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こんにちは、尾羽
春だというのに外は白いベールに包まれている。
心なしか音は静かで、動くものは何もない。すべてが凍り付いて止まっているかのように錯覚してしまう。車輪にかき分けられさらさらと流れるパウダースノーだけが、世界が動き続けていることを教えてくれる。
私は今、毎時160キロメートルで高速移動する鋼鉄の箱の中で、日記をしたためている。
列車の名前は第1157列車、寝台特別急行「
1960年の東京オリンピックに合わせて開業した東海道新幹線の技術を流用し、最新技術を贅沢に使ったこの樺太の大動脈、北樺太鉄道北樺太本線。
この線路は、高速度運転を可能にするために大出力主電動機を豪勢に積み込んだEF69型直流電気機関車と、高速度運転に対応した24系25型樺太仕様の豪快な走りをしっかりと受け止める。
我々には乗り物酔いどころか不快感さえ感じさせない。長旅が苦手な妻も、これにはご満悦のようだ。
樺太鉄道新法に基づき、緩和された基準によって本来の性能を余すことなく発揮できているこの機関車は、本州にいた時よりはるかに気持ちよく歌っているように思える。
「お父さん、尾羽はまだ?」
「もう、あと数十分だよ。
「ううん、優香すっごく楽しい!」
今年でもう12になる娘が足に抱き着いてきた。そういえば、自分が樺太に連れてこられた時も、このぐらいの年だった。
きっと、この笑顔の裏側に、まだ見ぬ凍てつく街への恐怖があるに違いない。昔の自分と重ね合わせ、そんなことを思う。
北樺太、尾羽。北海道の更に北の北。長く悲惨な戦争の後に平定した樺太の上半分、その最北である。
私は今、その最果ての地を鉄道をもって開発し、そしてこの最北の要塞をより堅固なものとする使命を帯びている。北部樺太開発鉄道社長。それが新しい私の肩書だ。
優香、私も怖いよ。この街で何が待ち受けてるのか。だがそれと同時に、私は楽しみで仕方がない。この真っ白なキャンバスにどんな絵を描けるのか。わざわざ国鉄の東京西鉄道管理局長という肩書をかなぐり捨てて来たのだ。中途半端は許されない。緊張感と期待が入交り、心臓の鼓動を速めていく。
優香、お前もそうだろう?
EF69電気機関車の
終点にたどり着けば、その終点は始点になる。
次の停車駅は、終点・尾羽。
1970年。世界は東西冷戦の真っ只中。
これは、日本最北の市である「尾羽市(ソビエト名・OXA)」を鉄道輸送という点から支えようと奮戦する、鉄道マンたちの物語である。
氷に閉ざされた物語が、今始まる。
「オハーオハーオハーオハー、尾羽でございます」
列車が完全に停車する前に、到着を告げるホームアナウンスが響く。
「長旅お疲れ様でございました。
ドアが開くと、越谷を待っていたのは仕立てのよさそうな制服に身を包んだ鉄道員だった。髪は黒かった時代の名残を未だ残していて、顔には年季の入ったしわが刻まれていた。
「はい、そうですが」
越谷は、貴方は?と聞き返しそうになったが、それは必要のないことだと思い直した。仮にも新任の社長だ。それを迎えに来るのは重役だろう。そして、駅の一番の重役と言えば当然一つしかない。
「お待ちしておりました。駅長の
ステーション・マスター。駅長だ。
大場川は
「お荷物を」
そう言って手を差し出す大場川。越谷はそれを手で制した。
「いえ、それには及びません。その代わり、どうか家族を新居までご案内いただけませんでしょうか?」
「かまいませんが、社長はどうなさるのですか?」
びっくりしたのだろう。大場川は少し目を見開いたのち、こういった。
「先に少し、周りをよく見てみたいものですから。よろしいですか?」
越谷は特にアテもなかったが、こう答えておいた。我ながらいい加減なものだと自省するが、一刻も早くこの街と自分の鉄道を見ておきたかったのは事実である。嘘はついていない、と自分に言い訳した。
「わたくしは意見を申し上げる立場にございませんので、それでよろしいのなら」
駅長はそう言うと、越谷の妻子を連れて去っていった。妻は長旅の疲れがあったのだろうか。少し顔が暗かった。
「さて、どうしたもんかね」
越谷は誰もいないホームの上でひとりごちる。そしてあたりをきょろきょろと見回す。すると自分の後ろにEF58-180とかかれた機関車が鎮座していた事に気が付いた。その顔は、まるでこんな場所に連れてこられたのが不本意だとでも言いたげだった。
越谷はともかく、階段で地下通路へと下った。地下通路はまさに出来立て、という感じであった。ごちゃごちゃとわかりにくいながらも、工夫の跡が僅かばかり覗ける案内表示が整然と並ぶ。
越谷はとりあえず東口へ行くことにした。本社や町の中心部は東側にあると聞いていたからだ。途中、通路の突き当りに「駅員室」と書かれた部屋を見つけた。そこから一人の青年が出てきた。越谷はその青年を呼び止めることにした。
「ああ、すみません。ちょっとお尋ねしたいのですが、ここに北部樺太開発鉄道の駅員さんはおりますかね」
「
「いえ、その開発鉄道の社長をすることになった人間なのですが、社員がどのような感じなのか見てみたくてですね」
そういうと、青年はゲエという音を出して豆鉄砲をくらった鳩のように固まった。
「これは失礼いたしました。僕、開発鉄道の人間なんです」
越谷にしてみれば幸先が良かった。たまたま呼び止めた得体のしれない人間は、自分の部下であったのだ。なるほど、これがわが社の制服か。覚えておこう。越谷は真新しさが残る青みがかった制服を記憶した。見本の写真を見せてもらった時より幾分か安っぽくなっているように思えたが、気にしないでおこう。
「そうでしたか。では、いきなりで申し訳ないのですが現状何か思い当ったり感じていることはありませんか?」
「そうですね、この駅には開発鉄道の人間が自分と駅長しかいなくて、それが少し不安に思うぐらいですかね。北鉄の人が良くしてくれるので、寂しくはないですけれど」
「そうですか、ありがとうございます」
件の青年は、まだ自分が置かれている状況をよく理解していないようだった。未だに狐につままれたような顔をしている。
越谷はそのまま去ろうとした。そして、一つ忘れていたことに気が付いた。
「ああそうだ、君のお名前は?」
「あ、
「綱島君ですね。社長の越谷です。どうもありがとう」
越谷は会釈をしてそのまま踵を返して階段を上った。綱島は未だぽかんと口を開けていた。
外へ出ると、掃けられた雪が山積みになっていた。越谷は足元はぐじゅぐじゅになっているもんだとばかり思っていたが、掃けられてなお雪が敷き詰められており、心地よい音がブーツを濡らした。
駅前はターミナルになっていた。広い広場があり、その向かいに国策企業デパート「
ターミナルは何やらバス停のようなものが一列にかなりの長さで用意されていた。だが、見たところ使われていないようだし、バス停はそもそも他のところにあるはずである。では、あれはなんだ。
近づいてみて越谷は気が付く。道路と思われたところに線路があったこと。その線路は石畳で舗装されていた。典型的な併用軌道、つまりは路面電車である。
バス停、ではなくこの場合電停と呼ぶにふさわしいものには、私が社長として赴任する「北部樺太開発鉄道」の文字とそのマークがかかれていた。我が鉄道の路面電車線だ。
そんな「電停」に列車が入ってきた。いや、この場合ここは電停ではなく法律区分上は信号の取り扱いがあるため駅に相当すると考えるのが普通で、なぜならこれは軌道ではあるがこの鉄道の根拠法は軌道法ではなくあくまでも樺太鉄道新法によるものだから、と越谷がくだらないことに思案している間に、列車は越谷の目の前で停車した。
その列車は、試運転と書かれていた。青い車体に白線の入った車両。ブルートレインである。前の方を見れば、真っ黒な機関車と茶色い電車がつながっていた。越谷は前に行き、機関車のナンバーを読み上げた。
「88・・・653・・・?」
8620型蒸気機関車88653号機、いわゆる「ハチロク」である。かつては樺太から台湾までを走り抜けた栄光ある日本初の純国産蒸気機関車だ。その姿の美しさは言わずもがな、「絶対に空転しない機関車」の名前は伊達ではなかった。越谷は、直接的なかかわりは薄いにもかかわらず、ここで出会えたことを少しうれしく思った。
1914年に製造が開始された彼ら。軍艦でいえば、今は亡き日本初の超弩級戦艦「金剛型」が登場し始めたあたりである。偉大なる大正娘に出会えたことに感動を抱いたとしても、不思議ではないだろう。もっとも、大正娘といってもその設計の優秀さにより現在でも現役である。(近代蒸気機関車としては最古参級であるにも関わらず!)
その偉大な機関車様は、茶色い電車に引っ張られてブルートレインとともに去っていった。路面電車用の併用軌道を特急用の車両が堂々と走り抜けるさまは、なかなかに興味深いように思われた。
もっとも関西を中心とした私鉄、特に関西鉄道の京阪線・奈良線などの京都・奈良の末端区間では1970年現在でもよく見られる光景なのだが、いかんせん越谷は東京の人間だ。知識としてそれを知っていたとしても、実際に見ていない分衝撃は大きい。
見れば、ホームの端っこにはカメラを抱えた「てっちゃん」が群がっていた。やはり、珍しい光景なのである。そしてこんな最果ての地にも熱心なてっちゃんはやってくるらしい。それは鉄道会社の社長として嬉しいことだった。
線路は街道と伴に市の東側海岸に位置する商用の港、「
なるほど、尾羽市
街はそこそこ人通りが多いように思えた。越谷にしてみれば、どうもこのような寒い土地は人通りが多いイメージは抱きにくいので、少し驚いたように見える。
ガシャンと轟音が轟いた。高い建物に囲まれているせいかその音がより大きく聞こえたように思う。見ると、戦車を乗せた貨物列車がゆっくりと動き始めたようだった。
蒼く光る機関車は、甲高い一定の音を出しつつ、モーターのうなりをあげていく。控えめな送風機の音がする。最新技術の電子機チョッパ制御による大出力・連続無段制御を実現したかの機関車は、40トン近い戦車を軽々と運んでいく。
上空では、中等練習機であろう零戦練習機が訓練飛行をしていた。とっくに最前線から退役したゼロ戦だが、練習機としては未だに現役らしかった。だが、練習機としても近頃ほとんど退役済みであるらしいことを知っていた越谷は、見慣れた機影が飛び出してきたことに驚きを隠せなかった。
「まだまだ、頑張っているんだなあ」
往年の白色に戻された零戦練習機はゆうゆうと飛んで行った。海上飛行訓練か、それとも着艦訓練か。海の方へ去っていく。
越谷はふと思い返して街をもう一回見回してみる。そういえば軍の制服の者が多い気がする。なるほど、ここは確かに「城下町」だ。
てっちゃん通りを、野砲と思しきものを積んだ貨物列車がやってきた。この北部樺太開発鉄道、もとはと言えば軍用軽便鉄道である。というより、その軍用鉄道を地域の市民に開放するために設立されたのが、この北部樺太開発鉄道なのだ。
国鉄規格の一〇六七ミリ軌間で、本線用の大型機関車が闊歩するのにどこが軽便だ、という気がしないでもないが、軽便は軽便である。軍が軽便と言えば、それは軽便なのである。運輸省が認めてしまったのだから仕方がない。
無骨なつくりの陸軍工廠制の機関車が通り過ぎる。北部樺太開発鉄道発足前である今、ここは確かに軍用鉄道だった。
市電ターミナルを通り抜け大通りを渡ると、そこには樺太庁の尾羽支所と尾羽市役所がある。そして、我らが北部樺太開発鉄道の本社は尾羽市役所の1階から4階及び11階に併設されているのである。
そう、何を隠そう、我が北部樺太開発鉄道はこの日本でも数少ない、地元自治体と運輸省・陸海空軍の出資による第三セクター鉄道である。
北樺太開発鉄道。この尾羽市を開発するために設立された「開発鉄道」だ。なぜこんな辺境を開発するかと言えば、この街にある軍事拠点を支える「城下町」を作る必要性があるからだ。
ここは最北の軍事拠点でもある。そして、陸海空軍が一堂に会し、すぐ隣にあるソビエトを睨むのである。海軍の航空戦力が減少している今、この最北の軍事拠点は最強の不沈空母となるべく要塞化がすすめられている。
その城下町を発展させるために設立されたのが、この
何分、ハコモノコンクリートでできた吹けば高空まで飛ぶような小都市である。そのための鉄道など当然どこも経営したくない。縄張りへの配慮や譲り合いという名のたらい回しにあった結果、それぞれが均等に痛い目に合う「第三セクター」で折り合いがついたのだ。
なお、同じ理由で第三セクターとなったあの高速路線、字面が似てて紛らわしい
北樺太鉄道は国鉄と樺太庁の第三セクターである。
一方で北樺太開発鉄道――通称:発鉄――は、そこに地元市町村である尾羽市と、そして軍が加わる。
尾羽市は完全な要塞都市だ。要塞地帯法も適用される完全な要塞地帯である。その市内を走り、密接に軍事輸送とかかわるこの鉄道を、軍は完全に手中に収めたかったのである。
そして元はと言えば軍用線であるものを民需に開放するといっても、不祥事に次ぐ不祥事を起こし、そのほとんどにおいて被害をこうむっている陸軍が、国鉄の勢力下に自らの生命線を預けたくないと考えるのも自然な流れだろう。
数十年前の燃料輸送列車脱線事故で街を一つ焼き払って以来、軍内部に国鉄に対し不信感を覚える勢力が一定数存在するということは有名な話であったし、特に陸軍において国鉄を毛嫌いしている層がいるというのは越谷も肌で感じていた。
言ってしまえば、くだらない方向にふか~い事情の為に分断され、結果として全方向一両損でなあなあで済ませているのがこの鉄道だ。もっとも、何のかかわりもないのに一両損をさせられている我々にとっては、ふざけるなとしか言いようのないのだが、国防にまつわる話である。我慢我慢。越谷は青筋のたちそうなこめかみを軽く揉んだ。
とりあえず越谷は本社入り口から建物に入った。どうやら市庁舎と入り口が分けられているようだ。まあ、当然だろう。場所を間借りしているわけだが、内部構造は完全に仕切られて分割されているようだ。
ともかく、入り口の案内を見る。なるほど、社長室は当然と言えば当然、4階にあるようだ。てっきり11階にでんと広く設けられているとばかり思っていたが違うらしい。だがよかった。11階なんぞに自室があったら、移動が大変である。越谷は少しほっとした。彼は根っからの「地面好き」である。あまり宙に浮いた所は好まない。人はそれを高所恐怖症という。
4階に行くと、社長席は存在したが社長室は存在しなかった。普通のオフィスの上座に、偉そうに構えたデスクがあるのみだった。なんだか校長先生にでもなった気分だ。
社長デスクの隣には、それよりかは幾分か偉そうではないデスクが鎮座していた。恐らく重役のデスクだろう。本当に学校の職員室のようだ。
越谷は少し戸惑いつつも、自分のデスクへたどり着いた。社長用デスクが普通のオフィスの、いわば校長先生の位置にあることが妙におかしく思える。ただ、申し訳なさそうに菓子折りと生け花が添えてあるのが、なんとも物悲しい雰囲気だった。
暫くして、少し周囲がざわついているのを感じた。無理もない、新しい社長が突然現れたのだ。女性から睨まれた気がした。すでに私は嫌われているのだろうか?
「越谷社長ですか?」
ついに声をかけられた。声の主の方を見ると、眼鏡をかけた青年が立っていた。
「そうだ。私が越谷だ。君は?」
「統括本部長の
統括本部長、つまりはこの会社の№2である。それはすなわち、越谷の隣の
「私は大丈夫だが?」
「ありがとうございます。では、立ち話もなんですし会議室の方へご案内いたします」
越谷にしてみれば、今日は社員に紛れ込んで侵入しついでに雰囲気を確認し、そしてデスクに私物をちゃっかり置いてそれで終わりのはずだった。が、なんだかこの男と話してみたくなった。
「いいだろう。案内を頼む」
幸谷は首肯すると、踵を返して歩き始めた。
北樺太
樺太北部地方の通称。一般的に北緯50度線より北側の地域を指す。
石炭・石油などの地下資源が豊富であり、戦後すぐに開発が行われた。
今後の発展が期待されている。
尾羽市
日本最北端の市。
豊富な石油資源を持つ。
戦前より日本による開発が行われ、戦後は軍事的拠点として整備された。
近年では観光開発を行おうという動きもあり、動向が注目される。