乱世を駆ける男   作:黄粋

35 / 122
第三十一話

「シュゥッ!」

 

 迫ってくる山賊の風体をした敵の額に左拳を叩き込む。

 伸びきった腕をすぐに引き戻して悲鳴も上げられずに倒れ込んだ雑魚の横合いから迫ってくる別の敵の胸に右拳を叩きつける。

 

「おらぁっ!」

「げふっ!?」

 

 骨が折れる音と衝撃を拳越しに感じながら次の相手に肉薄、無防備な顎を左拳で突き上げる。

 

「次ぃっ!!」

「なんだ、こいつ!?」

 

 あいつらと訓練しながら色々と教わっている内にわかった事だが。

 俺は駆狼のように全身を武器にして戦う事が出来ない。

 祭ほど弓の腕が良いわけでもなく、塁みてぇに身の丈もある大槌を振り回すような怪力も無いし、慎のように剣を自分の身体のように自在に操る事も出来ない。

 

 だから俺は上半身を攻撃の手段に、そして下半身を移動だけに使うよう徹底する事にした。

 器用にもなれない、強引な力技も無理だってんなら自分の身体の使い方って奴を大雑把にでも決めてそのやり方を極めるべきだって考えたんだ。

 

 最初は常に意識して身体を動かした。

 普段、意識しない事をやると疲れるってのは話には聞いていたが自分でやってみると本当に辛かったのを今でも覚えている。

 だがその試みは結果的に功を奏した。

 

 攻撃に使うのはこの両拳と、祭には劣るがそこそこの腕前になった背中にかけている弓。

 

 駆狼の接近戦のようなあらゆる状況に対応するような柔軟性はない。

 だがそうやって訓練し、実戦を積み重ねていく内に俺は駆狼にも、慎にも、祭にも、塁にも負けない武器を手に入れた。

 

「速すぎて腕が見えねぇ! なんだよそれ、わけわかんねぇ!?」

「じゃあわけがわからねぇまま殴られろ!!」

 

 それは速さ。

 

 俺の拳は訓練をしている内に見つけた打ち方をする事によって仲間内でも簡単には見切れねぇほどの速度を身につけた。

 

 両拳を自分の肩よりも上で構える。

 相対する奴から見ればまるで頭部を庇うような情けない構えに見えるだろう。

 だがその構えから腕の力だけで拳を突き出せばその速さは振りかぶって放つ拳を超える事が出来る。

 さらに相手に当たるまでの時間をより刹那に近づける為、拳に力を入れるのは目標に拳が当たる瞬間だけ。

 

 勿論、上半身だけでなくこの時の下半身の動きも重要だ。

 そもそもこの構えからの最速の拳は相手の懐に入り込まなけりゃ使えない。

 幾ら拳の動きが速くても届かないんじゃ意味がねぇんだ。

 相手の攻撃を掻い潜るにはどれだけ無駄を無くした踏み込みが出来るかにかかっていると言ってもいい。

 

 左足を一歩前へ出し、脚幅を肩幅の広さに開く。

 こうする事で前後左右どこにでも素早く、一歩で標準的な槍の届く範囲くらいを動く事が出来る。

 そして常に前方に体重をかけ、目の前の敵の懐に飛び込めるようにする。

 

 拳の打ち方のコツを掴み、速く動く為の姿勢を決めるにはかなり時間がかかった。

 まだ俺達が村にいた頃から色々と試して、完成したのは仕官仕立ての頃だ。

 

 これらを無意識に出来るまで身体に染み込ませるのに万でも収まりきらねぇくらいの打ち込みをやり、どんな状況でも姿勢を崩さないよう沼地やら滝の中、偶に人混みに紛れてこの基本姿勢を取り続けて身体を慣らし続けた。

 慎や駆狼、部下たちと派手な組み手をやり、実戦でも自然に出来るように修練し続けてきた。

 

 その結果がこれだ。

 

 まだ駆狼相手に負け越してるが、この武器を昇華させ続ければ俺はあいつに出来ない事が出来るようになる。

 

 俺だけの強さで、あいつと並ぶ。

 子供の命を狙うようなくだらねぇ謀略に手こずる訳にはいかねぇ。

 

「っつう訳だからとっととやられろぉ!!!」

「なに言ってぶげらっ!?」

 

 最後の一人の顔面を右拳で打ち抜く。

 ぐらりと上体が揺らぐが、そいつは歯を食いしばって踏ん張った。

 剣も手放してねぇ。

 雑魚だと思ってたが少しは骨のある奴だったみてぇだな。

 

「ぐ、のやろぉっ!! くたばげぴゃっ!?」

「けどとろいんだよ!!」

 

 右手を引き戻すと同時に左拳を突き出す。

 頬を捉えた一撃でそいつは今度こそ倒れた。

 

 俺は注意深く周りを見渡す。

 最後の一人はまだ意識があるから勿論、そいつからは意識は外さない。

 

「程隊長! ご無事ですか!!」

 

 俺が最前線で戦っている間、露払いをしていた部下たちが駆けつけてきた。

 

「ああ、俺は平気だ。そっちはどうだ?」

「こちらも賊の迎撃は完了しました。怪我人が数名出ていますがいずれも軽傷です」

「そうか。手当はきっちりやれよ。小さな傷でも化膿するとやばい事になるからな」

「心得ています」

「よし。それとそこの賊はまだ意識がある。すぐに尋問にかけるから縛り上げて公共様たちの所へ連行してくれ」

「はっ!」

 

 仰向けに倒れてうめき声を上げている賊を二人がかりで手早く縛り上げる部下たち。

 そいつらの作業が完了するまで俺は周囲を警戒し続けたが、特に問題なんかは起こらなかった。

 

「よし。本隊と合流するぞ。総員駆け足!!」

「「「「「「はっ!!」」」」」」

 

 三度目の襲撃も無事に片付いたか。

 出来ればこれで終わりにしてほしいもんだが、どうなるかねぇ?

 

 俺は両肩を回して解しながら部下たちに合わせて走り出し。これ以上の襲撃が無い事を願った。

 

 

 

「やれやれ。まさか引き継ぎが終わって一刻と経たずに三度も襲撃してくるとはな。気の早い事だ」

「それでもしっかり対応出来ましたけどね」

「遮蔽物のない平野をただ愚直に攻めてくるのだからな。予め準備が整っていれば迎撃は容易い。物量差で押し切られる懸念も今回の襲撃に関しては取り越し苦労だったようだ」

「これが歩兵だけではなく騎馬兵だったら例え数が少なくとも危険だったでしょうね」

「そうだな。しっかりとした陣を敷いているわけでもないから馬の突進力を利用されればただでは済まなかっただろう」

 

 荀家の方々の馬車を兵で取り囲む陣形を取った我々は行きに比べておよそ半分ほどの進行速度で建業に向かっていた。

 途中の襲撃は激の部隊が対応しており、先ほど伝令が賊と思しき者たちを返り討ちにしたと報告されている。

 そう時間がかからずに激たちは合流するだろう。

 

 現状はほぼ予定通りと言って良い。

 唯一、想定外だったのは荀家から来た者たちの人数が思った以上に少なかった事だ。

 

 挨拶に出向いた際に桂花の母親である荀昆に教えてもらった所、一族の人間は荀昆のみで子飼の護衛が五十名しかいない。

 彼女から事情を聞いた所、荀家内部で思想の違いによる派閥争いが発生しており、彼女や現当主の荀爽は敵対派閥の親族から命を狙われているのだそうだ。

 よって身内を無条件に信用する事が出来ず、護衛は信頼できる者に絞り込んだと。

 私の想定では最低で百人は連れてくる物だと考えていたのだがな。

 しかし想定外の事とはいえ我々からすれば悪い事ではない。

 護衛する人数が少なければそれだけ負担は減るのだから。

 

 しかし五十人程度なら自分たちの手の届く範囲にいる内に制圧してしまう事も出来ただろう。

 少なくとも私が奴らの立場ならばそうしていた。

 廣陵郡の領地で荀家の人間たちを拘束ないし殺害し、それをさも建業の失態であるかのように見せかける。

 多少、危ない橋を渡る事になるだろうが不可能ではないはずだ。

 

 それを思いつかない程度の頭しか持ち合わせていないのか、そこまでの度胸がなかったのかは定かではないが廣陵郡の連中は機を見るのがよほど下手と言う事になる。

 こちらからすれば好都合以外のなんでもないが。

 

 

「あの……公共殿」

「どうかなさいましたか? 正文様」

 

 ああ、そう言えば想定外な出来事はもう一つあった。

 

 貴族と言うのは基本的に自分を民草よりも上と定めている者たちだ。

 漢王朝の設立に活躍した者たちがその功績を認められ、その一族に与えられた生涯の栄誉と言える。

 故に自らを特別視する者は多く、それ自体は別に間違っていない。

 彼ら無くして王朝は建たなかったと言えるのだから。

 

 しかし私は過去の功績をあたかも己が成したかのように語り、驕り、胡坐を掻く彼らを好ましいとは思っていない。

 なにせ私が知る限り、現在の貴族は真っ当に職務を行っていないのだから。

 ただ過去の偉業に踏ん反り返り、権利のみを奮う愚物。

 何度か実際に貴族と顔を合わせた事があるが故に、私は彼らを心底嫌っていた。

 便宜上とは言え敬称すら付けたくないと思ったのは、恐らく彼らが初めてだっただろう。

 当時は本気でそう考えたくらいだ。

 

 この上、貴族の中にはより皇帝に近い存在として皇族と呼ばれる者たちまでいる。

 貴族ですらここまで嫌悪感を持ったと言うのにその上までいると言う事実に、当時は本気で嫌気が差した物だ。

 それはともかく。

 

 桂花は純朴で頭の良い子供だ。

 だがそれは貴族の教育による選民思想にまだ染まっていないからだと言えるだろう。

 前もって情報を集めてはいたが彼女の親が本当はどのような奴かは直接会うその時までわからない。

 顔には決して出さなかったが内心で身構えてもいた。

 

「我々の家の騒動に巻き込む事になってしまい、本当に申し訳ありません」

 

 蓋を開けてみれば、当の貴族殿は今までに見たことがないほど腰が低かった。

 身構えていた自分にとってこの丁寧で真摯な対応は、些か居心地が悪いし正直なところ困惑している。

 初対面で字呼びを許されてしまった事も私の困惑に拍車をかけている。

 

「気にされる必要はございません。我らは我らの役割を果たす為にここにおります故」

「それでも、です。貴族だからと言って他者を見下して当然などと考えるなど、人として恥ずべき事です。功績とてもはや過去の物だと言うのにいつまでも縋りつく事しか出来ない。いつ無くなるともしれない物に頼っていては遠からず待つのは滅びのみです」

 

 勿論、表情には出さないようにしているが、本当に彼女が貴族なのかと疑ってもいる。

 民草が荀昆の名を騙っているか、従者辺りが代理として名乗っていると言われた方がまだ納得出来るぞ。

 

 しかも丁寧な口調で儚げな雰囲気を持っていると言うのに意外と言動は辛辣だ。

 その辺りは桂花との血の繋がりを感じさせる。

 あの子も蓮華や雪蓮、冥琳と騒いでいる時は容赦なく物を言うしな。

 

 しかしどこで誰が聞いているかわからないような状況で迂闊に肯定の言葉を返す事も出来ない。

 貴族批判に同意したなんて話が万が一にも広まってはまずいのだ。

 

「ご心労、お察しします」

 

 この程度の言葉を言う事しか今の私には出来ない。

 

「ふふ。お気遣いのお言葉、ありがとうございます」

 

 流石に聡明だ。

 明確な回答ではなかったとはいえ私の心情はしっかりと伝わっているらしい。

 文官の立場から言えば敵対する可能性がある相手は単純であった方がやり易いのだがな。

 

「恐らくこれ以上の襲撃はないと思われます。建業まではあと二日で到着する予定ですので、それまでご不便などあればお申し付けください」

「……ありがとうございます」

 

 彼女と話していると陽菜と話しているような錯覚をする事がある。

 まだ短い期間しか会話をしていないが、この女性はあいつと同じような常識のずれ方をしているような気がしてならない。

 

 今のやり取りでもそうだ。

 私が謙った物言いをした瞬間、一瞬だけ悲しそうな顔をした。

 己に傅かれる事を良しとしていない。

 いつまでも上に立つ者としての態度を取らない陽菜と同じ。

 

 あんな物の見方をする貴族なんて存在するのか?

 

 ……まだ結論を出すのは早い。

 だが彼女とその一派となら良い関係を築けるかもしれない。

 

 正文様の乗る馬車から降りる。

 周囲を見張っていた私の部下を無言で促し、馬車の傍を離れた。

 馬車を取り囲むように護衛している荀家の私兵たちは私達をずっと監視している。

 自分たちの主に粗相や危害を加える事がないかをずっと見ていたのだ。

 

 当然の事だが、しかしその視線には早く出ていけと言う意思が多分に含まれている。

 平民が我らが主に気安く話しかけるなとでも言いたいのだろう。

 

 私も本当なら私兵に伝言をお願いして速やかに任務に戻るつもりでいたのだが。

 しかし伝言をお願いした所、本人が面会したいと所望した為に彼らの不機嫌そうな視線に晒される事になったのだ。

 

 彼女自身と周りの人間でこうも意識の差があるのは良い事とは言えないだろう。

 しかしそこは荀家の問題で私が口出ししてよい物ではない。

 

 もしも本当に民と貴族に差など無いと考えているのなら、いずれ彼女らの一派がなんらかの対応をするはずだ。

 尤も簡単な話とは言えない上に長い時間がかかるだろうがな。

 

「公共様!」

「なんだ?」

 

 激の部隊からの早馬が私の前に現れた。

 馬を降り私に一礼すると報告に移る。

 

「賊の撃退を完了しました。それと程隊長により賊の一人を意識を残したまま捕縛。現在、こちらに移送中です」

「なるほど。まずは賊の迎撃御苦労。捕らえた一人についてはそのまま連れてこい。自害などされないように気をつけてくれ」

「はっ!」

 

 素早く馬に乗り直し、部隊の後方へと走り去る。

 そのなかなか様になった後ろ姿を見送りながら私は心中で呟いた。

 

 捕縛した奴が有益な情報を吐くかはわからんが、な。

 

 建業まであと二日。

 これ以上、厄介事が起こらない事を祈りつつ私は起こりうる厄介事の内容とその対処について考え始めた。

 

 

 

「桂花……貴方が無事で、本当に良かった!」

「お母様……立花お母様ぁ!!!」

 

 涙を流しながらお互いの身体を抱きしめる親子。

 その姿を優しい視線で見つめる主だった武官、文官。

 

 ここは玉座の間。

 荀昆の一行は無事に建業に到着。

 荀昆は領主である蘭雪様に挨拶に、私兵団については深冬と文官何人かで宿舎に連れて行った。

 私兵団の人間は荀昆の護衛として何人か同伴すると申し出たのだが、本人が拒否している。

 俺達を信頼しての行動なのか、それとも身内がいると出来ない話をするつもりなのかは定かではない。

 

 しかし今はただの母親として子供である桂花の無事を喜んでいた。

 俺としては余計なしがらみなどなしにこの光景を見ていたかったが、そうも言っていられない。

 そんな自分が少し嫌になるがそれも含めてこの道を選んだ以上、呑みこまねばならない弱音だろう。

 

 

 荀昆正文(じゅんこんせいぶん)は儚げな雰囲気を持つ女性だった。

 今まで俺が関わってきた異性ではいなかったタイプだろう。

 思慮深くはあっても活発な性格ばかりだからな、うちの連中は。

 

 服装もこの時代の貴族が着る物としては余計な装飾のない質素な物だ。

 その服の生地は初見でも見てとれる高級品だが、むやみやたらに着飾る趣味はないらしい。

 思えば初めて会った時に桂花が着ていた服もそうだった。

 背は成人女性としては低めだ。

 前世のメートル法で表現するならおよそ百五十センチと言った所だろう。

 桂花自身は今後、どうなるかわからないが母親がこうだと背は低くなりそうだ。

 しかしこの世界の女性で歴史に大なり小なり名を残す人間はなぜ美人ばかりなのだろう?

 荀昆もご多分に漏れず色白の肌と儚げな雰囲気とが相まってとても綺麗だ。

 髪の色は薄めの亜麻色で桂花にも受け継がれていると見える。

 

「皆様、私の娘を助けていただき今日まで守っていただいた事、荀家を代表して改めてお礼を言わせていただきます。本当にありがとうございました」

 

 抱きしめていた桂花を離し、この場に集まった全員に頭を下げる荀昆。

 直接貴族と関わった事のある古参の文官たちはあからさまに動揺し、武官たちとも自分たちが考える貴族の印象とまったく異なる対応をする彼女に困惑している。

 

「特に凌刀厘様。娘を助けていただいただけでなくお世話までしていただき本当にありがとうございます」

「私は私が最善だと思う行動を取ったに過ぎません」

「そのお蔭でこうして元気な姿の娘と再会する事が出来ました」

 

 儚げな雰囲気とは裏腹に案外、頑固な性格でもあるらしい。

 相手の立場を考えれば下手な謙遜などせず、素直に礼を受け取るが妥当か。

 

「感謝のお言葉、ありがたく頂戴いたします」

 

 頭を下げて言葉を受け取る。

 その事に彼女がその雰囲気に見合った微笑を浮かべたのがなんとなくわかった。

 

「ありがとう。そして孫文台様、建業を代表する方々。これから貴方がたを巻きこんでしまった荀家の内部抗争についてお話します」

 

 またしても動揺と困惑が場に広がる。

 

「誤解のないように先にお断りしておきますがこれは意図せぬ事とは言え貴方がたを巻きこんでしまった事への謝罪であり、それ以上の意図はありません。この情報をどのように扱うかは貴方がたに一任します」

「恐れながら申し上げます。荀家の内部事情を聞かせたくないと考えておられるのなら我々としても無理にお聞きするつもりはございません」

 

 口を挟んだのは美命だ。

 恐らく事情を聞いた事によって生じる不利益を考えての事だろう。

 既に巻き込まれている事とはいえ貴族の内部事情にこれ以上の深入りをするのは建業にとって手に余る可能性が高い。

 

「これは荀家にとって恥ずべき事柄。確かに家の者以外に話すのは本来、憚られる事ではあります。ですが所詮、恥ずべきと言う想いですらこちらの事情でしかありません。私どもの事柄に巻き込み、あまつさえ軍を動かして護衛までしてくださった貴方がたには知る権利があると考えております」

 

 やはり彼女は相当の頑固者らしい。

 そして誠実な人柄だ。

 しかし誠実であると言う事が俺達にとって良い事になるかは場合によりけりであり、今回はどちらかと言えば悪い事に当たる。

 

「そこまで私どもの事をお考えの上での決断なのですね?」

「はい」

「ならば私から言う事はもうございません。過ぎた事を申し上げた事、謝罪いたします」

 

 美命が引き下がる。

 内心では相当に苦悩している事だろう。

 彼女の話を聞いた結果、事態がどう転ぶかが読めないからだ。

 

 既に密書であらかたの内部事情を知っているとはいえ、公式の場で建業の主たる面々に説明すると言うのは訳が違う。

 

 他領がこの件をどう捉えるか。

 これが劇薬になり、今まで以上に苛烈に動く可能性が高い。

 貴族と建業の仲が深まったと考え、逆に鎮静剤にもなりえるがこの可能性は低いだろう。

 

 荀昆の誠実な人格とその行動が、建業の今後を左右するのだ。

 どうやらまだしばらくこの騒動は続くようである。

 

 

 

 そして荀家御一行が到着して三日。

 俺達は桂花との別れの時を迎えていた。

 

「またね、桂花」

「……ええ。雪蓮も、元気で」

 

 ここは俺の部屋だ。

 公的な場で真名を言いながら別れの挨拶をする訳にはいかない。

 形式ばった言葉で別れるのは子供たちにとって辛い事になるだろう。

 だから先に私的な場で周りの事など気にせずに別れられるよう俺と蘭雪様、美命に正文とで取り計らった。

 

「冥琳、貴方との知恵比べ。とても楽しかったわ」

「私もだ。またいつか勝負しよう」

 

 握手する冥琳嬢と桂花。

 部屋に集まった子供たちは例外なく目元が潤んでいる。

 何か切っ掛けがあれば決壊してしまうだろう事が予測出来るほどに。

 

「シャオ、貴方からもらった腕飾り、大切にするわ」

「うん。ぐす、桂花もげんきでね」

 

 小さな身体で涙をこらえる小蓮嬢の背中を撫でてやる。

 我慢できなくなった彼女は俺の足にひっつき自分の顔を押し付けて涙を押し殺した。

 

「蓮華……」

「桂花……」

 

 この中で最も桂花とぶつかり、そして仲が良かっただろう蓮華嬢。

 二人は向かい合うと見つめ合ったまま動かなかった。

 恐らく二人にしかわからないなんらかのやり取りが行われたいたんだろう。

 この二人は傍目から見て間違いなく親友と言ってよい仲になったのだから。

 

「貴方には負けないわ」

「私も同じ気持ちよ」

 

 お互いに目を離さない。

 剣呑なように思えて、しかし親しみのある口調。

 親友であり、好敵手。

 お互いを高め合える理想の関係。

 ほんの少し羨ましいと思う。

 

「元気で……」

「ええ、絶対にまた会いましょう」

 

 二人が手を握り合う姿の先に、俺は今よりも成長した彼女らの姿を幻視した。

 

 

 

「お別れ、なのですね」

「そうだな。長いようで短かった」

 

 子供たちは既に席を外している。

 荀家一行が建業を出るまでもう一刻もないだろう。

 

「お前が元気になって本当に良かったよ」

「皆の……駆狼様のお蔭です」

 

 俺の胸に飛び込むように抱きつく桂花。

 俺の首に小さな手を精一杯回して、最後になるかもしれない抱擁をする。

 

「わ、わだしは……ずっと貴方の事をわずればぜん」

 

 我慢していた涙を溢れさせる桂花の頭を優しく撫でる。

 

「ああ、俺もお前の事を決して忘れない。またいつか必ず会おう」

「ばい……ありがどうございばず」

 

 今まで共に過ごしてきた時間に比べれば遥かに短い時間。

 大切なこの時間を俺達は時間が許す限り噛み締め続けた。

 

 

 

「行ったな、桂花は」

「ああ……」

 

 荀家御一行が去って行った方角を城壁から眺めながら話す俺は祭と話す。

 

「やはり寂しいの。あの子は……こう言うのは恐れ多いが蓮華様や雪蓮様となんら変わらぬ子供じゃった」

「別に恐れ多いような事じゃない。子供は子供だ。取り巻く環境が違うだけだ」

 

 出来る事なら権謀術数の渦巻く貴族社会に桂花を戻したくはなかった。

 友と笑い、親と笑う世界で生きてほしかった。

 

「お前はまたそうして抱え込もうとするんじゃな」

「……やはりわかってしまうか」

 

 読まれる事は正直、予想していた。

 祭と陽菜は俺が心を通わせた二人なのだから。

 俺の頑なな心をこじ開け、弱さを曝け出させた二人なのだから。

 

 右腕を抱きしめられる。

 俺の内心の悲しみを取り除こうとするような温もりが感じられた。

 

「大丈夫じゃ、駆狼。あの子は儂達が考えるよりもずっと強い」

「それはわかってるつもりだ。それでもやり切れない思いがある」

 

 強い事が良い事かどうかはわからない。

 あの子は『荀彧』なのだ。

 歴史に名を刻んだ文官と同じ名を持つ子で、その名に恥じないだけの智の片鱗を既に見せ始めている。

 今後、俺の知識通りに歴史が進む保証はない。

 だがそれでもあれほどの力を持つ人間が埋もれると言う事はまず無いだろう。

 

「あの子がどのような形であれ戦いに出る日が来るかもしれないと思うと、自分の力の無さが恨めしくなる」

「……それは儂達全員が抱えている想いじゃよ」

「わかってはいるんだよ、俺も」

 

 こんなにも残酷な世界で、これからも人が死ぬ。

 そのうちの幾らかは俺達が殺すのだ。

 割り切らねばいつか潰れる。

 

 割り切ったつもりでいてもふと現実を見つめ直した時に、今まで割り切ってきた想いが重圧として蘇る。

 

 ああ、俺は弱い。

 身体と共に心も鍛えていると言うのに。

 まだまだ俺は未熟者だ。

 だから俺と共に在る温もりに逃げたくなる。

 

 祭の身体を抱き寄せる。

 決して離さないように、決して離れないように、強く。

 

「ありがとう、祭。傍にいてくれて」

「弱さも強さも、どんなお前だって受け入れる。前に言った通りの事を実行しておるだけじゃ。今更礼など不要じゃ」

 

 日が落ちるまで俺達、そのままお互いの温もりを感じ続けた。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。