真久線は、かかる帝都復旧に際して万世橋~東京駅間および汐留(暫定)~東京駅間の工事に線路を捻出するために一部の複線化工事並びに交換駅設備設置工事を全面中止した。
新宝台隧道の開通や勾配区対応機関車の設計完了もあり、西線行列車を真久線経由で運行する必要がなくなったため。
国鉄では見返りとして、真久線方面へ暫定的な大泊発臨時直通急行を運行する予定であるという。
北方日話 昭和42年7月12日 朝刊(農繰来版)
会議室はまさに風雲急を告げられていた。
「国鉄いい旅1970」への参加が具体的な段階に進んだのだ。調整と変更が絶え間なく決定され、会議室の電話がやむことなくなり続ける。
騒々しい状況で、桐谷はつぶやいた。
「流石にそう二つ返事でいいですよ、とはならんよなあ」
幸谷の情報網により知ることとなった「国鉄いい旅」計画であるが、発鉄からの公的な問い合わせへの国鉄の態度は硬かった。
「どうも、樺太方面への無秩序な適用線区拡大に、運輸大臣が待ったをかけたようだ」
「結局国鉄は運輸省の外局でしかありませんや。国鉄長官も、次のポストが惜しくてはどうもならんでしょう」
目の前にある国鉄からの通知書。そこには以下の通りの旨が記載されていた。
国鉄は北部樺太開発鉄道に対し、国鉄いい旅計画への参加を認めるものとする。しかしながら、参加申し込み期限を大幅に過ぎたる上に、当該地の情勢不安なるものと認められることから、以下の条件を申し付ける。
1)治安上の不安を払しょくすること
2)鉄道を多客に耐えうるものとすること
3)鉄道として魅力のあるものとすること
4)以上の条件が達成されたとしても、印刷期日の関係上からパンフレットその他による誘導は確約できないということを了承すること
「なかなかに困難で、なかなかに実りの少ないものになりましたな」
幸谷の話では、国鉄いい旅計画への参加に伴って、様々な便宜が国鉄から図られる手はずだった。そしてそれは、国鉄の全国津々浦々鉄道計画に則って、復興予算を用いて行われるはずだった。
この計画は、いわば帝都復興に協力してくれた地方へのお礼である。もっとも、そこに鉄道利用の増進や議員の地方票の確保などと言うウラ事情が見え隠れするわけではあるが、建前上は車両を供出させられた地方鉄道や線路を供出させられた内子線などへの、協力してくれた地方線への感謝というものが前提であった。
そして、これは観光復興、つまり観光を担う鉄道としての役割の復興もにらんでいる。魅力的な鉄道を使って魅力的な観光地へ行く。
ただ輸送に徹する鉄道、からの脱却。すなわち多角的に必要とされる鉄道を目指した、国鉄の賭けであった。
「もともとは樺太の鉄道は範囲外にする予定だったんだが、後者の理由により樺太にも適用することが決まったらしい。しかし、本音を言えば国鉄はあまり発鉄に協力したくないらしい。なんでも『地方線のお世話はもうこりごり』だそうだ」
越谷に取り次いだのは国鉄本庁の若い担当だった。ちょっときつめの物言いをしただけで本音をぽろぽろ漏らしてくれたものだから、越谷はそれ以上問い詰めることができなかったようだ。
「どうなんです? 英雄越谷の権威を使ってねじ込めないんですか」
「今の鉄道長官は十合派の後藤さんだし、運輸大臣は立憲党の中でもかなり親国鉄派の吉田さんだ。出来なくはないだろう。だが、そうやってツテをたどってねじ込んだものがいい方向へ転がったたためしがないと、十合長官が言っていた。やめておこう」
できなくはない。その一言が幸谷をムッとさせたが、幸谷は涼しい顔をして会議を前に進める。
「とりあえず、(1)に関しては治安当局や軍当局のお仕事ですからいいとして、その他ですね。(2)はどうでしょう。多客に耐えうるようにする、とあります」
「その件についてだが、私はこれを機にやはり増発したい、と思う」
この発言には、役員全員びっくりした。てっきり、利用状況の不振を見て、話が流れたと思っていたからだ。
今まで割と越谷寄りの立場であった桐谷でさえ眉をひそめた。
「社長、あのですね……」
呆れたように声を出す幸谷を手で制して、越谷は続ける。
「利用率不振で、増発。矛盾しているように聞こえるのはわかる。ただし、これは決して矛盾はしていないのだよ」
「増発により、今まで以上に待たずに電車に乗ることができる。つまり、利便性が向上する。そういうわけですか?」
幸谷がすらすらと越谷の言おうとしていたことを言い当てる。
だが、そこには重要な点が抜け落ちていた。
「そうだ。それを、既存列車の輸送力を減じた上で行う」
桐谷は目を見開いた。列車を削減せずに連結する車両数を減らすという考えはこの男の中にはなかったからだ。
「イチ列車から減じた分の車両、つまり6両編成であればこれを4両又は2両編成に減じ、余った2両ないし4両、を増発分に回す。すると、輸送力は変わらずに列車本数は二倍になる。現在、最頻区間では10分に一本列車が来るから、それが倍になれば5分に一本だ。5分間隔。関東人の間隔としても便利であると言えるんじゃないか?」
そして、全国の「市電」における平均的な待ち時間でもある、と越谷は付け加えた。しかし、これには決定的な難点がある。
それを幸谷は見逃さなかった。
「社長、騙されませんよ。それを達成するには先頭車が足りない。先頭車がなければ列車は動きません」
いくらエリート組だって、クハとモハぐらい知っているんです、と幸谷は付け加えた。
通常、電車は両端の運転台を持つ先頭車(制御車)と動力車によって構成される。例えば、以下の通りの編成があったとする。
・制御車(クモハ)+動力車(モハ)+動力車(モハ)+制御車(クモハ)
この場合、制御車+制御車、動力車+動力車の組み分けを産むことになるが、これでは制御車+制御車の組み合わせはまだしも、動力車+動力車の組み合わせは運転を行う事が出来ない。
それについて越谷は対策を持っていた。
「それについては手がある。例えば、環状線の列車は一方向にしか向かないのだから、最後尾に
越谷の提案は、つまりこうである。
環状線で運行する場合、終端駅で折り返す、と言うことがないので、先頭にのみ制御車があればよい。よって、制御車の数は二分の一でよい。
さらに、動力車+動力車の組み合わせの両端に、除雪用に調達した機関車などを組み込めば、同じように問題が解決するというのである。
「しかし、そんな無茶苦茶なやり口でなんとかなりましょうか」
なおも食い下がる幸谷に、越谷は一言、つぶやいた。
「ユーファーズ、だよ」
「は?」
「
なぜ今、華国の言葉を。皆が一様に頭にハテナを並べたところで、越谷は雄弁に語る。
「これは、かの有名な国鉄の雷帝、十合元局長の言葉だ。局長は新幹線建設のずっと前、満州の時代からこの言葉とともにあったわけだが、結果として不可能と思われていた新幹線建設を、この言葉とともに成し遂げている。幸谷君、君もこの言葉を知らない訳ではあるまい?」
幸谷の記憶の中で、あのおっかないオヤジさんの顔が浮き出てくる。そういえば事あるごとに、まるでくしゃみのように何かを叫んでいた気がした。
「あれ、ユーファーズって言っていたんですか」
冷めた目線を送る幸谷だが、それに反比例するように越谷は熱弁をふるいだす。
「そうだ。あれは元長官が満鉄幹部だった時代に民国の有力者から教わった言葉だそうだ。もともとは
そして、華国ではずっと、没法子の方が多く使われ、それではいけない、有法子の精神でなければならない、とその有力者は民国人を奮い立たせて回ったそうだ。
さて、見てみたまえ。今民国は急発展を遂げている。まだまだ我が国に遠く及ばずとも、我こそがアジアの屋台骨たらんと死力を尽くして、今や民共国境線を単独で維持できるだけの国力が育ってきている。我が国からの支援が必要無くなる日も近い。これは、彼の国が
では、日本ではどうか?
十合長官は不可能と言われていた弾丸列車計画を大成させた。30年はかかると言われた帝都復興を、たった7年で成し遂げた。当然、苦労はひとしおだ。陸軍との折衝、土地のやりとり、事故、事件、様々だ。だが、その度に十合長官は
さあ諸君、まさか我々にこれができないとは言うまい。新幹線開通も、東京五輪も、帝都復興も、全てを成し遂げた我らが日本人に、何もできないというのかね?
それは
さあ、有法子の言葉と共に、進もうじゃないか!」
越谷が言い終わると、桐谷が感極まっていた。桐谷は越谷の手をはっしと握る。
「そうです、その通りです社長! やってやりましょうや、こんなもん。今すぐ持ち帰って検討させます。まあ、大方うまくいくでしょうし、うまくいかなきゃ車庫で寝てる廃車予定車でも叩き起こしてなんとかさせまさぁ! 鉄道としての魅力、の件は、こちらの特別列車構想で何とかして見せましょう。有法子、いやあいい言葉です。やってやれないことは、無い!」
目を潤ませながら首をぶんぶんと振る桐谷を、幸谷はまるで馬鹿を見る目で見つめている。
「我々の行く先は確かに苦しい。だが、ここで諦めては長官に合わせる顔がない。きっと、策はあるからそのつもりでやろう」
思い出すは暗中模索の新幹線計画期、そして絶望の復興期。天から降り注いだ雷「有法子!」を胸に、やるしかないんだ。
越谷の胸中は穏やかじゃない。暗闇に出口の光を見つけたと思ったら、それがトンネル灯であったかのようながっかり感に襲われていた。
だけれども、この線路の向こうには必ず出口がある。越谷は信じるしかなかった。
悪いことは、続くものである。
尾羽駅の西にある、治安の悪い地域の粗悪な建屋に、三田はあられもない姿で寝かされていた。
「分かっているだろうな」
男がそう言うと、三田はびくりと身体を震わせた。
隙間風が吹きすさぶ暗闇の中で、三田は薄いボロ毛布一枚を身体にまといながら鼻をすすらせている。
何も答えない三田に業を煮やした男が、三田の髪の毛をひっつかむ。
「きちんと情報は伝えたはずじゃ」
「それじゃ足りなくなったんだ」
「そんな……」
三田は涙を流しながらひたすら目をつぶっていた。男はその瞼を無理やりこじ開けるかのように顔面を揺さぶってくる。
「いいか、今度はお前がやるんだ」
三田は、か細い声で了承を伝える以外に何もできなかった。
それを認めた男は、暗闇の中で笑い始めた。
「これで、これでいいんだ。まったく、冷や冷やさせる」
三田は笑い声から逃げるように耳と目を塞ぐ。きっとひとしきり笑い終わったらまた自分を求めてくるに違いない。今度は朝まで続くだろうか。
絶望の淵で、声にならない声で三田はつぶやいた。
「たすけて、おおみやくん」
その声が、絶対に届くはずがないと知りながら。
電気車輛(電車)の略号
・編成区分
ク:運転台付き車両【制御車・c】
モ:モーター付き車両【電動車・M】
サ:運転台・動力を持たない車両【付随車・T】
クモ:運転台・モーター付き車両【制御電動車・Mc】
・等級区分
イ:一等車
ロ:二等車
ハ:三等車
※そのほか、二等車と三等車が混在するロハなどが存在する。
以上を組み合わせ表記する。
例:クモハ 三等制御電動車
クモロハ 二等三等合造制御電動車
その他、荷物車を表す「ニ」、事業用車を表す「ヤ」、救援車を表す「エ」などが存在する。
【鉄道の基礎知識:北方新書 1969年】
事業用車
旅客輸送や貨物、荷物輸送の任に就かず、廃車体の牽引や検査車両の牽引、線路保全、鉄道部品の輸送のみに従事する車両。
救援車
事故などが発生した際に、救援要員や救援物資を輸送するための車両。
通常は不測の事態に備えて車庫内に留置されていることがほとんどであれば、北部樺太開発鉄道の様に救援車を日常的に使用して営業している例もある。
運輸省 資料(2)
※外部向け説明資料と思われるものの詳細不明