

 

 彼にとっての悪夢は終わらない。

 姉が死んだあの日からずっと、彼の夢と現実は両方共に、終わらない悪夢そのものだった。

 起きていても眠っていても、彼の目には地獄しか映らない。

 

「……ッ……!」

 

 彼の脳裏に、彼の過去の記憶が、姉の言葉が、次々と蘇っていく。

 

『私達は両親が両親だから。姉弟で力を合わせて生きていきましょう』

 

 遠くに行ってしまった者には、二度と会えない。

 生者の世界と死後の世界、過去の世界と未来の世界、ひとたび別れの言葉と共にこれらの世界の境界を越えてしまえば、それは事実上永遠の別れとなるだろう。

 生と死の境界を越えることも、過去と未来の境界を越えることも、本来有り得ないことでしてはいけないし望んでもできないことなのだから。

 

『……親に付けられた傷が一番多いって、どうなのかしらね。王族も虐待ってしていいのかしら』

 

 想い出があるからこそ苦しい。

 想い出があるから会いたくなる。

 なのに会いたくても会えない。

 その葛藤が、心を蝕むのだ。

 

『政略結婚、か。恋愛結婚なんて望んでいたわけじゃないけど……少し、ショックよね』

 

 結局のところ、カリギュラはオリヴィエの母を愛していたからオリヴィエを憎んでいるだけで、その愛がなければオリヴィエを憎む理由もなく、憎むことすらもできない人間だった。

 悪人にも成りきれない彼は、ひたすらに哀れで。

 

『望んだ結婚でもなかったし、望んだ妊娠でもなかったけれど。

 だからこそ私は、この子が生まれてくることを望んであげようと思うの。

 誰にも望まれないで生まれてくる子なんて、愛の無い場所に生まれてくるなんて、悲しいわ』

 

 死を与える以外に、何も救いが見当たらないような人間だった。

 

『それじゃまるで私達みたいじゃない。そうでしょう、カリギュラ?』

 

 放っておけば何度でも世界を滅ぼそうとする人間だった。

 

「その悲しみが免罪符にはならないと分かっていても……

 それで止まれるのなら、苦労はしないっ……!」

 

 カリギュラは頭皮に爪を立て、過去の記憶に心を痛め付けられる苦痛から逃れるために、頭皮を爪でガリガリと削る。

 流れた血が頭皮を伝い、彼の顔と首に赤い線をいくつも引いていった。

 頭皮は血まみれ、顔も血まみれ、手も血まみれ。

 血まみれになった手で近場の机の中を漁り、カリギュラはそこにあった薬剤のカプセルを何十個と一気に口の中に流し込んで、それらを一気に噛み砕く。

 

「ハァ、ハァ、あ、ああああああああ……あッ!」

 

 精神的ストレスで唾液が出なくなった口で、薬剤を咀嚼する。

 あまりにも水分が足りなかったことで薬剤は彼の喉に詰まったが、彼はむせようとする気管支の働きを意志力で無理矢理抑え込み、無理矢理に詰まった薬を飲み下していく。

 気持ちが良くなる薬、過去を忘れられる薬、精神を安定させる薬、体内の病魔を抑える薬、体の苦痛を和らげる薬、足りないホルモンや栄養を補う薬。

 彼は心の維持と体の維持をするため、薬を頼らなければもうどうにもならなくなっていた。

 

『あなたは生きて。私の分まで……お願い……約束よ、カリギュラ……』

 

「生きていたくなくても……生きなければ……生きて……終わらせなければ、全部……!」

 

 カリギュラは、同情の余地はあっても救えない人間だった。

 

「行かないでと言っても……!

 一緒に居て欲しいと叫んでも……!

 姉さんは、遠くに行ってしまって……あああああああああああッ!!!」

 

 カリギュラは、『大切な人との別れ』に失敗してしまった人間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 月の見える夜。

 最終決戦を明日に控えた夜。

 城壁の端に座り、足をぶらぶらさせているベルカの横に、クラウスがやってきた。

 

「よっ」

「やあ」

 

 二人して城壁の端に座り、意味もなく足をぶらぶらさせる。

 沈黙が流れて、何も考えていない青年二人はぼーっと空を見上げる。

 月は見えても、星は見えない。

 星の大半は、アルハザードロボ・スルトの巨体に隠されてしまっていた。

 

「明日だな」

 

「ああ、明日だ」

 

 二人はポツポツと、言葉を交わし始める。

 

「クラウスに出会えて、よかった」

 

「僕もだ。君に出会えてよかった」

 

「なんとなくだが、お前に出会えたから、オレは少しだけまともな人間として動けた気がする」

 

「なんとなくだけど、君に出会えたから、僕は本当の意味で強くなれた気がするんだ」

 

 やがて言葉は会話となり、会話でないものへと姿を変える。

 会話とは互いが交互に言葉を交わし合うものだ。

 だがベルカとクラウスの二人は、相手の言葉を聞き終わる前に自分の言いたいことをガンガン言い続け、その内容が奇跡的に合致し、会話と同義のものとなるという異様な会話もどきを繰り広げ始めた。

 

「感謝してる」

「ありがとう」

 

「お前が居たから、ここまで来れた」

「君が居たから、ここまで来れた」

 

「お前がどこまでも真っ直ぐだったから、オレはそれを支えないとって思えた」

「君がどこまでも危なっかしかったから、僕は君を守らないとって思えた」

 

「だけど、違った」

「だけど、違った」

 

「その真っ直ぐさがあったから、きっと、オレ達はここまで来れたんだ」

「君は危なっかしいけど、守られる側の人間じゃない。守る側の人間だったんだ」

 

「だから何度も助けられた」

「だから何度も助けられた」

 

「「 ……助け合えた 」」

 

 友情と相互理解が目に見える、そんな言葉の応酬だった。

 

「いい友達だったよな? オレ達」

 

「違うさ、ベルカ。それは過去形にしちゃいけない。

 もう二度と会うことがなくても、僕らは永遠に親友なんだ」

 

「……お前、本っ当にいいやつだよな!」

 

「僕も常々、君に対してそう思ってるさ!」

 

 二人は夜中に大きな声を上げて笑う。

 今なら、笑って別れられるような気がしていた。

 今なら、別れの悲しみに泣いても許されるような気がしていた。

 

「なあ、前に血の話をしたの、覚えてるか?」

 

「ああ、風呂でした会話のことかい?」

 

 ひとしきり笑った後、ベルカはちょっとばかり前に風呂でクラウスとした会話を話題に出す。

 

――――

 

「血は多くのものを伝える。

 技、遺伝子、血が伝える力、王権、家族の絆……

 親が子に技を伝えることもある。

 祖父が孫に夢を継がせることもあるだろう。

 先祖の恩義と友情を理由に、どこかの誰かを助けに行くというのも歴史じゃ珍しくない」

 

――――

 

 『血』とは、繋がりだ。

 王族であるクラウスは、ことさらにそれを大切にしている。

 ベルカは楽しそうに笑いながら、『血』のことを引き合いに出して、からかうようにクラウスを指差し言った。

 

「クラウス、お前子孫の教育はちゃんとしておけよ。お前の子孫にちゃんと会いに行くからな」

 

「―――、それは、中々に難しい課題だ」

 

「もう二度と会うことがなくても、オレ達は永遠に親友なんだろ?

 未来がどんな世界だったかは覚えてないが、遠い未来で、オレはお前の子孫を助ける」

 

 ベルカは笑って、顔の横に拳を上げる。

 

「これは、絶対に破られない約束だ」

 

 クラウスも笑って、その拳に己の拳を当てる。

 

「なら、僕の子孫も君を助けるだろう。これも絶対に破られない約束だ」

 

 拳と拳が軽く打ち合わされて、約束は交わされた。

 男と男の約束、朽ちぬ友情を結ぶ約束。

 結婚は死が二人を分かつまでと言うが、この二人の友情は死でも分かてない。

 未来と過去を分かつ壁でも、この約束を分かつことはできやしないだろう。

 

「遠い未来でも、僕の子孫と君は助け合うだろう。僕らの友情が、続く限りは」

 

「なら、オレが死ぬまでは続くさ」

 

「……そうか」

 

 月下の友情。

 断金の交わりもとい断空の交わりだ、なんて冗談が飛ばせないくらいに固い友情だ。

 たった三ヶ月の付き合いであったが、それでも、生涯に二人と得られないような友だった。

 

「ならきっと、僕は笑ってベルカに別れを告げられる」

 

 名前を呼ぶということは、友達になるために必要なこと。

 名前をあげるということは、その者を過去という呪いから解放するということ。

 だからこそ、彼に『ベルカ』という名を与えるために走り回ったクラウスは、自覚なく善いことをしたのだと言える。

 『ベルカ』の名を彼が誇らしく思っているのだから、尚更に。

 

 そして、夜が明ける。

 

 

 

 

 

 夜は明け、朝が来た。

 既にジェイルから時刻の指定と場所の指定が飛んで来ており、ベルカは伸びをしながら移動の準備を始めている。

 シュトゥラ騎士団はもう小粒な騎士と再起不能な騎士しか居ないが、なんとかAランク相当の騎士だけを抽出・一週間で部隊行動が可能なくらいの訓練は終えていた。

 シュトゥラの騎士達が移動準備を終えた頃、ベルカの下にオリヴィエがやって来る。

 

「早起きですね、ベルカ」

 

「おはようございます、オリヴィエ様」

 

「はい、おはようございます」

 

 オリヴィエが一番乗りとは意外だった、という顔をベルカは隠さない。

 そんな彼の顔を見てオリヴィエは微笑み、彼の右手首に藍色のリボンを巻きつけた。

 

「これは?」

 

「お守りです。あなたが一番、あっさり死んでしまいそうですから」

 

「酷いことを軽く言いますね、オリヴィエ様!」

 

「ふふ、冗談です」

 

 オリヴィエだけが知っている。

 彼女がベルカの生存を願い、お守りとして彼の手首に結んだリボンが、オリヴィエの母が残した二つしかない形見の片方であることを。

 もう片方の形見である聖王核は、オリヴィエの胸の中にある。

 なればこそ、このリボンをベルカに渡したということには、大きな意味があった。

 

「一週間、時間をいただけたのは幸いでした。叔父は私が一人で止めます」

 

「……オリヴィエ様、それは」

 

「私がやらなければならないことです。

 そして、私にしかできないことです」

 

 今は亡き母への謝罪とけじめ。

 友を守るという揺らがぬ覚悟。

 そして、叔父を倒すという決意。

 ベルカにリボンを結んだオリヴィエは、彼の前から去って行った。

 

「……」

 

 オリヴィエの背中を見送るベルカの背後から、そこでまた別の誰かが話しかけて来る。

 

「ベルカ」

 

「ヴィルフリッド?」

 

 それがエレミアの声であると理解し、ベルカは振り返ったのだが、そこで柔らかいものが抱きついてくるような感触を得る。

 少し視線を下げると、ベルカよりいくらか身長の低いエレミアが、彼に抱きついていた。

 

「どうした?」

 

「……ううん」

 

 ベルカは心配を滲ませる声を出し、エレミアはすぐにベルカから離れて、悲しさと諦めを浮かべた表情を見せる。

 

「脈がありそうだったら、それが諦めない理由になるかと思ったんだ。

 ただ、それだけ。……でもやっぱりダメだった。僕じゃきっと、ダメなんだよね」

 

 エレミアも、最終決戦を前にして迷いを引きずるような人間ではない。

 自分の気持ちに区切りをつける何かを探していた。

 そして今、彼を抱きしめたこの一幕をもって、自分の気持ちに一区切りをつけたようだ。

 

(この胸の想いを口にしたい)

 

 想いを告白しようとも思った。

 

(だけどそれはきっと、この想いの重さをベルカに押し付けることなんだ)

 

 けれどそれで楽になるのはエレミアだけで、想いを吐き出したエレミアの代わりに、想いを受け止めたベルカがエレミアの想いの重荷を背負うことになるだけだ。

 超弩級お気楽人間のベルカなら気にしないかもとも思ったが、もし万が一背負ってしまったらと考えると、エレミアにはどうしても告白をすることができなかった。

 

(だから、言わない)

 

 その恋は、彼女の胸の中で殺される。いつかは綺麗な思い出になるだろう。

 

「ベルカ」

 

「なんだ?」

 

「僕は君を守る。君が帰るべき場所に、帰れるように」

 

「……ああ、ありがとな、ヴィルフリッド」

 

 ベルカはエレミアの肩を軽く叩いて、彼女に背を向け歩いて行く。

 エレミアもその後に続いて行く。

 ……別れの時になってようやく、エレミアはベルカの考えの一端を理解し始めていた。ベルカはエレミアと自分が結ばれることは望んでいない。けれどエレミアの幸福は望んでいる。

 

(きっとこの人は、僕の淡い気持ちも含めて、僕のことをちゃんと分かってくれていた)

 

 記憶がなくとも本能は覚えている。

 彼は己の人生の全てを、ソシャゲと課金に捧げている者だ。

 ゆえに彼と結ばれれば、エレミアは必ず不幸になる。

 彼は本質的に、ヴィルフリッド・エレミアをソシャゲと課金より優先できない人間だからだ。

 

 エレミアの幸福を願うなら、ベルカは彼女を厳しく突き放し、いつかエレミアを幸せにしてくれる優しい男性とエレミアが結ばれることを、天上の神に祈ることしかできない。

 彼がエレミアの幸福のためにできることは、彼女の恋を終わらせることだけだった。

 

(だから、笑って別れよう。彼の記憶に残る最後の僕は、笑顔の僕にしておきたいから)

 

 そんなベルカの考えが、今のエレミアには一部だけ理解できる。

 だから悲しくて、辛くて、苦しくても……笑って彼を見送ろうと、そう思えたのだ。

 

 

 

 

 

 世界を救おうとする勇者達が、王の下に集う。

 

「準備完了しました!」

「いつでもご指示を!」

「火の中にだって水の中にだって飛び込みます!」

 

 今年入ったばかりの新米騎士達三人が、シュトゥラ軍の準備完了を告げる。

 

「へっ、悪くない大舞台だ。ノリの悪い王どもなんざ置いといて、大暴れさせてもらうぜ」

 

 大口を叩いているのは、豪放磊落を絵に描いたような雷帝ダールグリュンだ。

 彼は各国に声をかけ、焼け石に水程度ではあるが各国から兵士達を借り受けることに成功していた。一国あたりの兵数は少ないが、声をかけた国数が多かったために数はそこそこといったところか。なお、雷帝本人は魔法でも治りきらなかった重傷をまだ抱えている模様。

 

「あー、なんでこんな大事になってんだ……なっているんでしょうね、本当に、うふふ」

 

 荒い口調を慌てて誤魔化すは、ケルトイのお姫様。

 彼女の周りには、各国の王の決断を不満に思い自主的に志願して来てくれた騎士達や、戦乱で滅んだ国の王族などがちらほら見えた。

 今の彼らに守るものはなく、ゆえにこの最終決戦に全力を尽くせる。

 

「バックアップはお任せください!」

 

 金髪の医療騎士が拳を握り、声を上げる。

 その周りには戦えないが援護はできる医療騎士団や、国に所属していないフリーの人間、つまり世界の危機に立ち上がった民間の志願兵達が整列していた。

 

「殿下、号令を」

 

 これが今の彼らが絞り出せる全戦力。

 心許ないがしかたない。

 全員揃っているのを確認し、黒髪の騎士が隣のクラウスに号令を要請する。

 

「よし、出発!」

 

 そしていつからか聖王女、覇王、課金王と呼ばれ始めた者達に続き、勇者達は進軍を始めた。

 

 数十分ほどで、彼らは目的地に到着する。

 

『やあ、調子はどうかね? 世界を救おうとする勇者諸君』

 

「来たか、ジェイル」

 

 何もない荒野だ、と思うやいなや、突如念話じみた声がこの場の全員の耳に届く。

 ジェイルの声だ。

 世界を危機に晒す悪の声を聞き、皆に自然と緊張が走る。

 

『では、今日のゲームの説明を始めよう』

 

 ジェイルの含み笑いと共に、空に不可思議な映像が投影された。

 それは三層構造の、不思議な建物の内部構造図。

 

『君達を招こう。最後の決戦場、スルトの中枢区へ』

 

 ジェイル以外の誰もが全体像を知らない、スルトの中枢区の構造図であった。

 

『スルト中枢区は、三層に分かれている。

 どこまでも広大なだけの下層。

 君達が戦う主な戦場である中層。

 そして私が居る上層だ。上層の私を全て倒せば、君達の世界は救われるだろう』

 

(下層が凄まじく臭いな。わざわざ中層を"主な"戦場と言ってるあたりも)

 

 下層の広さが妙に気になったが、ベルカは構わずジェイルの声に耳を傾ける。

 

『各層の中央には上の階層に行ける転送ポートを用意した。

 だが、何の条件も満たさず行けるのは中層まで。

 中層では君達に、五つのセクターでそれぞれ敵と戦ってもらう』

 

(敵、か)

 

『セクターにはそれぞれ番人が居る。

 君達はその番人を倒し、セクターの真ん中にある魔力機関に魔力を通すんだ。

 五つのセクターに同時に君達の魔力が通った時、中央の転送ポートは起動するだろう』

 

 下層はただ広いだけの円形空間に見える。

 だが中層は、転送ポートのある中央部分を囲むように五つの大きな部屋があり、それぞれが通路で繋がっている構造になっているようだった。

 セクターは電気回線のようなものだろう。

 五つのセクターに魔力を満たさなければ、中央の転送ポートから上層には飛べない。

 つまりジェイルは、五つのセクターに用意したボスを倒して上層(ここ)に来い、と言っているのだ。

 

『戦闘の条件は至ってシンプルだ。

 セクターにおける戦闘は必ず一対一。

 一カ所でも敗北すれば君達の負け。

 そしてセクターに入った人間は、この戦いが終わるまでそこからは出られない』

 

「!」

 

『ああそうだ、スルト内部では代金ベルカ式以外の通信は使えないと言っておくよ』

 

 しかも、五人のボスとの一対一を強要してきた。

 これでは精鋭をここに投入するしかない。

 しかも精鋭の使い捨てを強要してくるとは、悪辣にもほどがある。

 ただでさえスルト内部ではベルカ以外の人間が通信を行えないのだから、選べる手が極端に制限されてしまう。

 

『私は上層で待っている。さあ、その遺跡を使ってスルトに挑むがいい!』

 

 ジェイルは"使用キャラを強制限定する"というクソ仕様イベントじみたゲーム内容を言うだけ言って、ベルカ達から何の質問も受け付けず、通信を断ち切った。

 やがて、地面の下からジェイルが言っていた遺跡がせり上がってくる。

 

「遺跡だ」

 

 もしも彼の記憶がこの時点で完全に戻っていたならば、彼は大なり小なり察していただろう。

 その遺跡は、ミッドの地下から飛び出して来た、彼とゲンヤをスルトの内部に送ったあの遺跡だったのだから。

 遺跡内部に歩を進め、ベルカは学のあるエレミアの解説を聞く。

 

「これも普通の技術で作られたものじゃないね」

 

「そうなのか?」

 

 この遺跡を学術的に見ることができている人間は、この場でエレミア一人だけだろう。

 

「製造時期は、おそらくアルハザードの時代。

 手入れ無しという前提でも、あと数百年は機能と形を保てるんじゃないかな」

 

 この遺跡を誰かが運び、ミッドの土の下に隠していたのだろう。

 いつかの未来でまたスルトが大暴れした時、この遺跡でそれに対抗するために。

 スルトの内部に飛ぶこの遺跡がなければ、対抗なんてできるわけがないからだ。

 それが数百年後にミッドの希望の一助になったというのだから、因果としか言いようが無い。

 

 時の輪は、人知れず繋がろうとしていた。

 

「転送するぞ」

 

 遺跡を使って移動をすれば、そこは現代で課金青年とゲンヤが送られた場所ではなく、広大な

金属の大地の上だった。

 金属の空と金属の大地、照明という名の太陽に照らされた広大な世界であった。

 

「……ベルカ、遠くが霞んで見えないんだが、ここは本当にロボの中なのか?」

 

「間違いなくロボの中だ。うろたえるな」

 

 あまりにも広大すぎて、空気が遠方からの光を減衰させ、下層中央に居るクラウスの目では壁を明瞭に見ることすらできない。

 地球の直系は約1万2000km。

 スルトの全長は20万km以上。

 このサイズの部屋があったとしても、何らおかしくはないだろう。

 

(……中層より下層が危険に思えるのは、オレの気のせいじゃないな)

 

 ジェイルのことだ。

 中層セクター以外の場所は安全、なんて甘えた考えは即命取りになるだろう。

 ベルカはそう考え、下層の床を踵で力強く蹴る。

 『頑丈すぎた』。

 尋常な造りの床ではなかった。

 "ちょっとやそっとの戦闘じゃ壊れないな"と思ってしまえば、もうここをスルーできない。

 

(五人セクターに投入するとして、一人は下層に残せるな。

 ただ一人じゃ到底足りない。

 最悪あてもなく上層でスルトのコントロールルームを探して、それを壊す作戦で行こう……)

 

 ベルカが考える"セクターを攻略可能な人間"は、今現在彼の手元に六人居る。

 セクターの戦力想定は、ウーンズを基準に考えていた。

 下層に兵士の皆と実力者一人、中層に五人……という割り振りで行きたいところだが、それでは最悪ベルカ一人で一万のジェイル軍団と戦うことになってしまう。どう考えても勝利不可能だ。

 

「クラウス、お前に中層のセクターを一つ任せたいんだが」

 

「ああ、分かった。だがジェイルを倒す戦力にあてはあるのか?」

 

「いや全然。だから戦いが終わったら壁を殴り壊して出て来れないか試しておいてくれ」

 

「……ジェイルも大概だが、君もルールを順守する気が全く無いな……」

 

 とりあえず、ベルカは一番結界や壁をぶっ壊せそうなクラウスに声をかける。

 どの道、どこかでジェイルの想定外のことをしないとどうにもなりそうにない。

 

「よし、作戦決定!

 事前に話を通してたメンツはオレに付いて来てくれ!

 ヴィルフリッドとダールグリュン、そして残る全員はここで待機!

 オレ達の退路を確保しつつ、上層への道が開き次第上層に進軍! ということで!」

 

 ベルカはクラウスの助けを期待していた。

 ゆえに、彼を中層セクターに回す。

 ベルカはオリヴィエの願いを尊重した。

 ゆえに、彼女をカリギュラが居るであろう中層セクターに回した。

 そしてヴィルフリッドを、確実に自分の援軍に来れる場所に回した。

 

「僕が下層を?」

 

「ヴィルフリッド、任せる。頼めるか?」

 

「……うん、任された!」

 

 合理もあれば情もある。

 彼はモチベーションと勝機の両方を重んじた。

 クラウスは気合を入れ、オリヴィエはベルカに軽く頭を下げ、エレミアは気合いが爆発しそうになっている。精神状態だけ見れば、負ける要素はどこにも見当たらなかった。

 雷帝に「安心してここは任せろ。さっさと行け坊主」と背中を叩かれ、ベルカは五人の精鋭を連れて中層に登る転送ポートを起動する。

 

「まずは各セクターの様子見から始める。いいな?」

 

 元より楽に勝てる戦いであるだなんて誰も思ってはいなかったが、スルト内部に来てからずっと感じている閉塞感は、彼らの精神から余裕を少しづつ削り取っていた。

 

「それじゃあ、皆! 後で必ず会おう!」

 

 それだけに、ベルカの阿呆みたいに明るい声は、彼らの心の支えになってくれていた。

 

 

 

 

 

 ベルカ達が中層に上がってから、数分が経った頃。

 戦いの開幕は、中層ではなく下層で始まった。

 

「! 本当に来た……」

 

 壁のある四方八方から、部屋の中央にある転送ポートに向けて、機械の大群が飛んで来る。

 目的は転送ポートの破壊でベルカ達が地上に帰る可能性を消し、彼らを絶望させるためか。

 あるいは、転送ポートを使って中層に雪崩込むためか。

 もしかしたら、まずはエレミア達を皆殺しにしようとしているのかもしれない。

 

「ガジェット、か」

 

 機械の大群は、一、十、百、千、万と増えていく。

 十万、百万、千万を超えてもなお止まらない。

 人間が夜空を見上げ、見ることができる星の数は約3000個であると言われているが……今出現しているガジェットは、どう見てもその一万倍は居た。

 その上、まだ止まることなく増え続けている。

 

「……さてこれは、何千万体居るのかな」

 

「総員、戦闘態勢ッ!!」

 

「!?……っ、じょ、冗談だろ……!」

 

 あまりの数に兵士達の一部の心が、早くも折れ始める。

 誰が想像できようか。

 誰が理解できようか。

 

 ジェイルにとってこのガジェット達が、"どうせ余ってるから使っておくか"程度の認識の戦力でしかない、使い捨てるティッシュ程度の認識しかされていないものだっただなんて。

 

 

 




ジェイル「テストプレイは行っている。難易度調整に想定外の要素はない」

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