「――ほら、姉さん。行きましょう」
嬉しくて仕方がないとばかりのテファが、姉であるマチルダの手を引いていく。当の姉は一瞬困った顔を見せたものの、肩の力を抜いて引かれるに任せた。
「こらこら、テファ。町に出られて嬉しいのは分かるけれど、落ち着きなさいね? わざわざ来てもらったウリエルさんを置いていくなんて駄目じゃない」
言いながらも、その表情には隠しきれない喜びが見て取れる。
「さあ、ルシード君。私達も行きましょうか。ぼうっとしていると、おいて行かれてしまいますよ? 買い物で荷物持ちが遅れるというのはいただけませんからね」
「そうですね、ウリエルさん」
少しばかり粗暴な所のある少年。彼もまた、テファを追う目は嬉しそうだ。10を少しばかり超えたほどだろうが、今この場においては彼女よりも年上とも見える。
テファ、マチルダ、孤児の一人であるルシード。家族としては歪な形ながら、とても良く調和している。
エルフという、この世界では人に疎まれる種族らしいテファニア。彼女の姉代わりからその境遇のおおよそは把握した。その魂はとても純粋で、だからこそ危うい。幼いころ目の前で母親を人に殺され、そしてまた、最愛の家族を目の前で。マチルダの言う通り、放置すれば壊れてしまう可能性も十分にありえた。事実、一度はタガが外れてしまったのだから。今はまだ、家族がそばにいるからこそ自分をなんとか保っている。
姉代わりであるマチルダ。ある意味では、テファと同じほどに危うい。転落の人生で、守る者がいたからこそ、なんとか自分を保つことができた。自分ではなく、他者に価値を置くことで前に進んできた。だが、今はその他者自身がとても危うい。テファが壊れてしまえば、彼女も耐えられないかもしれない。
そして、ルシード。孤児であった彼だからこそ、新しい家族をとても強く守りたいと思っているようだ。おそらく、彼はテファの危うさを感じ取っている。だからこそ、皆を守らなければならないという観念にとりつかれてしまっている。それは好ましいものではあっても、同時に危うくもある。
とても良く調和しているが、かろうじて成り立っている綱渡りでもある。何かのきっかけがあればすぐにバランスを崩すだろう。だからこそ、細心の注意を払わなければならない。少なくとも、それぞれが一人で立てるようになるまでは。
季節の区切りということらしく、町は賑わいに満ちている。そこここの出店が威勢良く行き交う人々に声をかけ、人々もまたそれに答える。そしてまた、既存の店も負けじと声を張り上げる。品物を袋に詰め込めるだけ詰め込んでいくらで売るといったこともやっており、それを目当ての客も多いようだ。積み上げられた袋の山が見る間に崩されていく。
そんな熱狂的な様子に、初めて町に出たらしいテファはもちろん、ルシードも熱に浮かされている。今にも走りださんと、目を輝かせている。本来なら子供であるルシードが先に挙げられるべきであろうが、それは言わぬが花であろう。そんな大きな子供達をゆっくりと追う。母親のごとく見守っていたマチルダと目が合うと、柔らかく微笑みかけられた。
「ウリエルさん。今日はつきあっていただいてありがとうございます。生活用品の買い出しなんて本当は私達でやるべきことだったのに……」
「いえいえ、あなた方の護衛もまた、私の役割の一つですしね。主の手が空かぬとあれば、当然のことです」
わざとおどけてみせると、マチルダがくすりと微笑んだ。
「本当にもう、部下の鑑のような方ですね、ウリエルさんは。当のシキさんはエレオノールさんと楽しんでいるというのに」
「さて、私からはなんとも……」
今更隠し立てしても意味はないかもしれないが、それとこれとはまた別の話。
「まあ、先に約束してたんでしょうから、仕方ないですけれどね。そういうところだけは良くも悪くも律儀ですから」
仕方ないとばかりに独り語散る。だが、多少拗ねた様子ではあるものの、それ以上でもそれ以下でもない。他者を優先するという気質だからこそ、過分な嫉妬を抱かない。この関係もまた、かろうじて成り立っている危ういものと言えるかもしれない。
「あ、そうだ、ウリエルさん。その服、似合っていますよ。普段の服装はやっぱり目立つので、そっちの方がいいかもしれないですね」
からりとしたもので、話はそこまで、別のものへと視線を向ける。確かに今日は、シンプルな白のシャツに黒のパンツと、あまり目立たない服に身を包んでいる。
「目立つとは分かっていますが、あれがやはりこの身に馴染んだものですから。今日は例外ですよ。『普通』に町へ出て、『普通』に町で買い物したい。そんな彼女のささやかな望みを私が邪魔するわけには行かないですしね」
「――ありがとうございます。私もあの子と一緒に、そんな『普通』のことをしたかったから」
はしゃぎすぎて危なっかしいぐらいの二人に目を戻す。案の定、人にぶつかって必死に謝っているが、それを苦笑しながらも愛おしげに眺めている。
まあ、不満気だったぶつかられた相手の男も、テファの顔を見て顔を綻ばせているから心配はいらないだろう。エルフの血を引く彼女の造作はとても整っている。耳さえ隠してしまえば、絶世の美少女と呼んでも差し支えがない。あえて言うのならば、それが余計な虫を呼ばないかといったところ。性が悪ければ駆除するが、純粋すぎる彼女には、時には必要であるかもしれない。男がテファを口説こうしているようだが、これは良い経験になるだろう。男もそういったことには慣れていないのか辿々しく、同じく慣れていない彼女には丁度良い。
「テファにルシード! 危なっかしいから戻っておいで」
マチルダが人混みに負けないよう声を張り上げる。過保護な姉としては見ていられなかったようだ。
「多少の慣れは必要かと思いますよ?」
私の言葉に、マチルダは苦々し気に眉根を寄せる。
「うー、分かってはいるんですけれど、やっぱり放っておけなくて。それに、下手に男慣れすると、自分からシキさんに食べられに行っちゃいそうで……」
「それは、まあ……。ない、とは言えないですが……」
そういったことを知らない、純粋な人物ほど染まりやすい。その実例を既に知っているからこそ、心配なんだろう。
昼食にと入った店で、恭しく腰を折るウエイターに出迎えられた。
少しばかり敷居の高そうな様子に、マチルダ、テファ、ルシードともに些か戸惑った様子だったが、町が賑わっていてどこも混んでいるということで、どうにか納得したようだった。敷居が高いおかげか、比較的席にも余裕があった。
テファ、ルシード共に注文はなんとかといった様子だったが、いざ料理が運ばれると、はしゃぎすぎたからか、あっという間に平らげてしまった。
「デザートに何か頼みますか?」
提案に、テファとルシードはお互いに顔を見合わせる。
「ええと、あんまり贅沢に慣れるのも……」
言いながらも名残惜しげにテファ。
「一緒に来た俺だけ食べるというのも……」
ルシードも同じく。
「まあ、いいじゃないですか。町だって賑わっているようですから。それに、ルシード君。荷物持ちにということで来たのですから、その対価だと思えばいいんですよ。労働には正当な対価があってしかるべきですから」
おずおずと二人が目を見合わせるが、ちらちらと視線はメニューに落としている。
「マチルダさんはどうしますか?」
「え、私ですか? えーと、今回は遠慮しておきます。その、シキさんが何かとケーキとか買ってきてくれるから……。ちょっと、控えようかなって」
二人を見ながら残念そうに、本当に残念そうに口にする。
「あまり、気にする必要はないと思いますけれどね。女性らしい柔らかさは、それはそれで好きなようですし」
「そ、それなら……。や、やっぱり駄目です。油断しているとあっと言う間に……」
テファだと、まっさきに胸につくのに。ぼそりと、うらやましげな視線を妹へと向ける。目を向ければ、確かに大きい。華奢な体で支えられるだろうかなどと由なし事を思うほどに。
午前中には生活用品をメインで購入したので、午後からは買い漏らしたもの、それと、テファとルシードが買いたいものを購入することにした。せっかくそこここの店が品物を安くしているのだから。
テファは遠慮したが、マチルダの提案で着飾るものを購入することにした。
なるほど、人目を引く容姿に比較して、その身なりは不釣り合いなほどに質素だ。着飾る必要がなかったせいもあるのかもしれないが、人の中で生きていくというのなら、それも必要だろう。それに、着飾りすぎても逆効果かもしれないが、あまり質素すぎると良からぬ輩に目を付けられかねない。
手近な店に入ると、早速マチルダがテファを着せかえ人形へとしていく。容姿が整っているので、少々奇抜ではあっても十分に着こなしてゆく。それが本人も満更ではないのか、最初は恥ずかしげだったテファも、慣れるにつれ自分から選ぶようになった。
おかげで、ルシードと運ぶ荷物は加速度的に増えてゆく。まだまだ身長の低いルシードでは、前を見るのも億劫そうだ。まだまだ大丈夫とは言うが、視界を塞ぐ荷物を二つ、三つ引き受ける。背伸びしたい年頃ではあるかもしれないが、やはり無理なものはどうしたって無理なのだから。
そろそろ物理的に限界かというところで、ようやく満足できたようだ。テファが満足したことで、マチルダも満足したらしい。もともと、二人で町で買い物をしてみたかったと言っていたから、それだけで十分なんだろう。だから、購入したのはほとんどがテファのものだ。
次はということでルシードに目を向ければ、ならばと、賑わう中でも人の少ない通りを差した。
「あっちっていうことは、武器屋? ああ、そういうこと……」
マチルダが頷き、テファも何となく察したようだ。皆理由を知っているのだから、あえて言う必要はない。私が何かを言うべき事でもない。
ルシードが買いたかったのは、つい先日プレゼントされた模造刀の手入れ用の道具と、小振りのナイフだった。まあ、模造刀とはいっても、刃を潰しただけで、もとは業物。子供が持つには十分だろう。こっそりと素振りをして体を鍛えようとしているのは知っている。
朝から出てきたというのに、空はうっすら陰り始めていた。
必要な生活用品と、少しばかりの品物を買い込むだけで一日がかりになってしまった。まあ、買い物を楽しみたいというささやかなものとはいえ、望みも叶えられた。それはそれで良しとしよう。前を歩く、テファ、マチルダともに楽しそうなのだから。代わりに、隣を歩くルシードは疲れた表情をしているようだが。
「ルシード君、女性の買い物につき合うという経験が早めにできたて良かったですね。どれだけ大変なのか分かったでしょう?」
「……ここまで大変だとは思わなかった」
心の底からうんざりしたようだった。
「ふふ、気軽について来たのを後悔しましたか?」
「それは、ないかな。お姉ちゃんの役に立ちたいから。今はまだ、それぐらいしかできないから」
「いつかは守れるようになりたい、と?」
答えはない。
「あなたが毎日素振りをしているのは知っています。ただ、魔法とは便利なもので、剣でどうこうしようというのはなかなかに難しいですよ? 毎日の練習、それを否定するつもりはありません。ですが、一朝一夕にというのはやはり難しいものです。心配しなくとも、そのためにこそ私たちはいますしね。ええ、国の一つや二つならどうとでもしてみせますよ」
歩みが止まる。唇を噛みしめ、顔を強ばらせる。努力する子供に対して酷ではあっても、それは事実。
「……それでも」
ゆっくりと顔をあげる。
「それでも、テファお姉ちゃんを守りたいから」
「無駄に、なるかもしれませんよ?」
「それでも構わないから。テファお姉ちゃんが幸せにれるなら、それでいいから」
迷いなく、はっきりと言葉にした。
「そこまで理解しているというなら、これ以上は言いません。――ただ、もしも必要ならですが」
必要ないかもしれないし、そもそも必要となることなどあってはならないこと。
「あなたに剣を教えてもいいですよ? 完全な我流でというのも限界がありますし、本業ではないとはいえ、私にも多少の心得ぐらいはありますから」
「本当に!?」
現金なもので、さきほどまでの疲れた表情はどこへやら、目を輝かせている。
「ええ、あなたのように誰かの為に強くなりたい、そういうのは嫌いではないですしね。もちろん、姉二人の説得はルシード君がするというのが条件ですが」
「もちろん!!」
そういうと、両手に抱えた荷物も軽くなったのか、足取り軽く姉二人のもとへと走り寄る。
まだまだ顔にはあどけなさが残っている。今だって、走る背中を見るに体ができきっていない。それでも、本当に誰かを守りたいという強い心を持っている。
そんな魂は、たとえ幼くとも、気高い。
「――小さな勇者に幸多からんことを。熾天使が一、地のウリエル。微力ながら力を貸すとしましょうか。ふふ、こんな世界も悪くはないですね」
突然の話に困った顔はしても、笑い合う三人は温かい空気に包まれている。たとえ血はつながっていなくとも、家族よりも強い絆で結ばれている。それは、とても価値のあるもの。
すべてを無くした主にとっては、何より欲しかったものなんでしょう。