乱世を駆ける男   作:黄粋

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第六十九話之裏

 まさかいきなり目的の人物と接触出来た上に二人きりの状況になってしまうとは思いませんでした。

 私は緊張で上擦りそうになる喉を必死に落ち着けながら刀厘殿の後に続く。

 

「ここだ」

 

 そうかからずに到着したそこは手入れの行き届いた中庭でした。

 私自身、休憩と称して老先生や同僚の方々に連れてこられた事があります。

 

 いつ見ても良い庭ですね。

 植えられた草花には無理に切り詰めて作られた物がなく、初めからここに生えていたかのような瑞々しさに満ちています。

 華美な装飾はまったく無く、置かれている椅子などはその自然の中に紛れ込むような薄めの色合いで作られている事から作られた庭にある違和感がとても少なく感じされます。

 

 聞いた話ですとこの中庭は文台様が建業を手に入れた頃は廃れていて庭とも呼べぬ有様だったといいます。

 これを為したのは文台様の妹君、『建業の双虎』の片割れたる幼台様だというお話を聞きました。

 

 建業の治政に東奔西走している頃、少ない自由な時間をかの方は庭の手入れ、いや再生に注いでいたそうです。

 口で言うほど簡単な事ではないはず。

 だというのに当時、とても楽しそうに事に当たっていたと聞いています。

 

「そこに座るといい」

 

 私がこの庭の由来に思いを馳せている間に刀厘殿は中庭の席に着かれました。

 対面の席を勧められ、会釈と断りを入れてから座らせていただきます。

 

「「……」」

 

 それほど狭くもない庭ですが……今はとても静かです。

 この心地よい静寂を壊す事を躊躇ってしまい何を話したら良いか迷って無言でいる私を余所に、刀厘殿はだらしなくならない程度に力を抜いて対面に座っておられる。

 

「ここはどうだ? それなりに良い所だと自負しているつもりだが……」

 

 庭を眺めながら投げかけられた言葉。

 あちらからわざわざ垂らしていただいた会話の糸口に私は一も二も無く飛びついた。

 

「ええ。今までそれなりに中華を巡ってきたつもりですが賑わい振りは五指に入ると思います」

 

 これは過大評価でもなんでもない純然とした事実です。

 

 強大な権力を持つ、という観点で見れば建業は中華中の城主の中で低位、あるいは中位の下程度の身分になるだろう。

 

 しかし上に立つ者が、政に携わる者たちの一致団結した雰囲気の良さ。

 そして何よりも民の生活の安定が保たれているという意味で見ると評価は一変すると言っていいでしょう。

 

 城主の為に搾取される立場、という度し難い認識が蔓延している昨今。

 彼らの生気に満ちた笑みというのが今の中華でどれだけ貴重である事か。

 あくまで噂でしか聞いていなかった建業の民こそを大切にする治政。

 眉唾な噂だという気持ちがあったのは事実です。

 だからこそあの子の事を抜きにしても、その治政を確かめるという思いを胸にここへ来ました。

 しかしこうして実際に関わった今はむしろ噂以上とすら思えます。

 

「五指、か。外からの意見でそれならなかなか高評価だな」

 

 顎に手を当てながら刀厘殿は一つ頷かれる。

 この時勢で権力の背景もなくこれだけの評価を受けたというのにそれを喜ぶ様子はありません。

 

 雇われの身である人間の評価故に本気にしていないのか、本心を見せないようにしているのか。

 その表情からは内心を窺う事は出来ませんね。

 

「我々も良くしていただいております。居心地の良さという意味ではここほど伸び伸びと出来る場所はない、と思います」

 

 しかしそれでも私は、今のところここに仕官するつもりはなかった。

 ここの文官方は老先生を筆頭にそれとなく、しかし熱心に勧誘してくださっていると言うのに贅沢な事を言っていると自分でも思う。

 ですが厚顔無恥と罵られようとも譲れない物があるのです。

 

「なるほど、参考になるな。他には何か意見はあるだろうか? 文官として言える事があれば教えて欲しい」

「はい。そうですね……兵同士の横の繋がりが強い事はもちろんそうなのですが文官と兵士、武官と兵士たちの距離も近いようです。多くが気軽に雑談をしている様子にも驚かされました。余所ではまず見れない光景でしょう」

 

 おそらくこの点が余所と建業の最も大きな違いでしょうね。

 

 領主と将軍、上司と部下。

 そういった上下関係その物をしっかりと構築していながらも、彼らはそれを強く主張しない。

 下の者は必要以上に畏まらず、上の者は必要以上に大きく振る舞わないのだ。

 

 この時代の当たり前から逸脱した状態と言って良いでしょう。

 私も風も星も、遠目から見た建業の在り方には驚きを通り越して仰天しました。

 こうして働かせていただいた僅かな間に、その『あり得ざる光景』に慣れてしまってきている私たち自身にも驚いているほどです。

 

「最上位の文台様が寛容というか大雑把だからな。……それに俺たち『孫呉の四天王』は元々生粋の民上がりでその辺りに疎かった。『上司としての振る舞い』に少なからず違和感を覚えていたんだ。だから振る舞い方を一から老先生たちに教わってもそれは無くならなかった。だからこうしたいと皆に伝え、話し合った結果として今の気安い環境が出来たと言えるだろう」

 

 いくら文台様直々に仕官させた方々とはいえ、慣習の変換、いや改革など容易く申し上げられるはずもありません。

 意図して軽くおっしゃっているけれど、おそらくこの方をして己の首をかけての献策だったはずです。

 

「貴方は、いえ建業の方々は見ている場所が違うのですね」

 

 どこがどう違うのか、具体的な所はまだ断言出来ない。

 しかし国に、そして主に仕え、主にこそ有益な政をする為にこそ己の智を使いたいと考えている私とは『考え方』が違うのだと言う事はなんとなくわかりました。

 

「……そうだな。今、この中華にあるだろう数多の領主、領土の中でここははっきり言って異質だろう」

 

 見方を変えれば酷く無礼なはずの私の物言いを、しかしこの方は笑って受け入れてしまわれる。

 

「だが異質である事がどうした? 異質という言葉一つで新しい試みが忌避されると言うのなら、俺たちは異質でもいい。余所が足踏みしているそのうちにせいぜいその良さを持って先へ行くだけだ」

 

 やはり違う。

 特にこの方はそれが顕著です。

 そしてそんなある種の粗暴さを含んだその物言いに、しかし巨大な木に寄りかかるような安堵を覚えてしまう。

 だからこそ私は駆け引きも何も無しという軍師を目指す者にあるまじき事をしてしまいました。

 

「私は己が仕える場所を探す事と同じくらい大事な事があります」

「……」

 

 居住まいを正して真っ直ぐ視線を向ける私に、刀厘殿もまた居住まいを正して応じてくださる。

 たかだか雇われ者の言葉を蔑ろにしないその姿勢が私にはとてもありがたく、しかし余計な重荷をこの方に背負わせる事になりかねない事実に罪悪感が募った。

 しかしそれでもここまで言った以上は止まれないのです。

 

「私は私が偽名として名乗っている名を持つ同年代の少女を、私の親友である『戯志才』を捜しています」

 

 そこから私は洗いざらい事情を話した。

 話し出したら止まらなくなってしまったのだ。

 

 私が十を数える年になる頃に攫われた友達。

 そのご両親が既に死に絶えている事。

 数年の準備を経てこうして旅に出た事。

 手がかりを求めて刀厘殿にお会いする機会を窺っていた事。

 

 刀厘殿は私の矢継ぎ早な言葉には一切口を挟まず、相槌を持って応えてくださった。

 全てを語った私は肩で息をしながらかの方を窺う。

 もしも何か知っているならば、教えて欲しいという恥知らずな願望を乗せて。

 

「そうか」

 

 彼は納得したかのように頷き、視線を頭上へと向けた。

 

「あの子以外にも彼女を知る人間がいたんだな。……良かった」

 

 その言葉の意味は残念ながら私には分からなかった。

 

「俺が知っている事を教えよう」

 

 静かに語り出す刀厘殿。

 その言葉を私は身を乗り出して一字一句逃すまいと聞き取ろうとする。

 

「俺たちが保護した少女と戯志才以外に攫われた者の死亡が確認している。彼女らの共通点は領土を持つ権力者や貴族に売られていた事。遺体は特に隠す事もなく敷地の外へ放り出されていたという話だ」

「っ!?」

 

 私は口から零れそうになる呻き声を自身の手で押さえる。

 次いでそんな有様になったあの子を想像してしまい、頭から血の気が引いていった。

 思わず自分を抱きしめるように手を回して俯くと、そっと気遣わしげに肩に手を置かれた。

 

「落ち着け。まだ話は終わっていないぞ。座って深く呼吸をして落ち着くんだ」

「は、はい……」

 

 言われた通りに私は椅子に座り直し、見本を見せる彼に倣ってゆっくり大きく息を吸い込み吐き出す。

 それを繰り返すうちに嫌な想像で早くなっていた鼓動が落ち着いていった。

 

「落ち着いたか?」

「……はい。ありがとうございました。もう大丈夫です」

 

 彼は一つ頷くと中断してしまった話を再開される。

 

「どこにいるかは残念ながら不明だ。その生死も……。だが俺たちがあの子を保護してから数えて二年後、赤い目に赤茶色の髪の子供を連れた商人が幽州に向かったという情報を得ている。保護した子から聞いた特徴と一致する事からもしかしたら運良く流れ流れて生きている可能性がある……」

「赤い目に赤茶色の髪! それは確かに戯志才の特徴です!!」

 

 しかしまさか幽州とは!

 星が次の目的地にと提案していた場所ではありませんか!

 

 またしても興奮で椅子から立ち上がってしまった。

 しかしこの方はそんな私を視線だけで制してしまう。

 その揺らがない瞳が私に冷静さを取り戻させてくれた。

 

「期待させて済まないが確証は無い。こちらでも各地の情報収集の傍ら、無理を言って頼んでいるがこれ以上の情報は掴めていないのが実状だ」

「……申し訳ありません。確かにその通りですね。我を忘れてしまいました」

 

 手がかりが何もない状態からの思わぬ進展に興奮した事を恥じ入るばかりです。

 私もまだまだ未熟ですね。

 

「いやそれだけ戯志才の事を想っているんだろう。偽名の件といい徹底している。それだけ会いたいという気持ちは伝わっているさ」

 

 そう告げた刀厘殿の目は先ほどとは一転して暖かな柔らかさに満ちていた。

 まるで親が子の行動を見守るような暖かみを感じて気恥ずかしくなってしまう。

 

「こほん」

 

 思わず咳払いなどして誤魔化そうとするが、そんな事が通用する御仁ではないだろう。

 

「大切な事を忘れておりました」

 

 しかしそこを押して無理矢理にでも話を進めさせてもらいます。

 私はその場に立ち上がり、椅子を丁寧に避けて刀厘殿に深く頭を下げた。

 

「姓は郭(かく)、名は嘉(か)、字は奉孝(ほうこう)と申します」

 

 改めて名乗らせていただくと彼は目を瞬いて驚いていた。

 どうやら私はここに来てようやくこの方から一本取れたらしい。

 こんな事で、と自分でも思うけれど。

 ちょっとした子供っぽい優越感に慕りながら話を続ける。

 

「そして貴方への信頼の証として私の真名である稟(りん)をお預けいたします。どうかお受け取りください」

 

 膝をつき頭を垂れながら刀厘殿の応えを待った。

 しかし待つというほど時間が経つ間もなく、かの方は私の肩にそっと手を置き立つように促す。

 促されるままに立ち上がり彼の顔に視線を向けると真剣な面持ちと目が合った。

 

「確かに受け取った。そして返礼として俺も真名を預けさせてもらおう。駆ける狼と書いて駆狼だ。受け取ってくれるか? 本物の戯志才をどういう形であれ必ず見つけると決めた同士としても、な」

 

 これほどのお方に信を預けられた。

 戯志才を捜す私の覚悟を認めていただけた。

 その事が私には万の援軍よりも心強く、勇気付けられた気がした。

 

「はい。私は必ず戯志才と再会します。そしてあの時預ける事が出来なかった真名を今度こそあの子と交換したい」

 

 心のどこかにあったあの子がもういないんではないかという最悪の可能性。

 この方から戴いた勇気でその最悪の想定を真っ向から打ち破るという決意を込めて、私はその想いを言葉にした。

 

 待っていて、私の親友。

 

 


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