ビスコッティ共和国興亡記・HA Edition 作:中西 矢塚
◆◇◆
「はっ、はっ……」
早朝のヴァンネット城の廊下を、息を切らせて、ルージュは走っていた。
主の不在に代理を務めるため、本来は主の現在の居住地であるビスコッティ首都に詰めていなければならない筈の彼女が、何故、このガレット首都に居るのか。
廊下で彼女とすれ違ったもの達は、皆、一様に驚いた顔を―――浮かべるはずも無く。
全力疾走する彼女が通り過ぎた後で、同情気味の笑みを浮かべて、見送るだけだった。
「アッシュ様!」
バン、と勢いをつけて、目的の部屋の扉を開く。
そして、開いた勢いのまま、ツカツカと室内へと足を踏み入れる。
本来その部屋は、その様な乱暴狼藉が許されるような場所ではなかったのだが―――今のルージュは、そんな事を気にしている余裕は無かった。
いち早く主の姿を見定め、問いたださねばならないことがあるのだ。
姿は、数歩と歩くことなく、直ぐに見つかった。
室内。
その中心におかれた広々としたキングサイズのベッド。
白いシーツにつつまれ、寝息を立てる。
「アッシュ様?」
主たるアッシュ・ガレット―――シガレットへと、ルージュは呼びかける。
「ん……?」
小鳥のさえずりほどの抑えた声だったが、反応があった。
シガレットは目蓋を閉じたまま眉根を少し寄せて、身を、ルージュの方へ、捻る。
その、動作の途中で。
彼の身を包んでいたシーツが、剥がれた。
「……アッシュ、さま?」
引きつった声を漏らす、ルージュ。
彼女は主の身支度の世話をするために、主の寝所へと足を踏み入れる事もある。
そうであるから、別に、主の寝姿など、たっぷりと見慣れている―――その、筈なのだが。
「ん……ルージュ、さん……ごめん、もう朝……?」
おぼつかない声である。シガレットは余り、寝起きが良い方ではないのだ。
しかし彼は、ルージュの事を部下と言うよりは、お世話になっている年上の女性だと考えていた。
自分のことで余り、彼女に手間を掛けさせたくないと考えているのだ。
だから故に何時も通り、寝ぼけて思考が回らないまま、兎に角無理やりに、身体を起こした。
自分がどういう状態なのか、まるで、弁えず。
「―――っ」
「……?」
ルージュの居る方から聞こえた引きつった声に、シガレットは首を捻った。
首を捻っているだけで、寝ぼけ眼に頭はまるで回っていない。
今日は何日かとか、何か何時もと部屋の広さが違うようなとか、妙に体が重いようなとか、背中がひりひりしているとか、或いは、寝たりないとか。
そんな益体もないことが、頭の中をぐるぐるまわっていただけ。
だから別に。
「いやぁぁぁぁぁぁあああああっっ!!?!??」
何時もお世話になっている女性に、素っ裸の自分の姿を見せて、悲鳴を上げさせようと言うつもりは、彼には、無かった。
◆◇◆
突然耳を襲った甲高い音に、シガレットは一気に目を覚ます。
とはいえ、状況がわからず混乱したまま周囲を見渡すことになったが。
「なに? 何が……って、ルージュさん? え? つーかここ、何処……って、うぉい!? レオンミシェリの部屋じゃねーか、ここ!」
そう、彼が寝ていたのはレオンミシェリのベッドであり、そうなのだから、当然この部屋は、レオンミシェリの寝室だ。
幼い頃からこの部屋の主に付き合って酒盛りに興じていたシガレットである。
この部屋の事は見慣れている―――だが、実を言えば窓の外が明るい時間に、この部屋に入ったことは、今日まで無かった。
無かったし、無論、少なくともあと一週間後までは、入る事はなかっただろうと、彼は思っていた。
だというのに、何故。
「……って、そうか。昨日は」
思い出した、と頭を抱えて周囲を見渡す。
散乱していた服―――だったもの。彼と彼女で好き勝手に引き千切った、服だったものの残骸―――は、既に誰かが片付けたのだろう。
床には塵一つ見当たらず、当然、ベッドの上にも、隣で一緒に眠っていたはずの人物の姿は、無い。
「でも何故かルージュさんは居る、と……なして?」
疑問を尋ねる、瞬間、微塵も間を置かず、
「いいから服を着てください!! せめて前だけでも!」
隠してくれと、真っ赤な顔で壮絶な突っ込みが入った。
「あ~……、ごめんなさい」
丸まっていたシーツを引っ張り上げて、汗やらなにやらでいい感じにどろどろになっていた下半身を隠す。
なにしろ現状のシガレットは、少なくとも生娘には見せない方が良いであろう格好をしていたのだから。
「言い訳にもならんけど、ルージュさんが悲鳴を上げるとは思わんかった」
「私だって、別に裸くらいなら何度も見たことがありますけど、ありますけど!」
「あ~、うん。本当にゴメン。いきなりコレは、流石にびっくりするよね、うん」
風呂の世話をするため、服を着替えさせるため。
ほぼ全裸に近い位置までは、傍付きであるルージュに見せた事がある。
だが、今のシガレットの状況は、それら日常的な状況から、大きく外れていた。
「いやでもコレ、ある意味これからの日常的な……」
「心構えの問題です! ええ、ええ。それは勿論、ご夫婦となられた後だったら、当然納得も理解もしますとも! ですけど、だけど! いきなり変な連絡が入って、御身の心配をしながらセルクルを乗り継り継ぎ乗り継ぎして一晩で街道を突っ切って、突かれた身体に鞭打って最後は自分の足で全力ダッシュして漸くお城にたどり着いたっていう状況で、こんな、こんなぁ……!」
半泣きの口調は、半分プライベートが混じっていた。
「ですよね~……いやしかし、本当に申し訳ない。うん」
お茶目な年上の確り者の女性、と言うイメージがあったが、良い意味で裏切られた。
そんな風な感想を内心で浮かべつつも、しかしそこは、無常にも。
「生憎、オレとレオンミシェリは、
部下に現状認識を改めさせるための言葉を、立場上、彼は―――アッシュ・ガレット・
◆◇◆
話は夜に遡る。
「だれぞある」
酔いつぶれた男をテーブルの上に放り出して、レオンミシェリは言った。
「御前に」
ビオレである。
だれ、と言った次の辺りには、彼女は既に片膝をついていた。
どう考えても、気付かれない、しかし至近で二人の話を伺っていたに違いない。
レオンミシェリは当然出歯亀に気付いていただろうが、しかしそれに関しては何も言わず、ゆっくりと立ち上がり、そして、こう言った。
「今すぐ万騎長全員と各務大臣、及び元老達を登城させよ。あと、ガウル……は、煩くなりそうじゃな。お爺様を呼べ」
「はっ……は?」
「それからそこのアホの口に酔い覚ましを放り込んで、正装に着替えさせて―――いや、その前に風呂だな。風呂に放り込んで全身を磨いておけ。流石に酒臭いままというのは、適わん」
「いや、あの……レオ様?」
テキパキと指示を飛ばす上司に、ビオレは戸惑いもあらわに尋ねる。
しかし、上機嫌な風のレオンミシェリは、部下の疑問には全く応じようとせず。
「時間も時間じゃ。何人かは叩き起こさねばならぬだろうから、参集までには幾らか時間もかかろう。その間に、ワシもドレスに着替える」
「ど……、え? あの、レオ様。本当に一体、何をお考えなのですか、本当に」
ビオレの疑問は尤もである。
こんな夜更けに、国家の重鎮を残らず城に集めて、一体何をするつもりなのか。
ましてや、レオンミシェリ自身はドレスに着替える、などと。
「決まっておろう」
疑問には、速やかな答えが返ってきた。
むしろ、その言葉を待っていたとでも、言いたげな態度で。
レオンミシェリは。
「略式じゃが、これより結婚式を行う。お前達は見届けよ」
シンプル極まりない答えを、口にした。
◆◇◆
「それで、つまり、そのまま……」
「うん。結婚した。で、結婚式を挙げた夜に新郎新婦がやることなんて、ねぇ?」
「それは、まぁ、一つしかないのでしょうが……」
「結婚するまでって、お互い自重してたからねー……いや、お互いっつーか主にオレが、だけど。兎も角、そんなこんなで、ちょっと寝不足で。頑張って急いで来てくれたのに、いきなり見苦しいところ見せたね」
「いえ、その。こちらこそ悲鳴など上げてしまい……」
濡れたタオルで身体を拭いて寝巻き代わりの浴衣を着込んだ主の言葉に、ルージュは頬を赤らめつつ、頷く。
無論、既にレオンミシェリの寝室からは離れている。
窓を開け放たれて風通しが良くはなっていたが、それでもかすかに残る、そこで何が行われていたかを示す残り香のある場所では、流石に落ち着いては会話出来ないからだ。
『よって、六日後に開催を予定していた結婚式は、その題目を結婚
リビングに備わった映像投影機からは、まだ続いているレオンミシェリの会見の中継映像が映っていた。
艶やかに表情を輝かせる領主と共に会見に列席している、ビオレとバナードの顔が酷くくたびれているように見えるのは、多分、どう考えてもルージュの気のせいではない。
彼等は、ルージュと同じ気持ちなのだ。
「何故また、こんな突然。後六日のご辛抱でしょうに」
いきなり唐突に、最低限の出席者だけを集めて結婚式を行ってしまうのか。
ことに、隣国で主の代理を務めていたが故に出席をしそこなった忠臣ならば、当然の疑問だろう。
シガレットは部下の尤もな疑問に、苦笑で応じた。
「こんな突然、ってのが、そもそもの間違いって話、らしいよ?」
「はぁ?」
「ああ、うん。オレも聞いたとき、そんな顔した」
意味が解らない、と言う表情のルージュに、シガレットは何かを悟ったような顔で同意した。
◆◇◆
「四ヶ月」
「はぁ?」
深夜。
シガレットは豪奢なベッドの上で、純白のドレスを着た女に押し倒されていた。
因みに彼も、女に合わせてそれなりに気合の入った格好をしていたのだが、その服は既に、他ならぬ目の前でねめつけてくる女の手によって、ズタズタにされて剥ぎ取られている。
―――襲われている。
きっと多分、そんな言葉が相応しい状況だ。
そも、彼は未だに状況が理解できていなかった。
物凄く苦いが即効性のある酔い覚ましを無理やり喉に流し込まれて、その後は頭から湯をかぶされて、混乱している間に体中泡塗れにされて、強引に身体を清められ、礼服を着させられて、あれよあれよと言う間に、大広間へと引きずり出される。
見知った顔と見知った顔と見知った顔。
それら全員が鎮痛極まりない、所謂『頭痛が痛い』ような顔をしていた。
そして、こんな夜更けにお前等は揃いも揃って何をやっているんだ、これは何の騒ぎなんだと、シガレットが尋ねようとした丁度その時である。
大広間の扉が開かれて、純白のドレスを身に纏った女が、堂々とした足取りで、その場に現れた。
女の背後には、やはり他のもの達と同様に眉間にしわを寄せた、彼女の祖父の姿もある。
棒読み、棒読み、以下省略。
視線で促されて、はい、とシガレットが頷いた段階で、どうやらそれは無事に終わったらしい。
自らヴェールを捲り上げて豪快に女が唇を奪ってきたところで、シガレットは漸く、気付いた。
―――ああ、これはオレの結婚式だったのか。
いやしかし、何故に突然。
廊下を引きずられ寝室引きずり込まれてベッドに投げ出されて圧し掛かられて着ていた服を剥かれながら、シガレットは尋ねた。
「ワシは四ヶ月も
レオンミシェリは、いよいよ初夜を迎える新婦の態度とはとても思えない威圧感たっぷりの笑顔を浮かべて、夫であるシガレットに言った。
「が……え?」
瞬き。
意味が解らなかったのだ。
「四ヶ月前、お前はあんなにも胸をときめかせるようなプロポーズを、ワシにしてくれたというのに」
「……言うのに?」
「それ以来、ろくにこっちに顔も見せずに四ヶ月! そりゃあシンク達の事もあった! 勿論解っておる! じゃがそれにしたって、やつ等が帰って来るタイミングに直ぐに併せてそのまま式を挙げてしまえばよかったというのに、お前ときたら段取りが、段取りが、段取りがとのらりくらりと何時までたっても―――!! その挙句今更、身の丈に会わないだのミスって振られたらだの、酒によって管を巻く始末! いくらワシが夫の顔を立てる貞淑な妻だとて、いい加減に我慢の限界も迎えるわ!!」
「え? ひょっとして貞淑な妻って貴女のことですか?」
「あぁん?」
「……ナンデモアリマセン、オシトヤカナオクサマ」
現状は所謂マウントポジションを取られた状態である。
迂闊な突っ込みは迂闊に過ぎた。
「冗談じゃよ。流石に初夜のベッドを夫の血で汚すつもりは無い」
微苦笑を浮かべるレオンミシェリ。
「ただな、シガレット。これだけはいい加減、そろそろ本気で覚えておけ。幾らワシでも、そう何度も繰り返すのは、照れるからな」
そして、そっと、やさしく。
場の雰囲気に、漸く似つかわしくなった声で。
「ワシも所詮は、そこらの街娘となんら変わらぬ、ただの恋する乙女に過ぎぬ。見栄を張って踵を起こして目一杯背伸びをして手を伸ばさなくっても……前にも言ったじゃろう?」
シガレットの手を取り、自らの頬へ、首筋に指を伝わせ、肩を滑らせ、豊かな双胸へと。
「手を伸ばせば、直ぐに届く」
「然り。この花は最初から高嶺になど咲いておらぬ。ぬしの直ぐ傍に―――ほれ。今も、手折られるのを、待ちかねておるぞ」
「……自分から、手折られにきてますよね、貴女」
「四ヶ月も余計に待たされた挙句、いよいよと言うところでアレだけ目の前でグズグズされてしまえば、な」
「あ~……うん、それは」
そこまで言われてしまえば、最早、謝る以外に道があるはずもない。
だが、しかし。
「馬鹿者、今更」
この期に及んで、まだ待たせる気か、と。
その囁きを最後に、寝室から、言葉は、消えた。
◆◇◆
『さぁ~、いよいよ始まります、ガレット全土を巻き込む脅威の
晴天の下に、大歓声が響き渡る。
それは、ヴァンネット城の中庭に集った一般参加の兵士たちだけではない。
城下町の市民達も、映像が伝わる他の町村、集落でも。
果ては隣国、領土の接していない国々ですらも。
今日という日を、今日から始まる大戦を、お祭り騒ぎの日々を、皆が、待っていた。
「主役の名前をいきなり略して入るのって、どうなんだろうなぁ」
「良いではないか。ワシもいまだに、お主のことをシガレットと呼んでおるし」
「いやま、好きに呼んでくれて構わんのですけどね」
中庭が見渡せるバルコニーの影で、二人は会話を交わしていた。
「お主も、ワシのことを好きに呼んでくれて構わぬのだぞ?」
「鋭意努力します……いや、努力するよ、レオ……レオ」
「何故二度呼ぶ」
「慣れないなぁって」
たはは、と情け無い顔で笑うシガレット。
レオンミシェリはやれやれと首を振った。
「いい加減、妻に敬語を使うのは止めろというのに」
「どっちかと言うとこっちの方が素なんです……なんだけどね、ホントは」
「ほぅ?」
初耳だと、新妻は瞬きする。
「まだワシに、お主の知らない部分があるとは思わなんだ」
「良いじゃないですか。時間もたっぷりあるんだし、ゆっくりのんびり互いの理解を深めていけ……いや、貴女、気が短い方でしたね」
「解っておるではないか」
にやりと笑うレオンミシェリ。
シガレットもまた、笑みを浮かべて答えた。
「まぁ、この世で一番貴女の事を知っている男では居たいな、と常々思って居ますから」
「良い意気込みじゃ。それでこそ、我が夫に相応しい―――ではついでに、その調子で階下の者達への下知を頼むとしようか」
「え? オレがやるの?」
とん、と妻に背中を押されてバルコニーに出るシガレット。
大歓声が、シガレットを迎える。
若干、冷やかしや野次も混じっているような気もするが―――それらも含めて、総じて、彼を、彼とその背後に居る女性との結婚を、祝福していた。
彼にとって、プレッシャーを覚える瞬間である。
期待に答えたいと―――失望を与えたくないと、感じるのだ。
失望される事があれば、とも。
「さあ」
背後に寄り添う女性が、愛する妻レオンミシェリが、彼を促す。
不安に感じることなど何一つ無いと、そっと、伝えるような目で。
「やっぱり良く解ってるね、オレのこと」
「当然じゃ」
何故当然なのか、と聞くほどには、流石のシガレットも無粋ではなく。
まずは、脇に控える撮影班に目配せをした後で、それから階下に集う市民兵たちに、そして、実況中継が伝わる、全ての者たちに向けて。
それじゃあ、と。
彼らしく一拍間を置いた後で。
妻と並び立ち、シガレットは。
「戦争の始まりだ」
夏空の下、宣戦する。
◆◇◆
『ビスコッティ共和国興亡記・完』
いきあたりばったりー!(挨拶)
―――はい。
と、言う訳で。
このSSも今回で終了です。
え? もう?
そう思う方もいらっしゃると思いますが、基本的に一期の時と変わらずにオチすら決めずに全編ノンストップのノープロットで進めるというのがこのSSの唯一絶対のルールですので、オチがつけられるな、と思った瞬間が、終わりなのです。
キャラの多い原作ですし、引き伸ばそうと思えばそれこそ無限に引き伸ばせるとは思うのですが、息抜きのローカロリーSSですので、気楽に書ける流れを優先させてもらいました。
続編は、きっと三期が放映開始するまで無い。
三期とかあるのか、全然知らんけど。
そんな感じで、読了ありがとうございました。
後日、暇だったら後書きをちゃんと(?)書こうかなーと思います。
なんで、質問とかあったら感想の方でどうぞ。
考えてない部分でも、即興で考えてお答えします。
ではでは、先ずはこれにて。
2012年9月24日 中西矢塚