遊戯王GX―とあるデュエリストたちの日々― 作:masamune
気付けば、一人きりだった。
手にはウエスト校に通う際の鞄があり、服装も制服だ。一見すればただの登校風景なのだが、周囲には誰も人がいない。
(……学校?)
登校自体は普通のことのはずだ。なのに、何故だろう。違和感がある。
何か、大切なことを忘れているような――……
「――――」
何か、音が聞こえた気がした。
澄んだ音。鈴の音に似たそれに、思わず振り返る。
だが、誰もいない。
「…………」
歩き出す。相変わらず人の姿はなく、静かな世界を歩いていく。
明るい世界だ。太陽が輝き、綺麗な道がある。人の気配がほとんどないが、それが通学路という当たり前の場所をどこか神秘的にしているように思えた。
そうしてしばらく歩いていると、人影が見えた。顔を上げる、それと同時に。
「遅かったな、祇園」
紙パックを投げ渡された。慌ててそれを受け取り、相手を見る。
「十代、くん?」
そこにいたのは、本校の制服を着た十代たちだった。翔や隼人、三沢に、眠そうな宗達の姿もある。
「キミが最後とは珍しいこともあるな」
そう言って笑うのは三沢だ。十代が自身の紙パックにストローを突き刺しつつ、笑顔を浮かべて言葉を紡ぐ。
「そこの自販機で買ったら何でか二つ出てきてさ。やるよ祇園」
「相変わらず異常な幸運ッスね、アニキ」
「その通りなんだな」
うんうんと頷く翔と隼人。その後ろでは欠伸をしつつ、宗達が手に持った缶ジュースを不服そうに見ている。
「宗達くんはどうしたの?」
「ホットの缶コーヒー買ったらホットのコーラが出たらしいぜ」
「…………」
思わず同情の視線を向けてしまう。チッ、と宗達は舌打ちを零した。
「とりあえず行くぞ。遅刻する」
「宗達が言うと違和感が凄いな」
「ホントッスね」
「やかましい」
言い合いながら、四人が歩き出す。祇園もその背を追い、輪に加わる。
――少しの違和感。それを、祇園は無意識のうちに切り捨てた。
人の輪に加わることが苦手な少年がいた。
一人きり過ごしてでばかりの少年がいた。
彼はいつも、一人ぼっちだったのに。
校門にまで辿り着く。そこは、アカデミア本校の門で。
頭に、僅かな痛みが走った。
「どうした、祇園?」
門を潜った十代が振り返り、訝しげな視線を向けてくる。祇園はその背を追おうとして、歩き出せないことに気付いた。
四人はそんな祇園をどう思ったのか。先に行くとだけ告げ、校内へ入っていく。
その姿は光の中へ入っていき――消えた。
「待っ――」
心が、騒ぐ。
前へ踏み出そうと足を出す。
「――駄目です」
手を、掴まれた。
白い光。どうしようもなく焦がれる、その光を目指した自分を。
誰かが、引き留めた。
「行っては、いけません」
振り返る。そこにいたのは、金髪の――
「――その選択、後悔するぞ」
最後に聞こえた、その声が。
酷く、耳に残った。
◇ ◇ ◇
遊城十代に宣戦布告を行ったエド・フェニックス。
彼は語る。十代はヒーローの苦悩を理解していないと。
正義がために己を殺し続けるその在り方を知らないと。
「十代!」
「アニキ!」
「しっかりするドン!」
三沢と翔、そして新しく舎弟となった剣山が倒れ込んだ十代へと駆け寄っていく。その光景を見守りながら、宗達は今のデュエルを考察していた。
「……強いな」
流石に〝帝王〟を倒しただけのことはある。一見互角に見えた攻防だが、よくよく振り返ってみると終始十代は押されていた。
「ええ、ボウヤをこうも容易く手玉に取るなんて……」
顎に手を当て、藤原雪乃が頷く。成程、天才と呼ばれるのは伊達ではない。
十代も十二分に天才の部類だが、それをエドは上回った。
「……嫌になるな、本当によ」
どいつもこいつも、どうして。
どうして、こんなにも。
「あなたが如月宗達かい?」
壇上より悠然と降りながら、エド・フェニックスが言う。その表情は余裕に満ちていて、どことなく鼻についた。
「エド・フェニックスに知ってもらえてるなんて光栄だな」
「謙遜しないでよ先輩。その名前はアメリカじゃ何度も聞いたよ?」
悪名ばかりだけどね、とエドは笑う。はっ、と宗達も笑った。
「下手くそな挑発だな」
「そんなつもりはなかったんだけどね。気を悪くしたなら謝るよ」
「いいや、その必要はねぇよ。俺は心が広いからな」
嘘吐け、と雪乃さえも含めて全員の心が一つになったが、宗達は全く気付いてない。
「ただまあ、そうだな。一つだけアドバイスだ」
「へぇ、ありがたく――」
「――つまんねぇデュエルだな」
エドの動きと表情が、固まった。
宗達は彼に背を向けると、本当につまらなさそうに言葉を紡ぐ。
「挑発ってのはこうするんだよ、後輩」
「ッ、待て!」
「待つ意味あんのか?」
振り返ることも、立ち止まることもせずに宗達は立ち去っていく。それを見送り、雪乃もまた言葉を紡いだ。
「相変わらずね、宗達も」
「ッ、あなたは――」
言いかけるエドに小さく笑みを残し、自身の口元に人差し指を当てると、雪乃も立ち去っていく。
エドは一度俯くと、くそっ、と小さく言葉を漏らした。
歯車が、一つずつ、ズレていく。
◇ ◇ ◇
告げられた事実に、烏丸澪は言葉を紡げなかった。
「……嘘……だろう……?」
呆然と、そう呟いたのは美咲だ。眼前に座る初老の医師は首をゆっくりと左右に振る。
「嘘ではありません」
「何故、どうして」
「原因は不明です。ただ、事実として――」
医師が手に持つカルテに書かれた人物の名。
――夢神祇園。
あの日、一人で倒れているところを発見され、病院に運ばれた少年。
「――彼は、その両目で光を捉えることができていません」
叩きつけられるようなその事実に。
烏丸澪は、言葉を返せなかった。
…………。
……………………。
………………………………。
病室の扉を開けると、そこに彼はいた。
「……祇園」
気を利かせ、護衛の者たちが病室から出ていく。こちらの呼ぶ声に気付いたのだろう、少年がこちらを向いた。
「その声……美咲?」
一見するとおかしなところはない。病院着を纏い、どことなく元気がないように見えるが、いつもの彼とは変わらないように見えた。
「うん。ごめん、遅くなって」
「いいよ。美咲は忙しいんだから。来てくれただけで嬉しい。えっと……」
おそらく座るように促そうとしたのだろう。だが、その手は見当違いの方へと向いていた。
その光景にあらん限りに拳を握り締め、美咲は祇園の側へと歩み寄る。
「いいよ、祇園。……無理、せんで」
「……ごめん」
ベッドに腰掛けると、祇園は苦笑した。本当に、こうして見ると何も変わらないように見える。
「…………」
そして、しばらく互いに言葉を発することはなかった。
静かな時間。雨が降り始め、雨粒が窓を叩く音が聞こえてくる。
「ごめん」
静かな言葉だった。互いの視線が合い――しかし、交わらない。
「ウチ、祇園になんて言ったらええかわからんくて。それで、ずっと」
「……それは僕もだよ。僕のせいで美咲に迷惑をかけちゃって、ごめん」
「それは違う!」
「違わないよ。……僕が、間違えた」
そう言うと、祇園は俯き、その両手を握り締めた。
「……ごめん、美咲……」
その言葉は、絞り出すような――吐き出すような言葉。
少女の瞳から、滴が一つ、零れ落ちる。
「……ごめん、美咲……。約束、果たせなく……なっちゃったよ……」
それは、小さな約束だった。
本当にささやかで、小さくて。
しかし、心の底から叶えたいと願ったモノで。
「……どうして……どうして、こんな……」
縋りつくように、少女は少年を抱き締める。
何を、間違えたのだろうか。
何が、狂ったのだろうか。
わからない。わかるはずがない。
その日、一人の少年の瞳から光が消えた。
しかし、それはまだ序章に過ぎない。
慟哭が響き渡る。
それは、少年の慟哭か。
或いは、少女の慟哭か。
◇ ◇ ◇
深夜。患者のほとんどが眠りにつき、見回りも終わった時間。
闇の世界に、一つの靴音が響き渡る。
まるで不吉な調べのように響くその音が、不意に止んだ。一つの個室。その扉を開けようとして――
「――面会時間はとっくに過ぎてるぜ」
扉へ手をかけようとした瞬間、背後からそんな声が聞こえてきた。思わず振り返る。
ありえない。そんな思いと共に。
「随分と行動が早いな。……まあ、当然か。テメェにとっちゃ十年以上前からの――いや、三千年前からの悲願だろうからな」
「……誰だ」
「覚えてないのか。俺はテメェのことを忘れたことなんざ、一度だってないってのに」
暗闇の中、一人の青年が立っている。
――藤堂晴。
日本では知らぬ者無き決闘者の登場に、相手は眉を跳ね上げた。
「成程、貴様には覚えがある。地を這う虫けらが、あれでは足りなかったか?」
「生憎と諦めは悪くてな。正直関わりたくなんざねぇが、家族が関わってんなら話は別だ」
来いよ、とハルは言った。背を向け、歩き出す。
「あの日の続きを始めよう」
◇ ◇ ◇
鋭い雨が、体を叩く。病院の屋上。そこで対峙する二人の男。
「くっく、いい場所だ。貴様の死に場所に相応しい」
相手が醜悪な笑みを零し、そのイヤリングから闇が溢れる。周囲を包むような闇は、雨さえも遮断した。
「藤堂詩音を、知っているか?」
闇の中。通常ならば押し潰すような圧力を受けるその中心で、藤堂晴は言葉を紡ぐ。
「テメェらが未来を奪った俺の家族の名前だ。知らねぇならそれでいい。ここで黙って死んでいけ」
闇が、その身を貫かんと殺到し。
――光が、それを切り裂いた。
「――貴様」
初めて、男の表情が笑み以外で歪む。
ハルの隣。そこに立つ、二体の武人。
それはかつて、世界最悪の怨霊を封じた――
「『武神』……! 貴様、『防人』の……!」
「さあ、やろうぜ大怨霊。俺は今日、テメェの因果を断ち切る」
雨は止まず、振り続ける。
闇の決闘が、始まった。
◇ ◇ ◇
あの日もこんな雨だったと、ハルはふと思い出した。
もう、十年近く前の話だ。
あの日、藤堂ハルは多くを失い。
何も、手に入れることはできなかった。
「先行は俺だ、手札より『武神―ヤマト』を召喚!」
武神―ヤマト☆4光ATK/DEF1800/200
現れたのは、光を纏う戦士だ。武器は持っておらず、相手に握り拳を向けている。
『我らにとって十年とは刹那に過ぎぬ。しかし、貴様と相対するまでの十年は久遠のように長かった』
「くっく、あまり吠えるな。弱く見えるぞ」
「弱いかどうかは、テメェ自身で確かめやがれ。――永続魔法、『カイザーコロシアム』発動! このカードの効果により、テメェは俺の場のモンスターと同じ数までしか場にモンスターを出せない! 今はヤマトが一体のみ」
「成程、『喧嘩決闘』か」
ニヤニヤと笑みを浮かべながらの相手の言葉に鼻を鳴らして応じると、ハルは更に手札を一枚、デュエルディスクに差し込んだ。
「俺は更にカードを一枚伏せ、ターンエンド。エンドフェイズ、ヤマトの効果により『武神器―サグサ』を手札に加え、そのまま墓地へ送る」
これでヤマトの破壊を一度だけ避けることができる。カイザーコロシアムは強力な効果だが、モンスターを失えば効力を失ってしまうのだ。上手く扱う必要がある。
「少数のモンスター同士による直接戦闘に重きを置いたスタイル。実態はともかく、正面からの殴り合いにしか見えない戦法故に『喧嘩決闘』――くっく、大した欺瞞だ」
「自覚してる。けどこれが、俺の妥協点なんだよ」
かつて、正面から戦うということを全力で否定していた。勝つことが全てであったし、体面など気にしている余裕がなかったからだ。姉である詩音からは毎度鉄拳と共に苦言を呈されていたし、仲間からも呆れられていたが……結果として、アレが最善だった。
戦争だったのだ。手段など選んでいられなかったし、選ぶつもりもなかった。その結果、あんなことになってしまったけれど。
「いじらしいな、虫けら。だが確かに、あの時の貴様は素晴らしかった。悪辣で残酷。随分息苦しそうに見えるぞ?」
「ほざきな。テメェ如き、すぐにぶち殺してやるよ」
「楽しみにしておこう。ドロー。――手札より、モンスターをセット。カードを一枚伏せ、ターンエンドだ」
静かな動きだ。カイザーコロシアムのせいで動けなかったのだろうか。
いずれにせよ、攻めるべきは――ここだ。
「俺のターン、ドロー! 『武神―ミカヅチ』を召喚!」
『ヤマトのみならず我を呼ぶか。まあ、相手が相手である以上当然ともいえる』
武神―ミカヅチ☆4光ATK/DEF1900/1500
腕を組んだ状態のミカヅチが現れる。ほう、と相手が笑った。
「主を失い、虫けらに従うか。堕ちたものだな、武神」
『我らが担い手は『防人』のみ。だが先代は望んだ。今代の防人には背負わせたくないと。我らはそれを受け入れた』
『故にここで貴様を討つ。今代の防人は何も知らぬままでいい』
「くっく、それが浅はかというのだ。貴様ら如きに我は殺せぬ」
嘲笑う男。そういえば、とハルは思い出したように言葉を紡いだ。
「テメェの名前はなんだ?」
「この男の名ならあるが、我に名などない。最早必要ない。この身に宿る衝動のみを糧とし、我はここにある。それだけでいい。それで十分だ」
「自分の名前すらも忘れたか、大怨霊」
蔑むように言うハル。名前というのは大きな意味を持つ。それは存在の確定であり、存在の固定だ。特に精霊は肉体という殻を持たぬためその在り方の多くを精神に依存する。名前とは彼らにとって核であり、存在の基盤そのものなのだ。
永き時の果てに名を失いながら、それでもなお消えることなき憎悪を抱える怨霊。成程確かに、こいつは最悪の存在だ。
「テメェの目的はなんだ」
「我が心臓を取り戻し、この世界を喰らう。かつてもそう言ったはずだ」
「……本物の大怨霊だなテメェは」
「くっく、大怨霊か。良い呼び名だそれは。ああ、実にいい――」
両手を広げ、笑う大怨霊。左耳のイヤリングから闇が溢れた。
「好きにはさせねぇ。――バトルだ、ミカヅチでセットモンスターへ攻撃!」
「セットモンスターは『ゴブリンゾンビ』だ。効果により、デッキから『ゾンビ・マスター』を手札に加える」
アンデットモンスターを手札に加える大怨霊。成程、とハルは内心で頷いた。
「ヤマトでダイレクトアタック!」
『消えよ、亡霊』
その拳が大怨霊を討ち貫く。だが、その表情には変わらず笑みが浮かんだままだ。
大怨霊LP4000→2200
相手はあのカードを持っている。ならば、先手必勝が最適解だ。
「エンドフェイズ、ヤマトの効果を発動。デッキから『武神器―ヘツカ』を手札に加え、墓地へ捨てる。更にミカヅチの効果が発動し、デッキから『武神降臨』を手札に加える」
勝負は次のターンだ。ただ潰すだけならこのターンでも可能だったが、それでは意味がない。
藤堂晴。その力と意味を、きっちり理解させなければならない。
(何が来るかはわかってる。後は、あの時に比べてどうなっているか)
強くなっているのか、それとも違うのか。
――見極める。
「我のターンだ、ドロー。手札より『ゾンビ・マスター』を召喚。更に効果を発動。手札の『馬頭鬼』を捨て、ゴブリンゾンビを蘇生」
ゾンビ・マスター☆4闇ATK/DEF1800/0
ゴブリンゾンビ☆4闇ATK/DEF1100/1050
二体のアンデットが場に並ぶ。現代の主流であるシンクロを行うにはチューナーがおらず、ただ二体のモンスターを並べただけのように見えるが、実際は違う。
ハルは知っている。ここから紡がれる力を。
それは、かつて彼自身が持ち帰ったことのある力だ。
「我はゴブリンゾンビとゾンビ・マスターの二体でオーバーレイ。エクシーズ、召喚。現れろ――『ラバルバル・チェイン』」
ラバルバル・チェイン★4炎ATK/DEF1800/1000 ORU2
現れたのは、炎を纏うバケモノだ。
一人の女性――平和を願い、しかし力を持ってしまったが故に憑りつかれ、悲しき結末を迎えたその魔術師が生み出した存在。
「ほう、眉一つ動かさぬか」
「見たことがあるからな。……どうした、来いよ」
「焦るな。チェインの効果を発動。オーバーレイユニットを一つ取り除き、デッキから『蒼血鬼』を墓地へ送る。――その決闘場が邪魔だな。速攻魔法『サイクロン』。破壊するのは当然、カイザー・コロシアムだ」
「……チッ」
カイザー・コロシアムはリーグ戦などの大きな試合では発動するとフィールド魔法のように周囲にコロシアムの風景を展開する。その中心でモンスターが殴り合いをするので、見た目にも派手なカードだ。
だが、その真骨頂は相手の展開阻害にこそある。こちらの場に一体のモンスターしか存在していない場合、相手もまたモンスターを一体しか場に出せない。『喧嘩決闘』とは強制的に一対一の状況を組み上げるスタイルから呼ばれるようになったものだ。
「墓地の『馬頭鬼』の効果を発動、このカードを除外し、墓地からアンデットを一体蘇生する! オーバーレイユニットとして墓地に送られたゾンビマスターを蘇生し、効果発動。二体目の蒼血鬼を捨て、蒼血鬼を蘇生。効果を発動。チェインのオーバーレイユニットを取り除き、墓地から蒼血鬼を蘇生」
ゾンビ・マスター☆4闇ATK/DEF1800/0
蒼血鬼☆4闇ATK/DEF1000/1700
蒼血鬼☆4闇ATK/DEF1000/1700
三体のモンスターが新たに並ぶ。蒼血鬼――存在しないはずのエクシーズモンスターに関する効果を持つ、存在しないはずのモンスター。
「ゾンビ・マスターと蒼血鬼でオーバーレイ、エクシーズ召喚! 『ジェムナイト・パール』!」
ジェムナイト・パール★4地ATK/DEF2600/1900 ORU2
現れたのは、真珠のような白い体を持つ戦士。その純粋にして静かな魂故に、彼は誇り高き戦士だった。
「……パールか」
思わず呟く。懐かしいモンスターだ。その背中は今でも覚えている。
「蒼血鬼の効果を発動! パールのオーバーレイユニットを取り除き、蒼血鬼を蘇生! 蘇生した蒼血鬼の効果によりもう一つオーバーレイユニットを取り除き、ゾンビ・マスターを召喚! 蒼血鬼二体と、ゾンビ・マスターでオーバーレイ! エクシーズ召喚! さあ見せてやろう、『№16色の支配者ショック・ルーラー』!!」
現れたのは、巨大な機械仕掛けの天使。先端部についた人形の顔が嫌悪感を煽り、天士族としての威圧感が大気を揺らす。
№16色の支配者ショック・ルーラー★4光ATK/DEF2300/1600
ナンバーズ。大怨霊が召喚したそのモンスターは、明らかに何かが違っていた。
(ナンバーズ……? 俺が知らないモンスターがいるのは当たり前だ。だが、16ってことは他の番号もあるってことだろう。なのに、耳にしたことさえないだと?)
エクシーズは生まれる前にその存在が抹消された召喚法だ。関係者のほとんどが謎の変死を遂げるか行方不明となり、やむなく開発は打ち切られた。あのエド・フェニックスの父親もその関係者の一人だ。
ハルも詳細を知っているわけではない。彼が行ったのはあくまで精霊界より持ち帰ったエクシーズの情報をペガサス・J・クロフォードに伝えたことだけであり、それ以降のことには関わっていない。
故に知らぬこともあるのは当然だが、これは。
(……〝邪神〟ほどじゃないか。だが、似たような気配を感じる)
底なしの闇。憎悪や悪意、敵意――そんなものでは表現できない、純然たる闇。
「くっく、ようやく表情が変わったな」
「…………」
「教えてやろう。ナンバーズ――百枚のカードで構成される、特別な力を持つカード群だ。この時のため、我らが紡ぎ上げた」
両手を広げ、誇るように大怨霊は語る。
「今更貴様如きが武神を引き連れたところで、我らを止めることなど不可能だ。――ショック・ルーラーの効果を発動! オーバーレイユニットを一つ取り除き、魔法・罠・モンスターのいずれかを宣言する! その宣言後、次の相手ターンエンドフェイズまで宣言されたカードは発動できない! 宣言するのはモンスターだ!」
「なっ……!? チッ、手札の『エフェクト・ヴェーラー』の効果を発動! このカードを捨て、相手モンスターの効果を無効にする!」
「ほう、抗うか。ならばバトルといこう。――ジェムナイト・パールでヤマトを攻撃」
「墓地の『武神器―サグサ』の効果を発動! 墓地のこのカードを除外し、武神を一度だけ破壊から守ることができる!」
ヤマトの前にウサギの姿をした武具が現れ、パールの一撃を防ぐ。だが――
「ダメージは受けてもらう」
ハルLP4000→3200
体を衝撃が突き抜ける。ぐっ、とハルは呻いた。
「このタイミングでハバキリを使わぬということは、手札にないということか。それは行幸。チェインでヤマトを攻撃!」
『無念……!』
「ッ、ヤマト!」
「次だ! ショック・ルーラーでミカヅチを攻撃!」
『ぐうっ……!!』
ハルLP3200→2700
ハルの場が空く。大怨霊はターンエンド、と宣言した。
「どうした? 随分とやり難そうだな?」
「……うるせぇ」
「ああ、そうだ。思い出したぞ。貴様のことをな。十年前――あの時の方が遙かに悪辣で、強かで、強かった」
嘲笑う声。わかっている、そんなことは。だが、あのやり方は捨てた。捨てると誓った。
性に合わないことはわかっている。それでも、自分は。
「決めたんだ。約束したんだ。俺はこのやり方で戦うってな。――魔法カード『武神降臨』発動! 相手の場にのみモンスターが存在する時、除外されている武神と墓地の武神を一体ずつ特殊召喚する! 俺はサグサとヤマトを特殊召喚!! そして二体のモンスターでオーバーレイ!! 降臨せよ、『武神帝―スサノヲ』!!」
武神器―サグサ☆4光ATK/DEF1700/500
武神―ヤマト☆4光ATK/DEF1800/200
武神帝―スサノヲ★4光ATK/DEF2400/1600 ORU2
現れたのは、全身を武装したヤマトだ。先程までとは違い、その身には圧倒的な神気を纏っている。
『これからが本番だ、亡霊。先代防人を――我らが友を奪った礼をさせてもらうぞ』
「吠えるな。弱く見えるぞ」
大怨霊が笑う。ハルはそれを無視し、宣言した。
「――スサノヲの効果発動! オーバーレイユニットを一つ取り除き、デッキから武神を一体、手札に加えることができる! 『武神器―ハバキリ』を手札に加える!」
「その手は読んでいるぞ虫けら! カウンター罠『強烈なはたき落とし』! ハバキリを捨ててもらう!」
手札にカードを加えた瞬間、それを叩き落とすカード。成程、手札誘発の多い武神には有効なカードだ。
だが、温い。
「くっく、さあどうする?」
「――罠カード『剣現する武神』。墓地の武神を一枚、手札に加える。ハバキリを手札に」
返答は、現実を以て。
なんだと、と大怨霊が呻いた。
「貴様――」
「俺のスタイルを知ってんなら、予測して然るべきだったな。強烈なはたき落とし――俺も好きなカードだよ」
バトル、とハルは宣言した。
狙うは当然、ナンバーズと呼ばれるモンスター。
「ダメージステップ、ハバキリの効果を発動。スサノヲの攻撃力が倍になる」
オネストと同系統の効果だ。手札誘発であるが故に防ぎ辛く、凶悪な効果を持つ。
スサノヲの持つ剣に雷が宿る。そのまま、その刃がショック・ルーラーを貫いた。
大怨霊LP2200→-300
そのLPが削り切られる。
大怨霊は呻き声を上げ、片膝をついた。
「…………」
消えていくソリッドヴィジョン。スサノヲは消えていないが、ジェムナイト・パールはゆっくりと消えていく。
スサノヲは敵モンスター全体に攻撃する力を持つ。得策ではないが、パールを攻撃するという選択肢もあった。だが無意識でそれを避けたのは、感傷だろうか。
かつての戦いで、自分たちの命を救ってくれた彼を傷つけたくないと。そう、思ったからなのだろうか。
「……くくっ、よもや、これほどとはな……」
イヤリングへと闇が還っていく。前に出ようとしたスサノヲを、ハルは手で制した。
「すぐにテメェのところへ行ってやるよ」
「くくっ、それも面白いが……」
そして、その体がゆっくりと倒れ込んだ。水飛沫が舞い、男の目から光が消える。
大怨霊の意識は消えたのだろう。だが、この体の主はきっと目を覚まさない。〝眠り病〟とはそういうものだ。
『どうするつもりだ?』
「このイヤリングを使って逆探知だな。ようやく見つけた手がかりだ。姉貴の方がこの手の術は得意なんだが――」
光が、駆け抜けた。
同時、スサノヲの武具が弾け飛ぶ。
「スサノヲ!?」
いきなりのことに、男から弾かれるように距離を取るハル。そんな彼の耳に、聞き覚えのある声が届いた。
「流石、ですね」
現れたのは、輝くような銀髪の女性。傘を差し、ゆっくりとこちらへと歩み寄ってくる。
見覚えのある女性だ。ハルにとっては相手にしたくない人物の最上位に入る一人である。
――アニーシャ・パヴロヴァ。
世界ランカーであり、先日の交流戦で皇〝弐武〟清心とやり合った人物だ。
更にその背後。中空に浮かぶ精霊の姿に、ハルは舌打ちを零す。
「『竜姫神サフィラ』……テメェ、何で」
『私は我が主の意志のままにここに在る。それだけです』
「はい。その通りです。トウドー、責めるなら私を責めてください」
笑みを浮かべて言うアニーシャ。その顔立ちが整っていることもあって非常に魅力的な笑顔なのだが、ハルの背筋にはただ悪寒が走る。
「……テメェがそこにいるってことは、そういうことだな?」
「はい。そういうことです」
『竜姫神……! 何故貴様が亡霊に加担する……!?』
武装の一部を破壊され、ハルの側で膝をついているスサノヲが唸るように言う。対し、竜姫神は涼やかな声で応じた。
『我が主の、思いのままに』
パキン、という音と共に男のイヤリングが割れる。おそらくサフィラがやったのだろう。
アニーシャを睨み付けるハル。今すぐにでも彼女を殺しかねないその視線を受け、しかし、彼女は微笑んでいる。
「いきなり大将首というのは、風情がないではありませんか?」
「ゲームじゃねぇんだよこれは。人の命がかかってるんだ。わかってんのか」
「ええ、だからこそゲームです。人の命など、チップの形式に過ぎませんから」
言い切ると、アニーシャはこちらに背を向けた。そのまま、そうです、と彼女は名案を思い付いたかのように両手を合わせる。
「ここで私と戦いますか? それはそれで面白くなりそうです」
空気が、軋む。
散歩に誘うかのような気軽な口調だが、纏う雰囲気は大きく違う。
その中で、ハルはため息を零した。
「答えはわかってんだろ」
言い捨てる。スサノヲが驚いた気配を感じたが、黙殺した。
「では、さようなら、ですね。あなたとの殺し合い、楽しみにしています」
そして、サフィラと共にアニーシャは消えた。
そう、文字通り消えたのだ。跡形もなく、まるで何事もなかったかのように。
「……チッ」
舌打ちを零す。厄介なことになった。アレが向こうにいるというのも最悪だが、何より本人の意思で向こうにいるというのが更に最悪だ。アレはこういう状況において面倒な敵になる。
『何故見逃した』
咎めるようにこちらを睨むスサノヲ。ハルは息を吐くと、無理だよ、と呟いた。
「やり合えば勝率は五分だ。リスクが高い」
『……お主が相手で、か』
「〝ロシアの妖精〟とか呼ばれてるが、あれはただの決闘狂だ。しかも強いから始末に負えない。正直、今は避けるべきだ」
最悪、敗北によってハル自身が〝眠り病〟にかかる可能性がある。相手の情報が少ない以上、リスクは避けたほうが良い。
『お主がそう言うのであれば従おう。だが、それよりもだ。……本当に良かったのか?』
「何がだ?」
『我らを扱えるのは今代の防人を含めても片手に数えられる程しかおらぬ。だがお主の本来の戦い方は、我々の戦い方とは大きく違うはずだ』
大怨霊にも指摘されたことを、スサノヲもまた口にする。だが、それはもういい。ずっと前に決めたことだ。
藤堂晴は、欺瞞であろうとなんであろうと……こうして、戦うと。
「約束だからな。あの二人との」
あの日。自分と姉を庇い、命を懸けて大怨霊の完全復活を阻止した先代防人。
娘を残していく二人は、ハルに願ったのだ。
〝娘が憧れるような、プロデュエリストに〟
そんな、願いを。
「だから俺はこれでいい。これで、戦い続ける」
雨の中、ハルは呟く。
スサノヲには、彼の体に無数の鎖が巻き付いているように見えた。
◇ ◇ ◇
一つの、誓いを立てた。
それを彼が望んでいないことはわかっている。だが、それでも。
「――少年」
己にできることは、こんなことぐらいしかなかったから。
「はい」
部屋に入り、ベットの隣に座ってからずっと黙っていた自分を、彼はずっと待っていてくれた。それを嬉しく思う反面、辛くもある。
彼がこうなったのは、自分のせいかもしれないというのに。
「キミの光を奪った者を、私は絶対に許さない」
祇園に、あの時の記憶はない。監視カメラなども全て確認したが、彼に何があったのかを映したものはなかった。
だが、何かがあったのだ。そうでなければ、こんなことにはなっていない。
「キミに、これを渡しておきたい」
そう言って祇園の手を引き寄せると、小さな箱を握らせた。中に入っているのはペガサスより贈られたイヤリングだ。片方は澪の左耳につけられている。
「これは……?」
「お守り代わりだ。持っていてくれ」
そう言うと、澪は祇園から手を放した。
――唇に、柔らかな感触。
驚く少年に、すまない、と小さく告げて。
「何もできない私を、許さないでくれ」
背中にかけられた声を無視し、澪は歩いていく。
病室を出る。一度大きく息を吐くと、澪は静かに呟いた。
「今現れるということの意味、理解しているのだろうな?」
『――藤堂晴。彼の者が何かを知っているようです』
「ほう」
中空に浮かぶ赤き仮面の光。そこから紡がれた言葉に、澪は頷く。
「ならば、行こうか。私にできることは戦うことだけだ。所詮、それだけしかできない。ならばこの力を以て――」
歩き出す彼女の瞳は、あまりにも冷たく。
「――全てを、壊そう」
深い闇を、称えていた。
日常が壊れていく。
世界が、歪んでいく。
◇ ◇ ◇
年下の姉。そんな奇妙な姉弟関係を続けた期間は、かなり長くなる。
何もかもを失った自分。その自分を救い出してくれたのが、彼女だった。
人間として何かが欠けていることは知っていた。それを埋めようともがき、しかし、何も手にできずにいる姿を見続けてきた。
できたことは、ただ見守るだけだった。
最後に残った家族だから。だから口惜しく、しかし、どうにもできず。
ただ、日々が過ぎていった。
その彼女が、一人の少年のことを楽しそうに何度も語っている姿を見た時は嬉しかった。きっとこれで、彼女は彼女が望んだモノになれるのだと。
そう、彼女はずっと――
「………………お嬢、サン……?」
絞り出すような言葉は、彼女へは届かなかった。
周囲全てを威圧する絶対的な雰囲気。誰もその行く手を阻むことは許されない。
彼女が真横を通り過ぎるまで。
言葉一つ、懸けることはできなかった。
「……何が」
あんな姿、覚えは一度しかない。己と同種の存在を探すと告げ、〝祿王〟のタイトルを得るためにありとあらゆる決闘者を蹂躙し続けた時以来、見た覚えのない姿だ。
それが何故、このタイミングで。
見舞いの花束を抱えたまま、ノックと共に目的の病室へと足を踏み入れる。
彼女は先程までここにいたはずだ。彼と何かあったのだろうか。
「……夢神サン――……」
しかし、更なる驚愕が彼を襲う。
個室に備え付けられたベット。そこに、人の姿はなかった。
光を失った少年。
光を捨てた少女。
世界がただ、歪んでいく。
はてさて、誰が味方で誰が敵なのか。
二人の主人公は、どうなるのか。