乱世を駆ける男   作:黄粋

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第五十四話之裏

 可能ならばあの方たちと話をしてみたいと考えていた。

 

 武において建業一と言われ官軍の悉くを返り討ちにしてきた『鈴の甘寧』を倒した凌刀厘様……もとい駆狼様。

 たった数ヶ月で遠征軍を一から造り上げた実績、彼らを従えて賊を討伐した成果、作物の栽培すらも行える豊富な知識。

 武だけに留まらぬ力を持つあの方がどのような人物なのか、私はこの眼で確かめたいと思っていた。

 

 そして様々な方面にて新しい着想をもって政(まつりごと)を行い、領土に平和をもたらすべく尽力する孫幼台様、もとい陽菜様。 

 豪族上がりで太守の座についた姉である孫文台様を、親友である周公共様と共に陰に日向に支え続けた忠臣。

 おそるべきはその頭脳が生み出す発想力と柔軟性。

 恐らくこの方の存在が無ければ、建業は太守交代から今まで続く並々ならぬ速度の発展と領土の安寧はなかったとさえ思える。

 いえ孫文台様や周公共様たちがいれば発展はしただろうけれど、僅か数年でここまで飛躍する事はなかったはずだ。

 

 

 恥ずかしい事に、私はお爺様に言われるまで建業にさして注目をしていなかった。

 腐れ縁の麗羽(れいは)や劉表、そして首都で策謀を巡らせる十常侍や近隣諸国の間諜に力を入れていたからというのもある。

 その頃の私たちの周りにいる男というものは軟弱で媚を売り、口ばかりで何もできないそんな情けない存在の代名詞で蔑視の対象だった。

 だからそんな男を登用し、そんな男が名を上げている領土など高が知れているという侮りがあった。

 

 お爺様が私たちへ建業の話を聞かせなければ。

 実の父親すらも蔑視の対象としていた私は、そう遠くない未来で取り返しのつかない過ちを犯していただろう。

 

 いえ既に過ちは起こしている。

 陳留の、いや私の遥か先を行く政策を行い将来的に当時の私たちを歯牙にもかけないほど巨大な勢力になる可能性を秘めた存在を無視してきたという愚行だ。

 

 それから私と秋蘭は建業で行われている事をすべて間諜に調べ上げさせた。

 城への潜入は出来なかったが、市内については間諜が入りこんでも手出しする事はないらしい。

 見て取れる政策についてはどんな小さな事でも報告させてきた。

 

 前例のない政策。

 月日が流れれば流れるほどに安定する街の治安。

 そして力をつける兵士たちの情報がこれでもかと報告された。

 

 愕然とした。

 なぜこれほどの勢いに乗った存在を今まで無視できたのかと己を思いつく限りの言葉で罵倒した。

 

 衝撃を受けた私たちにさらなる追い打ちになる言葉を間諜が告げる。

 

 間諜たちは市内に潜伏している間、生きた心地がしなかったと言う。

 なぜなら巡回の兵士たち、交番という街中に等間隔で置かれた兵士たちの駐在所にいる者たち。

 末端の兵士たちである彼らは間諜たちの存在に気付き、あろうことか武力を伴った警告までしてきたのだと。

 

「恐るべき事に、ヤツラは我らが街にいる事を許容しております。城に入りこまず、また領民に手を出すような真似をしなければあえて手を出すつもりはない。主にそう伝えよと、言付けられた我らは総出で一度捕縛され、そして全員が叩きのめされております」

 

 そう言った間諜の身体には少なくない打撃による痕が付いており、その唇は捕まった挙句に見逃された悔しさに噛み締められていた。

 私たちが手塩にかけた間諜たちの存在を見切り、あろうことかあえて見逃す。

 その行動から読み取れるのは街から取れる情報では自分たちを害する事は出来ないという意志と、言伝られた事項を破ればただでは済まさないという意志だった。

 

 末端の兵士一人一人にまで間諜の見分け方を仕込むなど一体どのようにすれば出来るというのか。

 

 

 それからの私たちは他への間諜をそのままに建業の行動を常に注視しながら、彼らの政策を分析し領土に取り込めないか考え、ソレとは別により効果的な新しい政策を考える日々を送った。

 ただ我武者羅に、ひたすらに、遠いその背を追うように。

 

 そしていつしか私よりも先を行く発想力や行動力への悔しさや嫉妬心を内包したその気持ちは、尊敬の念へと昇華されていた。

 

 父から太守を譲り受け、自らの手で領土の安定に乗り出してからはますます持ってその尊敬の念は強くなっていった。

 面と向かって会った事もないと言うのに、いつの間にか建業の方々には常に敬意を払うようになっていた。

 

 敬意を払わなければいけないと感じるだけの差があると私は確信していた。

 ただこのままでは絶対に終わらないという競争心も私の中にはある。

 そしていつか必ず追いつき、追い抜き、建業のすべてを私の配下に収めてみせるという野心も。

 

 その為にも私はこれからも強くあらなければならない。

 そんな気持ちを胸に私は日々を過ごしていた。

 

 

 

 

 その日、春蘭は部隊の調練に。

 秋蘭は朝から交番の兵士たちへの抜き打ち監査の為に外出。

 私は今の民の暮らしと今後役に立つ政策について自室で思案していた。

 

 そんな『いつも通り』が変化したのは太陽が西に傾き始めた頃。

 帰ってきた秋蘭の報告を伝えてきた門番の言葉に、思わず耳を疑ってしまった。

 

「悪いのだけどもう一度言ってくれる?」

 

 門番を勤めている目の前の男の言葉が信じられず思わず聞き返す。

 

「妙才様が孫幼台様、凌刀厘様とお二人の若君と思しきお子と護衛の者を屋敷にお連れしました」

 

 先の言葉と一字一句違えずに復唱する門番の言葉に、私は弾かれたように気を取り直し動き出す。

 

「貴方はすぐにこの事を屋敷中に周知してきて。その後は春蘭を呼びに行ってちょうだい!」

「御意」

 

 頭を下げすぐに行動を起こす。

 寡黙だが、課せられた職務はきっちりこなす有能な男だ。

 

「誰かある! 応接室にお客様をお迎えする準備を。塵一つ見逃さない心積もりで行いなさい」

「御意に」

 

 傍付きの侍従が頭を下げて部屋を出る。

 

「あとは……私が気持ちを落ち着けるだけね」

 

 指示をしている間も、私の心の臓は五月蝿いほどに早鐘を打っていた。

 こんなにも緊張した事は過去に数度しかない。

 結婚式場から花嫁を攫ったあの時ですら楽しむ余裕があったと言うのに。

 

 なんて無様な。

 何も知らない生娘というわけでもないというのに。

 

 自嘲しながら私は深呼吸をして心を落ち着ける。

 どたばたと廊下からこちらに向かってくる足音が聞こえてくる頃には、いつも通りの私に戻っていた。

 

「春蘭……あの子はまったく」

 

 騒音があの方々に届いたらどうするのか。

 

「華琳様!」

 

 両開きの扉を力任せに開き、その目を輝かせながら私の名を呼ぶ。

 私の大事な片腕であり、愛おしい子の一人である春蘭だ。

 

「落ち着きなさい、春蘭」

 

 ため息を零しながら注意をする。

 この子は私の言う事にはなんでも従ういじらしい子なのだが、思慮が浅いのが偶に傷だ。

 

「あの方々がいらっしゃったというのは本当ですか!」

「私がこんな嘘を貴女につくはずがないでしょう。それよりも落ち着きなさい」

 

 鼻息の荒い彼女をやや強引に諌める。

 この子があの方々の前で暴走するのはどうにかして抑えなければならない。

 

 そうこうしている間に、準備が出来たと侍従が伝えに来た。

 春蘭が暴走しないかはまだ不安だけれど、あまりお待たせするわけにはいかない。

 

 侍従には秋蘭への言伝を言い渡し、私たちは応接室へ。

 応接室に向かう足取りは心なしかいつもより早くなってしまっていた。

 私自身がまだ完全に落ち着いたわけではないようね。

 自分が浮き足立っているのだと再認識する。

 

 掃除の行き届いた部屋で平静を保つよう自らに言い聞かせながら、秋蘭とお客様方が来るのを待った。

 

 

 

 直に対面したあの方々は私たちが知った情報通りの人物であり、想定を超える人物でもあった。

 

「陳留の治世が建業よりも安定している、か」

 

 私を見つめたお二人の言葉に嘘はなかった。

 それなりの地位を持つ私や都にて未だ衰えぬ権威を誇る祖父に媚を売るような意図は見えず。

 その言葉からは心の底から私を賞賛し、そしてそこから学び取ろうとする強い意志のみが感じ取れた。

 

 あの方々に評価された自分を誇らしく思い、今まで必死に彼らの治世を調べ上げその意図を理解しようとしてきた努力が報われたような気がした。

 

 彼らに認められるために政をしてきたわけではないと喜びに震えそうになる己を戒める。

 その言葉が本当なのか疑う気持ちを捨て切れずに埒もない反論をしてしまった。

 

 しかしらしくない私を、無礼と言ってよい態度を取った私を。

 あの方々は冷静に、真剣に宥めすかしてくれた。

 

 初めて顔を合わせた人間にああも感情的になってしまうなんて私もまだまだという事かしら。

 

 己を嘲るように笑う。

 なんとも形容し難い気持ちは、会合を終えた今も私の心に燻っていた。

 

「華琳様。姉者が陽菜様方をお送りして戻りました」

 

 部屋の戸越しに声をかけてくる秋蘭。

 

「そう。報告ご苦労様。悪いのだけど今日はもう休ませて貰うわ。あの子も明日に備えてもう休むようにと伝えてくれるかしら」

 

 私はそちらに視線を向ける事無く労い、暗に部屋に入らず休むように言う。

 今は誰かと顔を合わせる気分ではなかった。

 

「……はい。それでは華琳様。お休みなさい」

「ええ、お休み」

 

 おざなりな返答。

 あの子は聡いから私がどんな気分なのか、ある程度は察しているんだろう。

 ほんの少しの間、戸の前に留まっていたがやがて気配は遠ざかっていった。

 

「……」

 

 無意識に窓へと近づき、覗き込むように空を見上げる。

 夜闇を照らすように輝く月が目に入った。

 薄暗い部屋を照らす綺麗な月の柔らかな光が心地よい。

 

 その光は、私に話を聞かせる時のお優しいお爺様の姿を思い描かせた。

 次に脳裏を過ぎったのは私に陳留太守の座を譲った父の顔。

 

「私は私の治世を恥じるつもりはない。こうしてお前に引き継ぐ事が出来たのだから」

 

 その言葉を受けた時は、我が父ながらなんと情けない言葉かとそう思った。

 己で飛躍する事を諦めた弱者の言葉など聞きたくも無いと。

 

 あれは本当にそうだったのか。

 父は己の分を弁え、それでも出来る事をやり遂げたのではないかとなぜか今はそう思えた。

 

『考えてもどうにもならない事はある。どれだけ必死にやろうとしても出来ない事もある』

 

 駆狼様の言葉が頭の中で何度も反芻される。

 

『君は強い人間だ。無論、単純な腕っ節の話じゃあない。しかしだからこそ知らない事も多いんだ。周りを見渡しなさい。傍で支える者の気持ちを知りなさい。君に感謝している民の言葉を知りなさい。君が為した事の結果をしっかりとその目で見なさい』

 

 あの方の言葉にはなぜか聞かなければならないとそう自然に思わされる重みがあった。

 長い年月を過ごした人物のみが持つ重みを感じるのだ。

 

 無礼ながらも私を諌めるように言葉を言い放つあの方の姿は私にお爺様を連想させた。

 いまだ陽菜様や駆狼様の言葉に納得は出来ていない。

 しかしだからこそ考えなければならない。

 

「私がさらに飛躍する為に」

 

 決意を込めた声音で紡いだはずの言葉は、自分でも不思議だと思うほどに弾んでいた。

 

「まぁいいわ。一先ずのところは明日の春蘭と駆狼様の手合わせがどれほど凄い物になるか楽しみにさせてもらいましょう」

 

 寝台へ潜り込み目を閉じる。

 

 寝つきは良い方ではなかったが、この日はすんなりと眠りに付く事が出来た。

 


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