天馬の鬣に勝るとも劣らぬ輝きの金髪をシニヨンにし、ゆったりとした男物の黒スーツに身を包んだ芳紀の女性。
その立ち姿は凛々しく、その眼光は鷹の鋭さを伴って空を貫き、瞳はサファイアの蒼を帯びて濡れている。装飾が美しい銀の眼鏡をかけており、それがまた理知的な雰囲気を醸し出していた。
少女の清純さと女性の色香、それに戦士の威風を兼ね備えた、稀有な女傑。
彼女、カタリナ・スミスの前には、深夜であるにも関わらず、明かりを煌々と灯すビルがあった。
夜の帷が降りたヨハンバーグは、アイジエン大陸でも有数の治安の悪さを誇る都市だ。
マフィアが暗躍し、殺し屋が行き交い、大通りを一筋ずれればチンピラが屯する、そんな無法地帯と化す。
理由は簡単、十老頭の支配下にない都市であり、なおかつ都市の支配者が未だに決まっていないからだ。
ゆえに、どうしようもない悪人や後ろめたい富豪にとっては非常に居心地が良いのだ。警察よりもマフィアが強い都市はそうそうない。
当然、そこにはハンターも多い。賞金首ハンター、犯罪ハンター、治安ハンター、その他にも様々なハンターが、それぞれの目的を持ってやってくる。
危険と冒涜の腐臭とは、裏返せば一攫千金の香りともなりうるのである。
ただし、今日のカタリナは少しばかり違う。そんな香気に誘われてきたわけではなく、むしろ義理事に近かった。
最近、それなりに大きいマフィアが殺気立ち始めている。武器を集め、人を雇っている。おそらくは他のマフィアを殲滅し、ヨハンバーグにおける勢力図を自分の組織一色に塗り替えようとしていると考えられる。
それを駆逐するのが、カタリナに課された任務だった。
いつもと異なる点は、二つ。
第一に、金だけが目的で来たわけではない。
第二に、珍しくバックアップが充実している。
カタリナは、ここの市長に恩がある。加えて、その市長が全面的に協力してくれるともなれば、断る理由がなかった。報酬も相場からは少し安いが、それほど悪くもないのである。
マフィアの側にも念能力者はいるのだが、実力は大したことがないという調べがついている。ならばこれは、危険も然程ない、簡単な仕事。
目前に座すビルの中では、複数の影が忙しなく動いているのが見て取れる。監視役の報告によれば、ここ数日、深夜に明かりが絶えたことはない。来る抗争に向けて準備に余念がないということだ。
世間に顔向けができない職業であるとはいえ、連日連夜の熱意に、カタリナも感服の念を隠せなかった。
(ほんと、お仕事ご苦労様だなぁ)
他人事のように考えるカタリナは、手にした無線機を口元に近付け、ボソリと呟く。
「一分後に突入、炙り出す。残敵掃討よろしく」
『了解』
神前で讃歌を謳うハンドベルのように澄んだ美声である。だが、言葉の内容は不穏極まりない。
カタリナは無線機のスイッチを切ると、スーツの内ポケットから煙草を取り出した。“心”という一字が大きく書かれたそれは、見る者が見れば誰のデザインか一目瞭然である。
そのうちの一本を咥え、ジッポーライターで火を点け、煙を吸い込む。肺と気道に焼けるような刺激が走り、同時にオーラの流れが趣きを変えた。
それまでは淀み無く循環する水流のようだったが、いまは、ぴんと張り詰めた糸に近い緊張感を発している。
念能力を発動するための制約。我が身を犠牲にする覚悟をもってして能力を高める、自戒。
カタリナの場合、煙草を吸うという行為はそれに“当てはまらない”。
ただし、戦闘時のコンディションを最高に高めるための自己暗示として、煙草を吸うのは不可欠な行為だった。煙草の味やニコチンは全く好きではないのだが、煙を肺に吸い込むという行為が好きなのだ。それでも苦手である。
煙草を吸うのが好きでも、つい咳き込んでしまいそうになるのだ。人体に対して完全に無害な煙草(ミント味)であることはせめてもの工夫だ。
知り合いには煙管の煙を操る能力者もいるだけに、こんなときカタリナは、世の中には様々な人間がいるものだということを実感する。
そんな益体もない思考を重ねつつ、カタリナは右手をスーツの外ポケットに潜り込ませ、残る左手でビルの扉を開けた。
呼び鈴も鳴らさず、しかし臆することもなく、正面から堂々と闊歩する。
とはいえ、油断、慢心、そのような言葉はカタリナと無縁である。その目は瞬時に敵対勢力を認識し、補足する。
扉が開いた先、玄関口のホールには、黒スーツの男たちが八人、佇んでいた。例外なく左の脇が分かりやすく膨らみ、二人は堂々とサブマシンガンを携行している。
マフィアたちに戦争の意図があることは事前の調査で分かりきっていたが、調査など必要なかったのではないかとカタリナが思うほどに、この光景からも明らかだった。
(さて、と)
カタリナは左から右へと視線を滑らせる。男たちを値踏みするかのように。
敵の驚異度を正確に把握することを指すのであれば、彼女は実際に値踏みしているのだ。
八人は屈強な肉体を持ち、黒光りする銃を携えている。サブマシンガンはマフィアの間で流行りのボビーガンではなく、軍でも使用されているユージーに似通っていた。性能面では優秀であろう。また、カタリナに対して向けられた殺気の濃度は、彼らがくぐってきた修羅場がそれなりに多いこと、なんの躊躇いもなく人を殺すことができる事実を伝えている。服の盛り上がり方からして全員が予備の拳銃を所持していることは確実であり、身動きのたびに生じる僅かな金属音は懐の拳銃となにかがぶつかって生じている音だとわかる。シャツの内側になんらかの防御を施しており、それが金属の強度を持っているのは明らかだった。
カタリナはこれらの情報と印象、自らの勘を総合し、八人の総合的な戦闘力は、そこらの念能力者ならば蜂の巣にできるレベルだと判断する。
つまり、なにも問題はなかった。
「オイ嬢ちゃん。なにしに」
言いかけた先頭の男の顔を、ポケットから抜き出されたカタリナの拳が強打した。
その速度はまるで閃光、その威力はまさに鉄槌。
後方へと浮遊した男は、それすらも許されず、直下からの追撃によって上方への方向転換を余儀なくされる。
もし、この場にいる男たちの中で全ての光景を捉えられるだけの動体視力を持った者がいたならば、最初の犠牲者が鼻骨を完全に壊された挙句、続く第二撃で顎の骨を粉砕される一部始終を見ることができたはずである。
哀れな男は天井の蛍光灯に衝突し、砕け散ったガラスを連れて地面への帰還をはたした。口からは血の泡を吹き出し、白目を剥いて失神している姿からは、戦闘続行――否、戦闘開始が不可能であることは一目瞭然だ。
恐ろしいことに、これら二発の拳はオーラでコーティングされているわけではなかった。純然たる、筋力と武術の賜物である。
「見ての通り、手加減が難しい。だから早いとこ降参したほうが身のためだよ」
静かな宣告に、残る七人は答えない。否、反応を見せる余裕すらなかった。
一連の惨劇が終わるまでに要した時間は、五分の一秒。
しかも、使用しているのは左手一本である。
正確な速度を掴むことすらできなかった下っ端たちだが、これだけは分かっていた。
(俺たちじゃ、勝てねえ!)
すぐに救援を呼ぶべく、最奥で立ち竦んでいた男が懐から無線機を取り出す。
しかし、通話のスイッチを押す前に無線機が原型を留めぬほどに破壊された。
無論、カタリナの仕業である。
この場の誰も認識できない速度で、瞬時に無線機を持つ男の下へと走り、無造作にそれを破壊した。それだけのことだ。
ただし、先ほどまでカタリナが立っていた部分の床は、タイルが砕け散っている。あまりにも強い踏み込みに耐え切れなかったのだ。
そしていつの間にやら、残る右手も外ポケットに差し込まれている。
すなわち、両手ハンドポケット。
普通ならば舐められている、と激昂するところだろう。しかし、カタリナに限り、それは慢心ではない。
それは、対峙する男たちでさえも理解していた。
その後の戦闘は、如何なる芸術家であっても表現できないだろう。あまりに圧倒的で、たったひとつの言葉以外に表現できないからだ。
曰く――蹂躙。
約三秒後、常人の動体視力では捉えきれない速さで迫るカタリナにより、玄関ホールは完全に制圧されていた。
☆
警備管理室は、ビルの七階にある。
そこには六人の男がいた。
三人が椅子に腰掛け、監視カメラのチェックや定時連絡などの雑務をこなしている。
残る三人は、ショットガンなどの近接武器を持ち、扉の方を向いて佇んでいた。
完全に、襲撃に備えた臨戦態勢である。
そこで、モニターを見る男の一人が声を荒げていた。
「クソ、どうなってやがる!」
「どうした」
「定時連絡がない。多分、無線機の故障だ」
実際、監視カメラの映像には異常がないのだ。そうとしか考えられない。
攻撃はおろか、訪問客の一人も来ていないのだ。なにも起こりようがない。
しかし、戦争を間近に控えたこの時は、些細な問題が異様に気に障った。
この場に居合わせた者たちは、その気持ちも分からないではない。
「仕方ない。いま、他のやつを使って知らせにいく。見てこいカルロ」
言って、左端に座る男が無線に呼びかけた瞬間。
轟音と共に扉が吹き飛び、武器を持った男の一人を巻き込んでモニター群の中央に直撃した。幾つかのモニターが粉々に砕け散り、巻き込まれた男は口元から血を流しながら痙攣、失神していた。
非常識な状況に僅かながら硬直した、その隙を見計らったかのように。
なにをするでもない、堂々たる言葉が外から内へと響く。
「こんな夜中に集まってなにをしているのかな、勇敢なるはみ出しもの諸君」
場違いなほど明るい声が響き、全員が一斉にそちらを見る。
扉が吹き飛んだから、ではない。声に呑まれて、扉があった場所を注視させられたのだ。
様々な予想を裏切る形で、そこには女がいた。自分たちの生涯でも見たことがないと言い切れるほどに美しく、可憐で、気高い豹がいた。
「ああ失敬、ボクの名はカタリナ・スミス。しがないアマチュアハンターだ」
よろしくね、と僅かに口の端を持ち上げて笑う。しかも笑い方が緩すぎる。ふにゃにへら、と擬態語が付きそうな笑みである。そんな微笑であるというのに、彼女の魅力は数段上へと高められていた。もうそろそろ燃え尽きそうな煙草もさして気にならない。絵画に閉じ込められた絶世の美女が生きて動き出せばこのようになるのだろう、ある人物はそう評したほどの美しさ。
しかし、常ならば魅了されるであろう備わった美貌も、纏っている雰囲気も、男たちの欲望を刺激しない。
否。刺激はしていた。十二分に欲の火種は与えられていた。たとえ銃撃戦の最中であっても、この極上の火種は存分に燃え上がり、情欲の炎を灯していたことだろう。ただしそれ以上に押し付けられたものがあっただけのことだ。
それは殺気とも闘気とも鬼気とも、あるいは単純に威圧感とも呼ばれるもの。絶対的な力の差がある場合にのみ生じる、絶望と恐慌の呼び水。
三大欲求である性欲を、さらに原初のものである生存本能が押さえ込み、脳内で警鐘を鳴らす。
いますぐ逃げろ、喰われるぞ、と。
その恐怖は発汗作用を引き起こし、体幹から足へと震えを走らせる。
失禁しなかったのは、男としての意地か、はたまたマフィアとしての面子か。
「テ、テメェッ!」
「殺すぞオラァ!」
幸か不幸か、男たちは怯えを隠すどころか、逆に相手を威圧できた。その根拠があった。
相手は女一人だ。
こちらは銃器で武装した男が複数。
不意打ちならともかく、いまは正面から相対している。
そんな諸々の人生経験と一般常識からくる自信が、男たちに逃走、もしくは幸福という選択肢を取らせなかった。
銃器を突きつけられたカタリナはやれやれと首を振り、両手をポケットに収める。
「馬鹿に付ける薬はないか。君たちの場合はクスリかな? まあそんなことはさておき」
一歩。
あっさりとカタリナが踏み出し、騒然と男たちが引き下がった距離。
前進と後退という言葉に含まれた以上のものが、そこにあった。
戦闘は、実力差など既に関係のない段階へと移行した。
恐れに飲まれた烏合の衆では、カタリナが見た目相応のか弱き女性であったとしても害することなどできはしない。
まして、カタリナは男たちよりはるかに強いのだ。
そんな状況の推移を見てとって、カタリナが漏らしたのは。
「男なら、口より先に体動かせ。上に立つなら意地を張れ。よりにもよって誰かをいじめてきたお前らが、そんなことでどうするんだ!」
なんの前触れもない、苛立ち混じりの文句だった。
それが引鉄にもなった。
死の恐怖と緊張感で張り詰めていた精神は、ほんの少しの刺激で容易に爆発しうる状態だった。
そんなときに、緊張の原因である存在から苛立ちなど向けられればどうなるか。
電気を流されたかのように男たちの手が跳ね上がり、銃口がカタリナと直線で結ばれる。
そして、指に力がこもり、眼前の驚異を冷徹な鉛玉でもって消し去らんとする。
刹那の後、風船を割るような音が部屋に響いた。
男たちの行動が、間違いであったとは言えない。
肝心の出口はカタリナが入ってきた扉だけである。となれば当然ながら、扉から出て行くためにはカタリナに近づき、脇をすり抜ける必要がある。その間は完全に無防備だ。
ならば、窮鼠が猫を噛んで死中に活を見出すほうが理に適っている。自分たちが優勢な根拠はいくつも挙げられるのだから尚更だ。
ただし、そもそもの根拠が正しいのかどうか。それは男達には保証できない部分の事柄である。
そして、そこに最も大きな思い違いがあった。
相手は女。数の上で有利。銃器で武装している。不利な要素がない戦いだ。
念能力者という超常の人外を相手にする時点で、それらの常識など風の前の塵に同じである。
窮鼠の前に立ちふさがっていたのは猫ではなく、虎。
猫ならば九死に一生、万に一つもあるだろう。だが、虎に噛み付いたところで、一体いかなる痛手を与えられようか。
その決定的な勘違いが、地獄の釜の蓋を開けた。
「しゅっ」
カタリナの口から漏れた吐息が空気を震わせ、男たちの耳に届こうという時。
既に、男たちの耳は用をなさなかった。
無音にして刹那の残影、その内実は六撃。
一撃に要する時間は、約二ミリ秒。拳が進んだ距離は約五十センチ。
ライフル弾の十六分の一の速度を、人体で再現するという理外の技。
超高速で放たれた拳は、男たちが引鉄を引くより早くはなく、その差を異常な速さでもって埋めるばかりか追い抜いた。
肉と骨で耐えられるはずもない威力は、人間を殺傷して余りある。人体を粉砕してまだ足りない。頭が丸ごと文字通りに弾け飛んでようやくである。
骨と肉と血管が粉になって舞い散り、内包されていた血が霧となって部屋中に満ちる。
部屋の中が見るに堪えない惨状となったのは、当然の帰結である。
「これぞ我が秘奥……と言いたいとこだけど、生憎、全力出してないんだよねぇ。そこらへん勘違いしないでほしいです」
「おやおや、バレてたか。こりゃ失敬」
言葉に合わせて天井を見るカタリナ。
言葉に応じて天井から降り立つ男。
全身を黒の布で覆い隠し、外から見えるのは目の部分だけという異様な格好だった。
道端で見かければ間違いなく距離を取って、触らぬ神に祟りなしという言葉に従うところだろう。
カタリナはまたも値踏みの視線を送り、男の頭からつま先までをじっくりと眺めた後、苦々しげに口を目を細めた。
「うわ、結構強そうじゃないか。騙された……」
立ち居振る舞いから体表に纏うオーラの滑らかさまで、どこを取っても雑魚とは呼べない練度の高さだった。
とりあえず情報提供者はとっちめてやろうと決意する。
男はというと、首を振りながら苦笑した。
「いやいや、事前情報のこと言ってんなら仕方ない。俺はいわば、ボスの懐刀。この街に来てからは出番がなくて暇だった。そういうわけで、知られてないのも当たり前、知られてないのが当たり前……あ、俺の名前はコジロウだ。ジャポンのとある一族出身でな。風魔っつーんだが、まあ知らねえよな」
笑いながら腰に右手を添える。その手が離れたとき、いつの間にか、どこからともなく取り出された一本の巻物が握られていた。
そこに込められた念の強さを感じ取り、カタリナもまた新たな煙草を取り出して咥え、火をつける。
「それじゃまあ、仕切りなおしかな。名乗ったほうがいい?」
「おいおい、闇に住む念使いの中で、かの女傑を知らない奴はいねーさ。なあ――」
コジロウは巻物の紐を解き、空中で一気に引っ張り開く。
中には墨で記された文字がびっしりと詰まっており、カタリナはそれが神字であることを一目で看破した。
そこに内包されたオーラの質は、一朝一夕の鍛錬で成せる練度ではなく、熟練のそれであることも。
コジロウが、開戦の号砲を上げる。
「カタリナ・ザ・
神字が発光し、薄れて消える。
完全に白紙になった巻物から、幾多の炎や氷、雷がカタリナ目掛けて溢れ出した。
派手なそれらの陰に隠れて、大量の矢や刀、槍なども射出されている。
これが“風魔の”コジロウの念能力、『忍の心得(オリエンタルミステリ-)』である。
あらかじめ巻物に記した文字を具現化することができるこの能力は、文字を記す際に大量のオーラを消費する反面、開放する際に必要なオーラは微量である。能力の性質上、汎用性も高い。巻物に記せる神字にも制限はあり、忍に古来より伝わる『遁術』に関わるものでなければならないのだが、それを差し引いても使いどころには困らない、強力な念である。
攻撃力の低さゆえに強化系に特化した敵の『堅』などに対しては効果を上げにくいのが難点といえば難点ではあるが、器用貧乏な能力は裏返せば万能な強さを持つということでもある。そして、コジロウはこの能力を完全に使いこなし、望みうる最高の戦いをする経験と実力があった。
ゆえに。
(俺は確信する!! 俺はこの2つの能力が自分に最も適していると確信する!! カストロのそれとは違い、敵に能力が知られても全くマイナスにならない応用力がこの能力にはある!! ていうかカストロって誰だッ!?)
「というわけで死ねぇ!」
「……」
挑みかかるコジロウに対して沈黙を保つカタリナ。敵が、敵の攻撃が目前まで迫っている。だというのにその顔は俯き、呆然としているようにも映る。
その不気味なまでの行動のなさに、コジロウは呆気なさすぎる勝利までも幻視していた。
そしてカタリナは、飛来した全ての攻撃に目を向けることすらなく。
するりと全てをすり抜けた。
かがみ、跳び、くねり、うねり、場合によっては拳で除去しつつ、あらゆる攻撃を無効化して、コジロウの鼻先に立っていた。
あまりにも想定外な事態に、コジロウの反応が寸暇の間だけ、遅れる。
「ボクを」
(『身代わ――)
危険を察知したコジロウが動く。
もちろん、カタリナの初動が早い。
「その名で呼ぶなぁーッ!」
コジロウの発動を待たずして拳が飛ぶ。ポケットを鞘として拳という名の刀身が抜き放たれる。
大仰かつ無駄な動作を含む抜拳が、重心と筋力を最適に利用し最短距離を突き進む打拳よりも速いという不条理。
その不条理ゆえに念は必殺の域へと高められる。
先の拳と全く同じ速度で、同じ重さで、同じ威力の一撃。強化系ではないコジロウは咄嗟の『堅』で耐えきるという選択肢を取れない。
が、間一髪で間に合った。
(『
カタリナの拳がコジロウの黒装束を貫き――穴あきの布がふわりと舞ったことに愕然とする。
骨と肉の手応えがない。血しぶきを上げて吹き飛ぶはずの敵手は、影も形も見えない。
(一体どこにッ!)
疑問に答えたかのように、脳内に独特の悪寒が走り、反射的に前へと飛びながら上方へと注意を向ける。
そこには、コジロウの気配があった。
蛇が脱皮するかのように、身にまとった衣服と多量のオーラを失うことで半径数メートル以内への瞬間移動を可能とする能力、『巳代わり《エスケープコート》』。その真髄は、瞬間移動によって、一時的にではあるが、コジロウが敵の認識下から絶対に消えることにある。
黒装束の下に巻きつけていたのだろう巻物を腹巻のように身に付け、手には苦無と呼ばれる小型の刃物を持ち、カタリナにその先端を向けて降下していた。刃先にはオーラが集中している。その密度の高さは、強化系にとって必殺技ともなりうるオーラの操作技術『硬』によるものだと一目でわかるほどだ。
無論、その他の部分は完全に無防備である。完全に不意を付いた一撃だからこそ使える、攻撃に全てを振り分けた奇襲は、カタリナの超直感により隙をさらすだけに終わった。
カタリナは飛んだあと冷静に振り向き、しっかりとオーラを練って万全の反撃体勢を整える。
「くっ!」
咄嗟にコジロウは腹に巻きつけた巻物の神字を発動、通常ならば不可能な攻防率七十%のオーラによる『堅』を一時的に発動させた。さらに、両腕を交差して顔面を防御。着地の瞬間を、半秒にも満たぬ僅かな時間を耐え忍べば、位置関係的に、後方に下がって扉から脱出できる。そこからは内部構造をよく知るコジロウのお手の物だ。
一連の思考が終わる。
「オラ」
着地と同時に、骨まで届く衝撃が、一発。
この程度なら耐えられる、一瞬そう思った。
そして、
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ――」
三と半秒の間に最初と合わせて五十発の衝撃が襲来し、コジロウの腕と込められたオーラを完全に消耗させ尽くし、ガード諸共に殴り潰した。
骨はくだけ、肉はちぎれ、血が霧雨のように噴出する。折れた骨が臓器に突き刺さり、次の一撃で一緒くたに砕かれ、さらに次の一撃でミックスされる。生地を麺棒で叩き混ぜ、伸ばすように、コジロウというひとつの人体が拳の連撃で加工されていく。
そんな中コジロウは、消えゆく意識で、潰れて見えなくなったはずの眼球で、もはや尽き果てたオーラで、全ての感覚で、確かに察知していた。
明確な死の気配を伴った。
「本気ではない」という言葉を無理やりにでも確信させてしまう。
そんな、最高で最悪な一撃を。
「オラァーーーーッ!!」
最後の一撃はコジロウの脳幹を寸分違わず貫き、その魂を天上か地の底か、いずこともわからぬ場所へ送り届けた。
元が人であったとは理解できない無残な死体が、最後の攻撃によって与えられた運動エネルギーに従って縦方向に回転しながら壁へと吹き飛んでいったのを見て、カタリナは煙草を吐き捨てた。
「……ふぅ」
背伸びと深呼吸を同時に行いながら、靴底で煙草の火を消す。
そして、モニターのところにあるボタンを幾つか押した。
事前に確認していたのだが、このビルは管理室でシャッターの開け閉めなどを操作できる。
この操作によって、マフィアのボスの部屋は完全にシャッターで隔離されていた。
「そんじゃ、いきますかね。――コジロウよ、お前もまた、
吸っていない煙草を一本取り出し、コジロウだったものに投げ捨てて、カタリナは部屋を後にした。
もはや語るべきことはない。ボスは自らの最も信頼する牙城で、幹部の全員と共に、あっさりとその命を落とした。
カタリナ・スミス。
七つのマフィアを潰し、二十三人の賞金首を捕らえ、その筋では有名な食人鬼にしてプロハンターのビノールトすら返り討ちにして突き出した、超凄腕のアマチュアハンター。
そんな彼女が、前世では男だった転生者であることを知る者は、まだ誰もいない。
感想で指摘されたので、とりあえずタイトルつけました。
こんなタイトルのほうがいい、とかある人は感想で教えてください。採用するかどうかは作者の独断と偏見です。