西平遠征軍を受け入れた事で、建業は賑やかさを増した。
彼らは屈強ではあり野性的であり、そしてとても義理堅い。
俺たちとの同盟によってもたらされた食料問題の改善によって生活が楽になった事を実感している為に、俺たちに向ける敬意は並々ならぬ物があった。
加えて俺や激が鍛え上げた兵士たちとは一度派手に衝突と言う名の調練をするとすぐに打ち解けた。
彼らはその土地柄から見目や肩書きよりも実力をこそ重視するからだ。
ぶつかり合い、お互いの実力を認め合った彼らは俺や思春、翠たちが仲介する必要もないほどあっさりと意気投合した。
城下に出てみればそこかしこで西平の兵士たちと談笑する民やうちの兵士たちを見かける。
夜ともなれば肩を組みながら飲み歩いている姿もあった。
彼らの存在は建業に新たな活気をもたらしている。
偶に酔いが回りすぎて騒ぎを起こす者もいるが、そこは交番勤務の者たちや夜警部隊が即鎮圧している。
馬鹿な真似をした者は翌日の訓練で俺と激、翠や蒲公英たちに酷い目に合わされるため、一度しでかせば同じ人間は二度と酒での過ちは犯さなくなっている。
彼らが来て一ヶ月も経てば、その恐ろしい訓練の様子に自然と自重するようになっていた。
「うちの部下たちはそっちで上手くやってるか?」
「蒋さんたちはよくやってくれてますよ。サツマイモも何かあった時の為の蓄えに出来るくらい豊作だって言ってました」
「うちにもすっかり馴染んでてね。なんか建業から来てくれた人だって事、たまに忘れそうになるくらい」
「あ~、あたしもそう思った。なんだろう、あの二人ってすごく親しみやすいんだよ」
「うんうん、わかるわかる」
どうやら蒋欽、蒋一兄弟は西平に馴染んでいるようだ。
しかし志願してきたにも関わらず兵士としてではなく開墾方面で重用してしまっている事は申し訳ないとも思う。
翠たちが戻る時に労いとして何か渡すように頼もう。
それまでに何か良い物を考えておかないとな。
俺は目の前の死闘と間違うほど気合いの入った手合わせを見つめながらそんな事を考える。
「へぇ、流石。見知らぬ地への遠征を任されているだけの事はあるわね、馬孟起」
「そっちこそ。建業の次期後継ってのは肩書きだけじゃないって事か。孫伯符」
戦っているのは翠と雪蓮嬢だ。
なぜ戦っているかと言えば純粋な力比べがしたいという事なのだが。
妙な事に話の成り行きで『俺との鍛錬権』という謎の権利が賭けられている。
勝った方が今日の俺との鍛錬を独り占め出来る、という話なのだが俺は一切その話に関与していない。
二人が揉めていると伝えに来た蓮華嬢によれば鍛錬していた翠に雪蓮嬢が声をかけたらしい。
最初は特に何事もなく談笑していたらしいのだが、だんだんと話の雲行きが怪しくなった。
「あたしは駆狼さんに鼻っ柱へし折られて、そして今は前よりだんぜん強くなった」
「私はあの人が空いてる時に付きっきりで相手してもらって今も強くなってるわ」
自分の強さを誇るというか、どう俺と関わったかを自慢し合うよくわからない会話になっていったらしい。
だんだんとお互いに睨み合うようになり、その様子を見ていた他の兵士たちが自軍側のお嬢の応援に回ってしまい、よくわからなんが試合する流れになったのだという。
蓮華嬢が俺を鍛錬場に連れてきた時にはその話が鍛錬場にいなかった兵士たちにも広がって野次馬がやたら増えていた。
そしてこの勝負はもちろん、この後に控えている俺本人の予定にまったくないはずの俺との鍛錬にも期待されてしまっている様子だった。
俺が現れると兵士たちはこぞって道を空け、最前列にまで連れて行ってくれるような有様だ。
まぁ今日は特に急ぎの仕事が無かったからみっちり隊の調練をするはずだったんだが、その予定はなし崩しで書き換えられてしまっている。
とはいえここまで話が広がってしまった以上、それに文句を言っても仕方ない。
この二人の勝負というのは見物であるし、雪蓮嬢にはそろそろガス抜きが必要だとも思っていた。
だから俺は申し訳なさそうにしている蓮華嬢の頭を撫でながら、予定を勝手に書き換えられた事は気にしない事にして二人の勝負を見学することにした。
俺の体感だがそろそろ四半刻は経つだろう。
中々に白熱している勝負だ。
まだ互いに有効打の一つも取れていない。
「叔父様、どちらが勝つと思われますか?」
硬い声で問いかけるのは蓮華嬢だ。
視線は目の前の勝負に釘付けだが、それでも意識は俺に向けられており俺の答えを待っている
「……難しいところだが、おそらく雪蓮嬢だ」
どちらも若く、才能に恵まれているからか成長速度は非常に高い。
俺が西平からこちらに戻ってきてまだそれほど経っていないというのに翠や蒲公英の実力は飛躍的に向上していた事からもそれは明らかだ。
ただそれならば雪蓮嬢とて負けていない。
いやむしろ俺たちに負ける度に反省と復習を繰り返し行う彼女の方が伸びるだろう。
総合力や今後はどうなるかわからない。
しかし今はまだ強くなる為の環境はうちの方が上だ。
「しかし翠も流石です。勝負が始まってからただの一度も雪蓮様の剣を受けていない」
思春の言葉に同意しながら試合を見守る。
事態はそこからすぐに動いた。
雪蓮嬢は同年代の強敵に瞳をぎらぎらと輝かせながら剣を振るう。
大木を両断しうる斬撃を翠は後方に飛び退いて回避。
追随するように駆け出し、突きを放たんとする雪蓮嬢を彼女は槍で牽制する。
牽制とは言う物の当たればただでは済まない突きの連打だ。
雪蓮嬢の視点から見ればまさに槍の穂先が壁のように見えているだろう。
思わず彼女の足が止まる。
翠は着地と共に踏み込み、間合いの外から腰の入った本気の槍撃を放つ。
牽制の一撃一撃が拳銃ならば、この一撃は大砲と言っても過言ではない。
真っ向から受ければ負ける。
見ている者たちがそう判断する中、雪蓮嬢は槍の穂先に剣を触れさせ、そして直撃の瞬間に力を外へ逸らした。
この場にいる誰もが驚いただろう。
しかし最も驚いたのは相手をしている翠か、あるいは俺だろうな。
まさか俺が手甲でやっていた受け流しを剣で出来るほどに物にしているとは思わなかった。
翠は渾身の一撃が流され、身体が前につんのめりそうになるのを踏ん張る事で抑え込む。
それ自体はほとんど一瞬の事だ。
だがそれは強者からすれば確かな隙だった。
地を這う豹が駆ける。
一足で槍の間合いが侵略され、翠の首筋には雪蓮嬢の剣があった。
誰がどう見ても勝負ありと言えるだろう。
「私の勝ちね?」
「ああ、あたしの負けだ」
『しくじった』と言わんばかりの苦々しい表情で翠は負けを認めた。
「よっし! さぁ駆狼! 出てきなさい! 貴方との鍛錬の権利は私の物よ!」
「くっそ~~! まさか剣で受け流されるなんて! あたしもなんで警戒出来なかったんだよ!? 駆狼さんにさんざんやられた手だったのにっ!?」
勝ち誇り、子供のように飛び跳ねながら俺を手招きする雪蓮嬢。
女性らしく艶めかしさすら感じるほどに成長した身体で飛び跳ねるせいで色々と目に毒な有様だが、大喜びしている当人は果たして気付いているのかいないのか。
とりあえず息を一つ付いてからご指名に応えるべく彼女の方へ歩き出す。
すれ違う翠の肩をお疲れ様と言いながら叩き、鍛錬場の真ん中へ。
ぐっと身体を伸ばしながら俺が自分の前に立つのを今か今かと待ち受ける雪蓮嬢。
「こうして戦うの久し振りよねぇ」
「まだ一ヶ月しか経ってないんだが……?」
実際、この子の悪癖『戦闘狂』を抑える為に俺や激、時には思春などが定期的に模擬戦を行っている。
最近は激と俺が仕事に時間を取られていたから、ご無沙汰ではあったのだが。
年々、悪化しているとは思っていたがまさか一ヶ月も持たなくなっているとは思わなかった。
「とはいえ子供に過度な我慢を強いるつもりもない。今日はとことん付き合ってやる」
腰を落として構えを取ると彼女は不機嫌そうに口を尖らせた。
「もう……まぁた私を子供扱いするの? もうそんな年齢じゃないんだけど?」
「そうか? 俺には落ち着きのない子供にしか見えないんだが……」
正直なところ。
俺にとってはどれだけ成長著しくとも子供である。
しかしそれはなにもこの子に限った話ではない。
自由奔放が過ぎる雪蓮嬢も、誰かの役に立つ為に自分を出す事を我慢する冥琳嬢も、姉たちに追いつこうと背伸びしている蓮華嬢も、我が儘で周りを引っかき回す小蓮嬢も等しく子供なのだ。
まぁ特に子供っぽいと思っているのが雪蓮嬢なのは間違いないが。
「あ、何か今すごくいらっとした」
米神を抑えて機嫌を急下降させている彼女に対して俺は肩を竦めて笑う。
勘が良すぎるのも困りものだ。
「じゃあこうしましょ! 私が勝ったら子供扱いをやめるって事で!」
「俺が勝ったらどうするんだ、それは?」
「駆狼の言う事なんでも聞くって事で!」
またこの子は突拍子もない事を言う。
ほら、見学者たちの輪の中から「お姉様!」と諫める声が聞こえてきた。
まぁ本人はもう俺しか見えていなくて聞こえていないらしいが。
「そういう言動を直せば子供扱いしないんだが……」
「それだとなんか納得できないのよ!」
「理不尽じゃないか、それは?」
こうして話している間にも彼女の興奮は高まっていく。
俺は雑談を切り上げるべく、左手の甲を向けて手招きするように挑発した。
「来い」
「あはっ!! そういう話が早いところ、大好きよ! 駆狼!!」
そういう台詞は心に決めた人に言いなさい、と言う間もなく俺たちの勝負の幕が上がる。
それから日が落ちるまでの間、手合わせという名の壮絶な戦いは続いた。
結果だけ言えば俺の勝ち。
彼女は負けた後、おそらくずっと見ていたのだろう冥琳嬢に鞭で縛られて連行されていった。
「駆狼さん! 明日はあたしと試合してくれ!」
引きずられていく雪蓮嬢を見送っていると翠が勢い込んで試合の申し入れをしてくる
別に試合くらいやっても構わないのだが、ただ明日は俺ではなくこの子の都合が悪いはずだ。
「お前は明日から蒲公英と交代で軍馬関連の教練だっただろう。まさか西平の代表として来た仕事を忘れたわけじゃないだろうな?」
俺が指摘すると翠は愕然とした顔をして頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。
「あ、あああ~~、そうだったぁ。せっかく駆狼さんとかち合う時間があったのに。くっそぉ、伯符に邪魔されたせいでぇ~~~」
涙目になりながら雪蓮嬢へ恨み節を述べる翠の頭を軽く叩く。
「仕事をしっかりこなしたら、その後で時間を作るさ。俺は逃げないからまずはきっちり片付けてこい」
「あはは! はい!」
叩かれた頭を撫でながら翠は妙に幼い笑みを浮かべ、俺に頭を下げると鍛錬場を出て行った。
まだ鍛錬を行っている者たちに先に上がる事を告げて、城内へ向かう。
「(騒がしい日々だ……。だがとても充実した日々でもある)」
こつこつと一人で歩く彼の足音が静かな廊下に響く。
「(このまま領地の平和が保たれればいいと思うが……そうもいかないんだろうな)」
思い出されるのは人間としての感覚をどこかに置いてきたような異民族の軍勢。
そして凜としていながらも、どこか道に迷った幼子のような雰囲気を見せた危うい少女『曹操』の姿。
「(いつ、なにが起こるかわからないがこの世界はおそらく今までにない激動の時代に突入するはず。備えなければならない。後悔する事がないように)」
どれだけの事をすれば完璧な備えとなるかなんて俺にはわからない。
だがそれでも出来るだけの事はしたい。
「(最初は家族のため、村のための仕官だった。それもずいぶん昔の話になったな)」
俺には守りたいと願う物が沢山ある。
取りこぼすかもしれない不安はいつまでも付きまとい、決して消える事はない。
逃げると言う選択肢は最初からない。
ならば立ち向かう為に努力し続けよう。
「(人を励ますために立ち上がったあの頃と同じように)」
かつての世界に思いを馳せる。
戦争に負けて荒んでいた、疲れ果てていた場所で、確かに輝いていた青空道場。
溢れてた笑顔はあの頃も今も変わらない。
「駆狼? 今日もお疲れ様」
「ああ。ただいま、陽菜」
奏を抱き上げながら俺に笑いかける陽菜。
俺も笑い返し、うとうとしていた奏の頭をそっと撫でる。
手の感触に驚いたのか、ぱっちりと目を開くと奏は俺を見てそして嬉しそうに笑った。
俺は何にも代えがたいこの笑顔を守るために後悔しない努力を続ける決意を強くする。
「寝るか、陽菜」
「ええ」
俺の気持ちをなんとなく察してくれたらしい彼女は二つ返事で了承した。
奏を俺に抱えさせ、自分はもう眠っている玖龍を抱きかかえて寝台に入り込む。
俺も陽菜がやりたい事を察して奏を抱いたまま寝台に入った。
俺たちはそれぞれに子供を抱きながら互いの手を握り合って眠りについた。