遊戯王GX―とあるデュエリストたちの日々―   作:masamune

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第四話〝日本三強〟前篇

 

 

 

 

 

 

 

 観客席から、その光景を眺めていた。

 

 

『決まりました!! 今年度IH、全国4031校の頂点に立ったのは――デュエル・アカデミアウエスト校です!!』

 

 

 実況の声。大歓声が響き渡り、ウエスト校のメンバーがステージの上で大きくガッツポーズをとる総大将――菅原雄太の下へ駆け寄っていく。

 

 

『名門と呼ばれながら今まで一度も全国制覇を成し遂げるに至らなかった古豪が、遂に全国の頂点に立ちました!!』

 

 

 興奮した様子の実況の声。ステージの上では歴代最強と噂されるメンバーがそれぞれの表情を浮かべている。

 総大将は本気で泣いていた。実力者と目され、事実それだけの力を持ちながら後一歩で優勝だけは逃し続けてきた彼は、中心で涙を流して喜んでいる。

 エースは目の端に涙を溜めながら、自分たちを応援してくれた学友たち、両親たちへと手を振っていた。あんな笑顔は久しく見ていない。

 参謀は安心したように息を吐きながらも、組んだ両腕が震えていた。その口元は笑っていて、それに気付いた総大将に背中を叩かれ、応じるように拳を打ちつけ合っている。

 寡黙な青年は滅多に見せない笑顔を浮かべていた。いつもなら他のメンバーとも距離を取っているのだが、この時だけはつられるようにエースとハイタッチを交わしている。

 真面目な風紀委員は何度も小さくガッツポーズをし、噛み締めるように俯いていた。エースに促され、何度も何度も客席に頭を下げ始める。

 

 ――そして。

 彼は――笑っていた。

 

 ただ、嬉しそうに、誇らしそうに。

 ただただ、笑っていた。

 

(……何故)

 

 どうしてそんな疑問が芽生えたのかはわからない。だが、そう思ってしまった。

 

(どうして、そんなにも)

 

 彼らの戦いはずっと見てきた。昨年などベスト8で敗北し、泣き崩れる姿を見たのを覚えている。

 辛い戦いも多かったはずだ。準決勝など一年生に託すしかないという絶望的な状況に追い込まれた。

 なのに、どうして。

 どうして、彼らは。

 

(嬉しそうに……楽しそうに、笑うのだ?)

 

 勝利したからか?

 優勝したからか?

 全国の頂点に立てたからか?

 自分たちこそが最強であると、証明できたからか?

 

(いや……違う。違うはずだ)

 

 そんな理由ならば。

 ここにいる自分は、こんな風になっていない。

 こんな様に――成り果てていない。

 

 優勝カップを受け取り、彼らが心の底からの笑顔を浮かべる。

 その姿を見て、思った。

 想って、しまった。

 

「…………羨ましい、な……」

 

 そんなこと――思ってはならなかったのに。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 東京都の片隅にある、小さなアパート。築四十年という年月を超えてきているためかあちこちにガタがきている。

 階段を昇る度にギシギシと音が鳴るのだが、正直怖い。

 

「…………」

 

 その階段を、一人の少年が昇っていく。このアパートには実は一人しか住んでおらず、その一人もほとんど戻って来ないので滅多に人が寄りつくことはない。

 そのため来客など本当に珍しいのだが――

 

「いらっしゃい、祇園」

「うん、美咲。久し振り」

「メールやら電話しとるから、あんま久し振りって感じでもないんやけどなー」

 

 あはは、と笑いながら部屋の中に手招きするのは桐生美咲だ。その手招きに従い、夢神祇園が部屋の中へと足を踏み入れる。

 

「でも一日オフって珍しいね」

「そう言う祇園もこっち来るなんて珍しいやん」

「僕は合同練習の選抜メンバーに選ばれたから。昨日までだったんだけど、今日明日はお休みだしね。……相変わらず、布団と最低限の服以外なにもないんだね」

「あー、ノース校、ウエスト校、サウス校と関東の有力校で集まってたアレ。ウチは月一試験で参加できひんかったんよなぁ。……正直な話、KC社とI²社と事務所のロッカーの方が私物が充実しとる」

 

 腰をおろし、小さな机の側に座る。汚いわけではないが、それは生活感がほとんどないが故だ。この雰囲気は、倉庫に似ている。

 

「久し振りに来たけど、相変わらずだね」

「まあなぁ。変わる理由があらへん」

 

 あはは、と笑う美咲。祇園は広くない室内を眺めつつ、そうだね、と言葉を紡いだ。

 

「まるでこの場所だけ、時間が止まってるみたいだ」

 

 その時、一瞬だけ浮かべた美咲の表情に。

 祇園は、気付かなかった。

 

「そういえば、澪さんは? お留守番?」

「合同練習には面倒臭いって言って付いて来なかったけど、今日はI²社に行ってるよ。帰りは拾ってくれるって言われてる。美咲も明日は大阪で試合だよね? 送るついでに泊まっていけばいい、って言ってたよ」

「え、ホンマに? それ本気で助かるんやけど――って、澪さん車買ったん?」

 

 首を傾げる美咲。澪の性格上、自分から車を運転することなどほとんどないと思うのだが。

 

「免許自体は在学中に取ってたみたい。ただ面倒臭いし隠してたらしいんだけど、ちょっと前のインタビューでポロッと言っちゃって」

「あー、この間のアレか。エキシビジョンに選ばれた三人との会談インタビュー」

「物凄い身内会談だったよね。まあ、それでスポンサーさんに知られちゃったみたいで。外出る度に『是非うちの車を使ってください』って営業が鬱陶し過ぎて買ったみたいだよ。元々は無料で貰えるみたいな話だったんだけど、変に貸しを作りたくないって言って買ってた」

「へー」

 

 ある意味澪らしいと言えばらしい。おそらくこうなることがわかっていたから隠していたのだろうが。

 

「でも、それやったら車買うんも揉めたんちゃうの?」

「うん。だからスポンサー同士で代表者がデュエルして、勝ったところのを買うって形に落ち着いたみたい」

「え。それアレやん、要するに社会人とか実業団クラスのガチ試合やん」

「なんか広報の人が放送できないのを悔しがってたとかなんとか……」

「あの人無茶苦茶やなやっぱり……。車買うだけで何人動かしとんねん」

 

 美咲が呆れた調子で言うが、彼女も正直大概だろう。コンサート一回で億単位の金が動くとまで言われるのだから。

 改めて目の前の幼馴染は遠い存在なのだと、そう思う。

 

「そういえば、アカデミアはどうなの? 十代くんたちは元気?」

 

 だからこそ、こうして昔と変わらず言葉を交わせるのが本当に嬉しい。

 目の前の彼女は、夢神祇園にとって〝全て〟だったから。

 

「元気も元気。相変わらずやで。〝侍大将〟は新入生ボロボロにするし、十代くんは入試主席の子を舎弟にするし、藤原さんはお姉様って慕われとるし、万丈目くんは早速サンダーコール受けとるし」

「うん。いつも通りだね」

「ああ、吹雪さんは新入生の子をナンパして明日香さんに怒られてたなぁ」

「元気そうだねホント」

 

 頷く祇園。その彼に対し、美咲はただ、とため息を吐きながら言葉を紡いだ。

 

「厄介なこともあってなぁ。今アカデミアの上層部で、レッド寮廃止の案が持ち上がっとるんよ」

「えっ、廃止?」

 

 机に突っ伏すようにしながら言う美咲に、思わず驚きの声を上げる。うん、と美咲は頷いた。

 

「寮の格差を敢えてつけることで学業に対するモチベーションを上げることを促す、っていうのが寮分けの建前なんやけどな」

「建前なんだ」

「そういう側面もあるけど、本質は大きく違うからなぁアレ。十代くんやら〝侍大将〟やら万丈目くんやらがレッド寮から動いてへん時点でパワーバランス崩れとるし。で、それを正常に戻す上で落第生をここで整理するために廃止しようっていう動きがあるんよ」

 

 重いため息を再び吐き、美咲は言う。その声色には怒りも滲んでいた。

 

「正常に、って。今が正常じゃないって事?」

「廃止派のナポレオン教頭はそういう主張やな。実際、その考えには一理あるのも確かや。実態はともかく実力順ゆーんがアカデミアのシステムやったのに、世間的に視たらそうはなってないのが実情や。今回妖花ちゃんが入試次席やのにレッド寮を希望したんもそういう事情から、っていう見方をしとる教師もおるし」

「……成程、そういう考え方もあるんだ」

 

 顎に手を当てて考え込む。防人妖花――彼女がレッド寮を選んだこともその経緯も祇園は知っている。嬉しいことに自分に憧れてくれたという話だが、成程確かにそれは理由だけを見ればアカデミアのシステム、その根本に関わるのだ。

 かつてレッド寮に所属していた人に憧れて――その憧れは本来、ブルー寮に所属していた『誰か』に向けられるべきなのだから。

 実際の妖花はレッド寮に知り合いが多いことも理由としては存在しているし、祇園のことも実力だけで憧れているわけではない。そもそも彼女はレッド寮が落第生の寮であることを理解した上で選択しているのだから、前提条件がおかしいといえばおかしい。

 だが、見方によってそんなものは簡単に変わる。

 

「それと、ちょっと、言い難いんやけどな」

「うん?」

「……廃止派にな、倫理委員会が関わっとるんや」

 

 ドクン、と心臓が大きく撥ねた。思わず机の上の手を握り締める。

 

「……倫理委員会って、解散したんじゃなかったの?」

 

 声が僅かに震えた。美咲が顔を上げ、真剣な眼差しを向けてくる。

 

「実際は存続中や。鮫島元校長はあくまで自主退職。今はクロノス教諭が代理をしとるんよ。……正直、倫理委員会については決着に時間がかかる。向こうも必死や。今回のレッド寮廃止も、『廃止するべき寮に在籍していた生徒を退学にしたのは不当ではない』っていう主張のための一手やって話もある」

「…………」

「あ、でも安心してや? 廃止派はそう多くないから。反対派はウチと緑さんを中心に、クロノス先生も悩んではいるみたいやけど反対派やし」

 

 笑顔を浮かべ、こちらを安心させようとしてくれる美咲。祇園も微笑を浮かべると、大丈夫、と言葉を紡いだ。

 

「割り切れているか、っていうとそうじゃないかもしれないけれど。でも、あのことは終わったことだから」

「でも、祇園」

「過去には戻れない。だから、前を見るしかない。……大丈夫。大丈夫だよ」

 

 首を振り、そう言葉を紡ぐ。大丈夫――自分で吐いたその言葉が、酷く重かった。

 

「なあ、祇園」

 

 こちらの手を優しく包み。

 彼女は、言う。

 

「ウチは、何があっても祇園の味方やで?」

「……僕もだよ。僕も、美咲の味方だよ」

「うん。心強い」

「そうだね。……世界で一番、心強いよ」

 

 目を閉じる。一人ぼっちだった自分を救い出してくれたヒーローが、味方だと言ってくれた。これ以上に心強いことはない。

 

「……祇園はいつも、ウチが欲しい言葉をくれるね」

 

 少し赤みが差した頬。思わず、見惚れてしまった。

 

「なあ、祇園」

 

 薄い微笑。言葉を紡ぐことは許されない。

 

「もしも、ウチが助けて、って言ったら……助けて、くれる?」

「うん」

 

 当たり前だよ、と言葉を返した。

 それが、精一杯で。

 

 彼女が微笑む。

 それだけで、満足だった。

 

 

 今思えば、もう少し考えるべきだったのだ。

 桐生美咲という少女。

 夢神祇園という少年。

 この二人が、こうして向き合っているという事実に対して。

 考える――べきだった。

 

 後悔は、いつだって取り返しがつかない時にやってくる。

 

 

 …………。

 ……………………。

 ………………………………。

 

 

「三人とも引き受けてくれたみたいだぜ、兄サマ」

「……三人全員とは少々予想外だな。DDはともかく、他二人は断ると考えていたが」

「皇はタイミングが合ったから、って言ってたぜ。といっても、あのジジイの場合当日に無断で欠席もあり得るけど」

「その場合の策もあるのだろう?」

「ああ。一応、藤堂と天城を控えで呼んである」

「ふぅん、ならばいい。……あの小娘はどうだ?」

「最初は面倒臭そうにしてたけど、団体戦だって伝えたら引き受けてくれたぜ」

「ほう。ならば問題なかろう。あの小娘は依頼を断ることこそ多いが、引き受けた仕事については必ずこなす」

「ああ。……そうなると、問題はこっちだな」

「警戒はしていたつもりだったが、な」

「ああ。普通は手を出さない。俺たちだけじゃなく、ペガサスのヤローも敵に回すからな」

「くだらんゴシップ誌だ。この程度でダメージを受けるほど脆くはないが……タイミングが悪い」

「桐生の奴は問題ないだろうけど……」

「……このタイミングでこの記事。おそらく背後には倫理委員会のクズ共が関わっている。鮫島に連絡を取り、背後関係を洗え」

「わかったぜ。あと、二人へのフォローだけど……」

「美咲については必要なかろう。問題は小僧――祇園か」

「実害がある、とは思いたくないけど……」

「最悪の場合、こちらで匿うことも想定しておけ。……ふぅん、鬱陶しいな。この俺に喧嘩を売ったこと、後悔させてやる」

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 朝から、どことなく空気が不穏だった。普段から積極的に人に話しかけることをしないということもあり、祇園は一人で行動していることが多い。そもそも雑談という行為が致命的に苦手な彼は、どうしても人と関わる時に一歩引いてしまうのだ。

 

(今日の授業って提出物あったかな……)

 

 のんびりと考え事をしながら歩を進める。一人でいることを苦痛だとは思わない。それを寂しいと思うには、あまりにも一人の時間が長すぎた。

 道行く生徒が祇園へと視線を向ける。元々二年生筆頭にしてメディアでも騒がれているほどの実力者だ。新入生を中心に彼に好奇の視線を向ける者は多い。

 

(……何だろう?)

 

 人の視線には人一倍敏感だ。気付かれないように、いてもわからないように――あまりにも多くの悪意に晒され続けてきた彼は、そうして人の悪意から逃げ続けてきたのだ。

 だから、わかる。

 好奇のこもった笑い声。そんなものはマシだ。嘲笑われるのには慣れている。だが、それとは別。

 ――敵意。

 周囲から、それを感じた。

 

「…………」

 

 ため息を一つ零し、歩を進める。

 別に何かが変わったわけではない。一人でいるのは慣れたことで、当たり前のこと。

 中学時代は、ずっとそうだったではないか。

 

(……どうして)

 

 何故、アカデミアの皆の姿が浮かぶのだろう。

 何故、昨年のチームメンバーの顔が浮かぶのだろう。

 何故、クラスメイトの顔が浮かぶのだろう。

 

 答えは出ない。

 周囲から向けられる視線だけが、変わらない。

 

 

 …………。

 ……………………。

 ………………………………。

 

 

 結論から言うと、周囲の空気は昼休みになるまで変わらなかった。周囲で声を潜めて行われる会話と、無遠慮に向けられる視線。溶け込んでいるとは言えずとも受け入れられているとは思ったのだが。

 廊下を歩き、人気のない場所を探す。一瞬校長室が浮かんだが、自分から入る勇気はなかった。校長自体はとてもいい人なのだが、以前澪と共に孫娘にデュエルを教えて欲しいと屋敷に呼ばれたことがある。屋敷自体もかなり豪華で驚いたのだが、中にいた黒服の人たちの方により驚いた。とりあえず顔に瑕がある人が何人もおり、澪は「ギンジが混ざっても違和感ないな」などと笑っていたが祇園はかなりいっぱいいっぱいで、寿命が縮まった覚えがある。

 どこかの裏庭か校舎の陰にでも、と外に出る。少し冷たい風が肌を撫でた。

 息を吐き、歩いていく。校舎の角を曲がった瞬間、一人の女生徒とぶつかりそうになった。

 

「――っと、すみませ――」

「あァ? どこ見て――」

 

 視界に入ったのは、鮮やかな金髪だった。こちらを威圧するように睨んでいた少女は、あん、とこちらの姿を見て眉をひそめる。

 

「……何やってんだ、こんなとこで」

「……ちょっと、人がいないところを探して」

 

 一ノ宮美鈴――入学式で祇園と戦った少女の言葉に苦笑しながら応じる。少女は眉をひそめるが、何か思い当たることがあったのかすぐにこちらに背を向けた。

 

「ついて来いよ。アタシがよくサボる場所なら案内してやれる」

「……いいの?」

「面倒臭ぇことになってんだろ?」

 

 そう言うと、こちらの返事も待たずに歩き出す美鈴。その背を追いかけてしばらく歩くと、旧校舎の裏庭に出た。以前澪の演奏を聴いた音楽室の窓が見える。成程、確かにこの場所なら人は来ないだろう。

 

「ありがとう」

「いいよ別に。朝見かけたけど、アタシもああいうのは気に入らねぇしさ」

「ああいうのって?」

「本人に何も言わずに周りで好き勝手なことを言う連中だよ」

 

 はっ、と吐き捨てる美鈴。そのまま彼女は古びたベンチに腰かけた。祇園は一度俯くと、近くの壁に背を預ける。

 そんな彼に美鈴が何かを言おうとした瞬間、別の場所から声が届いた。

 

「――人連れてくんなって言っただろ、新入生。逢引なら別の場所でやれ」

 

 そう言って陰から姿を現したのは祇園も見覚えのある人物だった。沢村幸平――三年生であり、現アカデミアウエスト校№2。

 

「別にアンタの場所ってわけでもないだろ」

「人のサボりスポットに堂々と入り込んどいてその言い草か。……夢神か。ああ、成程」

 

 沢村は普段から無口な人物だ。基本的に他人と距離を取ろうとするし、祇園自身もあまり話したことはない。だが実力は確かで、彼のスタイルには学ぶ部分も多い。

 

「不良のくせにお節介なことだな、新入生」

「別に不良になろうとしてなったわけじゃねぇ」

「そりゃそうだ。……で、夢神。この場所のことは誰にも言うなよ。面倒臭い。特に最上にはな」

「最上先輩、ですか?」

「風紀委員長は昔から相性が悪い。第一、お前は人のことをどうこう言える状況じゃないだろ。これ、ヤバいぞ」

 

 そう言うと沢村は一冊の雑誌を渡してきた。ページを捲り、祇園の表情が変わる。

 そこに掲載されていたのは一枚の写真だ。映っているのは、美咲と――自分。

 

「『桐生美咲、熱愛発覚』――頭の悪い記事だな。一応、相手の姿はぼかされてるが」

「…………ッ」

 

 思わず雑誌を強く握り締める。朝から感じていた違和感はこれか。

 

「俺は興味ないが、お前ら付き合ってるのか?」

「……美咲は、親友です」

「そうなのか。ゴシップってのはあてにならないな。……菅原さんが心配してたぞ。電話しとけよ」

「菅原先輩がですか?」

 

 言われ、携帯端末を取り出す。そこで気付いた。電池が切れている。

 

「……すみません、充電が切れていたみたいです」

「ああ、そりゃ繋がらないだろうな。これ使え」

 

 そう言って沢村が渡してきたのは携帯充電器だった。礼を言い、端末に繋ぐ。そうして待っていると、美鈴がどこか驚いた調子で言葉を紡いだ。

 

「あんたがそこまでするって珍しいな」

「後輩の手助けぐらいはしてやるさ」

「へぇ」

 

 そんな二人の会話を聞き流しながら、端末を操作する。案の定、大量の着信履歴があった。先程話題に出た菅原雄太の他に、新井智紀、二条紅里の着信もある。更に十代、三沢、翔、明日香、雪乃、万丈目、吹雪といったアカデミアのメンバーに、妖花やアヤメ、ギンジなどからも着信が入っている。

 逆に澪や宗達からの着信はなかった。澪は気付いていない――というより知らない可能性こそあるが、宗達はきっと知った上で何も言ってこないのだろう。

 

「…………」

 

 メールの受信ボックスを見る。やはりというべきか、大量のメールが送られて来ていた。そのほとんどがこちらを案じるものであり、着信よりも数が多い。

 自分を心配してくれているそれらに、胸が温かくなる。その最中、一通のメールを見つけた。

 

 

〝ごめん〟

 

 

 タイトルはない。書かれていたのはそんな一言だけだった。

 すぐに電話を繋ぐ。だが、相手は出ない。

 

「……なんで、どうして……謝って……」

 

 間違えたのは彼女じゃない。自分だ。だって、あの日は。

 あの時、自分が彼女の家を訪れたのは――

 

 何度かけ直しても、変わらなかった。

 誰よりも傍にいると、想っていた相手。

 

 言葉は、彼女へ届かない。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 唇を噛み締め、拳を握り締める。

 軽率だった。自分のミスだ。それで祇園に多大な迷惑をかけてしまった。

 

「しばらくはテレビ出演も自重してもらうぞ、美咲」

「……はい」

「レギュラー番組や現在決定しているライブについては予定通り行う。だがインタビューや生放送などはキャンセルだ。今日の試合についても試合後のインタビューは控えろ」

 

 以上だ、とその人物は言い切った。すみません、と美咲は首を垂れる。

 

「社長にも……ご迷惑を」

「この程度で揺らぐようなことはない。その上、あの小僧のことは貴様が唯一我々に願ったことだ」

 

 立ち上がり、こちらに背を向けながら男は言う。

 

「本来ならば、この件など無視しても良かった。それこそ何の関係もないと、ただの友人であると宣言すれば事態の収束自体は容易い。倫理委員会のクズ共がどう出るかはわからんが……その程度どうとでもなる」

 

 だが、と彼は言った。

 真剣な声色で、振り返らぬままに。

 

「貴様に、その言葉は紡げん」

 

 思わず俯いてしまった。〝アイドル〟としても〝プロデュエリスト〟としても自分はある種仮面を被っている。その感覚を用いれば、きっと言えるはずだ。

 だが、その時にはきっと大事なものを失う気がする。

 口にしてしまうだけで、何かが終わってしまいそうで――……

 

「ありがとう、ございます」

「ふん、例には及ばん。……そもそも、こんな話題すぐに消え失せる。珍しくそこの小娘もやる気になっているようだからな」

 

 水を向けられ、部屋の隅で本を読んでいた女性が僅かに視線を向ける。

 

「澪さん、ご迷惑をお掛けします」

「迷惑も何も、キミから受けた被害はないが……。少年については任せておけ。とりあえず私の家に匿おう。流石に連中も私まで敵に回さんだろうからな」

「よろしくお願いします」

「キミと私はある意味で敵同士だぞ? 礼を言う場面ではないと思うが」

「それでも、です。……ウチのせいで、祇園が昔みたいに……」

 

 声が徐々に弱くなっていく。その彼女へ、案ずるな、と澪が言葉を紡いだ。

 

「少年はこの程度で折れるほど弱くはない。この程度で折れるようなら――キミの前から消えるようなら、既に彼はどこかで野垂れ死んでいる」

 

 それは反論のしようのない真実だった。そしてだからこそ、胸が痛くなる。

 耐えられるということと、痛みを感じないということは、決してイコールではないのだから。

 

「とにかく、今はキミの元気な姿を見せるのが第一だ。先程から鳴っているその端末。何の意地で出ないのかは知らんが、意地を見せるなら貫き通さなければ意味はないぞ」

 

 そう言うと、立ち上がって部屋を出て行こうとする澪。その彼女に、ずっと疑問だったことを問いかけた。

 

「澪さん、どうして……今回の仕事を受けたんですか?」

「理由は色々ある。話題を別の話題で塗り潰すのも目的の一つだ。だが、それとは別に――」

 

 右の掌を開き、それを見つめる。どこか、寂しげに。

 

「――やり直せるかもしれないと、そう思った。あの時間違えたモノを、もう一度」

 

 そして、彼女は部屋を出て行く。ふん、と男が鼻を鳴らした。

 

「随分と人間らしくなったものだな。初めて見た時はもっと薄ら寒い何かを感じたが」

「そうですね。それを変えたのは、きっと――……」

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 拉致。行われたのは正しくそれだった。

 相変わらずの遠巻きな視線を受けながら下校し、寮へ向かおうとしているといきなり黒塗りの車へと連れ込まれた。あまりにも鮮やかな誘拐である。

 

「……とりあえず、ありがとうございます」

「まあ、気にする必要はない。とりあえずほとぼりが冷めるまでは私の家で過ごしてもらう予定だ」

 

 車の中で待ち受けていた澪にある程度説明されていたのだが、正直ここまでする必要があるのかと思ってしまう。だが、それも澪の説明ですぐに納得した。

 

「美咲くんだけならばどうとでもなったが、キミもそれなりに有名人になっている。噂など本人がいなければ自然と収束していくものだ。しばらくは休暇だと思って休んでおけ」

 

 そう言われると逆らえない。自分一人ならばともかく、美咲にまで迷惑がかかる可能性が高いのだから。

 

「まあ、安心するといい。その噂もそのうち消える」

「そう、でしょうか」

「人の噂も七十五日。……今回のことで問題なのは、キミたちが未成年であるという点だ。恋愛に不純も何もあったものではないと思うが、世間はまあ色々とうるさいからな」

 

 上着を脱ぎ、ソファに腰掛けながら澪は言う。

 

「ただ、自分のせいだと思っているのならそれは間違いだ。誰のせいでもない。たとえあの日が少年、キミの誕生日であり、それを祝うために美咲くんの家を訪れていたとしても、だ」

「……でも、それは」

「何度も言うが、気にする必要はないよ。これ以上は考えても仕方がないことだ。後は時間が解決してくれる。思い悩むなとは言わんが、それで変わることはないよ。残念ながらな」

 

 それはその通りだ。どれだけ悩もうと、祇園にできることはない。ただ待つ――そうすることしかできないのだ。

 

「まあ、外に出るときは簡単に変装をしておけ。学校も一週間ほどは休むべきだな。とりあえず間を置いた方がいい」

「……はい」

「うむ。それでいい。さて、夕食にしよう」

 

 言うと、澪は出前を取る電話を始めた。その姿を眺めながら、祇園は大きく息を吐く。

 相変わらず美咲には連絡がつながらない。謝罪の言葉――あの意味が、わからないままにある。

 

 謝るべきは、自分なのに。

 彼女の隣に立てなかった、弱い自分なのに。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 眠れない――深夜に祇園は布団から身を起こした。寝なければならないことは理解している。だが、目を閉じると共にどうしても考えてしまうのだ。

 もっと、方法はあったはずだと。

 自分が、もっと。

 そんな、自己を責めることばかり――……

 

「…………」

 

 リビングに出ると、声が聞こえた。テレビの音か――そう思いリビングに向かうと、予想外の人物の姿を見つける。

 

「……澪さん?」

「……どうした、少年?」

 

 眠れないのか――微笑みながら、彼女はそう問いかけてきた。頷くと共にテレビへと視線を向ける。そこに映っていたのは、自分。そう、夢神祇園だった。

 今にも壊れそうな顔で、必死に前を見ようとしている姿。これは昨年度IHの準決勝か。副将でエントリーした祇園に回ってきた時点で一勝二敗と崖っぷちの状態であり、絶望的なプレッシャーの中での戦いとなった。

 

(外から見れば、こんな風なんだ)

 

 無様だ、と思う。焦りを微塵も隠せていない。

 先達たちは、あんなにも堂々と戦い抜いていたのに。

 

「……いい表情だ」

 

 だが、澪は真逆の意見を口にした。彼女は画面から視線を外さず、言葉を続ける。

 

「恐れながらも前を向こうとする、強い顔だ。少年、キミはこの時何を考えていた?」

「負けたくないと、思いました。僕の負けのせいで敗退が決まったら、と思っていたので……」

「成程、他人を想っていたか。……そうだな、団体戦とはそういうものだ」

 

 どこか自嘲するように呟く澪。あの、と祇園は言葉を紡いだ。

 

「どうしてIHの映像を?」

「参考にできないか、と思ったんだが。今週末、他のタイトルホルダー二人とチームを組み、欧州大会の優勝チームと団体戦を行うこととなった。だが私には団体戦の経験など中学生の頃に一度行っただけ。それで何か参考にできないかと思ったのだが……」

 

 テレビを消し、澪は苦笑する。その表情には寂しさが含まれていた。

 

「やはり、わからない。団体戦であろうと個人戦であろうと、ただ勝てばいい。勝利だけを追い求め、それを成せばいい。それ以外の結論が出てこない」

「…………」

「優勝の瞬間――私はそれを客席で見ていた。皆、いい表情だったよ」

 

 ――あんな表情、私の時は見れなかった。

 ポツリと、澪は呟く。その言葉に込められていたのは自嘲であり、諦観。

 

「……キミは優しいな」

 

 ソファの隣へ腰を下ろした祇園に、澪は微笑みながらそう言った。窓の外――夜のために見えにくいが、雨の降り始めた空を眺めつつ、言葉を紡ぐ。

 

「眠れないというなら丁度いい。一つ、話をしよう」

 

 くだらない話だが、と前置きし。

〝王〟と呼ばれる女性は、その物語を口にする。

 

「私が自身を人ではないと定義した、敗北の物語を」

 

 

 …………。

 ……………………。

 ………………………………。

 

 

 今からもう、六年近く前になるのか。月日が経つのは早いものだな。

 当時の私は中学校に入学したばかりでな。環境が環境だったせいか友人の作り方も知らず、そもそも必要ないとさえ考えていたせいで一人きりで過ごすことが多かった。

 苦痛ではなかったよ。そもそも友人などいたことがなかったからな。いないことが当たり前だったんだ。

 そんな時だ。交流と称してデュエルを行う行事があり、私はそこで活躍した。すぐさま上級生にも知られ、彼女たちともデュエルをし――ああ、私の通っていた中学校は女子校だったよ。それが事態をややこしくしたともいえるが。

 まあともかく、私は校内でもナンバーワンのデュエリストという立ち位置にいつの間にかなっていた。当時の私は今のように同種を探していたわけでもない。故にまあ、恐れられることはあっても今のように忌避されることはなかった。あくまで最初のうちは、だがな。

 ……ん? 話し辛いならいい?

 大丈夫だよ、少年。この経緯を知っているのは今なら朱里くんぐらいであるし、話すこと自体初めてだが。別に苦痛というわけではない。私にとっては最早終わったことだ。だが同時に、私が――烏丸澪がこんな様に成り果てた原因の一つではあるとは思っているが。

 まあ、それはいい。とにかくだ。一番強い以上、インターミドルへの参加は必然だった。IHと違い、インターミドルの団体戦は勝ち抜き戦だ。私は大将として参加し、予選の全試合で勝利を収めた。

 当時は騒がれたよ。私自身も浮かれていた。一回戦、二回戦――少なくとも最初のうちは私の勝利を彼女たちは喜んでくれていたし、それでよかった。友人とは呼べずとも、誰かと共に何かを成すことができていると思っていたから。

 ……そんなものは幻想で、結局私は一人きりで戦っていたのだがな。

 ちなみに紅里くんと知り合ったのも当時だ。とはいえ、彼女はその時補欠だったがな。

 気付くべきだったんだ。準決勝、決勝――共に私が大将として五人抜きをした時。地方選を突破した時。彼女たちの誰も喜んでいなかったことに。

 そして全国。そこで遂にそれが起こった。

 当時は一回戦、二回戦を同時に行う方式でな。一日に二試合が組まれていた。私は普段を見てくれればわかると思うが、遅刻癖がある。だから大体最後に――ギリギリに着くんだが、私が会場に入った時、紅里くん以外の人間は誰もいなかった。

 遅刻かとも思ったが、そうなると失格になる。応急処置として私が先鋒となり、紅里くんを次鋒に据え、メンバーが足りない状態で試合に臨んだ。

 

 ――そして私は、一人で二試合に勝利した。

 最後まで、誰一人会場には現れなかったよ。

 

 二日目になり、応援席に関係者が増えた。全国出場は初だったせいで、生徒も教師も気合を入れたようだ。だが相変わらず、私たち二人以外は不在でな。

 ……私の中で、何かが歪んだんだ。その時。

 試合放棄。私が出した結論はそれだったよ。

 教職員に呼び出されたのを覚えている。その時、私はあったことをすべて話し……そして、色んな事が壊れた。

 最初は私も色々と言われたが、そもそも全国に行けた理由も私だからな。ターゲットは紅里くん以外のメンバーになっていった。ここまで言えば、何が起こったかは容易く予想できるだろう?

 ……くだらない話だ。彼女たちも追い詰められていたのだろうな。私に嫌がらせを加えるようになった。だが気にもならんし興味もないとくれば、彼女たちの気が収まらない。

 最終的に紅里くんもターゲットにされ、大いに揉めた。結局、当時のメンバーは退学するか転校していったよ。次の年、私と紅里くんは参加せず、チームは一回戦負け。それも惨敗だ。それ以来、インターミドルについてはタブーとなった。

 

 私はな、少年。未だにわからないんだ。

 彼女たちは私に勝利を望んだ。私はそれに応えた。ただそれだけのはずだった。

 だが現実は、そうではなくて。

 私は、彼女たちの人生を狂わせた。

 

 勝つことが一番であるはずだ。

 なのに、それをした私は。

 

 ――なぁ、少年。

 私は、どうしたらよかったのだろうな?

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

「だから、私は私より強い者を求めた。求め続けている。そうしなければ、きっと、私は」

 

 雨の中、呟くその横顔は。

 酷く、悲しげで。

 

 心を映すように降りしきる雨。

 晴れる気配は――ない。

 

 


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