私のいつもの定位置、私が生まれるよりもずっとずっと昔からそこにあるんだろう大きな木の上。周りの木よりも頭一つ高くて、遠くまで見渡すのにちょうど良い。遠くのお城も小さくは見えるし、振り返れば、学院もぐるりと一望にできる。いくつかに分かれた塔も一つ一つくっきり。ここからの景色は嫌いじゃない。
それに、ここにいると、どうしてか落ち着く。風に揺られた葉がさらさらと流れる音がとても柔らかい。その音に包まれていると、たぶん、懐かしいというのが相応しいんだろう、そんな気持ちになる。もしかしたら、私が私として生まれる前には、こんな木の上に住んでいたのかもしれない。
ただ見張りとしてここにいるけれど、最近はこんな風にいろんなことを考えるようになった。本当に他愛無いことかもしれないけれど、その変化が嬉しい。
役割をもらって、ウラルっていう名前をもらって、そして、こんな風に自分で考えられる、自我というものをもらった。ウリエル様に話したら人の感情とでもいえるマガツヒを吸収したからだろうということだったから、これもやっぱりもらったものだ。
本当は見張りなんて退屈なものなのかもしれない。でも、その間にいろんなことを考えること、そうすることで自分というものができていくようで退屈しない。
もちろん、見張りという役割を怠ったりはしない。それが私が生まれた理由で、存在理由。それが私の中心だから。もしそれをなくしてしまうようなことがあれば、私は私でなくなる。
今だって、近づいてくる人がいるのはきちんと把握している。ただ、学院の生徒だから気にしていないだけ。大方、何かを採集しにきたんだろう。時折そういった生徒はいる。この辺りに危険はないと思うけれど、もし何かがあるようなら、私はそれを助けないといけない。だから、それなりに注意は払う。
そのうちに、近づいてきていた人が目に見える範囲にきた。標準よりは少し丸みを帯びた体型の男だ。その肩には、姿自体は私と同じと言っていいだろう、梟がいた。その梟に私は見覚えがある。私は、たぶん人の姿を取っていたら顔をしかめていたと思う。
案の定、その梟が私がとまっている枝に飛んできた。そして、いつものようにすり寄ってくる。おそらく求婚のつもりなんだろう。学院の生徒の使い魔だろうということで何もせずに無視しているけれど、正直なところ、うっとおしい。
この梟と一緒に来た男を見る。にこにことこちらを見ている。おそらく、この梟の主人ということだろうけれど、何をしたいのだろう。もしかして、この梟が私を見せに来たということだろうか。
考えている間も、しつこくすり寄ってくる。そして、その主人らしき男は楽しそうに見ている。私だってやらなければならないことがあるし、それがないのなら、いろんなことを考えていたい。それなのに、この頭の悪そうな鳥は体をすり寄せてくる。あまつさえ、のしかかろうとしてきた。
――うざい。
そう思った時には、すでに蹴り落としていた。丸い男が慌てて受け止める。「グヴァーシル、お前ももてないのか」とか叫んでいるから、きっとそれがあの梟の名前だろう。そして、枝の上から見下ろす。確かに本人が言うとおり、丸い男ももてそうな風には見えない。
まあ、そんなことは私には関係ない。面倒なことになる前に、別の場所に移動することにしよう。お気に入りの場所だけれど、仕方がない。本当に、鬱陶しい。また現れたらどうしてくれようか。いっそ去勢でもしてやればおとなしくなるだろうか。
また別の日、いつものように木の上にいると、青い竜が来た。ただし、珍しく人の姿を取っている。腰あたりまで青い髪を延ばした女性の姿。人間の女性平均からすると、胸も大きく、スタイルが良いということになるだろう。私が人の姿を取るときとはちょうど逆だ。その体を、ぴったりとした紺色のスーツに合わせて、首元に黄色いスカーフまで巻いた普段からは考えられないほどかっちりとした服装に身を包んでいる。
だが、この青い竜が取る人の姿、普通にしていれば大人びた雰囲気になるはずなのだが、表情が幼く、少しばかりちぐはぐだ。まあ、感情の表現が薄い私とは違って豊かで、そこは見習うべきではある。
「おい、お前」
私を見上げた青い竜が言う。
最初の言葉がそれかと呆れるが、邪険にするわけにはいかない。シキ様に懐いているし、可愛がられてもいる。仕方がないので、私も地面に降りて、人の姿を取る。ずいぶんと人の姿に慣れたとはいえ、やっぱり姿を変えてすぐはバランスがとりづらい。だから、地面に両手をついてバランスを取るようにしたまま姿を変える。そして、いつもの通り、黒い、薄手のワンピースを身にまとう。起き上がったときにスカート部分が風をはらんで、ふわりと広がる。私の服は魔力で作っているものだから好きに変えられるけれど、特にこだわりはないから、いつもこれだ。もう少し、そういう機微といったものが分かるようになったら別かもしれないけれど。
「――それで、何用ですか、お姉様?」
あまりそういった呼び方はしたくないのだが、本人の要望だ。曰く、私は500年を生きている年上だから、そう呼ぶように、と。私が取る姿は12、3の少女のものだから、まあ、その方が違和感はないだろうということで受け入れた。
しかし、今でも信じられない。もう一度、この竜を見る。500年も生きていてなぜこんなに脳天気な顔をしているのだろうと。姿形はともかく、表情といったものは精神に比例するはずなのだが。
私など、せいぜい数ヶ月。幾分はあの男から吸収した分があるとはいえ、それでも数十年といったところ。この竜、もとが大きいからそれなりに脳味噌があるはずなのにこれだから、実際はスカスカなのかもしれない。私がこんなことを考えているというのも気づかないぐらいだから、あながち、はずれているということもないだろう。
「お前、ちょっとつきあうのね」
どうやら、気にせずに話を進めるようだ。
「話が分かりません。とりあえず、どこかに行こうというのでしたら、私はここでやることがありますので駄目です」
「それは問題ないのね。ウリ兄様はオーケーって言ったのね」
「変な省略は止めて下さい」
あの方の正体、分かっているんだろうか、いや、分かっているはずがない。
「ウリ兄様はウリ兄様なのね。お前、何を言っているのね」
本当にこのアホは……。
「……まあ、いいです。で、どこに行きたいんですか?」
これ以上言っても仕方がない。どうせ、通じないのだから。嘘をつくような時はすぐに分かるから、たぶんウリエル様が良いといったのは本当だろう。だったら、さっさと用件を聞いた方が良い。
「これから町に美味しいものを食べに行くのね。それにお前も誘ってやるのね」
「お金、あるんですか?」
ウリエル様かシキ様に言えばなんとかなるだろうが、基本的に自分では使わない。だから、持ってはいない。このアホも同じはずだ。
「大丈夫なのね。スポンサーを見つけたから心配ないのね」
「……シキ様にたかるつもりじゃないでしょうね?」
このアホなら、あり得る。
「今回は違うのね。良いカモを見つけたのね。ただ、条件があるって言われたから、お前も来るのね」
「……分かりました」
どうせ、言っても聞きはしない。それに、美味しいものも、ちょっとだけ気になる。シキ様に食べさせてもらったケーキ、すごく、美味しかった。できれば、もう一度食べたい。マガツヒも良いけれど、ケーキはまた別だ。
「ふっふっふ。お前も美味しいものが気になるのね? 私に感謝するといいのね」
――黙れ、アホ竜。
「――この人が、”スポンサー”ですか?」
思わず、自分の目を疑った。だが、残念なことに、アホ竜は自信満々に肯定する。
「そうなのね。このお兄様が町で美味しいものを食べさせてくれるって言うのね」
アホ竜が胸を張って言うと、紹介された男、あの時の梟を連れた丸い男が笑って頷く。どちらかというと、にやにやとした笑みで。ついでに言うのなら、突き出されたアホ竜の胸を凝視している。そして、思わず私が蔑むような目で見てしまったというのに、それに気づくとくねくねと悶え出す。その冷たい目がいいとか、変態だろうか。いや、あの梟の主人なのだから、ある意味、当然かもしれない。
「ちなみに、条件って何ですか?」
絶対にろくでもないもののはずだ。男の方はまだ悶えているので、代わりにアホ竜の方が答える。
「んー、簡単なことなのね。ちょっとパンツを見せて欲しいって、それだけなのね。でも、私はパンツをはいてないから、代わりにお前を呼んだのね。見えないところまでわざわざ窮屈な服を着るなんて私には無理なのね」
その言葉に丸い男――ああ、もう豚でいいや。豚が勢いよく起きあがる。
「は、はいてない!?」
本当に鼻息の荒い豚だ。
「ええと、豚さん。お姉様は放っておいて、なんでパンツなんて見たいんですか? あんな布を見て、何が楽しいんですか?」
全くもって理解できない。なおかつ、豚と言ったのは罵倒のつもりだったのに、なぜそれで更に興奮するのかが理解できない。とりあえず、こんなアホの話をまじめに聞いてきた、脳味噌がスカスカな方のアホは放っておく。
「君は、分かっていない!!」
豚が私に、本人としては格好いいつもりなんだろう、びしりと指を突きつける。どうせろくでもないことを言うだけだからと、指ではなく蹄か、などと、私自身も馬鹿なことを考えてしまう。
「パンツそのものに意味はない。それ自体は確かにただの布だ。だが、それを美女、美少女が身につけることで金にも、いや金以上の価値を持つことになる。女性との繋がりが重要なんだよ!!」
何で見たいのかはよく分からないけれど、何を見たいのかは分かった。
「――要するに、使用中がいいんですね。そして、それを見たい、と。そういうことですね、豚さん」
もう、この豚を人としては見れそうもない。まだ、いろいろな知識が足りない私だけれど、この豚がどうしようもないということはしっかりと理解した。
「……えーと。はい、そうです。見せていただけましたらこの豚めがとても幸せになれます。この卑しい豚にどうかお慈悲をいただけないでしょうか」
豚が地面に這い蹲る。
この豚に、プライドというものは存在しないのだろうか。たしか、この学院に通うのは貴族ばかり。貴族などというものはプライドの塊だと聞いているのだが。ここまでいくと、哀れでしかない。なぜか胸の奥から締め付けられるような、不思議な感覚がある。もしかしたら、これが切ないという気持ちかもしれない。自分の感情に気づくのは私の楽しみの一つなのに、今回はなぜか嬉しくない。
「……別にパンツぐらい、見せてもいいですけれど」
試しに言ってみたその言葉に、豚が跳ね起きた。動ける豚というのはこういうものだろうかと思うほどに異様に動きが機敏で、なおかつ、目がギラギラと脂ぎっている。
試しにスカートを少しだけ持ち上げてみると、それとほぼ同時と言っていいだろう。体を跳ねさせるように追ってくる。そのまま少しずつ持ち上げるのに合わせて、豚の鼻息が荒くなる。あるところまで持ち上げたところで、豚がかすれた声をあげる。
「……そ、それは。そこに、ついている、ものは?」
ぶるぶると震える指で私を指さす。指さした先は私のパンツ、その膨らんだ場所。
「あなたもよく知っているもののはずですが? あなたにもついているでしょう?」
「……男の……娘……」
よく分からない言葉をつぶやくと、そのまま仰向けに倒れた。
「……お前、雄だったのね」
驚いたようにアホ竜が口にする。
「別に……。私はどちらでもないですから。名前だってそうで、この体の形を現すもの。だからどちら寄りということはないですし。まあ、あえて言えば両方ですね。それにしてもお姉様。お姉様って、本当に頭が可哀想なんですね」
しばらく時間をおいて、意味をようやく理解したのか、アホ姉様が奇声を上げ始める。そして、もう一方のアホも起きあがる。
「男の娘でも、構わない!!」
無駄に、本当に無駄に力強く叫ぶ。
私は大きく、大きく、息をつく。肺の中が空っぽになったのに、それでも足りない。
……本当に、馬鹿、ばっかり。
死ねばいいのに。
ふと、体の中で何かがかちりとはまるような感じがした。きっと、自我としてのピースがまた集まったんだと思う。自分が少しずつ変わっていくのすごく嬉しいことのはずなのに、このアホ共の影響だと思うと、なんとも言えない。このアホ共の影響が私の一番深いところにあり続けるということだから。