「――エレオノールさん。明日、何か予定はありますか?」
見上げると、マチルダさんが朗らかに笑っていた。本当の名前を知ってからだろう、なんとなく感じていた、どこか距離をおいたような空気はなくなった。本当に「友人」となれたんだと思うと、やっぱり嬉しい。
「いえ、特には。何か面白いものでもあったんですか?」
「はい。最近若い女性の中で話題らしいんですけれど、面白いお店があるらしいんですよ」
「――へえ、面白そうですね。なかなかそういったものには疎いので、興味はあります」
時折、こうやってマチルダさんの方から誘ってくれる。「貴族らしい」ものとはちょっと違うけれど、新鮮で面白い。
なにより、貴族たることは私にとっては当然のものではあるけれど、シキさん達にとってはちょっと肩肘を張るようなものらしい。だから、シキさんはどちらかといった庶民のものを好む。だから、今まではふさわしくないと馬鹿にしていたようなものも素直に受け入れられるようになった。いや、今では私自身が楽しんでいる。さて、今度はどんな驚きがあるんだろう? その驚きが心地良い。
カランと、戸口のカウベルが来客を告げる。すぐさまウエイターが迎えにあがる。そして同時に、客へと視線が集まる。早いもの勝ちであるから、すでに競争は始まっている。
少しばかり店が込み出すには早い時間に来たのは、二人連れの女だった。
一人は、艶やかな緑の髪の女。この店には珍しい、眼鏡の奥から切れ長の目がのぞく、知的な女。10人がいれば10人ともが振り返るだろう美貌に加えて、服の上からでもスタイルの良さが分かる。女から金を巻き上げるというのがこの店の実際ではあるが、こちらが金を払っても良いと考えてしまうほどの女だ。
そしてその美女に手を引かれる形で、こちらも劣らずの美女が続く。気の強そうな雰囲気が全身に表れているが、こちらも知的な雰囲気をこれでもかと振りまいている。スタイルは先ほどの美女と比べるべくもないが、育ちの良さ、要するに金を持っているというのはすぐに分かった。間違いなく、どこか良いところの貴族様だろう。
客としても、女としても良い。
ちらりと同じテーブルに座った女に目をやる。一応貴族ではあるようだが、そこまで金を持っているようでもないし、女としての魅力もない。その程度の客ならいくらでも代えがきく。ならば、やることは決まっている。
「――ごめんね。ちょっと呼ばれているみたいだから」
女は不満そうな素振りを隠そうとしないが、あとで埋め合わせをすればまあ、何とかなるだろう。駄目なら駄目で仕方がない。
先ほどの美女二人の席へと座る。だが、考えることは皆同じ。女二人に対してこの店のトップ3が囲むことになった。他の客からは非難がましい目が向けられるが、皆それでもという判断だ。内心は別として、お互い、にこやかに視線を交わす。
まあ、譲るはずがないというのは分かりきっている。ならば最初は協力すべきだろう。それぐらいは皆わきまえている。
さて本題の方だ。二人連れに視線を戻す。緑の髪の美女は持った色気にふさわしく、男に慣れていそうだ。それはそれで魅力的だが、今回狙うべきはもう一人、金を持っていそうな金髪の女の方だ。
「――いやぁ、お二人のような美女がお客さんだと嬉しいなぁ」
しまった。考えているうちに出遅れてしまった。一人が早速褒めそやしにかかる。言葉は二人に、さりげなく視線は金髪の女の方に向けながら。狙いは当然同じになるだろう。まあ、ずいぶんと直球の褒め言葉ではあるが、お世辞抜きに美女であれば問題ないという判断だろう。
さて、ただ見ている訳にはいかない。皆同じことを考えているだろうから。
予想通り金髪の女は男慣れはしていないのか、褒められることに満更ではないようだ。その様子をにこにこと眺めている緑の髪の女は一筋縄ではいかなそうだが、まあ、一人でも十分魅力的だ。そしてまた、この様子だと誰がものにするかの競争になりそうだ。
とぼとぼと元の席へと戻っていく男達の背中を見送る。結局、5分ともたなかった。よっぽど自信があったのか、背中が煤けてしまっている。無駄にあったそれはすっかり折られてしまったようだ。まあ、早速元の客の機嫌をとるのに急がしそうにするあたり、そのたくましさは賞賛できるだろう。それだけは。
そして視線を、元凶へと戻す。
「――さすがエレオノールさん。あなた達には興味がない、の一言でばっさりでしたね」
「まあ、褒められて悪い気はしなかったですけれどね」
いたずらっぽく笑う。そういう仕草はシキさんの影響だろうか。初めて会った時の固い印象からは考えられない。
「でも、面白いでしょう。すぐに勘違いしちゃうみたいで。女の敵かと思ったけれど、あれじゃ騙される方も騙される方ですよね」
私も一緒になって笑うが、いたずらっぽくというよりは、悪女っぽいかもしれない。まあ、この店に来たのはからかい半分であるから、ふさわしいものではあるだろう。
「――それにしても」
私の言葉にエレオノールさんが首を傾げる。
「見た目だけならそう悪くはなかったですよね? 本当に全く興味がなかったんですか?」
エレオノールさんは、ちょっと分かりづらいかもしれないが、本当は素直な人だ。ただ、プライドが高すぎるだけで。矢継ぎ早に褒めちぎられるのは満更でもなかったはずだ。本人の言葉にもあった通り。
私の言葉に、エレオノールさんが、ああと納得がいったようだ。
「確かに見た目だけなら悪くはなかったですよ。ああやってちやほやされるというのも、……最初から割り切ってしまえば悪くはなかったです」
ただ、と言葉を続ける。
「それは良くても、いかにもキザったらしく髪をかきあげる仕草。芝居がかかったように一つ一つが大げさで。まあ、それが端から見る貴族のイメージなんでしょうけれど、それに実がともなっていなければただただ滑稽なだけですし」
大多数の貴族も同じではあるけれど、それは愚かさの表れでしかない、そう付け加える。
「確かに、そうですね。その仕草に自分で酔ってしまうようでは喜劇役者と大差ないでしょうしねぇ。ああ、本人は全くそれ気づいていないのだから、同列に語るのはちょっと失礼ですね。喜劇役者というのは、自分が見せる印象をすべて分かった上での演技ですからね」
それはそれで面白いけれど、と二人して笑う。
「それに……」
エレオノールさんが口を開きかけて、顔を赤らめて言葉を飲み込む。まあ、だいたい分かる。でも、そういう仕草をされるとついからかいたくなってしまう。
「――夜のことですよね?」
エレオノールさんが顔を赤らめたまま、笑う。ううん、この程度ではからかいとしては力不足のようだ。生真面目だった彼女からのあまりの変わりように、少し心配になる。でもまあ、言いたいことは分からないでもない。
エレオノールさんが、言葉を続ける。
「その、シキさんに抱かれるとすごく幸せな気持ちになるんです」
その行為を思い出しているのか、頬の赤みが増す。ご丁寧にも、熱い吐息をこぼしながら。いけない、そんな風に言われると私も恥ずかしくなる。
「シキさんのは、その、……いいですからね」
さすがのエレオノールさんも顔をうつむかせて、コクンと子供のように可愛らしくうなずく。思い浮かべているのは子供にはあるまじきことだけれど。
でも、私も同じことを考えているから、それをからかいの対象にしたりはしない。絶対にしない。
なのに、よせばいいのに、エレオノールさんは更に言葉を続ける。
「そ、その……、すごく固くて、すごく熱くて。うう……」
湯気を上げそうなほどに真っ赤だ。そして少しだけ身をよじらせる。
「ええと、まあ、そうですね。大きさは……普通ですけれど、なんというかあの固さと体の中を焼かれそうな熱さは癖になるというか……」
きっと私もエレオノールさんと同じだろう。それに……
「その、そろそろ帰りましょうか」
「そ、そうですね」
私の言葉にエレオノールさんが席から立ち上がる。ほんの一瞬座っていた席を見て、ほう、と安心したように息をついて。
「もう、我慢できないんですか?」
エレオノールさんが面白いようにうろたえる。でも、私も人のことは言えない。今だって肌の上を滑る服がもどかしいぐらいなのだから。
「今日は、二人で行きましょうか」
顔を見合わせ、うなずいた。
「こんなんじゃ、発情期とか言われても、言い返せないですねぇ」
「……はい」
来た時と同じように、カウベルが鳴った。
店に残されたのは、機嫌を悪くした女達とそれを必死に宥める男達。ただ、思うことは同じ。あの二人は何をしに来たんだと。