課金厨のソシャゲ廃人がリリカルなのは世界に神様転生してまた課金するようです   作:ルシエド

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●メインパーティー
クラウス(配布SSR)
オリヴィエ(配布SSR)
エレミア(配布SSR)
ベルカ(事前登録特典)

ガチャ無しで高難易度イベントに挑み、現在ひぃひぃ言っている模様


ソシャゲ特有の既存キャラ強化ストーリー

 夢の中で、ベルカは何かを回していた。

 何を回しているのかは分からない。

 だが、魂がそれを回したがっていた。

 その回転こそが、彼の命そのものだった。

 

(……オレは……何を回しているんだ……?)

 

 回さなければ。

 そんな衝動だけがあるのに、何を回せばいいのかという記憶がない。

 ゆえに、ベルカはこの世界に生まれ落ちた時と同じ過程を繰り返す。

 何も知らなかった赤ん坊の頃、魂の衝動に導かれるままに、虚空のガチャを回したあの頃の過程をなぞっていく。

 

(オレは、この回転を知っている)

 

 彼にとって、課金は人生だった。

 課金は魂だった。

 ガチャを回す時間こそが、彼を大人にしていった。

 彼が人生の記憶を取り戻すことと、ガチャの記憶を取り戻すことは同義。

 

(そうだ、回さないと……とにかく回さないと……

 欲しいものが手に入らないのは、オレがそれを回してないせいなんだ……)

 

 今の彼らの現状は絶望的だ。

 奇跡がいくら続こうと、いつかどこかで行き詰まる。

 いつかどこかでジェイルに負ける。

 ガチャを引かねばならない。

 引かねば、未来はない。

 彼らの未来はガチャの中にある。それも期間限定で。

 

(声が、聞こえる)

 

 ああ、そうだ、腕をすり潰されて気絶してたんだ、とベルカはだんだんと夢の世界に落ちる前の記憶を思い出していく。

 ベルカは自分の意識が鮮明になるにつれ、ベッドの上で微睡む自分の体の感覚、ひいては周囲の声を聞く聴覚を取り戻していく。眠る彼の周囲では、彼の友人達が話しているようだった。

 

『―――今は寝かせておかないと。だって―――』

 

 エレミアの声。

 声色がどこか悲しげで。

 

『―――のせいです、私の……私と叔父様の因縁がなければ、彼だって―――』

 

 オリヴィエの声。

 声色がどこか自罰的で。

 

『―――僕は、何をやっているんだろうか。情けない、何故僕は―――』

 

 クラウスの声。

 声色にどこか後悔が滲んでいて。

 

 お前らオレが気にしてないのにバリバリ落ち込んでるとか結構面倒臭い奴らだな、と思いながらベルカは起床した。

 

「天上天下唯課金尊」

 

 目覚めた時、彼の口から出て来たのは自分でも聞けない無意識の言葉であった。

 釈迦が誕生した際に口にしたとも言われる言葉を盛大に侮辱しながら、ベルカはかつての自分に戻りつつある身体を動かすが、そこで欠けた右腕と失われたアンチメンテのことに気付く。

 

「うわぁ」

 

 片腕が欠け、デバイスも失ったとなれば、ベルカの戦闘力は半減だ。

 彼は前世で内臓を売って課金したこともある男だが、今生においてはこういった不可逆の肉体的損失は初めてである。

 目覚めた彼は片腕の損失に対しても淡白な反応をしているようだが、もし今の彼に過去の記憶があったなら、相当なショックを受けていただろう。

 

 内臓が無くなる程度ならば問題はない。

 だが右手が無くなってしまえば、ソシャゲのプレイに支障をきたしてしまう。

 手の有無はソシャゲ廃人にとって死活問題であり、こればかりは記憶を失っていたことがプラスに働いてくれたようだ。

 

 ベルカは体を起こし、ベッドを降り、包帯でぐるぐる巻きになった右腕断面をそっとさすりながら、シュトゥラの王城でまだ起きている友人三人の存在を感じ取る。

 

「夜の医務室、周りには誰も居ない、一人ぼっちのオレ。

 時間も遅く……なのになんでか、やーな感じな物音と人の気配と、動き回る魅力の反応が三つ」

 

 音もない夜の城の中で、ベルカの友人達の立てている物音は、少しばかり際立って聞こえた。

 

「"日曜深夜にジャンプ買いに行く大学生の夜間徘徊みてえだ"……

 ……ん? ジャンプってなんだ? 大学生ってなんだ? 順序立てて思い出せよオレ……」

 

 まずは中庭へ。

 そこに、一人目の友人が居る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クラウスは後悔の中に居た。

 後悔を乗せて、彼は中庭にてひたすら拳を振るう。

 体を動かしていなければ、頭の中がぐちゃぐちゃでどうにかなりそうだった。

 

(あそこで銀髪の彼女の妨害を僕が抜けていれば……!

 いや、そうでなくても、カリギュラを倒せるだけの強さがあれば……!

 せめて、せめて、あの時友人を守りに動けるだけの強さがあったなら……!)

 

 彼の後悔は、「あそこでああしていればよかった」「自分がもっと強ければ」という、過去の自分の選択と弱さを悔いる後悔だ。

 "飢えのないアスリート"であるクラウスにとって、この手の後悔は強くなるための努力を重ねる原動力となる。彼はまた強くなるだろう。

 無力な自分への怒りと後悔こそが、クラウス・G・S・イングヴァルトを強くする。

 

「もっと、もっと、強くっ……!」

 

 だが、クラウスの同性同年代唯一の友人は、近くに居るだけで後悔してるのがバカらしくなってくるような人間だった。

 苦笑しながら、ベルカはふらっとクラウスの前に現れる。

 

「夜更かしすると体に悪いぞ、クラウス」

 

「! ベルカ、起きたのか!? 体は大丈夫か!? 失血の影響は!?

 寝ていなくても大丈夫なのか? すまない、ベルカ!

 僕のせいで……あの時、ベルカが恩返しに戦うことを望んだ時、僕は止めるべきで―――」

 

「ストップ。夜中だから寝てる人の迷惑になるって、普段のお前なら気付いてるはずだぞ」

 

 うっ、とクラウスは押し黙り、興奮気味だった頭を冷やす。

 普段ならば、ベルカよりもクラウスの方がずっと理性的で落ち着きのある人間だ。

 それが逆転してしまっているのは、腕を失った当人がヘラヘラしていて、外野が友人の腕を失わせてしまったことにイライラしているからに違いない。

 

 ベルカが戦場に立つ理由は、世話になったクラウスの恩返し。これが最初の理由だ。

 クラウスへの恩と友情がベルカを戦場に立たせた。

 当然、クラウスはベルカの腕の喪失に過剰な罪悪感を感じてしまう。

 

「ってか、僕のせい、ね……」

 

 別にクラウスのせいではないし、ベルカもクラウスのせいだとは思っていないというのに。

 

「もっと話してて楽しい話しようぜ?

 オレが今戦ってるのは、クラウスへの恩返しだけじゃない、とかさ」

 

「え?」

 

 そもそもの話、この青年の前で落ち込んだままで居られると思うのが間違いである。

 

「記憶を無くしてオレが最初に会った奴が、損得抜きで人助けをする奴だった。

 だからオレも真似しようって思って、誇らしい気持ちでここまで生きてこれた。

 クラウスのせいじゃない。クラウスのおかげで、オレはこういう風に生きていられる」

 

 友のせいではない、友のおかげなのだ。

 

「……ベルカ」

 

 クラウス自身に自覚はないだろう。

 けれど、彼は既に多くのものをベルカに与えている。名前も、想い出も。

 クラウス・G・S・イングヴァルトは高町なのはと同じ、"彼に最初の方向性を与えた"人間なのだから。

 

「それに悪いことばかりじゃない。腕がもげたショックで、記憶を一つ思い出したんだ」

 

「なんだって!?」

 

 クラウスが振りまいた善意はクラウス自身に返って来る。たとえば、"友達(クラウス)が顔を上げられるようにしよう"という、今ここにあるベルカの善意のように。

 

「夜更かしをすると髪が伸びる。

 つまり髪が伸びるのが早い奴は夜更かししてあれこれしてるエロい奴。

 クラウス、お前は夜更かししたせいで明日からむっつり野郎のレッテルを貼られるんだ」

 

「なんでよりにもよって思い出したのがそんな記憶なんだッ!」

 

 しかもここに来て、蘇って来た記憶まで空気を読み始めた。

 

「哀れだなクラウス、お前は明日から思春期特有のレッテルを貼られるんだ。

 オリヴィエでちょっといやらしい妄想をした健全な青少年に見られるんだ」

 

「お、オリヴィエは関係無いんじゃないか……!?」

 

「でも手を繋いで町を歩きたいとかくらいは思ってるんだろ?」

 

「……」

 

 押し黙るクラウス。からからと笑うベルカ。

 手を繋ぎ町を歩く程度で照れが出て来る純朴さも、溢れ出る童貞力も、適当にはぐらかせない不器用さも、どこか微笑ましく好感に繋がるものが見て取れる。

 本当に真っ直ぐで、邪念がなく、見ていて気持ちのいい王子様だ。

 友人のベルカでなくても、素直に応援したいと思える実直さがある。

 

「隠すなよクラウス、オレとお前の仲じゃないか。

 さあもっと夜更かしして髪伸ばして、エロ野郎のレッテルを貼られようぜ」

 

「……いや、なんだろう、どっと疲れてきた……もう寝るよ……」

 

「ああ、寝ろ寝ろ。

 もし思い直して戻って来たりなんかしたらこの腕の断面を壁に叩きつけるからな」

 

「そういう脅しはやめてくれ! 本当に!」

 

 ベルカと話している内に、クラウスは肉体に積み重なった疲労を自覚する。

 疲労を自覚すると体がどっと重くなり、気怠い眠気も湧き出てきた。

 クラウスはカリギュラ戦にナハト戦と連戦した上、それから深夜までずっと鍛錬に勤しんでいたのだ。疲労も溜まって当然だろう。

 クラウスに疲労の自覚はなかったが、ベルカはその疲労をちゃんと見抜いていたようだ。

 

 部屋に帰ろうとするクラウスが、得意気に笑うベルカの笑顔を見る。

 その笑顔が、クラウスの肩の荷を下ろしていた。

 その笑顔が、魔法のチェーンソーで腕の肉と骨を削り取られ、絶叫しながら倒れて行った友の姿の記憶を上書きしてくれていた。

 その笑顔が、被害者が心底何も気にしていないからこそ浮かべられる笑顔が、クラウスの罪悪感を薄めてくれていた。

 

「おやすみ」

 

「おやすみ。ああ、それと、ベルカ」

 

 だからだろうか。

 就寝前に別れの挨拶をしたその一瞬だけは、クラウスの心は平時のそれに戻っていて、いつもの貴公子然とした笑みが顔に浮かべられていた。

 

「君がいつものように笑えていて、よかった」

 

 その笑顔で、ベルカも心のどこかが満足したのを感じる。

 

「それはこっちのセリフだ、クラウス」

 

 自室に戻っていったクラウスを尻目に、ベルカは次の目的地に向かう。

 次はエレミアの私室へ。

 そこに、二人目の友人が居る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エレミアは後悔の中に居た。

 後悔を漏らすように、彼女の瞳から涙がこぼれる。

 涙と共に感情が出て行っていなければ、今頃どうなっていたか分からない。

 

「僕が最初からああいう展開もあるって読んでいたら……でも、きっとああなって……

 そうだ、あそこに銀髪が控えていたのは……なら事前に止めたとしても……

 それなら、戦いが始まった時点でもう……なんで……僕は……ごめん、ベルカ……!」

 

 彼女の後悔は、「あそこでああしていたら」という仮定から始まり、「そうしたらこうなった」という計算と想定を経て、「どうにもならなかった」「今更そんなことを考えて何になる」という理性的かつ絶望的な結論に必ず辿り着く後悔だ。

 生産性の無い後悔、と言い変えてもいい。

 彼女は後悔に押し潰されそうになると、部屋で一人泣くタイプである。

 

 クラウス、エレミア、オリヴィエは、各々に今回の事件を引きずる理由があった。

 ケルトイの姫や黒髪の騎士のように、ベルカと親交があってもそこまで引きずっていない者も多い。ならば、エレミアが引きずっている理由は何か?

 それは微笑ましくもささやかで、ありきたりな理由。

 "大怪我を負ったのがベルカだったから"という、はしかのような淡い想いが理由だった。

 

 まだ友情や信頼の域を出きっていない、そんな想いが彼女の中にある。

 

「……っ」

 

 目をぎゅっと瞑れば、瞼が押し出した涙が机の上に落ちる。

 自分が嫌いになってしまいそうだった。

 彼女は自分が許せなかった。

 ベルカの痛みを自分の痛みのように感じていた。

 代われるものなら代わってあげたい、とすら思っていた。

 

 エレミアは古代ベルカの王にも類を見ないほどの技術や、特異な強さを保持していたが、それでもクラウスやオリヴィエのような王族ではない。

 その心根はごく普通の少女のそれなのだ。

 幼少期からの厳しい教育とその身に流れる血が強い心を持たせてくれる王族の二人や、数え切れないほどのガチャ爆死で心を鍛えてきたベルカと、比べる方が間違っている。

 

 彼女を落ち込ませているのもベルカ。

 だがそういうしっとりとした空気をぶち壊しにするのも、またベルカだった。

 

「こんばんわー、夜間訪問でーす」

 

「!? べ、ベルカ!?」

 

「今時間あったら中に入れてくれよ、ヴィルフリッド」

 

「ちょ、ちょっと待って!」

 

 突如聞こえて来た声に、エレミアは慌てて身支度を整え始めた。

 部屋の隅の水桶で顔を洗い、涙と涙の跡を誤魔化す。

 自分が薄着だったことに気付き、体のラインを隠す上着を羽織る。

 部屋のものを見られることがなんとなく気恥ずかしかったので、片っ端から隠す。

 よし、完璧……と思ったところで、ふと気付き鏡を見て髪の形を整える。

 鏡の前で一回転し、「よし」と呟き、エレミアはドアに向かう。

 

 だが部屋のドアを開け、肩近くで切断されたベルカの腕を見るなり、少し浮き足立っていたエレミアの心は一気に意気消沈した。

 

「夜に悪いな」

 

「いいよ、別に。怪我は大丈夫?」

 

「お前よりは大丈夫だよ」

 

「……まっさかあ」

 

 ヴィルフリッドは笑う。けれど彼女は、作り笑顔がそんなに上手くなかった。

 涙を隠して自然な笑顔を作れるオリヴィエにはなれない。サイコパスじみた精神性で人生が楽しくて仕方ねえ、作り笑顔なんて作ったことねえ、なノリのベルカにもなれない。

 隠し切れない心の痛みが、エレミアの笑みを痛々しいものに変えている。

 ベルカはエレミアに勧められるままにベッドに座り、椅子にちょこんと座るエレミアと向かい合う。

 

「落ち込んでるな、ヴィルフリッド」

 

「……っ」

 

 エレミアの笑顔が消える。

 何を言えばいいのか、何をすればいいのか、どうしてあげたいのかすらも分からない、今にも泣きそうな表情が代わりに"顔を見せる"。

 この時代において、ベルカの最初の友達・二人目の友達・三人目の友達は、どうにも自罰的というか、後悔を引きずる性根があった。そういうのを見ると、ベルカは放っておけないのだ。

 

「おいおい、そういうのやめてもっと楽しい話しようぜ」

 

「!?」

 

 ベルカはエレミアの頬を優しくつまみ、引っ張り、物理的に笑顔を作り始める。

 エレミアは仰天し、ベルカは楽しそうに笑っている。

 

「だいたいよー、腕落としたのはオレなんだから落ち込む権利はオレだけのもんじゃね?

 お前らに落ち込む権利とかねえだろ。権利侵害だろ? 誰に断って落ち込んでるんだああん?」

 

「ひゃ、ひゃめ」

 

「オレは楽しく生きていたいんだから水を差すんじゃねえよ、このバカちんどもめ」

 

「ひゃっ」

 

「ほーれ笑え笑え、笑顔になれ(物理的に)。そして落ち込んで空気を悪くするのをやめろ」

 

「や、やめて!」

 

 エレミアはなんとか頬をつまむ手を払い、ベルカから離れる。

 その際にベッドに座っていたベルカの横に置かれていた、四つ折りのシーツを引っ掴んで顔を隠し、ベルカに触られた顔の色と表情を隠す。

 ちょっとばかり落ち着くための間を設けてから、エレミアはベルカに話しかける。

 シーツで顔を隠したまま。

 

「……今日の負傷は、死ぬかもしれないものだったって、本当に分かってるの?」

 

 ベルカの腕は派手に削り取られていたが、それでも不幸中の幸いだ。

 ウーンズ・エーベルヴァインのアロンダイト改がもう少し胴に近い所を通っていたら、間違いなく即死級のダメージになっていただろう。

 いや、そうでなくとも、肉と骨を纏めてチェーンソーで削り取られた痛みだ。心が弱い人間ならこれだけで発狂していてもおかしくない。

 何事もなかったかのようにヘラヘラ笑っているベルカが変なのだ。

 

「そりゃあ勿論分かってるって」

 

「だったらもっと、死を怖がる顔するとか……

 腕を失ったことを不幸に感じてる顔とか、しなよ」

 

 エレミアはベルカが弱さを見せてくれることを期待したが、返って来る返答は斜め上のそれ。

 

「怪我したり死んだりした人間は皆不幸なのか?

 それなら、全人類が不幸な人間になるぞ。人間なんて皆いつかは死ぬんだからな」

 

「―――」

 

「少なくとも、オレは殺されたくらいじゃ不幸だとは思わないしさ」

 

 浮世離れしたさっぱりさに、今生きている瞬間が全てと言わんばかりの刹那的な生き方、楽しく生きていくことを最優先するスタンス。

 力の継承と教育という王族にありがちなバックボーン、先祖代々の戦闘経験と技の継承というエレミアのバックボーンのような、血によるバックボーンもベルカにはない。

 いや、そもそも、この青年は保身を考えていない。頼れるのに異様に危なっかしいのだ。

 

「不幸そうな顔しろ? 逆に聞くが、オレが不幸そうに見えるか?」

 

「……」

 

 ベルカはニカッと笑う。その笑顔は取り繕ったものではなく、到底不幸そうには見えない。いやそもそも、この男はガチャで爆死した直後くらいしか不幸そうな顔はしないだろう。

 課金を忘れた今、この男が不幸そうな顔をすることはあるまい。

 

「……見えない」

 

「よろしい。ならお前が落ち込む理由ももう無いな」

 

 だがエレミアは、心が八割ほど吹っ切れたのを感じつつも、残りの二割がどこかに引っかかり、前を向けない。どこかで"自分のせい"だという気持ちを拭い去れない。

 あそこでああしていればもしかしたら、と幾度となく考えてしまう。

 

「それでも、僕は、僕のせいだって気持ちを振り払えない」

 

 だがエレミアが手を抜いたことなど、戦いの中で失策したことなど、一度もあるものか。

 それはエレミアの頑張りをちゃんと見ていたベルカが一番よく知っている。

 "エレミアのせい"だなんて結論を、ベルカは許さない。

 

「オレがエレミアの失策のせいで腕一本失ったんじゃない。

 エレミアの健闘のおかげで、オレは腕一本で済んで、死なずに済んだんだとは思えないか?」

 

「え」

 

「ヴィルフリッドのせいじゃない。ヴィルフリッドのおかげなんだ」

 

 友のせいではない、友のおかげなのだ。

 

「……そん、な」

 

 エレミアはその言葉を嬉しく思いながらも、素直に受け入れられない。

 

「そんなこと、言わないでっ……!」

 

 それを受け入れてしまったら、自分の中のベルカへの気持ちが、何か決定的に変わってしまうような気がしたから。

 

「オレは腕がなくなったことくらいは気にしないが、お前がそれで落ち込んでたら気にするぞ」

 

「―――っ」

 

「お前に罪を問う奴も、お前を許さない奴も居ない。

 お前を許してないのはお前だけだ。さっさと許して、笑えるようにしてやれ」

 

「……ベルカ」

 

 ベルカはシーツで顔を隠したままのエレミアの頭に軽くチョップして、背中を向けて部屋を出て行く。エレミアはもう顔を上げている。十分だと、ベルカは判断したようだ。

 

「もう寝ろ。起きたら、少しは気持ちが楽になってるはずだ」

 

 人間の心は割と単純だ。多少好転させるだけなら、食う、寝る、好きな人を抱いたりや二次元の嫁で性欲を満たすなどで十分。時間が問題を解決することもあるだろう。

 ベルカは部屋を出て、失血にふらつき、壁によりかかる。

 

「……ああ、あと一人でよかった。そんな長く動けないな、血が足りない……」

 

 朦朧とする意識に活を入れ、彼はまた歩き出す。

 次はオリヴィエの私室へ。

 そこに、三人目の友人が居る。

 

 

 

 

 

 ベルカが去った後、エレミアは自分の手をそっと見た。

 戦闘時には敵を薙ぎ倒す鉄腕になる手。

 平時には友と繋ぐ手。

 そしてかつて、オリヴィエの義腕を作り上げた手を。

 

「……僕は」

 

 エレミアは両の手を頬に打ち付けて、ばちんと鳴らす。

 気合いが入った。情けない気持ちも、眠気もどこかへ飛んで行った。

 シーツを投げ捨て、エレミアは机に向かう。

 今度は机に伏して泣くためではなく、紙を広げて図面を引くために。

 

「っ、情けない……! まずやるべきことは、別にあったはずなのに……!」

 

 寝ろと言われたのに寝ないエレミア。

 寝てなんていられない、と言わんばかりに凄まじいスピードで図面を引いていく。

 先程まではベルカのせいで寝られていなかったエレミアは、今ではベルカのために寝られない状態になってしまったようだ。

 

「ベルカに、新しい腕を。僕のありったけを込めた、彼の命を守ってくれる義腕を……!」

 

 こういう無理に頑張ってしまうところを心配されていたというのに、本当にしょうもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オリヴィエは後悔の中に居た。

 後悔は心の中に沈殿し、ベッドに横になって天蓋を見上げるオリヴィエの表情を曇らせる。

 心を照らすものはなく、瞳に光もなく、就寝直前のため義腕も付けていない。

 

「……私は、あの痛みを知っていたはずだったのに……」

 

 彼女の後悔は、『自分と同じにしてしまった』という彼女だけの後悔である。彼女の腕は生来そうだったわけではなく、幼い頃に魔導事故にて失ったものだ。

 そのため彼女は、"最初から当然のようにあった腕が失われる"喪失感と悲しみも、"腕が失われてからの日々"がどれだけ苦しかったかも知っている。

 彼女の後悔は、半ば共感に近いのだ。

 

 オリヴィエは幼少期の魔導事故で、両の腕を失った。

 それを彼女は、「大切な人を抱きしめる暖かな腕もない」と自嘲している。

 生殖機能も失い、子を成すこともできなくなっている。

 それを彼女は、「好ましく思った異性とも結ばれてはいけない」という戒めにしている。

 オリヴィエは心の中で"私には価値のあることは何も出来ない"と思っていて、「自分の命は皆のおかげで繋がっている」と口癖のように言っていた。

 

 オリヴィエ・ゼーゲブレヒトの価値を誰よりも低く見ているのは―――彼女自身なのだ。

 

 ゆえに、彼女は腕を失ったベルカに少しばかり共感し、その共感から過剰にベルカを哀れんでしまっている。

 

「……」

 

 オリヴィエは沈痛な面持ちで、義碗を外した両の腕を見る。

 そこには何もない。なればこそ、そこに思う所がないはずがない。

 彼女はいつだって、他人に落ち込んだ顔を見せず、他人に涙を見せることを嫌い、笑顔を見せ続けていた。だがその笑顔の裏に、何もないわけがないのだ。

 

「オリヴィエ様」

 

「!」

 

 そこで、聖王女の部屋の警備をくぐり抜け、窓を叩く青年が現れる。

 

「ベルカ、こんな夜中に……それも怪我をしているのに」

 

「そっちこそ、夜更かししてるとお化けがさらいに来るらしいですよ」

 

「ふふっ、あなたは私をさらいに来たんですか?」

 

「いざとなればクラウスの手足となりそれをやるつもりですが、今のところ予定はないです」

 

 ベルカは軽快に部屋の中に滑り込んで来る。

 その際、包帯を巻かれた右腕の断面が、オリヴィエの視界に入って来た。

 

(腕がちぎれた部分まで、私とほとんど同じ……)

 

 オリヴィエは義腕を付け、腕の断面に優しく触れて、痛みを和らげる魔法をかける。

 砂の城を触るような、痛みなんて生まれるはずもない触り方だった。

 

「オリヴィエ様?」

 

「……私は、この苦しみを、分かっていたはずだったのに……」

 

 それは、共感という穴から漏れ出て来た、オリヴィエが押し隠していた感情の一端。

 笑顔の下に隠してきた、弱音とも取れる言葉だった。

 オリヴィエは笑っていない。だからベルカは、その分まで自分が笑おうとした。

 

「これで、オリヴィエ様の気持ちがちょっと分かるようになったとは思いませんか?」

 

「え?」

 

「友達の気持ちが少しは分かるようになったと思えば、それは嬉しいことじゃないでしょうか」

 

「……そう、でしょうか?」

 

「そりゃもうそうですとも」

 

 嘘偽りは一切ない。ベルカは"オリヴィエの気持ちが分かるようになったかもしれない"という部分については、心の底からそう思っているようだ。

 

「ま、そういう友達が一人くらい居てもいいでしょう? 気楽に行きましょう、オリヴィエ様」

 

「あなたはほんっとうに気楽というか、刹那的に生きてますね……」

 

 ベルカには、「この先苦労する」と言っても意味は無いのかもしれない。

 それでもオリヴィエは、経験者として言わずにはいられなかった。

 

「……きっとこれから、あなたの人生にはあなたの想像していない苦労が待っています。

 それはきっと、私のせいでもあるのです。

 ごめんなさい。きっと私と叔父の因縁が無ければ、あなたもこうなることはきっと……」

 

 オリヴィエはカリギュラの苛烈な攻撃を凌ぐため、そちらに人数を割いてしまった結果、ベルカの腕を犠牲にしてしまったことを悔いていた。

 自分が生きているだけでカリギュラの怒りと憎悪を煽っていた自覚があったから、なおさらに。

 

「私のような、普通ではない劣る者にしてしまって……」

 

「いやいや、オリヴィエ様を劣る者だと思ったことなんて一度も思ったことないですよ?」

 

「ですが」

 

「オレだけじゃないです。

 欠損があるだけであなたを劣った者だと見ない人は、この城に沢山居ますよ?

 シュトゥラ王だって、ケルトイの姫だって、クラウスとヴィルフリッドだってそうでしょう」

 

「それは……」

 

「だからオレは、"この先"を全く心配せずにいられているんです。

 他の誰でもないあなたが

 『腕の無い者が腕のある者に劣るなんて決まりはない』

 と証明してくれたから。腕がある時のオレより素晴らしい人間だった、あなたが居たから」

 

「―――」

 

 ベルカはオリヴィエを尊敬している。

 ゆえに、敬語を使っている。

 尊敬しているということは、見上げているということ。自分より上に置いているということだ。

 

「オリヴィエ様のせいじゃありません。オリヴィエ様のおかげなんです。

 だから心配なんてあるわけがない。

 これからは義腕仲間として、義腕の先輩として、色々教えて下さいっす!」

 

 友のせいではない、友のおかげなのだ。

 

「……まったく、あなたはもう」

 

 ニッと笑うベルカを見て、ようやくオリヴィエもいつものように笑う。

 

「オリヴィエ様、覚えていますか? 最初に出会った時のことを」

 

「もう、二ヶ月ほど前のことになりますね」

 

「はい」

 

 ベルカはクラウスに友情を、エレミアに信頼を、オリヴィエに尊敬の感情を抱いていた。

 そしてそれらの感情それぞれに、それ相応の理由がある。

 

 

 

 

 

 ベルカが初めてオリヴィエと顔を合わせた時、抱いた第一印象は『綺麗』だった。

 オリヴィエは容姿もそうだが、生き方も纏う雰囲気も、とにかく『綺麗』だった。

 直感的にそれを感じ、自然とベルカはオリヴィエを軽んじられなくなる。

 

「私もまた、聖王連合国の民であり、いつまでここに居られるか分からない身です。

 ほんの少しでも、立っている場所が定かでないあなたの気持ちも、分かるつもりです」

 

 オリヴィエが三人目の友人になってくれたことは、彼にとって幸運なことだった。

 

「でもここにはきっと、あなたを受け入れてくれる人も、場所もあります」

 

 ベルカの手を取り、共感を口にして、励ましてくれるオリヴィエ。

 彼女もまた、クラウスのように"ベルカの方向性"を決めた一人であった。

 

「少なくとも、私はあなたの味方です。どーんと頼ってください!」

 

 人の心の(よこしま)な部分、欲望を惹きつけて好かれる女性を魔性の女、魔女と呼ぶのなら。

 人の心の誇らしさを生む部分、理性と信念を惹きつけて好かれる女性は聖女と呼ぶのだろう。

 だからこそ、彼女には聖王女の名が相応しい。

 

「きっと、あなたが記憶を取り戻しても、私達はお友達でいられると思います」

 

 こうやって、ベルカのような力を持つ人間に自然と慕われ、周囲に人が集まってくる資質を『王の器』と言うのかもしれない。

 

 

 

 

 

 初めて会った時の想い出を語り合いながら、なんでもないことを二人は語り合う。

 今日の会話はこれで最後だ、と相互に思っていたからか、自然と会話は弾んでいった。

 

「そんなに私に友情を感じてくれているのなら、敬語ももう辞めたりしませんか?」

 

「敬語は心の距離が遠いことを意味しませんよ。

 あなたとクラウスが、互いに敬語を使い合ってるのと同じように。

 他の誰がオリヴィエ様に馴れ馴れしく話してようが、クラウスより仲良いとは思えませんし」

 

「もう、からかわないでください」

 

 どこかで話は終わる。

 話が終われば、二人共寝るつもりであった。

 

「で、闘技場で凄い弓勝負となったわけです」

 

「それは凄いっ!」

 

 ただ、話の終わりにオリヴィエが口にした言葉が、ベルカの耳に妙に長く残る。

 

「その腕に関しては、エレミアがあなたを助けてくれます。きっとではなく、必ず」

 

 オリヴィエは自分の義腕を外しながら、笑顔でベルカにそう言っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから一週間の時が流れた。

 エレミアはシュトゥラ王の協力を得て、一週間という時間を義腕作成にあてる。

 ベルカもまた、戦いのダメージを抜くのに一週間という時間が必要だった。

 その間、クラウスと黒髪の騎士もまた、こっそり粉砕されたアンチメンテの欠片を一週間かけて回収する。

 

 かくして、アンチメンテの欠片を組み込んだ『デバイスの役目も果たす義腕』が完成。

 

 ベルカに贈られ、無くした右腕の代わりを果たすこととなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その義腕が生身の腕と同じ感覚で動かせることに、ベルカはたいそう驚いていた。

 

「……おお」

 

 シュッ、シュッ、と義腕がパンチで空を切る。

 かと思えば、机の上にあった卵を摘み上げている。

 豪快な動きも繊細な動きもできる、まさにエレミアといった感じの義腕だ。

 これほどまでに高い完成度を誇る義腕など、エレミア製以外には存在しないだろう。

 

「どうかな?」

 

「ヤバいな。エレミアのために何でもしてやりたいくらい感動してる」

 

「……あー、そう。徹夜明けのぼーっとした頭じゃなければ、今の冗談に乗ってたかもね」

 

 満足そうなベルカを見て、エレミアも二徹明けの寝ぼけまなこで嬉しそうな顔をする。

 

「生身の腕には到底及ばないけど、僕頑張ったから、さ……」

 

「んなこたーない。

 これはヴィルフリッドがくれた、人を守ることも人と繋ぐこともできる手だ」

 

「……ん、そうかもね」

 

「オリヴィエ様も言ってましたよね?

 ヴィルフリッドが義腕をくれるまで、加減できない鎧籠手か壊れやすい飾り腕しかなかったと。

 だから繊細な動きと力加減ができるその義腕が、とても嬉しかったって」

 

「ええ、言いましたね」

 

 ベルカはオリヴィエが認識していたことを、言い方を変えて言っただけだ。

 だがその言葉は、妙にすっとオリヴィエの胸の中に入って来て、彼女に新たな認識を植え付けていた。

 

(……人を守ることも、人と繋ぐこともできる手、か)

 

 ベルカも、オリヴィエも、エレミアから誰かと繋げる手を貰った。

 そしてベルカは、その手で早速エレミアの手を握る。

 

「ほら、だから、こうして腕をなくしたオレ達でも、お前のおかげでまた誰かと手を繋げる」

 

「……あ」

 

 ベルカが笑って、右腕でエレミアの左手を取る。

 それを見たオリヴィエも流れに乗って、左手でエレミアの右手を取る。

 空いたベルカの左手と、オリヴィエの右手も繋がり、三人だけの小さな輪が出来る。

 感謝を告げるためだけの、小さな輪が出来る。

 

「ありがとう、ヴィルフリッド」

 

「私からも、改めて。ありがとう、エレミア」

 

 じわっ、とエレミアの瞳に涙が浮かぶ。

 涙を拭うための両手は塞がっている。

 けれどエレミアは、その手を振りほどいてまで、涙を拭おうとは思わなかった。

 

「ちょっと、やめてくれないかな……徹夜明けで、涙腺ゆるくなってるんだから……」

 

 部屋の外。

 三人を見守っていたクラウスが微笑む。

 "どうやら笑って終われそうだ"と思いつつ、クラウスはその場を離れて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからまた数日後。

 ここ数日、ベルカ達は厳しい訓練に勤しんでいた。

 全員が無力を痛感した先日の戦いからずっとこうだ。

 ベルカは義腕の操作に慣れるための訓練が多かったが、クラウス・オリヴィエ・エレミアの鍛錬はかなりギリギリまで自分を追い詰めるものだった。

 このままだとメンタル的によろしくないな、と判断したベルカは一計を案じる。

 

「お前ら二人、町の視察とパトロールも兼ねて二人で城下町で遊んでこい」

 

「えっ」

「えっ」

 

 強制的な休暇を兼ねた、クラウスとオリヴィエのデートのセッティングである。

 

「いや待ってくれ、確かにオーバーワーク気味かもしれないが、それでも遊ぶって……」

 

「クロゼルグから"最近皆の顔が怖くて"って相談されてんだよオレ」

 

「う」

 

「拒否権はない。一日遊んでこい、お前ら」

 

 魔女クロゼルグは、シュトゥラ南部の魔女の森に住む魔女の少女だ。

 ザフィーラと似て非なる獣人で、魔女っ子なのか獣っ娘なのかはっきりしない感じの容姿を持っており、クラウス達とも仲が良い。

 仲の良い外野からそう言われてしまえば、クラウス達もちょっとは自覚するというものだ。

 

 黒のエレミアに好感を抱くトリガーになったクロノも言っていたことだが、ベルカは意外と周りの人間を見ている。ロッテの失言を聞き逃さなかったことからも、それは分かるだろう。

 ベルカはクラウス達が結構ギリギリなことに気が付いていた。

 そのため、丸一日の休養を提案したのである。

 

「ピリピリした空気出しすぎだ。

 町の人も、王族(おまえら)を見て何か起こるんじゃないかって不安がってる。

 民との触れ合いも、民を安心させるために余裕ある姿を見せるのも、王族の責務だろう?」

 

「……それは、そうだが」

 

「ほらほら行った行った! 今日一日は修行もお休みだ!」

 

 そうして、クラウスとオリヴィエは勢い100%で町に叩き出される。

 よく考えれば「息抜きはいいけどクラウスとオリヴィエが二人で町に出ないといけないのはなんで?」といった疑問はいくつも出て来るのだろうが、ベルカは勢いで押し切った。

 それもこれもクラウスのため。

 友情だけを理由にここまでやるベルカは、割と献身的なところがあった。

 

 これでエレミアとベルカがこっそり尾行していなければ、いい話で終わったのだが。

 

「おお、二人がパン買って一緒に食べてるぞ、ヴィルフリッド」

 

「仲良いね……うん、本当に」

 

 クラウスとオリヴィエが町を行き、二人を応援しているベルカとエレミアがその後方を行く。

 心配しているのか、思春期特有の出歯亀なのか分かったものではない。

 

「楽しそうにデートしてるな、クラウスもオリヴィエ様も」

 

「デートって言うのかな、あれ」

 

 エレミア視点、クラウスとオリヴィエはいつもの様に接していて、いつものように楽しんでいるように見える。

 町の人と話して様々な意見を聞き、それを反映しようとしているのは王族の振る舞いだが、それも彼ららしいと言えば彼ららしい。

 

「デートっていうのは、こう……こ、恋人同士になってからするものを言うんじゃないの?」

 

「バカタレ。男女二人で町を遊び歩いてたらそらもうデートだろ。ほら、パン買ってきたぞ」

 

「ありがとうベルカ。そっか、男女二人で町を遊び歩いてたらデート……うん?」

 

 クラウス達を追い、買い食いしながら町を歩くベルカとエレミア。

 じゃあ僕達の方もデートじゃない? と一度思ってしまったら、もう駄目だった。

 じわっと手汗が出て来て、エレミアは慌てて服の袖で手汗を拭く。

 

 何故か周囲にどう見られているのかが気になってきて、挙動不審にあたりを見回すエレミア。

 ベルカとエレミアをじっと見ている者は一人も居なかったが、町中で誰にも見られない人間なんて居るわけもなく、ちらっちらっとは見られてしまう。

 それだけで、エレミアは自分が町中で目立っているような錯覚に陥ってしまった。

 

 ベルカと一緒に居るところを大勢の人間に見られているような錯覚が生まれて、エレミアは無性に恥ずかしくなって来てしまう。

 

「べ、ベルカ、帰―――」

 

「あら、奇遇ですわね」

 

 限界になってきたエレミアだが、そこで新手が現れる。

 

「お、ケルトイの」

 

「名前で呼びなさい、名前で……って、あら、クラウス様達を追っているのかしら?」

 

 ウサギを思わせる服装、赤い髪。ケルトイのお姫様だ。

 エレミアの前だからかまた猫を被ったお嬢様言葉で登場した模様。

 

「……」

 

 幸運であった、はずだった。

 偶然だが、これはエレミアにとっていい展開であったはずだった。

 そもエレミアは、二人っきりでベルカと町を歩いているというこの現状をどうにかしたかったはずなのだ。だから「帰ろう」と言いかけていたのだから。

 ……それでも彼女は、ちょっと納得しがたい気持ちになっていた。

 どこか虚しいような、悔しいような、もにょった気持ちになっていた。

 

「あら、どうかされましたか、エレミアさん?」

 

「……なんでもないよ」

 

 もしかしたら、エレミアはベルカと二人きりで町を歩くことを回避しようとしていたが、別に二人きりで町を歩くことが嫌だったわけではなかったのかもしれない。

 単に、恥ずかしかっただけで。

 

「ベルカ、尾行は僕とお姫様に任せて、ちょっとその辺り一人で歩いてこない?」

 

「え、なんで……んー……分かった。適当に歩いてくる」

 

「むぅ、やはりシュトゥラの王子と聖王女は恋仲……ちょっと燃えますわね……」

 

 頭を冷やしたいエレミアと、その意志をなんとなくで察したベルカが意思疎通し、クラウス達の尾行に夢中になっているお姫様をよそにベルカがこの場を離脱する。

 ベルカは一人町を歩きながら、活気のある町並みに目を奪われていた。

 皆活き活きと生きている。

 皆希望を持って生きている。

 この戦乱の時代に、抱えきれないほどの絶望と不安を押し付けられているはずなのに、それでも精一杯強がりながら生きている。

 

(いい町だよな)

 

 ベルカが町を歩いていると、そこで前を見ないで歩いていた少女がベルカにぶつかる。

 

「きゃっ」

 

「おっと、大丈夫か?」

 

「ごめんなさい!」

 

 その衝撃で、少女の手から地図がポトリと落ちる。

 少女は慌てて謝りながら立ち上がり、拾い上げた地図を見ながら四方八方を見回すが、どこにも歩いて行こうとしない。

 "どこをどう行けば目的地に行けるのか"が分かっていないのが、その様子から見て取れた。

 

「迷子か?」

 

「……恥ずかしながら」

 

「場所言えるか? 案内してやるよ」

 

「え、でも、悪いですよ」

 

「いいんだよ。オレもシュトゥラの騎士だから、果たすべき責任ってやつがあるんだ」

 

 少女は、年齢一桁か二桁か判断に迷うくらいの年頃だ。

 服装は素朴だが、長くウェーブのかかった綺麗な金髪が、少女の生活レベルの高さを伺わせる。

 少なくとも、平均的な一般市民ではなさそうだ。

 それにしては肌や髪の手入れが行き届きすぎている。

 

 まあそんなことは一切関係なく、ベルカは少女に手を差し伸べる。

 

「あの、あなたは……?」

 

「通りすがりの騎士A。オレのダチの女の子は、オレをカっちゃんと呼ぶ」

 

 少女は少し迷っていた風だったが、恐る恐る少年の手を取る。

 それが、道案内を頼むという意思表示となった。

 

「で、君の名前は?」

 

 ベルカが名を問うと、大人しそうな雰囲気の少女は、明るい笑顔を浮かべて応える。

 

「ユーリ・エーベルヴァインです。よろしくお願いしますね、カっちゃんさん」

 

 出会ったことは幸運だったか。それとも不運だったのか。

 かの結末は悲劇だったのか、そうでなかったのか。

 ベルカはユーリ・エーベルヴァインと出会うべきだったのか、出会うべきでなかったのか。

 

 これから先、何年経とうとも―――その答えが、出ることはない。

 

 

 




【ユーリ・エーベルヴァイン】

 魔法少女リリカルなのはA's PORTABLE THE GEARS OF DESTINYのラスボス、砕け得ぬ闇の少女。
 前作で登場したマテリアル達の根幹設定に関わる、闇の書のルーツにも関わりのある少女。

 断章(マテリアル)はモデルとなる人間を真似た結果人間の姿となり、固有の名称もモデルとなる人間にあやかったものであるため、本来ならば人としての姿も名も持たないものだった。
 だがユーリだけが、誰も真似することもなく、人としての固有の姿と名を持っていた。
 彼女にだけ何故人間としての固有の姿と名があったのか、それは本編では語られていない。

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