遊戯王GX―とあるデュエリストたちの日々― 作:masamune
学生にとって最大の敵は何だろうか?
教師?……いや、真面目な生徒にとってはむしろ味方だ。
眠気?……これもまた、個人差がある。
勉強?……これが一番近い気がする。だが、何かが足りない。
「……補習だな」
どうでもいいと思いつつ、少年――如月宗達は己の思考の中でそう結論付けた。とはいえ、これは彼の意見である。例えば彼の友人である遊城十代ならば別の答えが返ってくるだろう。それこそ『試験』とか。
夢神祇園ならばどうかはわからない。第一、彼にとって最大の敵は『お金』という『現実』だ。世の中というのは本当にままならないモノである。
(つーか、何で俺が補習なんざ受けなきゃなんねぇんだよ)
面倒臭い、と内心で呟く。如月宗達――デュエル・アカデミア本校における一年生の中では文句なしでトップデュエリストであり、カイザーと肩を並べることができる唯一のデュエリストとされている。成績も上の下から上の中には位置しており、数字で見れば全く問題はない。
(桐生の野郎……。オマエの授業には出てんだからいいだろうがよ)
しかし、成績は悪くないはずなのに彼のアカデミアにおける評判は決して良くはない。最近はレッド生を中心に改善されてきたとはいえ、未だブルー生には目の敵にされている。悉く砂にしているが。
そして更に言うと、教師陣からの受けも決していいとは言えないのが現状だ。桐生美咲や響緑、大徳寺といった宗達の中等部における経歴やその性質を知っている者はともかく、問題児としての彼しか知らない教師陣の中には彼を目の敵にする者もおり、それが更に宗達の『サボり』という素行不良を加速させている。
クロノスなど可愛いものだ。アレはなんだかんだ言いつつ正面から向かってくる。一番厄介なのは裏から手を回してくる陰湿な者である。その厄介さは中等部の時に散々学んだ。
ままならない――心から、宗達はそう思う。
(まあ、普段出てるのは桐生の除けば響さんのと大徳寺さんのだけだしな。……あー、面倒臭い)
ちなみに授業に出ていない時の宗達は適当なところで寝ているか、暇潰しに勉強をしている。勉強をするなら授業に出ればいいのにとは誰もが思うが、そうしないのが宗達だ。
「まあいいか。とりあえず十代に試験範囲聞かないとな」
ちなみにレッド生は祇園を除いたほぼ全員が補習の対象という大記録を達成している。普段真面目にやらないとこうなるという典型がレッド寮の生徒だ。
ああはなりたくない――成程、確かにそういうモチベーションの保ち方もアリだと宗達は思ってしまう。どうでもいいが。
「おい、十代。試験範囲教えてくれ。明日の――」
普段から行き来している部屋であるため、ノックもせずに扉を開ける。
――そして、固まってしまった。
「…………」
「…………」
「…………」
流れた沈黙は、三人分。
ドアを開けた状態で固まっている宗達と、何故か男子寮にいる小柄な女の子。そしてそれを押し倒した体勢の十代。
「……あー……」
最初に正気に戻ったのは、宗達だった。未だに固まる二人に向け、ははっ、と乾いた笑いを零す。
「悪ぃ、邪魔した。とりあえず二時間半くらいしたらまた来るわ」
妙に生々しい時間だけを告げ、宗達は扉を閉める。混乱しているのが自分でもわかった。
そのまま立ち去ろうと十代たちの部屋に背を向ける。直後、その首根っこを掴まれた。
「いやいやいやいやいや待て待て待て待て待て!? いやむしろ待ってくれ!?」
ある意味珍しい十代の慌てた声と共に、部屋へと引き摺り込まれる。
……絶対面倒臭いなコレ、と宗達は心の底からため息を零した。
同時に。
……明日の追試大丈夫かよ、とも思った。
◇ ◇ ◇
食堂の掃除を終え、ゴミを纏める。最初の頃は時間がかかったが、随分と慣れてきた。この様子だと、今日の仕事は早めに終わらせることができそうである。
「よし、終わり」
「お疲れさんや、祇園」
呟く少年――夢神祇園の背中へ声をかけたのは、非常勤講師でもある桐生美咲だ。彼女は机の上にいくつもの紙の束を広げた状態でこちらへと手を振っている。
「美咲の方は終わったの?」
「今さっきなー。ホンマにもう、レッド生の子らももうちょっとしっかりしてくれへんかなぁ」
はぁ、とため息を零す美咲。彼女が広げているのは、今日の午前中に行われた補習の資料だ。実は昨日、一昨日の二日間月一試験が開かれており、今日と明日は休みなのである。とはいえ、一部の成績の悪い生徒は今日の補習、明日の追試があるのだが。
「後は〝侍大将〟やな。成績ええくせに授業出なさ過ぎて補習とかどんだけ阿呆やねん」
「ああ、そういえば今日宗達くん珍しく購買部でお昼ご飯買ってたね」
普段の宗達は昼食時に賑わう食堂に来ることはない。それは彼自身が理解しているからだ。如月宗達は多くにとって敵であることを。
そもそも、祇園や十代といった彼を『友達』と呼ぶ者の方が少数派なのだ。
行ってしまえば、不発弾。触れなければ問題ないが、触れればいつ爆発するかもわからない危険物。
彼の本質を知ればそんなことはないとわかるのだろうが……そもそも本人が誤解を招くようなことをし過ぎている。自業自得といえばその通りだ。
「まあ、今日の補習に出てたんはレッド生のほぼ全員とイエローの底辺組やからな。あの辺にとっては〝侍大将〟、むしろ英雄扱いやし」
「普段からブルーの人たちに絡まれてる皆を助けてるもんね」
「あれ間違いなくストレス発散やけどな。〝侍大将〟にとっては。ちなみに以外と女子人気もあったりするんよ。結構助けられた子多いらしいで? 何というか、ここのブルーの子らは自意識過剰な子多いからなぁ」
はぁ、と美咲はため息を吐く。祇園としては苦笑するしかない。
オベリスク・ブルー。エリート意識が蔓延し、同時に妙な一体感を持つ最上級の寮だ。どうにも他人を見下す人物が多く、そのせいで他寮の者とのトラブルが絶えない。
聞いたところでは〝ルーキーズ杯〟における代表選考戦でも問題が発生し、そのせいで色々揉めていたらしい。美咲によると今は一時的な小康状態とのことだが……。
「自信を持つことは悪いことやらあらへんし、レッドの子らにはむしろそれが足りひんくらいや。けど、ブルーの子らはちょっと自意識過剰過ぎやね。大体、ウチと付き合いたいんやったらその性根を叩き直してから来いゆー話や」
「あ、やっぱりそういうのもあるんだ」
「面倒臭いことこの上あらへん。……なーにが『俺と付き合え』やお断りに決まっとるやろ鏡見てから言うて欲しいわそもそもウチ面食いなんやし第一付き合うんやったら一択で相手は決まっとるんや」
ブツブツと何やら小声で苛立たしげに呟く美咲。どうやら相当ストレスが溜まっているらしい。美咲はその多忙さからストレスを溜め込み易く、時々こうして不安定になるのだ。
それでもこういう時でさえ外面は完璧なので、こういう姿を見せてくれるというのは信頼の証だとは思っている。大変だが。
(中学の時にも何度かあったなぁ……。疲れてるんだと思うけど)
あの時は確か、延々と愚痴に付き合わされたのだったか。一応相手のことをフォローする言葉を口にしたのだが、何故か美咲が激怒して本当に大変だったのを覚えている。
なので、ここはできるだけ穏便に済ませなければならない。妙なことを言うと尾を引く。間違いない。
「まあでも、美咲は可愛いし……魅力的だから。気持ちはわかるよ。告白する人の気持ちはね」
「えっ?」
「だって、ステージの上で歌う美咲は輝いてるから。やっぱり凄いなぁ、って思うよ。同時に誇らしくもあるんだ。こんな人の親友を名乗れるんだ、って」
紙コップに二人分のコーヒーを淹れる。今日は休みということもあり、購買部にまで人が来ることは滅多にない。来たとしてもこの位置からならばすぐに対応に向かうことができる。
桐生美咲。彼女の友人であれることは本当に誇りに思う。同時に、だからこそその背に追いつきたいとも。
……まあ、それがいつになるかはわからないのだが。
「……ズルい」
ポツリと美咲が呟いた。コーヒーを淹れた紙コップを渡すと、美咲はそれを受け取りつつこちらを睨むようにして見据えてくる。
「やっぱり祇園はズルい」
「ええっ?」
いきなりの言葉に、祇園は首を傾げるしかない。美咲は一つため息を零すと、コーヒーを一口に含んだ。
「……なぁ、祇園。ウチが誰かと付き合うってなったら……どう思う?」
「どう、って」
「――答えて」
真剣な目立った。まるで射抜くような目に、うっ、と一瞬尻込みする。
何を言うべきか――そんな思考が浮かぶが、上手い言い回しなど浮かぶはずがない。結局、本心を口にする。
「寂しい……かな?」
「え……」
「美咲は、僕にとって一番長く一緒にいた友達だし……やっぱりね」
あはは、と照れ臭くなって誤魔化すように笑う。美咲が、ぎゅっ、と音がするほどに強く両手を握り締めた。
「ほ、ホンマに?」
「うん。ホントだよ?」
「あ、そ、そっか。う、うん。そやね、うん」
「あはは……」
そして、何やらわたわたと怪しげな動きを始める美咲。こちらも恥ずかしいことを言っている自覚はあるので、祇園は手で少し熱くなった顔を煽いだ。
だが、言葉に嘘はない。そう、寂しい――これはそういう感覚だと思う。
両親がいなくなった時のような……そのことを教え込まれた時のような、空虚な感覚。これがきっと、『寂しい』という感覚なのだろう。
……ただ。
(これが『我儘』だっていうのも……わかってる)
美咲は本来なら自分のような人間とは関わることのなかった相手だ。奇跡のような偶然で、こうして出会っただけ。
美咲なら、きっと素敵な人生を歩むことができる。
だから、これは我儘だ。
「あ、あのな、祇園。やったら――」
「でも、美咲が幸せなら応援するよ? 僕にできることなら何でも言って欲しいな。美咲には、本当に恩を受けてばっかりだから」
一生かけても返せないだけの恩を美咲からは受けている。少しずつでも返していきたい。
「…………」
そう思っての発言だったのだが、美咲の反応は良くなかった。心なしか青筋が浮かんでいるように見える。
「えっと、美咲?」
「――ふんっ!」
「いったぁっ!?」
おおよそアイドルには似つかわしくない声と共に、思い切り足を踏み抜かれた。しかも今日の美咲の靴はヒールである。一点に凝縮された力が足を貫く。
あまりの痛さに悶絶する祇園。ふん、と美咲は鼻を鳴らした。
「ホンマ相変わらずやな、祇園」
「…………ッ!?…………ッ!?」
痛みに震えながら見た、彼女の瞳。
酷く冷たいそれが……印象に残った。
◇ ◇ ◇
とりあえず、ある程度事情は理解した。普段レッド寮の生徒が集まる場所には食事の時以外に出ないため、転入生のことについて宗達は知らなかったのだ。
もっとも、それが女生徒であり更にどう見ても子供であることについては色々と言いたいことがあるが。
「さ、早乙女レイです」
「如月宗達だ。……で、とりあえず整理するぞ。オマエは会いたい人間がいて、そのために転入してきたと」
「う、うん」
「更に実は小学五年生……って、小学生!?」
口に出すと共に驚愕が漏れる。アカデミアの編入試験は決して簡単ではない。だというのに、小学五年生の女の子がクリアしたというのか。
「大した奴だなオイ。十代より頭いいんじゃねーの?」
「えへへ……」
「いや宗達、流石に小学生には……」
「この間のテスト、オマエ平均点は?」
「ところでレイ、その会いたい人ってのはどんな奴なんだ?」
「逃げやがったな」
超が付くほど強引に話題を変える十代。まあ、ここで十代を苛めても意味はない。問題は目の前にいる少女なのだ。
「えっと……亮サマだよ」
「……なあ、もう一度聞いていいか? 物凄ぇ不穏な名前が聞こえたんだが」
できれば嘘であって欲しい。正直、ここでその名が出てくると面倒事になる未来しか想像できないのだ。
そんな宗達の心中などお構いなしに、レイは頬を僅かに染めて言葉を紡ぐ。
「サイバー流正統継承者、丸藤亮サマに告白するために来たの!」
顔を赤くしつつ、一気に言い切るレイ。それを聞き、うん、と宗達は頷いた。そのまま立ち上がる。
「――よし、後は任せた十代」
「いや何でだよ」
「黙れカイザーが関わってるとかそれイコールで鮫島のボケと関わるってことで更に言えばブルー共と事構えるって事だろうがカイザー単体なら問題ねぇがブルーの阿呆共の相手してるほど暇じゃねぇんだよ明日追試だろうがド阿呆」
「お、おう。ま、まあ、とりあえず落ち着けよ。とにかく座れって」
「だから俺は――」
「…………」
言葉を紡ごうとしたところで、レイがこちらを見ていることに気付いた。不安げなその視線に気付き、うっ、と宗達は呻き声を漏らす。
そして数瞬悩んだ後、大きくため息を零してその場に座り直した。
「……あー、もう! しゃあねぇな今日徹夜かよ畜生!」
「えっ、えっ?」
レイが戸惑った様子で自分と十代へと視線を彷徨わせる。宗達が肩を竦めた。
「早乙女レイ、だったよな? 協力してやるよ。カイザーに会うんだろ?」
「亮サマに会えるの!?」
「普段なら自分でやれっつって突っぱねるところだが、よく考えたらオマエ、その年でここにたった一人で乗り込んできたんだろ?」
僅か十一歳。あまりにも幼く、本来なら親に守られていて然るべき年齢。
そんな少女が一人でこんな場所へ来たその行動力だけは、評価すべきことだと思う。
「根性のある奴は嫌いじゃねぇ。だが、俺にできるのはあくまで俺にできることだけだ。カイザーと会わせたそこから先はオマエ次第。それでもいいな?」
「う、うんっ! ありがとう如月さん!」
レイが何度も頭を下げてくる。宗達は別にいいさ、と言葉を紡いだ。
「人を好きになることについては、俺も少しは知ってるから」
大切な想い人がいるという気持ち。この、どうにもならない感情については。
十代が笑みを零した。そのまま、なあ、とこちらに言葉を投げかけてくる。
「それで、どうするんだ? カイザーに会うんだよな?」
「あー、どうするか。十代オマエ、カイザーのアドレスとか知らねぇの?」
「あ、そういや聞いてない」
「使えねーなオイ」
「むっ、そういう宗達はどうなんだよ」
「俺が知ってるわけねーだろ。敵同士だぞ?……しゃーねぇ、ブルー寮襲撃するか。俺がブルーのアホ共叩きのめすから、騒ぎの間にレイがカイザーのとこに行くとかどうだ?」
「そ、それはちょっと……」
レイが困惑した様子で首を振る。宗達は冗談だよ、と言葉を紡いだ。
「乱闘中に告白が許されんのはハリウッド映画だけだしな。……けど実際、俺らじゃまともにカイザーに会うことすらできねぇぞ?」
「うーん、どうするかな……。いっそ、正面からブルー寮に行くとか?」
「俺とオマエの組み合わせでブルー寮行ってまともな対応されるわけねーだろ」
別に宗達のような意味で素行が悪いということではないが、十代も十分ブルー生からは目の敵にされている。まあ、彼も彼で目立つことを何度もしているので当然かもしれないが。
さて、どうしたものか。考え込む十代を見ながら宗達も思考を巡らせる。
……正直、手段は最初からある程度決まっているのだ。ただ、面倒なだけで。
「はぁ……。しゃーねぇ、食堂行くぞ」
「え、どうしてだ?」
立ち上がりながら言う宗達に、十代が首を傾げてそう問いかけてくる。決まってるだろ、と宗達は言葉を紡いだ。
「あそこには祇園がいる。で、祇園がいるとなればアレもいる」
「アレ?」
「レイ。とりあえずついて来い。多分、面白いもんに会えるぞ?」
「面白いモノ……?」
レイが首を傾げる。宗達はああ、と頷いた。
「多分、驚くぞ」
◇ ◇ ◇
ようやく足の痛みが引いてきた。はあ、と思わずため息を零してしまうが、美咲に睨み付けられる。
自分が一体何をしたのか――理不尽を嘆きそうになるが、美咲の機嫌が悪い時に迂闊なことはできない。とりあえず彼女が怒ることに疲れるまで放置するしかないのだ。
「……ちょっと、やり過ぎたかな」
ポツリと何かを美咲が呟いたが、聞こえなかった。
コーヒーを啜る。すると、食堂のところに人影が見えた。お客さんか、と思い立ち上がると、その人物が見覚えのある相手だということに気付く。
「藤原さん?」
「あら……ボウヤ、美咲先生。こんにちは」
「はい、こんにちは~」
雪乃に挨拶に対してひらひらと美咲が手を振る中、祇園は立ち上がり購買部のカウンターへと向かう。しかし、雪乃がそれを制止した。
「ああ、いいのよボウヤ。買い物に来たわけじゃないから」
「そうなの?」
「ええ、ちょっと人探しをね。宗達を知らないかしら?」
苦笑しつつ言う雪乃。宗達の居場所――心当たりはない。美咲へ視線を送ると、こちらも首を左右に振った。
「いや、知らんなぁ。どないしたん?」
「補習は終わってるはずなのに、連絡がないのよ。どこに行ったのかしら……?」
うーん、と顎に手を当てて首を傾げる雪乃。何というか、仕草がいちいち官能的だ。
「でも珍しいね。宗達くんが藤原さんに連絡なしなんて」
「確かに。……あ、もしかして浮気とか?」
「フフッ。もしそうならその場で指ぐらいは貰うことになるわねぇ……?」
冗談で美咲が口にした言葉に、笑みを浮かべて答える雪乃。……背筋に物凄い悪寒が奔った。
雪乃はそのまま、それじゃあ、と身を翻して立ち去ろうとする。だが、食堂を出る前に騒がしい声が聞こえてきた。
「しっかしどこでカイザーに?」
「え、えっと、大会とかで見て、憧れて」
「成程、カイザー凄ぇもんな!」
聞き覚えのある声が二つと、初めて聞く声が一つ。食堂に入って来たのは、二人の男と一人の少女。
ピクリと、雪乃の眉が跳ねたのが祇園の目でも良くわかった。
……穏便に済めばいいけど。
叶うはずがないことを、祇園は内心で小さく願った。
◇ ◇ ◇
十代と宗達という、ベクトルは違えどアカデミアが誇る問題児コンビ。その二人が連れてきたのは、一人の女の子だった。
「は、初めまして! 早乙女レイです!」
傍からから見ていても思わず心配してしまうほどに緊張している少女が、そう言ってこちらへと頭を下げてくる。祇園は後ろで見守る二人へと視線を向けた。
「……えっと、どういうこと?」
「あんたらまさかこんな小さい子を誘拐してきたんやないやろな?」
まだ微妙に機嫌が直っていない様子の美咲が冷たい視線を二人に向ける。すると、二人が同時に声を上げた。
「なんでだよ!?」
「桐生テメェふざけたこと」
「へぇ? そうなの宗達?」
ゾクッ、と背筋に悪寒が奔った。直接その意識を向けられていないこちらがこうなのだ。当事者である宗達の心境は如何程か。
「すんませんマジで勘弁してください雪乃殺さないで」
「弱っ」
どうやら彼が出した答えは即時降伏だったらしい。美咲が呆れた様子を浮かべているが、宗達にそれに構う余裕はない。
「フフッ、こっちにいらっしゃい。連絡がなかったことも併せて説明してもらうわ」
「いや、今そんなことしてる場合じゃ――」
「――何かしら?」
「……すんません。何でもないです」
そのまま雪乃に連れられて食堂の隅へと連行されていく宗達。祇園はそれを努めて無視すると、それで、と言葉を紡いだ。
「早乙女さん……でいいのかな? 昨日の紹介では男の子って聞いたけど……」
昨日にあった大徳寺の説明ではそうであったはずだ。それに女生徒ならば男子寮の近くにあるレッド生用の女子寮に入れられるはず。
「そ、それはその……」
祇園の問いかけに、レイは俯いて口ごもる。ふう、と息を吐く声が聞こえた。
「それに、見たとこ高校生にはとてもやないけど見えへんな。顔見ればわかるわ。……事情、きっちり説明してもらおか?」
仕事モードに入った美咲がレイに座るように促しつつ、そんな言葉を紡ぐ。レイは静かに頷いた。
「いやマジで勘弁してくださいやましいことは何もないんですよ」
……聞こえてくる弁明の声が、酷く哀れだった。
◇ ◇ ◇
「言い訳は無用よ、宗達。いくらなんでも、あんな小さなコに手を出すのは問題じゃないかしら?」
「いやいやいやいやいやいや。手ェ出すわけがねぇだろ」
「あら、ならどうしてあのコはあなたの服の裾を掴んでいたのかしら……?」
「……あのー、雪乃さん。怖いッス」
「何か言ったかしら?」
「いえ、正座崩していいかなー、って」
「…………」
「いや、冗談ッス。お茶目なジョークじゃないッスか」
食堂の隅で正座している宗達と、椅子に座ってそれを見下ろす雪乃という妙な構図が出来上がっている。とりあえず宗達の状況はそういう性癖の人にとっては天国だろう。当人にとっては地獄だろうが。
「…………」
「ああ、あっちは気にせんでええよ。ただの痴話喧嘩や」
そちらの方へチラリと視線を送ったレイに対し、面倒臭そうに美咲がそう言葉を紡ぐ。そのまま、成程、と彼女は静かに頷いた。
「丸藤亮くんに会うためにここへ来た、と。目的はわかったわ。せやけど、一つだけ言うとくよ。自分がしたことは決して褒められたことやない。それはわかっとるな?」
「……ごめんなさい」
確認するような美咲の言葉に、レイは小さくなって頷く。先程美咲による説教が入ったので、かなり大人しくなっていた。
「ま、まあでも美咲先生。レイも反省してるんだしさ。もういいだろ?」
「確かにまあ、この件については入学試験の担当者にも問題があったみたいやしな。気付いてもらわんと困るわこんなん。……あと、十代くん。こんなことしとるけど明日の追試大丈夫なんやろな?」
「ギクッ」
「追試しくじったら補習地獄やから覚悟しとくんやで。……で、レイちゃん……やったか。とりあえずお説教はここまでや。来てしまった以上は仕方あらへんし、定期便も今日はもう残ってへん。明日、ウチと一緒に本土に戻るよ。それでええな?」
「……はい、ありがとうございます」
「ん、ならよし。次からはもうちょっと考えてから行動やで?」
パンッ、と手を叩きそれを終わりの合図とする美咲。そのまま美咲は祇園の方へと視線を向けた。
「祇園、どう?」
「連絡はついたよ。今はちょっと用事があるから、二時間もすればって返信が」
「オッケー、場所は?」
「あんまり人に見せるようなモノじゃないからね。灯台のところに来て欲しいって送っておいたよ?」
「流石、有能やね。ほなレイちゃん、ちょっとブルー寮に行こか。女の子なんやし、おめかしせんとな?」
「えっ、えっ?」
立ち上がりながら美咲が言った言葉に、レイが困惑した様子を見せる。祇園は、早乙女さん、と言葉を紡いだ。
「丸藤先輩に会いに来たんだよね? 一応、先輩とは連絡が取れるから呼び出しておいたよ?」
「亮サマと!?」
「〝ルーキーズ杯〟……ってわかるかな? あの大会の時の縁で、ちょっとね。たまにデュエルもしてるから」
ほとんど負けてはいるが、カイザーとは祇園も何度かデュエルをしている。毎度勉強になるので、ありがたい限りなのだ。
祇園のその言葉を聞き、レイは目を輝かせる。そのまま勢いよく頭を下げた。
「ありがとう、夢神さん!」
「僕にできるのはこれだけだから。後は、美咲の仕事」
「せや。レイちゃん、好きな人の前に立つんやから少しでも可愛くならなアカンやろ? ブルー女子寮のウチの部屋に簡単な化粧道具はあるから、それで綺麗にしてあげるよ」
レイの手を引き、そんなことを言う美咲。レイは困惑しっぱなしだ。
「え、で、でもそんなの……」
「気にせんでええよ。これはウチのお節介や。……告白、するんやろ?」
不意に、美咲の口調が真剣なものになった。膝を折り、レイと視線を同じくする。
「恰好ええよ、今のレイちゃん。ウチにはそんな勇気あらへんから、余計にそう思う」
「…………」
その美咲の言葉に、何を感じたのか。
早乙女レイは、真剣な表情で美咲の言葉を聞く。
「だから、ウチは全力で応援したる。頑張るんやで?」
「そうだぞレイ、頑張れ!」
十代がレイの頭を乱暴に撫でる。レイは一瞬、呆然とした――どこか泣きそうな表情をし。
「――うんっ!」
満面の笑みで、彼女は頷いた。
不意に、彼女が服の裾をその手で引いた。
「……祇園、足大丈夫?」
「うん。大丈夫だよ?」
「そっか。……ごめん」
ポツリと呟いた彼女の言葉に、いいよ、と微笑を返した。
◇ ◇ ◇
「……しっかし、『恋する乙女』なんて珍しいカードを使うな」
灯台。とりあえず宗達を筆頭に男子勢は女子寮に入れないので先に灯台で待っていたのだが、先程ようやくレイたちがここへきた。
そして美咲曰く「整えただけ」とのことだが、薄く化粧が施されたレイの印象はかなり変わっていたといえる。あの十代でさえ一瞬呆けていたぐらいだ。
「コントロール奪取……決まれば強いね」
「その代わりリスクが大き過ぎる。後、どうしてもジリ貧になりがちだ。『待ち』のデッキだとやっぱり十代の相手は辛い」
「うーん、負けちゃったみたいだね」
少し離れた場所では、美咲と雪乃に応援されたレイが十代とデュエルをしている。レイの戦法は中々トリッキーなものだったが、十代はそれを上回る引きで逆転してみせた。
(しっかし、桐生はやけにレイに肩入れするな。……まあ、理由はわかるが)
十代に負けてしまったレイに熱心にアドバイスを送る美咲の姿を見つつ、宗達は内心で呟く。理由はまあまず間違いなく今横に立っている人物だろう。
「惜しかったね、早乙女さん」
「まあ、十代相手に勝つのは大仕事だからな」
夢神祇園。桐生美咲の想い人であり、宗達にとっては数少ない〝友達〟と呼べる相手。
美咲がレイに肩入れする理由の大半はこの鈍い男のせいだろう。この男に想いを伝えられない自分とレイを比べてしまっているのだ。
とはいえ、仕方ないとも思う。祇園はどうも自分が幸せになることを怖がっている節がある。理由はわからない。だが、祇園はいつも選択肢を誤っているようにみえるのだ。
己が傷つくような道ばかり、選んでいるような。
……それがきっと、彼が決して語らない彼の本質――過去に根差しているものなのだろうとも思うのだが。
「……あ、来たみたいだね」
不意に祇園がそんなことを呟いた。見れば、こちらに歩いてきている者が一人。
――丸藤亮。
デュエル・アカデミア本校最強のデュエリストにして、サイバー流正統継承者。
「夢神。……と、如月か」
「……ども」
何と言葉を向ければ良いかわからず、結局宗達は適当な言葉を口にした。亮は、ああ、と小さく頷く。
「久し振りだな。……こうして言葉を交わすのは、あのデュエル以来か」
「そもそも多学年だからな。でもま、そんなことはどうでもいい。今日の俺はただの偶然居合わせた通行人と変わらないし。……あんたに用がある奴がいる。あそこにな」
「丸藤先輩、あちらです」
「む……」
祇園が手で示す先。そこにいるのは、緊張した面持ちのレイだ。亮は一瞬戸惑いの表情を浮かべたが、ゆっくりと歩を進めていく。
対し、レイは思わずといった調子で一歩後ろへと足を退いた。だが、その背を優しく雪乃が押し留める。
流石、と宗達が思ったのも束の間。レイは意を決したように一度深呼吸すると、亮の下へと歩み寄った。
向かい合う二人と、その周囲に流れる重苦しい雰囲気。
頑張れ、と美咲が小さく呟いた。その言葉はきっと、レイだけではなく彼女自身にも向けられたもの。
「あ、あの、亮サマ、ボク……ううん、私は……!」
言葉が出て来ないのだろう。レイは泣きそうになりながら言葉を紡ぐ。だが、今の彼女を助けられる者はいない。彼女自身が前を向き、一歩を踏み出すしかないのだ。
「私、亮サマに会いたくて……! あの、私、亮サマが好きです! ずっと憧れていました!」
最早自分でも何を言っているのか、何を言いたいのかがわかっていないだろう。だが、それでもレイは言い切った。
何よりも大切な――己の心の中にあるその気持ちを、言葉にしたのだ。
「ぼ、わ、私と付き合ってください!」
周囲の者の言葉はなかった。ただ、言い切ったレイは涙を目一杯に溜めながら、しかし、亮を見つめている。
体が震え、逃げ出しそうになりながら。
それでも、その小さな体で必死に前を向いていた。
「……正直なことを言えば、俺は今戸惑っている。夢神に呼ばれて来てみれば、いきなり告白などされて……整理が追い付かない」
珍しいことに、亮もこの状況に焦っているようだった。
だが、流石に帝王などと呼ばれているだけのことはある。冷静さを保ちながら、レイを真っ直ぐに見据え、言葉を紡ぐ。
「まずは、キミの名を教えてくれ」
「さ、早乙女レイ、です」
「そうか。……レイ、キミのデュエルは見せてもらった。デュエルにはその人物の全てが宿る。それはどんな人間であれ例外ではない」
一瞬、亮がこちらを見たような気がしたが……おそらく気のせいだろう。
「キミの想いの強さはわかった」
「じゃ、じゃあ……!」
「――だが、駄目だ。俺はキミと付き合うことはできない」
当然といえば、当然の答え。
だがそれでも、拒絶の言葉にその場の空気が軋み……少女の目からは、涙が零れる。
「…………あ……」
「キミが魅力的な人物であることは間違いない。だが、俺は今デュエル以外のことについて考えることができないんだ。俺はあまりにも未熟で、同時に世界を知らなさ過ぎた。俺はそれを知り、そして強くならなければならない。そしてそれは、一人で為さねばならないことだ。だから……すまない」
その表情は酷く鎮痛で、亮が必死にその答えを絞り出したのだということがよくわかった。
立ち上がる。その視線の先でレイは一度俯くと、ゆっくりと亮へ頭を下げた。
「あ、ありがとう、ご、ございました……、ぼ、ボクなんかと、ちゃんと、ちゃんと……向き合ってくれて」
「なんか、などと卑下する必要はない。……俺の方からも礼を言わせてもらう。ありがとう」
「――――ッ」
きっと、それが限界だったのだろう。レイはその場から駆け出してしまう。その後を美咲と雪乃が追ったのを確認し、宗達は亮の方へと歩み寄った。
「……あれで、良かったのだろうか」
「何がだ?」
「今の俺に、レイと付き合うことなどできるはずがない。だが、傷つけないようにと誤魔化すことも間違っているとわかっていた。だから、俺は俺の気持ちを全て言葉にしたんだが……」
「……なんつーか、初めてあんたが好意的に見えた気がするよ」
亮自身に咎はなくとも、それでも宗達にとってサイバー流の人間である丸藤亮という人間は敵だ。
だが……少しだけ、認識が変わったように思う。
それでも、隣を歩くような関係にはならないのだろうが。
「如月、お前ならばわかるか? 人を好きになるということが、どういうことなのか」
「あくまで俺の経験で良ければ、な。そこで聞き耳立ててる奴らもだ。どうせならこっち来い」
所在なさげにしていた祇園と十代が、ビクリと体を震わせた。そのまま二人は苦笑し、近くに歩み寄ってくる。
「別に俺も全てがわかってるわけじゃねぇさ。ただ、一つだけ言えるのは……俺は雪乃のために死ねるって事だけだ」
そう、死ねる。
如月宗達にとって、相手を愛する気持ちとはただそれだけでいい。
「正直なことを言うと、それ以上のことはねぇんだよ」
「……死ねる、か」
「おう。……んじゃ、俺は帰るわ。レイのフォローは雪乃と桐生がしてくれるだろ」
そのまま立ち去ろうと三人に背を向ける。その背に、亮からの声が届いた。
「如月、先程俺はデュエルにはその人間の全てが宿ると言ったな」
「……ああ、言ってたな」
歩を止める。ただ、振り返ることはしない。
「何を、それほどまでに生き急ぐ?」
その問いに対する、答えは一つ。
「――生きなきゃ死んじまうからだ」
空を、見上げる。
太陽が、雲に隠れようとしていた。
◇ ◇ ◇
レイは、一人蹲っていた。側に歩み寄る。すると、顔を上げぬままにレイは言葉を紡いだ。
「……ごめん、なさい」
「……何を、謝るん?」
しゃがみ込みながら、問いかける。レイは顔を僅かに上げ、涙でグチャグチャの顔でごめんなさい、ともう一度繰り返した。
「ぼ、ボク、協力して、もらっ、た、のに、ふ、フラれ……」
「ええよ。レイちゃんは頑張ったやんか。そんなこと気にせんで、自分のことを考えなアカン」
優しく、その体を抱き締める。
「頑張ったな、レイちゃん」
「ええ、あなたは間違いなく良い女よ」
囁くような美咲の言葉と、凛とした雪乃の言葉。
その二つを受け、レイは大粒の涙を零す。
「――――――――!!」
人を好きになることは、傷つくことと同義だ。
それでも人を好きになろうとするのは……それ以上のモノが、そこにはあるから。
「いっぱい泣いたらええよ。側にいるから」
「涙を流せるのは、若い頃の特権よ。泣いたら、今度はもっといい女になりなさい。あなたをふったカイザーが悔しがるような、そんな女にね?」
少女の涙が、地面を濡らす。
空もまた、曇り始めていた。
◇ ◇ ◇
夜。ふと目が覚め、ベットから体を起こした。ブルー女子寮にある美咲の部屋。レイは今日をそこで過ごすことになったのだが、深夜に目を覚ましてしまった。
隣に視線を向けるも、美咲の姿はない。ベッドから降り、部屋を出る。
ぼんやりとした灯りをつけ、一人の女性が何やら仕事をしている。〝アイドルプロ〟桐生美咲。その姿を最初に見た時には緊張しかなかったが、話しているうちに自然と楽に話せるようになった。
華やかな世界で活躍する、雲の上の人。その認識が覆ったのだろうと思う。
……けれど、ここでまた認識が覆った。
(こんな時間まで……)
アカデミアで非常勤講師をしていると気楽に言っていたが、そもそも彼女は分刻みのスケジュールで過ごしていることで有名だ。なのに、こんな時間まで仕事をしているというのか。
「眠れへんの?」
資料に視線を向けたままに、美咲が不意にそんなことを言った。思わず体が震えるが、クスクスと美咲が笑う声が聞こえて静かに出て行くことにする。
「……ごめんなさい。邪魔をしてしまいましたか……?」
「丁度終わりやし、大丈夫やで? 残りは明日の船の中ででもやるわ」
広げていた資料を手早く片付け、机の上にスペースを作る美咲。そのまま彼女は立ち上がると、インスタントのココアを淹れてくれた。
「祇園に比べたら下手やけど、勘弁してな?」
「あ、ありがとうございます……」
受け取り、口に含む。温かさが、身に染みた。
「雨、上がるとええんやけどなぁ」
雨音の激しい外を見ながら、美咲がポツリと呟いた。穏やかな雰囲気。テレビの中の彼女とはまた違うその姿に、無意識のうちに見惚れてしまう。
無意識のうちに人を惹きつける……きっと、だからこそ彼女は〝アイドル〟なのだろうけれど。
「まあ、明日は帰るだけやし別にええけど」
コーヒーを啜りながら言う彼女。その姿を見て、レイはふとあることを思いついた。
それは本当に思いつきで、だからこそ自然と口に出してしまう。
「あの、夢神さんのこと……好きなんですか?」
「――――ッ、ケフッ!?」
いきなり咳き込み始める美咲。大丈夫かと声を上げるが、美咲がこちらを手で制した。そのまま数秒の沈黙が流れ、あー、とどこかバツの悪そうに美咲が言葉を紡ぐ。
「……わかる?」
「はい。なんとなく、ですけど」
「……小学生にまで気付かれるんかー。んー、まあ、何というか。祇園はウチにとって転機……いや、違うかな? なんというか、色んな意味で大きい存在なんよ」
あはは、と照れたように笑う美咲。その姿を見て、可愛いな、とレイは思った。
きっとそれは年上に対する評価ではないのだろうけれど……そう思えてしまったのだから、仕方がない。
(ボクも……こう見えてたのかな?)
だとしたら、嬉しいと思う。そうでないとしたら、少し寂しい。
ただ、一度泣いて、一つだけわかったことがある。
「ああ、これは秘密やで? 立場的になんというか、あんまりスキャンダルになるようなことしたらアカンから」
「は、はい。わかりました」
「まあ、告白できひんのはそれだけやないんやけど……何というか、しがらみが増えると自由に気持ち一つ示すのも考えなアカンのよ」
あはは、と苦笑する美咲。それを見て、改めて思う。
――自分は、まだ子供だ。
だからこそ、多くのことを知らなさ過ぎる。
「でも、ウチには告白する勇気もない」
ポツリと、美咲は呟いた。
その笑顔はどこか寂しげで……同時に、哀しい。
「ままならへんよなぁ、本当に……」
窓の外を見ながら、そんなことを呟く彼女に。
はい、とレイは頷いた。
◇ ◇ ◇
朝方には雨が上がり、無事に美咲とレイは船に乗ることができた。見送りには昨日のメンバーに加え、事情を聞いた明日香や三沢といったメンバーも揃っている。
「お世話になりました!」
昨日の涙とは違う、満面の笑みを浮かべるレイ。おう、と十代が頷いた。
「またな、レイ!」
「はいっ!」
頷き合う二人。それを見守りつつ、レイ、と声をかけたのは宗達と祇園だ。
「これをやるよ」
「えっ、これは……?」
「昨日、夕食の後にいっしょにデッキについて考察したでしょ? それで、宗達くんが余ってるカードを集めてくれたんだよ」
「あれこれ考えたのはオマエだろうが祇園。どの道使わないカードだ。貰ってってくれ」
祇園の言葉にそう応じつつ、宗達はカードの入った箱を渡す。レイは、ありがとうございます、と頭を下げた。
「気にすんな。今度はあそこにいる阿呆を倒してやれ」
「おい宗達、誰が阿呆だって?」
「結局追試のために徹夜してる奴が阿呆じゃなくて何なんだよ」
宗達の言葉に、ぐっ、と十代が呻く。周囲から笑いが漏れた。
そして、レイ、と亮が言葉を紡ぐ。
「亮サマ……」
「息災でな。次は俺ともデュエルをしよう」
「は、はいっ!」
望んだ結果とはならなかったけれど。
きっとこれも、正しい形。
「ほな、祇園。また来週やね」
「うん。澪さんに会ったらよろしく言っておいて欲しいな。今度仕事一緒なんだよね?」
「あれ、何で知っとるん?」
「メールでちょっとね」
「……もしかして、頻繁にメールしてたりする?」
「うん。澪さんも結構暇みたいで。仕事中とか授業中は返せないけど、そうじゃない時はね」
「…………」
美咲が眉間にしわを寄せ、何かを考え込む。そのまま振り返ると、何事かを呟いた。
「…………いや、直接会ってるウチの方が有利。それに祇園は気付いてない」
うん、大丈夫。そう締め括ると、ほな、と改めて祇園に向き直る。
「またメールするしな?」
「気を付けて、無理しないで。あと、ちゃんとご飯も食べること。美咲はすぐインスタントで済ませようとするから」
「あは、あはは……了解や。――ほなレイちゃん、行くよ~」
「はいっ」
二人が定期便に乗り込んでいく。そして船が動き出す中、レイが身を乗り出して言葉を紡いだ。
「十代サマ、宗達サマ! ボク、必ず戻ってきます!」
そして紡がれた言葉に、全員がえっ、という言葉を漏らした。視線が十代と宗達に集中する。
「……如月、十代。頑張れよ」
ふっ、という笑みを残して立ち去っていこうとする亮。いや待て、と宗達が声を上げた。
「何で俺!? おかしいだろ色々と!?」
「なぁ宗達、あれって……そういう意味か?」
流石の十代も気付いたらしい。宗達がああ、と頷いた瞬間、その背筋に凄まじい悪寒が奔った。
「――宗達」
「いや待て落ち着けマジで色々おかしいだろとりあえず話聞いてくださいマジすんませんでした」
全力で土下座をする宗達。その美しさに、おおう、と周囲から声が漏れた。
「……何か、慣れてないッスか?」
「尻に敷かれているんだな」
「とりあえず、四人とも追試は大丈夫なの? 僕は購買部の仕事だけど」
「まあ、彼女が見えなくなるまで見送ってやれ。十代、宗達」
「それじゃあね、十代、宗達」
「おい翔、隼人! 置いてくのかよ!?」
「祇園助けてくれ!? あと三沢、明日香! そんでカイザー! 平然と見殺しにすんじゃねぇ!」
「宗達」
「はいすんません勘弁してくださいお願いします殺さないで」
恋する乙女は、大変なものを遺していった。
数分後、わかったことが一つ。
……海の水は、意外と冷たい。
恋する乙女の来訪は、一つの風を運んできた。
今回はデュエルなし。まあなんというか、ミサッキーの恋模様を描きたかったので。
人を好きになるというのは大変です。苦しいことばかりですしね。それでも好きになったらしょうがないのですが。