混沌の使い魔 小話   作:Freccia

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東の地で

 真っ白な建物が並んでいる。一つ一つが同じ大きさで、全てが規則正しく等間隔に。地面に目を落とせば、草の生える隙間もなく敷き詰められた床石も例外ではない。何の飾り気もないというのに、その完璧さが、全てを合わせて一つの芸術作品のようですらある。

 

 だからこそ、そこからはずれるものは一点の染みのように浮かび上がる。通りかかる人々も皆、顔をしかめるようにして避け、決して触れようとはしない。その視線の先にあるのは、ほんの些細な違い。ある建物の一部を含めた、ほんの10メイル四方、そこだけがぽっかりと切り取ったように真新しい。ただ、それだけ。

 

 敢えていうのならば、その建物の住民一人が死んだ、ただそれだけのこと。

 

 記憶が薄れるにはまだ足りない程度だから、ほんの数ヶ月前だろう。町中で見慣れない幻獣が暴れるということがあった。

 

 ただし、所詮は一匹。エルフという、この世界の中でも優れた魔法の使い手達の住む場所であるから、言葉を解する、それなりに高位の個体とはいえ速やかに処理された。死体がそのまま消滅したために調査ができなかったが、いずれにせよ処理したことには違いがない。念のため、警備も強化された。他にもいるようだが、引き続き駆除も行われているので、時が経てば解決するだろうと言われていた。

 

 ――表向きは、であるが。

 

 確かに、現れた幻獣は脅威というほどではなかった。いっぱしの戦士であれば遅れをとることはないだろうし、死者が出たのは、たまたま運が悪かったというだけだ。次いで見つかった個体も似たようなものだった。

 

 しかしながら、全てがそうというわけではなかった。やがて、極まれに強力な個体が存在するということが分かった。町の外を巡回するなかで見かけたそれは、実に5人もの勇敢な戦士を道連れにした。

 

 非常に好戦的なそれは、襲ってくるなり一人の首を食いちぎった。吹き上がる血に慌てて防御を固めるも、ろくな準備も無しでは満足に防ぐこともできなかった。加えて、非常に頑強な体毛に覆われたその体は、魔法に対する耐久力が異様に高かった。なんとかしとめはしたものの、結局、10名の内5名が死亡、2名が重傷。その2人は戦士としての復帰はできないだろうとのことだったから、ほぼ壊滅状態だったと言っていい。油断があったとはいえ、あるべからざる結果だった。

 

 当然、その事実は市民に余計な不安を与えるものとして伏せられた。そして、有り合わせではなく、特別編成の部隊が設立された。

 

 もともと、蛮族の進入者に対する防衛を担うもの達はいた。しかし、蛮族に対しては十分な戦力を持っているものの、一番の長所は索敵能力に長けているということ。それでは新たな脅威に対するものとしていささか力不足。結果、新たに編成された部隊はもっと直接的な戦力を重視したものとなった。その部隊の任務は、主に次の三つ。

 

 一つ、町に直接的な被害を与えることが予想される、飛行能力を持つ個体の優先的な撃破。

 

 なぜなら、最初に町に現れた個体が飛行能力を持つ個体だったから。十分に防備を固めた町ではあるが、空からの襲撃に対しては、どうしても発見が困難となる。となれば、最優先の撃破が必要となる。

 

 二つ、まれに存在するらしい、強力個体の撃破。

 

 これは特別部隊を編成することとなった直接的な理由であるから。なにせ、強力個体の戦力は蛮族の一軍にも匹敵する。もしそんな個体が直接町に現れた場合の被害は甚大なものとなる可能性がある。

 

 三つ、突然現れるようになった見慣れない存在の発生原因の調査。

 

 現れるようになった存在は一種ではなく、複数。それも、少なくない数がだ。どこからから現れたのか、なぜ現れるようになったかの調査は速やかに行われなければならない。

 

 これらの任務の為に、5人2組の特殊部隊が編成されてはや数ヶ月。それなりの成果は上げている。

 

 まず、飛行能力を持つ個体の撃破。飛行能力を持つ個体は、確かに手強い。いくら魔法である程度の対処ができるとはいえ、頭上というのは地上に生きるものにとっては死角。幸い、他の個体に比べると、耐久力といった面では一段劣る。今のところ、先制的な攻撃を加えることで優位に戦闘を進めることができている。今後、戦術面での対策が進むことで町に対する被害の可能性は劇的に減ることだろう。

 

 次に、まれに現れる強力個体の撃破。これに対しては、残念ながら戦闘の度に甚大な被害を受けている。どうしても、今まで自分たちよりも強力な個体との戦闘経験というのは少なかった。そのせいか、今まで常識とされた戦術と、どうしても齟齬が出てくる。

 

 加えて、私たちの魔法というのは、まず魔法を使用する前にその土地の精霊と契約してからという、ワンクッションをおいたもの。我らが誇る反射は、魔法だろうがはたまた物理的な打撃だろうが効果を発揮する。蛮族が御大層に抱えてきた大砲だろうが、彼ら自慢の魔法だろうが攻撃者にそのまま弾き返す。だが、それに見合った準備が必要であり、専守防衛に特化している。こちらから攻め入るとなると、どうしてもその効果は数段劣ったものとなる。結果、今まで三度交戦したが、散々であった。

 

 まず一体目は、先ほど個体。実に5名もの戦死者を出している。

 

 次に、強力な魔法までも使用する、亜人とおぼしき個体。使用する魔法は、簡易契約とはいえ、防御力を高める対策をとったはずの反射を抜くほどのものだった。奇跡的に戦死者を出さずに競り勝ったものの、一歩間違えれば全滅の可能性もあった。

 

 三回目の交戦は、先のものと比較して、個体としては一段劣るものとだった。しかしながら、現れたのは二体。それまでも群れる存在は確認されていたが、それは能力的に劣ったものだけだった。まあ、それだけならば、他に比べればというだけで、多少は苦戦したとしても、そう問題とはならなかっただろう。

 

 本当に問題だったのは、このニ体が連携していたということだ。魔力によって筋力なりを強化する補助魔法を使用し、一段上の能力を発揮した。なおかつ、前衛、後衛と分かれた非常に高度な戦法をとった。肉体的にはるかに強固な個体が連携を行う。脆弱な蛮族が圧倒的な数を頼みに連携を行う、それとはまた別のベクトルの驚異だった。もし強力個体がこれ以上の数で連携を行ったならば、対陣、対軍レベルの兵器の使用無しの撃破は現実的ではないと考えるべきだろう。

 

 そして、発生原因について。はっきり言って、これに関しては全く進展がない。

 

 可能性の一つとしては、悪魔の門が開いたのではということがある。確かに、悪魔の門についてはそこから災いが現れただとか、曖昧な言い伝えしか残っていない。言い伝えの全ての確認が済んだわけではないが、中には今のような直接的な驚異が現れたといったものはなかった。だが、今の状況を考えれば一番しっくりくるものではある。この正体不明の存在はまさに、悪魔と呼ぶにふさわしい。

 

 残念ながら、未だ確証は得られないでいる。直接確認するというのが一番なのだが、その直接確認するというのが非常に困難で、裏付けられずにいるからだ。そして今回、危険は承知であるが、調査の人員を含めての遠征となっている。

 

 我々は数としてみれば、他の亜人種に比べて極めて少ない。個として優れてはいても、原因をなんとかしなければ、いずれはじり貧となる。

 

 とにかく、そのための戦闘員として5人4組の20人、それに調査員2人と、同行するには少々若すぎるきらいはあるが、わざわざ危険を承知で志願したという助手1名を加えた合計23名。戦争中でもなければありえないような大部隊が編成された。危険はあるが、これだけの規模。連携する人数が多ければ多いほど強力な反射を使うことができるのだから、直接的な危険は限りなく少ないと言えるだろう。

 

 その大部隊で歩みを進め、やがて目に映る景色が変わった。細かな砂の砂漠から、時折礫が混じるように。進むにつれて粒は大きくなり、歩きやすくはあるが、その分危険は増す。今まではどうしても町の周囲が優先であり、ある場所を境に、敵との遭遇率が上がってくる。もちろん、今回の第一目標は原因の究明、つまりは悪魔の門の調査だ。広範囲に精霊の力を借りて策敵を行い、できる限り戦闘を避けている。おかげで、今のところ一人の脱落者も出してはいない。

 

 だが、残念ながら次の戦闘は避けられないようだ。先頭から鋭い声があがる。

 

「気をつけろ。速度が早い。飛行個体だ。それに、ニ体いる」

 

 その言葉に皆が構えをとる。群ではなく、二体。連携個体の可能性がある。急ぎ、全員で場の精霊との契約を行う。時間をかけて行う契約にはやはり及ばないが、実践の中で研鑽されたそれは、強力個体の使用する魔法に対しても確かな加護を得られるはずだ。属性を付加することで、ある魔法に対してそれは更に強固なものとなる。

 

 だが、問題もある。

 

 ぐるりとあたりを見渡す。一面の礫砂漠。窪地もないことはないが、上空からの目を避けるにはいささか心許ない。遮蔽物のないこの場所では、飛行個体に対して必須の先制攻撃が難しい。

 

 それでも、飛行個体を放置するという選択肢は我々にはない。他とは異なり、そのまま町に向かうということも考えられるのだから。幸い、調査のために通常の倍とも言える大戦力で臨んでいる。非戦闘員がいるとはいえ、普段よりも優位に戦闘を進めることができるだろう。

 

「――来るぞ。総員、構えろ」

 

 その言葉とともに、緊張が最高潮に達する。

 

 皆の視線が集まった先には、影が二つ。どちらも鳥の姿をしているが、異様と思えるほどに大きい。しかも、一つ羽根を打つごとに更に大きくなる。羽根を広げたその姿は、巨体と言ってもいい。

 

 遠目でも分かるそれは、羽根の端から端までで10メイルを軽く越えるだろう。竜にも迫らんばかりの巨体に加えて、強力な魔法を使用する可能性もある。ハルケギニアの中でも最強の生物である竜以上の驚異の可能性がある。あと数秒で接触するそこまできて、その姿が完全に明らかとなった。

 

 巨大な影の一方、その姿は赤い羽毛に覆われた鷲だ。だが、その大きさは通常ならばあり得ない。竜にも匹敵するほどの巨体など、話のなかですら聞いたことがない。加えて、奇妙なことに、銀の冠を身につけている。鳥の王だと言われれば、確かにそうだろうと思える。

 

 そしてもう一方。こちらも姿としては鳥だろう。しかしながら、その姿は鳥というには少しばかり奇妙に過ぎる。

 

 鳥の頭に鳥の羽根。それだけならば鳥だと言えるだろう。だが、そのシルエットは人に酷似している。腕の代わりに巨大な羽根、だが、鳥にしては異様に発達した両足。加えて、頭上には奇妙な形の金の飾りと、そこここに何らかの魔術的意味合いを持つらしい装飾が輝いている。

 

 遠目にもはっきりと分かる重圧。これはもう、間違いない。強力個体だ。

 

「――放て」

 

 その声とともに、一斉に魔法が放たれる。照りつける太陽の中でも目を焼くほどの光。いくつもの炎が集まって、それはもう、一つの太陽だった。だが、それはそのまま彼方へと消える。両者ともにわずかに羽根を傾けることであっさりと回避した。

 

 しかし、それは当たればもうけものといった程度でしかない。遮蔽物のない開けた場所。そんな場所で正面切って飛行個体に攻撃など、無謀もいいところだ。本当の目的は別にある。我々を敵だと認識させることだ。町に直接危険を与える可能性がある飛行個体、ここで確実に撃退しなければならない。

 

 狙い通り、このニ体は我々を敵だと認識したようだ。最初の攻撃をかわした姿勢そのままに、二手へ分かれる。ぐるりと弧を描くように我々を囲む。金の頭飾りの方と目があった。

 

 巨体から向けられる、肉食獣そのものの眼は、戦闘訓練を受けている我々でも逃げ出したいほどだ。ちらりと守るべきものに目を向ければ、同行者はすでに地面にへたり込んでしまっている。一人などはまだ顔に少女の幼さを残している。取り乱さないだけでも上出来だ。エルフは皆が戦士としての訓練を受けているといっても、実戦の経験があるとは限らないのだから。

 

「気をつけろ。連携個体の可能性がある。第一、第二班は反射の維持。第三、第四班は隙を見て攻撃しろ」

 

 連隊長の指示が飛ぶ。しかし、それはただの確認でしかない。相手が言葉を解する可能性がある以上、あらかじめ作戦は決まっている。

 

 私は攻撃要因。仲間を信じ、必死に敵の姿を追う。速い。眼がなれるまでは攻撃できそうもない。

 

 取るべき行動を頭の中でシミュレートする。基本的な戦術は、半数が反射の維持、残りの半数が攻撃。そして、飛行個体は風の属性の魔法を使用する可能性が高い。一部例外もいるようだが、その場合は火ならば火の魔力を身にまとっている。今回の悪魔にはその様子がない。だから、反射には風の魔力を織り交ぜる。

 

 目を凝らすも、まだ、追えない。だからこそ、慌ててはいけない。

 

 飛行個体の強みはその速さ。飛行個体に対しては何よりもその機動力を奪わなければならない。具体的にいうのならば、その羽根だ。先んじた攻撃はそのためなのだが、今回ばかりはないものねだりをしても仕方がない。

 

 とにかく、悪魔は常識とはかけ離れた存在ではあるが、全く常識が通じないわけではない。何らかの魔力を使って飛行を行っているが、その要が羽根であることに違いがない。そして、繊細なコントロールを行うそれは、一度の打撃がはっきりと速度に現れる。

 

 皆がその機会をうかがう中、金の頭飾りの鳥が滑空の姿勢をとる。巨木すら断ち割ってしまいそうな爪が視界一杯に広がる。空間が揺れた。反射の結界、蛮族の大砲でも跳ね返すというのに、そのまま結界ごとたわむのが分かる。

 

 何かが弾けて、巨体が空中をぐるぐると回る。なんとか押し返すことができたらしい。結界の外に一つ、二つと魔法の矢が作られる。

 

 だが、一つ羽根を打つと、あっさりと回避してみせた。あれだけ激しく体ごとぶつかってきたというのに、ほとんどダメージらしいダメージはないらしい。忌々しげに顔をゆがめてはいるが、それだけだ。どうやら大きさだけでなく、頑丈さも竜並らしい。

 

「魔法に備えろ」

 

 背後から声が張り上げられる。言われるまでもない、この地の精霊が騒ぐほどの魔力。その集まった先は、見ずとも分かる。もう一方の敵だ。

 

 振り返れば一杯に羽根を広げ、けたたましい雄叫びが上がる。同時に、巻き上がる砂に包まれた。結界を境に光の届かない闇に染まり、ガリガリ、ガリガリと何かが削られていく。

 

 分かった。巨大な竜巻がただの砂を凶器に変えている。結界班の皆が苦悶に顔を歪めているのは、魔力を注ぐそばから削られているからか。だが、それでもやめるわけにはいかない。諦めてしまえば、きっとそこには何ものも残らない。

 

 やがて音がやみ、外の様子が見えた。

 

 変わらず、巨大な二つの影がある。同じくあの嵐の中にいたろうに、全くもって堪えた様子はない。悠々と飛ぶその姿が憎らしい。そして、声が聞こえた。

 

「――面白い」

 

 金の頭飾りの方が初めて喋った。鳥とは思えないほど流暢な言葉で。鳥の表情など分からないはずなのに、どうしてか楽しげだと分かる。

 

「我慢比べと、いこうじゃないか」

 

 目の前に、先の魔法と同じほどの魔力が集まる。全てを凪払う風に閉じ込められた。目の前には先ほどと同じ光景が広がった。全くもって同じ。なんとか防げている。

 

「……まさか」

 

 一人がつぶやく。その言葉はどこかかすれていた。次いで、皆が言葉の意味に気づいた。だが、どうすればいいか、分からない。皆が結界の維持に回る。だが、それに何の意味があるだろう。

 

 視界が開けると、あの鳥が嗤うのが見えた。

 

 一旦は風が止んでも、また、同じだけの風がそこにある。何度も、何度も。何度目かのそれで、一人が倒れた。

 

 それから先は早かった。もともとぎりぎりだったのだ。私達の戦術は絶対な防御力を誇る反射の結界で身を守り、そして短期決戦で敵を仕留めるというもの。最初から結界を維持していた者達がうずくまる。それでも、風は衰えない。突然、精霊を感じられなくなった。

 

 最後の嵐が晴れた時には、誰も立ってはいなかった。だが、生きてはいるようだ。なんとか起き上がろうと手に力を込めるも、何かに踏みつけられた。

 

 体が半ばまで砂に埋まる。手を伸ばしても、砂を握るだけ。もがいても力が入らない。それ以上に、更に重圧が加わった。肺の中が空っぽになる。精一杯息を吸おうとするのに、それもできない。

 

 ふと、ほんの少しだけ軽くなった。むさぼるように息を吸い込む。口の中に砂が入っても、何度も何度も飲み込んだ。体は酷く痛むのに、それでもやめられなかった。

 

「――全く、野蛮な」

 

 頭上から声が聞こえた。姿は見えないが、さっきの声だと分かった。どうやら、そいつに踏みつけられているらしい。ようやく、自分がどうしているのかが分かった。

 

「なぜ、襲ってきた?」

 

 声が誰かに問いかける。私ではないらしい。なんとか顔だけ起こすと、その誰かが見えた。

 

 名前は、何だったか。自分で志願してきたという娘だった。まだ幼さを残すその顔を、酷く青ざめている。もともと整った顔が、作りものめいて見えるほどに。皆が守っていたから、怪我はないようだ。良かったと、どうしてか思えなかった。

 

「もう一度聞く。なぜ襲ってきた?」

 

 声の主が、彼女のそばにまで頭をおろす。一抱えはありそうな巨大な頭部は、うずくまって更に華奢に見える彼女よりも大きい。

 

 不意に、その眼が私を見た。次いで、体に重圧が加わった。骨がきしむ。思わずうめく。そして、彼女が私に気づいた。

 

「まだ、生きている。おまえ次第では、もう少し生きていられるかもしれないな」

 

 鳥が囁き、彼女がびくりと体を振るわせる。声の主を仰ぐ。

 

「どうすれば、いいですか?」

 

 こんな状況で、随分としっかりした声だった。震えてはいても、取り乱してはいない。普通なら半狂乱になってもおかしくないというのに。鳥も感心したような声を上げた。

 

「質問に答えればいい。くだらない戯言を言うなら、……そうだな。一人ずつ殺そうか。ああ、いや、それはもったいないな。手足の一本ずつにしよう」

 

 鳥が頭をもたげて、視界の外に消えた。踏みつけられていて、様子を伺えない。更に体に重圧が加わる。次いで、左手が万力に締め付けられるように痛んだ。何かに挟まれている。腕だけがゆっくりと引き上げられ、ゴキリと、嫌な音がした。

 

「がぁあぁぁぁあぁぁぁぁぁぁあぁぁぁあぁぁ」

 

 自分の声だとは、思えなかった。やけにゆっくり、何かがちぎれていくのを感じた。本当にゆっくり、腕なんていらないと思うほどに。

 

 不意に痛みが止んだ。荒く息を吐く。腕は、まだつながっている。

 

 ぶつぶつと、何かが聞こえる。彼女が鳥の頭に抱きついていた。お願いします、お願いします、お願いします、と何度も何度も。

 

 くわえられた腕が地面に落ちた。変な方向に曲がっているのに、感覚がない。だが、まだつながっている。彼女のおかげで。

 

「お願い、します。私なら、何でもしますから」

 

 地面にへたり込み、そのまま地面に頭をこすりつける。

 

「……なら、質問に答えればいい。なぜ襲ってきた」

 

 鳥がたずねる。ゆるゆると顔を起こす。せっかくの綺麗な顔が、私のために砂にまみれていた。

 

「町が、襲われました。……今まで、この辺りにはいなかった生き物に。だから、町を守ろうと、しました」

 

 慎重に、一つ一つ言葉を選んでいる。そして、呆れたような声が聞こえた。

 

「全く、勘違いもいいところだ。そんなつもりなどなかったというのに。――自分達でその理由を作ったというわけだ」

 

 その含みに、彼女が振り仰ぐ。

 

「何を驚く必要がある? こちらとしては通りがかった所を”いきなり”襲われたわけだ。理由としては十分すぎるほどじゃないかね? お前達と同じように、降り懸かる危険を取り除こうというわけだ」

 

「それ、は……」

 

 何かを言い返そうと口を開く。だが、言葉が続かない。

 

「おまえ達が理由なく、突然襲われるようなことがあったらどうする? 襲ってきた者達をどうする? それに、同じことが起こらないようにしたいと思わないかね? そのためにはどうする?」

 

「……あ……う……」

 

 パクパクと溺れるもののように口を開き、そのままくずおれる。

 

ふと、頭上からくつくつとわらう声が聞こえた。

 

「では、一つ譲歩しようか」

 

 すがるように見上げる。何時の間にか皆が顔を起こし、同じように見ている。

 

「お前、名は何という?」

 

「……ルクシャナ、です」

 

「そうか。では、ルクシャナ。お前の全てをもらい受けるということにしよう。それで、ここは見逃してやろう」

 

「……私一人で、いいんですか?」

 

 震える声で口にする。

 

「一人、二人は食いたい所だが……」

 

 彼女の体がびくりと跳ねる。

 

「まあ、そこは我慢するとしよう。ずいぶんといい条件だと思わないかね? 一人で済むか――全員死ぬか。ああ、別にお前を食いたいというわけでもないから、その心配もいらないな」

 

 いつの間にか彼女は私を見ていた。そして、ぐるりと、皆を見た。いつの間にか、皆も彼女を見ていた。彼女は大きく目を見開き、肩を落とすと、ゆっくり、眼を閉じた。

 

「……ありがとう、ございます。私は、何でもします。だから、皆は、助けてください」

 

 いつの間にか、彼女の頬には涙が流れていた。

 

「――いいだろう。契約は成立だ」

 

 体にかかる重さがなくなった。

 

「この娘に感謝するのだな。お前たちはこの娘に助けられたわけだ」

 

 その言葉だけを残し、二頭はルクシャナを掴んで飛びたった。一つ、二つと羽を打つと、あっと言う間にその姿は現れた時のように小さくなる。

 

 皆がそれぞれ目を合わせ、気まずげに目を逸らす。

 

 皆、分かっているのだ。知ってか、知らずか、彼女にすがっていたのだと。皆が、彼女に犠牲になって欲しい、彼女一人で済むのならばと。彼女にあんなことを言わせたのは私たちだ。

 

 見渡せば、周りには何も残っていない。地面は荒れ果てて、精霊もいなくなってしまった。私たちは、何をしにきたのだろうか。

 

 作戦は、失敗だ。

 

 もう一度、彼女が、ルクシャナが連れ去られた先を見る。


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