本日の配1088レは特盛。釜はいつも通りのED651201に、次位EF652501。
貨車は確認できていないが、今日はシキと聯隊の操重車がくっついていた。
真ん中に冴えないワムがくっついていたのも面白い。控車か? とても検査を受けて来たとは思えない。
この路線も高速化が本格化した。高速でないワムは淘汰されるだろう。いつまでこの景色が見られることやら。ともかく今日はツイていた
【尾羽市在住鉄道趣味者 日記】
「どうなさるおつもりか!」
三軍の男が、会議室で青筋を立てながら怒鳴りつける。怒鳴りつけられているのは、発鉄幹部の面々だ。
「やはり原因は尾羽で、そしてその主原因は発鉄ではないか! これはいかがなさる。いかがなさるのか!」
「発鉄といたしましては、警備体制の強化を行っていきたい考えです」
「それでは足りぬと言っているのだ!」
男は口角泡を吹き飛ばしながら怒鳴りつける。もはや堪忍ならないといった様子に、発鉄の面々は何も言うことができない。
「そうは言われましても……」
「ともかく、早急に対応しろ! さもなくばいかなる手段も辞さないぞ!」
男はそう言って、勢いよく立ち上がると、そのまま部屋を飛び出した。
男の名は
原隊は千葉第四鉄道聯隊。慣れない寒さに身体を震わせながら、三軍委の事務所までたどり着いた。
「颯田、帰着しました」
「お疲れ様です」
陸軍出身の颯田からすれば有り得ないほどに崩れた返礼を返す男は、民間出身の事務員だ。颯田は苛立ちを隠さずドカッと席に座る。
「その調子だと、芳しくなかった感じですかね」
「あゝクソ、どうしてこうなった!」
事務員がお茶を出すと、颯田は腹立たし気にゴミを投げ捨てた。見事にゴミ箱の上を空過したゴミを、事務員は拾い上げて捨てた。
お茶をすすりながら、颯田は広げた地図を眺める。その地図は、尾羽市北部地域がまるまる白塗りになっていた。
「君はこの白塗りの意味が分かるかい」
「要塞地帯法の
「模範解答をどうも」
颯田の机の中から、今年修正されたばかりの地図が出てくる。そこは、尾羽市街の様子がはっきりと描かれている。
「市街地域はすべて、要塞の一部だったんだ。だが、市民生活や今後の北方防衛の強化を考えたときに、市民生活区域を開放し適切な管理の下で都市開発がなされる方がよいと判断されたから、我々はこの地域を手放したんだ。しかし、これではどうだ!」
颯田は窓から駅の方を見る。駅前には、観光客を迎え入れるための商店が立ち並ぶ。
「役所には知らぬ間に『観光課』が出来上がっているし、町内会には『観光推進本部』があるし、聞けばそれは市の指示だというし、極めつけは越谷さんのスピーチだ!」
「そんなに問題なんですか? アのスピーチ」
「大問題だ! 誰も何も触れていなかった。ひいては無かったことにまでされているが『観光発展の一助となるべく』と言ったんだぞ! 観光開発だぞ! 日本中、いやともすれば世界から客が要塞地帯のすぐ隣にやってくるんだ。どれだけ恐ろしいことかわかるか?」
ひとしきり激昂した後に、颯田は椅子に沈み込んだ。
「越谷さんは我が日本陸軍の誇りだったのに。彼だけは我々の見方だと思っていたのに」
在りし日の英雄越谷の姿を思い起こしながら、颯田は悲し気に目を瞑った。
その頃本社会議室では、不穏な空気が流れていた。原因は、三軍委の対応に腹を立てた久留米である。
ことは、三軍委が尾羽の勢力図と言う機密を越谷に漏洩した、ということを久留米に話したことに始まる。
本件情報は海軍情報局が三軍委に対し情報共有したものだが、海情は本件に関して一切の漏洩を禁じていたのである。
「と言うことは、三軍委は機密情報を社長に漏らしたんですか?」
しかし、三軍委はそれを越谷に対し漏洩した。相手が越谷だったからよかったものの、三軍委の行為はれっきとした協定違反である。
「どうしてそういう事するかなあ。情報の扱いはこっちに一任するって言ってたのになあ」
怒髪冠を衝くという言葉を思い起こさせるほどに、彼女は怒っていた。
「まあ落ち着いてください久留米さん」
「そうですね。落ち着いて処分しなければ」
「流石にこれ以上の刃傷沙汰はやめてくれ。平和に行こう。和を以て貴しとなす。聖徳太子もこういっていることだ。とりあえず、向こうさんの意見としては発鉄は市内輸送のみにあたり、決して市外輸送にはあたらんで欲しいというものだ」
今にも皇軍相討つの危機に発展しそうな気配のする久留米の肩を抑えながら、越谷は状況を整理した。
「陸軍は、北鉄に対しても既に佐保を境界に普通列車の運転系統を分離するように指示しています。本土から樺太に移り住んでくる人はお金もないので普通列車でこちらに来るわけですが、陸軍が指示したダイヤの為に多くの人は佐保で降り、そのまま佐保に居つくそうです。今佐保は本土から移り住んできた人たちや外国人で溢れかえっていますよ。財閥系や国策企業系が重要視していないために尾羽の方が潤っていますが、数年後には佐保の方が尾羽よりも賑わうでしょう。ただ……」
宇佐美は気まずそうに目配せをした。越谷が目線だけで先を促すと、少し逡巡してから話をつづけた。
「佐保の治安は正直言って尾羽より数段落ちます。そして、佐保からもあぶれた人間は更に北を目指して尾羽にやってきます。現在でも、毎日そうした人が普通列車で尾羽に来ていることは事実です。陸軍が、そのあたりを不安要素としているのは事実でしょう。そして、尾羽市は逆にそれを好機ととらえています」
「ああ、確かにそうだな。尾羽市は人口拡大を狙っている節がある。この都市計画の資料にもそう書いてある。そしてそのうちの施策の一つに観光開発がある。尾羽市は観光などの面からも尾羽市の発展を狙っているようだ」
越谷は、市から寄せられた都市計画資料をめくりながらため息をついた。
「もう、直接市と軍でやってくれんかね」
「そうですね。決定権の乏しい我々に言われても、という感はあります」
「そもそも、この件に関しては決定の主体は我々ではないわけで……。しかし、樺太庁は尾羽市の都市開発には乗り気ですが、観光開発にはそこまで乗り気ではないんです。そもそも、都市開発に観光は不可欠なわけではありません。なぜ尾羽市はここまで観光にこだわるんでしょうか」
宇佐美が不思議そうに言うと、越谷もそれに同調した。
「トウジ……宇佐美の言う通りだ。尾羽の観光開発はあまりに性急過ぎるきらいがあるように思える。財政は大丈夫なのか? 宇佐美」
「僕に言われても……」
「問題ありません」
口ごもる宇佐美の代わりに、瀬戸が答えた。
「尾羽市の財政は発鉄の財政に直結する為確認を続けていましたが、現時点では尾羽市財政にそこまでの破綻は見られません。ただ……」
「ただ?」
「まるで資金を使い切ってしまおう、と言わんばかりの大盤振る舞いには、少しうすら寒いものを感じますね」
「うーむ、これはいかに。将来的には尾羽市がアテにならなくなる時が来るやもしれんなあ。瀬戸さん、我が社単独の財政はどうなってるんですか?」
「まだ開業から一カ月もたってませんから何も言えません。が、とりあえずは順調であると見立ててはいます。ただ、雪による運行の乱れが気になるところではありますが」
瀬戸が桐谷の方をチラリとうかがうように見ると、桐谷が続けた。
「現業からの報告ですが、雪が深いこともあってかそこまで人は乗っとらんそうです。まあ、これから先雪が解けるにしたがって利用者も増える事でしょう」
「うむ、結構」
とりあえずの心配がないことを確認した越谷は、鷹揚にうなづいた。
「じゃああとは三軍委をどうするか、だけだな。これは久留米君、君と話し合おう。君も一応三軍委の人間と言うことだからね」
「分かりました」
越谷はそれだけ確認して、会議を終了した。
「それで、貨車の方は?」
「社長が正しいようです。確かに、尾羽発でした」
残った久留米は越谷に声を潜めて伝えた。
「荷票は本斗→大泊港。恐らく尾羽から列車を継いで本斗まできたのでしょう。荷主欄は架空の企業名がありました。運び込み先はもぬけの殻で、恐らくはまたここからどこかに輸送されるはずだったものと考えられます」
「尾羽では貨車に対して臨検があるはずだろう?」
「それなんですが、どうも記録があやふやなんです」
「どういうことだ?」
「同じ番号の貨車が何両かいるんです。それに、貨車の記録を追っているのですが、矛盾点が多くて……」
深刻そうな顔で言う久留米に、越谷は何か思いついたような顔をした。
「そういえばおかしいな。ワム37564と言ったな。しかし、そんな車両は樺太には来れないはずなんだ」
「どういうことですか?」
「ワム37564、番号表を見るとこれはワム23000形のひとつと言うことになるが、だとするとこの車輛はもうすでに改造によってこの番号ではなくなっているんだ。つまり、この番号を名乗る貨車は現時点では存在しないことになる」
「……とすると、あのワムと呼ばれる貨車は偽装された車番が書かれていたと?」
「かもしれん。写真はあるか?」
越谷がきくと、久留米の懐から昨日美里が撮ってきた写真が出て来た。
貨車は褐色で、白い帯が入っていた。
「二軸単車……。車軸は二段リンク式だな。この時点でやはりワム23000ではない。ワム23000は二段リンク式への改造と共に形式番号をワム90000に変更しているからな。……いや待てよ? これはもしかして、ワム3500改造車か? ワム7564にインフレナンバーの3を植えたように見せかければ見栄えはする。いやしかし……」
写真を見るなり、越谷はぶつぶつと何かを言い始めた。
「ええと、つまり?」
「国鉄において同じ番号の貨車が複数存在するというのはままあることなんだ。だから国鉄の人間も特に怪しまない」
「なんとも杜撰ですね。おかげで足取りを掴むだけでも一大事ですよ。見てください。樺太だけに絞っても、この番号で変な動きをしている貨車がたくさん……」
久留米がそう言って見せて来たのは、「ワム376564」の足取りを詳細に記した紙だった。
「貨車車票か。良く残っていたな……。列車番号は書いてあったか?」
貨車車票とは、その貨車の行先や輸送品目、あるいは急ぎかどうか、更にはどの列車に連結することが求められるかなどが記載された紙である。久留米が持っていた紙は、それを丁寧に書き写したものだった。
「すみません。どれが列車番号ですか?」
「いや、ほとんどの場合書いていないんだ。ああやっぱり、本斗から大泊港への車票は空車で私有貨車の回送と言うことになっている。特に急ぎの荷物では無いから列車の指定はされず列車番号の欄は空欄になっているな。こういう場合は空いてる列車で適当に運ぶんだ。それで、肝心の尾羽から本斗への車票だが……。あった。おや?」
そこまで言って、越谷は変な顔になる。
「列車番号の指定があるな。ええと、『配1088レ』? 聞いたことがない列番だなあ」
「ああ、これが列車番号だったんですね。それで、どういう意味ですか?」
「この配1088レというのは配給列車というもので、国鉄都合の荷物、例えば余りの貨車や新車、廃車、もしくは切符に使う紙だとかの小物や交換用の車輪、そんなものを運ぶための列車だ。ちょっと待ってくれ」
そう言って越谷は業務用時刻表を取り出した。
「ええと、配1088レは……。尾羽駅から佐保駅へ向かう列車だ。思い出した。これは試運転列車だ!」
「どういうことですか?」
「山本駅の先に車輛の検査などを行う山本工場があるだろう。そこで検査を終えた貨車はこの
「そんなこと、できるんですか?」
「簡単さ。ここの列車番号のところに配1088レと書いてしまえばいい。そうして安全に尾羽を出れば、あとは勝手に適当な列車につなげられて本斗まで行ってくれる」
「なるほど……。尾羽駅へはどうやって?」
「南港のあたりの倉庫群には専用線がたくさん伸びていただろう。そこからどうやってか運んだんじゃないかな。とにかく貨車さえ用意されていれば、国鉄はそれを運ぶだけだ」
「倉庫……。そういえば、この間空き倉庫を根城にしていたグループを叩き潰しましたが、まさか?」
「可能性としては高いだろうな」
ここは極寒地尾羽。冬季はもぬけの殻になる倉庫があることもある。そこに拠点を作り、他の業者に紛れて荷物を発送する。久留米は、確かにバレにくいだろうなと思った。
「なるほど……。かなり巧妙に練られていますね。社長、こういった列車はほかにもあるのですか?」
「もちろん。日本全国どこでもいつでも走っている。それこそ、帝都のど真ん中でもだ」
自分で言って、越谷は背筋が凍る思いがした。
これの中身が武器でなく、爆弾だったら。
その列車が尾羽でなく、山手貨物線を走行し新宿駅を通過していたら。
まさか関東の鉄道工場である大宮、熊谷で同じ事態が起きるとは考えにくかったが、それでも怖い思いがした。
「ともかく、捜査に光明は見えずとも道は見えました。ご協力感謝します」
「別に構わんさ。して、どうするつもりだ」
「持ち帰って、港湾部の捜査の徹底を進言してみようと思います。これは、なかなか大変な戦いになりそうです」
「というのが事の顛末です。十合さん、とりあえずお知らせしておきますよ」
電話の向こうから、“私はもう長官でもなんでもないのだからやめてくれ”、という抗議の言葉が聴こえて来た。
それを越谷は笑い飛ばした。
電話の相手は、越谷の昔からの知り合いで、鉄道業界の重鎮たる人物だった。越谷は今、その人物に帝都での懸念について話したところだった。
「何をおっしゃいます。新幹線の英雄にして国鉄再生の英雄じゃないですか。何も動いてくれと言っているわけじゃありませんよ。ご報告までです。ちゃんとやっていますというね」
『英雄とは君の代名詞だろうに』
そう言われて、越谷はまた笑った。それにつられて電話の向こうからも笑い声が聞こえて来た。そしてそのあとに、こちらでも動いてはみる、という言葉をもらい、越谷はすっかり弛緩していた。
しかし、電話口の相手は急に真面目な声になって言った。
『しかし卓志くん。君には悪いことをしたね』
「何がです?」
『そんな場所に送ったこと、だよ』
ああそんなことか、と笑おうとすると、相手は更に深刻な声でこういった。
『話によると、三軍委とえらく揉めたそうじゃないか』
「……もう知れ渡っていましたか」
越谷は、電話口の相手が東京から遠い極北の些事の情報をもうすでに得ていたことにひどく驚いた。
『どうだ、”陸軍”は頭が固いだろう』
「ええ。しかし、慣れています。それに尾羽には空軍も海軍もいます」
言外に「頭の柔らかい連中もいるはずだ」と付け加えた越谷であったが、相手はそれを遮るように言った。
『問題はそこだ』
「そこ、とは……」
『君がいるところは尾羽なんだ。中央じゃない。雪と霧に閉ざされた日本の最北端だ。協力し合わなければとても生きていけない』
「どういうことですか?」
半ば禅問答になり掛けた話に耐えきれず、越谷はついつい率直に聞いてしまう。電話口の相手は、それを聞いてコロコロ笑った後にこう言った。
『中央での政治的構造は、尾羽では通用しない、ということだ。君の眼には陸海空がいがみ合っているように見えるかもしれない。だが、それは東京病というものだよ。卓志くん』
「東京病、ですか」
『ああそうだ。よく覚えておきたまえ。いいかい卓志くん。樺太とは、日本の中に小さな地球があるようなものだ。そこにおいては東京の常識はおろか、日本の常識でさえ通用するかどうか怪しい。まずは、君の見ている世界が、東京の色眼鏡を通した景色であるということを強く認識するべきだな』
「……十合さんの時は、どうされたんですか」
『ひたすら、現地の人間の言うことに耳を傾ける。それだけだ。彼らなら、“樺太”を肌で知ってる。なに、彼らは東京人の無知に寛容だ。私も随分と助けられた』
現地に精通した人間、と言われて、咄嗟に久留米の顔が越谷の脳裏に浮かんだ。だが、彼女は違う。現地人ではない。では、誰か? 思案しているうちに、相手は先をつづけた。
『抽象的な話で済まないね。より具体的な話をしよう。君が思っているほど、昨今の尾羽現地の陸海空は仲が
「ご忠告、感謝します」
今までにない声色の相手に、越谷は顔を引き締めた。
『何を。君と私の仲じゃないか』
相手は朗らかに笑った。その優しそうな笑い声は、昔から変わらない優しいものだった。越谷は少し、緊張を解いた。
『運営は順調かい?』
「ええ、好調です」
『そうかい。それはよろしいことだ。雪に気を付け、無理はしないこと。では、また会おう』
「では」
電話を切り、越谷は煙草に火をつけた。なんだか嫌な予感が、胸の内を支配した。
有蓋車
まるで倉庫に車輪を付けたような、鉄道貨物において最も一般的な貨車。
廃車後は倉庫に転用されることも多い。
通常、有蓋車の名前の先頭には「ワ」が付く。その後ろに重量を表すカタカナが接続され、最後に番号が振られる。
例えば、ワム37564の様に、有蓋車を示す「ワ」、積載重量が14t~16tであることを示す「ム」、そして最後に37564である。
このほかにも、「ワ」や「ワキ」などが存在し、国鉄貨車の中で最大派閥を誇る。
日本全国はおろか、世界中でこの形状の貨車を見る事が出来るだろう。
まさに、貨車のスタンダードである。