乱世を駆ける男   作:黄粋

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あけましておめでとうございます。
本年も遅い更新となりますが『乱世を駆ける男』をよろしくお願いいたします。


第四十三話

 以前から研究していたサツマイモ、トマトの生産に成功した。

 長江を下ってくる異国の商人たちからサツマイモのつる苗とトマトの苗を購入できたのは僥倖だった。

 なぜあるのか、という疑問については深く考える事を放棄している。

 わからない事はいくら考えてもわからないからだ。

 

 サツマイモはじゃが芋と違って物自体に毒性はなく繁殖能力が高い。

 さらに痩せた土地でも育ち、それなりに長く保存できるという優れた食材だ。

 こいつを量産して痩せた土地に配り、その土地でさらに繁殖させ、いくらかを保存食として管理するよう指導していけば長い目で見れば食糧問題の緩和に繋がるだろう。

 さっそく上申し、量産に向けた手筈を美命たちと相談した。

 食糧問題と言うのは領地にとって避けては通れない問題だ。

 それを緩和できるかもしれないとなれば、力も入るという物。

 熱心に取り組んでくれている為、準備さえ整えば広めるのもあっという間だろう。

 

 一仕事を終えた俺はその日確かな満足感と共に妻たちや息子たちと過ごしたのだが。

 その翌日、休む暇もなくとある任務を受け涼州は西平への旅に出る事になった。

 

「馬の買い付けですか」

「ああ、はっきり言って建業やその周辺では馬は貴重だ。なかなか手に入らない上に世話をするだけの知識を持たない者も多い。我々の元にある馬の数も人が乗れる大きさとなると十と少しと言ったところだ。それを軍馬として仕込むのも難儀している」

「涼州の西平、というと馬家ですか」

「涼州騎兵の精強さは大陸で一、二を争うと言われている。中華の外と接した土地である涼州は異民族相手に常に戦いを繰り広げてきた事から軍隊の練度は非常に高いと聞く。最優先目標は馬の買い付けと馬の育成について必要な知識の収集だが、お前には交渉を担当する文官の護衛と可能であれば彼らの実力の程を見定めてきてほしい」

「これは建業太守から西平太守への正式な取引、という事でいいんだな?」

「ああ、こちらの要望をまとめた書簡を領主である太守へ渡す。その上で文官とお前にはあちらがごねた場合に妥協点を引き出して欲しい」

「なかなか難しい仕事だな。お前や深冬を連れて行く事は出来ないのか?」

「私たちは新たに国より賜る予定の領土について色々とまとめなければならないので同行は難しいんです」

「ああ、海の隣接しているあの土地だったな。確か今までの功績を評してという理由だったか?」

 

 しかしもらった領土『曲阿(きょくあ)』ははっきり言って治安が良くない土地だ。

 前領主は賄賂で己の立場を維持し、身の安全を図る人物。

 しかし領土を治める資質は著しく欠けていたようだ。

 賄賂すらも払えない程に領土の運営に困窮し、最後には自身の家族や直属の人間のみを連れて夜逃げ。

 碌でもない人間の残した負債は逃亡した前領主の命と持ち出された金品によって返されたという話だが、領土の困窮は当然のように治まっていない。

 民は窮状を脱する為に賊へ身をやつし、組し易しと見て他領土からも山賊や盗賊の類が侵入し無法を働く。

 放って置くことなど出来ない非常に厄介な状況と言えるだろう。

 

 そこで隣り合っていて且つ領土を上手く治められている俺たちにその領土を渡してなんとかさせようとしている。

 正直なところ厄介払い以外のなんでもない。

 しかし国、正確には十常侍から指名されての事となれば建業側に拒否権は無い。

 領土を引き渡された後、どれほど早く的確に土地を治め、平定していく事を考えるしかないのだ。

 

「そういう事なら仕方が無いが……その文官はしっかり仕事をこなせるのか? もちろん俺も全力を尽くすが所詮は武官だ。交渉は得意ではないぞ」

「わかっている。しかし相手もまた名の知れた武人。新進気鋭と言われているお前の存在を知り、噂通りの人物だと知れば多少なりと譲歩を引き出せるだろう。武人とは武に敬意を表す者であるが故に、な」

「つまり俺を連れて行くのは護衛以上に交渉を少しでもこちらに利する物にしたいから、という事か」

「まぁ事を荒立てぬ為に部隊を連れて行けないから護衛はなるべく腕が立ち、涼州が遠方であるが故に旅慣れている人物でなければならないからな。必然的にお前に白羽の矢が立ったのだよ。さてこの仕事、引き受けてくれるか? 駆狼」

「俺がいなければならない理由を挙げておいて受けるも何もないだろう。まったく」

 

 こうして俺は新たな仕事を頂いた。

 目指すは涼州。

 今回は前の遠征以上に長旅になる。

 しっかり準備しなければならない。

 

 この時、俺は新たな任務の重要性にばかり目が行き、肝心の文官が誰であるかについて聞きそびれていた。

 その事が後々、俺を唖然とさせる出来事に繋がる事になる。

 

 

「まさかお前が俺が護衛する文官だとはな」

「ふふ、私だってしっかり仕事はするわ」

「そこは疑っていないが……まさかとは思うが職権乱用などしていないだろうな、陽菜?」

 

 隊長業の引継ぎやしばらく戻ってこない事への挨拶回りを済ませ、離れる家族への精一杯の家族サービスを行った後。

 同行する文官を知らされ、俺は年甲斐もなく呆然とした。

 

「そんな事しーまーせーん。私が行くのは馬太守殿への誠意の表す意味合いが強いのよ。建業の双虎の片割れが交渉に出向いたって事はそれだけ重要な要件という事になるもの」

「お前が護衛対象なのは良い。理由を聞かされれば納得も行く。領主の片割れを遠方の交渉に使うのはどうかと思うが……だが」

 

 俺は自身の背中に括りつけられたおんぶ紐が緩んでいない事を確認し、背中にいるもう一人の同行者に目を向ける。

 

「なぜよりにもよって玖龍まで連れて行く事になっているんだ。蘭雪様は俺の抗議なんぞ聞く耳持たずで最後には『ごちゃごちゃ言わずに嫁と息子を守って任務を果たして戻って来い』などと言う始末だぞ。他の連中も諦めろとでも言わんばかりの顔で俺を見るばかりで誰も味方にはなってくれなかったし」

「私も言ったのだけど、ね。この子を連れて行った方が良いって勘が働いたらしいわ」

「また勘か。あの方の勘が馬鹿に出来ん物だという事は知っているがまだ一歳になったばかりの子供をこんな長旅に同行させるのはどうなんだ?」

「もう決まってしまった事だからぐちぐち言っても仕方ないわ。それに今回の勘は姉さんだけじゃないわ。雪蓮ちゃんも同じ事を言っているのよ」

「直感なら蘭雪様に勝るとも劣らぬ雪蓮嬢も、か。それが決め手という事か」

「そうね。事前に通る経路については調査は行われているからそこそこ安全なはずよ」

「その調査も絶対じゃない。……まぁ確かに旅がもう始まってしまった以上、文句を言っても仕方ないんだが」

 

 そう既に俺たち三人は旅立っていた。

 子供も同行させるのだと蘭雪様に押し切られ、いつの間にかまとめられていた荷物を幼馴染たちに押し付けられ、祭にはしばらく会えないからと強引に唇を奪われて呆然としている間に放り出されたのだ。

 思い返してみると実に酷い話である。

 

「帰ったら覚えていろよ。蘭雪様、雪蓮嬢」

 

 元凶に報復する決意を胸に俺たちは子連れで任務をこなす事になった。

 

「思春、そちらは大丈夫か?」

「はい。凌統様の世話係り兼護衛の任、この思春全力で勤め上げさせていただきます!」

 

 前世の同年代の少女なら一歩も歩けなくなるような大荷物を背負いながら、それでも背筋を伸ばしてはきはきと答える思春。

 言葉通り、この子は俺たちが仕事で手が離せなくなった場合に凌統を世話し護衛するという任を蘭雪様から受けていた。

 思春の性格なら事前に俺と打ち合わせしようと考えると思うのだが、どうも美命に『先達に意見を求めるのも大切だが、自身で考えて行動出来るようにならなければ駆狼のようにはなれんぞ』と説得されたそうだ。

 他の子供たちも同じような事を吹き込まれており、当日である今日まで蓮華嬢や冥琳嬢たちを交えて旅での護衛や世話について相談しながら考えていたらしい。

 俺を慕っている事を利用した大人たちの汚い話術である。

 

「ああ。よろしく頼むぞ」

「よろしくね、思春」

「はい、お任せください!!」

 

 いつになく気合の入った様子で握り拳を作って力む彼女の様子は年相応に微笑ましい。

 

「あー、うー!」

「凌統様のお世話のみならず何かありましたら私にお任せてください!」

 

 元気を出してと言わんばかりの息子の声と思春の頼もしい言葉だけが今の俺にとっての癒しだ。

 

「俺たちは豫州(よしゅう)、司州(ししゅう)、雍州(ようしゅう)を通り涼州に向かう予定だ」

 

 歩きながら涼州までの道程を確認する。

 思春はもちろん陽菜も俺の言葉に頷いた。

 真剣な空気を察したのか玖龍はぐずる事も無くおとなしくしている。

 

「荊州から行くのは劉表の事も考えると良い手とは言えない。何を企んでいるかイマイチ見えてこないが、州全体を立て直したその手腕は恐るべき物だ。迂闊に近づきたい土地じゃない。だから大陸の真ん中を突っ切るような形で涼州へ向かう事になったわけだ」

 

 治安も比較的良い街を回り、領地の治安もなるべく調べながら行く事になる。

 子供もいるから目立つような真似は極力控えるつもりだが、それでもなるべく情報収集しておかなくてはならないだろう。

 

「特に質問はないな? では予定通りこのまま豫州に行く。馬もないんだ。基本的には野宿、運が良ければ村なり街で宿を取る事になる。夜は俺と思春で寝ずの番だ」

「はい、心得ております」

「あら、私は?」

 

 旅における苦労を自分だけ免除されるのが不満なのか、陽菜は面白くなさそうな顔をしている。

 しかしお前には俺たちよりもきつい仕事をしてもらう事になるんだ。

 これくらいさせてもらわないとむしろこっちが申し訳ない気持ちになる。

 

「陽菜には玖龍の面倒を見てもらうからな。寝ずの番くらい免除しないと身が持たないだろう?」

「あ、そうか。それもそうね。駆狼、ありがとう」

 

 俺の意図する所を理解してくれたらしい陽菜ははっとして俺の背中にいる我らが子の頭を撫でる。

 

「休み無しで歩いていく事になる。かなりきついが陽菜は大丈夫か?」

「これでも体力を落とさないように訓練は欠かしていないわ。確かに戦いは不得手だけど自分の身くらいは守れるもの。貴方たちの足手纏いにならないよう頑張るわ」

「なら良い。とりあえず今日中に揚州と豫州の国境にあるうちの砦に行くぞ。そこで夜を明かす」

「ええ」

「わかりました」

 

 よろしいと俺は頷き建業手製の地図と周囲を見回しながら歩みを進めた。

 予定通りに国境沿いの砦で一夜を明かし、俺たちは豫州へと足を踏み入れ、既に数日。

 玖龍の夜泣きくらいしか問題は起こらず、中々のペースで進んでいると思う。

 

 豫州に入ってから既に3つの小さな邑に立ち寄っている。

 ざっと見る限り特別寂れているというわけではないようだ。

 この辺りの領主の名は知らないが、大きな発展こそないものの今の水準を維持する力はあるのだろう。

 問題は今の状況で不作の年を乗り切る程の備蓄があるかと言う点と、賊の類に邑を襲撃された時に防衛が可能かどうかだが。

 

「不作を乗り切るのは無理だと思うわ。食料を備蓄できる施設らしき物はなかったから領主側で対応はしていないだろうし、個々の家が保存していたとしても何年も持つとは思えないもの」

「賊の襲撃に対処する事も無理だと思われます。建業付近の邑には常に何名かの兵士がおりましたが、豫州の村にはそれがありませんでした。あれではいざという時にすばやく行動する事は出来ません」

「……そうだな。近くに砦などの施設もない。あの状況だと村人がいくら頑張ったところで数日持つかどうか、といった所か」

 

 ここが自領であったならばすぐにでも対応するよう美命たちに要請するところだが、あいにくここは俺たちが手を出す事が出来ない他者の領土。

 なるべく目立つ行動を避けねばならない以上、領主に物申すなんて持っての外。

 村人たちに多少の意見は出来ても、生活を一変させるような事は出来ない。

 

「やるせないな。まったく」

「仕方が無い、とは言いたくないわね」

「領主は何をやっているのでしょう?」

「さぁな」

 

 しかし今のままでは長続きはしないだろう。

 一度でも賊の攻撃を受ければ、領土全体が無防備である事を思い知る。

 民は自分たちを守るよう領主に要請するだろう。

 それに応えるだけの力がありそれを維持する能力があるなら、領土の防備について既に何らかの対応はしているはずだ。

 

「治安は悪くないが、何事か起きれば瓦解しかねん。なるべく急いでここを離れるぞ。我ながら非情だとは思うがここに残っていても出来る事はない」

「ええ、行きましょう」

「悔しくはありますが……わかりました」

 

 こうして俺たちは急ぎ足で豫州を抜けていった。

 十数日後、司州の国境付近で聞いた話だが、俺たちが立ち寄った邑の幾つかが賊の襲撃に遭い、領内は混乱の只中だという。

 

「悪い方の予想ほど良く当たるな。嫌な気分だ」

「気持ちの良い物ではないわね」

「……」

 

 胸にしこりを残しながらも俺たちは涼州への旅を続けた。

 途中で遭遇してしまった賊を八つ当たり気味に片っ端から叩き潰し、『更正の可能性がある者を建業に送る』という行為を繰り返しながら。

 この時はまさかこの時の俺たちの行動が噂として広まるとは考えもしなかった。

 名乗りもせずやりたい事だけやって去っていく。

 客観的に見て軍隊の仕事を横取りしているような連中。

 その領土の軍にとって面白くない存在だろう。

 だからその存在は徹底的にひた隠しにされるだろうと予想していたのだが。

 俺はこの行動をしていた当初、忘れていた。

 人の口には戸が立てられないという事を。

 情報はどこからでも漏れ、商人たちや旅人たちの手によって広まっていくのだという事を。

 『子連れの夫婦狼(つがいおおかみ)』などという恥ずかしい異名を俺たちが知る事になるのは、しばらく後の事だ。

 


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