ビスコッティ共和国興亡記・HA Edition 作:中西 矢塚
◆◆◇◇◆◆
・夜の疾走
誰かに身をゆだねる事の幸福を、思い描かなかったわけではない。
嵐と呼んでも差し支えないような、嵐の夜。
それでも今すぐにと、子供のように無茶を口にしたその言葉に、困った風に笑って。
別に貴女だけが急ぎたい訳ではないから。
そう、一言。
それだけを告げて、私は、男の胸の中に抱かれたままに、身動きもとれず、しがみ付くだけの存在となった。
声も無く、喋る余裕なんてあるはずが無いだろう。
この横殴りの雨の中で、人を一人抱えたまま、昼夜止まる事無く走り続けているのだから。
平原を、山を、林を抜けて、荒れ狂う川を一飛び。
足をさらう風の流れを押しつぶすような、蒼い輝力光を吹き散らして、走る。
飛ぶ様に、飛ぶが如く。
いやまさしく、飛んでいるのだろう。
大地に沈み込む感触は無く、濡れた足場を踏みしめることは一度としてなく、だからそれは、風の上を走っていた。
無理をしすぎるなと声を掛けて、無理していなければやっていられないんだと、その声に黙る。
それがだから、この男なりのやり場の無い思いの振り切り方、だったのかもしれない。
しがみ付いた手を、尚一層きつくする。抱きとめる親に縋る幼子のように―――親の顔を、その腕の温かさを、知らないけれど。
知っていれば一層に、尚更に悲しく思えるのだろうか。
―――悲しんでいるのだろうか、ミルヒオーレは。
大雨の降りしきる中、暗い夜に、独りで。
独りではないだろうから―――そうに違いないから、そうならば。
……今の内に。
疲労による荒い息が漏れた音でもあったし、多分、自分自身に向けた言葉だったのかもしれない。
だから、男の胸の中で私は、少しだけ顔を上げることで先を促した。
身じろきに気付き、視線を落として―――それでやっぱり、声を漏らしていた自分に気付いて、苦い呻きを漏らした。
疲労も極限。
きっとこれから言うべき言葉は、碌でもないもので―――気の効いたところなど一つとしてない、遣る瀬無さの篭ったもの。
躊躇いがちに、それでも、一言。
―――今の内に泣いておいた方が、良いかもね。
まじまじと見上げてしまったその顔は、輝力でも吹き散らしきれないほどの横殴りの雨に濡れて。
それがまるで、私には。
・朝に俯け
何が原因なのか。
幾つもあるし、一つも無いだろう。
例えば、先年の頃より体調を崩しがちだったこと。
渡り神の移動に伴う国内に満ちた加護の一次的な低下が故か。
或いは、立派に成長を始めた娘の姿に、気を緩めてしまったことすら。
―――十の年月を超えて積み重なった、愛する者を失った悲しみが、遂に、と言う事すら。
昨晩から降り続く雨はやむことも無く、王城は、執務の間は窓の向こうの景色以上に、沈痛な空気に重く圧し掛かられているようだった。
息を吐く。
それが、連鎖する。室内全てで、でも一つところで、止まる。
視線が交差し、誰もが躊躇いがちに、伏せる。
その繰り返し。
そして結局誰も何も言わずに、成すべき事を、義務的に、機械的にこなして行くだけ。
何も出来ず―――何かをするべきなのだろうに。
父親を失った少女のために、大人である我々が、せめて何かを。
しかし少女は、親を失ったばかりの少女であるのと同時に、最早一国を預かる国主を代行せねばならない立場にもあったから。
あったから、だからその臣下たる我々に、気丈に振舞う国主たるに相応しき姿に、何を言えと―――言い訳に過ぎないのだろうか。
過ぎないのだろうと、己の無様に大きく息を吐いて―――そしてそれが、また、連鎖する。
一つところで、再び止まる。
今度は少女は、顔を上げた。
―――休憩、しましょうか。
無理に微笑みの形に歪められた顔に、だがしかし、愚かな大人である我々は何一つ言葉を返せなくて―――だから。
答えは、窓の向こうから、現れた。
閉じられた窓が、容赦なく突き破られる。
外で吹き荒れる嵐と共に、ガラス片が飛び散った。
舞い上がるカーテン、木っ端と吹き飛んだ窓枠を踏みつけて。
唖然とする、槍を構える、或いは少女に覆いかぶさる我々の前に―――蒼い、羽が舞った。
それは見間違えようも無く、だがしかし、そこに居る筈が無い人物で。
壊れた窓の向こうから室内を濡らす雨の雫にうたれながら、ああでも、この不条理はいかにも『らしい』と―――荒く息を吐くその人物を、誰もが理解した。
一番初めに彼に呼びかけたのは、主である少女。
少女の言葉に、無理やり荒い息を納めた彼は何とか少し微笑んで、それから、胸に抱えた大きな布に包まれた何かを、そっと、カーペット敷きの床に―――立たせた?
雨に濡れて重くなったであろう布を、彼は酷くぞんざいな手つきで―――きっと雨に打たれて冷え切って、まともに手が動かないのだろうけど、それでも、漸くの態度で、布を剥ぎ取る。
目を疑い、同時に納得してしまう矛盾。
そこに居る筈が無い。
でも、ならばこその不条理であろう。
雨に打たれ、息も荒く、死兵のように憔悴して―――それでも果たす理由がそこに。
レオ姫、さま?
濡れた髪を払い、一つ頷く。
レオンミシェリ・ガレット・デ・ロワ閣下の姿が、そこに有った。
彼女は居た堪れない顔で少女に一歩を踏み出そうとして―――背後から肩に掛かった手に、とどめられた。
その前に、ごめん。
固まる彼女を方って一歩進み出る。
一歩のたびに床を濡らして、足取りは最早幽鬼のようで、まるで親を失ったばかりの少女を供に死へと誘いに来た死神の如くもあった。
何もいえない少女―――状況を理解できていないのだろう―――そんなことはお構い無しに、彼は、ぽん、と冷えて悴んだ手を、少女の頭の上に置いた。
今の内に、泣いておいて欲しい。
目を見開く。
室内の誰もが。
容赦の無いその言葉に、先ず真っ先に少女が首を横に振ろうとして―――でもそれは、頬を両方ともに手で押さえ込まれたことによって、阻止された。
上の人が我慢してるとね、下の人まで無理をしなきゃいけなくなるんだ。
だから、『我々が心置きなく泣くためにも』。
予想外の言葉であり、同時にいかにも『らしい』と思える。
だから、主たる少女は、漸く―――漸く一つ、微笑んだあと。
大声で、泣いた。
・その後幾度かの昼が過ぎて、夜に想う
最後に領主様と会ったのは、しょんぼりさんの十一歳の誕生日の頃だろうか。
もう、一年前の話だ。
体調を崩すことが増えてきたとは聞き伝えられてはいたが、しかし、こんなことになってしまえば。
納棺も、埋葬すらも当の昔に終わって、今はもう、夜も遅く。
いつかの雨も当に過ぎ去り、私は一人バルコニーの隅で星空を見上げていた。
代表領主の死。
つまりは、しょんぼりさんの父親が死んだと言うことで―――私にとっては、引き立ててくれた恩人と呼ぶべきなのだろうか。
それとも、苦労を押し付けてくれた悪人と罵ってみるのも―――でももう、幾ら喚いたところで、あのとぼけた笑顔は見られないのだ。
惜しい話だ。本当に、惜しい。
悔しくもある、せめて、何か一言を告げる程度の時間くらいは、待っていて欲しかったのに。
本当に、惜しい。
息を一つ吐いて、それから、傍に誰かが居ることに気付いた。
「レオ様」
「珍しいの、御主が周りの空気に気付きもしないなど」
随分と年上の女性の笑みに見えて、たそがれていた自分が情けなくなってきた。
立ち上がり、視線を合わせる。
「明日には帰るって聞いてたから、今日は一晩中ミル姫の傍に居るもんだと思ってたんですが」
「寝るまでは、な。最後の力を振り絞って涙を出し切って、疲れて寝てしまったから―――後は、夢枕に立つであろう家族に慰めてもらうが良かろうて」
何時までも、常に傍に居られるものではないから、朝一人であることに気付く孤独に、慣れなければならないから。
「子供に、酷な話だこと」
「お主とて、ミルヒと同い年じゃろうに」
「はは、レオ様だって、二つしか違わないでしょう」
甘やかしてくれそうな言葉を、少し遠回りに跳ね除けてしまうのは、愚かな男の意地だろうなと、それで漸く笑って見せた。
姐さんも、私のあからさまな態度に、仕方ないなと微笑む。
大丈夫、もう笑える。
僅か数日、されど、数日。
今が過去に変わるのには、充分な時間がもう、過ぎてしまったのだ。
「ままならぬことばかり、よの……」
「ですね。老いも病も無い幸せな世界、とかなら―――楽しくは無いですか、それでも」
「幸せな世界に悲しみが無いとは、誰も証明できないからな」
「悲しみに包まれ続けても、でも、少しずつ幸せを見つけられれば……」
しょんぼりさんは、それが出来る子だろう。
悲しい自分をちゃんと受け入れられたみたいだから、その上に新たな自分を築き上げていける。
周りに支えてくれる人が、一緒に悲しんでもくれて、笑ってもくれる人たちが居れば、平気だ。
だから。
「あの子を、支えてやって欲しい」
「……うん」
型どおりのやり取り。
予め決められたとおりに、私は姐さんの頼みごとに頷いて応じる。
傍で支えて上げられる人たちの中に、姐さんだけは居られないから。
ならば、その役目を代行するのは私以外に居ないだろうと、それは当然の話だ。
その程度には、私たちは互いに対する信頼があった。
「フィアンノンは真面目な人が多すぎますからね、ヴァンネットと違って。―――ま、俺みたいな賑やかしも必要でしょうよ」
「そうじゃの。おぬしは精々宮廷道化師らしく、おどけて阿呆のように舞っておれば良い。それで少しは、周りも気も紛れようて」
「お役目仰せ仕りましたとも。ええ」
「うむ。―――ならば」
まさしくおどけて頷いてみせる私に、姐さんは夜着の裾から見える小さな掌を向けて応じた。
「レオ様?」
掌の上には、小さな指輪。
台座に対してはやや大きめの宝石の嵌められた、でも、豪奢と呼ぶには程遠い、そんな指輪が一つ。
「此れを以って御主が我が意思を代行するものであらん事を―――どうか頼む。どうか、ミルヒオーレを、我が妹を、あの子を……頼む」
真摯に、いっそ姐さんこそが、泣きそうな態度で。
それが何処へ、何を想っての泣き顔なのかは解らないけれど。
「誇り高き獅子、ガレット・デ・ロワの分枝の末裔たる、アッシュ・ガレット・コ・コアの名に於いて、確かに。レオンミシェリ姫殿下。貴女の願い、賜りました」
私は躊躇うことなく、指輪を受け取り、指に嵌めて示した。
右手の薬指。
約束の意味を込めて―――多分私以外に理解できないやり方で、姐さんに最大限の誠意を示す。
星空の下、お城を背景に、二人きり。
まるで忠節に満ちた騎士の誓いのようで、余りにも芝居染みたその空気に、どちらともなく、私たちは笑った。
笑って、一先ずのお別れを終えた。
・Θ月Щ日
イジメ、カッコワルイ。
え~っと、現状の説明から。
姐さん達ガレットご一行様をお見送りして、まぁ、ちょっぴり疲れた感じのしょんぼりさんも文官ご一行様達とともに領主執務室へと向かい―――尤も、領主としての信任を得る国民投票の日は、領主様の、いや、先代様の喪が明けた来年の話になるから、今はまだ領主『代行』に過ぎないけど―――さて、と残った武官達と共に一息。
末端に行くに従い知らない顔も随分増えたけど、中枢に居るのはイケメンだったり流浪人だったり緑の人だったりで、ほぼ顔見知りばかりだと言うのは、でも取りの私としては助かるなぁ、なんて。
……そんな風に想ったのが、間違いだった。
改めて言おう。
イジメ、格好悪い。
現状を説明しよう。
しょんぼりさんの姿が消える ⇒ がしっと両肩を掴まれる ⇒ 体育館の裏に連行される。いや、体育館なんてフィアンノン城には無いけど。
そして壁を背にした私は、複数の恐い顔をした女子から取り囲まれている所存です。
面子は右から緑の人、リコたん、そして遂に姐さんを凌ぐ域に達した超巨乳のキツネ。
あ、あと後列に暇そうなメイドさんたち。その奥に流浪人さんまで居ます。流石に秘書さんはおらんか。
と言うか、流浪人さん。
別に貴女は女子って年齢でもないんだし、そうやって苦笑気味に見てる暇があったら是非助けていただきたいのですが―――え? 酒の肴にする?
いやまぁ、笑えるネタを捜した言って気持ちは解りますけど、人がつるし上げ食らってるのを酒の肴にするのは人としてどうかなー?
え? 愛されてるでござるなって? こんな痛みを伴う愛とか要らないから!
―――んで、結局リコたん達はその興味津々、ゴシップ目当てって感じの目つきはなんなんですか。
特にキツネ、あんまり理不尽なこと言うとその巨乳揉み潰すぞ。こういう冗談が言える人材、ビスコッティにはキミくらいしかおらんし……ああ、リコたんはまだ成長の余地が残ってましたね。
緑の人はご愁傷……恐い、恐いから! 首筋に刃物突き立てるな!
・#月!日
お前の名前はどうなってるんだ。
要約すると、リコたん達はそういう話が聞きたいらしい。
名前、と言われてもねぇ。
むしろキツネ、お前の和風の名前の方が私はどうなんだって話だよ。
フロニャルドで意味が通ってるの? キミ等の名前。
いやまぁ、割りと似合ってるから宜しいと思いますが―――まぁ、兎も角。
名前。私の名前よね、うん。
……ほぅ。
つまりテメー等、人の恥ずかしいシーンを覗き見していたってことですね。
ゴメン、流浪人さん。
ちょっとこのキツネと親衛隊長と砲兵見習いをシメて来て良いかな?
ガレット仕込みのOHANASHIを、じっくりたっぷりと……つーかマジ、そこで慌てるなら覗き見なんてやめようぜー。
いや、人目につきやすい場所で話してはいたけどさぁ。
夜だし、男女二人のシーンなんだから空気嫁よそこは。いや、どうせ二人とも十二と十四のガキだけど。
甘酸っぱい空気ってのは……そうね、こっそり覗いてあとで笑い話にしてやるのが基本だよねー。
ハハハ、高校の頃の友達の事思い出しちまったぜ。
あのヤロウ、一人で旅館抜け出したと思ったらなんてベタな……は? ああ、ゴメンこっちの話。
で、まぁ私の名前がどう言う事かって話なんだろうけど、別にそんなたいした意味は無いよ?
ようするに、単純に言えば……そう。
ご先祖様に有名な戦国武将が居た、程度の話で。
いや、ホントに。
八代前くらいまで遡れば漸く家系図が繋がるって程度で、代々受け継いできたのはキミ等が盗み聞きしちゃったあのトゥルーネームと言うか忌み名みたいなものだけだし。
今の実家は、ただの牧童一家だからねー。酒場の隅で披露する自慢話くらいの意味しかないってば。
だからお嬢様方、あんまり他所に広めないようにね?
・£月㍍日
茶が美味い。
ヴァンネットの城下町にあるビスコッティの大使館にも存在していたから、薄々フィアンノンにも有るんじゃないかなーとは思ってたけど、うん。
見渡す限りの竹林に囲まれて、実に見事な和風庭園。枯山水でございますとも―――あ、茶柱。
まさかフロニャルドに生れ落ちて、縁側で胡坐をかいて緑茶を堪能できる日が来るとは思いませんでしたよ。
ホント、お誘いいただきありがとうございました、流浪人さん。
え? いやいや、美人に誘われたらひょいひょい参上しますって、私は。
特に道理を弁えてくれる大人の女性なら―――ははは、子供同士で騒いでるのも楽しいですけどね。
ただ、騒ぐは騒ぐで、子供らしく騒ぐのはヴァンネットでやりきったって感じですから、しょんぼりさんのためにも、私も微力ながら大人をやらないと―――え?
ええ、ええそうですとも。
姐さんとの約束ですからねー。てか、アンタも聞いてたんですか。
まぁ、笑い話にしてくれるんなら、それはそれで良いんですけどね。
時期が時期ですし、少しは明るくなれる話題も必要でしょうよ。
いや、自分をネタにされるってのは、うん、近くに手ごろに蹴り飛ばせる白髪が居ないのが辛いって感じ。お察しくださいな気分ですけど。
―――ん? や、それは言わないお約束。
さっきも言いましたけど、時期が時期ってヤツです。
私自身だってさらっと表面的な事情だけしか聞いてないですし、それをこういう状況の時に女の子達に披露しちゃうのは、ね?
私としてはまぁ、本当に。
このまま平穏無事に姐さんとしょんぼりさんが領主様をやりながら大人になって、それで、子沢山孫に囲まれるような幸せな老後を―――いやいや、そこでまぜっかえさないで下さい。
別に私がそこでどちらにどうの、とかは良いですから。
ははは、それ以上言うと、私も例え勝ち目が無くても貴女にこの場で喧嘩を占いとならなくなるんですが。
ホント、勘弁してください。
そういうのはせめて、もうちょっと皆が大人になってから考えましょうよ。
あーでも、姐さんはもう十四歳か。そろそろそういうお年頃ではあるのかなぁ。
ヤダヤダ。何時までも皆子供で皆仲良しでいられれば良いのに。
え? お前大人をやるんじゃないのかって?
……ああ、茶が美味いなぁ。
そこで直ぐにそうでござるなぁって言ってくれる辺り、流浪人さんは実に貴重なキャラですね。
自分が飲んでるのお酒だけどさ!
そうですね。
予備の予備と言うか保険の保険と言うか……補欠?
私らが生まれた頃の話って、むしろ流浪人さんのが詳しいんじゃ―――あ、丁度今のリコたんと同い年くらいですか。
うわ、想像がつかないなぁ。やっぱその頃からござる口調だったんですか?
いえいえ、それは兎も角大変な時期だったらしいですね、あの頃のこの辺の地方一体は。
姐さん達のご両親と、ウチの領……いえ、先代様の奥方。ついでに近隣諸国の領主家に繋がる人たち。
―――まぁ、焦りますよね。
特にビスコッティとガレットだと、本当に後継候補が赤ん坊のしょんぼりさんと姐さん、ついでに白髪しか居なかったんですから。
周り見渡しても似たようなケースでバタバタ貴人がお隠れになっているような事態が重なれば、そりゃ、保険の一つでも掛けて置きたいって話なんでしょう。
それが私だったのは、まぁ、たまたまと言うか、必然と言うか。
ガキの頃から輝力垂れ流してましたからね。
先祖返り的なものに見えたんじゃないですか? いえ、良く解りませんけど。
いや、別に辛いとか思ったことは、特に。
ウチの親は―――ああ、流浪人さんは知らないかもしれませんが、凄いアバウトに過ぎる人ですし、私は私で、こんな風に変わり者ですから。
それに、こういう縁が無ければ、こうして流浪人さんとのんびりお茶を飲んでる時間も作れなかったでしょうし。
ありがたい話ですよ。
―――ええ。
私は感謝しています。
感謝以外の気持ちは、ありません。
領主様にはちゃんと、シガレットはそう言っていたと伝えて於いてくださいね?
いえいえ、こちらこそ気を使ってもらって。
こうやってのんびり昔話が出来る時間って、貴重ですから。
ええ、いや本当に。
流浪人さんもまた直ぐ出られるんでしょうに、ご心配ばかりお掛けして、若輩としては情けない限りです。
渡り神が過ぎ去ってからまだそんなに経ってないですから、ええ、流浪人さんもお気をつけて。
いや、それが仕事の人に言う言葉でもないですか。
でもまぁ、本当に、お気をつけ下さい。
帰ってきたら、またお茶に誘ってくださいよ。
領主様の昔の話とかも、聞いてみたいですからね。
ええ、ではまた。
・゜月゛日
大使館……と言うか、ヴァンネット城に何故か当然のように存在する私室を引き払い、王都フィアンノンに戻ってきてから、早半年。
直属の上司であるしょんぼりさんの領主代行就任に併せるように古巣、と言うかホームグラウンドへ帰ってきたわけなんですが……うん。
―――居場所が、無い。
城内の何処へ顔を出しても新入り扱いされる、実家に出戻ってきた筈なのに外様扱いされてるような、そういう微妙な空気に、有体に言って居心地が悪いです。
いやね、ガキの頃から親しかった連中はそりゃ仲が良いままなんだけどさ、私が出世してると言うことは、併せて連中も出世してる訳で、それってつまり、管理職の常としての私的な時間の減少を示す訳ですよ。
昔は一つの『面』として存在していた集団が、今では点々にばらけてしまっている。
ただでさえ城内に知り合いが少ない私は、無駄に地位ばっかりは高かったりするから扱われ方もちょっと一歩引いたような感じにされちゃうし、いやもう、辛いわ。
まぁ、仕方ないよねぇ。
私がフィアンノンに居たのって五歳から六歳の間の一年間だけだし、その後は十二歳の今日に至るまでガレット獅子団領国は首都ヴァンネットに生活の主体を置いてたんだから。
六年ですよ、六年。小学一年生が小学校を卒業するまでの期間と同じ。
そりゃ六年も経てば人の入れ替わりも随分あるわ。
と言うかねー、六年以内に城勤め組みに入ってきたらしい人たちって、私のことをマスコミの報道でしか知らないんだよねー。
うん。若い騎士の子に、素で『貴方があの天空の聖騎士……』とか言われた。
マジ死にたい。
ゴメン姐さん。ちょっといきなり挫けそうかも。
と言うか、私の替わりに兄ちゃんボコっといてくれる?
あの賑やかし、ホントマジ、ちょっと自重しろって伝えておいてください。
・^月¨日
若い子とのコミュニケーションも漸く取れ始めた今日この頃。
白髪のように蹴り応えのあるヤツが居ないのが玉に瑕ですが、まぁ、国力で考えれば充分見所がありそうな子達が揃ってるって話かなぁ。
鍛えればモノになりそうです。
でも、なんとなーく小さくまとまって終わりそうな感じもあるかな。
エミリオ君とかを中心に次期主力として固まっているグループの面倒をチマチマ見たりもしてるんですけど、うん。
皆、もうちょっと遊び心が欲しいなぁ。
やっぱ直属の上官がイケメン騎士団長+緑の人の生真面目コンビだったから、いやいやキミ達、儀杖兵じゃないんだからさ、もっとあざとく泥臭く勢い良く掛かってこようぜ~。
……因みに、『若い』とか『子達』とか書いてるけど殆どのやつらは私より年上ですがねー。
お陰で訓練教官とか押し付けられると、微妙にコミュニケーションをとるとき苦労します。
アットホームが持ち味のビスコッティで、地位を嵩に来て偉そうにし過ぎるのもなぁ。
どうせウチの国の場合、明らかに世代交代に失敗して年長の騎士とか殆ど居ない訳だから、この子達ももう幾らか時間を置かずに同僚になっちゃうんだろうし。
もっと気楽にフレンドリーに出来れば良いんだけど……ううむ。
やっぱ緑の人たちの教育が行き届きすぎてるわ。礼節が行き届きすぎてて逆に扱いづらいぞ!
まぁ、幾ら扱いに困っても、鉄球おじさんをコントロールする苦労を思えば、ちょろいちょろいって感じなんですが。
……いやゴメン、嘘ついた。
あの人とか三馬鹿とか、アクが強すぎて応用が利かないわ。
流石に白髪の時みたいに蹴っ飛ばして躾けるって訳にもいかんし。
と言うか、フィアンノンに勤める人たち、皆真面目で良い子過ぎて逆にやり辛いわ。
もうちょっとさ、『領主様をお守りする』とか『民に奉仕する』とかそういうの控えめで頼むよ本当に。
私たちは戦闘要員なんだから、もっと素直にバトルジャンキー丸出しで行こうぜー。
理性で考えるな、理性で。
脳じゃなくて筋肉で思考するんだよ!
え? 何ですか緑の人。
……ああ、うん。そうね。
私もすっかり脳筋の国の人の流儀に染まっちゃったね……。
・ё月о日
あ、そういえば書き忘れてたんですが、出世しました。
お前、何もしてないのに出世ばっかりしてないかって聞かれたら『うん』としか答えようが無いんですが、ふと気付くと昇進してるんですよね私。
因みに去年までは千人長でした。
常駐兵力の殆ど存在しないビスコッティで千人長だと、上から数えた方が早いってくらい階級高いです。
お陰で給料もウハウハ……とか、うん。別にそういうのは特に無いみたい。
貰うにはそれなりに貰ってるんでしょうけど、公務員の給料って控えめにされてるからねーこの国、と言うか概ねこの世界全般的な風潮として。
危険職についてる割には、やっぱ低い気がする。
まぁ、仕事の戦争がアレですし、魔獣やら害獣やらの退治なんて年に何回も無い話ですから、そこまでお手当て弾まないだろって言われればそうなんですけど。
騎士になってお金を稼ぎたかったら、やっぱどっかの事業団体と専属契約を結んで戦争で活躍とかするしか無いですかね。
いや、逆か?
戦争で活躍してスポンサーになってくれる会社を探す? どっちでも結果は同じか。
まぁ、ご存知のように戦争をフランチャイズしてビジネスとして成立している世界ですから、そこで活躍する騎士のスポンサーになれば、良い広告になる訳です。
勝利者インタビューとかでテロップの脇に会社の名前とか載ってることあるでしょー? アレですアレ。
まぁ、流石に武器や鎧にスポンサーの名前が刻まれたたりとかは無いですけど。
契約した騎士が参戦した戦争には、提供企業として名前が載ったりするらしいですから、それなりの宣伝効果は出るんだとか。
名門の騎士家とかだと、その辺の後援団体とかの支援があるからこその良い暮らしになるとかなんとか。
まぁ、いい暮らしに胡坐かいて活躍の場面を失してばっかりいると後援取り消しとか不名誉で悲惨なことになるから、皆自重して、逆に真面目な生活を心がけてるみたいですが。
私もこれで、まだ新興の騎士家の初代と言えど、中二っぽい二つ名すらある結構有名な部類の騎士のはずなんですが、後援してくれるとか言う話は一件も来てません。
何故かって?
ハハハ、そりゃ簡単。
私がこの六年で参戦した戦争は、実はその全てが非公式での飛び入り参加だったりするからさー!
いやだってさぁ、幾ら他人ん家の戦争っつーても下準備まで手伝ったんだから、参加しないとか損じゃん?
ヒャッハーしてるだけの白髪とか見てると蹴っ飛ばしたくなってくるし、うん、けものだまを量産してストレス発散でもしないと、徹夜で書類整理とかやってられんわ。
まぁ、実際のところ大多数の騎士はお城からのお給金とたまの戦争とかでの報奨金のみで暮らしてる訳だから、私も別に、自分の現状にそんなに悲観するような話でもないですね。
ただ、ひたすら書類仕事がダリぃとか、たまに愚痴りたくなるだけ。
と言うか、本当に書類仕事増えたなー。
あのさぁイケメン騎士団長。やっぱり文官の人回してもらいましょうよ。
幾らなんでも二人で裁ききれる量じゃ無いですって。
え? 頑張れ副騎士団長?
あ、ちょ、そんなおざなりな励ましとかいらんから、待とうぜ!
しょんぼりさんの付き添いなんて緑の人に任せておけば充分だって!
どうせワンコも一緒なんだし、危険なんか無いよ!
……ああもう、行きやがった。
薄々感づいてましたけど、やっぱり仕事を代行させるために出世させられてないか私。
・п月%日
副騎士団長。
副騎士団長なのである。
狭く小さい組織とはいえ、なんとびっくりナンバーツー。
流石に出世しすぎじゃねーとか思わんでもないけど、まぁ、他にも親衛隊長の緑の人とか裏ボス的な存在の流浪人さんとかもいるから、いまいち何処まで偉くなってるんだか解りませんが。
と言うかそもそも、此れまでこの国に副騎士団長なんて地位が存在していたなんて記憶は無い。
団長の下は直ぐに千人長数名だったと思う。
で、独立して親衛隊と隠密―――つまり、流浪人さんたち和風チームがあった筈。
砲兵とか工作とかの機械化部隊は学術院の管轄だったから、実はそこで主任やってるリコたんもバトルメンバー的な意味で偉い立場なんだよなぁ。
いや、行政面から見ても領主の諮問機関の長みたいな立場もあるらしいから、有るんだか無いんだか良く解らない私の立場なんかより普通にすっごい偉いんですが。
何か多分単純に、領主の御前会議に出席できるだけの地位は名目だけでも与えておこうぜ的な話のだけの気もするんだけどなぁ。
……冷静に考えれば、閣僚とか元老に混じって領主の御前会議に参加してる時点で凄いって気もしないでもないですが。
領主がしょんぼりさんだと、なんだかあんまり凄くなった気がしないわ。
威厳ってモノが足らんよね。しょんぼりさんに威厳があったら逆に恐いけど。
まぁでも、あの娘も最近は少ししゃっきりさんになってきてるような気もします。
慌てる場面が少しずつ減ってきて、必死は必死なりに、緩急の作り方も―――あの辺は秘書さんなんかが上手くコントロールしてるのかな。
元老の爺様立ちも、孫可愛さってノリで懇切丁寧に指導してるらしいし。
―――これなら、来月の領主就任の式典も、無事に済んじゃうのかもなぁ。
戻ってきてから一年間もあっという間だったけど……いや、時間が過ぎるのは早いね。
◆◆◇◇◆◆
「もう直ぐ夏だってのに、時間たつが、早い」
日が落ちるのが遅い季節のはずだと言うのに、もう、空は赤い。
「これは流石に、今日中に城の部屋まで片付けるのは無理か」
「では、今晩はそちらにお泊りに?」
「お泊りって言うか、お休みなんだけどね、私室だし」
ルージュの言葉に、シガレットは苦笑で応じた。
一騎士が王城内に私室を有しているのも、それはそれでおかしいのだが、それは今更である。
「折角、大使館の部屋のベッドメイキングを済ませましたのに」
「……大使館、か。そーいえば、あんまり入ったことも無いんだよな」
「必要、ありませんでしたものね」
ルージュの言うとおり、必要なかった。
ビスコッティに居る間、ガレットの仕事をこなす場合は―――その辺も色々とおかしい話なのだが―――仕事の方がシガレットの居る場所まで届けられていたし、わざわざガレットの大使館に顔を出す必要は無かったのだ。
「しっかし、自分の国許で他所の国の大使館暮らし……いよいよって感じだね」
「ミルヒオーレ姫様が、城内の客間をお開け下さいますとの事でしたが」
「実家でお客様扱いってのも、まだ少しね。―――ああいや、ホンモノの実家には、オレの部屋もう無いから、客間どころか納屋行きだけど」
それはそれで楽しいから良いのだけど、とシガレットは嘯く。
実家―――国境沿いの牧場の小さな家―――の全ての部屋は、無数の弟と妹たちで、埋まっている。
両親と不仲と言う訳でもないが、余り顔を出さない家ではあるので、それも仕方なしだなと、シガレットは思っていた。
「あら、アッシュ様たら。アッシュ様のお家には、ちゃんと、アッシュ様の部屋は残っていますよ」
「……次に行く時は、帰る時、なんだよなぁ。もう二年も―――帰ってないんだよなぁ」
「臣下一同、皆、アッシュ様のお帰りをお待ちしています」
特に、文官連中が。
酷いオチだなと思う傍ら、これも、平和になったが故かなと、笑う事もできた。
次回から原作第一期の時間軸ですね。
この辺から日記形式に無理を感じて、書き方が実にカオスなことになっていたりもします。