乱世を駆ける男   作:黄粋

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第七十九話

 建業に朗報が届いたのは五度目の民の保護が上手くいってから程なくの事だった。

 

「ようやく動いたか」

 

 朝廷からの使者が携えてきた指令書には『大陸を騒がせる賊徒を殲滅せよ』という主旨の言葉が書かれていた。

 

 大陸全ての領地を持つ者たちに向けての勅命。

 もはや檄文と言っていいほどに苛烈な文面には並々ならぬ感情が込められているように思える。

 今まで無関心だったのは何だったのかと疑問に思うほどの激情を、だ。

 

 しかし発せられた令によって、ようやく俺たちは諸手を挙げて黄巾党討伐に乗り出す事が出来るようになった。

 これなら他領土への討伐も黄巾党討伐の名目である程度の融通が利くようになるだろう。

 少なくとも朝廷がこの行為を見咎める心配はない。

 少なくない賄賂の成果がここでも存分に発揮されるだろう。

 

 朝議の席にて後顧の憂いがなくなった事を雪蓮嬢に語られ、俺たち五村同盟からの戦友たちに出撃の命が下された。

 

 今はそれぞれが自分の隊の元へ向かう途中。

 同じ領地にいても忙しさから軍議以外でなかなか顔を合わせられなかった俺たちは久方振りの雑談に花を咲かせていた。

 話題はもっぱら今後の軍務についてであり、朝廷からの命令についてである。

 

「準備してきた軍備が無駄にならずに済んだな」

「この半年、まったくの無関心だったのに急にあんな怒りに満ちた激しい書き方の文を叩き付けてくるなんて何か洛陽であったのかもしれないね」

 

 皮肉げに笑う激に、檄文の裏事情を推察する慎。

 

「確かにお膝元である洛陽の城下すらも被害に遭っていたというのに我関せずだった。事態を動かす切っ掛けがあったのかもしれん。たとえば十常侍自身が何らかの明確な被害を受けただとかな」

 

 重い腰をようやく上げたとするには、違和感が際立つほどに性急で苛烈な檄文だった。

 何かがあったと邪推せずにはいられない。

 しかし出来るならば宮中で今も戦っているだろう桂花にとって『それ』が良い事である事を願う。

 

「洛陽の事は美命たちも気にしていたぞ。思春や明命たちを調査に向かわせたと聞いた」

「そう言っておったな。つまり儂らはあやつらの報告を待てば良いという事じゃ」

「こっちは目の前の賊に集中すればいいって事ね。わかりやすくてとってもありがたいわ」

 

 気合い充分に首を回す祭。

 日頃から大槌を振るっているとは思えない細い指をパキパキと鳴らす塁。

 

 自由に動けるようになった事実に、俺たちは水を得た魚のように活き活きとしていた。

 既に出陣の指示もそれぞれが受けている。

 

「今更言う事でもないが、油断や慢心などしてくたばってくれるなよ」

 

 廊下が終わり、俺たちは各々の部隊の元へ向かう。

 別れ際に告げた俺の苦言にあいつらは笑みと共に言葉を返してきた。

 

「心得ておるさ。末は家族と大往生と決めておる」

「祭に同じく。孫が良い人連れてくるくらいまで生きるのが目標なんでな。まだまだ先は長いぜ」

「勿論、可能な限り部隊の被害も減らすつもりだよ。駆狼兄」

「そういう駆狼も足を掬われたりしないでよね。知らない所でこの中の誰かがいなくなるのなんてごめんよ」

 

 まったく頼もしい奴らだ。

 こいつらが幼馴染みで良かったとふと心の底から思った。

 

「ではお互い無事に任務を果たすぞ。城下が、邑が、そしてそこに済む民が安心して暮らせるようにする為に」

「「「「応っ!!!!」」」」

 

 全員が示し合わせたかのように右手を突き出し、五人の拳が合わせる。

 お互いの決意が拳を通して伝わるような心地に俺は口元を緩めるのを止められなかった。

 

 

 

 一度動き出せば近辺にいる賊を一掃するのはあっという間だった。

 建業、曲阿に寄ってくるような賊はそもそも勅が出る前から可及的速やかに対処している。

 少し前から意図的に噂を流布する事で賊に『うちに来ればただでは済まない』と思わせる事で、そもそも寄りつかないようにしているくらいだ。

 それでも他領へ表立って入り込む事だけは出来なかった。

 

 それも勅命が出た今は違う。

 領の境目に逃げ込む小賢しい賊徒たちは、しかし俺たちの追撃を受けて壊滅していく。

 もちろんその黄巾賊のみならず、大陸の乱れに乗じて動き出した名も無き賊徒たちも諸共にだ。

 

 しかし同時に他領土には決して長く留まらない事も徹底している。

 迂闊に他領の軍と遭遇しては、どんないちゃもんを付けられるか分かったものじゃないからな。

 

 時間が経てば経つほど勢いを増す黄巾賊相手に足の引っ張り合いなどしている暇はない。

 そもそも本格的な討伐を始めるまでこの上なく出遅れているというのに。

 

 あと純粋に相手をするのが面倒だということもある。

 何度か書簡越しにこてんぱんにした記憶があるのだが、それでも奴らは孫家の領地へのちょっかいをやめないのだ。

 その諦めない精神というか執念というかには呆れを通り越して、ある種の尊敬すら抱いている。

 まぁそれを真似しようと思わないが。

 

 まぁそういう連中なので直接対面してしまえば何くれと重箱の隅を突くような文句を鬼の首を取ったかのような顔でやるだろう事は目に見えている。

 ならばそもそも接触しないように動くのは当然の事だ。

 

 そうして行く先々で賊を討伐ないし説得して回り、それなりに月日が経った。

 建業ではそろそろ遠征も視野に入れるべきかという段階に来ている。

 派遣するのは勿論、同盟相手である馬寿成率いる涼州は西平。

 危惧した通り、黄巾賊と異民族による意図せぬ挟み撃ちにあい、負けないまでも苦戦していると聞いている。

 特に異民族の勢いがいつにも増して強いらしい。

 大陸の混乱を好機と見ての行動なのだとしたら、それは前線の兵士たちに感じた機械や人形のような無機質な印象とは裏腹に機を見る事が出来るだけの頭脳を持つ者が存在する事を示している。

 傷つくことも死ぬ事も恐れない兵士に優秀な頭脳が加わるとなれば油断など出来たものじゃないだろう。

 相対する縁や雲砕、翠たちの苦労を少しでも軽くする為に、雪蓮嬢は部隊の派遣を決めた。

 

 派遣されるのは慎、深冬、激辺りだろう。

 慎と深冬は建業で文字通りの一、二を争う騎馬隊の隊長、激はあれで中々臨機応変に対応出来る人材だ。

 あちらに合わせるという意味では激が、あちらと足並みを揃えられるという意味での慎あるいは深冬。

 他の皆とて実力で劣っているとは思わないが、西平の優秀な騎馬隊と合わせられるかとなると必然的に人選を絞られた結果だ。

 

 

 誰を派遣するかも含めて準備は着々と進行しているとついこの間来た伝令が伝えてくれた。

 俺たち凌操隊は黄巾賊討伐に乗り出してから、かれこれ三ヶ月ほどをずっと自領の外で過ごしていた。

 

 建業内で最も遠征慣れしている俺たちは補給のための帰還を一度もせずに黄巾賊討伐に従事している。

 情報収集の為に立ち寄った邑から厚意で分けてもらったものもありがたく使わせてもらっているが、それも邑側の生活に差し支えない程度に抑えているため、基本的に隊は隊員たちの自給自足によって賄っている。

 遠征の度にサバイバル訓練も行っていたお蔭で、現地での食料、飲み水の確保も慣れたものだ。

 

 実に頼もしく成長してくれた。

 弧円や麟、絃慈たちはそろそろ独立させて自分の隊を作らせてもいいかもしれない。

 こいつらならきっと自分らしい部隊を作ってくれるだろう。

 

 

 そんな部下たちの未来を想像しながら、今日も討伐する賊を捜して行軍する。

 この先、黄巾党討伐のさらに先に訪れるだろう時代の波を見据えながら。

 

 

 そして俺たちはこの黄巾の乱で様々な人物と出会う事になる。

 出会いだけではなく再会も含まれるが、そんな事は些細な事だろう。

 

 

「やはり貴方方もこの場所に辿り着きましたか。お久しぶりですね、刀厘様」

「俺とお前たちだけという状況だ。あえて謙るのはやめてこう返させてもらおう。久し振りだな、孟徳」

 

 金色の髪をツインテールにした少女はその愛らしい見目にそぐわない覇気をあの時よりもさらに強くしていた。

 

 

「以前は腕を競い合うような状況ではなかったな。此度はどちらが敵を倒すか競うというのはどうだ、甘卓」

「くだらん。そのような遊びに付き合う義理はない。貴様も武官ならば口を開くよりも得物を振るって武を示してみろ。夏侯元譲」

 

 視線で火花をばちばちと散らしながらも、本気で毛嫌いしている様子はなく。

 二人は目前の敵を前に正に競うように飛び出していった。

 

 

「お初にお目にかかります、黄公覆殿。音に聞こえし貴殿の弓術に我が弓がどこまで届くか、不躾とは思いますが試させていただきましょう」

「はっはっは! 実に良い気迫じゃ。その隙あらば食らおうとする目、そしてその不遜な物言いも実に良い。かかってくるがよいわ、夏侯妙才。容易く届かせるほど、我が腕は安くはないぞ」

 

 己の弓術に絶対の自信がある二人は、静かに闘志を燃やし矢を番える。

 

 

 

 そして新たな出会いもまたすぐそこまで迫っていた。

 

「は、初めまして。義勇軍を率いている劉玄徳です!」

「玄徳様の義姉妹、関雲長と申します」

「玄徳姉者の義妹の張飛なのだっーーー!!」

 

 戦乱の世は加速していく。

 


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