乱世を駆ける男   作:黄粋

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第八十八話

「凌刀厘様、お待ちください!」

「うん?」

 

 いざ帰路に就くというところで、俺を呼び止める声が聞こえた。

 そちらを見やれば三つ編みの長髪を揺らしながらこちらに駆け寄ってくる銀髪の少女の姿。

 顔や身体に無数の傷を持ち、胸当て、手甲、足甲の動きやすい装備をした彼女の顔は見覚えのある物だった。

 

「文謙(ぶんけん)!?」

 

 まさかあちらから会いに来るとは思わなかった人物の出現に俺は思わず声を上げた。

 何事かと部下たちが見ている中で乗っていた馬を降り、彼女が近付くのを待つ。

 目の前まで来た彼女は出会った頃より背が伸び、体つきもとても良くなっていた。

 あれからそれなりに時間が経っているのだから成長しているのは当然の事だが、子供の成長を見るのはやはり感慨深いものがあるな。

 

「お、お、お久しぶりです! お元気そうで何よりです!!」

 

 頬を紅潮させ、緊張に上擦った声でありながら、真っ直ぐ九十度の礼をする少女。

 相変わらずの生真面目さに俺は笑みを浮かべた。

 

「ああ。手ほどきして以来だが、そちらも元気そうだな」

「はい! その節はご指導ありがとうございました!!」

 

 またしても深い深い一礼。

 彼女の言葉と態度に込められた俺への敬意を感じ取ったのか、武器を取り出しかけていた部下たちは毒気を抜かれたようだ。

 害意がないとわかった途端、今度は俺と彼女の関係に興味津々な雰囲気が出ている。

 

「ふむ、刀厘。こやつはいったい誰なんじゃ?」

 

 祭が馬を降りながら皆を代表して疑問を投げかける。

 俺は彼女の横に立ち、軽く肩を叩きながら妻にこの子を紹介した。

 

「この子は楽進文謙(がくしん・ぶんけん)。俺たちが西平に向かう旅の途中で立ち寄った邑で出会った少女で、俺と同じく格闘を主とする事から手ほどきをした少女だ。もっとも弟子と言うほど長い時間、一緒にいたわけじゃないがな」

 

 この子とあと二人、幼馴染みだという子たちもいたが一番熱心に教えを請うたのはこの子だった。

 当時、滞在していた邑では思春と陽菜には子供の世話を任せていたのでこの子とはあまり接点はないが、二人としても俺が手ほどきした相手としてくらいは覚えているかもしれないな。

 

「弟子などと恐れ多いです。しかしほんの一週間ほどではありましたが、刀厘様からご教授いただいたお蔭でこうして仕官出来るほどに腕を上げる事が出来ました。黄巾討伐に参加されていたという事を我が主よりお聞きし、どうしてももう一度お礼を、とこうして追いかけた次第です」

 

 「お騒がせしてしまい、建業の方々にはご迷惑をおかけしました」と頭を上げる楽進。

 どこまでも真面目な態度に祭は納得するように頷いた。

 

「なるほどのぉ。この黄巾党討伐に加えられているならばお主の腕は疑いようもない。お主の主も良い目を持っているようじゃ」

「はい、邑の義勇軍であった我々を取り立ててくださったご恩に報いる為、日々励んでおります!!」

 

 あの頃、彼女らは建業からかなり遠い場所に住んでいた。

 故郷から連れ出すのは気が咎めたから、特に勧誘はしていなかった事が悔やまれる。

 彼女の名があの『楽進』だと思い至ったのも邑を出た後だったからな。

 

「その言、その気骨、ますます気に入った!」

 

 祭はすっかり楽進を気に入ったようだ。

 

「すまないが賀斉、俺は少しこの子と話をしたい。後から追いつく故、お前たちは先に行け。董襲、伯符様方への伝令は任せたぞ」

「承知しました!」

「お任せください!」

 

 手早く隊をまとめて去って行く部下たちを見送る。

 

「祭はどうする?」

「ふ~む。まぁここはお主に任せようかの。ではな、楽進。次に会う時はおそらく敵じゃろうが、存分にかかってくるといい」

 

 年長者としての余裕として、あえて上から見下ろすように語り、祭は賀斉たちの後へ続いて去って行った。

 

 

 俺と楽進だけになったところで俺は一応の確認の為、彼女の仕官先を言い当ててみせた。

 

「今は曹孟徳殿の元にいるんだろう?」

「ご、ご存じでしたか」

 

 そう『楽進』とは俺の知る三国志において曹操軍に身を置く武将の名前だった。

 実はこの子の事は思春と明命が曹操の戦力を調べた時には既に把握していた。

 今は幼馴染み二人と共に三羽烏(さんばがらす)と言われており、主に領地の防衛に尽力しているらしい。

 相変わらず仲が良いようで何よりだ。

 

 

 楽進文謙(がくしんぶんけん)。

 曹操が董卓に反抗して挙兵する際にその下に馳せ参じた武将。

 武将といってもこの頃の彼は記録係だったらしい。

 ある時、出身郡で兵を集めさせたところ、千もの兵を引き連れて帰還した事で武将として起用されたと言われている。

 それから反董卓連合、官渡の戦い、劉表征伐、その他本当に様々な戦で最前線を走り抜け続けたまさに勇将。

 当時からしても小柄だったと言われているが、激しい胆気を持つ人物と伝えられている。

 

 

「あそこならお前の実力に見合った仕事を任されるだろう。今に満足せず今後も精進するといい。お前ならそれが出来る」

「は、はい! これからも『昨日の己に克つ』を胸に鍛錬し続けます!!」

「っ!!」

 

 俺は彼女の口から飛び出したその言葉に驚いた。

 俺がその言葉を彼女に語ったのは一度きり。

 この子たちの邑を去るその時に、ただ強くなる為の心得として語った言葉だ。

 つまりこの子は数年前のあの時からずっと流派の標題を心に刻み続けてくれていたという事になる。

 ならば俺はあの言葉を撤回しなければならないだろう。

 

「すまない。一つ訂正させてくれ」

「? 何をでしょうか」

 

 自分が何か粗相をしてしまったかと不安げになる楽進に手を横に振りながら違うと示し、そして告げた。

 

「お前は俺の流派の心得を忘れずにいてくれた。ならばたとえ手ほどきした時間が短くても、今は主を違えていても、お前は俺の弟子だ」

 

 驚きで楽進の目が見開かれる。

 

「お前は流派『精心流』の、凌操刀厘の弟子だ。名乗るかどうかはお前に任せる。ただ流派唯一の標題『昨日の己に克つ』という言葉だけはこれからも忘れないでほしい」

 

 悪感情ではない感情で、瞳を潤ませながら楽進は震える声で俺に問いかける。

 

「……わ、私なんかが弟子を名乗って本当によろしいのですか?」

「『精心流』が求めるのは標題を追い続ける心持ちだけだ。それをこの数年意図せずとも持ち続けたお前が名乗ってはいけない道理はない。お前が良ければ使ってくれ」

 

 自分の子供にするように慈しむ気持ちを込めて楽進の頭に手を置く。

 

「う、あ……」

 

 彼女の瞳から涙が零れる。

 どうにも感極まってしまったらしい。

 しばらく押し殺したような嗚咽を漏らしながら、静かに泣き続けた楽進はやがて深呼吸をするとその場に片膝を付いた。

 

「私、楽文謙は『精心流』の門下としてこれからも恥じぬ振る舞いを続けると誓います。たとえ仕える主が違っても、たとえ貴方と敵対する事になっても」

「その気持ちを忘れないでくれればそれでいい。……ありがとう」

「こちらこそありがとうございます。……お師匠様」

 

 目を赤く腫らしながら浮かべられた満面の笑みに、俺も自分が出来る最高の笑みで応えた。

 

 

 

 この後、曹操軍にて凌操刀厘の弟子を名乗る武官の存在が広まる事になる。

 風の噂で幼馴染み二人はもちろん、華琳や春蘭、秋蘭たちにも相当追求されたらしいことを知った。

 誰憚る事無く、胸を張って弟子を名乗ったと聞いている。

 

 俺の方もまた雪蓮嬢や冥琳嬢はもちろん、思春や蓮華嬢や小蓮嬢、部下たちに果ては蒲公英や翠などにも問い詰められる事になる。

 それなりに慌ただしい時を過ごす事になるが、それでも楽進が弟子であるという事を俺は肯定し続けた。

 「俺が認めた、『精心流』の弟子だ」と。

 そうしているだろうあの子に負けないよう胸を張って誇らしく。

 

 


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