国会 昭和40年度予算委員会 国鉄副特別復興総局長 蒲生氏答弁
「いったいどうしろというのだ!」
東京・丸の内、国鉄新庁舎ビル。その最上階に近い会議室で、特命人事委員長に任命されたばかりの
「自業自得じゃないですか」
「わかっている! だから腹立たしいんだ!」
彼の苦悩とそれに伴う激怒の訳は、3月22日にさかのぼる。
東京駅に万歳三唱と歓声が響き渡る。7年ぶりに東京駅に列車がやってくるのだ。
身体を芯から震わせるような警笛の音が聞こえてくる。その音は有楽町の方からやってきて、少しづつ少しづつ近づいてくる。
列車は新大阪発東京行こだま114号。あの凄惨な帝都テロの日、小田原駅で来るはずのない出発合図をずっと待ち続けた列車である。
その列車が、7年と約470分遅れで終着駅に到着するのだ。
21番ホームの奥に鋭い光が見える。その二つの眼はだんだんと近づいていき、ついにその精緻で優美な姿をスポットライトの下に映し出した。
0系新幹線。その丸く突き出したノーズが空を切り、青いラインを光らせながら堂々と入線する。ブロアー音が響き渡りながらも静かにゆっくりと、停車位置まで身体を滑り込ませ、ついにその巨体は静止した。
車体上部のドア灯が点灯、ドアが開く。歓声を上げながら乗客が降りてくる。
万雷の拍手と歓喜の声を聞きながら、当時こだま114号の車掌長であった男はこうアナウンスした。
「毎度ご乗車ありがとうございました。終点、東京です。途中、7年と470分もの遅れが発生いたしましたことを、詫びいたします。どうか皆さま、お気をつけて」
3月22日、0時0分。新生東京駅の各番線から一斉に警笛が鳴り響いた。その音は有楽町を優に飛び越え、遠く汐留まで響いたという。この音を最後に、汐留は旅客駅としての役目を、再度終えることとなった。
列車が動き出す。あの日のあの時、東京駅在来線ホームには5本の列車が存在した。
そのうちの一つが、動くホテルとも言われたあさかぜ、その中でも名士列車と言われたあさかぜ号である。
一人の婦人が涙を流しながら列車に手を振った。その視線の先には臨時あさかぜ91号がある。
帝都テロに巻き込まれ、灰塵と帰した「あさかぜ号」のひとつである。
このご婦人の主人は、あさかぜ号に乗って遠い東京で出産に臨む彼女を見舞いに来たところで、テロに巻き込まれた。
帰りは、このあさかぜ号に乗車する予定だったという。
婦人の隣には、すっかり大きくなった息子の俊樹君(7)が、亡くなった主人の遺影を持ちながら列車を見送っていた……。
あさかぜ号だけではない。中央線電1124H列車、横須賀線電1020S列車、東海道本線855M列車、同3233列車、同電8711M列車、山手線、京浜東北線……。
あの日、東京駅を発車できなかった列車、東京駅にたどり着けなかった列車。それぞれが、一斉に動き出した。
割れんばかりの喝采。煌びやかに光るフラッシュ。悲喜交々の歓声。それらすべてを包み込むように、太い警笛が鳴る。
「とうきょう~、とうきょう~。終点でございます」
深夜であることが信じられないような熱狂の中で、人々はここにテロの終結を感じ、そして新たなる復興の段階へ進んだことを実感したのだった。
ここまではいい話である。問題は、この出発式に出席した来賓である。
このテロからの復興のその最たる象徴である東京駅の再開業式である。各界から早々たる面子がそろった。
しかし、そこに二人の姿はなかった。二人とは、十合特別復興総局長と、越谷卓志西東京鉄道管理局長(当時)のことである。
特別復興総局とは、壊滅した首都圏の鉄道を再生するために設置された部署である。当時の国鉄における最重要部署である。そのことは新幹線総局などの「総局」の更に上である「特別総局」とされたことからも明らかである。
その中で、総局長である十合氏の活躍は絶大だった。その確かな信頼と実績、そして「国鉄大家族の家長」とまで称されたカリスマ性はこの窮状であってもいかんなく発揮された。
片や、越谷卓志は八王子指揮所の活躍やその後の復興輸送における西東京鉄道管理局長としての活躍が大いに評価されていた。
当然市民はこの二人が式典に呼ばれているものだと思っていた。いや、呼ばれているものだと思い込んでいたために、呼ばれていないことに誰も気が付かなかったのである。
それに気が付いてしまったのは、熱狂から一日たったあるテレビのニュース番組であった。
映像をいくら確認しても両名の姿が見えない。国鉄に確認を取ると「両名は出席していない」との返答。これが報じられた直後から、風向きが少しおかしな方向へ変わり始めた。
「大オヤジと英雄をのけ者にするとはいい度胸だ」
翌週の世論調査では【両名が式典に出席
また、国鉄現場は荒れに荒れていた。労使問題を「親子不和に終止符を打つ」とばかりに解決した親父十合、現場出身でスターダムを駆け上がった英雄越谷。この二人を排除することすなわち、現場への抑圧であると捉えた国鉄現場職員は少なくなかった。
早速、四国鉄道管理局や八王子管理所、中央線沿線の駅などから連名で事情の説明や事態の打開を求める上申書が提出された。
更に、各鉄道管理局や現場なども同調の姿勢を見せ、北海道などでは当局を非難する集会が行われたこともあった。
これ以上の騒動の拡大を恐れた国鉄は、その
ここは特命人事委員会。ただの人事局ではない。この問題を解決するだけの特別な人事委員会、つまりは窓際部署であった。
「まあ、元はと言えば蒲生さんが問題起こして、そのしりぬぐいを十合さんと越谷さんにさせたのが悪いんじゃないですか。十合さんは責任取って辞めちゃうし、越谷さんは樺太に居て式典参加できないし」
「仕方がないじゃないか! 私だってあんなことになるとは思わなかったんだ」
彼、蒲生がしたこと。それは、北部樺太開発鉄道の新社長に、つい先日逮捕された「喜多川康志」を強く推したことである。
喜多川康志の逮捕で国鉄は混乱。事態収拾の為に上司である十合は責任を取り総局長を辞任。越谷は新社長に抜擢され樺太へ。ダイヤ改正の日までに、二人は国鉄を去っていたのである。
国鉄を不名誉辞職した者、そして新たな任務の為に樺太へと赴いた者。どちらも東京の式典には出られまい。なぜそんなことになったのだと問われても、何かの因果で、以上の答えは見つけられない。蒲生は歯を食いしばりながら唸ることしかできない。
「最初からまともな者を樺太に送っていれば、と私でも思うよ。しかし、まともな人間が樺太なんかに行きたがるか?」
喜多川康志は“まとも”ではなかった。少なくともテロ後、急にまともではなくなったうちの一人だった。
「樺太行きを飲んでくれるような人材は貴重なんだ。一時は北樺太出向が人権侵害だと騒がれたことだってあったんだぞ?」
「最近は人気らしいじゃないですか」
「そうじゃない。まともなポストにある人間にとって、だ。いいか、あそこまでの地位に居ながら簡単に北樺太行きを決断できる人間なんて、まともじゃない人間以外にはこの世に英雄越谷しか居ないんだよ!」
蒲生は頭を抱えて座り込む。何もできない、無為な時間が蒲生をたまらなく焦らせた。
ここはいわゆる窓際だ。しかし、蒲生にとっては完全な窓際とは言えない状況なのだ。なぜなら、ここはかろうじて本庁にあるからだ。
国鉄はこの件を憂慮している。全体では国民の36%がこの件に不満を持っている。この話題に興味を持っている者だけで集計すれば過半数がこの件に不満を持っていると言える。
国鉄批判に花が咲かないうちに、この問題を可及的速やかに解決したいと、国鉄は考えている。
つまり、ここで結果を出せば出世コースへの復帰はあり得るし、ここでしくじれば“本物の”窓際への移動もあり得るのである。
「鉱業課は嫌だ……鉱業課は嫌だ……」
「鉱業課の人に失礼じゃないですかね」
まるで鉱業課が島流し先とでも言わんばかりの蒲生に、部下である篠井が水を注す。
「今、鉱業課に配属になれば、このまま直接樺太行きだぞ! 樺太行きなんて認められるか! クソッタレ!」
肩をいからせながら蒲生は叫ぶ。篠井はそれを冷めた目で見つめていた。
「どうやったら二人を取り戻せる……。せめて、越谷だけでも……」
「あきらめましょうよ。一度放してしまった鳥が、二度と帰ってくると思いますか?」
「訓練すれば帰ってくるだろう」
「帰ってこないから数日に一回は『飼い鳥を探してます』っていう張り紙を見るんですよ」
「ええい! うるさい! とにかくだ! どんな手を使ってでも取り返さねばならんのだ! ……ッハ! そうだ! いいことをひらめいたぞ」
「なんです?」
「発鉄が無くなれば越谷は帰ってくる。そうだ。どうにかして発鉄を潰せばいいんだ」
予想通りロクでもないことを考え始めた蒲生を、篠井は形式的に止める。
「それ、国鉄の体裁は大丈夫なんですか? それに、同じ引き戻すでも、発鉄を成功させて栄転という形で戻した方が恰好が付くと思いますけれど」
「物事と言うのは、何かを成すより何かを壊す方が楽で速いのだよ。考えてもみたまえ。発鉄の成功なんて待っていたら何年かかるがわからないが、発鉄潰しなら少なくとも一年以内にはなんとかなる。長期戦にはならない。それに遠い樺太で起きたことなんて、国民は誰も気にしないだろうしな!」
「体裁は? 発鉄は一応国防名目の組織ですよ」
「それはこの間外事局の連中からいい話を聞いたんだ。どうも、外務省は発鉄をあまり良く思っていないらしい。それに、陸軍の一部も発鉄を潰したがっているらしい」
「まだ開業から間もないのに」
「なに、開業直後の路線が廃止になるなんてよくある話じゃないか。日本最短記録は、開業前に廃止になった案件だぞ」
「あれはテロ絡みの部品供出の為でしょう……」
篠井はあきれ果ててものも言えない、といった面持ちで蒲生を見つめた。
「よし、これから我が委員会は全力を挙げて発鉄を潰すぞ! いいな!」
「勝手にしてください」
篠井は蒲生に取り合わず、静かに部屋を出た。
その後ろで、蒲生が喚き散らしているのだけが聞こえた。
ジリリン。机の上の黒電話が鳴った。他の者を手で制して幸谷は受話器を取る。
「はい。発鉄統合本部ですが」
『ああ、もしもし。幸谷か?』
「……いや待て。その喋り方は篠井だな?」
『よくわかったな』
笑い混じりにそういう相手に、幸谷は呆れ半分でこう返す。
「電話口でいきなり『幸谷か?』なんてつっけんどんに行ってくる奴はお前さんしかおらんよ。なんだい、樺太で一人寂しく働いている
『君と俺の仲じゃないか。迷惑だったら掛けなおすよ』
「いや、構わん。ちょうど煮詰まっていた所だ」
幸谷はペンを置き、あくびをしながら答えた。
『何があった』
「ちょっと利用状況が芳しくなくってね。将来の見通しが立たん」
『意外だな。いくら私鉄と言ったって、国や庁や市、軍から金が出るだろう。それに、国鉄じゃないから簡単に銀行から金も引っ張ってこれる状況で、窮することがあるのか』
「私鉄じゃなくて三セクだ。そう簡単にはいかないさ。収支の赤が一定を越えれば廃止議論が起こるし、一定以内の赤に収めたところで尾羽の財政に不安が起きれば補助金打ち切り議論、その先は存廃議論、そして廃止さ」
口に出してみて背筋が冷える思いがする。つい昨日、発鉄の利用状況について尾羽市議会で質問が飛んだばかりだ。尾羽市の放漫財政は未だ留まるところを知らないし、決して想定できない未来ではないことが幸谷には恐ろしかった。
『どうするのさ』
「会議ではとにかく尾羽への観光客を増やすという方向性で決まった。何かいい案はないかい?」
『なるほどね。それならいい話がある』
「いい話?」
『国鉄いい旅1970、さ』
「……なんだそれは」
幸谷はとっさにペンを取り、素早くその耳慣れない言葉を書きとった。
『国鉄復興計画の最終段階さ。観光復興を目指して、各都市圏から各地への直通列車を増発したり、日本全国使い放題の周遊券を発行したりするんだ』
「へえ。でもあいにく、尾羽には国鉄は届いていないんだ」
国鉄最北端は農繰来である。そこから先は北樺太鉄道で最速一時間半、長ければ4時間の道のりだ。
『ところがどっこい。実は国鉄いい旅1970周遊券、一部私鉄でも使えるんだな』
「……なんだって?」
幸谷のペンが止まる。あまりの衝撃に受話器を取り落としそうになる。
『驚いただろう。今回は有田鉄道や島原鉄道、武蔵野鉄道や筑波鉄道、長野電鉄や定山渓鉄道、南樺太鉄道……挙げればきりがないが、とにかく国鉄と直通のある私鉄では利用可能なんだ』
「それは北樺太鉄道もか?」
『もちろんだ。それに、今から営業部に電話すれば発鉄でも使用可能になるんじゃないか?』
「そ、それは本当か?」
『営業部の辛島が、昨日も
これは僥倖だ。幸谷はペンを走らせながら小躍りしたい気分に襲われる。踊れない代わりに文字が踊りだし、とても本人にしか解読できない線の集合体がメモの上に紡がれていく。
『どうだ、役に立ったか?』
「ああ、最高だ! すまないな。今度おごらせてくれ」
『なに、君と俺の仲じゃないか』
幸谷は目頭がツンとするのを感じた。東京時代、この篠井と共にどれだけ苦難を乗り越えて来たか。日々が走馬灯のようによみがえる。
『そうそう、ついでにもう一つだけ、伝えておきたいことがある』
「なんだ?」
『お前さん、蒲生って覚えてるか?』
蒲生、がもう……。幸谷が頭の中の人物録のページをめくっていると、特別復興総局の欄に名前があったのを思い出した。
「ああ、俺の上司だった男じゃないか。なんとなく覚えているぞ」
『アイツ、ついに左遷されたよ』
「へっ! アレは俺をここまで飛ばしてきた挙句、喜多川康志まで寄越してきやがった奴なんだ。当然の報いさ。しかし、それがどうかしたのか?」
『悪いことに、左遷先が越谷氏をなんとか国鉄に引き戻すための部署なんだ。蒲生の奴、発鉄を潰すことで越谷氏を東京に戻すことを画策している』
「……あの野郎、やっぱりロクなもんじゃねえ」
幸谷は怒りでペンを折りそうだった。脳裏に、あのへらへらとした笑みと不真面目な態度が浮かぶ。
『いいか、そこでお前に相談なんだ。国鉄は結局越谷氏を引き戻さないとまずいんだ。だが、蒲生の作戦でそれを成すのはいやだ。だから逆に、越谷氏を活躍させることで、栄転と言う形で東京に戻せないか考えている』
「なるほど。……さっきの話をうまく使えってか」
『そうだ。こちらでもできうる限りの支援はする。だからなんとか、彼を英雄に祭り上げて欲しい。そうすれば、お前がなんとか東京に戻れる道筋も整えてやれるかもしれん』
「気乗りはしないが、そういう事なら協力する。というより、協力をお願いしたい、だな」
『水くせえ!』
「君と“俺”の仲、だからな」
電話口で二人して大笑いした。身体がブルりと震えるのを感じた。
『しかし、気を付けておくれよ。どうも、発鉄への逆風へは外務省や陸軍が噛んで良そうなんだ』
「……外務省が?」
陸軍は目下格闘中なのでわかっていたことだが、外務省とは物騒な名前である。ぎょっとして幸谷は聞き返した。
『ああそうだ。蒲生はそう言っていた。気を付けてくれ』
「わかった。ありがとう」
『樺太は俺の故郷なんだ。頼むぞ』
幸谷は受話器を置いた。そして一抹の不安は感じながらも、目の前に転がってきた機会を逃してなるものかと、幸谷はさっそく久留米のところへと走るのだった。
「うまくやってくれよ、幸谷」
東京駅前の広場で、英国積みレンガの壁によりかかりながら篠井は煙草に火をつけた。
「私はどうだっていいんだ。どうなったっていいんだ。だから……」
その続きは、にわかに降り出した雨にかきけされた。夏の匂いを運んできた曇天に向かって、篠井は何事かを言って、そのままどこかへと消えていった。
0系電車(新幹線)
世界初の動力分散式列車による高速度営業運転を可能にした新幹線車両。
最先端を行くイメージとは違い、その実態は在来線で十分に実証された研究・完熟済み技術《プルーブド・テクニック》によって構成されている。
例えば、この動力分散式による高速運転は、東海道新幹線開業の5年前に在来線特急「こだま」151系特急電車により確立された技術である。
このように、新幹線の最大の“売り”はその先進性ではなく、堅実性とそれによる安全性である。
(1963年 あたらしい鉄道のはなし)