桃香ちゃんと愚連隊   作:ヘルシェイク三郎

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遅れました。長くなったので分割です。


第十三回 劉玄徳、成らず者を志す

「それにしても、風鈴先生が何でここに……?」

 劉備は解せないという風に首をかしげた後、すぐに自身が馬上の人であることに気がつき、慌てだした。

「あっ、ごめんなさい、馬上でっ! わ、わ、わ」

 転がり落ちるようにして馬から下りるその様は、一見無様にも見えかねないものであったのだが、不思議と侮蔑の理由には成り得なかった。

 さらさらとそよぐ桃色の短髪や、焦りで早くなっている息づかい、ふわりと持ち上がった金縁緑地の短袴など、およそ彼女を構成する全てのものがこの世にいる誰とも比べようのない、独特の存在感を振りまいていたからだ。

「おー……」

「劉備ってあんな髪短かったっけ?」

「おい、雑魚ども。注目するとこはそこじゃねえ」

 大の劉備嫌いを喧伝していたはずの剣牙たちですら、彼女の存在感に目を見開いて息を呑んでいた。

 ……いや、訂正しよう。

「めっちゃ……、ばるんてしてるだろうが……」

 彼らの目を引いたのは、別段彼女の存在感ではなかった。一体、何を凝視していたのかは些事であるため、この場においては捨ておこうと思う。

 

 彼女は。一体、彼女のような雰囲気を持つ人間を何と形容すればいいのだろうか。

 見た通りの印象からいえば不器用で、彼女一人では生きるのに苦労しそうだなと思う。

 如才なさとは到底無縁であり、頭の回転も速くはなさそうだ。

 では見目麗しいだけかというと、そうではなさそうな凄味がある。

 人という生き物の格を儒者の視点で分類することを私は好かないが、

 

「あれは――」

 徳者・仁者・礼者・信者・義者・智者。いや――。

 私は彼女を形容する言葉をほとんど無意識の内に模索していき……、最後に思いついた"ソレ"に胸がひどくざわめいた。

「あれは、"母者"……」

 そうではない。

 私は剣牙のいずれかに護身用の短刀を投げつけ、あらためて浮かび上がった言葉を脳裏より追い出そうとする。だが――。

 

 "王者"。

 彼女を一目見て、即座に連想したこの言葉を私は払いのけられずにいた。

 だって、そうではないか。何をせずとも、当然のごとくその場に在ることが受け入れられて、ただそこに在るだけで決して蔑ろにされることのなく、他者から一目置かれる存在を表す言葉を、私は"王者"以外に知らない。

 

「……あの子が討夷将軍の待ち人?」

「そうらしい。劉姓のようだが、知れた名ではないな。平民か」

 孫家の会話を耳にしながら、私はつぶさに彼女を観察する。

 彼女の纏う雰囲気は、果たして劉氏の、宗家の血脈の為せる技なのか? いや、易姓革命を経験しておらぬ長寿の王朝に、凡百の、卑俗な劉姓などごまんと存在する。つまり、生まれが彼女を形作ったわけではない。

 

「うーん。見た感じ、能力よりも人柄、的な? うちにはいない手合いッスね。華琳姉ぇ」

 華倫の言葉を反芻する。

 そう……、能力があるようには思えないからこそ、あのような尋常でない雰囲気を纏えていることが不思議であった。

 ただのお人好しでは侮られる。

 今の時代に"善良"という言葉は"愚か"であることと同義だ。

 "王者"とは我欲を捨て、私利を分け与える慈母のような存在であり、そうした人徳を信用されているからこそ、周囲の人々から敬われ、尊敬を勝ち取れるものだが、生き馬の目を抜く世にあって、"王者"が"王者"たらんとするためには、権力者としての地位や名声が必要となる。

 富に飽いた名家豪族から、ああいった手合いの者が生まれるのならば、まだ理解できた。

 でも、彼女のような無位無官が? 何故?

 

 彼女の人品を健やかに育んだ環境の存在。

 彼女という存在が世に現れることを許した時勢。

 恵まれた師。

 恵まれた友。

 恵まれた部下。

 いくつもの幸運が重ならなければ、彼女のような人間が生まれるはずが……。

 天命、という言葉が頭をちらつく。

 

「劉玄徳……」

 気がつけば、私は爪が肉にめり込むほどに、二の腕に爪を立てていた。

 

「バルバトスちゃん、大人しくしていてね?」

 もやもやと湧きだした悪感情を理性で押さえ込む。

 私は息を吐くと、劉備に撫でられた凶相の名馬を改めて見た。

 見れば見るほどに名馬である。

 そうだ、彼女の傍らにあのようなおよそ凡百からかけ離れた名馬があることが悪いのだ。……いや、果たして馬か?

 とにかく、凡百ならざる馬らしき何かを侍らせた存在が、凡百であろうはずがない……、そんな先入観が私の心に働いたのであろう。私の自尊心に楔を打ち込んでいるのであろう。そうに違いない。

 まだまだ自分は青いということであった。

 

 私に判断を誤らせた凶相の名馬は、不機嫌そうに蒸気にも似た灼熱の息吹を吐き出しながら、倒れ伏している鎧男を睨みつけている。

 

「えっと、先生に皆さんごめんなさい。まず、子遠さんの様子を見ても良いですか……?」

 劉備がちらちらと鎧男を心配げに見ながら、すまなそうに言ってくる。急な彼女の到来に凍り付いていた私たちも、彼女に許可を求められたことでハッと我に返った。

 

「え? ああ、そうね。怪我をしているみたいだもの。大事があってはいけないわ」

 盧子幹が答えると、劉備はほっと安心した顔を見せる。

「あ、ありがとうございます! ほんとに、遅刻したのにほんとごめんなさい……!」

 一直線に鎧男の介抱へと駆け出す彼女の後ろ姿を見守りながら、

「一体、道中で何があったのかしら……?」

 と子幹はしきりに首を傾げていたが、冷静さを取り戻した私は内心で答えを導き出す。

 先ほど、今際の際に鎧男は「必死に付いていっただけなのに……」と呟いていた。つまり、戦傷の類でない。事故だ。

 

 秋蘭が劉備の兵を指して、『奔放で粗野』と評していたことを思い出す。もしかしたら内輪でじゃれあった結果がアレなのかもしれない。だとすると、私たちとは違った民度で生きていることになるわけで世界が違うと感じさせる。

 

「大丈夫? 子遠さん」

 劉備は倒れ伏した鎧男の上体を抱き寄せて、心配そうに声をかけた。

 まるで母が赤子をあやすかのような姿勢は、端から見ても名画の如く目に映る。が、抱かれている男の鼻は赤子とは似ても似つかぬだらしない伸び方をしていた。

 

「ぐぉぉ、すっげぇ痛かった……。あっ、あっ、あっ。強いて言うなら母性の感触も相まって最高に幸福でありますが!」

「……母性?」

「それはさておき! 玄徳殿は大事な会談を控えておられるのですから、お気になさらず。今すべきことに集中しなくてはなりませんぞ!」

 劉備に抱き起こされた男は、さも知恵者然とした早口で彼女をたしなめる。鼻を伸ばす余裕があるあたり、見た目よりもずっと傷は浅いようである。

 頑丈さに舌を巻くと同時に、この男が呉子遠かと改めて気づいた。

 成る程、平凡そのものといった見てくれをしており、何処からどう見ても有能そうには見えない。もし文官服でも着ていたならば、裏通りで金づるとばかりに無頼漢がこぞって声をかけにきそうだ。

 だが、見た目通りの人間でないことは既に秋蘭たちから聞いていた。

 そんな有象無象を装う呉子遠を、主たる劉備がじっと見つめる。

 

「子遠さん」

「はい、何ですかな?」

「えっと……、この前みたいに"真名"で呼んでくれないの?」

 物憂げに劉備が言うと、抱かれたまま格好を付けていた子遠がピシリと凍り付いた。

「そ、そそそそそれはですな……っ」

 子遠は顔を真っ青にして、慌てて飛び起きた。

 そしてそのまま表情に影を落とす劉備と、不機嫌そうに蒸気を吐く名馬を交互に見ている。

 名馬からの圧力が増し、子遠が短い悲鳴をあげた。

 どうやら、何かを心中で天秤にかけているようだ。

 というか、あの蒸気は生き物が出して良いものなのだろうか……?

 

「……それがしは相変わらずだな」

 彼女らのやりとりを見ていた中で、秋蘭が漏らしたその言葉を私は聞き逃さなかった。

「随分と嬉しそうね」

 秋蘭にしてみれば、願わくば自分の部下にとすら考えていた男である。逃した魚を惜しむでもなく、こう優しげな言葉が口から出てくることが不思議であった。

 秋蘭は目を弓なりに細めると、苦笑いを浮かべる。

 

「いえ、少なくとも主君に大事にはされているようですから。もう"巡りあい"に物を申す無粋はしません」

「ふうん?」

 巡りあい。

 確かにあの子遠という男は劉備に真名を許されるほどには大事にされているようだ。では何故、子遠自身が彼女に真名を許していないのかという疑問は残るが、少なくとも都の、人を人とは思わぬ職場に比べて彼を取り巻く現在の環境が別天地であることは疑いようがないだろう。

 そんな別天地に生きる子遠が意を決したかのように拳を握りしめる。

 そして、先ほどまでの知恵者然とした振る舞いからうってかわって、たどたどしい調子で真摯に言葉を絞り出した。

 

「あの、それがしのことはお気になさらず。と、ととと桃――」

 と二人が妙な空気を漂わせ始めたところで、

「んお?」

 桃色の空気を斬り裂くようにしてヒュンヒュンヒュンヒュン、と一本の飛来物が子遠に向かって何処ぞより飛んできた。

 

「……"(とう)"?」

 目を見開いた子遠が見つめる方を、釣られて見る。

「……何かしら?」

 先ほどは人が飛んできた。

 蒸気を吐き出す、馬らしき何かも飛んできた。

 もう、この期に及んで石でも槍でも、何が飛んできたとしても驚いてやるものかという心積もりで、私は赤らんできた空を見上げて目を凝らす。

 西日を受けたソレは、金属色に煌めいていた。

 規則的に円運動を続けていた。

 緩やかな弧を描いて、降下。そして、すくい上げるように子遠の膝を狙って滑空した。

 ん、膝?

 

「ヒエッ!?」

 色を失い、間一髪というところで子遠が飛来物を跳び退いてかわすと、ソレは瓦が敷かれた回廊を支える、極彩色に塗られた柱の一本にッターンと深々突き刺さった。

 持ち手以外は柱の中に埋まってしまっているため良く分からないが、あれはどう見ても鋸である。

 鋸であった。

 

 はて、鋸とはああもたやすく柱に突き刺さるものだったか……。

 何処からあれは飛んできたのか。刺客か? 刺客なのか?

 ころころと急転する今の状況は私の頭脳をもってしても、事態の把握が難しい。が、当事者たる子遠はこの状況をかなりの確度で理解できたようであった。

 顔を真っ青にして、まるで華南か都あたりで全財産を溶かした商人のようにガクガクと体を震わせている。

 そして、恐る恐るといった様子で鋸が飛来してきた方向へと目を向けた。

 

 再び騎馬の駆ける音。程なくしてそれは下馬した大勢の人間が足早にこちらへと向かってくる音に取って代わられる。

 庭先に姿を現したのは、見るからに柄の悪そうな男衆であった。

 

「お頭ぁ!」

「あ、みんな!」

 一瞬、今度こそ無頼漢がやってきたのかとも思ったが、ぱあっと嬉しげに呼びかける劉備や今回の会談を設定した秋蘭が特に何も反応を見せていないことから、私は警戒心を引っ込めた。

 頬に傷のある大男。浅黒い肌の青年。他にもやけに年若い者が多く見えるが、いずれも歴戦の凄みを感じさせる。

 良く言えば豪傑の集まり。悪く言えば場数を踏んだ山賊に毛が生えたような集団。そんな彼らが劉備を主にと仰いで庭先に整列している中を、集団にそぐわぬ華奢な少女が割って出てくる。

 

「桃香、無事!?」

「桂花ちゃん! えっと、私は何ともなくて……、むしろ子遠さんの方が……」

 桂花とは恐らく真名を指すのであろう。獣耳を模した頭巾を揺らし、少女はボロボロでガクガクと震えている子遠を睨みつける。

「ヒ、ヒエッ」

「……フン、どうやら無事のようね」

 相思鼠色の上着についた砂埃をぱんぱんと払いのけ、彼女は当然のように劉備の隣に並び立った。気のせいかも知れないが、一瞬劉備が「ちぇっ」と残念そうな声を漏らしたことが少し気にかかる。

「フム」

 突如現れた彼女は果たして何者で、二人はどのような関係なのだろう?

 真名を互いに許しあっていることから、信頼の置ける間柄であることは間違いない。ただ、それだけの単純な関係でないようにも見える。

「あの、上司殿……? 今の投擲術は一体……」

「この間、子龍に習ったのよ」

「やっぱりかー……」

 確かなのは、劉備の手勢において彼女は子遠よりも高い位置にいるであろうこと……。ああ、成る程。

 私は半ば彼女の正体に感づきながら、確認を兼ねて声をかけた。

 

「アナタは?」

 私の呼びかけに、少女は居住まいを正し、じっとこちらを見つめてくる。

 その所作の端々には私に対する敬意が透けて見える……、私のことを見知っているのかもしれない。しかし、敬意とともに彼女の瞳には人品を見定めようとする不敵な意志も見え隠れしていた。

 不遜ではあるが、物怖じしない態度がむしろ清々しくすら感じられる。前評判の信憑性が増した。

 

「……荀文若と申します。曹孟徳様。お会いできて光栄です」

「道理で」

 彼女は、剣牙たちの予想では私の幕下に収まるかもしれなかった少女だ。確かに私のもとで辣腕を奮っていてもおかしくない才気が彼女からは感じ取れる。自分に絶対の自信を持っているであろうあの強気な目つきも、私の好みと合致していた。

 器用ではなさそうだが、頭の回転は速そうである。それも図抜けて――。

 劉備と違い、その人の価値が分かりやすく、心が洗われるような心地すらした。

 当然のように、手元に置いて愛でたいという欲求が沸き上がる。が、恐らくは叶わぬ願いであろう。都で"王佐の才"とまで謳われた彼女が今、誰の隣に並び立っているかを考えれば、自明の理であった。

 

「え、も、孟徳殿?」

 私たちのやりとりを聞いていた子遠が意外そうに目を白黒させる。信じられないといった顔だ。

 彼は私の傍らにいる秋蘭や春蘭を見て、さらにこちらへと目をやる。

 何だろう?

 私が首を傾げる中、彼は何処かを注視しようと目を動かし……、何故か寸前に自分で自分を殴りつけた。

「えっ?」

 私が驚き、声を上げると、彼は気にするなという風に涙目で返してきた。頬の腫れ方が尋常ではない。本気で、自らを殴ったのだ。何故。

 

「お気になさらず……! 自戒と自衛の一環なのです!」

 何が何だか良く分からないが、彼が変人であることは疑いようがなかった。ただ、秋蘭と文若が殺気の混じったまなざしを彼に向けていることから察するに、彼女らには彼の魂胆が理解できたようである。後で聞いてみるのもいいかも知れない。

 この無茶苦茶なやりとりに、何故か私はまさしが「ついんてどりる」なる言葉を口走った時と同じ、ほのかな愉快さを感じとった。

 

「とにかく」

 文若は咳払いをし劉備に目配せすると、庭先に集まった者たちに向けて、朗々と自分たちが遅刻した理由を語り始める。

 

「まずは会合に遅れてしまったことを謝罪いたしたく。それと同時に皆様にはお願いしたい儀がございます」

「遅刻した上で、願い事? 随分と面の顔が厚いように思えるが」

 孫家の知恵者、張子布が眉根を寄せて口を挟む。が、文若は別段堪える素振りも見せずに続けた。

 

「そも、我々が会合に遅れた原因は此度の"下手人"を追いかけていたことにあるのです」

 庭先に集った一同の間に緊張が走った。

「今朝方、我々は"下手人"の襲撃を受けました。襲撃自体は死闘の末に撃退することができましたが、お恥ずかしながら肝心の敵を捕り逃してしまったのです」

「襲撃……」

 顔色も変えずに語る文若に代わって、頬を腫らした子遠が何とも言えない顔つきで目をそらしたのを私は見逃さなかった。二人の態度の差を見るに、嘘偽りではないが正確な話ではないということなのかも知れない。

 私は情報を少しでも引き出すために、文若よりも脇の甘そうな子遠に向けて問いかけることにした。

 

「ねえ、アナタ。確か呉子遠と言ったわね」

「え、あれ? 何故それがしを……。いや、うーん。ああ? はいはい。成る程。それで何かご用でしょうか」

 彼はこてんと首を傾げ、一瞬呆けて、すぐに合点のいった顔を見せる。

 勝手に疑問を抱いて、勝手に自己解決するところは前評判に聞いたとおりだ。

 恐らく、彼のこの個人で完結してしまう物の考え方は、都での勤務経験が作り上げたものなのであろう。他に頼る者がいなかったからこそ、自分で何かを考え、自分で答えを出して、答えの是非はさておいても、とりあえず前に進んでしまうことが癖になってしまっているのだ。

 部下としては手も掛からず、それなりに有能だが、こういった手合いは一転して自分が一団の長になると途端に無能を晒す恐れがある。

 彼の上司は彼が人を正しく使えるようになるまで、危なっかしくて目が離せないだろうな、と少し同情しながらも私は続けた。

 

「文若の言う下手人とは此度の騒動の首謀者という理解でよいのかしら?」

「あー……、はい。"罪のない"旅芸人の姉妹を慕う民草を、"結果として"騒動が起きそうなほど煽っていたという意味では、そうですな」

 "罪のない"のくだりは、秋蘭を通じて口裏を合わせていたものであった。本来ならば管理責任を問われかねない旅芸人の三姉妹が被るべき罪を、何とかうやむやにせんがための小細工だ。

 私としても三姉妹の人心を集める歌唱能力には注目しており、彼女らを助け恩を売ることに異存はない。

 が、"結果として"とはどういうことだろう?

 三姉妹が負うべき罪を下手人に被せねばならぬところに、こうしたうやむやな物言いはいかにも拙い。

 

 まさか甘さ故に下手人にすら情が湧いたか?

 それとも下手人が助けるべき価値のある英傑であったか。

 こればかりは、自分の目で下手人を見てみないことには話が進まない。

 私は更に問いかけた。

 

「アナタたちは襲撃を受けたのでしょう?」

「んー、襲撃と言いますか、仕官と言いますか、逆恨みとでも言いますか。何というか……」

 要領を得ない。質問を変える。

「……下手人はどのような人物だったのかしら」

「悪し様に評すれば軽佻浮薄。考え無しに好き勝手する輩とでも言い表すのがしっくりくるかとは思います。ただ、うーん……、その」

「その?」

 子遠は逡巡し、自身の考えを探るかのように言葉を選びながら紡いだ。

「まさし君を……。ああ、いえ突飛ではあるが根っからの悪人ではなさそうな気配を感じたのです」

 彼の戸惑いは全て理解した。無論、呉子遠という人物も。

 

「――それは保護すべきね」

 私が真顔で言い切ると、何故か秋蘭と文若が「嗚呼」と天を仰いだ。

 

「あの……、その、孟徳様……?」

 恐る恐るといった風に語りかけてくる文若に私は微笑みかけた。才ある者の言葉は、私にとって千金に比する価値がある。

「何かしら」

「いえ……、お願いしたい儀とは我々だけでは下手人を討伐するのに戦力が足りず、ご助勢をいただきたいといった内容だったのですが……」

 少し考えを巡らせて、私はこの提案に頷いた。

 

「確かに保護するのにも、心を挫く必要があるか……。良いでしょう。我々も兵を出します。華倫?」

 言うが早いか、私はすぐ後ろに控えていた華倫を呼ぶ。

 

「ん、与力はあたしスか。華琳姉ぇ」

「ええ。悪いけど、急ぎ駐屯所へ戻り、兵を率いて劉備の兵に協力なさい」

 華倫は私の言葉を反芻するようにしてうつむき、何事かを考え込み始める。

 

「あの、孟徳様……。保護ではなく、討伐でして……」

「ん、了解ッス」

 彼女は腹心の中では数少ない、私の意図を正確に理解して迅速に行動に移せる人物だ。また、群を抜いて人当たりもまさし当たりも良い。

 春蘭では細かい機微まで理解できず、剣牙たちでは劉備勢と揉める恐れがある。更に秋蘭はこの場の責任者の一人であり、今動かすと差し障りが出る。適性で選りすぐっても、消去法で選んでも彼女以上の適役はいなかった。

 

「近侍の、足の速い騎馬隊をお借りしても良いッスよね?」

「ええ。アナタの才覚で自由に兵を操ることを許しましょう」

「かしこまりーッス」

 自らのすべきことを完全に理解した彼女は、まさし仕込みの"敬礼"をとって、会談の場より去っていった。

 去り際に各勢力に対し、手短な挨拶をしていく人当たりの良さは、私には持ち得ない彼女だけの才覚なのかもしれない。「捕り物……。じゃあ、私もお暇させてもらおうかしら」と追従しようとする孫伯符の脳天で高鳴る木簡の打突音は、この際気にしないことにする。

 

「さて……」

 私は子遠をじっと見つめる。

 本題はここからであった。

「な、何のご用でありましょうか」

 幾分警戒しつつもこちらを窺う子遠に対して、私は誠意を込めて微笑みかけた。

 私は老若男女問わず、すべての才ある者を愛している。私の価値基準に従えば、彼もまた才ある者であった。だが、それ以上に"同志"だ。間違いなく。

 

「……上田合戦の功労者は?」

 私の試すような問いに対し、彼は間髪を置くこともなく冷静に返す。

「んんっ、第一次ですかな? それとも第二次ですかな? いずれにせよ真田。いや、引っかけでYAZAWAという可能性が……、ハッ!?」

 子遠は驚きのあまりか口をあんぐりと開けたまま硬直した。

 私はゆっくりと、力強く頷く。

 やはりだ。

 やはり彼には私と同じものが見えているようであった。

 子遠は、何かに耐えるようにして下唇を噛みしめ、やがて私に向かって、手を伸ばす。彼の両目からは大量の涙が流れ出していた。

 

「おお……、おお……! この知識はまさしく真田丸、まさし君の……、おお……っ!」

 ともすれば崩れ落ちそうになっている彼に近寄り、私はその肩をそっと抱き寄せた。

 

「ヤマモトカンスケは?」

「う、ひっぐ……、実在、しなかったのですぞ……!」

 見解の一致。心が晴れ渡るようであった。

「川中島の戦いは?」

「ひっぐ……、領土は取れても……、得難い人材を失ったのですぞ!」

 典厩という実弟を失った信玄の気持ち、いかばかりか。わたしにとっては春蘭や秋蘭、華倫や栄華を失うようなものだろうか? 想像するだけで、胸が張り裂けそうだ。

 それにしても、子遠のこの喜びようは……。

 私は哀れに思って、優しく語りかけた。

 

「そう……、アナタには近くに理解者がいなかったのね。アレを正しく理解できる者は、この大陸にはほとんど存在しないから……」

 そして彼は今、この大陸に数少ない理解者と出会うことができた。

「でも、私は理解できる」

 胸に手を置き、誇らしげにそう返す。

「おお……!」

 私は大いに気を良くして、北郷へと目を向けた。

「そして、北郷一刀。彼もまた、まさしを知るものなのよ」

「おお、確かに……!」

 子遠の声が喜びに満ち溢れる。しかし……、

「あー……、ここで俺かあ」

 何故、北郷は他人ごとのように振る舞っているのだろう?

 

「そういえば……、秋蘭の言からすると剣牙たちも北郷と同郷であったのよね……。ならば、まさしを知っているのかしら」

「け、剣牙殿! 音に聞く、あの剣牙殿でありますか! するとここには"その二"も、"その二"殿もいらっしゃるのですかな!?」

「人を"その二"呼ばわりするんじゃねー!」

 剣牙たちの中から二人分の抗議の声が上がる。

 その反応に、子遠はとても嬉しそうにしていた。

 

「おお、おお……。一目だけでもと会いたかった者に出会えた……。是非ともお気持ちを伺いたい。何と言いますか、人の縁を感じますぞ……」

 私は頷く。

 まさしと出会った当時、こんな素晴らしい知識を理解できる私は、やはり特別な存在なのだと確信した。

 だとするならば、いま目の前にいる彼も特別に違いあるまい。そして、北郷も。

 今この瞬間、我々の絆はここにいる誰とよりも深く繋がったのだ。これは実にすばらしいことであった。

 と、多幸感に包まれていた私のひとときに水を差すようにして、

 

「……変態の話は時と場を弁えなさい!」

 ドスの利いた声が子遠を私より引きはがす。

 文若である。

 私は興が削がれた不快感に眉をひそめた。

 

「変態? 無論、私とてまさしが変人であることを否定はしないのだけれども――」

 折角の"同志"との語らいを、無理解によって阻まれるというのは面白くない。

 彼女の、先ほどまで才ある者の強気で好ましいと思っていたまなざしが、途端に頑迷な色眼鏡に見えてきてしまう。

 人というものは、心の持ちようによって世界の見え方が変わってしまうということに、私は今更ながら気がついた。

 そうして、文若の頑迷さをなじる言葉が百通りほど思いついたところで、

 

「もう! 今日は喧嘩するために集まったのではないのでしょうっ?」

 と盧子幹が険悪な空気を何とかしようと割って入った。

 そうであった。

 今日の本題は、まさしについて語ることではなく、あくまでも黄巾賊の後始末を会談することにあったのだ。

「北郷さん。お話は東屋(あずまや)でするわけではないのよね?」

 先ほどまで空気に徹していた北郷は、ぶんぶんと大きく頷きながらも盧子幹の問いに答える。

「はい、はい。そうです! あの、公孫サンさんと俺たちで大きめの僧坊を片づけてありますから、そっちに移動しましょう。公孫サンさんも待ってます」

「はい、満点花丸をあげましょう! じゃあ、皆。お話をする場へと移りますよー」

 盧子幹と北郷、この場の空気を切り替えという思惑の一致した二人が、矢継ぎ早に畳みかけていく。

 無論、その提案に否やと唱えるほど理性のない者はここにおらず、ぽつぽつ皆が呼応していった。

 

「はい、じゃあ俺が先導します。ついてきてください!」

「ええ、お願いね?」

 目的地への移動を始まり、極彩色の回廊をぞろぞろと皆が並び歩く中で、私は一人ため息を漏らした。

 ……どうにも、今日の私は調子が悪い。

 こうも簡単に冷静さを失ってしまうなど、全くもって私らしくないというのに……。

 私は、私が私らしくなくなった原因にちらりと目を向ける。

 彼女は何故かやたらに意気込んでおり、「頑張るぞい」と子遠や文若と戯れていた。

 

 

 

 それがし、針のむしろの連続で滅茶苦茶胃が痛い……。

 

 先ほど孟徳殿と意気投合してしまったのが、そもそものケチのつきはじめだと思うのだが、一体何が悪かったのだろうか。

 回廊を皆とぞろぞろ歩いていた時には、上司殿から「アンタ、孟徳様に寝返るつもりじゃないわよね?」と鬼の目でわき腹を小突かれて、玄徳殿には「もう一緒にいられないの……?」と、涙目で衣服の裾を掴まれ、正直気が気でなかった。

 

 流石に上に立つ者への好感度だけで、ほいほいと所属を変えたりはしないよ、それがし……。すぐに所属を変える者は、転職の面接でひたすらなじられるのだ。それがしは詳しいのである。

 いや、実を言えば、確かに孟徳殿のことは希有な御仁だと思った。素晴らしいお人だと思われた。

 だって、まさし君について共に語り合えるのである。これは非常に大きい。

 大きいと言えば、小振りな割に何故か大きな母性が感じられたのにも大層驚かされた。

 一瞬、自分を抱きしめているものは小さな母性ではなく、よもや大きな臀部なのではないかと疑ったほどだ。臀部に抱きしめられる……。自分で言ってて、何言ってるかわからんな……。

 確か、ああいう居心地のよさを"ばぶみ"というのであったと記憶している。まさし君はやっぱり言葉を知っているなあ。

 

 とにかく、それがしの好感度を表にしてみるならば、以下のようになるだろう。

 

【玄徳殿】

それがしに対する優しさ……天元を突破した太陽の如く柔らかい

母性……広大な大洋の如く柔らかい

それがしの好感度……紛うことなき我が主柔らかい

 

【孟徳殿】

それがしに対する優しさ……ゆりかごの如きばぶみ

母性……さながら臀部の如きばぶみ

それがしの好感度……かけがえのない我が同志ばぶみ

 

【上司殿】

それがしに対する優しさ……三国一素晴らしいの一言(絶対に服従する所存であります)

母性……三国一の美少女軍師に相違ない(絶対に服従する所存であります)

それがしの好感度……上司殿への服従は絶対遵守事項なのであります

 

 

 以上を鑑みれば、それがしが玄徳殿のもとを離れるなどあり得ないのである。あと上司殿も怖いし。あのわき腹の小突き方、的確に急所をごりごりしていてほんと痛かった……。

 それにしても、初対面の孟徳(ばぶみ)殿に対し、話があっただけで「かけがえのない我が同志」って、それがし少しちょろすぎない……?

 そんな生来のちょろさがにじみ出ていたのだろうか。それがしがいくら「誤解でありますぞ。弁解の機会を!」と主張しても、玄徳殿たちの猜疑心は中々払拭できなかった。

 

 まさし君曰く、多数の"ひろいん"が猜疑心を抱いた状態を、"爆弾が並んだ状態"と呼ぶらしい。

 誰かの"爆弾"を破裂させると何故か他の"ひろいん"にまで嫌われてしまうようで、「やはり、ヤンデレ幼なじみはコスパ大正義やな。バイノーラル最高なんやな」と強く主張していたことを、昨日のことのように覚えている。

 何で幼なじみだと大丈夫なんだろう。というか、まさし君って幼なじみいたのかなあ……。

 

 とにかく、"爆弾"を破裂させぬ為には"ひろいん"のご機嫌を取らなければならない。姫様に接するかのごとく、(かしず)かなければならない。

 だから、それがしは道中、もう必死にお二人に対し忠節を誓った。

 お二人の魅力を、西王母のような古代神話を引き合いに出してただひたすらに熱く語り続けた。

 こうしてようやく上司殿の機嫌が直り、玄徳殿のお顔に笑顔が戻られ、ようやく人心地がついて「よおし、これからがんばるぞい」と会談に臨んだところで、

 

「皆さんごめんなさい! 私たち、軍功は要りません! 天和ちゃんたちが罪に問われないなら、後は皆さんで調整してもらえればなーって、思います!」

 次なる"爆弾"が会場の下座より投下されたのだ。

 ……ちょっと待って、それがしまだ心の準備ができていないの!

 元は名のある高僧が住んでいたであろう、白壁と木目色の柱で作られた落ち着いた一室に可愛らしい玄徳殿のお声は実に良く響いたものであった。

「は?」

 席を囲む参加者の低いお声もまた、実によく響いたものであった。

 西日よけにと窓際に吊るされた白布が、外から迷い込んできた風を受けて、ゆらゆらと揺れる。

 下座を立って、深く頭を下げる玄徳殿の短袴もひらひらとしておられる。

 白布の前に直立していたそれがしは、「ああ」と嘆いて天井を仰いだ。

 

 玄徳殿は真心に溢れたお方ではあるが、いかんせん口が上手くない。何事もまず、大事だと思ったことから口にしてしまう。

 つまり、脈絡というものが欠けやすいのである。

 恐る恐る見回してみると、参加者一同は皆が皆一様に目を見開いて絶句しておられた。

 

「劉備さん……?」

 席順の近い北郷殿。その補佐として壁際に起立している関雲長殿、諸葛孔明殿はこちらの発した言葉の意図を測りかねておられるようだ。

「えっと、桃香……?」

 公孫伯桂殿。壁際組の趙子龍殿。このお二人は、話が違うという困惑がありありとお顔に出ておられた。

 孫伯符殿は……、あれ? 何時の間にやらいないぞ。張子布殿が頭を抱えておられるあたり、何かあったのかも知れぬ。

 上座の盧子幹殿は驚きつつも、静観。

 次席の孟徳殿と傍に控える元譲殿、妙才殿は――、

 

「おい、それがし」

「は? え、あいでででででででででっ!?」

 気づけば、それがしの頭は間合いを詰めてきた妙才殿によって小脇にすっぽり抱え込まれてしまっていた。

「……話が違うよな? 絶対違うよな? 私の苦労は水の泡か? 無駄だったのか? んん?」

 的確にこめかみをぐりぐりとされて、ひたすら痛い。いや、痛さの中に、耳のあたりから感じる柔らかさがあり、とても矛盾した快楽を感じる。

 

「桃香ちゃん、あなたのやったことは人に評価されて然るべきものだと風鈴思うのだけれども……、ご褒美だってもらえるのよ?」

「はい! でも私……、決めたことがあるんです」

 上座の子幹殿と下座の玄徳殿が静かに見つめ合う中、壁際族のそれがしも、ちらりと横目に見える妙才殿の豊かな母性に抗おうとしていた。否、ちらちら見ようとしていた。

 だって、これは抜け出せぬ。痛いけれども、抜け出せぬ。

 そんな煩悶から解放してくださったのは、いつものように頼れる上司殿である。

 

「……ちょっと放してくれない? 夏侯妙才。今から事情は話すから」

「ムッ」

 名残惜しき感触から解放された後、それがしは上司殿に引っ張られ、尻を抓られつつも玄徳殿の席へと近づく。

 

「桃香」

「う、うん」

 気持ちが先走っている玄徳殿を、上司殿は見守ることに決めたようであった。

 玄徳殿は大きく深呼吸し、席を立ちあがっては会場の皆に宣言される。

 

「私、"商人"になろうと思うんですっ!」

「はあっ!?」

 これには何故か剣牙殿御一行がぎょっとされる。何だろう……。彼らの様子は当てが外れたというか、出鼻をくじかれたと言った風にも見える。

 

「ちょっと待ってくれ、桃香。商人って物を売り買いする、あの商人か?」

 まさかと念を押す伯桂殿に、玄徳殿は決意を込めた表情を返される。

「そうだよ、白蓮ちゃん! 私、"みんな"のためにこの大陸をまたにかけた商売をやってみたいの! だから……、本当にごめんなさい!」

 シンと沈黙が会場を支配した。聞こえてくるのは、ただ風にそよぐ衣擦れの音だけである。

 彼女らの困惑は、それがしにも良く分かった。

 何故なら、商人とは要するに利をひたすらに追い求める存在という社会通念があるからだ。

 ただ富と権勢を求めるならば、ここで軍功を足掛かりとして官職をもらっておいた方が明らかに得である。

 上手く県令以上の官職を得られれば、税の徴収権だって自由に行使できるのだ。ぽっと出の商人などでは得られぬ安定した収入が得られるというのに、それを玄徳殿は蹴ると仰った。そして何故か、頭を下げてすらいる。

 理屈が合わない。損をしてまで、我々に何を求めているのか。そういった顔を、皆がしておられた。

 

「おい、俺じゃない方」

「何だよ、俺の偽物」

「……こんなルートやったことあるか?」

「知るか、馬鹿。原作から外れたんじゃねーの。誰かさんのせいで」

「お前のせいか」

「お前のせいだろ」

「お前ら喧嘩はやめろよ。……んで、どっちが剣牙なの?」

 壁に背を預けて、一様に絵になる仕草を保っていた剣牙殿御一行は、釈然としない面持ちで神速の殴り合いを始められた。おお、こうなるのか。まあ、(互いが自分を元祖と思っていれば)そうなるよなあ。

 

「劉玄徳――」

 それがしが剣牙殿たちの戦いの行方を眺めていると、孟徳殿が鋭い目つきで口を開かれた。

 まるで挑むような口ぶりだ。

 最早、和やかに会談を行う雰囲気ではない。彼女は静かに席を立ち、ずかずかと玄徳殿へと近寄り、上背のある玄徳殿を睨み上げた。

 

「今日の会談は、各自の功績を確定するためのものだった……。それはひとえに今後の政治的な関係を調整したかったからではなかったの?」

「……はい、勿論私としては皆と仲良くできたらと思っています。でも、手柄は要らないんです。だって――」

「協力とは……、互いに利害が一致して、はじめて成立するものでしょう」

 孟徳殿はかぶりを振って、玄徳殿のお言葉を遮る。

 

「それは何故か? 利害によって相手の出方が明確になるからよ。協力すれば、得になる。翻意を決めれば、損をする……。楔を打たぬ協力関係など、誰が信じられるものですか。皆が同道している時に、一人だけ損得抜きでつきまとう者に対して、私の抱く感情は一つのみよ。つまり――、胡散臭い(・・・・)

 一気にまくしたてる孟徳殿のお顔は、先ほどそれがしに見せた慈母の如きソレとは一線を画した激しいものであった。

 延々と殴り合っていた剣牙殿たちですら、息を呑んで黙ってしまうほどの圧力を孟徳殿から感じる。誰だ、ばぶみとか言った奴は。すごい怖いぞ。

 

「えと、えと……、ほんとに私たちには手柄が必要ないんです。だって、その方が"みんな"にとって、天下にとって良くなるはずだから――」

「"みんな"。"みんな"、ね……」

「あの、孟徳さん!」

 孟徳殿は冷たい声で呟き、玄徳殿の呼びかけを無視しては子幹殿へと向き直る。

 

「……どうやら、劉備は今回の手柄をこの場にいる"みんな"に譲ってくれるそうよ。功を出し抜かれたのは業腹だけれども、彼女が手柄を要らないというのならば、それを否定することもないと思うわ。どうかしら、将軍」

「ええっと……」

「北郷も伯桂もそれで良い?」

 子幹殿が困ったように頬を撫でている間にも、孟徳殿は自らが主導して北郷殿や伯桂殿へ同意を求める。

 もう完全に、玄徳殿をいない者として扱う腹積もりのようだ。

 

「みんな、ごめんなさい……」

 ううむ、胃が痛い……。我々と会談参加者の距離が遠ざかっていくかのような錯覚に陥る。

 何がきついって、"多分こうなるだろうと予想していた"からこそ、玄徳殿のお気持ちが伝わってきてしまうのだ。

 今朝がたのことを、それがしは思い起こす。

 大商人、張世平殿との駆け足の交渉を終えて、この地へと戻ってきた直後のこと。

 騒乱の首謀者たる馬元義殿と刃を交わす前のことである。

 

『はっきり言って、今からだと無礼は避けられないわ』

 と、前もっての打ち合わせで上司殿は利害関係に厳しい孟徳殿が気分を害される可能性を示唆しておられた。

 故に一案として、参加者のお気持ちを逆立てないよう、徹頭徹尾に弁の立つ上司殿が名代として演説することも考えてはいたのだ。

 だが、玄徳殿はあくまでも自分の言葉で決意を表明したいと仰られた。

『でも、筋が通らないから。本当なら私が率先して謝らないといけないんだよね?』

 それがしは玄徳殿の口から、「スジが通らぬ」などという乱暴な言葉が出てきたことにまず嘆いて、次に彼女の決心を大いに褒め称えた。

 何故なら、彼女にとって今回の会談は終点ではないからだ。いや、そもそも出発地点ですらないのかもしれぬ。

 大した意味がない、とは言い過ぎかもしれないが、玄徳殿の気持ちの整理さえつけばそれでいいのだ。

 だから、謝って気が済むのならばそれで良い。

 もう、我々のすべきことははっきりと定まっているのだから。

 

 我々がこの場に出席したのは、あくまでも謝罪をするためなのだ。

 孟徳殿や、伯桂殿に対して、前もって詰めた協力関係を突然反故にしたことへの謝罪である。

 本当ならば、関係者が動き出す前に「やっぱり無しね」とお断りの連絡を入れたかったのだが、生憎と時間がなかった。

 ぎりぎりまで諸侯と協調して今後も力なき民のために何らかの活動を続けていく路線を捨て去ることができなかったともいえる。

 そのせいで、玄徳殿に余計な悲しみを背負わせてしまったことについては……、はなはだ心苦しく思っていた。

 

「ううむ……」

 どうしたものかとそれがしは唸る。

 今後のことを考えれば、本当はこのまま静かに退出した方が良いのだが……。

「子遠」

 上司殿に小突かれて、思いなおす。

 だって、"ひろいん"に悲しい顔は似合わないのである。

 

「おっほん。いや、これで万事丸く収まりますな。後は我々も頭を下げてお仕舞いです。お疲れさまでした、玄……、いえ、桃香様」

 それがしは悲しそうにしておられる玄徳殿に対し、努めて明るい声で労いをかけることにした。

「子遠さん……」

 上司殿のお墨付きなのだ。今回ばかりは鋸も手厳しいツッコミもやってこない。

 代わりに孟徳殿たちから怒気を叩きつけられることになる。

 

「何じゃ、その茶番は……」

 とは張子布殿の言である。

 確かに第三者の視点に立ってみれば、我々の言動は周りを虚仮にしたものにしか聞こえないだろう。

 当事者たる妙才殿や元譲殿に至ってはあからさまに敵意の混ざった眼で睨みつけてきていた。

 これは、今までの友好関係も水泡に帰したかな、と他人事のように思う。

 

 ……だが、仕方ない。

 これから我々がしようとしていることは、はっきり言って間近に迫る乱世に、真っ向から喧嘩を売るに等しい所業なのだ。

 下手をするとこの場にいる英傑たち――、乱世を利用して成り上がらんとする方々にとって我々は目障りな存在と化すかもしれない。

 だったら、ここで関係が切れたとしても、余計な情報を与えずに立ち去った方が利口というものではないか……?

 などと自己完結していると、ふと孟徳殿と目が合った。

 こちらの考えを見透かさんとする、矢のように鋭い目つきである。

 

「――何を企んでいるの。呉子遠」

「企み、でありますか……」

 それがしは返答に窮する。

 他の面々を見ても、明らかにこのまま静かに立ち去ることができない雰囲気だ。

 それがしは彼女らへの対応を決めかねて、我が主たる玄徳殿を見た。

 彼女は心配そうにそれがしを見ておられる。が、それだけだ。

 ただ見つめてくるだけで何かを仰る様子はない。まつげ長いなあ。

 それもそうかと納得する。なにせ玄徳殿というお方は大志を抱くことはできても、目の前の処世術には長けておらぬのだ。

 

 困ったそれがしは、頼れる上司殿にもどうしたものかと目で問う。たすけてー。たすけてー、と。

「……何よその目つき。視姦? 視姦なの? ほんとそれ止めて頂戴。いくら私が三国一可愛くても、時と場所すら選べないなんて、エロザル過ぎて笑えないんだけど……」

 すると予想はできていたのだが、ものすごい勢いで流れ矢がぐさりと飛んできた。

 ……全然痛くないよ。全然痛くないけど、それがしは心の中で号泣した。

「コホン」

 だが、今回ばかりは単なる罵倒では終わらない。

「……元々はアンタの発案でしょ。だったら、アンタがビシッと決めなさい」

 何と上司殿から優しいお言葉も返ってきたのだ。

 思わず二度見してしまう。上司殿、お気を確かに、と。

 彼女はツンとお顔を背けて、苛立たしげに組んだ腕を指でトントンと叩いておられた。

 そして、小声で続けられる。

 

「……孟徳様は時代の寵児。英傑のお一人よ」

「はい」

 それは耳にした噂だけではなく、かの『太平要術の書』を見ても分かることであった。

 彼女はいずれこの大陸を代表する群雄の一人になるのであろう。

 伯桂殿も、北郷殿もそうだ。伯符殿は退出してしまわれたが、多分あの御仁も名が記載されているのではないだろうか。

 もう、かの書物は焼き捨ててしまったため、確認などできないのだが。

 

「そんなお方と私たちは対面しているの。滅多にあることじゃないわ。凡人のアンタなんて……、私たちのこれからを考えると、この場を逃したら歴史に名を残すこともできなくなっちゃうかもしれない。私みたいな三国一の美少女軍師と違ってね」

「ああ、はい」

 何となく、上司殿の仰りたいことが分かってきた。

 つまり、ここで英傑みたいな歴史に名を残すかっこいい答えを返してみろ、ということであろう。

 後年、我が国の歴史が何らかの書物にまとめられるとして、取り上げられるほどの問答をしてみせろということであろう。

 うむ、うむ、成る程。

 うん……。

 

 無理じゃね?

 

「いや、それは無理――」

「無理じゃない!」

「あいだぁッ!?」

 焦れったくなったのか、上司殿は思い切りそれがしの脛を蹴飛ばしてきた。

 それがしは涙目ながらも、これ以上のお叱りを受けぬために孟徳殿や皆さんと向き合うことにする。

 かっこいい答え。かっこいい答え……。

 ……いいや、もう口から出任せに徹してしまおう。

 高度の柔軟性を維持しつつ、臨機応変に答えていけばいいのである。いける、いける。いけるって。

 それがしは咳払いをして、さも知恵者然とした風に口を開いた。

 

 

 

 

「……我が主、劉玄徳はいわゆる玄鳥の卵を食したのです」

 これに対し、孟徳殿が返してくる。

「……『尚書』かしら? 商王の初代に関わる逸話ね。それで、その故事に何の関係が?」

 ぶっちゃけた話、特に意味はない。だが、それがしは頑張って続けた。

 

「商の人々は国が滅びた後に、各地を渡り歩いたと言います。商売を生業として」

「ふむ、それで?」

 適当に話している内に、何となく考えがまとまってくるのはいつものことであった。

 玄徳殿をちらりと横目で見る。

 彼女は、それがしを信じて疑わないと言った表情をしておられた。

 ああ……、これは裏切れぬなあ、と改めて思う。

 

「大事なことは……。商いとは本質的に公に寄らぬ、民によって行われるものだということなのです」

「……それは当たり前の話だ。塩鉄論の時代より、軍需物資以外の商売は民間がやるものと決まっている。韜晦(とうかい)を決め込むのか?」

 張子布殿が苛立たしげに口を挟んでこられた。

 迂遠な物言いを好かぬ御仁なのだろう。口先だけではない、本物の知恵者によくいる手合いだ。

 他の方々もそれがしの演説に耳を傾けておられていた。

 

 しかし、塩鉄論なあ……。

 塩鉄論とは、昭帝の時代に市井の物価を安定させるため、桑弘羊(そうこうよう)なる文官が唱えた政策をめぐる論争である。

 平たく言えば、塩のような莫大な利益が見込める品物を国が管理するか、民間の商人に任せるかを巡った利権争いであったが、うーん。

 

「軍需物資においても、例えば塩の専売などは既に形骸化しておりますよね」

「何が言いたい」

「これは官塩があまりにも高価すぎて、民草が公を通しては買えなくなってしまった結果、そうなってしまったわけです。もし、安かったのならば、"小麦粉のような何か"など誰も買いません」

 恐らくはこちらの魂胆を探っているのだろう。張子布殿からのお言葉は、すぐには返ってこなかった。

 

「小僧の言いたいことはつまり、民を救うために物価を低く抑えたい。そのためにお前たちは商いを志す、と言うことで良いか?」

「はい、その通りであります」

 張子布殿がため息を吐かれる。

 毒気が抜けたように見受けられるのは、恐らく利害が自分たちと対立しないと彼女の中で納得ができたからだろう。

 ゆえにそれがしに対する答えも、自然とぶっきらぼうなものになる。

 

「何だ、そんなことか……。ならば、勝手に商えば良かろう。商品を安く売ってくれるなら、客としては何も言うことがない」

「――待ちなさい」

 だが、孟徳殿は解せないと言った風に眉根を寄せて再び口を開かれた。

 

「……アナタ、何を考えているの?」

「ええとですな……。玄徳殿は、力ない民を救うためにできるだけ多くの品物をできるだけ安く流通させたいとお考えなのです」

 で、いいですよね? と玄徳殿に振れば、うんうんと力強く返事が返ってきた。大変可愛い。

「それは、ただ新参として商人の世界に参入するだけではないということ?」

 その問いに、それがしは答える。

 

「今の世は官匪が跋扈し、民の血税たるや朝廷への賄賂へと用いられる始末。かといって、なんとか税を払ったとしても、高騰した物価が民の生活を阻んでおります」

 黄巾の連中を思い起こす。

 彼らは三姉妹の魅力に取りつかれた面も勿論あったが、それ以上に自作農として食っていけなくなったため、自分の故郷から逃げだしたという一面も持ち合わせていた。

 

「暮らしていけぬのならば、どうすれば良いのか。逃げるしかありませぬ。何処へ? 反乱でも起こしましょうか? いえ、もっと安心して暮らせる場所がありますぞ。それは豪族の所有する荘園ですな。豪族の奴婢にさえなってしまえば、とりあえずは生きていけますから」

 孟徳殿と、子布殿の顔色が変わった。

 当たり前である。お二方も今の時世に乗っかり、逃散した民を自らの荘園に囲い込んでいる豪族の一員なのだから。

 無論、それを弾劾する気はない。皆がやっていることである。

 それこそ、それがしにとっては元の雇い主である何遂高様とて、広大な荘園に奴婢を囲い込んで大規模な畜産業を経営していたのだ。

 この国随一の権力者であってもやっているというのに、彼女らだけを責め立てるというのは筋が通らない。

 

「えっと。子遠さん、だったわね? つまりあなたたちは自作農の困窮した生活を助けるために、国中を舞台に商いを始めるということで良いのかな……?」

 子幹殿のおずおずとした問いに、それがしは力強く頷いた。

「はい、その通りでありますぞ」

「風鈴としては、とても素晴らしい考え方だと思う。この国の税収は自作農が減ることで減っていくばかりだもの。でも、それは……」

 言葉は続かなかったが、うまくいかないだろうと言外に語っておられた。

 そりゃあ、そうだと納得する。

 何故ならば、我々のしようとしていることは、下手をすればこの国の商人と豪族すべてに喧嘩を売るような所業だからである。

 

 まず第一に、自分たちよりも安い値で商品を売ろうとする商売敵が出現すること自体が拙い。下手をすれば、自分たちの商品が売れなくなる。もし安値に対抗しようとしても、結局は利益が目減りしていってしまう。

 第二に、今の商人にとって大口のお客様である豪族の意にそぐわない。

 豪族は奴婢を囲い込むことによって、農地を広げ、その経済力を強めていっている。奴婢の補給源である零細の自作農が救われることは、翻って豪族の不利益になる。

 

「だから、我々が商人稼業を始めたとしても、古参の商人や豪族の妨害を受けてとん挫することになる、ということですよね」

「ええ、そう。そういうことになるかな」

 子幹殿の表情は暗かった。

 このことを認めるということはすなわち、朝廷の政治は機能不全に陥ってしまった……。漢王朝はもう長くないと認めるに等しかったからである。

 それがしはそんな子幹殿の鬱屈した感情を吹き飛ばすように、あっけらかんと返した。

 

「まあ、とりあえずものの試しにやってみます。成功とか失敗は、そういうのは後で考えればよろしいので」

「そんな気軽に――」

「上手くいけば、自作農の減少に歯止めがかかるかもしれませんし、そうしたらこの国に起きるかもしれない戦乱を未然に防ぐことができるかもしれないじゃあないですか。やってみる価値ありますって、多分。多分……?」

 自信こそなかったが、勝算がないわけではなかった。

 流石に単なる思い付きに愚連隊の皆を付き合わせるわけには行かず、我々は事前に常日頃世話になりっぱなしの張世平殿に相談してみることにしたのだ。

 これって無理筋か? と。

 すると、彼は傍目には悪党じみて見える贅肉を揺らしながら答えてくださった。

 

『多分お志をそのまま叶えるというのは難しい思いますが、万が一成功すれば非常に面白うございます。玄徳様のためならば、この私も一肌脱ぐ覚悟ですよ』

 無論、世平殿にも打算はあるのだと思う。

 上手く立ち回れば敵対する商人を圧倒することができ、今よりも幅広い商売が可能になるはずだ。

 それに計画がとん挫したとしても、玄徳殿を旗頭にした強大な商人閥を作り上げることができる。

 それでも別にいいのだ。

 

 それがしにとって、重要なことは唯一つ。玄徳殿の笑顔を曇らせないこと、それだけである。

 そもそも玄徳殿は戦というものがお嫌いだ。

 できれば、敵対する相手とだって戦わずに話し合いで揉め事を解決したいと思っておられる。

 ならば、いつでも戦から逃げ出せるよう、なるべく土地には縛られない方がいい。

 官職なんて以ての外だ。要らないところに責任が生じてしまう。

 玄徳殿はお優しいし、何よりも大きい(器がだよ?)。周囲の期待に対し、さながら英傑のように振る舞うことだって可能であろう。

 でもそれは、ともすれば彼女自身の望みを押し殺した形になってしまうかもしれない。

 

 少なくともこの世界では……、貂蝉殿の仰る所の外史においては彼女が彼女のまま、のびのびと暮らしていたって罰は当たらないと思うのだ。

 そのための努力ならば、怠け者のそれがしではあるが、前向きに善処させていただく所存である。

 だからこその商人であった。

 上手くいけば、困窮した自作農を豪族たちの戦に巻き込まれぬよう、戦のない土地へと逃したりもできるだろうし、わりかし良い案だと思うんだよなあ。商人として生きるのは。うん。

 

「あのっ」

 それがしが一人で納得しているところに、孔明殿が声をかけてきた。

「玄徳さんたちが商人になるとして、その、規模はどれくらいになるんでしょうか?」

「え、規模、ですか……」

 どうなるんだろう……。そういった細かいことまでは考えていなかったぞ。

 ええと、世平殿の商家に愚連隊が合流するとして……。他には……。

 

「人手だけなら、5000を超えた程度よ。元手については協力してくれる商人との兼ね合いもあるから、今は詳しく話せないわ」

 それがしがまごついているところに、上司殿が助け舟を出してくださった。

 いつもいつもありがとうございます、上司殿。それにしても、5000を超えるのか。

 て、多くね……?

 孔明殿も同じことを思ったようで、

 

「しょ、商品を卸す場所というのは決めているのでしゅかっ?」

 と思いの外、えらい食いつきを見せてきた。

 なんだか、予想外の展開である。

 正直、それがしとしては当座を凌ぐことと玄徳殿が不自由にならぬよう、無い知恵を振り絞っただけであり、細かい展望までは良く分からない。

 商品を売る場所に何か問題があるのだろうか?

 商品が品薄の場所に、売りに行くとかでは駄目なのん……?

 それがしがぼけっと思考していると、やたら真剣な顔をされた孟徳殿がこちらの出方を探るように仰った。

 

「アナタたちのやりたいことというのは……、とどのつまりは朝廷の財源を確保しようということよね?」

「んお? ええ、はい。自作農の逃散を防ごうと言うのですから、結果としてそうなるんじゃ、ないかと……。一応」

「成る程……」

 孟徳殿が何か静かに考え込んでおられる。

 何を考えておられるのだろうか。気になって仕方がない。

 

「商う品は、既に決めているの? 主に巡回する地域は? 利益は出る見込みがあるのかしら?」

「え、いや、あの」

 矢継ぎ早に質問が飛んできて、それがしは何やら風向きが変わったことを感じ取った。

 これは……、我々のやろうとしていることに何かしらの利を見出したと言うことなのだろうか?

 そろそろ自身の手に余ってきたため、それがしは上司殿に助けを仰いだ。

 たすけてー。たすけてー、と。

 当然ながら、上司殿は呆れ顔であった。

 

「ほんとアンタって、肝心な時に締らないのよね……」

「申し訳ない」

「ま、いいけど……」

 ため息をつき、上司殿がそれがしと応答役を交代しようとする。その時、

 

「あ、あっ。はい! はい! 孟徳さん! 扱ってみたい品物ならあります! 私、あるのっ!」

 事の成り行きを神妙に見守っておられた玄徳殿が突如手を挙げては溌剌に声をあげられた。

 そのあまりの勢いに、孟徳殿は顔をしかめながらも問いかける。

 

「劉備、玄徳……。一体、何を取り扱ってみたいと言うの……?」

「"外"の品物っ!」

「"外"……?」

「そう! 私、中華の外と貿易がしてみたいんです!」

 まさかの答えには孟徳殿をはじめ、会談の参加者全員が仰天してしまった。

 中華の外って、騎馬民族とか騎馬民族とかああいう人たちのことだよね……?

 え、できるの、そんなこと?

 それがしの中では、えらい物騒な連中が積み荷に襲い掛かってくる光景しか思い浮かんでこないんだけど。

 孟徳殿もそれがしと同感であったのか、何やら複雑な面持ちをしておられた。

 

「異民族との貿易……。それは確かにやり方次第では莫大な利益を生むことになるわ。でも、危険も伴う。アナタが、そんな博打をしようという動機は一体何?」

 先ほどまで無視をされていた相手と向き合えたことで、玄徳殿の眼には安堵の色が窺える。

 そのせいか玄徳殿は真摯に、孟徳殿を見ながらゆっくりと語り始めた。

 

「うん。私も匈奴の人たちのことは聞いてるし、確かに怖い人たちなのかもしれないけど……。でも私、実際に会ったことはないから。それに……」

「それに?」

 玄徳殿が言う。

 

「ずっと付き合いのないままで喧嘩になっちゃうよりも、普段から仲良くしておけば、喧嘩にもなりにくいと思うんだけど。違うのかな?」

 ……ああ。

 これが玄徳殿だなあという感想しか湧いてこなかった。

 諍いになることを怖がるよりも、まずは一度接し、同調を試みる。理解しようと努力する。

 そんな彼女だからこそ、それがしは離れようとは到底思えないのだ。

 尊敬ができ、心配が絶えず、見ていて和んで仕方のない――、そんなお方こそが劉玄徳その人なのである。

 

 彼女の言葉を聞いた孟徳殿は、まるで鈍器で殴られたかのようによろめいていた。

「アナタの、その視野は――」

「はい!」

 こころなしか声を震わせ、孟徳殿が問いかける。

 

「アナタの視野は……、本当に、アナタ自身のものなの?」

 ちょっと謎々すぎて、それがしには良く分からない問いかけであった。

 上司殿はといえば、その意味するところが理解できたようで、静かに目を閉じ、玄徳殿の答えを待っておられる。

 玄徳殿はしばし考え込み、こう答えられた。

 

「私の視野って、考え方のことですか……? だったら私だけのものってないのかもしれません」

 玄徳殿がこちらを見る。やけに熱っぽいまなざしにどきりとさせられた。

 

「私は義勇兵団を立ち上げるときに、子遠さんの言葉に感動したから、義勇兵団を立ち上げよう! って気になったんです。私の発想じゃありません」

 次に上司殿を、彼女は見た。

「商人の人たちと一緒にお仕事をし始めたのも、桂花ちゃんや他の皆の意見があったからで……。勿論、中華の外側へ行ってみようとも、自分だけじゃ考えもしなかったと思います」

 そうして再び、孟徳殿を彼女は見る。

「私だけじゃ何もできません。孟徳さんは一人でたくさんのことができる英雄かもしれないですけど、私は英雄じゃありません。成れませんし、成れたとしても成りません」

 静かに息を吸い、彼女は吐いた。

 

「私、みんなと同じ、何者でもない誰かでいたいです。成りたくないから、私は"成らず者"でいたいんです」

 ――成らず者でいたい。

 そんな彼女の真摯な答えを聞いて、孟徳殿はただ静かに目を閉じた。

「それでもアナタは……」

 

 

 

 

 

 

 う、うーん……。

 お二人のやり取りに、ちょっと身震いすら覚えたけど、玄徳殿。

 ならず者の使い方間違ってるよ……。誰だよ、間違った意味教えたの。

 

 三国一の愛天使の一角がならず者とか、それがし絶対許されざるよ……。

 まあ、でもとりあえず……。

 この場は何とか凌げたので、良いのかなあ?

 

 




次回で真面目に最終回です。というか、ここで一応の本編的には〆です。
伸ばしまくって申し訳ない。
あとは羅漢中さんの総括的な蛇足です。
歴史的に桃香ちゃんたちがどんな道を歩んだのか、適当に記述して終了です。

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