力を入れてテーブルを磨く。年代ものではあるが、もともと長く使うのを前提で揃えたものなのか、長年陽に焼かれた深い光沢が落ち着いた店の雰囲気を出すのに一役買っている。父は早くに死んだが、残すものはきちんと残してくれたということだ。
手を止めて店内を見渡すが、この時間、客はいない。ちょうどモーニングとランチの時間の真ん中であるから、これは今だからこそやるべきことであると同時に、今だからこそやる暇つぶしでもある。
しかしながら、ごく自然にギャルソンまがいのことをやるようになった自分と、母親だけでやっているような店だ。カウンター席とテーブルが6卓のこじんまりとしたものだ。ちょっとまじめにやればすぐに終わってしまう。
もう一度店内を見渡すが、なんとなく置いている観葉植物に水もやったし、テーブルの上の補充も終わっている。付け加えるのなら、さっき掃除も終わった。
しかしまあ、いつものことだ。それなりにいいところの坊ちゃん、嬢ちゃんを相手に、ケーキやタルトといったものの品揃えに力入れている。おかげで、生活には困らない程度に客は来るが、さすがに平日のこの時間ともなればこんなものだ。
いつもの定位置であるカウンターの中へと戻ると、紅茶が二つ置かれる。この時間はこんなもの、昼時ともなればそこそこ忙しくなるのだから、親子でのんびりと過ごす。そう儲かりはしないが、こういう時間を持てるというのは悪くない。
カランと、入り口のカウベルが来客を告げる。
「――いらっしゃいませ。おひとり様ですか?」
この店は雰囲気の良さを売りにしている。だから、あまりうるさくならない程度に出迎える。女性比率の高いこの店では珍しく、男性一人のようだ。
ああ、と簡潔に答える男性を窓際の席へと案内する。
窓からの光がテーブルにゆらゆらとゆれる、居心地の良い席だ。一人で来た客はたいていここに案内する。気に入ってまた来てくれることが多いから。適当にやっているように見えても、それなりに考えているのだ。
「またご注文をうかがいに参りますので、どうぞごゆっくり」
メニューを渡し、すぐに立ち去る。見たところ、この男性はあまりうるさくされるのは好きではなさそうだ。誰かに教えられたわけでもない真似事だが、それでも、続けていればなんとなく身に付くものはあるものだ。
さて、暇もあることだし、少し考えてみることにしようか。この男性はどういった人だろうか。
もちろん、初めての客だ。服装を見れば、シンプルだが、なかなかに仕立ての良い白いシャツに、黒のパンツ。
体にぴったりとフィットするように作らているから、きちんと寸法を合わせた上で作ったものだろう。こういったものにこそ、人間性というものが見えてくる。その点からすれば、ぜひとも常連になって欲しいタイプだ。ただ金を持っているだけの人間だと、店の雰囲気を壊すどころか、他の客に平気で迷惑をかけることもある。
しかしながら、よくわからないものもある。ここに来る客の中ではそう珍しくない恰好とはいえ、それとは全く正反対に、珍しい黒髪と、顔の両側にある、額から目元を通り、頬から耳元、顎へと別れる、入れ墨のようなもの。服装と雰囲気から察するにはあまり目立つことは好きそうではないようなのだが、入れ墨が少し分からない。
それさえなければ、それなりの身分の貴族の方と言いたいところなのだが。
メニューを眺めるその様子をもう一度見てみるが、妙に達観したように落ち着いた様と、入れ墨とかどうにも結びつかない。あり得るとすれば、何か魔術的な意味合いといったところか。そうだとすると自分にはお手上げだ。
まあ、様子見はこんなところで立ち上がる。
「――ご注文はお決まりになりましたでしょうか」
反応をうかがうに、まだ決めきれていないようだ。
「もし、甘いものがお嫌いではないということでしたら、良いクリームチーズが入りましたので、ベイクドチーズケーキなどはいかがでしょうか」
特にこだわりがないのなら、やはり自信を持って勧められるものを出したい。
「なら、それで頼む」
「お飲み物はいかがなさいますか」
「合うものを適当に任せる」
「かしこまりました。では、紅茶でよろしいでしょうか」
これまた簡潔な返事を受け取り、メニューとともに下がる。
厨房の母親に紅茶を任せ、チーズケーキの準備に取り掛かる。今朝方焼いたものではあるが、香ばしい香りはそのままだ。それに、形を崩さぬようゆっくりとナイフを入れ、一人分へと切り分ける。表面さえ崩さないようにすればあとはきれいにナイフが通る。その分、クリームやフルーツを載せたスポンジケーキよりも楽だ。
切り分けたものを皿へと移し、トッピングに取り掛かる。まあ、これまた適当といえば適当なのだが、何が良いだろうか。
シンプルにそのままでも良いが、今回使ったチーズは口どけ良くなめらかなのが良さではあるが、少しそこにアクセントを加えてもよいかもしれない。うるさくない程度にラムレーズンと、軽く揚げたアーモンドのスライスを加える。そこまで甘党という風には見えなかったから、これくらいがちょうど良いだろう。
「お待たせいたしました」
まずはケーキを並べ、きちんと温めたカップに紅茶を注ぐ。紅茶の入れ方については適当ではなく、様になる程度には勉強している。いろいろと格式のうるさい貴族様を相手にすることが多い以上、それは必須事項と言える。とはいえ、一度覚えてしまえば作業のようなものだ。だからそう大した苦ではない。それを守らなかった時の方がよっぽど面倒なことになるだろう。
「――では、ごゆっくり」
昼時に近づき、ちらほらと別の客が現れ始めれ、帰ることにしたようだ。そして、この少しばかり変わった客は、帰りがけに一言だけ残していった。
――美味しかった、と。
自然に頬が緩む。そう言われればやはり嬉しいものだ。変わった客ではあるかもしれないが、いい人のようだ。
――またある日、以前に一人で来た男性が、今度は女性と二人で来た。腰まで届くような深い緑の髪の女性だ。胸元にはその髪に合わせたんだろう、ずいぶんと大粒のエメラルドのネックレスを下げている。理知的な雰囲気の女性ではあるが、嬉しそうに笑っている様子は、同時に可愛らしくもある。
恐らく恋人を連れてきたんだろう。なかなかお目にかかれない美人ということでうらやましくもあるが、そんな女性を連れてくるぐらいに気に入ってくれたということは、やはり嬉しくもある。
――また、別の日、あの時の男性がやってきた。今度は別の女性、いや、少女というのがふさわしいか。勝気そうな桃色の髪の少女はなんだか不機嫌そうで、そのご機嫌とりにつれてきたのだろうか。血のつながったということはないだろうが、妹に振り回されているようで微笑ましい。まだまだあどけないが、将来はきっと美人になることだろう。
――また、別の日、今度は金髪の女性と一緒だった。多少、いや、かなり気の強そうな雰囲気ではあるが、それが問題にならない美女だ。加えて、話しかけられるたびに嬉しそうに笑うその様子は、それを補って可愛らしい。
扉をくぐると、カランとカウベルが鳴った。都合、5回目の来店なのですっかり耳になじんだ音でもある。
「――お兄様。シルフィ、いっぱい食べたいのね」
右腕に抱きついたシルフィが上目遣いに目を輝かせる。町での食事ということで、今日は竜ではなく人の姿をとっている。人の姿をとるのは好きではないとのことだが、そこは食べるため。最近は主人に隠れて人の姿を取ってでもねだりに来る。
精神的にはまだまだ子供ではあるが、そこは竜。俺よりもずっと長く生きていて、今とっている姿もれっきとした女性の姿だ。
タバサと同じ艶やかに青い髪を腰まで、身長に関しては頭一つ分は高い。プロポーションについては言わずもがな。押し付けられた豊かな胸が女性であることを主張している。見た目がそうであるだけに、ころころと変わる表情と、幼子のような言動がなんともアンバランスだ。もちろん、それが可愛らしくもあるのだが。
そして、今回はもう一人連れてきている。後ろからしずしずと着いてくる、下手をすればルイズやタバサよりも小柄な少女。少しだけくすんだ金色の髪をサイドテールというんだったか、頭の両端でゆるく結び、華奢な体を黒いワンピースに包んでいる。少し前にウリエルがフクロウを使い魔に作ったということで、こちらは見た目よりもずっと幼い。過ごした時でいえば、赤ん坊のようなものだ。
ウラルと名付けられたその少女、学院の見張りのためだけにというのはやはり可哀そうだ。だから、今日は一緒に連れてきた。もとがフクロウということで普段昼間は眠そうにしているのだが、今日はしっかりと目が覚めている。むしろおどおどとした様子で、おそらく自分が理由なだけに、そういった意味では少し心が痛む。
店員に案内された席へと座り、メニューを広げる。俺は見る必要がないから、二人に向けて。
「シルフィ、全部食べるのね」
元気よく、いつも通りの答えだ。まあ、実際いくらでも食べらるのだから問題ない。太るということはないだろうから、子供と同じように、虫歯に気を付ければいいだろう。
「私は……なんでもいいです」
対してウラルの方は、まあ、当然のごとく遠慮するだろうし、そもそもどんなものか食べたことがないのだ。だから選びようがないだろう。
「――全部のケーキを二つずつ」
ウラルが困ったように笑うが、まあ、興味がないというわけではないはずだから問題ないだろう。
「かしこまりました」
テーブルの上には色とりどりのケーキが並ぶ。さすがに日本のケーキ屋ほどの種類はないが、それでもテーブルを埋めるのには十分。
初めて来た時に食べたチーズケーキ、定番のいちごのショートケーキ、鎖のように絡み合った細かなチョコレート細工が載ったチョコレートケーキ、ルイズの好きなタルトなどなど。
シルフィは遠慮というものを知らないから、テーブルに載せられるそばから食べていく。最初は手づかみで食べようとしたが、そこはさすがに止めた。口のまわりをクリームで汚すのはまあ、シルフィらしいから仕方がない。
ウラルは遠慮していたが、そこは女の子。一つ食べると、そのあとはシルフィに取られないように自分の分を確保した上で、ゆっくりと噛みしめるように味わっている。違う種類のケーキを食べるたびに驚いたり、幸せそうに頬を緩めたり、まるで別人のように表情豊かだ。連れてきた甲斐があったというものだ。
「ケーキ、追加しようか?」
この二人だと、ケーキがなくなるのが早い。マチルダとエレオノールは悩みに悩んで二個。ルイズは根本的に脂肪が付きにくいタイプなんだろう。好きなものを好きなだけ。この二人は、食べられるだけ食べるといったところか。
「シルフィ、もう一個ずつ食べたいのね」
顔についたクリームを手で拭って舐めているシルフィは、まあ、予想通り。ただ、タバサには黙っておいた方がいいか。あまり甘やかさないでほしいと言われそうだ。
「ウラルはどうする?」
「え、と……」
ちらちらと綺麗に空になった皿と俺とを見比べる。泣き出しそうな表情になっているだけに、いずれはもっと表情豊かになることだろう。
「遠慮しなくていいんだぞ? 普段頑張っているんだからそれぐらいはわがままを言ってもいい」
これくらい言わなければ、きっと自分からは言えないだろう。
「だったら、あの黒い、チョコレートのケーキが食べたいです」
しかしながら、口ではそう言いながらも、早くもシルフィに運ばれてきたケーキを恨めしそうに見ている。
「ウラルも、全部だな」
「え……う……。はい、食べたいです」
「ふう、シルフィ、満足なのね。お肉も好きだけれど、甘いものもやっぱり美味しいのね」
言葉通り満足したんだろう。テーブルによりかかり、このまま寝てしまいそうなぐらい幸せそうな表情を浮かべている。
ウラルは――うつらうつらと、すでに幸せそうに寝ている。まあ、もともと夜行性なんだから仕方がないだろう。
「――そういえばお兄様」
「ん?」
「あの店員、なんだかお兄様を睨んでいたような気がするのね。教育がなっていないのね」
テーブルにもたれかかったまま、不思議そうにつぶやく。
「――まあ、そういうこともある。別に、向こうが悪いわけじゃない」
理由はまあ、分からなくもない。さて、また新しい店を開拓しないといけないか。
――また別の日、今度はタバサを連れて行くことになった。何かをしでかして食事抜きと言われた時に、シルフィが自慢げに話したそうだ。まあ、仲間はずれというのもよくないだろう。それと、今度はキュルケも。あまり甘いものが好きそうには思えなかったが、これで本当に仲間外れがなくなる。
ただ、今度は店に入ると舌打ちされた。まあ、仕方がない。6回目でだから、むしろ寛容な方だ。