ウラルがいつもするようにエレオノールの部屋へお菓子を持っていくと、中からくぐもった、押し殺すような喘ぎ声が聞こえた。
ウラルは考える。今はお楽しみの時間だったかと。もしそうであれば、それを邪魔することは許されない、絶対に。
しかし、まだ日の出ているうちからそんなことをしているだろうかと自問し、すぐにあり得るという結論に達する。とはいえ、ウラルが来るだろうことはわかり切ったこと。その時間は避けるだろうし、普段からエレオノールはお菓子を楽しみにしている。期待を裏切るということは好ましくない。
ウラルは躊躇するも、耳をそばだて部屋の中の様子を伺う。人の姿をとっている限りその枠を超えることはないが、耳が良い。
部屋にいるのは二人。位置的にベッドにいるようだ。喘ぐ声が続き、やがて止む。エレオノールともう一人の会話。そして、そのもう一人というのはシエスタのようだ。エレオノールのお気に入りで、よく呼ばれている。もしや性欲処理まで任されているのかと驚愕する。が、マッサージという言葉が聞こえてようやく理解する。考えれば分かることだった。そも、欲求不満を感じた時には、直接ねだりにいくのだから。わざわざそれを自分で処理しようなどとは思わないだろう。
それにしても、どうしてそこまで求めるのか、ウラルには理解できない。雌雄同体であるウラルには、女性器に加えて男性器もある。だが、どちらでもあるがゆえに、性欲を感じることがほとんどない。女性型に近いがために、もし感じるとしたら男性型へだろうかと漠然と思うだけ。それでも、食欲の方が勝るのではないかと考えている。
それはそれとしてウラルは気を取り直し、扉をノックし、名乗る。すぐにエレオノールから返事があった。
エレオノールはベッドに腰掛け、ブラウスのボタンを上から留めているところだった。マッサージとやらの効果か、頬は赤く、血色が良さそうだ。事後のようだと一瞬考え、すぐに振り払う。
シエスタは乱れたベッドを整えている。マッサージはベッドの上でだったのだろうと推測する。
「すぐに食べられますか?」
ウラルはエレオノールに尋ねる。マッサージ後はしばらく休憩したいものかもしれないと考えたからだ。
「うん、いただくわ。この時間になるとお腹が空くのよね」
エレオノールの返事に、ウラルはすぐに準備を始める。といっても、紅茶用のお湯を再度沸騰させるだけだ。火にはトラウマがあって苦手だったが、その為だけになんとか小さな火を扱う魔法を習得した。すっかり慣れた手つきで準備を始める。
エレオノールからシエスタと、そしてウラルにもということで三人分を準備する。お菓子はクッキーなので、追加せずとも良かった。ただ、あとでエレオノールが食べられるようにということも考えていたので、追加する必要があるかもしれないと計算する。
「あ、そうだ」
エレオノールが満面の笑みでウラルを見ている。
「何でしょう?」
「さっきシエスタにマッサージをしてもらったんだけれど、すごく上手なの。お爺様に教えてもらったってことでね。あなたもお願いしたらどうかしら? 」
「それは、悪いです。シエスタさんも他の仕事があるでしょうし」
すると、シエスタが否定する。
「いえ、私はエレオノール様を優先するように言われているので、エレオノール様さえよければ問題ありません」
「そうよね。うん、いっそ完全に私の専属になれるようお願いしてみようかしら? シエスタは読み書きもできるし、優秀なのよね。まあ、それはそれとして、ウラルもどうかしら?」
エレオノールの言葉にウラルは考える。仕えるべき相手の善意を無為することはあまり好ましくない。加えて、なんだかんだで興味がないでもない。
「それでは、お言葉に甘えて………」
ウラルがエレオノールのベッドにうつ伏せになり、腰にシエスタが跨る。ベッドにうつ伏せになるというのは流石に遠慮しようとしたが、何を今更との言葉に諦めた。
ウラルの肩にシエスタの手が添えられる。最初は確かめるように優しく、やがて、親指で力を込めるように。はじめこそ痛んだが、肩が熱く、重かったものが少しずつ軽くなるように感じた。力を抜くようにシエスタに言われて、ウラルは素直に従う。すると、ただただ、気持ちが良かった。つい、吐息が漏れる。ウラルは、エレオノールがわざわざ自分に勧めた理由も、そして、喘ぐような声も理解した。
「どうですか? 痛かったりしませんか?」
シエスタが尋ねるが、ウラルは答えられない。ただ、エレオノールと同じく喘ぐだけ。それだけでシエスタには通じてしまったようだ。ウラルは蕩けるような心地良さを感じつつも、どこか気恥ずかしかった。
「ふふ、私も満足してもらえて嬉しいです」
シエスタも素直に喜ぶ。もともとシエスタは饒舌な性質だ。ウラルとはあまり話したことはなかったが、境遇が似たようなものだとは感じていて、ついつい口も軽やかになる。
「ウラルさん、見かけに似合わず胸が大きいみたいですからね。どこが凝っているか、私もよく分かります」
微睡んでいたウラルの意識が急速に冷える。同時に、キリキリとある場所が痛む。エレオノールは何も言わない。だからこそ、なお一層怖い想像が頭を巡る。心地よい時間が一変、早く終わって欲しいと思うものに。それに気付かないシエスタは、ウラルにとって残酷だろうか。機嫌を良くしたシエスタの動きはより一層軽やかなものになる。
「気に入ってもらえたようですし、もっとサービスしちゃいますね」
シエスタは鼻歌混じり。本当に善意なのだろう。ウラルにとってはそれが怖い。気持ちが良いのに、それこそが辛い。
「――ありがとう、ございます」
ウラルには、それしか言えない。
「足つぼマッサージというんですけれど、これが本当に効くんですよ。体に悪いところがあるとすごく痛かったりするんですが、その分、本当に体がポカポカして軽くなるんです」
そういうと、シエスタは体の向きを変える。ウラルの上で体を反転させ、足をつかむ。
「例えばここ………」
シエスタが足の裏のある場所を押す。途端、ウラルの体に電撃が走る。体の奥の奥まで焼かれるような電撃。そうとしかウラルには表現できないもの。体を硬直させたウラルに無慈悲なシエスタの指。
「ここはですねぇ……」
グリグリと押し込まれる。
「ひ、ひぎ……ぁぁ……」
バン、バンとウラルの手がベッドに叩きつけられる。
「え? だ、大丈夫、ですか?」
もはや悲鳴といった悶えように、流石のシエスタも我に返る。ただ、ウラルは息も絶え絶え、ふー、ふーと荒い呼吸。油断していたからだろう、力尽きたようにベッドの一部になっている。
「えっと、体の悪い部分が痛むのよね?」
どうしたものかと、エレオノールが尋ねる。
「え、ええ………。ここまで痛がるのは初めて見ましたけれど………」
「で、どこが悪いの?」
「えーと、胃、ですね。ストレスがあったりすると痛むらしいですけれど……」
エレオノールは静かに目を閉じる。
「………何て言うか、ごめんね。たぶん、私のせいよね?」
エレオノールは慈しむようにようにウラルの背を撫でる。
「あの、どうしましょうか?」
恐る恐るとシエスタが尋ねる。
「どうするって?」
「あの、マッサージをすると良くはなるはずなので、続けるか止めるか………」
あまりの痛がりように、シエスタとしても悩むようだ。
「……ウラルには我慢してもらって、やっちゃいましょうか。放置するのもよくない気がするし」
エレオノールとしても心が痛むが、それもまた罪滅ぼしのようなものだと思い直す。
「そう、ですね」
仕方ない、とシエスタも頷く。
だた、ウラルとしては恐怖でしかない。
「あの、嘘、ですよね? 痛いんです、本当に痛いんです……」
涙を浮かべて懇願するが、それはもう決定事項。エレオノールとシエスタはただ、ごめんねとだけ。
マリコルヌに魔法の才はない。
ここ最近めきめきと、はたからみれば異常なほどの成長を見せているが、それは副次的なもの。精神の成長に比例するそれは、あるものの成長のおまけのようなものだ。それに名前をつけるのなら、煩悩、だろうか。
そのマリコルヌはドアにぴったりと張り付き、目を血走らせていた。魔法とも関連するという第六感からか、マリコルヌはそこへ行くべきだと理解した。極度の集中からか、息も荒い。本来いてはおかしい場所であるというのに、それを止めるべき教師すら声をかけられずにいる。
加えて、部屋の中からはまだ幼さの残る少女の悲鳴。許して、助けてと響き渡っていた声が、もはや、意味をなさない嗚咽のみ。
貴族が、特に地位の高い貴族が特殊な性的嗜好を持つことは珍しくない。加虐嗜好や幼的嗜好などはその中でもメジャーなものだ。エレオノール嬢がそうだったとしてもおかしくない――そう周りの者たちは考えた。
それを咎めるのはなかなかに難しい。場所を弁えるべきだという至極真っ当な意見も、こと、そういったことに関して咎めることは、相手を敵に回す可能性が高い。ましてや、エレオノール嬢はトリステインの中で王家に次いで逆らってはまずい家。加えて、更に性質の悪いものがついている。
やがて悲鳴が止んだ。
誰ともなく、絶望の声がを上げた。最悪の想像をするのも、仕方がないことだ。
部屋の中では、エレオノールとシエスタがただひたすらにウラルを慰めていた。
「うう………。ひどい、です……。ゆるしてって、いった、のに………」
見かけ相応に涙ぐんだウラルに、どこか嗜虐心を震わせられながら。そも、途中からは悪ノリが過ぎた。ドアの外になぜか張り付いていたマリコルヌをしばき倒して話を聞いた二人が、まわりの誤解を解くのに苦労したのは自業自得。