遊戯王GX―とあるデュエリストたちの日々―   作:masamune

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第六十三話 ずっと、ずっと

 

 

 

 

 アカデミア本校では中間・期末テストとは別に月一試験という形で実技テストが行われる。

 従来の方式では基本的に同じ寮の生徒とデュエルをし、その内容を審議するという形であった。しかし、現在はその形も少し変わり、優秀な成績を修めている生徒は教師や上の寮に在籍する生徒とデュエルを行い、入れ替え戦を行うという方式が増えてきている。

 最初の頃は大きな移動もなかったものの、最近では入れ替わりも激しく、今日も入れ替え試験を行う生徒が一年生だけで五組もあるというのが現状だ。

 寮が一つ上がるだけで待遇が大きく変わるのがアカデミア本校の特色である。モチベーションを上げるという意味では、実力を示す機会に恵まれるのは非常に重要と言えるだろう。

 まあ、とはいえ。

 実力があっても他の要因によって上がれない者もいるのだが。

 

 

 

「よろしくお願いします」

 

 礼儀正しく一礼する、オシリス・レッド所属の一年生――夢神祇園。どことなく気弱な印象を他人に与える少年だ。

 最下ランクの寮であるオシリス・レッドの制服に身を包んでいるが、そのデュエルの注目度は高い。彼の名前が呼ばれた瞬間、周囲で順番待ち、あるいは試験を終えて時間を持て余していた者たちが視線を向ける程に。

 そう……それこそ、普段からオシリス・レッドの生徒たちを見下すオベリスク・ブルーの生徒たちも視線を向けてくるほどに。

 

「はい、よろしくお願いします」

 

 その彼と向き合うのはアカデミアの教員だ。今回、祇園の試験相手は教師なのである。

 しかし、彼はこのデュエルに勝利しようとも寮が格上げとなることはない。彼は先に述べた〝例外〟の一人であるが故に。

 

「「決闘」」

 

 そして、静かに試験が開始される。その姿を少し離れたところで見守りながら、桐生美咲は隣で本を読む女性へと言葉を紡いだ。

 

「実際のところ、澪さんから見て祇園はどうなんです?」

 

 問いを投げかけられ、女性――烏丸澪は一度本から視線を外した。そのまま、そうだな、と呟くように言う。

 

「実力自体はかなりものだろう。ウエスト校の一年生を見渡しても、あそこまでやれる者はそう思い浮かばない」

「おお、高評価や」

「私は個人の生い立ちや背景はともかく、実力について情をかけることはない。足りない部分は多々あるが、それでもあの歳ならば十分だろう」

 

 もっとも、と〝祿王〟の名を持つ最強は言う。

 

「この学校にいてはその特別すらも薄れるがな。遊城十代、万丈目準、三沢大地、天上院明日香、藤原雪乃。同世代だけでこれだけ才能が集まるなど、最早奇跡に近い」

「〝侍大将〟はリスト入りしてへんのですね?」

「アレは次元が違うだろう。実力という意味でも、その根源という意味でも」

 

 再び本へと視線を戻しつつ、澪は言う。美咲が〝侍大将〟と呼んだ人物は早々に教員相手に試験を終了させ、ドームの隅で試合を眺めている。先日の後遺症はないようだが、どことなく以前に比べて更に威圧感が増しているように思えるのは考え過ぎだろうか。

 

「ふーん。……で、澪さん、〝邪神〟はどうだったんです?」

「どうも何も、こちらを舐めている間に先手で潰しただけだ。最初から全開ならばどうだったかはわからんが、結果として私が圧勝した。必要なのはその事実だ。まあ、しばらくは大丈夫だろう」

「流石ですね、ホンマに」

「大したことではないよ。現在進行形で少年たちが巻き込まれている戦いに比べれば、な」

 

 そう言うと、そのまま澪は本へと集中し始めた。祇園のデュエルを見ないのは、彼女には結果が見えているからだろう。

 

「…………」

 

 美咲は、無言で祇園の試合を見つめる。

 覚悟を決めるべき時は、少しずつ近付いている。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 一度大きく深呼吸をする。デュエルが始まる瞬間の、この、お互いがそれぞれの手を示す一瞬の緊張。

 どうにもこの瞬間は慣れない。どうしても敗北がちらつくし、その度に自分の弱さに自己嫌悪を抱く。

 そして、いつも思うのだ。

 

(強く、なれてるのかな)

 

 弱くはなっていないと思う。けれど、強くなれたという実感もない。

 周りにいる人たちは、それほどまでに遠く――強い。

 

「では、先行は私だ。ドロー」

 

 デュエルディスクによって決められた先攻後攻により、先手は相手となる。あまり覚えのない教師だが、それもそのはず。彼の授業担当は三年生だ。

 本来なら試験の相手は一年生を担当する教師陣や、技術指導最高責任者であるクロノス、技術指導主任の響緑が担当するのだが、一部の生徒はこうして別学年の教師と戦うことも多い。

 

「私は手札より魔法カード『おろかな埋葬』を発動。デッキから『メカ・ハンター』を墓地へ送る」

 

 メカ・ハンター――闇属性の機械族モンスターだ。レベル4としては高い攻撃力と、通常モンスターということでかなり使い勝手のいいモンスターである。

 

「そして更にチューナーモンスター、『ブラック・ボンバー』を召喚。墓地から闇属性、レベル4の機械族モンスターを蘇生する。メカ・ハンターを蘇生」

 

 ブラック・ボンバー☆3闇・チューナーATK/DEF100/1100

 メカ・ハンター☆4ATK/DEF1850/800

 

「チューナー……?」

 

 思わず呟く。現時点においてシンクロ召喚を使うのはアカデミアにおいて生徒では僅かに二人しかいない。祇園と明日香だ。祇園についてはルーキーズ杯があったからだし、明日香についても澪が気まぐれを起こしたが故に手にできたと本人が語っている。

 三沢などは手に入れようと何やら画策しているようだが、正直難しいだろう。チューナーモンスターはともかく、シンクロモンスターというのはそれだけ貴重で、同時に手に入り難い。

 

「シンクロを使うのは現状だとキミと天上院さんだけだ。だからこそ、こちらもシンクロを使わなければならない。キミが信頼を寄せる力を敵が使えばどうなるか、それを教えないといけないからね」

「……ありがとう、ございます」

 

 一礼する。場合によってはたった一枚から逆転さえ演出できるシンクロという概念。使っているからこそ恐ろしさは知っているが、成程、肌で感じる必要はあるだろう。

 

「とはいえ、主体というわけじゃないんだけどね。まあ、こういう使い方もあると知って欲しい。――さあ、いくよ」

 

 シンクロ召喚、と告げると共に。

 そのモンスターが、現れる。

 

「『パワー・ツール・ドラゴン』」

 

 パワー・ツール・ドラゴン☆7地ATK/DEF2300/2500

 

 現れたのは、機械で形作られた竜だ。そして同時に、効果発動、と相手が宣言する。

 

「一ターンに一度デッキから装備魔法を三枚選択して相手に見せ、その内一枚を相手がランダムに選択し、手札に加えることができる。私は選択するのは、『流星の弓―シール』を三枚だ」

 

 事実上の一択。流星の弓―シールは攻撃力を1000ポイントダウンさせる代わりにダイレクトアタックの効果を得ることができる装備魔法だ。『ベンケイワンキル』などで見ることのあるカードだが――

 

「そして更に魔法カード『トランス・ターン』を発動。パワー・ツール・ドラゴンを墓地に送り、デッキから同属性、同種族のレベルが一つ高いモンスターを特殊召喚する。来い――『超重武者ビッグベン―K』」

 

 現れるのは、その名に相応しき重量感と威圧感を持つ鎧武者。

 レベル8の、不動の構えを持つモンスター。

 

 超重武者ビッグベン―K☆8地ATK/DEF1000/3500

 

「ビッグベン―Kは召喚・特殊召喚時に守備表示となり、また、このモンスターがいる限り場の超重武者は守備表示のまま守備力で攻撃できる」

 

 つまり、事実上攻撃力3500のモンスターが現れたも同然。更に、先程相手が手札に加えたシールのデメリットは攻撃力を下げるというもの。ビックベンーKにとってはデメリットはないに等しい。

 

「カードを一枚伏せ、ターンエンドだ。――さあ、キミのターンだよ」

「僕のターン、ドロー」

 

 守備力3500。しかも、放置すればその攻撃力がそのまま直接攻撃として向かってくることが確定している。

 手札を見る。賭けの部分が大きいが――

 

「僕は手札より魔法カード『光の援軍』を発動。デッキトップからカードを三枚墓地に送り、デッキからライトロードを一枚手札へ。『ライトロード・ハンター ライコウ』を手札へ加えます」

 

 落ちたカード→ジャンク・シンクロン、調律、死者蘇生

 

 落ちたカードはかなり厳しい。だが、これならどうにかなる。

 

「手札より『使者転生』を発動、『魔轟神獣ケルベラル』を捨て、墓地の『ジャンク・シンクロン』を手札に。ケルベラルは捨てられたことにより特殊召喚され、そしてレベル4以下のモンスターの特殊召喚に成功したため、『TGワーウルフ』を特殊召喚」

 

 魔轟神獣ケルベラル☆2光・チューナーATK/DEF1000/400

 TGワーウルフ☆3闇ATK/DEF1200/0

 

 並ぶ二体のモンスター。祇園にできることはいつだって一つだけだ。ならば、後はそれを貫くだけ。

 

「レベル3、TGワーウルフにレベル2、魔轟神獣ケルベラルをチューニング。シンクロ召喚。――『TGハイパー・ライブラリアン』!!」

 

 TGハイパー・ライブラリアン☆5闇ATK/DEF2400/1800

 

 シンクロ展開における要、ドロー効果を持つ図書館司書のような姿をしたモンスター。

 特殊召喚時に相手のカードの発動はない。ならばアレは『奈落の落とし穴』ではないだろう。最悪『激流葬』などの可能性もあるが、その場合は相手のモンスターも吹き飛ぶ。

 

「手札より『ジャンク・シンクロン』を召喚、墓地から魔轟神獣ケルベラルを蘇生し、更に墓地からの蘇生に成功したため手札から『ドッペル・ウォリアー』を特殊召喚」

 

 ジャンク・シンクロン☆3闇・チューナーATK/DEF1300/500

 魔轟神獣ケルベラル☆2光・チューナーATK/DEF1000/400

 ドッペル・ウォリアー☆2闇ATK/DEF800/800

 

 並ぶ三体のモンスター。相手の伏せカードの発動は――ない。

 

「レベル2、ドッペル・ウォリアーにレベル3、ジャンク・シンクロンをチューニング。――シンクロ召喚! 『ジャンク・ウォリアー』!! 更にドッペル・ウォリアーの効果でトークンを二体特殊召喚!!」

 

 ジャンク・ウォリアー☆5闇ATK/DEF2300/1300

 ドッペル・トークン☆1闇ATK/DEF400/400

 ドッペル・トークン☆1闇ATK/DEF400/400

 

 現れるのは蒼き体躯の機械戦士。ジャンク・シンクロンを素材指定とするモンスターだ。

 

「シンクロ召喚に成功したため、ライブラリアンの効果で一枚ドロー。そしてジャンク・ウォリアーの効果発動! シンクロ召喚成功時、自分フィールド上のレベル2以下のモンスターの攻撃力の合計分、攻撃力が上昇します!」

 

 ジャンク・ウォリアー☆5ATK/DEF2300/1300→4100/1300

 

 トークン二体とケルベラルの攻撃力分数値が上昇するジャンク・ウォリアー。会場にざわめきが広がった。

 

「攻撃力――4100!?」

「まだです。レベル1ドッペル・トークン二体に、レベル2魔轟神獣ケルベラルをチューニング。シンクロ召喚、駆け抜けろ、『魔轟神獣ユニコール』!! ライブラリアンの効果で一枚ドロー!!」

 

 魔轟神獣ユニコール☆4ATK/DEF2300/1000

 

 白い体躯を持つ一角獣が出現する。これで手札は四枚、相手は三枚。

 ――詰めは、終わった。

 

「カードを一枚伏せ、ジャンク・ウォリアーでビックベン―Kを攻撃!」

「ぐっ……!」

 

 流石の守備力3500も、強化されたジャンク・ウォリアーの敵ではない。一撃によって粉砕される。

 後は――ここからの詰めだけだ。

 

「ライブラリアンでダイレクトアタック!」

「罠カード『ピンポイント・ガード』発動! 相手の直接攻撃時に墓地より守備表示でモンスターを蘇生し、そのモンスターはこのターン戦闘及びカード効果で破壊されない!」

「――無駄です」

 

 祇園が言葉を紡ぐと同時、ユニコールが吠えた。瞬間、ピンポイント・ガードが無効化され、粉砕される。

 

「ユニコールは互いの手札の枚数が同じ時、相手の発動するあらゆるカードを無効化して破壊する効果を持っています」

「それでは――」

「はい。場はがら空きのままです」

 

 ライブラリアンの一撃。そして、残るユニコールの一撃。

 合計攻撃力は、優に4000を超えている。

 

「ユニコールでダイレクトアタック!」

 

 そして、決着。

 終わってみればあっさりしたものだったが、実質は紙一重だ。もし『激流葬』などが伏せてあったりしたら、リカバリーの手段はなかった。

 

「ありがとうございました」

 

 一礼する。とはいえ、勝利は勝利だ。試験には上手く合格できたので問題はない。

 相手は頷くと、苦笑しながら言葉を紡いだ。

 

「お疲れ様。いや、素晴らしい腕だ。……今回のデュエルは一つの参考として欲しい。シンクロは終着点ではなく、それを足掛かりとした戦術もあるということをね」

「はい。覚えておきます」

「では、お疲れ様」

 

 そう言うと、次の試験へと向かっていく教師。祇園はその背に、もう一度頭を下げた。

 ――そして。

 

「……シンクロを足掛かりにした戦術」

 

 ポツリと呟く。

 それを見出せれば何かが変わるのだろうかと、そんなことを思った。

 

◇ ◇ ◇

 

 

 試験も残すところ後僅かだ。美咲は試験結果を確認しつつ、隣に座り澪へと言葉を紡ぐ。

 

「今のデュエル、澪さん的にはどうですか?」

「70点だな。一撃でこちらを潰しにくる戦術が見える以上、多少の無理をしてでも力で押し切ろうとしたその選択は正しい。だが、リスクが高過ぎるな」

「せやけど、ユニコールはええ選択でしょう?」

「そこについては評価できる。だが、隙があったというのも事実だ。学生としてならば満点に近い回答だろうが、少年が目指す領域のことを考えればまだまだ足りないモノが多い」

 

 そう言いつつも口元が緩んでいるのは指摘しない方がいいだろう。多分藪蛇だ。自分も口元が緩んでいるし。

 

「でも、よー魔轟神なんて祇園に貸渡しましたね?」

「使い魔である獣だけだ。流石に王たちは少年には荷が重すぎる。幸いというべきか、少年は随分と気に入られているようだぞ?」

「動物は優しい人に懐く言いますし」

「まあ、アレを一般的な動物と振り分けていいのかはわからんが」

「それは同意します」

 

 言いつつ、美咲は立ち上がる。彼女にはこの後、職員会議が控えているのだ。

 

「そういえば、美咲くん」

「はい、何ですか?」

「どこまでが、キミの想定内だ?」

 

 変わらず視線を本へと落したまま。

 烏丸澪が、問いかける。

 

「今のところ、犠牲者は鮫島校長だけです。……その時点で、すでに最良からは程遠い」

「キミは欲張りだな」

「そうじゃなかったら、ウチはここにいませんから」

 

 振り返り、笑って見せる。

 それはアイドルとしての笑顔であり、人に見せるための笑顔。

 

「生きるために、生きていけるように在るために。理由なんて、それだけですから」

 

 澪が、その顔をこちらに向けた。

 その瞳に宿るのは、憐憫と……同情。

 

「キミもまた、随分と生き急ぐのだな」

 

 その言葉に対し、返答はしない。

 そんなことは今更で、応じる必要もなかったからだ。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 試験が終わると、どうしても緩んだ空気が流れる。それは仕方がないことだし、それをいちいち咎める教師はそういない。まあ、受験生である三年生の担任ともなれば違うのだろうが、一年生である祇園には関係ない。

 そう、関係ないはずなのだが、今は別に問題がある。

 

「ダークネス、カムル、カミューラ、タニヤ……これで四人、か」

 

 試験後、授業への出席率がいきなり落ちるという事件があった。調べてみるとセブンスターズの一人であるタニヤという女性がコロシアム建造のために人を集めていたということで、そこで衝突することとなる。

 結論から言うと、祇園はその戦いに参加していない。購買部の仕事があったし、何より体がまだ本調子でないためドクターストップをかけられている。事実上、リタイアに近い状態だ。

 

「ようやく半分か、先は長いな」

 

 正面、向かい側に座る人物――如月宗達が欠伸を噛み殺しながらそう言葉を紡ぐ。そうだね、と祇園は頷いた。

 

「僕も、力になれたらいいんだけど」

「気負い過ぎても良いことなんてねーし、大体オマエドクターストップかかってんだろ? 後は他の連中に任せとけ。それこそカイザーが健在なんだから」

 

 ひらひらと手を振りつつ宗達は言う。その彼自身、命を懸けてカミューラと戦い、勝利している。その傷もまだ癒えていないはずだ。

 頼ればいいのだろうと思う。けれど、夢神祇園はそれができない。

 

(これが、澪さんにも言われた僕の『歪み』)

 

 わかってはいるのだ。自分よりも優れた人が何人もいるのだから頼ればいいと。

 けれど――できない。

 信用できても、信頼ができない。己がやれば失敗するとわかっているのに、他人の方が自分よりも遥かに上手くやるとわかっているのに、それでも他者を頼れない。

 

「まあ、忠告はしたぞ。オマエがどういう道を選ぼうと結局はオマエの人生だ。全部台無しにするようなことだけはないようにしろよ」

 

 そのまま、宗達は食堂を出て行く。微妙に急いでいるような雰囲気だったのは何故だろうか。

 

「すまないな、少年。待たせてしまった」

 

 不意にキッチンの方からそんな声が聞こえてきた。見れば、澪が料理を持ってこちらへと歩いてくる。

 

「いえ、大丈夫ですよ」

「普段からやり慣れていない分、どうしても時間がかかってしまってな。すまない」

 

 言いつつ、澪が皿をテーブルの上へと置いてくれる。並べられたのは、ハンバーグとみそ汁、そして白いご飯だ。

 

「作り方は間違っていない……はずだ。分量もしっかりチェックした。食べてくれると嬉しい」

 

 正直、見た目が綺麗とは言い難い。味噌汁とごはんはともかく、ハンバーグの形は不細工で、祇園が作るモノと比べてもあまり美味しそうには見えない。

 

「妖花くんにも習ったのだが、どうも感覚が掴めん。不味かったら捨ててくれ」

「そんなことないです。ありがとうございます、頂きます」

 

 手を合わせ、ハンバーグを口に含む。少し焦臭くて、苦い味。

 美味しいとは言えない。失敗している部分はあるし、味付けも微妙だ。

 

「……少年?」

 

 ――頬を、熱いモノが伝った。

 

「ど、どうした? 泣くほど不味かったか? すまない――」

「ち、違う、んです……そうじゃ、なくて」

 

 一口ごとに、涙が出た。

 どうしてかはわからない。けれど、気付く。

 誰かの料理を口にすることなど、両親の死から一度もなかったのだと。

 

「美味しい、です」

「……そうか」

 

 澪が正面に座り、静かにこちらを見つめてくれる。

 

「ありがとう」

 

 それはこちらの台詞だとそう思う中。

 溢れる涙が、止まらなかった。

 

 

 …………。

 ……………………。

 ………………………………。

 

 

「後悔先に立たず、とは本当に言葉通りだな」

 

 片付けを終え、食堂で祇園が淹れたコーヒーを並ながら澪は不意にそんな言葉を紡いだ。彼女が祇園に夕食を作ると言い出したのはいきなりのことだ。祇園がいつも通り寮生たちの夕食を用意しているとそう提案してきた。

 彼女曰く妖花に教わったり本を読んだりして勉強していたようだが、中々料理は難しいとのことらしい。まあ、気持ちはわかる。祇園自身、試行錯誤の繰り返しだ。

 

「こんなことなら、母に基本だけでも教わっておけば良かったかもしれん」

「……澪さんのご両親は、その」

「母はすでに他界している。父――あの男は健在だがな。……小さい頃は、どうも料理というモノとは縁が遠くてな。私の暮らしにおいて食事とは待っていれば勝手に出てくるモノであったし、むしろ母が出入りすることがおかしいとさえ考えていた。わざわざ母が取り組まずとも使用人がするのに、とな」

 

 苦笑しつつ澪は言う。そのまま、懐かしむように彼女は言葉を続けた。

 

「今思えば、手料理を作ることが母にとって私にできる唯一のことだったのだろう。体の弱い人だった。心も決して強くはなかった。私の教育も世話も他の誰かがしていたから余計に何かをしたいという想いがあったのだろう。……実際、母の作る料理は好きだったよ。素朴だったが、温かだった」

「……澪さん」

「キミの手料理はそれを思い出させてくれた。今日はそのせめてもの返礼だ。まあ、私の今の腕では不味い料理しか作れんが」

「そんなこと、ないです。美味しかったです」

「キミは優しいな、本当に」

 

 澪が静かに微笑む。だが、祇園の言葉は本心だ。

 涙が零れたのは、決して嘘などではない。

 

「なあ、少年」

 

 こちらから視線を外し、窓に映る月を見上げながら。

 烏丸澪は、静かに言った。

 

「これからキミの身に何が起こったとしても、何があったとしても。私はキミの味方だ。約束する。だから、早まったことだけはするな。決してだ」

 

 振り返り、こちらを射抜くように見据える瞳には。

 一切の妥協も、容赦もなかった。

 

「どんな境遇にあろうと、どんな人生を歩もうと。人には幸せになる権利がある。自らそれを放棄しない限りは、絶対に」

 

 そして、彼女は立ち上がる。

 いつものように微笑を浮かべ、ではな、と彼女は軽く手を振った。

 

「一週間後の文化祭、楽しみにしているよ」

 

 そう言葉を残し、ブルー寮へと向かっていく澪。それを見送り、祇園は一度息を吐いた。

 こんな日々が続けばいいと思う。ずっと、ずっと。

 

 

 ――けれど、そんな日々は続かない。

 置き去りにした過去が、音を立てずに忍び寄る。

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

「どうでしたか?」

「釘は刺しておいた。だが、ここに来てから何度か探りを入れているがやはり見えんな。ガードが固い」

「その辺は昔からですね。自分のことをほとんど喋らへんから」

「まあ、ある種のトラウマなのだろうから当然と言えば当然だろう。……できれば触れたくなどないし、そっとしておきたいことではある。だが、それはおそらく不可能だ」

「文化祭、やっぱり無理ですか?」

「そもそもこちらには止めるだけの大義がない。当事者が望むならばともかく、私たちの判断で少年には知らせていないのだからな」

「穏便に、とはいかへんでしょうね」

「無理だろうな。……荒事はできれば避けたい。少年のためにも」

「せやけど、最悪の場合は」

「その場合の覚悟はある。だが全ては当日次第だ。杞憂に終わればいい。だが、もしそうでなければ」

「祇園次第やけど、間違いなく何かが終わってしまいます」」

 

 月明かりの下で、二人の女性が語り合う。

 その表情は、等しく重い。

 

「難儀な話だ、本当に」

「ええ、ホンマにそう思います」

 

 そして、片方の女性が重々しく呟いた。

 

「――祇園の親族が、文化祭に来るかもしれへんなんて」







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