乱世を駆ける男   作:黄粋

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反董卓連合編
第九十話


 霊帝の崩御、十常侍の処刑により政治体制は大きな変化を迎えた。

 

 様々な視点、立場から十常侍を邪魔だと思う者は多かった。

 いずれ誰かが動くだろうことも予想出来た事だ。

 それを為したのが偶々、今回は董卓だっただけだ。

 そういう意味では董卓に天運があったという事なのだろう。

 

 都は今、十常侍の魔の手から天子様二人を守った董卓が取り仕切っている。

 しかし十常侍が振るっていた権力を握らんと思っていた者にとっては相手が十常侍から董卓に変わっただけ。

 つまるところ、今度は董卓を追い落とすべく奸計を巡らせ始めたのだ。

 

 都から離れている揚州ではその辺りのいざこざは対岸の火事と言ってもよかった。

 どんな影響が出るかわからないので警戒はしていたし、渦中にいるだろう桂花の身を案じない日はない。

 だが十常侍から董卓に変わった事で俺たちがなにか被害を被った事はなかった。

 

 三国志における董卓は、暴虐の化身として描かれている。

 どういった書物であれ程度の差はあれど変わらない扱いを受けているだろう。

 

 董卓が主権を握った後の都はその暴威に晒され、あっという間に荒廃した挙げ句に遷都までされてしまうのが俺の知る未来だ。

 しかし思春たちによる調査によれば十常侍の頃の圧政がなくなり、過ごしやすい場所になっていることが分かっている。

 

 西平の皆から聞いていた通り、この世界の董卓は俺が知る暴君とは違う存在なのだと結論づけるのはそう遠い事ではないだろう。

 桂花も董卓らが都を仕切っている間は、十常侍の頃より遙かにマシな扱いになっているはずと、そう思っていた矢先。

 

 

 袁紹から『董卓討つべし』という檄文が各地に届けられた。

 内容はこうだ。

 

 都で暴虐の限りを尽くす董卓許すまじ。

 捕らわれた霊帝のお子たちと都に住まう民を救うため、漢王朝の未来を想う者は我が旗の下に集まれ。

 

 都の実状を知っている者たちが見れば失笑するような内容の文面。

 それが例に漏れず、建業にも届けられている。

 

「これ、本気かしら?」

「文面から自分が招集を掛けたのだから応えるのは当然という驕りが読み取れる。袁紹自身はいたって本気なのだろうさ」

「どう見ても董卓への八つ当たりか意趣返しじゃない。使者もこちらを見下していたし、こんなの参加なんてしたら袁紹の口車に乗った愚か者の一人として後世にまで伝えられちゃうわ。嫌よ、そんなの」

 

 使者には返答用の書簡を用意する為に今日迎賓用の部屋にお泊まりいただいている。

 専属の使用人をつけ、何不自由なく過ごしているはずだ。

 同時に何か妙な真似をしないよう監視を付けている。

 

 今、玉座の間に集まっているのは身内だけだ。

 だから雪蓮嬢はだいぶ好き勝手に言っているが、この場にいる人間は誰も否定しない。

 直接やり取りしている冥琳嬢と同じく、大なり小なりあの使者とこんな檄文を出した袁紹に思うところがあるからだ。

 

「とはいえ返事をしない訳にもいかない。相手は現当主が阿呆であっても、あの袁家なのだからな」

「不参加の返事なんて返したら、それはそれで面倒な事にならない? 董卓に与する者だ、なんて言い出してこれを口実に周辺諸侯がこっちを攻めてくる、なんて事にもなりかねないと思うわ」

 

 冥琳嬢の眉間を揉みながらため息と共に告げれば、あっさりと回答次第での今後の展開を言い切る雪蓮嬢。

 ポンポンと行われる会話の応酬は実に小気味よい。

 

「大いにあり得る話だな。袁家の発言力は十常侍がいなくなった今、現勢力で間違いなく上位と言える。奴が黒と言えば白い物も黒くなる、くらいに考えておくべきだ」

 

 俺が口を挟むと二人は同意の頷きを返してから同時にため息を零すと居並ぶ俺たちを見回した。

 

「皆の意見を聞かせてくれる? 正直、私はこの檄文に応えるのは反対。建業太守としてなんの旨みもないから」

「私は条件付きで参加する必要があると思っております。理由は先ほども申しましたが、董卓側だと糾弾されればその尻馬に乗って周辺諸侯が表立って敵に回る可能性が高いからです」

 

 二人の意見は対立している。

 俺たち臣下は目配せで視線を合わせてからこの一件の個々人の意見を出し合う。

 

「儂は董卓討伐への参加は反対する。董卓は我らが盟友である西平にとって良き相手と聞いておる。不確かな言を鵜呑みにして行動しては彼らに申し訳が立たん。参戦すると返事をするだけして行かないとするか、あるいは途中で撤収してしまえばいい。もちろん糾弾されぬよう事情をでっち上げる必要はあるがの」

 

 まず声を上げたのは祭。

 馬騰たち西平の面々への配慮を怠ってはならないという意見だ。

 彼らとの同盟関係に亀裂が入る可能性を考えてのものと言える。

 

「僕の意見は条件付きでの参戦です。より正確に言えば今回のこれに同意し、参加する者たちがどういう者たちなのか調べる為ですね。本当にこんな袁紹の主観の一方的な主張を信じるような者がいるならば、それは馬鹿です。為政者としての才覚すら疑うべきでしょう。だからこれに乗っかるような人達にはそれぞれの狙いがあるはず。直接対峙し、彼らの性質を見極められればいずれ建業、曲阿にとって脅威となるかどうかを計る指針になるかと。あと最も大きな理由は、袁紹たちの具体的な動きをすぐ傍で見られるので、彼らに先んじて行動しやすくなる事です。条件は決して我々が矢面に立たない事。何があっても袁紹が主導した、としておくべきかと。余計な責任を背負わされれば、またそれが新たな火種になるかもしれませんから」

 

 慎の意見は董卓討伐よりも先を見据えたものだ。

 なるべく被害を被らず、集まった諸侯の情報を入手する。

 董卓討伐が不当であると確認出来たならば、確かに内部にいた方が手を打ちやすいだろう。

 慎重に動かなければならないが、そういう考え方の元に動くのであれば確かにいくらか利がある。

 

 その後も次々と意見が交わされ、意見の総評はほぼほぼ半分ずつ分かれているという状況で最後に俺の番となった。

 全員の視線が俺に集中する。

 

「この檄文を逆手に取って董卓側に付くのはどうだろうか?」

 

 董卓討伐への参加か不参加ではなく第三の選択肢に皆が驚く中。

 雪蓮嬢は面白そうだと笑い、冥琳嬢は我が意を得たりと口元を緩めた。

 

「まずこの内容は袁紹にだけ都合の良いものだ。実際、都で悪政、圧政は行われていないし、民の生活は十常侍がいた頃よりも格段に良くなっている。これからも良くなっていくんだろうと推測出来る程度には善政だ」

 

 調査に当たっていた思春、明命たちを見つめる。

 二人は俺の言葉に頷いた。

 

「袁紹は都に攻め入り董卓から実権を奪い取る為に実状と異なる内容を流布した。確かに袁家は権勢の上位に当たる名門だ。権力争いなどすれば言い方は悪いが建業は相手にもならないだろう。しかしそれは袁家に進言出来る存在がいるだけで変わる」

 

 董卓が圧政を行っていないのならば、彼ら側に付く事で俺たちは大きな後ろ盾を得られる可能性があった。

 

「霊帝のお子。つまりは次の帝にこの嘘偽りが書かれた檄文をお届けし、袁紹の言を否定していただく。袁家の権威は強大だが、それでも帝には敵わない。目に見えて王朝としての力が失われつつあっても、漢王朝に属する者ならば帝の存在こそが最上位なのだから」

 

 この大陸の最上位存在を利用する策。

 下手をすれば十常侍と同じ事をするとすら思えてしまう意見に大半の者が難しい顔をした。

 それでも否定しないのは、上手くいけば領地をより盤石に出来るだけの利益が得られるからだ。

 

「もちろん十常侍のような事はしないし、してはならない。そもそもそんなことが出来るような権力はうちには不要だろう」

 

 実のところ、孫家が一番に求めているのは一族や一族が治める地の安寧だ。

 曹操のような天下の覇権を求めるような野心はない。

 劉備のような無力な人々をすべて守りたい、平和な世を作りたいという夢はない。

 

 あくまで孫家という一族が出来る範疇を目的とし、それを達成する為に全力を尽くす。

 俺たちとて元を正せば自分たちの邑を、家族を守りたいという想いから仕官したのだ。

 

 俺の優先順位は変わらない。

 まぁ家族の範囲や守りたい場所がどんどん増えているし、軍人として一般人……いや民を守るのは当然の事だ。

 

 それはともかく自分を中心とした大陸など望まない孫家に、帝を擁する事ですべてを牛耳る事が出来る権力などいらない。

 牛耳った誰かが何かしようとするなら対応出来るよう策を二重三重に施すし、これからも対応策は増えていくだろうが、すべてを動かす事に魅力を微塵も感じてないのがうちの長たちの気風だ。

 孫家にあって静かな気質である蓮華嬢ですらも、その性質は変わらない。

 

「あくまで俺たちは袁紹とそれに乗っかった連中がどういう名目で動いたかをお伝えし、そのご判断を仰ぐだけだ。だから董卓から帝に繋いでもらわなければならない。馬氏を経由して董卓、は無理としてもその名代と話をして董卓側に付く事に同意してもらう。だが元から繋がりのある馬騰たちはともかく、そう易々と俺たちを信用してはくれないだろう。今までも馬騰たちを通して交流を図ろうとしてきたが、色よい返事がない事からも簡単に想像出来る。信頼関係を築く為に董卓討伐に賛同した者たちとぶつかり合うくらいはしなければならないだろう」

 

 おそらくほとんどの諸侯は袁紹に付くだろう。

 それらを相手に上手く立ち回り、帝へ事の次第を伝えご決断いただく時間を稼がなければならない。

 

「だが事が為った時、あちらに付いた諸侯と袁紹の評判は地に落ち、逆にこちらの評判は上がる。どのような状況であれ、帝からの決断に逆らえば、それこそ王朝への反逆となる。少なくとも袁家の人間は名門として権勢を誇ってきた故に自らの愚行をそれ以上続ける事は出来ない」

 

 袁家が名門たり得るのは、より上位の存在にそうだと認められているからだ。

 この世界の袁家は母親の代までそれはもう漢王朝の繁栄に尽力し、その功績を認められてきた。

 そのお蔭で十常侍をして手を出せない存在として存在感を示し続けてきたのだ。

 暗君だと言われている袁紹が自分の持つ肩書きについてどこまで理解しているかは不明だが、名門であると認めてきた帝を庇護してきた董卓に私情で弓引いた事が公に認められれば、たとえ彼女自身がどう振る舞おうとしても周りがなんとしても止めるだろう。

 

「袁紹はその後、今まで通りに動く事は出来なくなります。そして我々の領地に手を出してくる袁術はほぼ確実に袁紹と同じ陣営になります。勝ち馬に乗るといえば狡猾なように見えますが、袁術の気質はお祭り好きの賑やかし。特に考えもせずに袁紹に付くでしょう。その上でこちらの想定通りに事が進めば、最終的にそちらの行動の抑止にも繋がります。もしも袁術が動かなくとも、同じ袁家としての風評被害は避けられません。まぁ本格的に侵攻してきたところで現状の我々の戦力ですら奴の勢力に敗北するとは思えませんが、それはそれとして少しの時間おとなしくさせておく間に、完膚なきまでに叩き潰す準備を整えられるのは利点と言えます」

「あいつら本腰入れる気がまったく感じられない散発的な攻めをする癖に撤収する時の逃げ足だけは早いからな。しばらくでもおとなしくさせられるのはありがたい話だ。物量だけはあるから、回数だけは多くて相手取るのも面倒だし……」

 

 俺の理論を補強し、さらなる利点として袁術について語る冥琳嬢。

 それに同意を示すのは今この場に集まっている面々でもっとも袁術の勢力と相対している激だ。

 

「意見は出尽くましたかな?」

 

 老先生が手を叩き、意見がもうない事を全員に確認する。

 

「ではご当主。ご決断をお願いいたします」

 

 臣下を代表した彼女の言葉を受けて、全員の視線が雪蓮嬢に集まる。

 彼女は目を閉じ、しばらく考え込むように沈黙すると自らの結論を口にした。

 

「この一件についての孫家の方針。それは……」

 

 俺たちは慌ただしく動き出す。

 新たな戦乱がすぐそこに迫っている事を感じ取りながら。

 これからの激動に備える為に。

 

 


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