乱世を駆ける男   作:黄粋

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1年と半年もの間、放置する形になってしまい、大変申し訳ありませんでした。

恐らく今後は一話一話の量が短くなると思いますが一ヶ月に一度くらいの頻度で更新していけると思います。

更新が出来ない時は活動報告にて報告するようにいたします。



第四十一話

 戦いが終わったその日の夜。

 執り行われた軍議の席で建業軍は錦帆賊討伐における最大の功労者として朱儁将軍からお褒めの言葉を頂いた。

 もっとも軍議に出たのは蘭雪様と美命だけで、俺は祭と共に軍の再編を行っていたのだが。

 

 錦帆賊は俺たちと友好を結んでいた。

 しかし自分たちの命がかかったあの乱戦の中で手心を加える余裕などあるはずがない。

 少なくない被害を受けた軍を手早くまとめる為にも俺は怪我を押して奮闘していた。

 部下たちも、祭も、思春も、俺の身を案じてくれた。

 しかし建業へ帰り着くまでの間に何か起こる事も考えれば、少しの時間も無駄には出来ない。

 

 俺たちの意思で帰還する事が出来るのであればまた話は違うのだが、錦帆賊討伐の為に結成されたこの軍の命令は総大将である朱儁将軍が下す物だ。

 錦帆賊討伐が終わり普通ならば解散の流れだろうが、彼女が何らかの意図で軍事行動を続けると言い出す可能性もある。

 そうなった時、俺たちに逆らう事は出来ない。

 王朝から直々に派遣された総大将に逆らえば、最悪の場合俺たちの首が飛ぶ事にもなりえる。

 彼女自身が建業軍の意見を尊重してくれたとしても、他の領地の連中が良くは思うまい。

 ただでさえ功績を上げる場のほとんどを俺たちに奪われた形になった連中だ。

 それこそ蟻が地面に落ちた飴細工に群がるように、こちらを悪しようにこき下ろし、他領土にもこの話を広げ、最悪は朝廷に告げ口をするだろう。

 

 事が終わった今だからこそ、そのような隙を見せるわけにはいかない。

 俺たちが本当の意味で気を抜く事が出来るのは建業の地へ無事に帰り着いた後だ。

 

 

 

 軍議が行われる天幕。

 朱儁将軍は右肩上がりで高揚していた気分をポーカーフェイスで隠してこの場を仕切っていた。

 とは言うものの軍が合流して執り行われた軍議の席では怒りに満ちた鋭い双眸が今は随分と穏やかになっており、察しの良い者ならば彼女の機嫌を推し量る事も可能だろう。

 彼女の後ろで控える盧植は気持ちを隠しきれていない彼女の様子にそれとわからぬ苦笑いを浮かべていた。

 

「錦帆賊討伐の任ご苦労だった」

 

 しかし彼女の内心とは裏腹に労いの言葉の語気は気の緩みを許さぬ語調で。

 これで一段落と考えていた者たちを叱咤するその声音に、集まった者たちの背筋が一斉に伸びた。

 

「貴殿らの尽力により奴らは壊滅した。仮に逃亡した者がいたとしてごく少数、船は全て破壊した今となってはその力など微々たる物だ。討伐は成った。これにて貴様らの此度の任は完了となる」

 

 ゆっくりと噛み締めるように告げられる言葉に、蘭雪は無意識に拳に力を入れ、美命は錦帆賊の最期を想いそっと目を伏せる。

 数瞬の間のみの彼女らの感情の発露に気付いた者は幸いな事にいなかった。

 

「討伐における褒章は追って伝える故、この場では言及せん。まぁ自分たちがどの程度の戦功を上げられたのか、など自分たちが一番良くわかっているだろうが……。貴様らから何か上申すべき事はあるか?」

 

 褒章について言及しないという言葉に、何人かが不満げな顔をするが朱儁の視線に晒されるとすぐに不満を飲み込み表情を取り繕う。

 いくら今は上機嫌だと言っても進んでその機嫌を降下させるような真似をするわけにはいかない。

 彼女の苛烈な性はここにいる全員がその目で見ているのだ。

  

「これにて軍議は終了とし討伐軍は解散とする。各位、己が領土に帰り付くまで油断などせぬようにな」

 

 その場に居合わせた十数人の男女が同時に彼女に向かって礼をする。

 その様子を見届け、朱儁は盧植を伴って天幕を後にし、それに続くように集まった者たちが出て行く。

 蘭雪と美命は彼らが全員退出するまでその場から動かなかった。

 

 元より新参者として文字通りの意味で出入り口に近い末席にいたのだ。

 通行の邪魔になどなりようがなく、そして退出する者たちの目に必ず留まる位置になる。

 出て行く者たちのいずれもが彼女らに視線を向けてから出て行く。

 その視線に込められているのは彼女らを危険視する物であったり、妬む物であったりと何かしら含む物を感じさせる。

 そして全ての人間が天幕を後にした後、二人は目配せをして何事かを確認すると退出。

 

 誰もいない天幕はやがて朱儁の軍に解体され、やがて人が集まっていた痕跡は消えていった。

 

 

 

 錦帆賊の討伐。

 長江を荒らし回り官軍を返り討ちにしてきたとされる江賊の壊滅は、同じく賊として括られている者たちに戦慄を与えた。

 朝廷が本腰を入れれば、賊など一溜まりもない。

 そう印象付けるのに充分な出来事だと言えた。

 

 大陸中を駆け回るこの情報によって恐れを為した山賊や盗賊の行動は沈静化し、邑や町の被害は減っていく事になる。

 一時的な物ではあるが、大陸に平和が訪れたのである。

 これにより各領土の長たちは自分たちの力を高め、勢力を強める事に従事出来るようになった。

 各々の勢力は近隣領土の者を探り、あるいは牽制し、己の力を高めていく。

 建業の孫堅たちもまた力を貯え、民の暮らしを良くする為に日々仕事に努めていく事になる。

 

 しかし平和は繁栄だけではなく腐敗をも招く。

 民に重税を課し、搾取する者たち。

 孫堅を含む一部諸侯が善政を行っていようとも、彼らの身勝手な行動によって大陸全土に不満の種は広まっていく。

 

 そしてそれは数年後、孫策ら次世代の者たちが凌操の前世における成人を迎えた頃に爆発する事になる。

 黄色い布を纏った者たちの手によって。

 それはまだ先の話ではあるが、決して遠い話ではなかった。

 

 

 それはともかく建業の新参太守の軍が、錦帆賊討伐の立役者だと言う事実はあっという間に大陸に広まった。

 朱儁が虚偽報告などするはずもなく、さらに美命や陽菜の画策により噂という形で市井にも流布される。

 孫堅、そしてその臣下である凌操の名前は、噂話特有の尾ひれがつきながら広がり続け、文武問わず力のある者の耳へと届く事になる。

 

 

 

 涼州は西平の太守『馬騰(ばとう)』

 

「錦帆賊の頭領を討ち取った男、ねぇ。さぞかし強いのだろうが……そんなのを臣下にしている建業の双虎、将来的に化けるかもな。ん~、惜しいな。もっと近ければ直接顔を見に行けたのに。仕事は文約(ぶんやく)にやらせればいいんだが、相手がいるのが建業じゃ流石に遠すぎる」

 

 心の底から残念そうに語る彼女の姿に、臣下たちがほっと胸を撫で下ろしていた事実には幸か不幸か本人は気付かなかった。

 しかし黙っていられない人物もいる。

 

「おい、平然と仕事を押し付けるのやめろ。俺は俺で忙しいんだからよ」

「え~、適材適所って言うだろ」

 

 仕事を押し付けられそうになった韓遂文約である。

 

「あのなぁ。仮にも城主やってんだから自分の仕事くらい自分でしろよ。軍の調練だって部下たちの仕事だってのに隙を見つけりゃ仕事さぼって混ざろうとするし。ほんといい加減にしろよ、お前」

「いいじゃないか。身体を動かしたいんだよ私は」

「やる事をやってからしろっつってんだよ!!」

 

 馬騰と韓遂のいつも通りのやり取りの始まりである。

 この時、馬騰はまさか先ほどまで話題に上げていた男の方から涼州に来るとは思いもしなかった。

 

 

 

 同じく涼州は武威の勇『董君雅(とうくんが)』

 

「そうか。あいつは友に後を託して逝ったか」

 

 執務室で書簡に目を通しながら、彼は今は亡き友を想う。

 

「……ヤツが命懸けで託した物。無駄にしてくれるなよ、凌刀厘とやら。あいつの見る目が正しかったって事を身を持って証明してみせな」

 

 独白は本人以外の耳には届かない。

 

「っとそろそろ池陽君(ちようくん)の様子を見に行かないとな。最近は特に調子が悪いようだし、なるべく傍にいてやらないと」

 

 己が妻の体調を案じ、おそらく今日も一緒にいるだろう妻に似た儚げな娘を思い、董君雅は父の顔をして執務室を出て行った。

 

 

 

 十常侍と肩を並べる曹家の父『曹騰(そうとう)』

 

「ふぉふぉふぉ。どうやら南には面白き芽が出始めておるようじゃな。果たして我が孫『華淋(かりん)』にとってこやつ等はどのような存在となるかのぉ?」

 

 彼の脳裏に浮かぶのは出来すぎるくらいに出来る孫娘の姿。

 出来が良すぎる為に、物事を斜めに構えるようになり、身内以外に碌な異性がいなかった為に同性に目をかけ始めている彼女の目に『新進気鋭と噂される彼』はどのように映るのか。

 楽しみが増えたと皺だらけの顔で笑う。

 

「お爺様。お時間よろしいでしょうか?」

「おお、華琳か。入りなさい」

 

 噂をすれば、と笑みを深くし彼は孫の入室を許可する。

 金髪の少女が両脇に同年代の少女二人を伴って入ってくる姿を見つめながら、老人はさてどのように話そうかと考えを巡らせるのだった。

 

 

 

 名門荀家の一角『荀毘(じゅんこん)』

 

「やはり彼女らの勢いは凄まじい。偶然とはいえ繋がりが持てたのは天運と言えますね。荀家の将来、引いてはあの子の為にもこれからの世の動きには特に注意しなければなりませんね……」

 

 考えるのは今の世の流れ。

 宦官の横行がまかり通り、私欲を満たす為にのみ注力する者が多い昨今。

 そんな世を憂い手を打ってはいる物の、その効果は芳しくない。

 

「しかしやらねばなりません。あの子たちの将来の為にも親である私たちが……」

 

 あらためて決意し、彼女は愛娘の明るい未来を想った。

 

 

 

 荊州を治める冷徹『劉表(りゅうひょう)』

 

 かつて部下だった男の死。

 反逆され命を狙われたと言うのに、その死に思うところは何もないと言わんばかりの態度で彼は錦帆賊討伐の報告を聞く。

 

「ふむ。孫文台とやらは私が考えていたよりもずっと良い臣下に恵まれたようだな。とはいえまだまだ発展途上。あまりにも目障りならばその時は消すが……今は放っておけばいい。あちらがこのまま大成するのであれば……いずれ相見える機会も来るだろう。建業についてはもういい。他の諸侯について報告せよ」

 

 あくまで一領土の情報として孫堅たちの事を処理し、次の報告を催促する。

 そこにあるのは自らの実力に裏づけされた余裕でも、他者を見下すような驕り昂ぶった者の慢心とも違う。

 感情の起伏を伴う事無く、淡々と問題に取り組む姿は機械的で、かつて甘寧が見たと話していた民から搾取する事を当然とする傲慢な姿とは随分と違っていた。

 

「支えきれぬ民の切り捨ては終わった。……全てはここからだ」

 

 どこを見るとも知れぬ硝子のような無機質な瞳は、誰にも聞こえない程に小さな独白を零した。

 

 

 

 物語が大きく動くのは数年後。

 黄巾賊の乱が起こったその時から、大陸は群雄割拠の激動の時代を迎える事となる。

 


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