偽書 ロックマンゼロ   作:スケィス2

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第参話 Lost Memory ~追憶~

 酷く現実感の無い光景だった。

 荒廃しきった大地が何処までも広がり、空は厚い雲によって閉ざされている。

 『星』の落下から始まる天変地異により、地上から命の息吹が消え失せた地球(ほし)

 

 そんな閉ざされた絶望の世界に、『彼等』は佇んでいた。

 

 

「此処も駄目、か」

 切り立った崖の上から砂漠化した地上を見下ろして、呟く。

 一面の砂海。眼前のの惨状に辟易せざるを得なかった。

 『グラウンド・ゼロ』を中心に、荒廃が進んでいる。この一帯が完全に死ぬのも――時間の問題か。

 口の中で呟いて、忌々しげに舌打した。この現象を引き起こしたのも、元はと云えば……

「そっちはどうだった?」

 思考が深みに嵌るのを防ぐかのように掛けられた声を受け取って、振り返る。

 苦も無く崖を上ってきたのは、蒼いアーマーを纏ったレプリロイドだった。

 此方を見るや、青いレプリロイドは意外そうにヒトを模した眼を丸くして「どうしたんだ?」と問うた。

「君が俺の気配に気付かないなんて……珍しい事もあるんだな」

 浮かべる微笑はとても穏やかで、この男が戦闘用レプリロイドだと云う事を、そして幾度と無く世界を救った『英雄』である事を忘れそうになる。

 それほど迄に、彼の纏う雰囲気は柔らかだった。しかし、それは美点であると同時に弱点でもあった。

 優しすぎる気質は、幾度と無く彼を苦しめ、絶望の底へと叩き落した。時には、優しさを捨て去ってしまった事さえあった。

 だが、最後には必ずその優しさが勝利へと導いた。否、それは既に優しさを越えたモノだったのかもしれない。云うならば――

「俺を何だと思っている」

「すまない、悪かった」

「……ところで、そっちの方はどうだった?」

 青いレプリロイドは、悲痛な表情で沈黙した。それは何よりも雄弁な答えだった。

 わかっていた事だ。この地にはもう何も残されていない。最早、死を待つだけだ。

 それもこれも全て――

「君のせいじゃない」

 彼の思考を読んだのか、男はそう云った。

「あの時、君は『ΣV』に魅入られていた。あれは君の意思じゃない!」

「だが、俺がもっと強ければ……あんなモノに翻弄される事は無かった。全ては――俺の弱さが招いた事だ」

 搾り出す様に吐き出して、彼は拳を軋む程に握り締めた。遣り場の無い悔しさが込み上げる。

「……この戦争が終わったら、君はまた眠りにつくのか?」

 彼の横に並び立った男が、問うた。

「そのつもりだ」

「決心は、変わらないんだね」

 答えられなかった。しかし、それで彼は全てを察し、決心した様に云った。

「なら、俺は『種』を蒔くよ」

「種?」

「ああ、平和な世界に咲き誇る――そんな花の種を、ね」

 彼は、笑った。凡そレプリロイドらしくないロマンチシズム。だが、同時に彼らしいとも思う。

「そいつはいい。楽しみが増えた」

「それは、良かった」

 男の浮かべた穏やかな笑みに、幾分か救われた気分だった。

 

 

 

 深遠へと続く長い長い闇は、まるで眠りに就く前の睡みの様に思える。そうであるならば、最も深き深淵に在るのは果たして、『心』が見せる記憶の残滓、即ち――『夢』なのだろうか。

 

 

 

「――ゼロだ。これよりミッションを開始する」

 壁伝いに降りてゆくゼロは、眼下に広がる闇に己自身を見た気がした。空っぽの記憶――足元すら覚束無い暗がりを否応無く想起させるソレをゼロは嫌悪していた。

 気を抜けば、闇は直ぐにこの身を飲み込まんとする。そして、一度捕まったが最後、魂――そんなモノがレプリロイドに存在するなら――を一片残さず貪り尽くして行く。

 だからゼロは、レジスタンスに身を寄せてから眠る事を極力厭うていた。睡みは、闇に良く似ているからだ。

「シエル――聞いていいか?」

『どうしたの?』

 この様な状況で、通信機の向こう側に居るシエルの存在は、何よりも救いだった。

「……人間以外の生物も、夢を見る事は出来るのか?」

 ヘルメット越しに、動揺の気配を感じた。

 

『え、ええ。専門外だから詳しい事は解らないけど、可能性はあると云われているわ』

「なら、レプリロイドも夢を――見るのか?」

 可能性があるならば、人間に極めて近い存在であるレプリロイドも夢を見るハズ。そう思ってゼロは問うた。

『ん……理屈の上では、ね。でも、人間と違ってレプリロイドの頭脳はそういう風には出来て無いのよ』

「そう、なのか」

 矢張り、思い過ごしだったのか。だとすれば……あのビジョンは一体何だったのだろうか?

『何でそんな事を?』

「何でもない。忘れてくれ」

 どうせ電子頭脳のノイズだろう。

 余計な事に気を揉む暇があるなら、今は眼の前の事に専念すべきだ。

 そう断じたゼロは、異界へと続く闇の底をを見据えた。

 

 

 

 その地は、かつて脱出した時のままだった。

 朽ち果てた内壁。死に絶えた機械類。そして、それらを包む冷たい闇。何もかもが、あの時のまま。

 ゼロは、己の目覚めた地に帰ってきていた。

「こちらゼロ。レジスタンスベース、聞こえるか?」

 ヘルメットに手を当て、通信機に吹き込んだ。

『こちらレジスタンスベース。聞こえているわ、ゼロ』

「了解した、これよりミッションを開始する」

 淡々と言って、ゼロは周囲を警戒しながら歩き始めた。

 その途上、ゼロは今回のミッションの概要を頭の中に呼び出していた。

 脱出時に取り損ねたゼロに関するデータを可能な限り回収し、持ち帰る――それが、今回のミッションの目的。

 続いて装備の確認。主武装であるゼットセイバーは大腿部の格納スペースに。バスターショットは腰のホルスターに。そして、今回のミッション用に増設されたポーチに収納した記録装置(メモリ)。出撃前にシエル付きの隊員から渡された物だ。彼曰く、使い捨てだが、性能は一級品らしい。

 ふと、ゼロはこのミッションを引き受けた時の事を思い出していた。

 

 

 

メモリを託したシエルは、揺れる瞳でゼロを見ていた。

それは、言葉に表す事の出来ない感情が混沌として発露した証だった。

「ごめんなさい。本当は、私も行くべきだったのに……」

俯く少女が、絞り出すように云う。ゼロは悟った。彼女が、未だ罪悪感に縛られている事に。

 無謀としか云い様の無い賭けで、あの地で多くの同胞が散った。それに見合うだけの価値があったとは云え、犠牲になった者達がいたと云う事実は消えない。

 少女は、それをたった一人で背負おい込もうとしている。贖罪、と呼ぶには余りにも重過ぎる荷を。

 だが、それでもシエルという少女は、決して歩みを止めないだろう。

 また、そんな彼女を、レジスタンス達は支え続けるだろう。

 ならば、ゼロが取るべき行動は……

 

 

 

 研究所は、パンテオンで溢れ返っていた。

神々にかしづく兵士を模した機械生命達は、紅に輝く単眼を光らせて辺りを徘徊している。

 レプリロイドとは云え、簡略化された彼らの電子頭脳は、それほど精巧では無い。故に、人間や普通のレプリロイドが『肌』で感じ取れるモノが彼らには感じ取れない。

 だから、気付かなかった。

 

 吹き抜ける……紅の風の正体に。

 

 風に引き連れて閃く光刃がパンテオン達を、切り裂いてゆく。突如現れた襲撃者に対し、生き残ったパンテオン達は体勢を立て直して一斉にバスターを向けた。

 間断無く襲い来る兵隊達を、次々と切り伏せてゆく襲撃者──ゼロだったが、その物量の前に次第に後退を余儀無くされていた。

 鉄兜の下で顔を顰めた紅の戦士は、バスターで弾幕を張りながら、視線を周囲に巡らせる。だが、状況を覆す様なモノはあるはずも無く、結局壁際まで追い詰められてしまった。

 どうする?

 ゼロは、自問した。強行突破するだけなら、別に難しくは無い。が、その時はこちらもタダでは済まない。この先の事を考えれば、損耗は出来るだけ抑えたい。しかし、このままでは埒が明かない……

「――こっちだ!」

 覚悟を決めようとしていたゼロの聴覚センサが、繊細そうな声(アルト)を拾った。すぐさま振り返ったゼロは、背を凭れている壁の一隅に小さな穴を見つけた。老朽化の末に崩壊したのだろうか。

 その穴は、ゼロの体格ならばギリギリ通れるか、と云ったモノだった。

 ――迷ってる暇は無い、か

 一瞬正面を瞥したゼロは、壁に張り付いたまま穴目掛けて跳んだ。飛び込む瞬間、天井をバスターで撃って瓦礫を落とし、入り口を塞いだ。これで時間稼ぎにはなるだろう。

 狭い穴倉が続くと思っていたが、その予想は良い意味で裏切られた。飛び込んだ先は、広い空洞になっていたのだ。

 一息ついてから、ゼロは周囲を見回した。思ったより広い空間で、それほど荒れ果てていない。シェルターの類だろうか?

 油断無く周囲に警戒の視線を飛ばしていたゼロは、視界の端に蹲った影を見つけて、すぐさまバスターショットを向けた。闇に眼が慣れて来る頃には、それがヒトの形をしていると気付く。

 其処に居るのは、まだ年端も行かぬであろう少年だった。シエルとそれほど変わらない様に見える。

 穏やかな笑みの少年は、青い僧服を纏っていた。ただ僧職にしてはいささか若すぎるが。

「災難、だったね」

 繊細なアルト――その声に、聞き覚えがあった。

 そうだ。あの時、俺を導いた――

「お前は?」

「僕は……そうだね。しがない見習い神父、ってとこかな?」

 聞けば、この近くの寺院に住み込んでいるらしい。なんでも、好奇心のままに迷い込み、パンテオン共に見つかった挙句、こんなトコロに隠れる羽目になったらしい。

「ついてないね、全く」

 そう言いつつも、少年はどこか楽しげな笑みを浮かべていた。が、ゼロはその奥に老成した何かの存在を感じ取っていた。

 バスターを仕舞い、もう一度辺りを見回したゼロは、この空間に出入り口が無い事に気づいた。

「此処はね、遥か昔に造られたシェルター……の残骸なんだ」

 少年曰く、この研究所は色々後ろ暗い研究をしていたらしく、あの様な有様になったのも、研究絡みの『事故』によるものらしい。色々ときな臭いモノを感じるが、どうでも良い。今成すべきは、一刻も早く此処から抜け出し、ミッションを再開する事だ。

「それで、どうするんだい? これから」

 床に寝そべっていた少年が、気怠げに問うた。

 解りきった事だ。「此処から出る」云ってから、ゼロは四方の壁を探った。入ってきた方の穴はもう通れない。となれば、本来の出入り口を見つけなければならない。

「出入り口を探そうとしても無駄だよ」

「何?」

「随分前に機能が死んでるらしくてね。コンソールを叩いても反応しやしない」

 少年が視線を飛ばした先に、壁面に埋め込まれたコンパネがあった。が、作動している形跡は無かった。 

「だけど、抜け道はある……」思わず振り返ったゼロに、少年は意地悪そうな笑みを向けた。「知りたい?」

 ゼロは、答えなかった。が、それを返答と受け取った少年は、立ち上がって壁際の薬品棚に歩み寄った。応急処置などに使うのであろう薬壜をぎっちりと詰め込んだ棚は、一見重そうに見える。しかし、細身の少年が少し力を入れて押しただけで簡単にスライドした。

「これは……」

「所謂、隠し通路――って奴だね」

 最前まで棚のあった場所には、ありったけの闇を押し込めたかの様な昏い穴があった。

 

 

 

 抜け道は思ったより短い様に思えた。冷静に考えれば研究所の外に出る為の道では無いので、当たり前の事だった。

前を進んでいた少年が何かに気づいた様に顔を上げる。そして、俄に走り出した。

 多少狭苦しいとは言え、少年の背中とはそこまで離れていない筈だった。が、どういう訳か全然追い付けない。

 やがて青い僧服は闇に飲まれて見えなくなった。

 此処で見失っては面倒だ……

 急ぎ足で追うゼロ。そして、気付くと広大な空間に迷い込んでいた。

 実験施設だろうか。床をくり貫いたであろう大穴には空の培養槽が並んでいる。

「百年前……此処ではイレギュラーの研究をしていた」

 硬質な響きを孕んだ少年の声が、辺りに反響して響き渡った。見ると、大穴の両端を繋ぐ橋の上に僧服の少年が佇んでいる。

 朽ちかけた培養槽を見下ろす眼差しは、深い悲しみを湛えている様に見える。

「イレギュラー化のメカニズムを解明する為にありとあらゆる実験が繰り返されていたんだ。時にはレプリロイドを使って……。相当酷いものだった──らしいよ」

 暗い表情で少年が続ける。まるで実際にその光景を見てきたかの様だった。

 ゼロは少年の視線を追った。

 あの培養槽には何が入れられていたのだろうか。少年の言う事を信じるのなら、ロクでもないモノが入っていたのだろう。

「イレギュラー戦争が終わった後、実験の内容が漏れる事を恐れた誰かが研究所を閉鎖した。犠牲になったレプリロイドの怨念を封じ込めた上で、ね」

「怨念?」

「おかしいよね、レプリロイドが怨念なんて」

 どこか泣き出しそうな歪な笑みを浮かべながら、少年が言う。

「どんなに人間に近くともレプリロイドは機械――プログラムに従って行動するロボットでしかなかった。でも……いつしか、そうじゃなくなった」

 ゼロと少年の眼差しが交わる。

「人がそうである様に、レプリロイドも進化する。より有機的になっていくDNAデータ。サイバーエルフに至ってはまるで魂だ」

 ゼロにも、少年が言わんとしている事が解った。

 そこまで至ったレプリロイドは最早、人間の複製ではない──此の星に生きるれっきとした生命体だ。

「そうだとすれば、怨念って言う話も納得できるかもしれない」

「──何故、俺にそんな話を?」

「ん……何で、だろうね?」

 その時の少年が酷く儚げに見えたゼロは、ほんの少しだけ視線を逸らした。それから再び正面を見ると、いつの間にか少年の姿が消えていた。

 少年の生硬い声の残響が、聴覚センサにいつまでも残っていた。

 

 

 

 少年を見失ったゼロは、あれから辺りを探してみた。

その間中、少年の語った話が耳から離れず、収支苛立ちを覚えずにいられなかった。

 結局見つけ出す事は出来ず、仕方無く少年が消えた場所から先に進んだ。

 外の通路は広い一本道だった。真っ直ぐ進むと、突き当たりに大きな穴が見えた。元からあったモノではなく、後から破壊された跡の様だった。

 視覚センサを凝らして穴を覗き込と、遥か下方に通路が確認出来た。

 飛び降りるのに躊躇は無かった。

 降りた先の空間に、ゼロは軽い既視感を覚えた。見覚えのある広い通路──そうだ。シエルによって封印を解かれた日、此処を通り抜けたのだ。と、云う事は……

 未だ脳裏に焼き付いている記憶に従って、ゼロは通路を走った。

 十分ほど走った所でゼロは足を止めた。見上げた先には開け放たれた巨大な鉄扉。良く覚えている。

 ──此処は、俺が封印されていた部屋だ。

 ゼロは、油断無く辺りを見回した。前はじっくり観察している余裕は無かったが、今はよく解る。

 ──こんな所に、百年も居たのか。

 大小様々なパイプが壁と天井を這い摺り回る寒々しい空間は、見る者の心に冷たい塊を投げつける。

 言い知れぬ震えが、内奥から湧き上がってくる。

 かつて公には出来ない研究を行っていた此の地に、百年という決して短くない長き眠りについていたゼロと呼ばれたレプリロイド。レジスタンスが来なければ、目覚める事のなかった筈の古の英雄。

 本当は──目覚めてはいけなかったのではないか?

 頭をもたげた疑問が毒になって全身に回ってゆくのを感じたゼロは、早急に思考を切り替えて任務に取り掛かる事にした。

 ──悩むなんて……まるでアイツみたいだ。

 生きている端末を探しながら、心中で独白したゼロは自分の事をいよいよ信じられなくなりそうになった。

 アイツとは――誰だ。

 何処から来たのか、何者かの影が脳裏を掠める。

 失った記憶に関係しているのか、それすらも解らない。改めて自分という存在の不確かさを思いしったゼロは、一刻も早く任務を終えようと端末探しを急いだ。

 その時だった。ゼロの直感が何かを捉えたのは。

 端末の背後、パイプと同化して冷たい空気を隠れ蓑にしていたのは……

「むゥ……? 誰でおじゃるか」

 パイプの蔦にその身を埋めた巨大な『球体』が、微かに身動ぎした。

「成る程……そちがゼロでおじゃるか」

 球体の頂が、気怠げに蠢く。

「俺を、知っているのか?」

 頂点――象に酷似した頭部から、甲高く耳障りな音声が発せられた。

「ほっほっほ、驚く事は無い。まろ――マハ・ガネシャリフに知らぬモノは無いでおじゃる」

「ミュートスレプリロイドか?」

「いかにも。冥海軍団所属、鉄球大魔神マハ・ガネシャリフとはまろの事でおじゃる」

 ヒンドゥー教の神を模したミュートスレプリロイドが、全身に絡みつくパイプを引き千切りながら一歩踏み出した。

「レジスタンスが、百年前の英雄を飼っていると聞いた時は、どんな猛々しい姿かと想像したでおじゃるが――」喉のスピーカーをくつくつと鳴らし、巨体を揺らした。「この様な小兵とは……少々期待外れでおじゃるな」

 嘲る敵手に関心の無い眼を向けながら、ゼロは、セイバーを抜いた。ネオ・アルカディア相手に事が穏便に運ぶ筈も無い。ならば、やる事は決まっている。

「ぬ!? 物騒でおじゃるな。これだから戦闘用は……」

 ガネシャリフが、おどけた様に肩を竦めた。こちらを油断させる気か?

 ゼロは、セイバーを構えてガネシャリフを注視した。

「……冗談も通じぬでおじゃるか……。やりにくいの」

 仕方無い、とでも云いたげに頭を振り、右手を前方に翳した。

 重厚な金属に覆われた掌に映像が浮かび上がる――立体映像だ。映し出されているのは……

「それは――」

「そう。そちのデータでおじゃる」

 目まぐるしく移り変わる映像には、度々レプリロイドの設計データが映され、それが自身に良く似ている事からゼロはそれが目当ての品だと確信した。

 つまり、先程の異様な姿はデータの回収作業の最中だったか。

 と、云う事は――

「残念。そっちはもう空でおじゃる」

 振り返ると、端末にエラーメッセージが表示されていた。

「とんだ無駄足だったの。どうしても欲しいのなら、まろを倒し――」

 得意げなガネシャリフの語りは、彼の重装甲が弾いた光弾によって遮られた。ゼロが、ガネシャリフ目掛けてバスターを放ったのだ。

「……何のつもりでおじゃるか?」

「要は、貴様を倒せば良いんだろう? その後で、腹の中に在るデータを回収すれば良い。なら――簡単だ」

 セイバーを構え直したゼロは苦悩の影を振り切り、闘志漲る眼差しを眼前の敵手に向けた。

 それを見たガネシャリフが、愉快そうに笑う。

「戯言を……押し潰してやるでおじゃるッ!」

 振り被った右腕が、勢い良く振り下ろされた。地響きを上げて、大地を砕く。

 脚部に内蔵された緊急加速システムを使ってそれを回避したゼロは、そのまま跳躍してガネシャリフの眼前に躍り出た。

 たとえ胴体が強固だとしても頭部ばかりはそうでは無いと踏んだゼロは、セイバーを握る手に力を込め、勝利を確信した。が――

「ぬんッ!」

 気合を込めて、ガネシャリフが唸った。直後、存在を主張していた二本の牙が猛烈な回転と共に放たれた。

 弧を描いて左右から迫る牙。ゼロはセイバーからバスターに持ち替えて、撃ち落そうとトリガーを続けざまに引いた。しかし、回転によって勢いの付いた牙を止めるには、バスターのノーマルショットはあまりにも力不足であった。

「――ッ!」

 このままでは駄目だと断じたゼロはバスターをチャージした。

僅かだが、時間差で迫り来る牙の軌道を見切ったゼロは、身体を反らせて一撃目をかわし、二撃目に向けてフルチャージバスターを放った。

 黒鉄の銃口から放たれた鮮緑の光弾が回転する牙と衝突し、周囲に激しい火花を撒き散らした。

「甘いのッ!」

 ガネシャリフが吼えた!

 拮抗していた光弾と牙だったが、牙の回転の勢いの強さに光弾は徐々に押され、遂には押し切られてしまった。

 残光を帯びて飛来する牙。相対するゼロに――迷いは、無い。

「何と!?」

 バスターとのぶつかり合いで僅かに軌道の逸れていた牙は、ゼロの身体を掠めて往く。

 着地したゼロは、再度跳躍した。奴にはもう武器は無い筈だ。掌打も既に見切っている。恐れるモノは、何も無い。

「オオオオオオオオッ!」

 闘気に満ちた咆哮と共に振り下ろした必殺の閃刃は、今度こそガネシャリフの頭部を叩き割る――はずだった。

「な……ッ!?」

 ガネシャリフの頭を捉えていたゼロはとんでもないモノを目の当たりにした。敵手の頭部、そして手足が巨大な胴体の内側に引っ込んで、完全な球体と化したのだ。

 そして、ガネシャリフの胴体は地面に接触するや猛烈な唸りを上げて回転し、地面を削りながら走り出した。

 爆走する巨球が吼える。

「まろが何故『鉄球大魔神』と呼ばれるのか――」更に加速する「その所以、とくと味わうでおじゃる!」

「チィ……ッ!」

 視界を埋め尽くさん勢いで驀進する巨球を忌々しげに睨んだゼロは、踵を返して走り出した。そのまま壁を蹴り昇り、巨球を飛び越えようと身を翻す。

 しかし戦闘用では無いとは云え、相対しているのはミュートスレプリロイド。一筋縄でどうにか出来る相手では無かった。

 ガネシャリフの頭部にあたる部分から伸びた何かが、ゼロの肩を掠めた。

「くッ!」

 僅かに態勢を崩したものの、回転が止まった事を好機と見たゼロは壁を蹴り跳び、ガネシャリフ目掛けてセイバーを突き出した。が、

「……ッ!」

 圧縮された大気が、ゼロを嬲る。直後、破壊的な衝撃が全身を襲う。最初は何が起きたのか解らなかった。流れゆく視界の奥に天井に突き刺さっている物体を見たゼロは、小さく舌打ちした。

 ガネシャリフの弱点は、巨体故の小回りの効かなさであった。同じサイズを相手にするなら兎も角、小回りの効く相手とは間違いなく相性が悪い。そこで、触腕を駆使した強引ではあるが立体的な機動を行う事で、弱点をカバーしているのだった。

 ゼロは、静かに着地した。

 すぐさま、身体をチェックを行った。思った程、ダメージは無い。

 安堵の息を吐くや、不気味な振動を発している巨球を睨んだ。

 タネさえ解ってしまえば簡単、と云いたいところだが、あんな攻撃を何発も喰らう訳には行かない。となれば、

「次で決める……!」

 決意を固めたゼロは、再度踵を返して走り出した。

 読み通り、ガネシャリフは球状に変形して追って来ている。あとはこのまま……

 確信めいた思いを胸に、ゼロは壁を蹴り昇った。

「愚かな……もう一度叩き落してやるでおじゃる!」

 ガネシャリフの声を背に、壁を蹴り、身を翻す。狙い通り、敵手は触腕を伸ばした。それを難なく受け流し、後方で外壁が砕ける音を聞いたゼロは、握っていたセイバーのある機能を目覚めさせた。

 直後、触腕の破壊した外壁から大量の水が溢れ出す。

「のッ!?」

 瀑布の様な奔流をまともに被ったガネシャリフは、思わず尻餅を着いた。あまりの出来事に一瞬何が起きたか理解出来なかった様だ。

 ガネシャリフが破壊したのは、先程僧服の少年が姿を消した上のフロアの実験用水槽の排水管だった。狙い通りに行く保証も無く正直、賭けに近い勝負であった。が、勝ってしまえばこっちのモノ。稲光を帯びたセイバーを振りかぶったゼロは、ずぶ濡れになったミュートスレプリロイドの頭上に躍り出る。

「その雷はアステファルコンの……正気か!? そんな事をすればまろの中のデータはタダでは済まぬ! それは、そちにとって――」

 そんな事は、百も承知だ。

 だが、自らの記憶惜しさにやるべき事を躊躇う程、ゼロは臆病では無い。それにデータが破壊されたとしても、『彼女達』なら必ず修復してくれるだろう、と。

 だから、その刃を振り下ろすのに、一切の迷いは無かった。

 

 

 

 再び訪れた濃密な闇の中で、ゼロは雷の残滓を纏うセイバーを杖にして、立ち上がった。両肩を上下させ、身体に蓄積されたダメージに屈しかけながらも何とか歩き出す。

 覚束無い足取りで、頭部を丸ごと失い、無残な鉄屑と化したガネシャリフの骸の脇を通り、端末の裏手にあった古いトランスサーバーを起動させた。

 ゼロは備え付けの通信機でレジスタンスベースと連絡を取るべく、サポートパネルを操作した。通信は可能の様だった。此の地に足を踏み入れてからの通信障害は、大方ガネシャリフの仕業だろうが、今となってはどうでも良い事だ。

「……こちらゼロ。レジスタンスベース聞こえるか?」

 通信が繋がるや、ゼロはベースへと声を吹き込んだ。

 一拍置いて、儚げな声が闇色に染まった大気を震わせる。

「……ゼロ? ゼロなのね。良かった……いきなり通信が出来なくなったから、どうしたのかと――」

「データは回収した」

 シエルの言葉を遮る様にゼロは報告した。何故かは解らないが、不安げな少女の声を聞いて居られなかった。

 通信機の向こうで面を喰らったであろうシエルはそれでも安堵したのか、若干縺れ気味の声音でズレた返答をした。

「え? あ……ご、ご苦労様。大丈夫だった?」

「ああ。だが、データの方はそうでもないかもしれん」

 言ってから、ガネシャリフの亡骸を見る。

 電子頭脳は頭部は完全に潰れている以外は、ほぼ無傷と云って良かった。が、サンダーチップによって体内の機器に影響が出た事は間違いない。現にゼロ自身もあの攻撃で、かなりやられている。

 最悪の場合、ガネシャリフの記録媒体が重大なダメージを負った可能性も……

「そう……解ったわ。取り合えず、ベースに戻って来て。後の事はそれから考えましょう」

「わかった」

 少女の声から疲労の響きを感じ取り、出所の解らない胸苦しさを感じたゼロだったが、直ぐにそれを腹の底に押し込んでトランスサーバーの台座に乗った。

 転送が開始される刹那、ゼロはあの蒼い僧服の少年の事を思い出していた。

 あいつは無事に脱出しただろうか?

 今から探しに行きたい気持ちが無いでは無かった。しかし、異変に気付いた雑兵共が駆けつけて来るのは時間の問題だ。それにこの傷で動き回るのはもう難しい。

 だからゼロは、サーバーの光の中で少しだけ祈った。あの少年が無事でいてくれる事に。

 

 

 

 ゼロが研究所を去った少し後、誰も居なくなったハズの封印の間に、新たに足を踏み入れる者が居た。

 新たな侵入者は、ほぼ真っ直ぐ打ち捨てられた鉄屑――ガネシャリフの遺骸へと歩を進めた。

 稼動していた頃の面影を僅かに残す骸を哀しげに見つめているのは、蒼い僧服の少年。見上げる瞳に寂しげな念がたゆたっている。

 少年は、思いを馳せた。

「ゼロ……」

 そっと閉じた瞼の裏に浮かぶのは、この場所で出会った紅のレプリロイド。その強さと儚さを秘めた瞳がどうしようもなく懐かしい。

 暫くして、少年の姿が陽炎の様に掻き消えた。

 直後、激しい揺れが研究所を襲った。

 

 

 

 

 

 暗い森の外れに、その建物は建っていた。

 主を失って幾十年、いや幾世紀もの時間を孤独を食んで生きてきたであろう佇まいは、畏敬を感じさせる。

 其処に命の営みはもう感じられない。

 埃が降り積もり、うっすらと白く染まった教会堂内を見渡したゼロは静かに眼を閉じた。

 ゼロがトランスポーターで脱出した直後、研究所は崩壊したらしい。その事を知ったのはベースに帰還して半日程たった後だった。何しろ戻った直後は蜂の巣をつついた様なそぞろ騒ぎだったのだ。

 おそらくは証拠隠滅用に設置していた爆弾が、ガネシャリフの機能停止に呼応して作動したのだろう。

 その後、研究所の跡地から大量のレプリロイドの残骸が見つかったが、人間の死体は無かったと云う。ならば、あの僧服の少年は無事に脱出したのか。そう思ったゼロは、レジスタンスのメンバーに聞き回って少年が住んでいると云う教会を突き止め、其処へ向かった。だが……

 眼を開けたゼロは、もう一度堂内を見渡した。

 忘れられて久しい廃屋に、もう祈る者は居ない。そして、其処に居着く者も。

 少年は云った。近くの教会に住み込んでいる、と。しかし、実際には、此処に長い間ヒトが住んでいた形跡は無い。

 では、あの少年は何故あんな事を云ったのか?

 子供の悪戯――そう考えれば納得は出来る。が、腑に落ちるかは別だ。

 ゼロは、あの蒼い少年がそんな事をするとは思えなかったのだ。何故なのか。

 記憶の無い身には、未だわからない事だらけだ。

 百年前の戦争――その時代を戦い抜いた自分とそれを知っているであろう少年。

 本当に、解らない事だらけだ。

 お前は――いや、

「俺は、一体……何者なんだ?」

 その問いに答える者は、誰も居ない。

 

 

 

 

.


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