桃香ちゃんと愚連隊   作:ヘルシェイク三郎

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第八回 呉子遠、奮闘する

 貂蝉殿がお帰りになられた後、それがしは改めて彼(彼女?)の残した言葉について考えてみることにした。

 例えば、

『物語の"もぶ"であったアナタがかなう相手ではない。出し抜きたいのなら、頭を使え』

 とは一体いかなる意味なのであろうか?

 まるで、それがしと"てんせいしゃ"とやらの直接対決が間近まで迫っているかのような物言いである。

 "てんせいしゃ"なあ。"てんせいしゃ"って結局何なのだろう。

 ええと。確か、この世には神仙と"てんせいしゃ"なるものが存在しており、天の理を操っておられるとか……。

 そして、まさし君もそういった存在の一人であったという。まさし君、すげえ。

 まさし君の例を踏まえると、"てんせいしゃ"というのは天の国であるニッポンからやってきた御仁であると考えるのが自然であるように思える。

 ふむふむ、北郷殿も"てんせいしゃ"。

 妙才殿の仰っていた、孟徳殿の新参配たちも"てんせいしゃ"……。

 って、"てんせいしゃ"多いな! ありがたみが無いぞ!

 

「……ん、待てよ?」

 もしかして、そんな御仁らとそれがしが戦わなくてはいけないのだろうか?

 いや、いや、いや。

 無茶ぶりが過ぎるだろう。

 確か妙才殿の話によれば、彼らは皆が智勇に優れていたはずだ。

 そんな連中と、渡り合えと? 何故だ、解せぬ。戦う意義が見出せない。

 

 貂蝉殿が適当なことを仰った可能性は……、ないだろうなあ。

 天の理をそらんじるがごとき彼(彼女?)のお言葉であるから、そのお言葉には何らかの根拠があるはずで、一から十まで口から出任せというわけでもないと思う。

 となると、直近で玄徳殿と利害が対立している者がいるのかもしれない。

 真っ先に疑われるのは黄巾賊の連中だ。

 黄巾賊の中に"てんせいしゃ"なるものが混ざっていると仮定して……、ああ、そうか。

 ここで子龍殿の仰っていた輩、つまりは今回の黒幕と繋がるわけか!

 

 それがしはまず、天和ちゃんの母性を思い出し、次に三姉妹の歌や踊りを思い起こした。

 よくよく考えてみると、あれら三姉妹の売り出し方はニッポンにあるという"あいどるぷろでゅーす"の在り方と酷似している。

「ごまえ」と歌うべきところを「生きることは己との戦なのだ」とか歌っちゃっていたり、ところどころで妙な男くささを推していたりもするのだが、それでも方法論自体は音に聞く例とそう変わらないように思う。

 うん、納得した。十中八九、黒幕は"てんせいしゃ"と見て良さそうだ。

 ただ、ん? んんー?

 

「子遠殿」

 待て、おかしいぞ。

 今回の黒幕ならば、上司殿と我々が詰めた策によって完封できるはずだ。わざわざ虎の尾を踏みに行く必要があるとは思えない。

 もしかして、起死回生とばかりに黒幕の方から仕掛けてくるということだろうか?

 直接的な襲撃か、それとも搦め手で来るのか。

 現段階の一手で大勢が動くとは到底思えないが、いずれにせよこちらとしては敵の襲撃に備えなければならないだろう。

 そうなると、武力面でこちらが対抗できる手札が子龍殿だけというのが痛いなあ……。

 妙才殿のお話から察するに、数を頼みに迎え撃つというのはあまり賢い選択とは言えないだろう。

 有象無象を用いたところで、『だが俺の体は空を飛んでそのまま愚連隊の本陣へと向かう』をされるだけの気がする。

 一応、上司殿は黒幕の反撃をも織り込み済みで策を詰めておられたはずだが、敵の力が未知数な以上、どこまで効力を発するか微妙なところだ。

 かといって急ごしらえで新たな備えを築き上げるというのも難しいだろうしなあ。うーん、うーん……。

 

「子遠殿、聞いておられるか? 子遠殿」

 というか、頭を踏み台にして飛ぶってどういう状況なんだろう。

 天の国に伝わる"がんだむ"みたいなものだろうか。確かあれも頭を踏み台にして戦った甲冑武者であったと記憶している。果たして"じむかすたむ"が勝てる相手なのか。

 

「おおい、し、え、ん、どのー」

 そもそも、頭を使えといわれてもなあ。

 頭を使うのは"てんせいしゃ"の方じゃないか。踏み台として。

 ん? つまり、それがしも相手の頭を踏み台にすれば……。

 それがしの頭を踏み台にした敵の頭を踏み台にして……。

 いや、いや、駄目だ。まるで意味が分からんぞ。

 どんな状況なのか想像すらできない。

 うーん。うーん。

 

「ああ。これが音に聞く、何も聞こえない状態か。ふむ……」

 思考の海に沈みこんでいたそれがしであったが、突如意識を引き上げられる。

 それがしの耳に、何やら生暖かい何かがふうっと当たったのである。

「お゛お゛う゛ッ!?」

 こそばゆいようなぞわぞわとした感覚が全身を駆け巡っていく。たまらずそれがしは仰け反った。

 何なの? 今の何なの……? コワイ!

 

「正気に戻られたか。ふむ、まるで生娘のような反応をするのですなあ」

 口を魚のようにパクパクさせながら、それがしは子龍殿を睨みつける。

 彼女は悪戯が成功した悪童のような顔つきで、にやにやと笑っておられた。

 

「子龍殿、今一体何を――」

「んぅ、そうまでしてお聞きしたいというならば、私が今何をしたか事細かく白状しなければなりませぬ」

「あ、いえ。やっぱ良いです」

 しなをつくる彼女のもったいぶりように身の危険を感じたそれがしは、周囲に竹のこぎりがないかを確認した後、彼女と距離をとった。

 

「おや、つれない。北郷殿なら、もう少しからかう余地があるのですが」

「いい加減、臑の痛みが馬鹿にならないのです」

「臑……? まあ、それはさておき」

 一瞬首をひねった子龍殿であったが、すぐに武人の顔になって続ける。

 

「先ほどの貂蝉殿のお話。どうか、よくよくご配慮を。恐らくあの者の言う"てんせいしゃ"とは、私の申し上げた輩のことであると思われます」

「ああ、はい。そのことですかあ」

 どうやら、子龍殿も同じ結論に行き着いていたようだ。

 彼女は「既にお気づきでしたか」と前置いた後、顎に手を当てて窺うようにこちらを見る。

 

「隠行の冴えを見るに、敵の実力は恐らく私に匹敵しましょう。その上、いかなる策を用いてくるか分かりませぬ。捨て置いては危険……。貴殿に妙案はございますかな?」

「うーん」

 そんな簡単に妙案など思いつくはずがない。

 そもそも、英傑をそんな簡単に出し抜けるなら、それがしこそが英傑である。左団扇である。

 

「うーん……」

 ひたすらに考える。

 そもそも敵が単騎で襲撃してくるのか、数を揃えてくるのかもわからないのだよなあ。

 幸いなことにほとんどの黄巾賊が玄徳殿に好意的な感情を示しているが、それでも争乱のおこぼれに預かろうとした賊や黒幕の手駒が援軍として控えている可能性は否定できない。

 敵戦力が未知数な以上、最適な戦術など立てられるはずがないのだ。

 それがしは考えに考え、答えが自分では見出せないことを理解した。

 

「逃げる準備だけしておきましょう」

「逃げる……。迎え撃つのではないのですか?」

 子龍殿の問いにそれがしは頷く。

 

「今回の策において失敗とは、玄徳殿の御身が危険に晒されることですぞ。仮に現段階で我々がこの場から引き揚げたとしても、予定通りに黄巾討伐が始まるだけですから……。正直な話、別に策が失敗しても構わないのです。上司殿の築きあげた備えも"逃げ"と"予防"に徹したものでありましたから、要らぬ横やりで道筋を崩さぬ方がよいでしょう」

「それは少々弱気なようにも思えますが。乱世に臨む将星ならば、もっと志を高く持つべきでは」

 それがしの説明に、子龍殿はあくまでも難色を示された。

 うーん、この意見の食い違いは恐らく、互いの人生観が異なっているがゆえに起こっているのだろうと思われる。

 子龍殿の考え方は、さながら天性のばくち打ちのそれだ。

 成功すれば万々歳。たとえ失敗したとしても、死しても名を残せば良い。

 そんな英傑特有の覚悟が決まっておられるのだ。

 無論、それがしにそんな覚悟はない。英傑ではないんだもの。

 それに「万人を笑顔にしたい」と仰られた玄徳殿が命をかけるべき時は、今では無いとも確信している。

 だって命をかけて、笑顔になるのがムサい男どもというのは、ちょっと……。

 だから、それがしはこう答えた。

 

「生きてこその物種ですぞ」

 それがしの結論を聞いた子龍殿は目を丸くして、何事かをぶつぶつと呟き始める。

 

「対決はしない……。及び腰と断ずるのは安易。ここは慎重と捉えるべきか。いや、臣は主君に似る。仁徳を進む主と同じ道をとられるということか。ならば、玄徳殿にも深いお考えが……? 成る程、高祖の故事を考えるに――」

「子龍殿?」

「成る程」

 何が成る程なのだろうか。何やらものすごい深読みをされたような気がする。

 これ絶対後々で面倒くさくなる流れだ。

 

「子龍殿が何を早合点されたのか分かりませんが、それがしは――」

「いや、いや。みなまで申されるな。私には分かりますぞ」

 慌てて補足しようとするも、子龍殿は手のひらで壁を作り、一人合点の行ったしたり顔で話を打ち切ろうとする。

 

「ただ、力を振るうよりも険しい道のりを進む貴殿の勇姿を……、私はしかとこの目で見させていただきますゆえ」

「はあ……」

 頭の回転が速い御仁は、得てして会話が成り立たないのだよなあ。

 しかも予想が違っていた時は、こちらもあちらも気まずくなってしまうというおまけまでついてくる。

 

「はあ……」

「子遠殿。そう情けないお顔をされますな。飛躍に臨む臥龍鳳雛の相は、自信に満ち溢れた笑顔にこそ宿るのですよ」

「はあ……」

 結局、この後子龍殿はそれがしと酒を飲み交わし、我々の所蔵していた酒を片っ端から胃袋に納めた後、玄徳殿のもとへと帰ってしまわれた。

 風のような……、いや夕立か嵐のような御仁だなあ。

 何というか、すごく疲れる。

 

 

 

 翌日。

 寝ぼけ眼で顔を洗いに近隣の小川へと出向くと、黄巾の中でも特に噂好きの連中が何やら集って井戸端会議にいそしんでいた。

 それがしは「ああ、はじまったか」などと思いながら、川の水をぱしゃりとやりつつ、耳をそばだててる。

「……それでよ。俺たちがこのまま冀州に居座ると、天和ちゃんたちに危険が及ぶらしい」

「何でだよ。国の連中が潰しにかかるっていうのか?」

「ああ、そもそも……」

 彼らの語る噂話の内容を要約すると、大体以下のようになる。

 

『我々がこの地に集まっているのは、実は官匪の策略なのだ。奴らは三姉妹を生贄にして、王朝に忠誠を誓わぬ輩を片っぱしから殲滅しようとしているのだ。玄徳ちゃんはそのことを知り、三姉妹を救いにやってきた愛天使。俺たちも三姉妹のために何かやらねばならぬのではないか』

 概ね、かねてより上司殿が準備を重ねてきた流言通りの内容であった。

 

「ただ、予定より少し早いのよなあ」

 黄色い頭巾で顔を拭きながら、思案する。

 本来はこの流言策も、黒幕をいぶりだすためにできる限り足のつかぬよう数日かけてゆっくりと浸透させていく予定であった。

 それが今日になってこうも大っぴらに噂を広め始めたということは、上司殿も策の完成を急ぎ始めたということなのであろう。

 多分、玄徳殿の御身を案じてのことであろうなあ。

 

「身内の中に敵がいるっていうのかよ。同じ追っかけに不届き者がいるとは思いたくねえなあ」

「いや、いたじゃねえか。この前の、ほらあそこにいる……」

 連中から悪意のこもったまなざしを向けられ、それがしは素知らぬ風を装って、川の水でうがいをした。がらがらがらがら。

 

 これからは彼らのように上司殿が流した噂を真に受けて、隣人に対して疑いの目を向ける者が増えていくだろう。

 互いが互いを監視し合う状況は、集団の結束を弱め、黒幕の暗躍をある程度防いでくれるはずだ。

 さらには勝ち馬に乗ろうとしていたごろつきどもの中に、旗色の悪さを嗅ぎとって逃げ出す者も出てくるであろうし、玄徳殿に危害を加えようとする輩に対するけん制としては十分な効力を発揮するものと思われる。

 

 思わず苦笑いを浮かべてしまう。

 玄徳殿のために、攻めの策を守りの策に換えてしまうくらいなのだから、なんだかんだ言っても上司殿はお優しいのだよなあ。

 後はその優しさをそれがしにも向けてくだされば、言うことないのだが……。

 

「おい、手前」

「あ、顔洗いも水汲みも終えましたので、それがしは退散いたしますぞ。ごゆっくり、どうぞ」

 顔を洗い終え、水桶に水を汲み終えたそれがしは黄巾連中に難癖を付けられるよりも早く、寝泊りをしている天幕へと逃げ帰った。

 

 両手に水桶を提げながら、考える。

 今のところ、我々の策は最善とは言わないまでもほぼ理想に近い流れで進んでいた。

 ただ、こうなるとやはり黒幕の悪あがきが怖くなってくる。

 それがしは小心者なのだ。

 やはり先日子龍殿に語った逃げる手筈だけは整えておく必要があるだろうなあ。

 万が一の事態が起こった時、怖いのはやはり黒幕の武力である。

 もし、『だが俺の体は空を飛んでそのまま愚連隊の本陣へと向かう』をされたらどう対処すればいいんだろう……。

 子龍殿だけではやはり不安だ。

 それがしも来る日に向けて準備をしておかないと……。

 

 ぼおっと空を見上げながら、天幕の裏手にたどりついたそれがしは、水のなみなみ入っていた桶を食材置き場の傍らに置く。

 置き場には大きなむしろが敷かれており、その上には今日の朝飯となる小麦や根菜が積まれていた。

「ん、根菜かあ……」

 そういえば、まさし君が「隙を生じぬ二段構え」な抜刀術にからめて、根菜を使った技についても語っていたことがあったなあ。確か、達人になるための特訓に使うんだとか……。よし。

 

「下手の考え休むに似たり。それがしの発想よりも、まさし君の言葉を信じてみようかな」

 よくよく考えてみれば、それがしはいつもそうやって、まさし君のおかげで急場を凌いできたのだ。

 いつもいつも頼ってばかりというのも心苦しいが、今回ばかりは玄徳殿の身の安全もかかっている。

 それがしは意を決して、根菜の一本を掴みとった。

 

 

「オヤジ、何をしてるんで?」

 朝飯の準備でもしに来たのか、欠伸混じりに天幕の裏手へとやってきた褐色青年が、それがしに胡乱げなまなざしを向けてきた。

 青年の疑問も無理はない。

 何故なら、今のそれがしは地元で採れた根菜と、愛刀を手に持って精神統一をしていたのだから。

 

「特訓だよ」

「特訓て……。手に持った野菜をどう使うんだよ」

「ちょっと待ってろ。気が散る」

 しばらく黙想して、ゆっくりと目を開ける。

 ……うむ。良い感じだ。

 今なら、まさし君の仰っていたあの技も再現できそうな気がする……!

 

「きえいっ!」

 それがしは無造作に根菜を放り投げ、くるくると回転する根菜の中心部めがけて、愛刀を大上段から振り下ろした。

 白刃が閃き、確かな手応えが手のひらへと伝わってくる。

 刃が通り過ぎた刹那の後に、根菜は空中でパカリと真っ二つに分かれ、そのままトスンとむしろの敷かれた地面へと落ちた。

 

「おー……」

 青年の感嘆を背に受けて、それがしは無言で根菜を拾い上げる。

 切り口は……、悪くない。

 ささくれのない綺麗な断面になっている。

 だが、果たしてできるものか……?

 ごくりと唾を飲み込んで、それがしは二つに分かれた根菜の断面と断面を再びくっつけようとした。

 ……が、当然ながら元通りにはならない。

 

「やはり駄目か」

「何が駄目なんで?」

 ため息まじりに、それがしは青年に答える。

 

「昔、まさし君が言っておったのだが、両断した根菜を再びくっつけることができれば、何か奥義が開眼するらしいのだ」

「んな無茶な」

「無茶でも今はやるしかない」

「何でよ」

「何でも」

 呆れ声に適当な返事をして、二本目の根菜を宙へと放り投げる。

「きえいっ」

 だが、くっつかない。

「ちぇすとぉっ」

 だが、くっつかない。

「どうりゃっ」

 だが、くっつかない。

 って結構疲れるな、これ……!

「オヤジ、この斬り分けた根菜は飯にしちまって良いのか?」

「お。おう、もったい、ないから……。それで」

 ぜえぜえと荒く息をつき、玉の汗を浮かべながらそう返すと、青年は根菜の一つをぽんぽんとお手玉にしながら、根菜の山を処理すべく、仲間たちを呼びにいった。

 それがしは額の汗を黄巾でぬぐい、さらに特訓を続けていく。

 もしかしてかけ声は悪いんだろうか。よし……!

 

「破ぁーっ」

 くっつかない。

(しゃあ)ぁーっ」

 くっつかない。

「斬っ!」

 くっつかない。

「おお、ほんとだ。副頭領がまた妙なことやってやがる」

「オヤジ、何の遊び? それ」

「良く綺麗に二つに分けられるもんだなあ。これ、芸になるんじゃねーか?」

 何時の間にやら、強面連中が物見に集るようになってきた。気が散って仕方がない。

 心がささくれだったそれがしは、むすっとした顔で周囲の面々を睨み回した。

 一睨みで彼らのほとんどは「くわばらくわばら」と蜘蛛の子を散らしていったが、褐色青年と頬傷オッサンだけが難しい顔をして、根菜の断面を矯めつ眇めつしている。

 

「廖化の叔父貴。こいつぁひょっとすると……」

 青年に声をかけられた頬傷おっさんが、腕を組みながら重々しく頷く。

「ああ……、モノになるかもしれねえ」

 二人は一体何を呟いているのだろう。

 それがしが怪訝な顔つきをしていると、おっさんは思いも寄らぬ事を口にした。

 

「なあ、副頭領。ただ真っ二つにするだけじゃ芸がねえ。"もっと先の景色"を見てみたくはありやせんか?」

 何だと。

 まさか、頬傷おっさんは"てんせいしゃ"に対抗できるような秘奥義を持っていたのだろうか。

 もし強力な奥義だとするならば、それがしのような"もぶ"でも一発逆転の切り札を手に入れることができるやもしれぬ。

 それがしは目を瞑り、心に玄徳殿の笑顔と母性を思い浮かべた。

 彼女の御身を守るため、有用な切り札はあればあるほど良いだろう。

 それがしもただの"もぶ"を脱却しなければならぬ時が来ているのかもしれない。

 

「……見てみたいと、思いますぞ」

 だから、それがしは覚悟を決めてオッサン――、いや頬に傷のある黒々とした雪のような光沢を持つ髭をお持ちの師匠に是と答えた。

 黒雪髭師匠は満足げに笑みを浮かべ、顎をさすりながら続ける。

「それでは真っ二つにするのではなく、もっと細かく。それでいて均等に斬り分けるようにしてみてくだせえ」

「細かく、均等にですな!」

 それがしの心に灯がともった。

 ただ、ひたすらに愛刀を振るう。

 二分割を四分割に、四分割を十六分割に。百二十八分割に!

 黒雪髭師匠はその様子を傍らで見ながら、むしろの上にうず高く積もった細切れの根菜を手にとっては容赦のない罵声を浴びせてくる。

 

「全然均等になっておりやせんぜ! もっと正確無比に斬るんでさ!」

「応!」

 それがしは叫び、さらに愛刀を振るった。

 一刻振り続け、さらに一刻、休憩を挟んで更に二刻、休んで更に二刻。

 太陽が月に成り代わっても、月が太陽に成り代わっても、それがしは刀を振り続けた。

 山ほどの量、根菜を斬っても師匠の目は厳しく、一向に「良くなった」という太鼓判はもらえない。

 むしろ、彼のもたらす試練の難易度は激化する一方だ。

 

「ほう、あの一振りで十七分割してみせるかよ……。だが、根菜の瑞々しさを損なってはいけやせん!」

「応!」

 それがしは応えた。

「斬った瞬間、根菜のかけらが宙を舞って綺麗に列をなすように斬ってくだせえ!」

「応!」

 それがしは応えた。

「次は(ツァオ)に挑戦しやしょう。まずは斬り分けた根菜を油通しするんです」

「応!」

 それがしは応え……、うん?

 特訓を開始してから二日ほど経ったあたり、鍋を片手に根菜を炒める段になって、それがしはようやく我に返った。

 これは本当に秘奥義を開眼するための特訓なのだろうか……?

 恐る恐る師匠を見てみると、彼は油通しされた細切れの根菜を感慨深げに見つめていた。

 

「何と見事な刀工……。こりゃあ、酒の良いつまみになりやすぜ」

 手に持った箸の先に細切れの根菜を高く積み上げながらの一言であった。

 当然、それがしは無言でオッサンのケツを蹴り飛ばした。

 

 

「何と見事な刀工……。これは、酒の肴になりますなあ」

 そんなことを玄徳殿の連絡役としてこちらに来ていた子龍殿が言った。

 車座になり、強面連中と膝を向け合い、酒を飲みながらの発言である。

 もう完全に、彼女はこの愚連隊に溶け込んでおられた。

 どうでも良いことかもしれないが、その箸の先に切り揃えた根菜を積み上げる仕草は流行っているのだろうか。疑問だ。

 

「あまり護衛役が玄徳殿のもとを離れていては、まずいのではありますまいか」

 無駄骨を茶化されたように感じたそれがしが口を尖らせ苦言を申し出るも、彼女に応えた様子はない。

 

「ふむ、確かにあまり長居はできませぬなあ。しかし、これも敵を釣り出す策なのですよ。文若殿の許可は貰っております。ああ、この豚肉と根菜の黒酢煮は本陣に持ち帰っても? 玄徳殿たちが食べたがっておりまして」

 むしろ楽しげに笑っておられた。

 ……こう何度も酒を交わすようになると、子龍殿の性格が見えてくる。

 彼女は言うなれば、怠け癖のある山猫のようなものだ。性格は善良で義にも厚いのだが、とにかく自由に動き過ぎる。

 きっと口が達者で、要領も良いから世の中を上手く立ち回っておられるのだろうなあ。

 その点が同じ怠け者という共通点を持つそれがしと彼女の違いであろう。もしそれがしが同じことをすれば、同僚には嫌みを言われ、野良犬には手を噛まれ、通りすがりの女性には暴言を吐かれ、上司殿は激おこ間違いなしである。

 

 ただ、誰とでも仲良くなってしまう一方で、誰も彼もに気を許しているのかというと微妙なところであった。

 その証拠に、彼女は玄徳殿たちとそれなりに接しているというのに、未だに伯桂殿以外の真名を口にしようとしない。

 多分、彼女なりの線が引かれているのだ。

 空に浮かぶ雲のように浮ついてはいるものの、決して尻軽や節操無しというわけではない。彼女の持つ誰からも親しまれる愛嬌と信頼感は、そんな八方美人と一本気の絶妙な兼ね合いが作り上げているのだと、それがしは考える。

 

「……私の顔に何か?」

「いえ、羨ましいなあと思いまして」

「はあ」

 そんなことを話しながら、目の前の大皿に盛られた豚肉と根菜の黒酢煮を、強面たちとともに箸でつつく。

 むむむ、シャキっとした歯触りが意外に酒と合う……。奥義は会得できなかったが、料理技術が上がったことは収穫であったのかもしれない。

 

「子遠殿はメンマを使った料理もできるのですかな?」

 むぐむぐと口を動かし、子龍殿が問うてくる。何でメンマ?

「いや、そもそもまともに料理をしたのは玄徳殿の仲間になってからで……。都では買い食い専門でしたな」

 それがしは答えながら、都での日々を思い出した。

 お気に入りの屋台。お気に入りの酒家。

 何故か上司殿とお気に入りの店がかぶることが多かったのだよなあ。

 上司殿はそれがしとお気に入りがかぶると途端に機嫌が悪くなってしまう。

 それで選択肢がなくなったところに見つけた店が、"和食屋"なる酒家だった。

 後で知ったことだが、あそこはまさし君のお気に入りの店でもあったようだ。"おにぎり"に"みそ汁"、"かれらいす"……、どれも都の味付けとは一風変わっており、思い出すだけで生唾を催す。まあ、一月もしないうちに上司殿が出入りするようになっちゃったけど……。

 そうだ。今度"和食屋"の料理を再現してみよう。

 確か、塩の運び屋をやっていた時に米や"みそ"も仕入れていたはずだから、材料自体はそろっているはずだ。

 作り方は良く分からないが、多分見よう見まねで何とかなるだろう……。

 もっしゃもっしゃと飯を食べながらそんなことを考えていると、子龍殿がわざとらしい悲嘆の声を漏らした。

 

「それはもったいない。是非ともメンマ料理を身につけてくだされ。その出来如何では妙齢の美しい武人を獲得できるかもしれませんぞ。ああ、メンマ料理があったならば、一考の余地もあるのだがなあ……」

「食い物で釣られる武人というのもいかがなものかと。というか、何でメンマなんです?」

「メンマだからですな」

 良く分からないことをいって、彼女は酒に酔ったかのように頬を赤くして笑った。

 といっても、その立ち居振る舞いはしっかりとしており、臨戦態勢を解いてはいないことは一見して分かる。

 先ほど仰った「上司殿の許可をもらった」というのは本当なのだろう。あの人、そういうのすごく厳しいし……。

 それがしが上司殿のお姿を思い出して戦慄したところで、子龍殿はふと料理をつつく箸を止めた。

 

「明日、玄徳殿が三姉妹とお会いになります」

「明日ですか」

「左様。三姉妹からお呼びがかかったのです。つまり、貴殿らの策は明日には完成を見ることになる」

 これで報われましょう、と微笑む彼女の言葉を受けて、それがしはほっと息を吐く。

 ようやくかという思いであった。

 もう肩の荷は下りた。果報は寝て待て、とばかりに平気な顔をしていたものの、何時討伐軍が動き出してしまうかと胃がきりきりと痛む毎日であったのだ。

 いや、折角ここまでお膳立てをしたのだから、成功して終わらせたいじゃない。

 安堵するそれがしに対して、子龍殿は表情を引き締めて言葉を続けられる。

 

「ゆえに貴殿らも準備をしていただきたい」

「敵に対する備え、ですな。分かりました」

 うーん。結局、まさし君の言っていた奥義を開眼することはできなかった。

 特訓の仕方が悪かったのだろうか。"もぶ"たるこの身がいけないのだろうか。

 まさし君が間違ったことを言っているとも思えないんだがなあ。

 それがしが喉に小骨がつっかえたような気持ちの悪さを感じている中、子龍殿は険しい表情のまま口元に手を当てる。

 

「玄徳殿と三姉妹の会談は、黄巾賊の乱を火種の内に鎮圧するための重要な鍵……。それに三姉妹は黒幕の素性を知っている数少ない人物であるはずです。もし、私が乱を起こそうとする黒幕であったならば、玄徳殿と三姉妹が出会う前に何とか妨害を試みます」

 ……この御仁は本当、お茶らけた時と真面目な時の落差が激しく急であるのよなあ。

 彼女の急な変貌に戸惑いながらも、それがしは成る程と頷いた。

 いくら黄巾の連中を流言によってお互い監視させ合っているとしても、所詮は烏合の衆である。

 例えば、何らかの策を用いて彼らの統制を乱してしまえば、その隙に乗じて玄徳殿に危害を加えることもできるかもしれない。

 ただ、危害を加えてその後はどうする? といったところが良く分からないのだよなあ。

 正直、黒幕の目的が全く読めない。

 

 例えば、真面目に漢王朝に対して反乱を試みるならば、もっと三姉妹との連携を密にするべきだった。

 歌詞の中に反乱を煽る内容を盛り込むだけではなく、三姉妹に直接漢王朝の腐敗を説かせるだけでも信者たちは団結は一層強くなっただろう。

 また、三姉妹自身に反乱の意思がありさえすれば、我々も対象を直接説き伏せに行くなどという方策を取ろうとはしなかった。黒幕が真に乱を起こそうとするなら、いの一番にすべきことは三姉妹の思想を誘導することであったのだ。

 

 なんというか、中途半端なのである。

 こう、思いつきをその場でぽっと口に出しては、後のことを放置してしまうような……。

 今一瞬、まさし君の顔が脳裏に浮かんだが、彼は軽はずみな行動を決してしでかさぬ、深謀遠慮の御仁である。

 それがしは頭を振って余計な考えを振り払うと、子龍殿に答えを返した。

 

「分かりました。明日は玄徳殿の退路を確保すべく、遠巻きに待機しておくこととします」

「近衛ではないので?」

 問われて、先日川辺で出会った連中を思い起こす。

 我々が黄巾連中の目に留まるような動きは避けた方がいいだろうなあ。

 

「我々は黄巾連中から嫌われておりますから。流言によって身内を疑っている彼らをあまり刺激してしまうと、かえって黒幕の隠れ蓑になってしまうやもしれません」

 それがしの答えに、子龍殿が「そう言えば」と思いだしたように苦笑した。

「貴殿らは悪漢扱いでしたな。ならば、玄徳殿のお側は本陣の面々でお守りするといたしましょう。いざという時には我々が身を呈して玄徳殿をお守りする道を作ります」

「くれぐれも、お頼みいたしますぞ」

「心得た」

 この日、我々は不寝番(ねずのばん)の数を増やして、敵の暗躍に備えることにした。

 

 面倒なことに空は新月を迎えており、星明かり以外の明かりが乏しい。

 それがしは黄巾連中の寝泊まりする天幕を監視できるよう、天幕の一つを解体して即席の小さなやぐらに仕立てあげた。

 黄巾の天幕は驚くほど静かだ。

 

 欠伸を噛み殺しては、星空を仰ぐ。

 明日の今頃には玄徳殿の進退もある程度定まっていることだろう。

 果たして、今回の乱を無血で収めた大徳者として名を馳せるか、はたまた討伐軍の一将に収まるか……。

 できれば前者でありたいものだ。

 前者ならば、そんじょそこいらの諸侯にも比肩する名声が得られる。

 名声は力だ。

 

「誰も彼もが笑顔でいられる世の中を作る」という玄徳殿の理想を実現するためにも、力はあるだけあった方がいいんだよなあ。

 といっても、諸侯に目を付けられて敵対視されない程度という但し書きはつくが。

 いや、世に数多いる軍閥・英傑としのぎを削るというのは、恐らく玄徳殿にとって不幸しか生まない気がするのだ。

 

 昨日の敵は今日の友どころか、今日の敵すら本当は戦いたくない彼女の心を傷つけぬためには、どんな立ち位置が望ましいんだろうなあ。

 うーん、誰からも尊重されつつ、利害の対立が起きにくい立場……。そんなものがあるんだろうか。

 それがしがうつらうつらとしていると、東の方がほんのりと明るくなってきた。

 払暁だ。

 それがしは涎を垂らしながらいびきをかいている、褐色青年の頬をぺしぺしと叩いた。

 

「……もう交代か」

「おう、それじゃあそれがしは仮眠をとるから。くれぐれも居眠りしないようにね。絶対だからね」

「安心してくれよ、俺ぁそんなダサい男じゃねえ」

 起き抜けの褐色青年と交代して、それがしはやぐらの床に寝転がる。

 結局のところ、我々の感知できる範囲では夜中に黒幕が動くことはなかった。

 本当に何を考えているんだろう、敵さんは。

 釈然としない思いを抱きつつ、それがしの思考は闇に落ちた。

 

 

 

 目が覚めると、第一に聞こえてきたのは強面たちの慌ただしい声であった。

 もしかして、事態が動いたのだろうか。

 それがしは眠い眼をこすりながら、目を開けたまま意識を失っている褐色青年の背中を蹴飛ばし、険しい表情でやぐらの上から眼下を見下ろした。

 

「おうい、どうしたあ」

 大急ぎで槍を運んでいた若衆に声をかけると、彼は何所か困惑した面持ちでこちらへ振り向いた。

「ああ、オヤジ。起きたんだ。本陣の周りに黄巾の奴らが集まり始めててさ。今日お頭が三姉妹と話し合うってのは、連中にも知らされていることなのか?」

「黄巾賊が?」

 どういうことだろう?

 黄巾連中の注目を集めて黒幕へのけん制に使うというのは、そう悪い策ではない。

 ただそんな策を用いるのなら、先日の時点で我々に知らせてくれてもいいはずだ。

 あの如才ない上司殿が、この大事な局面で連絡の不備を見逃すだろうか?

 それがしはしばし考え、若衆に答えた。

 

「……とりあえず臨戦態勢。様子を見に向かおう」

「得物は?」

「一応、携帯。ただし黄巾賊が武器を持ち出さない限りは使用しないように」

「分かった。みんなに伝えておく」

 それがしは元気よく答えた若衆の背中を見送り、朝日にしみる目を細めては、ざわざわと三姉妹の天幕と我々の本陣を取り巻くようにして集結した黄巾連中の様子をじっと睨みつける。

 うーん、殺気立った感じではなさそうだ。

 多分、彼らも事情が良く呑み込めていないのだろう。

 判断に迷うな……。

 

「オヤジ、敵襲か?」

「それ、不寝番の言葉じゃないからな。お前さんは今日の晩飯抜きで」

「そいつはスジが通らねえよ。ひでえ!」

 悲嘆する褐色青年に「不手際の返上は仕事で返せ」と言い放ち、それがしはやぐらから飛び降りた。

 急ぎ強面たちを取りまとめ、黄巾連中を遠巻きに陣取る。

 

 彼らはざわざわとひしめき合い、本陣の様子を窺っていた。

「あっ。手前ら、何しに……、きやがったんだ?」

 我々の到着に気づいた黄巾の一人が警戒心をあらわに睨んでくる。

 だが、彼はこちらを睨んでくるだけで、ことさら食ってかかるつもりはないようであった。

 まあ、流石に武装した強面集団に喧嘩を売る度胸はないよなあ。それがしが彼の立場でも委縮する。

 それがしはいつも通りの低姿勢で、彼に事の顛末を問う。

 

「いえ、皆さんが玄徳様の天幕に集まっているのが見えまして。何かあったんですか?」

「……何もねえよ。ただ、天和ちゃんが玄徳ちゃんと話したいらしくて天幕に呼んだって聞いたから、こうして見物に来ただけだ」

「どちらから聞いたので?」

「黄巾の情報通から……、って何でそんなこと手前に言わなきゃなんねーんだ」

 うーん。

 もし上司殿が玄徳殿を守るために噂を流したのならば、「官匪の策略を打ち砕くため」やら、「三姉妹を守るため」などと大義名分を盛り込む気がするんだよなあ。

 それがしは小声で比較的強面ではない若衆の一人に「ちょっと上司殿に確認取ってきて」と命じると、ことの推移を注意深く見守ることにした。

 いや、多分これが異常事態なら上司殿もこちらに伝令送ってくださるとは思うんだけれども。

 しかし、本陣との連絡が繋がるよりも先に事態は大きく動いてしまう。

 

「お、玄徳ちゃんが出てきたぞ」

 にわかに活気づく声に従い、それがしも遠目で見てみると、玄徳殿が外の様子を窺うようにしてお姿を見せられた。

 ――ん?

 何やら、服装がいつもと違って見えるような……?

 

 一瞬の困惑の後、彼女が何を着ているのかに気づいたそれがしの思考がピキリと音を立てて凍りつく。

 ……ほとんど裸にしか見えない、ぴっちりとした衣服。

 でえんと強調された母性は、恥ずかしげに胸を隠そうとする腕の圧力を受けて、むにゅりと形を歪めており、何と言うかとても艶めかしい。

 むっちりとした太ももも「少しは隠して下さい」とこちらが赤面するくらいに露出しており、"すかーと"を模したひらひらの腰巻きは、あまりにも短すぎて本来の役割を果たせていなかった。

 それがしは震える。

 手足の網かけといい、あのギリギリを攻める股の露出具合といい……。形が丸わかりの母性といい……。

 あれは、あれは、あれは……。

 

「う、うわあああああああぁぁっ! た、たいまにんコスだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!?」

 ナンデ!?

 たいまにんコス、ナンデ!?

 天使のような笑顔の玄徳殿がしていい格好じゃないよ!!

 それはそれとして、むにょんむにょんむにょん。

 久方ぶりに見た母性は、むにょんむにょんむにょん。

 都でも名高いたいまにんコスと相まって、むにょんむにょんむにょん。

 それがしは前屈みになった。

 あれは、まずい……。

 それがしが前屈みになると同時に、黄巾連中も動き出す。

 

「げ、玄徳ちゃあああああああああああああああああああああああああああんっっ!!!」

 理性を失った野獣どもが玄徳殿の本陣へと殺到していく。

 慌てて本陣の近衛が人の壁を作って押し返そうとするも、何千何万という圧力を受けて瞬く間に押し込まれていった。

 まずい――、と思ったその瞬間、

 

「うわあああああああああああああああっ!!」

 第一陣を槍の一振りで蹴散らしたのは子龍殿であった。

 流石の武勇、多勢を鎧袖一触だ。

 たいまにんコスを見たことによる衝撃から覚めたそれがしも、彼女の奮闘を目の当たりにして号令をかける。

 

「野郎ども、玄徳殿を救え! 吶喊ッ!」

 強面連中から「応」と一斉に声が上がった。

 敵は武装をしていない、背中を見せているような連中だ。槍を捨て、強面らと陣形を組み、黄巾の人壁へと飛び込んでいく。

 黄巾を蹴散らし、蹴散らし、蹴散らして、まるで雪を溶かすようにして突き進む我らであったが、

 

「オヤジ! こいつぁ骨が折れるぜっ」

 そもそも本陣を取り巻く人の数が多すぎた。人壁の厚さが災いして、一向に本陣へとたどり着ける気がしない。

 この何時まで経っても終わらない感は、都の事務仕事を彷彿させる。

「オヤジ! 顔が真っ青だぞッ」

「お、お、おおお落ち着け。そ、そそそそれがしは正気だ!」

「説得力ねえよ!」

 そんなやり取りを交わしながら、それがしは本陣から吹き飛ぶ黄巾の数が減っていることに気がついた。

 ……まさか、子龍殿がやられてしまわれたのか……?

 不安がどんどん膨らんでいくが、本陣の様子を確認しようにも黄巾どものムサい背中が災いして、こちらからは全くうかがえない。

 あー、もう!

 

「オッサン、ロウハン! ここの指揮はお任せした!」

「副頭領、何を――」

 答えを聞き届けぬ内にそれがしは黄巾の背中に足をかけ、勢い良く上へと駆け上がる。

 "もぶ"たる身の上で敵の頭を踏み台にすることは難しいが、無抵抗の背中ならばどうということもない。

 それがしはひょいひょいと黄巾の背中から背中へと足場を移し、今までとは比にならぬ速度で本陣へと向かう。

 

「"それがし"! これは一体何が起きているっ!?」

 途中、元譲殿たちが配下に守られながら集団の中で立ち往生していたところに出くわしたが、

「申し訳ない。説明は後ほどっ!」

 と言って駆け抜ける。

 最早一刻の猶予も残されていないことが分かっていたからだ。

 それがしは視点が高くなったことで判明した本陣の様子を窺い、ごくりとのどを鳴らす。

 そこでは子龍殿と第六天魔王殿たちがすさまじい死闘を繰り広げていた。

 

「ぬぅぅぅん」

「ハァーッ!!」

 第六天魔王殿が獣の如く吠え、子龍殿が裂帛の気合いをもって迎え撃つ。

 翻る銀閃。

 徒手空拳と、槍の柄がぶつかりあっては金属のきしむ音を立てる。

 戦いの趨勢は、恐ろしいほどに拮抗していた。

 

「そこを退けッ! 玄徳ちゃんのおみ足をちょっとぺろぺろさせてくれるだけで良いのだッッ」

「受け入れられるか、そのような戯言!」

 幾たびも響く剣戟、いや槍肉の音。

「こちらは本気だ!」

「尚更悪いわあッ!!」

 恐らくは単騎のぶつかりあいならば子龍殿の勝ちも揺るがぬのだろうが、今や本陣は多勢に無勢のせめぎ合いに陥ってしまっている。

 特に第六天魔王殿と肩を並べて猛突撃を繰り返している昼青龍殿がヤバい。

 

「ハングリーせんしんみなぎるよ。昼様のぶちかましや!」

「また意味の分からぬことをっ!」

 それがしと席取りの諍いをしていた彼らが、まさかここまでの強さを見せるとは……。

 人は美少女にスケベなことをするためならば、どこまでも強くなれるということなのかもしれない。全く尊敬できねぇ。

 

 ともかく、早く子龍殿に加勢せねば!

 それがしは全速力で駆けに駆け、本陣めがけて跳躍する。

「玄徳殿ぉーっ!」

 おろおろと子龍殿の奮戦を見守られていた玄徳殿が、それがしの存在に気がつき、お顔を上げられた。

 

「子遠さん……っ!」

「玄徳殿!」

 宙にてくるりと体勢を整え、地上の位置関係を把握しながら落下する。

 落下予想地点は子龍殿と押し寄せる男たちの間。

 厄介な第六天魔王殿たちも色欲に目がくらんでこちらに意識を向けていないようであるし、うまくいけば不意打ちのけん制くらいもできそうだ。

 

 ん?

 むむむ。もしかして、今のそれがしはすごく"ひいろう"っぽいのではないだろうか。

 まさし君も"ひいろう"は遅れてやってくるものだと言っていた。

 ここは一つ、「待たせたな」とでも着地した瞬間言うべきだろうか……。

 

 それがしが何か格好よさげな体勢のまま悩んでいると、

 

 ――オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォ……。

 

 何やら、何やらおぞましい鳴き声が着地先に向かって何処ぞより近づいてきていることに気がついた。

 何だこの鳴き声は。猛獣か、魔物か、怪異の一端か?

 

「あ、ぴぎゃっ」

 バルバトスさんだった。

 

 ――オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォ!!!

 

 目の前に広がったバルバトスさんの巨体が、着地寸前だったそれがしの身体を撥ね飛ばしていく。

 再び宙へと舞ったそれがしは見た。

 つむじ風のように本陣をぐるぐると回り、周囲の黄巾賊をやたらめったらに撥ねていくバルバトスさんの姿を。

 お、おっかねぇ……。

 

「ぬう。あれなるは……、松風もかくやという名馬……。馬?」

 バルバトスさんのあまりの奮闘ぶりに度肝を抜かれたのか、第六天魔王殿が硬直する。

 その隙を逃す子龍殿ではなかった。

 

「強者の戦いで不用意な隙を見せるものではないッ! 食らえ、星雲神妙撃――ッ!!」

「ぬ、ぬわーっ!?」

 子龍殿の神速の連撃を捌ききれず、第六天魔王殿がそれがし同様天高く打ち上げられた。

 空中でそれがしと第六天魔王殿はすれ違う。

 

「"それがし"か。何故鳥のまねごとを」

「むしろ、第六天魔王殿は何故このようなうつけ事を」

「単純にぺろぺろしたかった」

「成る程」

 それがしは本陣へと落ち、第六天魔王殿は黄巾の群れへと落ちていく。

 地面へと激突する瞬間、ふにょんとした何かにそれがしの身体は抱きとめられた。

 

「子遠さん、大丈夫……っ?」

 それがしを抱きとめてくださったのは、玄徳殿の母性であった。

 あ、まずい。

 それがしは前屈みになった。 

 

「ぐわああああああああああああああああああああああっ!」

 同時に黄巾の連中から次々に断末魔の叫びがあがっていき、にわかに人波の圧力が弱まっていく。

 ついでに昼青龍殿も子龍殿にはたき倒された。

 一体何が起きているのかさっぱり理解できないが、とにかく、

 

「な、何故そのような破廉恥な格好を……」

「え、ええっと……。朝早く黄巾の人がやってきて、張角さんたちとのお話のときにはこの服を着るようにって……」

 それがしの問いに玄徳殿は顔を赤らめながら答えられる。

 やはり相当恥ずかしいようだ。

 

「どど、どうしよう。やっぱり元の服に着替えてから張角さんたちのところへ行った方がいいのかな?」

「そんな時間はないわ」

 逡巡する玄徳殿に、息を切らせて駆け寄ってきた上司殿がゆったりとした上着を放り投げながら言った。

 

「一度混乱した烏合の衆はよほどのことがない限り、元には戻らない」

「桂花ちゃん……」

「あいでででででででででっ!?」

 上司殿はぴっと人差し指を立てて、続けられた。

 

「でも一つだけ混乱を簡単に沈める方法があるわ。張角たちの使うという、"声を拡大する妖術"よ」

「えっと、それを使ってみんなに落ち着いてもらうよう頼めばいいの?」

「あいでででででででででっ!?」

 ところで、何故さっきからそれがしは上司殿に組み伏せられているのだろうか。

 以前に会得なさっていた投げ技と締め技を巧妙に組み合わせた、良く分からぬ奥義を受けつつ、それがしは苦痛でのたうちまわる。

 何故それがしがこのような目に。解せぬ。

 

「呉子遠。アンタが先頭を切って、桃香を張角のところまで送り届けなさい」

「は、はははははい!」

「ただし、守るにしても緊急時以外指一本桃香に触れないこと! アンタに傷ものにされちゃ、桃香が浮かばれないわ!」

「あの、私は別に――」

「良い、分かった!?」

 玄徳殿のお言葉を上司殿が大声で遮る。

 上司殿の命に、それがしは「はい」か「わかりました」で答えなければならない。この関係性は今後も変わることはないだろう。

 

「わ、わかりましたぞ!」

「良し、行って来い!」

「は、ははははい!」

 それがしは雄たけびを上げて、三姉妹の天幕への道に立ちふさがる黄巾どもを必死の思いで蹴散らしていった。

 

「玄徳ちゃあああああ――んっ! よくも手前玄徳ちゃんのやわ肌を――っ!」

「ちゃーんちゃーん、うるせえ、黙ってろ!」

 口から泡を飛ばし、飛びかかってくる男の顔に全力で拳を叩き込み、

「お前ー、お前――っ!」

「お前が何だ! 大陸言葉をしゃべれよっ!」

 上半身裸で飛び込んでくる男を、全力で蹴り飛ばし、

「な、何で、モブ兵が桃香に抱き寄せられ……、そういう需要ねえから! 計画が。胃が、胃が、心が、心が痛い……! タケダ・ヒロミツ時空か! ヒゲナムチ時空か!」

「大陸言葉しゃべれよう!」

 何か勝手に苦しんでいる男を投げ飛ばして、一気に好色漢の群れを踏み倒していく。

 だが、いかんせん黄巾の数が多すぎる。

 業を煮やしたそれがしは、このままでは玄徳殿を無事に送り届けられるか不安に思い、後ろを振り返った。

 

 すると、ばるんばるんばるん。

 女の小走りでばるんばるんばるん。

 上着で肩を隠しながらも、たいまにんコスで強調された母性がばるんばるんばるん。

 それがしは前のめりになりつつ、

 

「玄徳殿、ご無礼を!」

「えっ? きゃっ――」

 彼女のお姿を野獣どもの視線に晒さぬよう片手で抱き抱えた。

「ぐわあああああああああああああああああああああっ!!」

 再び断末魔の叫びが周囲から轟き、人波の圧力が一層弱まる。

 

「あ、あの。あの。子遠さん……」

 黄巾連中をちぎっては投げ、ちぎっては投げて天和ちゃんたちの天幕へと向かっていく途中で、肩に担がれた玄徳殿が恐る恐る声をかけてきた。

「どうなさいましたか!」

 それがしが黄巾連中の腕を振り払いながらそう返すと、玄徳殿がか細い声で続けられる。

「この、格好で……、抱きかかえられると、その……、今更だけど、恥ずかしくて……」

「これは思い至りませなんだ!」

 そのお言葉にそれがしはハッと我に返り、抱きかかえるのではなく、彼女を背負うようにした。

 その瞬間、

「ぐぅ……っ!?」

 それがしの背中に押し付けられる重圧。

 ひたすらに柔らかく、だというのにツンと張りがあって、

「ぬわあああああ!!!!」

 それがしは前屈の角度を深めながら、ただひたすらに天和ちゃんの天幕を目指した。

 

 行く手を阻む猛者に対しては、

「やっとおいついたぜ。若衆筆頭、ロウハン! 手前らをお頭に触れさせてなるもんかよっ!」

「おうおう、この廖化様が相手にしてやる。かかってきやがれっ!」

「趙子龍、推して参る! 子遠殿、面目ない。先ほどは情けない姿をお見せしたっ!」

 こちらも猛者を当てて対抗する。

 密にひしめく黄巾の壁も、愚連隊の面々にかかっては鍵のかかっておらぬ木戸と同じだ。

 ――オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォ……!

 やべえ、バルバトスさんが戻っていらっしゃった。

 宙高く撥ね飛ばされていく黄巾連中から目をそむけながら、それがしは玄徳殿の重みを背に受けて、一心に駆ける。

 

「あ、あの、私重くて。ごめんね?」

「あ、いや。軽うございますぞ!」

 実際、彼女は女の子だけあって驚くほど軽い。

 重たいのはほら。御飯が山盛りという意味の重たいで。

 ……長く、苦しい戦いであった。

 結局のところ、道中もっとも危ぶまれるのはそれがしの理性だ。

 果たして理性が続く間に、上司殿たちのもとへ玄徳殿を届けられるか――。

 それがしは静かな怒りを内に秘めながら、決して理性を失わないようにと努める。

 

 そうして、ようやく木柵で覆われた天和ちゃんの天幕へとたどり着き……、

「玄徳殿、後はお任せいたしますぞぉーっ!」

「……うん、分かった! 行ってくるっ」

 背を降りた彼女が天幕の中へと駆け込んだ瞬間、それがしの理性はぷつんと途切れ、その場に倒れこんでしまう。

 あ、いや。うつ伏せは、まずい……!

 大地の感触を下腹部に受け、

「あー」

 凄まじい解放感とともに、賢者の静寂がやってくる。

 うん。

 ……うん。

 

「ちょっと大丈夫っ?」

 崩れ落ちたそれがしのもとへ、心配そうなお顔をしてやってきた御仁があった。

 上司殿だ。え、上司殿?

 

「いや、上司殿は玄徳殿とご一緒に天幕の中へ……」

「倒れ込んでるアンタを見つけて、そんなことできる訳ないじゃない!」

 未だ四方八方で怒号が轟く中、上司殿のお言葉はとても凛とした響きをもって、それがしの心に染み入ってきた。

 でも、今はまずい。

 

「お手柄だわ、呉子遠。この騒動の中とにかく桃香を傷物にせずに済んだ。何処を怪我したの? 私に見せな……」

 それがしの傍らに膝をつき、介抱しようとなさった上司殿であったが、案の定というべきか怪訝そうなお顔で鼻をひくつかせていらっしゃる。

 

「何この臭い?」

「な、何でしょう」

「血でも汗でもないのよね。もっと違う生々しさが……」

 しばし首を傾げていらっしゃったものの、それがしの下腹部が上司殿の目に留った途端、彼女の表情がどんどんどんどんと険悪なものになっていく。

 

「もう一度問うわ。何、この臭い……」

 それがしは逡巡し、恐る恐る口を開いた。

 

「ここは一つ、心の汗ということで……」

「汗なわけあるかぁー! いやああああっ! 鼻から妊娠させる気なの、アンターっ!」

 言った瞬間、顔や耳を真っ赤にした上司殿によって水筒の水をかけられた。

 ああ、この水は。恐らく、それがしが傷をこしらえていたら洗い流そうとなさったのだろうなあ。

 申し訳ない……。洗い流すのが、その。アレが、その……。

 

「川! 川行って! 早く! ここにアンタの悪臭を残さないでっ!」

 ぐうの音もでねえ。

 それがしは立ち上がり、前屈みのまますごすごと川のある方へと歩き始めた。

 

『みんなー、暴れるのはやめてー。天和からのお願いだよー』

 妖術によって拡声された天和ちゃんのお言葉が、黄巾連中を鎮めていく。

 と併行して、周囲の連中の表情がいつも夜にかぎ慣れた青春の香りに気づいた者から次々に変化していった。

 うん、分かるよ。

 誰だって他人のそういうの、嗅ぎたくないよね。

 ……分かるよ。

 それがしは近隣の小川にたどり着くと、袴とふんどしを脱いで、涙ながらに洗った。

 


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