乱世を駆ける男   作:黄粋

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第八十六話

 砦の正門が皇甫嵩将軍らの部隊によって破られた報を受けた俺は即座に頭に入れていたこの周辺の地図を脳裏に引き出す。

 この砦は平原のど真ん中にある。

 俺たちが潜んでいた森などもかなり距離が離れており、砦の四方に隠れる場所はほぼ存在しない。

 

 故に見晴らしの良さから敵の接近には非常に気付きやすく、砦の上からならばその動きも丸見えで対策も取りやすい。

 砦その物も下手な都市並みに大きく、なおかつ外壁は厚く造られており、防備に専念されると中々に厄介な堅牢さを持っている。

 物資が整っているという前提なら籠城戦などされてしまえば、攻め手側が撤退する事も充分にありえる場所だった。

 黄巾党がどうやってこんな場所を手に入れたかは知らないが、ここを拠点としたその判断は正しいと言えるだろう。

 

 しかしそこから逃走するとなると話が変わる。

 砦からの見晴らしの良さは、翻って逃げ出す者たちの動向をも容易く追っ手側に把握されてしまうからだ。

 

 砦からとある方向に飛ばされる矢が戦場の空を飛ぶのが見える。

 赤が交じった煙が尾を引いて伸びるそれは建業軍が取り決めた合図の一つ。

 意味は『矢が飛ぶ方向に標的あり』だ。

 

 それを見た俺たちの判断は速かった。

 

「矢の先へ向かうっ!! 黄蓋は宋謙殿含め、半数とこの場の鎮圧をっ!!」

「御意に。ここはお任せを」

「任せておけ」

 

 俺の言葉に宋謙殿と祭以外の返事はない。

 しかし意図が伝わった事は部下たちの一糸乱れぬ動きが示してくれる。

 

「矢を追い抜く気概で走れ!!」

 

 先陣を切って馬を走らせれば、無数の蹄の音が続いた。

 

「おおお、こいつらを止めろぉおお!!」

 

 戦場をぶった切るように進む俺たちを足止めするように立ち塞がる黄巾党。

 しかししっかり調教された軍馬は、よほどの事がなければ止まる事はない。

 

「邪魔だっ!」

 

 四本連結した棍に馬の速度を乗せた横凪ぎ。

 呂布ほど派手ではないが、通せんぼしていた黄巾党はまとめて吹き飛んでいった。

 

 だが敵も中々にしつこい。

 すぐ様、空いた穴を埋めるように数人が武器を振り切った俺の隙を突こうと飛びかかってきた。

 それに対処するべく俺の後ろから飛び出す二つの影。

 

「あたしらの道を阻むんじゃないよっ!!」

「どいていただきますっ!!」

 

 董襲の三節棍、賀斉の棍棒が賊徒を叩き落とし、その間に俺は速度を落とす事無くその場を駆け抜ける。

 

 矢によって示された方角を見やれば、そう遠くない位置に戦場から遠ざかろうとする一団が見えた。

 逃走するにしてはあまりにも鈍足なその一団。

 お粗末にも馬の一頭もないようだが、周囲を警戒しながら進む姿は至る所でぶつかり合う戦場において目を引き過ぎた。

 

「あれかっ!!」

 

 同時に同じくらいの速度で一団に向かう者たちが見えた。

 旗は『曹』。

 夏侯惇、夏侯淵は俺よりも後に動き出した。

 思春と祭が僅かでもさりげなく足止めしてくれたお蔭で、俺たちよりも初動は遅いはずだ。

 あれは曹操麾下の、張角捕縛の為に伏せていた部隊だろう。

 やはり簡単に出し抜かれてはくれないな、あの子は。

 

 今のところ、お互いに標的に辿り着く速さは同じ程度。

 突撃後の乱戦でどちらが早く張三姉妹に接触出来るか。

 運を天に任せる、というのは性に合わないが。

 

「全力を持って突撃っ!!」

「「「「「おおおおおおおおーーーーーっ!!!!」」」」」

 

 雄叫びを上げながら俺たちは逃亡する部隊へ突撃した。

 

 

 

 結果だけ言えば、俺たちは張三姉妹を取り逃がした。

 張角らは曹操の部隊が捕縛、その場で処刑したと『聞いている』。

 

 張角らを直接守る立場にいる黄巾党は、他と比較して確かに強かった。

 張角たちを守るべく鍛えていたんだろう。

 加えて彼女らを逃そうとする気迫も凄まじい物があった。

 つたない技量を心で補った彼らはあの時、自分の実力以上の力を発揮していただろう。

 

 しかし、それでも俺たちの敵ではなかった。

 一合で蹴散らされていく彼らの信じられないと言わんばかりの表情は良く覚えている。

 

 俺たちにとって黄巾党は壁にもなりえなかった。

 だが俺たちは運の悪い事に、張角たちのいる場所からもっとも離れていた場所に『先陣を切って』攻撃してしまったようだ。

 

 敵は俺たちに群がり、張角たちは俺たちと反対方向に逃れていくのは当然の流れ。

 曹操の部隊にももちろん敵は向かっただろう。

 しかし一番最初に甚大な被害をもたらした俺たちの方により多くの敵が吸い寄せられてしまった。

 

 俺たちと曹操たちの部隊の明暗はそこで分かたれた。

 

 より早く突破した曹操の部隊は遠ざかろうとする一団を瞬く間に追い詰めていく。

 俺たちはそれを手の届くような距離で見つめながら露払いに専念する事しか出来なかった。

 

 

「してやられたの、流石は曹操と言ったところか」

 

 張角たちの討伐が為されたという情報が戦場を駆け巡り、完全に戦意喪失して逃げだそうとした黄巾党の追撃を終えた頃。

 苦笑いと共に現れた祭に、俺も同じように苦笑いで返した。

 

「ああ。あちらの方が上手だった。闇雲に攻め入ったつもりは無かったんだが……」

 

 運とは言ったが、冷静な頭で思い返してみれば今回の失敗はそれだけが要因ではなかった。

 俺は冷静に彼我の能力を見極めていて、だから先制突破が可能と判断した。

 実際、敵に関しては誤差はあっても俺の定めた最悪にはとうてい届かない力だった。

 

 しかし戦局とは生き物のように行動一つで変化する物。

 俺が行動した結果、戦場は曹操たちに利する形になってしまった。

 せめて同時に仕掛けていれば結果は分からなくなっていただろう。

 あるいは祭たちによる弓の奇襲で逃亡する一団の動きを止めていれば。

 

 後からなら状況に対処する策はいくらでも沸いてくる。

 これがあの戦場の真ん中で思い浮かばなかった事こそが敗因だろう。

 文句の付けようもない敗北だ。

 

「見事だった。今回は俺の、引いては建業の負けだ」

 

 張角たちの首をこちらの手勢で討ち取るという最大目的は果たせなかった。

 

「凌刀厘殿、黄公覆殿」

 

 涼やかな声に呼ばれ、そちらを見れば自らの手勢を率いた夏侯淵の姿。

 

「我々は孟徳様の元へ向かいます」

「承知した。お主らの鍛え抜かれた弓技、そして夏侯妙才の見事な指揮、しかと見せてもらったぞ」

 

 にやりと笑う祭に秋蘭は「もったいないお言葉です」と軽く頭を下げる。

 

「何か主へ言付けはございますか?」

 

 俺を見つめそう告げる秋蘭に、俺は顎に手を当てて数秒だけ考えるとこれだけを伝える事を頼んだ。

 

「見事だった。だが次は勝たせてもらうぞ」

 

 秋蘭はとても嬉しそうな顔をして頷き、馬を走らせて去って行った。

 

 この笑顔は伝言を受け取った華琳とその場に居合わせた春蘭も同じだったらしいが、俺がそれを知るのはだいぶ先の話だ。

 

「では俺たちも本隊と合流するか。一先ず砦に向かう」

「おうさ。さてあやつらの方はどうなったかのぉ」

 

 ぐっと伸びをする祭に釣られて首を回して凝りをほぐす。

 

 黄巾党との戦いはこれで終わりだろう。

 だが乱世はまだ始まったばかり。

 

 これから大陸がどう動くのか、その中で俺は何をどう決断するのか。

 隠居などまだまだ先の話になるだろうな。

 

「総員騎乗!」

「「「「「おうっ!!」」」」」

 

 俺の声に唱和し、一糸乱れぬ動きで馬に乗り込む部下たち。

 彼らを引き連れ、横に祭を連れて、俺は砦を目指して馬を走らせた。

 

 

 

「……似てる」

「呂布殿、どうかなさいましたか?」

「……なんでもない。ちんきゅー、早く戻る」

「はい、皇甫嵩将軍の下へ戻りましょう!」

 

 遠くから俺を見て何事かを呟いている三国志最強の武将がいた事など露とも知らず。

 

 


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