偽書 ロックマンゼロ   作:スケィス2

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第弐話 Sword wind ~剣風~

人間に極めて近い機械人形(ロボット)――レプリロイド。

 彼等は常に人間の傍らに立ち、時にその力となる事で共に、降りかかる幾多の困難を乗り越えていった。やがて、地球最後の理想郷・ネオ・アルカディアが誕生した事で彼等には永遠の『平和』約束される……ハズだった。

 降り注ぐ光が強ければ強いほど、大地に刻まれる影は暗く、そして深いのだ。

 ネオ・アルカディアは、レプリロイドにとっては地獄の世界だった。イレギュラー撲滅の名の下に、次々と処分される罪無きレプリロイド達。たとえ、運良く逃げ延びる事に成功したとしても、ネオ・アルカディアに彼等の居場所はもう無かった。そうして、楽園から追われた者達の多くは反抗組織(レジスタンス)の一員として生きてゆく事を余儀無くされた。

 

 

 

 

「レジスタンス、か…………」

 それがココに来て、一番最初に発した言葉だった。

 廃研究所でメカニロイドから助け出した少女に連れられたゼロは、レジスタンス・ベース――ネオ・アルカディアに反抗する地下組織の拠点――へと足を踏み入れていた。

 シエルと名乗った少女によると、この基地はネオ・アルカディアが出来る以前に主流だった大都市跡の地下施設を再利用しているとの事。その為か、ベースのあちらこちらに老朽化した箇所が目立つ。この状態で攻撃を受けでもしたら、ひとたまりも無いだろう。

 視線を落とし、辺りを見回すと視界の端に、チラチラと幾つもの人影が映った。

 ココの住人だろうか?

 通路の陰、柱の陰、扉の陰、コンテナの陰。ありとあらゆる場所から彼等はゼロを、その暗く濁りきった瞳で見つめた。視線を巡らせると、彼等は逃げる様に身を隠した。

「……ごめんなさい。だけど、みんな悪気は無いの」前方を歩くシエルが申し訳なさそうに言った。「ただ、ネオ・アルカディアとの戦いに疲れ果ててしまっていて、外から来た人に対しては、どうしても頑なになってしまうのよ」

 その言葉を聞いて、納得した。彼等の眼の奥底に沈殿していたのは、諦念だ。反抗する者(レジスタンス)でありながら、抗う事も、戦う事も、あまつさえ生きる事さえも諦めてしまっているのだろう。

「……着いたわ」

 前方を歩いていたシエルが足を止めた。視線を戻したゼロは、彼女の前に流線形の機械が鎮座している事に気付いた。古びた乳白色のシルエットは、獣の唸り声に似た駆動音を放っていた。

「これは?」

「トランスサーバーよ。一定の範囲内なら、コレを使って色々なモノを転送する事が出来るわ」

 振り返ったシエルは、真剣な面持ちでゼロに告げた。

 シエルと機械を交互に見たゼロは「……俺に何をさせるつもりだ?」と問いかけた。その直後、少女の小さな肩がまるで何かを恐れるかの様に小さく跳ねた。そのまま顔を俯けた彼女の表情を窺う事は出来なかったのだが、唇を強く噛み締めていた事だけは解った。

 暫くの間、両者の間に重い沈黙が横たわった。

 やがて、シエルは「さっきも話したけど、私達はネオ・アルカディアと戦っているの」と告げて、顔を上げた。病的なまでに白い肌は血の気を失い、青ざめていたが、サファイア色の瞳には何かを決意したかの様な真っ直ぐな輝きが宿っていた。

「だけど、所詮ゲリラ戦しか出来ないレジスタンスとネオ・アルカディアとでは力の差は歴然――――多くの仲間の命が失われたわ」

 その時、一瞬だけシエルの瞳に濁りが差した。先程見た住人達のソレにとても良く似ていた。

「でも、ね……まだ捕虜として生きている仲間もいるの! せめて、彼等だけでも……!」

 ゼロにも、漸くシエルが何を言おうとしているのかが解った。彼女はネオ・アルカディアに捕らえられた仲間の救出を自分に頼もうとしているのだ。その様子から、それが一筋縄ではいかない事は容易に推測出来た。それに、自分達で対処しきれるのならば、わざわざ得体の知れない旧式レプリロイドに頼む必要など無い。問題はそれを受けるかどうかだが……答えは考えるまでも無かった。

「……何処に行けばいい?」

「え?」

「そいつらを助ける為には、俺は何処に行けば良いんだ?」

 澱みの無い口調で告げた答え。それはシエルの青ざめた顔を喜びに彩るのに充分すぎる力を孕んでいた。

 生気を取り戻した少女の唇から「本当に……本当に行ってくれるの?」と歓喜の言葉が溢れ出す。ゼロは黙って頷いた。それを見たシエルが、今にも泣き出さんばかりの表情を浮かべた。

「じゃあ早速――」

「待て、シエル」

 続くシエルの言葉を遮ったのは、後方の通路から現れた男達の先頭――一際目付きの鋭いレプリロイドが発した声だった。

「シエル、こんな胡散臭い奴になんか頼む必要は無いぜ。仲間の救出なら、俺達コルボーチームが任せろ!」

「胡散臭いって……ゼロは――」

「百年前の骨董品、だろ? こんな奴に力を借りなくったって、俺達コルボーチームだって充分に戦える!」

 先頭の男――コルボーが、悔しげに唸る様な声でそう言った。その後、ゼロを睨み付けると威圧する様な口振りで凄んだ。

「テメェの実力がどんなもんかは知らねぇが、俺達の邪魔だけはするんじゃねえぞ……ッ!」

 半ば恫喝じみた忠告だったが、それに動じるゼロでは無い。そんな彼の反応の薄さが気に食わなかったのか、コルボーは面白く無さそうに舌打ちし、仲間達を引き連れて去っていった。

 ゼロは、その後ろ姿を無感情に見つめた。

「ごめんなさい、ゼロ。彼も悪気があった訳じゃないの……ただ、ちょっと気が立ってて……」

 おそらくは、彼女の言う通りなのだろうが、ゼロにはそれだけではない様な気がした。視線を巡らせると、心配そうにコルボーの背中を見つめているシエルに問うた。

「アイツも救出作戦に参加するのか?」

「え、ええ。多分……」

 シエルの顔には、相変わらず暗い影が差している。先程、彼女はゼロにこう言っていた。

 

――ネオ・アルカディアとの力の差は歴然。

 

――多くの仲間を失った。

 

 彼女は感付いているのかもしれない。このまま、あのコルボーと言う男を行かせたらどうなるのかが…………

「ソイツ(トランスサーバー)を起動させろ」

 深く考えて出た言葉では無い。ただ、この少女に涙を流させてはならない、そう直感したのだ。

「出る……!」

 

 

 

 ネオ・アルカディア本都の遥か南方――荒涼とした大地の上に、その施設はあった。完全に機械化された其処は、日々本都から吐き出される廃棄物(スクラップ)を休まずに処理し続けている。一見すれば、何の変哲も無い廃棄物処理場に見えるだろう。だが、そこにはあるもう一つの『顔』が存在していた……

 

 

 結局、シエルの判断でゼロはコルボーチームと行動を共にする事になった。そのせいでコルボーが終始不機嫌な表情(かお)を浮かべていたが、それは彼の感知するところでは無かった。今は任務(ミッション)遂行が全てだ。

 トランスサーバーによって転送させられた場所は、一面の荒野だった。枯れ果てた大地には、命の気配は感じられず、乾いた風が無慈悲に吹き荒ぶだけだ。

〈ゼロ、聞こえる?〉

 ゼロは、ヘルメットに内蔵された通信機から流れるシエルの声に耳を傾けた。出撃前にセルヴォと言う技術者が取り付けたモノだが、問題なく作動している様だ。

「大丈夫だ。聞こえている」

〈そう……じゃあ、これからミッションの概要を再確認するわ〉

 シエルの口調が硬化した。それは、十四の少女がレジスタンスの指導者に変わった瞬間だった。

〈現在、貴方達のいる場所は目的地の廃棄物処理施設から南方五キロに位置する砂漠地帯よ〉

 吹き荒れる砂嵐の向こう側にうっすらと建物の様なモノが見える。それこそが、多くのレジスタンス隊員達が捕らえられた廃棄物処理施設、否、――レプリロイド処刑場だ。

〈今回のミッションは、捕らえられた仲間の救出が最優先よ。無駄な戦闘は極力避けて〉

 ヘルメット内のスピーカーから流れるシエルの声を、ゼロは黙って反芻した。滔々と紡がれる言葉を一つ一つを己が身の内に取り込み、溶かしていった。視線を僅かに巡らせると、同じ説明を受けているであろうコルボーチームの面々の表情には緊張の色が浮かんでいるのが見えた。ただ一人、コルボーを除いて。

「どう言う事だ、シエル! 俺達に戦うなって言うのか!?」

〈最後まで聞いて〉コルボーが凄まじい剣幕でがなり立てるが、通信機の向こうのシエルは、構わず説明を続けた。〈この施設は、どうやら『ミュートスレプリロイド』が管理しているらしいの〉 その単語が出た瞬間、ゼロ以外の――コルボーチームの面々が一斉に息を呑む気配が辺りに広がった。暫くして誰かが弱々しい口調で、ぽつり、と呟いた。

「や、やばいんじゃないのか……」

 それが発端となり、ざわめきの波紋は瞬く間に広がっていった。

 マジかよ、なんでこんなトコロに、こりゃ逃げた方が良いんじゃないか、ミュートスレプリロイドに勝てる訳ねぇよ……

 絶望的な喧騒が蔓延し、先程まで勇ましく振る舞っていたレジスタンス隊員達が悲観的な慟哭を上げる中、一人だけ平静を保っている者が居た。ゼロだ。

「シエル」

〈どうしたの? ゼロ〉

「何なんだ? そのミュートスレプリロイドと言うのは」

 そう問うて、シエルがが答えるまで僅かな間があった。その後、漸く発せられた声を聞いた時、ゼロはそれが酷く震えている事に気付いた。

〈……ネオ・アルカディアには、軍部にあたる四つの戦闘部隊があるの。彼等はネオ・アルカディアに仇成す反逆者(イレギュラー)を狩る者――言うならば『イレギュラーハンター』。その力はパンテオンなんかとは比べ物にならないわ〉

「イレギュラー……ハンター……」

 シエルの説明を聞いたゼロは、その単語に妙な引っ掛かりを覚えていた。かつて、どこかで聞いた様な……そんな懐かしさを感じさせる言葉だ。だが、それが何なのかをどうしても思い出す事が出来ない。まるで、頭の中に濃い靄(もや)がかかった様だった。

「お、おい! あれを見ろ!」

 コルボーチームの一人が上擦った声で騒ぎ立てたのは、そんな時だった。その場にいた全員が、彼の指し示す方へと視線を巡らせた。

 彼等の見つめる先――スクラップ処理場の通用門(ゲート)から大量のレプリロイド兵士・パンテオンがレジスタンス目掛けて殺到した。その軍勢は、ゼロを含めて二十人にも満たないレジスタンスと比べて、倍以上の数を有していた。

 レプリロイドでありながら、一切の表情を感じさせない紅の単眼(モノアイ)。それは、妖しい光を放ちながら、倒すべき敵を見つめている。

「……シエル、ナビゲートを頼む」

〈え?〉

 シエルが疑問の声を挟むより早く、ゼロは駆け出した。

 金色の軌跡を伴った紅い残像は、戦(おのの)くレプリロイド達を尻目に単身、機械兵士の群れに突っ込んでいった。突然の事に唖然となるコルボーチーム。リーダーであるコルボーもその一人だったが、一足早く我に返った彼は、放心状態の部下達を叱咤した。

「ぼ、ボサッとすんじゃねぇ! 俺達も行くぞッ!」

 その怒声に促され、正気を取り戻したコルボーチームの面々は、リーダーであるコルボーに筆頭に単身、敵陣に切り込むゼロに続いた。

 

 

 

 その空間を覆っていたのは、無数の映像だった。虚空に隙間無く映し出される無数の顔。男、女、若者、老人――矩形の奥からこちら側を覗く幾多の眼差しを、彼は受け止めていた。

白を基調としたボディに猛禽の意匠を孕むシルエット。言うならば、その姿は――鋼の神鳥。

 彼の名はアステファルコン。イレギュラーに裁きを下す処刑人の異名を持つミュートスレプリロイド。

 猛禽に似た頭を持ち上げたアステファルコンは、ゆったりと部屋全体を見回した。そして、大仰に両手を広げると、芝居がかった口調で語りだした。

「大変長らくお待たせ致しました。これより、皆様方には私、アステファルコンによるショウを御覧頂きます!」

 大袈裟な仕種を交えながらアステファルコンは、無数の映像に語りかけた。直後、重厚なクラシック音楽をバックに、彼の周囲の床がスライドした。その中から現れたのは三本の十字架と、磔にされた傷だらけのレプリロイド達だった。

「ここにいるのは、愚かにもネオ・アルカディアに反旗を翻した逆賊(イレギュラー)に御座います」

 アステファルコンが言い終わると同時に、円形のスポットライトが十字架を照らし出した。白光が暴いたのは、緑の装束を纏ったレプリロイド――レジスタンスだ。

「所詮、彼等は生き永らえたトコロで意味など無い罪深き存在……で、あるならば! その命を以て! 皆様方の糧になる事こそ最後に残された贖罪!」

 アステファルコンの宣言が高らかに響き渡る。その直後、映像越しの拍手が暗い処刑場を埋め尽くした。それは、処刑人たる鋼鉄の神鳥への喝采であると同時に、罪人達へと忍び寄る死神の足音でもあった。

 やがて、恐怖に耐えきれなくなったレジスタンスの一人がアステファルコンに向かって叫んだ。

「た、助けてくれ! もう二度とネオ・アルカディアに逆らう様な真似はしない! だから……」

 オイルまみれになった唇から、必死に命乞いの言葉を吐き出すレプリロイドをアステファルコンは一瞥した。冷たい猛禽の眼に映るのは、大義や信念かなぐり捨て、己の弱さを晒け出した惨めなヒトガタ。

「……そうですか」

 アステファルコンは、溜息混じりにそう言った。それを聞いたレプリロイドの顔に怪訝そうな表情を浮かぶ。

 

「――では、まずは貴方からです」

 

 恐らく誰一人、何が起きたかは理解出来なかっただろう。大気の温度が僅かに下がった。精々、その程度だ。それ位、鋼の神鳥の所作は速かったのだ。

 不思議に思ったレプリロイドの一人が、周囲を見回した。そして、先程無様に喚き散らしていたレプリロイドの姿を視界に収めた瞬間、思わず息を呑んだ。

  命乞いをしていたレプリロイドの胴体に、巨大な雷の矢が突き刺さっていたのだ。既に動きを止めている筈の機械の亡骸が小刻みに痙攣している。残された者達の心に恐怖を植え付けるのには充分過ぎた。

 直後、処刑場に歓喜の叫びが谺した。

「フフフ……宴はまだ始まったばかりです……どうぞ最後まで心ゆくままにお楽しみ下さい」

 

 

 コルボーチームとパンテオン部隊の攻防は、一進一退の様相を呈していた。

 圧倒的な物量を誇る単眼の軍団に対し、数々の修羅場をくぐり抜けて来たコルボー達は、劣勢に立たされながらも必死に喰らいついていた。リーダーであるコルボー自身も指揮を執りつつ、先頭に立って戦っていた。

「いいか、野郎共ォ! 絶対に背中見せんじゃねぇぞッ!」

 半ば己に言い聞かせるかの様に、部下達を鼓舞したコルボー。背中でその返事を聞くと、満足気に唇を歪めた。

 そうだ。俺達でもやれるんだ。あんなヤツの力を借りなくとも…………ッ。

 敵陣に切り込んだコルボーは、口の中でそう一人ごちた。その時だった。彼の眼前を紅い閃光が横切ったのは。

 真紅の装甲(アーマー)と鮮烈な金色の長髪――ゼロだ。

 光の剣を振るう紅の『英雄』は、視界を埋め尽くす機械兵士の群れの発する圧迫感に、欠片も物怖じする様子も見せなかった。眼前に立ち塞がる敵を斬り伏せる。ただ、それだけ。だが、あまりにも圧倒的だった。

 しかし、それがコルボーを益々苛立たせた。自分達には、それなりの修羅場を潜ってきた自負、そして自信もある。だが、それでもネオ・アルカディアの尖兵たるパンテオンシリーズに対しては苦戦を強いられるのが現実だ。なのにあの旧式レプリロイドは、たった一人で機械兵士の大部隊を相手にしているではないか!

「……クソッタレ」

 今までの自分達の戦いが否定された気がしたコルボーの舌から転がり出た小さな悪態は、戦場の大気に掻き消された。

「オイ! 野郎共――待てよ……」

 後に続く部下達に新たな命令を下そうとしたその時、彼の脳裏にある妙案が浮かんだ。己の前に立って戦う紅の背中を一瞥し、唇を歪めると、部下達に新たな命令を下すべく声を張り上げた。

「一気に突っ切るぞ! 雑魚は『英雄』サマが倒してくれる!」

「――!?」

 コルボーの発した命令を聞いたゼロが振り返ったが、構わずその横を通り過ぎた。

「後は頼んだぜ、『英雄』サマ」

 すれ違い様に、コルボーは嘲る様な口調で、ゼロに囁いた。折角蘇ってくれたのなら……精々利用させて貰うとするさ。俺達の為に、な。

 

 

 コルボーチームを止めようとしたゼロだったが、残ったパンテオンの群れに阻まれ、そこから先に進む事が出来なかった。眼前に立ち塞がる大量の紅の単眼が妖しく揺らめいている。それを睨み付けた彼は、おもむろにバスターショットのマガジンにゼットセイバーの柄を『装填』した。

 一方の機械兵士達はゼロの挙動を警戒し、一定の距離を保っていたが、 やがて危険は無いと断じたのか、最前列の数体が腕のバスターを変形させた電磁ブレードを翻して飛び掛かった。電光を孕んだ刃が斬り刻まんと大気を裂きながらゼロへと迫った。しかし、当の本人は視線を揺らす事無く己を砕かんとする雷刃の切っ先を見据えた。

 そして、交錯の瞬間、頭(こうべ)を僅かに傾けると同時にバスターショットを持った腕を跳ね上げた。

 

 刹那――圧倒的な熱量が虚空を駆け抜けた。

 

 バスターショットから放たれた鮮緑の光流は、眼前に立ち塞がる機械兵士の群れを一体残らず飲み込んだ。留まる事無く突き進んでいったソレは、通用門(ゲート)を破壊し、砂塵が吹き荒れる荒野へと消えた。後に残ったのは半ば溶解したパンテオンの残骸と、頬を掠めた電磁ブレードだけだった。

〈ゼ、ゼロ……〉

 シエルからの通信だった。その声音から通信機の向こうで、呆然とした表情を浮かべる彼女の姿を想像するのはそう難しい事では無かった。

〈今、ゼロの周囲に居たパンテオンの反応が一気に消えちゃったんたんだけど……〉

「時間が無かったからな。一気に片付けた」

〈え、ええッ!?〉

 淡々としたゼロの答えを聞いたシエルは、通信機越しに上擦った素っ頓狂な声を上げた。その後ろでは、サポートを勤めるレジスタンス隊員達がどよめいていた。

 彼女達が何をそんなに驚いているのかゼロには理解出来なかったが、今はそんな事を気にしている場合では無い。

「シエル。先に言った奴等の反応を追えるか?」

〈え、あ、うん。大丈夫よ、出来るわ〉

「了解した。なら奴は――」

 続きを言おうとしたゼロだったが、直上から降り注ぐ殺気を感じ取り、反射的にその場から跳び退った。直後、先程まで立っていた場所に小さな弾痕が連続して穿たれた。それを一瞥した後、彼は殺気の感じた方向を見上げた。

 上空からゼロを見下ろしているのは飛行ユニットを装着し、悠然と虚空に佇んでいるライトグリーンのパンテオンだった。薄暗い空間の中で、禍々しく輝く真紅の単眼は、獲物を見つけた猛獣の眼(まなこ)によく似ていた。

「……生憎、今は貴様に構っている暇は無い」

 ゼットセイバーを片手に、ゼロは敵手――パンテオン・エースを睨み付けた。こんな所で時間を無駄にしている余裕など無い。

「悪いが、そこを通らせてもらうぞ……ッ!」

 

 

 旧式の貨物式エレベーターのゴンドラに揺られながら、コルボーは静かに瞑目していた。その目蓋に去来するのは、彼――否、彼等レジスタンスの前に現れた紅き『救世主』の後ろ姿。多大な犠牲を払って、漸く目覚めさせたあの男の力は、確かに素晴らしい。アレの力ならば、もしかしたらネオ・アルカディアに勝てるかもしれない。だが、それで戦いによって失われたモノが帰ってくる訳では無いのだ。

「クソ……どうしてアイツだったんだよ」

 周りの部下達に気取られない様に、コルボーは口の中でそう呟いた。

「隊長、そろそろ……」

「……おう」

 部下の一言で頭の中身を切り換えたコルボーは、両の眼を開けた。そう。今すべきは過去を見る事では無い。前に進む事だ。

 頭(こうべ)巡らせた彼は、そのまま背後の部下達を見回した。ゼロと別れた後、ネオ・アルカディアの攻撃部隊とは殆ど遭遇する事は殆ど無く、お陰で誰一人欠ける事無く、ここまで来る事が出来た。だが、ここから先はそう簡単にいかないだろう。

 やがて、ゴンドラ越しに伝わる振動が止み、錆鉄色の扉が耳障りな音を立てながら、上にスライドした。

 この先にあるのは希望、それとも絶望だろうか……いや、それを決めるのは……

「ヨッシャアァッ! 行くぜェ、野郎共ォッ!」

「オオォーーーーッ!」

 雄叫びと共に、処刑場に雪崩れ込んだコルボーチーム。進路上のパンテオンを自動小銃で薙ぎ倒す彼等の目の前に、巨大な鉄扉がその姿を表すのに、時間はそうかからなかった。

「隊長……」

 部下の一人が不安そうな口調で言った。

 彼等の眼前に聳える巨大な鉄扉の隙間から、得体の知れない――瘴気とでも言うべきか――モノが漏れだしていた。それに当てられたであろう何人かが気後れする気配を、コルボーは背中で感じ取っていた。しかし、今更引き返す訳にはいかない。もう前に進むしか無いのだ。

 深呼吸を一つ。はやる感情を落ち着かせながら、おもむろに鉄扉に手を添えた。

 少し力を入れるだけで扉はアッサリと開いた。ここまで簡単に事が運びすぎて、かえって不気味に思えたが、今はそんな事を気にしている場合では無い。

 ゆっくりと開いてゆく鉄扉から光が漏れた。網膜センサに刺さる眩しさにコルボーチーム全員が目を細めるか、掌を顔の前に翳すなどの行動を取った。やがて、センサの処理が追いついてきた事により、扉の向こう側に広がる景色を認識出来る様になった。

 そして、彼等は絶句した。

 この施設に飛び込んでから通過した部屋の中でも、そこは一番広かった。機械を剥き出しにした壁面。闇が溜まった天井。彼等が足を踏み入れたのは、おおよそ飾り気の無い空間であった。

 だからなのだろう。『それ』が真っ先に彼等の視界に入り込む事が出来たのは。

 部屋の中央には、不格好な鉄のオブジェが鎮座していた。それは無秩序で前衛芸術的『アヴァンギャルド』なデザインでありながら、およそ芸術とは縁遠いコルボーチーム達の目を釘付けにしていた。しかし、それは美しさによるものでは無い。その中に在るモノを彼等が見つけてしまったからだ。

「た、隊長……」

 隊員の一人が呆然と呟いた。が、コルボーに答えてやれる余裕は無かった。一部隊を預かる彼ですら、目の前に広がる現実に、気が触れそうになっているのだ。

 コルボーチームの眼前に、悠然と聳える冷たいオブジェ。それを形成していたのは、大量の鉄屑とバラバラに分断された仲間達の骸だった。

 いてもたっても居られず、慌てて駆け寄ったコルボーチームだったが、それは仲間の死、と言う現実を改めて認識するだけだった。

「……ッ!」

 コルボーは、手に持った小銃を床に叩きつけたくなる衝動に駆られた。また間に合わなかった。また助けられなかった。俺達は持てる力を尽くしたと言うのに……

「どうして……救えねェんだよッ!」

 悔しさに歪んだ唇から漏れたのは、己の無力に対する激情だった。コルボーは身体の内奥から何かが沸き上がるのを知覚した。それは全身を這い回り、心を黒く塗りつぶそうとしていた。

 その時だった。何も存在しないハズの虚空に、無数の矩形が出現したのは。

「な、何だァッ!?」

 何の前触れも無く現れた幾多もの矩形――空間ビジョンに肝を潰された一人の隊員が錯乱し、携行していた機関銃を乱射した。出鱈目に撃ち出された弾丸は、実体の無い映像をすり抜け、壁面に小さな火花を散らせた。

 このままでは他の隊員達が被害が及ぶと判断したコルボーは、暴れまわる隊員を怒鳴り付けた。

「オイ! 落ち着け! ……誰かソイツを黙らせとけ!」

 コルボーの命令を受けた隊員達は、錯乱した隊員を押さえ込みにかかった。初めは意味不明な喚き声を上げていたその隊員も、動きを封じられると徐々に大人しくなっていった。

 それを確認すると、今度は虚空に投影される映像に目を向けた。小さな枠の中に収まっているのは、様々な貌(かお)だ。その中の殆どに、コルボーは既視感(デジャ・ビュ)を覚えた。

「コイツらは……ッ!」

 そうだ。思い出した。この部屋を埋め尽くさんばかりの映像の向こう側に居る貌。それは全てネオ・アルカディアの特権階級――自分達を地獄の世界へと追い込んだ奴等だった。

「ホゥ……思ったより数が多いな」

 頭上から尊大な気性を滲ませた声が降ってきた。

 咄嗟に頭(こうべ)を跳ね上げた彼等の視覚センサに映ったのは、天井に溜まる闇。其処は何者の存在を許さない空間でありながら、何か得体の知れない気配を感じずには居られなかった。

 隊員の一人が、それを見つけ出したのもそのせいなのかもしれない。

「お、おい……」

 彼が指差した先にあったのは、紅い光。気をつけていなければ見逃してしまいそうなほど小さな光点が二つ。まるで何かの眼の様に見えた。

 視覚センサの感度を限界まで引き上げたコルボーは、その光を注視した。

 

 刹那――『それが嘲った気がした』

 

 背中に冷たいモノが伝った。あれは……危険だ!

 反射的に跳び退った時には、既に事は終わっていた。降り注いだ雷の雨が逃げ遅れた隊員の身体を切裂き、貫通(つらぬ)き、打ち砕いた。目の前で無惨に壊されてゆく仲間達。だが、生き残った者達にそれを悲しむ暇は無かった。

 闇の吹き溜まりから翼を持った影が、疾風を纏って飛び出してきたのだ。

「うわああああッ!」

 吹き荒ぶ風が、その場に居る者達を全て吹き飛ばす。そして、まるで鉄屑のオブジェを守るかの様に、影はゆっくりと舞い降りた。

 太古の昔、知識の象徴として人々から崇められた聖獣グリフォン。〈断罪〉を使命とする王の守護獣は、科学の力によって再び地上に顕現した。ミュートス・レプリロイド・アステファルコンとして。

 

 神話にて語られる姿に酷似したアステファルコンの姿。だが、それが彼の全てでは無かった。ふわり、と舞い上がった鉄の神鳥の四肢が形を変え、鳥獣然としたシルエットをヒトに近いモノへと変貌していった。そして、最後に両の眼が禍々しく輝いた時、アステファルコンは鋼鉄の鳥人として再び地上に降り立った。

「パンテオン共がもっと数を減らしているとおもっていたが……ふむ、レジスタンスもなかなか侮れんな」感心した様な口調で、アステファルコンはそう呟いた。だが、その言葉の裏には絶対的な自信と傲慢が隠れていた。「ならば、丁度良い――いかがでしょうか、皆々様。ここから予定を変更して、この私アステファルコンと愚かなイレギュラー共による殺戮ショウを執り行うというのは!?」

 翼と一体化した腕を広げ、アステファルコンは高らかに宣言した。直後、虚空に浮かぶ映像から響く拍手の音が部屋――否、処刑場を埋め尽くした。それを聞いたコルボーは、身体の内に怒りの焔が燃え上がるのを知覚した。コイツらは楽しんでいるのだ。自分や仲間達が無様に殺されてゆく様を。

まるで、猛獣同士の殺し合いの見世物を見るかの如く……

「クソが……ッ!」

 隠しきれぬ嫌悪感ごと、そう吐き捨てると己が衝動に従い、自動小銃を眼前の敵手へと向けた。

「ボサッとすんじゃねェ! 敵は目の前に居るんだぞ!」

 隊長の激に呼応した隊員達も、一斉に手に持った火器の銃口を鋼の鳥人へと向けた。

 これだけの火力があれば、いくらミュートスレプリロイドと言えどタダでは済まないだろう。そう確信したコルボーは、一斉掃射の号令を出すと共に、銃爪に掛けた指に力を込めた。

 その瞬間、アステファルコンの瞳が笑みの形に歪んだ事に、だれも気付かなかった。

 幾つもの銃口から放たれた十字砲火が鋼鉄の神鳥に降り注いだ。数十、数百にも及ぶ灼熱の(あぎと)がエネルジウム製の装甲に牙を突き立てる……ハズだった。

「な……ッ!?」

 コルボーは驚愕するしかなかった。敵手を噛み砕くべくして放たれた弾丸が、全て弾かれてしまったからだ。

「クク……それで終りか? イレギュラー」アステファルコンが嘲る様な口調でそう言い、翼を広げた。「ならば――こちらから行くぞッ!」

 刹那、鳥人の姿が幻の様に掻き消えた。

「――ッ!?」

「ど、何処に行った!」

 消えた敵手の姿を求めて、コルボーチームの面々は、各々視線を巡らせた。だが、想像を絶するスピードで戦場を駆け抜ける鋼鉄の鳥人を捉える事は、誰にも出来なかった。

「フハハハハハハッ! 遅い! 遅すぎるぞイレギュラー共ォ!」

 姿無き敵の哄笑は、その場に居る者達の心に恐怖と言う名の楔を打ち込んだ。そして、彼が再びコルボーチームの前に姿を現した瞬間――

「がああああああッ!」

 苦痛に満ちた悲鳴と、いくつもの血の華が咲いた。

 気づいた時には、アステファルコンは鳥人形態(レプリロイドフォーム)から神鳥形態(ビーストフォーム)へと、その身を変えていた。

そして、真っ赤な疑似血液(オイル)を返り血として浴び、事切れたレプリロイドの骸をくわえるその姿は、もはや神獣と言うよりも、悪魔と呼ぶに相応しかった。

「わあああああッ!」

 生き残った隊員の一部が、身体の奥底から沸き上がってくる恐怖を拭い去るかの様に小銃を乱射した。だが、鋼鉄の神鳥にそれが通用しない事は明白だ。

 先程と同様に、自らに喰らいつかんと鉛の牙を全て弾き返したアステファルコンは、骸を放り捨て、愉快そうに笑った。

「いいぞ。もっと抵抗しろレジスタンス共! そうすれば、ショウは更に盛り上がるゥッ!」

 再び加速したアステファルコン。一瞬で鳥人形態へと変形し、敵手の背後へと回り込んだ。そして、彼等が気付く前に雷の矢を掃射した。

 飛び散る疑似血液(オイル)。撒き散らされる機械(パーツ)。

 先刻まで、十数名程いたコルボーチームも、今や隊長のコルボーを残すのみとなってしまった。

「あ……あ、ああ……」

 半ば戦意を喪失したコルボーは、膝からくずおれた。

 ベースを出る前まで、元気に笑い、馬鹿話などに花を咲かせていた仲間達は、今や物言わぬ只の骸となってしまった。その事実を漸く理解した時、震える唇から零れたのは、声無き呻きだった。

「……ここまで、か」

 つまらなそうに呟いたアステファルコンが一瞬で彼に肉薄し、呆然と揺れる頭を思い切り踏みつけた。

その衝撃で顔面のフレームが歪んだのを知覚したが、コルボーにはもう顔を上げる力すら残されていなかった。

「ネオ・アルカディアは、この世界における絶対正義にして神そのもの」鋼鉄の神鳥が、哀れな信者を諭す神父の如く床に突っ伏すコルボーへと語りかける。だが、煌々と輝く猛禽の眼にたゆたっていたのは純粋なまでの傲慢と自らが特別な存在だと信じてやまない盲信だった。「例えどんな理想を掲げようとも、ネオ・アルカディアに仇なす貴様らイレギュラーは世界の敵なのだ!」

 虚空を埋め尽くす映像から、歓声が沸き起こった。それに酔いしれるアステファルコンは更に続けた。

「そして、世界の敵が行きつく場所は――地獄だッ!」

 猛禽の眼に膨大な量のプログラムが駆け巡った。すると、それに連動して床面がその様相を変えた。

「……ッ!?」

 光学迷彩機能が解除され、無機質なコンクリートから透明な特殊強化ガラス製へと変わった床。その遥か下方に、数人の緑装束が蠢いているのを、コルボーは見た。

 アイツらは……まさか!

 それは、捕まった筈の仲間達だった。漸く見つけた。コルボーの瞳にほんの一瞬、希望の光が宿った。だが――

「あ……」

 漸く灯った小さな明かりを呑み込んでしまう程、その後に訪れた絶望は大きかった。

 閉ざされた眼下の空間。その両端の壁が徐々に狭まってきているのだ。にじり寄る恐怖に耐えるべく、身を寄せ合うレプリロイド達も天井の異変に気付いて次々と見上げたが、コルボーの姿を目の当たりにしたその顔には、更に深い絶望が刻まれた。

「……くそォ……ッ…………」

 コルボーは、血を吐く様な声で呻いた。

 自分達の力では、誰かを救うどころか、守る事すら出来ない。

 突きつけられた残酷な現実を前に、己の無力を否応なしに認めざるを得なかった。

「フハハハハハハッ! 貴様を始末した後、仲間達も同じ処へ送ってやる!」

 興奮気味に嘯いたアステファルコンが、コルボーの頭を踏みつけていた脚を上げた。踏み砕くつもりだ。

 その時だった。神鳥の背後の壁が、轟音と共に吹き飛んだのは。 映像の中の観客達がどよめく中、アステファルコンは振り返って崩れた壁を注視した。

 もうもうとたちこめる粉塵。その奥から現れたのは、光の剣持つ紅きレプリロイド――ゼロだった。

 

 

アステファルコンと対峙するゼロ。その脳裏には、先程シエルから聞いたある事実が去来していた。

 

 

「親友?」

 パンテオンエースを倒したゼロは、直後に入ったシエルの通信に耳を傾けながら先へと進んでいた。

〈……ええ、貴方を目覚めさせる為の作戦に参加していたミラン。彼とコルボーの無二の親友――いえ、そんな言葉じゃ表しきれない間柄だったの〉

 そう言う事か……。 その話を聞いたゼロは、何故コルボーが自分に対してあの様な態度を取っていたのか理解した。ようするに、彼はゼロの覚醒と引き換えにミランが死んだ事を上手く消化出来ていないのだ。

〈でも、ね……本当はコルボーだって解ってるのよ。貴方に当たったって仕方ない事くらい。だけど、彼はああいう性格だから……〉

 長年同じ時を過ごしてきたシエルが言うのなら そうなのだろう、とゼロは思った。だが、そんな事は関係無い。己のやるべき事はただ一つ。

「シエル。コルボー達は、必ず連れて帰る――だから、待っていろ」

〈うん……〉

 

 

 意識を現実へと引き戻したゼロは、視線を巡らせて周囲の状況を確認した。虚空を漂う映像(ビジョン)。機械が散乱する見えない床とその下の空間。そして――

「アレがミュートスレプリロイド、か」

 処刑場の中心に泰然と佇む鳥人型レプリロイドを見据えると、無感情にそう呟いた。一目見ただけで解る。コイツは強い。

「ホゥ……まだ仲間が居たのか」アステファルコンが感心した様に嘯く。「だが、誰であろうと私のショウを止める事は――」

 言い終わる前に、光の刃が神鳥の身体を捉えていた。

 ゼロの放った高速の刺突は、神鳥の残像を確かに貫いていたが、咄嗟にウイング内のブースターを全開にして後退していた本体は、全くの無傷だった。

「お、おのれ! 口上の最中を狙うとは……卑怯なッ!」 アステファルコンがヒステリックにがなり立てたが、ゼロはそれに答えるつもりは無かった。卑怯だろうが何だろうが、チャンスを逃す馬鹿はいない。それに長ったらしい口上をわざわざ聞いてやる道理も無い。

 再度敵手の懐へと踏み込んだゼロは、右手の光刃を一閃させた。が、すんでの所で飛翔した神鳥には届かなかった。

 すぐさま上方を仰ぐと、アステファルコンが雷の矢を放つ態勢に入っていた。解放されたコルボーを抱え上げたゼロは、急いでその場から離脱し、オブジェの陰へと滑り込んだ。

 直後、大量の雷塊が先程まで立っていた場所に突き刺さった。喰らっていたら間違いなくやられていただろう。「ククク……とことん愚かだよ、貴様達は」処刑場を飛び回るアステファルコンが、心底愉快そうに笑った。「力の無い者同士で群れるどころか、あまつさえ役に立たない足手まといをかばおうとするとは……やはり、クズの考える事は理解出来んな」

「クズ、だと……」

 オブジェから顔を出したゼロは、アステファルコンにそう問うた。底冷えする低い声で。

「ああ、そうだ。ネオ・アルカディアという絶対の世界から弾き出された奴等などクズでしかない――もっとも、これから文字通りのクズになる貴様らには関係ないがな」

 侮蔑でくるんだ言葉を吐いたアステファルコンが、視線を遥か下方に落とした。それを追ったゼロの眼も眼下の空間――もう一つの処刑場へと向けられた。

 迫り来る死に対して、恐怖し、絶望に押し潰されようとしているレプリロイド達。その光景を目の当たりにした瞬間、ゼロは己が胸の奥底から何かが沸き上がってくるのを感じた。

「……確かに、貴様の言う通りなのかもしれないな」

「何?」

「アイツらが、この世界にとっての反逆者(イレギュラー)であるのは紛れも無い事実かもしれない。だが――」

 防壁として使用していたオブジェから姿を現したゼロ。その姿を目の当たりにしたアステファルコンは、思わず後退った。

 今のゼロの佇まいには、ネオ・アルカディアの番人たるミュートスレプリロイドに、その様な行動を取らせてしまう程の強さと恐ろしさが内包されていた。

「だからと言って……命を理不尽に奪って良いハズが無い」

「ッ! ほ、ほざけェッ!」

 眼前のレプリロイドが放つ威圧感に耐えかねたアステファルコンは、自身のスペックの許す限りの雷の矢を作り出し、一斉に撃ち放った。

 一つ一つが破格の威力を持つ雷矢。一発でも喰らえば、命取りになるそれが視界を埋め尽くさんばかりに、紅いレプリロイドへと雪崩れ込んだ。

 対するゼロは眉一つ動かさず、セイバー一本でその全てを捌いた。獲物を仕留め損ねた雷の牙は全て後方の壁に突き刺さった。彼はすぐさま跳躍し、鋼の神鳥へと斬りかかった。

 例え記憶が無くとも身体が覚えている。戦う術を。そして、魂の奥底から湧き上がるモノが教えてくれる――倒すべき敵を!

 翻った光の刃が鋼鉄で形造られた翼を斬り裂いた。

 冷たい音を立てて床に落着した己が一部を見下ろしたアステファルコンは、その猛禽の眼(まなこ)に恐怖の色を滲ませると、本来は補助用であるはずのテイルブースターを全開にして空中へと退避した。

「あ、あれじゃあ届かねぇ……」

 オブジェの陰からゼロとアステファルコンの戦いを見ていたコルボーが、呻きにも似た呟きを漏らした。

 確かに、飛行能力を持たないゼロでは、今のアステファルコンの下へと辿り着く事はほぼ不可能だ。ここまま手をこまねいていれば、アステファルコンを逃がしてしまうのも時間の問題だろう。作戦全体を鑑みれば、これ以上戦闘を続行する必要は無く、敵を逃がして、こちらも撤退するという手もある。尤も、その場合はゼロの力を身を持って知ったアステファルコンの情報によって、ネオ・アルカディアは今度こそ本気でレジスタンスを潰しにかかるのは確実だ。そうなれば勝ち目は無い。

 そうさせない為に、ゼロは跳んだ。だが、いくら英雄と呼ばれるだけの力を持っていたとしても、飛行している敵手を捉える事は出来ない。それならば――『届くまで跳び続ける』だけだ!

「な……!?」

 コルボーとアステファルコンが揃って絶句した。それ位、ゼロの取った行動は常識を逸脱していたのだ。

 

 天空に佇む敵手を追うべく、ゼロは壁面を『蹴り登った』。

 

 信じられない、とでも言いたげな瞳で自分を見つめるアステファルコンを捉えたゼロは、最後に大きく跳躍した。奇妙な浮遊感が身体に纏わりつくのを自覚しながら、ゼットセイバーの柄を両手を把持し、大きく振りかぶった。

 狙うは……翼無き鋼の神鳥!

 

 一刀、両断!

 

 ゼロ自身のエネルギーを光刃に収束させた必殺の斬撃――チャージセイバーは、アステファルコンの脳天を砕き、そのまま身体を真っ二つに両断した。

 着地したゼロは、おもむろに立ち上がると、未だエネルギーの燻るセイバーを軽く振った。刹那、破壊されたアステファルコンのハイ・エネルゲン動力炉がチャージセイバーのエネルギーと反応し、紅蓮を撒き散らしてと共に爆砕した。

 

 

 言葉が出なかった。いや、出せなかったと言った方が正しいのかもしれない。まるで安い娯楽映画を見ている様な気分だった。それ位、眼の前で繰り広げられた戦いは現実離れしていたのだ。 今まで自分達が束になっても敵わなかったミュートスレプリロイドを、いとも簡単に倒してしまった紅のレプリロイド。焔を背にしたその無機質な横顔に、コルボーは戦慄した。

 コイツは、本当に百年前の旧式なのか? ――否、それ以前にコイツは本当に、『俺達と同じレプリロイド』なのか?

 そんな事を考えていたコルボーだったが、こちらへと振り向いたゼロと目が合い、我知らず身体をびくつかせた。そして、彼が一歩づつ近づいてくる度に叫び声を上げたくなる衝動に駆られたが、殆どの機能が停止している身にそんな力はもう残されてはいなかった。 やがて、ゼロが目の前で立ち止まり、右手を差し出してきたのを見たコルボーは思わず眼を瞑った。

 俺は死ぬのか? まだ、やるべき事があると言うのに。ふと、そんな事を考えたコルボー。いつまで経っても、想定していた瞬間が訪れない事に気付いて、恐る恐る瞼を開けた。

「立てるか?」

 目の前に差し出されたのは、掌だった。紅の装甲に包まれた無骨なシルエットを有したソレからは、先程まで放っていた圧倒的な威圧感は無く、むしろ正反対の――穏やかな雰囲気が微かに感じられた。

 何故、お前はこんな事が出来るんだ? 俺が利用しようとしていた事は気付いていたハズだ。それなのに……

 そんな俊巡をよそに、ゼロがこちらを見つめている。揺るぎ無い意思に支えられた真っ直ぐな眼差しで。

「下に居る奴等を連れて戻るぞ。アイツが待っている」

 それを聞いたコルボーは、ハッ、となった。今、目の前にいるこの男は嫉妬や敵愾心、それどころか名誉、自尊心などで戦っていた訳では無かった。彼は最初から最後まで、シエルという一人の少女の為に戦っていたのだ。

 その事実に至った時、心の奥底で渦巻いていた黒い感情が徐々に霧散してゆくのを知覚した。そして、気付いた時には、差し伸べられた手を強く握りしめていた。

 

 

 地下の処刑場へと続く道は、意外とすぐに見つかった。入口付近に隠されていた扉の中に、エレベーターのゴンドラが隠されていたのだ。

 人間サイズのレプリロイドが約五人程入れるゴンドラへと足を踏み入れたゼロは、先に入っていたコルボーが制御パネルを操作しているのを一瞥すると、エレベーターが動き出すのを待った。暫くすると、奇妙な浮遊感を伴いながらゴンドラが降下を始めた。

 戦っている最中は気付かなかったのだが、どうやら地下フロアはおもったよりも深い場所にあるらしく、到着するまでにそれなりの時間を要した。その間、ゴンドラ内に充満していたのは、重い沈黙。ゼロにとっては、どうということの無い雰囲気だったのだが、コルボーにはいささか辛かったらしく、制御パネルの前で所在無く身体を揺らしていた。

 やがて、その空気に耐え切れなくなったコルボーが、粗雑な口調で「なぁ」と声をかけて来た。

「さっきは……その……助かったよ。アンタが来てくれなかったら、多分……俺も死んでた」

 揺れる背中から発せられるたどたどしい言葉。それが彼の精一杯の感謝であり謝罪であるのは、察するまでも無かった。返事の無い事を確認したコルボーが更に続けた。

「それとさ……悪かったな。あの時、アンタをしちまってよ」

 コルボーの言う『あの時』とは、おそらく通用門(ゲート)での戦いの事だろう。ゼロは、その周辺の記憶(メモリー)を探ってみたが、彼が謝る様な要素は何一つ見つからなかった。だから、「俺は、俺のやるべき事をやっただけだ。お前が謝る必要は無い」と素っ気の無い無機質な口調でそう言った。

 それを聞いたコルボーが、暫く黙り込んだ後ケッ、と小さく舌打ちした。

「……やっぱ、イマイチ気に入らねぇわ、アンタの事」

 傷だらけの背中から発せられた言葉には、彼特有のふてぶてしさが戻っていたが、それ以上に、過剰な程に攻撃的だった刺々しさが幾分か和らいでいた。

 

 

〈……ロ……ゼ……ゼロ、聞こえる?〉

 シエルからの通信が入ったのは、エレベーターを降りてすぐの事だった。ノイズの向こうから聞こえてくる声には、どこか切羽詰った感情が滲み出ていた。

〈ごめんなさい、その周辺にジャミングがかけられていたみたいで……〉

 どうやら、シエルは先程の戦いのサポートが出来なかった事を悔いているようだった。だが、それは彼女のせいではない。ましてや責任を感じる必要は一切無いのだ。にも関わらず、真正面から受け止めるその姿は美徳とも言えるかもしれないが、それで潰れてしまっては元も子も無い。

「問題は無い――お前はよくやった」

〈えっ?〉

「それよりも、たった今要救助者を救出した。どうすれば良い?」

〈あ、えっと……わ、わかったわ、すぐに救護班を向かわせるからそれまで待機していて〉

「了解」

 通信が終了し、ヘルメット内の通信機が停止したのを確認したゼロは、喜びに浸るレプリロイド達へと視線を向けた。

 誰も彼もが生きていることを喜んでいる。つい先程まで絶望に囚われていたにも関わらず。

 

 ――諦めない限り、命に本当の死は訪れないんだ。

 

「――ッ!?」

 不意に、記憶の海の底からその言葉が浮かんできた。まるで、遠い昔に誰かから聞いたような……

 か細い記憶の糸を必死に手繰り寄せたが、核心へと至る前にそれは霧散してしまった。これ以上は徒労に終わると判断したゼロは、頭に添えていた掌を下ろした。「エックス……?」

 

 

 

 救護班が到着したのは、それから暫くしての事だった。

 

 

 太陽無き蒼穹。無限とも思える空間に一人佇む彼は、己が精神を拡散させていた。腕や手などを越えて際限なく伸ばされた不可視の指は、遥か彼方に広がる空の情景を余すところ無く教えてくれていた。吹き抜ける風の音、流れ、そして臭い。周りを取り巻く全てが手に取る様に解る。だからこそ、僅かに生じた揺らぎすらも感じ取る事が出来た。

 閉じられていた瞳が見開かれた刹那、彼は両の腕(かいな)を翻した。掌の中の光刀が、その軌道に沿ってX字状の斬波を飛ばした。蒼色の大気を切り裂いて走る紅の刃は亜音速のスピードで駆け抜けると、果てなく広がる穹の彼方へと消えていった。

その直後、周囲の景色に同化していた『デコイ』の成れの果てがその姿を晒した。

 二振りのセイバーを腰部に隠されたウェポンラックへと収納した彼は、緑色の長髪から覗くひどく無感動な瞳で、それを見つめていた。

〈フフ……相変わらず凄いモンねぇ〉

 背後から聞き覚えのある女の声がした。振り返ってみれば案の定、良く見知った顔の立体映像(ホログラフ)が佇んでいた。

「……レヴィアタン、か」彼は抑揚の無い口調でそう言った後、直ぐに眉を顰めた。

「何だ? その格好は」

「何って……仕方無いじゃない。こうしないと『感知』が出来ないんだから」

 ホログラフの女――レヴィアタンは、何も身に着けていない。これは、彼女の能力に関係するのだが、どうにも慣れない。

 当の本人は恥らうどころか、濡れた髪と肢体を自慢げに見せ付けている。正直、鬱陶しい。

 正直なトコロ、彼女の能力上仕方が無いとは言え、そんな格好で人前に出られては目障りでしかないのだ。

「だとしても、そんなみっともない格好を晒すな。四天王の一人ともあろう者が」

「わかってるわよ、そんなの」

 口を尖らせ、そっぽを向いたレヴィアタンは「カタすぎんのよ、全く」と漏らした。貴様が適当すぎるんだ、と口中で呟きながら、彼は全く別の言葉を紡ぎ出した。

「ところで、何の用だ? まさか、本当にそれだけではあるまい」

 それを聞いたレヴィアタンが、妖しく笑った。この女がこういう表情(かお)をする時は決まって面倒な事が起こる。湧き上がる嫌な予感に辟易しつつも、彼女が話し出すのを待った。「アステファルコンが倒されたわ」

 名前に似合わぬ端正な顔に嬌笑を貼り付けたレヴィアタンは、楽しそうにそう言った。

 そこまで聞いた彼は、正直拍子抜けしていた。その程度の情報ならば、既にこちらで掴んでいる。勿体ぶって話すものだから何事かと思ったが、わざわざ聞くまでも無かった。返事を返そうと口を開きかけた刹那、眼前の女がその事を承知していないハズが無い事に気付き、急遽全く別の言葉に差し替えた。

「そうか……それで?」

〈知ってるだろうけど、彼、事あるごとに変な催しを開いていたみたいなのよね〉

 それなら以前聞いた覚えがある。何でも、捕らえたイレギュラーの処刑を見世物にしているらしいが、それ以上詳しい事は把握していない。職務を全うさえしていれば、別に口を出すつもりも無かったし、何より部下の行動をいちいち把握出来る程、器用では無かったのだ。

「で、今回もソレをやってたんだけど、その観客の一人が言ってたわ。『アステファルコンを倒したのは、紅い金髪のレプリロイドだった』って」

「紅……金髪……!?」

 その二つの単語を取り込んだ電子頭脳がある一つの名前を弾き出した。が、彼はすぐさま、それを取り消した。あり得ない。『アレ』が目覚めているハズが無い。ましてや、我らに仇成すなど……

〈おうおう! なんだか面白そうな事でもりあがってんじゃねえか?〉彼らの間に割って入る様に、粗野な男の声が蒼穹の空間に響き渡った。「俺様も混ぜてくれよ、なァ?」

 レヴィアタンの反対側に出現したのは、ネオ・アルカディア陸軍の略装軍服に身を包んだ男の立体映像だった。彼等に挟まれる形となったハルピュイアは、更に気が重くなった。

「ファーブニル……」

 軍服姿の男――ファーブニルが焔の様に逆立った赤髪の下に据えられた貌(かんばせ)を無邪気な笑みの形に歪めた。一見すれば、一兵卒にも見えるが、彼もまたネオ・アルカディア四天王に名を連ねる闘将だ。尤も、常時は式典用の軍装を着用している他の四天王と並ぶ光景は、滑稽でしか無いが。

〈で、一体何の話してたんだよ?〉

 鼻息荒く、ファーブニルが迫る。この男の暑苦しさは相変わらずだ。相手がホログラフだと言う事を、一瞬忘れそうになる。

〈ボーヤの部下がやられちゃったのよ〉

 レヴィアタンが素っ気無く言った。

 振り返ったファーブニルは、彼女の姿を見るや怪しいモノでも見るかの様に眼を細めた。

〈何てカッコしてんだよ、お前……〉

〈……うっさいわね〉

 既視感のあるやり取りを見て彼は嘆息した。時々、彼等が自分と同列である事を失念しそうになる。

〈オイ! コイツの言った事は本当なのか!?〉

「……ああ」

〈マジかよ!? ミュートスレプリロイドを倒すなんてなァ……レジスタンスもやるじゃねえかよ!〉

 敵の奮闘を喜ぶファーブニルの戦闘狂(バトルマニア)ぶりに、彼は一瞬苦い表情を浮かべたものの、直ぐにいつもの鉄面皮を取り戻し、補足を加えた。

「奴は、我が裂空軍団の中でも下位のハンターだ。いつかは、こうなると想定していた」

 ファーブニルが「ドライだなぁ、オイ」と呟き、背後でレヴィアタンが肩をすくめる気配がした。

 四天王直属でありながら、自らを過信し、無様に敗北する者の事など気にかける必要は無い。

所詮は、その程度だった、と言うだけの話だ。

「当然の話だ……ところで、レヴィアタン。例の遺跡の方は?」

「冥海軍団(ウチ)から調査隊を向かわせたわ。流石はドクター・シエル……って、言いたいけど随分荒っぽい方法で最深部の封印を解いてたわよ、彼女」

 レヴィアタンの口調が変わった。先程と比べて、まるで別人の様に極めて硬質だった。普段、どんなにふざけていようとも、有事の際には指揮官として適切な振る舞いを行える切り替えの早さ、それこそ彼女達がネオ・アルカディアの軍部を預かる四天王と呼ばれる所以の一つであった。

「そうか……それで中には?」

「なぁ〜んにも。中は見事な位にもぬけの殻。でも『何か』あったのは確かね」

「……どういう事だ?」

「言った通りの意味よ」

 レヴィアタンの報告を聞いた彼は、脳裏に浮かんでいた名前が形を成してゆくのを知覚した。レジスタンス共があの遺跡を訪れていたと聞いて、まさか、と思ったが、もしも、アステファルコンを倒したの本当に、が自分の知っているレあのプリロイドだとすれば……

 精神の内奥から頭をもたげる動揺を、出来うる限り押し留めると、無感情な口調でレヴィアタンに命令を下した。

「引き続き調査を続行しろ。新たに何が見つかるかもしれん」

「了解」

 短く、それでいて明瞭にそう返したレヴィアタン。その直後、彼女のホログラムが蒼穹の空間から消失した。それを見届けた彼は、次にファーブニルの方へと振り返った。

「ファーブニル。近いうちに、貴様の塵炎軍団の力が必要になるかもしれん。いつそうなっても良い様に備えておけ」

「オウ! 任せておけ!」

 牙を剥き出しにして笑うファーブニル。彼がこういう表情を浮かべた時は、決まって精神が昂っている時だ。早く力の捌け口を見つけてやらねば後々面倒になる。

 ファーブニルのホログラフが消えるのを見届けた彼は、踵を返して歩き出した。二、三歩ほど進んだ所で立ち止まり、虚空に指を滑らせる。すると、眼前の空間が矩形に切り取られた。蒼穹の真ん中にぽっかりと開いた穴の奥に広がっているのは、暗灰色の壁面に覆われた通路だ。

 彼は戸惑う事無く其処を潜った。その瞬間、彼の唇から「……敵が誰であろうと関係ない。俺達は使命を果たす……ただ、それだけだ」と硬質な言う言葉が紡がれた。それは、ネオ・アルカディアの守護者たる四天王の一人――裂空将軍ハルピュイアの矜持と誇りそのものだった。

 直後、周囲の景色が一変し、仮想空間訓練室(シミュレーションルーム)が、暗灰色の壁面に塗り固められた本来の姿へと戻った。

 

 

 救出作戦終了から一夜明け、野戦病院さながらの様相を呈していたレジスタンスベースに漸く平穏が訪れつつあった。

 メディカルルームに収容しきれなかった負傷者を運び込んだレクリエーションルームの片隅で、ゼロは未だせわしなく動き回る看護スタッフ達を眺めていた。

 救出されたレプリロイド達の中には、衰弱が激しく、未だ予断を許さぬ状態の者も多かった。その為、シエルを始めとした医療スタッフは今も休み無く働き続けている。 因みに、ゼロもメンテナンスを受けるように勧められたが、特に異常は感じられなかったので断った。

 暫くの間、レクリエーションルームに渦巻く人の流れを眺めていたゼロは、下方から自分を見上げている瞳があることに気付いた。視線を下ろすと、金属とオイルの充満するこの空間におよそ似合わぬ小さな少女型のレプリロイドの姿が映った。人間で言えば、八、九才ほどだろうか、シエルと同じハニーブロンドの髪を持つ幼い少女型のレプリロイドが、無垢な輝きを孕んだ瞳でこちらを見つめている。

「あなたは誰?」

 少女に、ゼロは無表情のまま「……ゼロだ」と答えた。

「ゼロ……もしかして、シエルお姉ちゃんの言ってたゼロ?」

「多分、な」

 正直、いい加減だと思ったが、自分でも解らないのだから仕方が無い。それに否定するにしても、そう出来るだけの記憶すらも無いのだ。

「そうなんだ……私はアルエット。よろしくね、ゼロ」

 眩しいくらい無垢な笑顔を向けるアルエットと名乗る少女は、抱えていた白い猫のぬいぐるみをぐい、と突き出した。

「コレはシエルお姉ちゃんが作ってくれたぬいぐるみ。『ブランシュ』って言うの」

 満面の笑みで告げるアルエット。本来は白かったであろうその『ブランシュ』なるぬいぐるみは、様々な汚れが染み付いていてお世辞にも綺麗とは言えない。が、大切にされていたであろうソレの面持ちは、心なしか穏やかなモノに見えた。

 こういう時は、気の利いた誉め言葉などを用意しておくモノなのだろうが、生憎とそういう事には疎いゼロは「そうか」としか言えなかった。

「そういえば、ゼロは此処で何をしていたの?」

 小首を傾げたアルエットが、そう訊ねてきた。今や病室同然のレクリエーションルームに、医療スタッフでもない者が居る事に疑問を感じたのだろう。彼女の問いに、ゼロは問いで返した。それこそが、彼が此処に来た目的でもあった。

「……一つ、聞いてもいいか?」

 

 

 レジスタンスベース最下層フロア。その最深部に今は誰も近づこうとしない部屋があった。最低限の照明しか灯されていない空間には、いくつもの黒い袋が並べられていた。その中の一つに、コルボーは辛い痛みを耐えているかの様な眼差しを向けていた。並ぶ袋の中に入っているのは、今回の作戦で戦死したレプリロイド達の亡骸だ。

 レプリロイドには死者を弔うと言う概念は無い。当然だ。科学の究極の産物たる彼らは存在自体が理屈の塊なのだから、そんな迷信めいた事を信じるなどありえない。だが、その事実がどうしようもなく悔しかった。

 何故、自分はレプリロイドに生まれてしまったのだろうか? でなければ、彼らを弔う事だって出来ただろうに。

 そう自問してみたが、それは結局、己の傷を抉るだけで、求めた答えを得ることは出来なかった。

 その時だ。この部屋と外の廊下を繋ぐ扉が耳障りな音を立てて開いたのは。

 廊下から漏れる光が薄暗い空間に差し込み、闇に慣れていた視覚センサが一瞬麻痺した。ぼやけた視界の向こう側に見覚えのある人影があることに気付いたコルボーは、思い付いた名前を口に出した。

「ゼロ……?」

 開け放たれた扉の前に立っていたのは、紅のアーマーを身に纏ったレプリロイド――ゼロだった。彼は無表情を貼り付けたまま安置所に足を踏み入れると、そのままコルボーの横を通り過ぎ、一番奥の列に並ぶ一つの亡骸の前に経った。袋に括りつけられたプレートには『Milan』と刻まれていた。

「……ここで何をしていた?」

 ゼロがミランの亡骸を注視したまま訊ねてきた。あっけに取られていたコルボーはその言葉で我に返り、慌てて取り繕った口調で「大した事じゃねぇよ」と答えた。「ただ……俺の決意って奴を聞いておいて欲しかったんだよ」

 そう。決意だ。いずれバラバラに分解されて生きている者の為の予備パーツとなってしまう前に聞いて欲しかった。今までの戦いを忘れない為に。そして、これからの戦いを生き残る為に。

「そういうアンタは何しにココへ?」

 照れ隠しという訳では無いが、なんとなく今の心境を悟られたくなかった。だから、いつまで続くかは自信無いが、出来るだけフランクな口調を装う事に勤めた。

「アルエット、と言ったか――そいつにココの場所を教えてもらった」

 アイツ……余計な事を。

 レジスタンスのマスコット的存在である少女の無邪気な笑顔を思いだして怒りが込み上げてきたが、彼女に悪気が無い事は解っていたから、それ以上は考えない事にした。

 回る思考を強制的に停止したコルボーは、ミランの亡骸を見つめ続けるゼロへと視線を戻した。

「シエルから聞いた。彼とお前は親友同士だったらしいな」

 眼差しを揺らす事無く、ゼロが言ってきた。

 どいつもコイツも……

 アルエットならまだしも、シエルまでもがゼロに余計な事を吹き込んだ事実を知ったコルボーは、今度こそ己の感情をしまいきる事が出来なかった。

 確かにミランとは親友同士だった。共に死線をくぐり抜け、何度も絆を確かめ合った。だが、彼は死んだ。『伝説の紅き英雄』を復活させる為に。

 電子頭脳が過熱気味だった時ならともかく、今はその事でゼロを恨むつもりは無かった。

「彼のおかげで、俺は目覚める事が出来たらしい」

「……みたいだな」

 半ば自己嫌悪に陥っていたコルボーは、それを悟られまいと素っ気なく答えた。

「彼――ミランがどういう男だったかは知らない。だが、その命が俺を目覚めさせたのならば……俺はそれに報いなければならない」

 感情を一切感じさせない平坦な声。しかし、その奥に、何者にも揺るがぬ固い決意が燃えている様に思えた。

「ハハッ……」

 思わず笑いが零れた。コイツは最初(はな)っからそうだった。つまらぬ意地に囚われていた自分とは違って、いつでもシエルの為に戦っていたのだ。

「何言ってんだよ。そうしてもらわなきゃ困るんだよ。でなきゃ、命懸けでアンタを復活させた意味がねぇだろうがよ」

 ゼロのすぐ側に歩み寄ったコルボーは、思ったよりも逞しい背中を思い切り叩くと、面を食らった鉄面皮に向けて満面の笑みを向けた。

 彼の想いに触れる事の出来たのなら、今からでも遅くは無いハズだ。

「これから宜しく頼むぜ、英雄――いいや、ゼロ!」

「……ああ」

 これから先、自分達を待っているのは、過酷な戦いだろう。その中でたくさんの同胞が命を落とすだろう。もしかしたら、己自身がそうなるかもしれない。だが……それでも戦い続ける事を改めて誓おう。つまらぬ虚栄心などでは無い。

 去っていった者達が見た未来。そして、生きている者達の目指す未来の為に……。

 

 

 

 

 

    FIN

 

 

 


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