混沌の使い魔 小話   作:Freccia

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神の左手

 ――音が聞こえた。

 

 ギイン、ギインと金属同士がぶつかり合うような音。耳を澄ませてみれば、そう遠くない場所だと分かる。時折、こすれ合うような音が混じる。

 

 鉄を鍛える、鍛冶の音とは違う。何年も前には、よく耳にしていた音。剣を扱うわけではない自分に直接の縁はなくとも、戦場ではありふれた、剣と剣とがぶつかり合う音。魔法学院というこの場所では、あらゆる意味で場違いな音。

 

 

 

 

 はっ、はっと荒い息。まるで犬のようで、みっともない。宝物の剣も今は杖代わりと、情けない。どうしてこんなに重いんだろうと、くだらないことを考えてしまう。

 

 

「――ルシード、そろそろ限界ですか?」

 

 涼しい顔で問う、ウリエルさん。実際、とても動きやすそうとは思えない服なのに、汗一つない。汗で張り付いてうっとうしいぐらいの自分とは大違い。鍛えてくれるということには感謝しているけれど、つい恨みがましい目で睨んでしまう。

 

 まずは思うまま打ち込んでこいと言われて、打ち込んだ。でも、すべて余裕をもっていなされた。むきになって全力で振りかぶった剣でも、それこそ緩く握った剣であっさりと払い落とされる。

 

「うん、負けん気が強いということは良い事ですよ。そういった心を持てるというのは、それもまた長所の一つですから。――さて、まずは簡単に評価してみましょう」

 

 ウリエルさんが、優雅に剣を振るい、鞘へと納める。そんな動作一つとっても、ただがむしゃらに剣をふるう自分とは違う。

 

「今のあなたの実力は、全くの素人。まだ子供ですから、体を作っていくのも、体力をつけていくのもこれからでしょう。そして、――気を悪くしないでくださいね? 目に見えるほどの才があるわけではありません。ですから、英雄と呼ばれるほどの実力を得るというのは、とても難しいでしょう」

 

 それは、事実。生まれもごくごく普通、剣を握ったのだってここ数ヶ月の話。それでどうにかなるなんて、思ってはいない。たとえ悔しくても、それは仕方のないこと。そんな自分が嫌でも、変わらない。自分なんて、地面に落ちているなんの変哲もない石ころと同じ。決して、磨けば光る宝石なんかじゃない。

 

 ウリエルさんの声。

 

「――だから、欲張るのはやめましょう」

 

 見上げた顔は、いつもの優しげな表情。

 

「あなたが強くなりたいのは、なぜですか?」

 

 そんなことは決まっている。

 

「テファお姉ちゃんを守りたいから」

 

 それは、何があっても変わらない。

 

「そう、あなたが欲しいのは守る為の力。なら、それだけに集中しましょう。華やかでもないし、泥臭いものかもしれない。でも、あなたにとって一番大切なのはそれでしょう。その為にはまず、自分の身を守る術を身につけないと。自分のことすらなんとかできないのに、誰かを守るというはどうしたって無理なことですよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 一度は止んだ音が、また続く。正確には少しだけ違う。それまで聞こえていた音よりもずっと澄んだ音。音の元には二人。その場所に来た時、そのうちの一人と一瞬だけ目があった。

 

 聞こえていたのは、やはり剣を合わせる音だった。彼のものの懐刀、ウリエル殿。彼が剣を振るっている。その相手はと言えば子供、そう、子供だ。こちらからは背中しか見えないが、どこか中性的な体躯であるからには、まだ10を越えたかというところだろう。そんな子供が、ウリエル殿の剣を受けている。

 

 正確に言えば、なんとか合わせているということになるかもしれない。ウリエル殿がどう攻撃するのかを宣言し、子供がそれに合わせる。言葉にするのならば稽古をつけている、そんな光景だった。そんなことを何十、何百と続けていく。少しづつ、剣を振るう間隔が短く、そして速くなっていった。だから子供は常に必死、慣れるということはありえない。子供はただ剣を見ていた。それは、子供が剣を取り落とすまで続いた。自分は、ただその光景を見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 名ばかりではあるかもしれないが、学院長の好意で得た研究室。そこにいると、2、3日に一度、あの剣を打ち合う音が聞こえるようになった。なんとなく気になって見に行くと、そこには同じ光景がある。

 

 ウリエル殿が剣を振るい、子供がそれをひたすらに受ける。少し前と違いがあるとすれば、時折剣が子供に当たるということだろうか。剣の刃ではなくとも、金属の塊。当たった場所は痣になっていることだろう。それでも子供は向かっていく。体力がなくなるまで、子供が剣を握っていられなくなるまでそれは続く。最後に傷だけを魔法で癒してそれは終わる。

 

 声をかけた。何の為にそんなことをしているのかと。強くなるため、そして、大切な人を守る為という答えが返ってきた。そんな彼を、お茶に誘った。子供は、ルシードというらしい彼は遠慮したが、甘いものもあると言うと素直についてきた。そんな子供らしさに、どこか安心した。

 

 それから、強くなるための稽古の後には私の研究室でお茶にするというのが日課になった。お腹が空いている彼の為のお菓子の出費は少しだけ懐に痛かったが、まあ、それぐらいは良しとしよう。もらうばかりでは悪いと思ったのか、彼曰くずいぶんと散らかっていた私の研究室の片づけを手伝ってくれたのだから。

 

 何度かそんなことが続くうちに、彼はどうして強くなりたいのか教えてくれた。大切な人がいて、その人を守れるようになりたい、と。

 

 その人は自分の身を守るのにも精一杯のはずなのに、それでも自分のことは二の次。他人のことを、ルシード君達のことを何よりも優先している。だから、まずは自分を守れるように、そしてその大切な人を守れるようになりたいと。

 

 彼の目はとても真剣で、子供とは思えないほど沢山の感情に溢れていた。そして、力強い言葉とは裏腹に、自分には力がないという無力感、悲しさが見えたような気がした。そんな彼に、私は力になりたいと思った。もしかしたら、あのウリエル殿が稽古をつけているのは私と同じ気持ちからではないだろうか、そんなことを思った。

 

「――ルシード君。良ければ、君が望んでさえくれるなら、私も君の力になりたい」

 

「コルベールさん?」

 

 ルシード君が困惑したように私を見上げる。つい、笑みが漏れる。いきなり冴えない中年にそんなことを言われれば困惑するのも当然だ。そして、今の自分は見るからに無害な一般人なのだろうと。

 

「今はしがない一教師なんだが、実は昔、軍の特殊部隊にいたことがあってね。軽蔑されても当然の汚いことだってさんざんやるような、ね。誇るべきことなど何もないが、唾棄すべきようなその知識、君なら役に立ててくれるんじゃないかと思うんだ」

 

 ルシード君が何かを言いかけたところで、部屋の片隅から、カタ、と音が聞こえた。目をやった先に動くものはない。積み上げられた本と、古びた剣。その剣からもう一度、カタ、と音が聞こえた。そして、声が聞こえた。

 

「……そういうことなら、おれっちも力になりたい。このまま朽ちるのもいいかと思ったが、おまえさんみたいな奴は好きだ。ここは一つ、おれっちを握ってみてくれないか?」

 

 困惑したようにルシード君が私を見る。あの剣は、あることすらすっかり忘れていたものだが、特に危険があるとは思えない。だから、軽くうなずいて見せる。おずおずとルシード君が剣の柄を手に取る。

 

「――ああ、やっぱりおまえさんみたいやつは好きだ。誰か守りたいっていう、本物の気持ち、やっぱりいいなぁ。どっかが暖かくなって心地良い。ああ、昔を思い出す。そうだ、どうしようもねえとこもあったがいいやつでよ。そんな主人を守るためによ、俺を使うわけだ。懐かしいなぁ。ああ、懐かしい」

 

 ルシード君の手の中で、剣から声が聞こえる。記憶なんてものがあるのか分からないが、遠い昔を懐かしむような声。

 

「――ああ、全部思い出した。なあ、おまえさんよ……。ああ、この姿じゃあ、失礼だな。ちょっと待ってくれよ」

 

 剣がルシード君に語りかけ、急に静かになる。そして、錆の浮いた刀身が輝く。ふと光が薄くなり、それに合わせるように刀身が、まるで研いだばかりの吸い込むような艶を見せる。

 

「おまえさんのおかげで全部思いだした。おれっちはデルフリンガー。神の左手と呼ばれたガンダールブの相棒だ。おまえさんはガンダールブじゃあないから、十全に力が出せるかはわからねぇ。が、おれっちはおまえさんの役に立ちたい。こんな気持ちになったのはもうどれくらい前以来だかもわかんねぇが、どうかおれっちを使ってくれねぇか? おれっちにぁあ、魔法吸収するっつう能力がある。魔法を使えねぇおまえさんにはきっと役に立てると思うぜ。いや、立たせて欲しい」

 

 剣の正体は分からない。けれど、きっと思ったことは一緒なんだろうと思う。この、今は困惑するばかりの小さな勇者の力になりたいというのは。物騒な力も、彼のような子ならきっと……

 

 

 

 

 

 ずっとずっと後、メイジ殺しとして名を成した少年。魔法は使えなくてもその手の剣は魔法吸収の魔剣、そして、何者の攻撃をもいなす、卓越した剣技と戦術。

 

 あるいは物語の主人公として、美しいお姫様を守る勇敢な勇者として――

 

 そんな未来も、あるかもしれない。ありえる未来の一つの形。凡人だった少年が、英雄と呼ばれるようまでに上りつめるまでの一つの道。それでも、最初から英雄と呼ばれるような人間だったわけではない。それまでには、いくつもの試練があってこそ。まず一つ目の試練は……

 

 

 

 

 

 

 

「……ルシード、その剣は?」

 

 ウリエルさんは微笑んでいる。確かに笑っている。

 

「ええと、デルフリンガーという剣で……。魔法を吸収するって能力があるっていうことで……」

 

 どうしてか、足がすくむ。

 

「……そうですか。確かに、私が選んだの普通の剣でしたからね。魔法を吸収するなんて、そんな便利な能力はありませんでしたしね」

 

 うん、とウリエルさんがうなずく。

 

「では、ちょっと試してみましょうか」

 

 いつの間にかウリエルさんの手には抜き身の剣があって、ゆっくりと手でなぞっていく。

 

 触れた場所から剣が赤熱し、蜃気楼のように空気が歪む。刀身からはゴウと炎が立ち上り、ボンッ、ボンッと何かが弾ける音。まるで太陽を固めたよう、そんなことを思った。

 

 

「……相棒、俺がまず教えられることが一つ」

 

 デルフリンガーが言った。

 

「……あれは無理。……あれは洒落になっていない」

 

 

 

 

 

 一つ目の試練は、大人げない、それでいて全く洒落にならない、彼が師とあおいだ一人の些細な嫉妬。

 

 

 


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