乱世を駆ける男   作:黄粋

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第二十話 賊の襲来と少女の決意

 隊の全員が空腹の苦しみを理解したあの日からさらに一週間と二日。

 俺たちは予定通りに行軍を続けた。

 

 既に長江付近に存在する村については全て回った。

 彼らが抱える問題や要望を書き留めた竹簡は、伝令が建業に送っている。 

 作物が実るだろう水捌けの良い土地についても、大雑把にではあるがまとめてあるので今後の農耕に役立つはずだ。

 

 あれほど巨大な河が近くにあると言うのは農作業の活性化に置いて大きな利点になる。

 勿論、治水と開墾が上手く出来ていなければ活性化なんぞ夢のまた夢だろうが、そこは優秀な軍師たちがやってくれるだろう。

 

 前世での敗戦後、国では戦後処理に手間取った結果、水害による被害が多発した地域があった。

 俺と陽菜は水害による被害を受けた事がある。

 だからそれがどれほど恐ろしい物かをよく知っている。

 

 長江とは比較にならないほど小さな河ではあったが、それが氾濫しただけで一帯は水浸しになり、酷い所では家すらも流されて住む場所すらも失う事があった。

 

 人の命をも否応なく飲み込む『それ』は、人の身ではあらがう事の出来ない無慈悲で圧倒的な力である。

 その脅威を知る陽菜が水害対策を怠るはずがない。

 

「陽菜様の事、すごく信頼されているんですね」

 

 前世での経験についてをぼかしながら水害の脅威と治水の大切さを説明すると公苗はそんな当たり前の事を言ってきた。

 

「補足するならば祭の事も信頼している。夫婦なのだから互いを信じるのは当然の事だ」

「そ、そうですか。お二人が羨ましいですね……」

「お前にもいずれそういう人が出来るだろうさ。お前ほどの器量良しなら引く手数多だから相手については心配しなくていい」

「こ、光栄、です……」

「まぁ、お前が良い人を選べるかどうかまではわからないが、な」

「良い人……隊長や陽菜様、祭様のようなお互いに信頼できる夫婦。ッ〜〜〜〜!?!?」

「ふははは! 公苗には少々刺激が強い話だったようですな!」

 

 顔を真っ赤にする公苗を微笑ましげに見つめ、からからと笑う宋謙殿改め豪人(ごうと)殿。

 

 一定の緊張感を保った中で談笑しながらの行軍。

 隊の皆も周囲への警戒を怠らない範囲でそれぞれに仲間たちとなんでもない雑談をしている。

 そんな中、周囲の空気が変化してきた事に最初に気づいたのは公苗だった。

 

「あ、隊長。風に紛れて塩の匂いがしてきました」

「塩? と言うと……海が近いのか」

 

 談笑を止め、思い切り鼻から息を吸い込む。

 なるほど、僅かではあるが海水独特の塩辛い匂いがした。

 

 しかし集中しなければわからないようなこんな僅かな違和感に気づく事が出来ると言うのは稀有な事だろう。

 状況の変化に敏感とでも言えば言いのか。

 そういう意味では公苗は斥候や偵察として非常に優秀な人材だ。

 嗅覚が犬にも劣らないと言うのは正直、才能の一言で片づけてはいけない気がするが、そういう人間もいるんだと言う事で納得しておく。

 この時代の人間についてはある程度の所で割り切っていかないと突っ込みに際限がなくなるからな。

 

「公苗、何人か足の速い者を連れて先に行け。地図によればこの先に岬があるようだ。そこからなら辺りを一望出来る」

 

 俺は部下の能力を見極め、それに見合った仕事を指示するだけだ。

 

「はい!」

 

 先ほどまで顔を真っ赤にして慌てていたのが嘘のような真剣な表情で返事をする公苗。

 気持ちの切り替えが上手く出来るようになってきたようだ。

 まだ顔が赤い事は大目に見ておくとしよう。

 命令を実行するべく近くにいた部下たちに声をかけて先行する彼女の背中を見送る。

 

「ここまでの行程は順調ですな」

「そうですね。むしろ二、三日早いくらいです」

 

 早い分には何の問題もない。

 物資と想定した期限に余裕が生まれると言う事は気持ちの上でプラスに働くだろう。

 余裕を持ちすぎて気を緩める事のないようにしなければいけないが、その辺りは心得ているつもりだ。

 

「この調子で万事上手く行けば良いですな」

「そうですね」

 

 本当にそう思うが、そうそう上手く行かないのが世の中というものだろう。

 ならばどのような事態にも対処できるように心構えをしておくべきだ。

 

 そして体感時間にして数分後、慌てて戻ってきた部下の報告で俺は自分の思考の正しさを実感する事になる。

 

「ご報告!!! 海賊と思われる船数隻が海辺の村に向かっています! 錦帆賊とは船の編成が違う為、恐らくは賊だと思われます!!」

 

 隊全体に緊張が走る中、俺は即座に指示を飛ばした。

 

「荷車の管理に五十名を残し、残りは駆け足!! 偵察隊は移動しながら詳しい状況を報告しろ!! 荷車隊は近隣の森で目立たぬように待機。追って指示を出す!!!」

「「「「「「はっ!!!!!」」」」」」

 

 指示を受けて淀みなく動き出す面々を確認し、俺は一足先に駆け出す。

 追従する面々を引き離す事がないようにある程度、速度を加減しながらそれでも可能な限り急いで。

 

「公苗はどうした?」

「既に何人かと村に入り、村人に避難するよう呼びかけをしております。しかし報告も急務なので村に入った段階で賀副隊長に許可を頂き、自分だけ報告に戻りました!」

「妥当な判断だとは思うが公苗の指示じゃないのか?」

「賀副隊長は村人の避難を最優先されており、報告まで気が回っておりませんでした。ですので私の方で判断を」

 

 なるほど。

 早い話が海賊の接近を察知した焦りで俺たちへの報告などすっぱり頭から消えたと言う事か。

 

 偵察向けの能力を持っているが、事に対して冷静に対応するところまでは出来ないようだ。

 もっと場数を踏ませ、口を酸っぱくして言い聞かせないといけないだろう。

 

「わかった。賊の編成は?」

「艇(てい)が三隻と先登(せんとう)が二隻。賀副隊長によれば先登にはそれなりの人数が乗り込んでいるのが確認できたとの事です!」

「賊が村に到着するのと俺たちが村に到着するのとどちらが早い? おおよそで良いが希望的観測は可能な限り捨てて答えろ」

 

 備えるべきは最悪の可能性。

 その為には『こうなっていればいい』と言う甘い考えはすっぱりと切り捨てなければならない。

 建業での調練の間に俺の考え方は部下全員に周知し、徹底させている。

 

「この速さならば賊よりも早く到着出来ます! 馬ならばほんの少しではありますが余裕を持てるかと!」

「よし。ならば騎馬兵五名は先行して公苗たちと合流。村人の避難を手伝え!」

「「「「「はっ!」」」」」

 

 俺の言葉を並走しながらで聞いていた騎馬兵たちが馬を本気で走らせていく。

 あっと言う間に遠ざかるその背を追いながら後ろの面々を怒鳴りつけた。

 

「調練の成果を今こそ見せてみろ!!! 賊から民を守り抜いたと言う結果を出す事でだッ!!!!」

「「「「「「おおっ!!!!!」」」」」」

 

 俺の声に彼らは全力で返事を返した。

 

 

 

 

「す、すみません。村長様はどこにいらっしゃいますでしょうか!?」

「はっ!? あの、どちら様でしょうか?」

 

 突然、村に入って慌てて質問する私に困った様子で聞き返してくる村の女性。

 

「も、申し遅れました。私は賀公苗。建業に所属する軍の者です!」

「け、建業の軍の!? そんな方がどうしてこのような辺鄙な村へ?」

「わ、私たちは今、治安調査の為に領内の村を回っているんです! 行軍の途中、あちらの岬からこの辺りを偵察していた所、この村に海賊船が迫ってきているのがわかったので避難してもらおうと駆けつけました!」

 

 私の慌てながらの説明に女性は顔を青くする。

 良かった。

 私の拙い説明でもちゃんと海賊の事は伝わったみたいだ。

 

「わかりました! 村長は村の奥の自宅にいらっしゃると思いますので私がご案内します!」

「お願いします!」

 

 女性に頭を下げてから私は付いて来てくれた人たちを振り返る。

 

「すみません、皆さんは村の人たちに海賊の事を伝えて避難させてください! 私も村長様に事の次第を説明したらすぐに手伝いに行きますので!」

「「「「はっ!」」」」

 

 バラバラに動き出した部隊の仲間を見送る中、一人だけ私に声をかけてきた。

 

「賀副隊長、村人への対応も大切ですが凌隊長たちへこの事を伝える事も必要だと思います」

「あっ!?」

 

 村の人たちを危険から引き離そうと焦って本来の任務をすっかり忘れていた。

 

「す、すみません! 忘れていました!」

「いいえ、焦られるお気持ちもわかりますので」

 

 真剣な表情のその人のお陰で私は慌てていた心を落ち着かせる事が出来た。

 

「すぅ〜〜はぁ〜〜……それじゃあ隊長たちへの報告をお願いします。出来るだけ詳細に。隊長たちの足なら海賊たちよりも早くここに到着できるはずですから」

「はっ!」

 

 深呼吸を一つしてから出した指示に彼は隊長から教わった敬礼を返すと走り去っていった。

 そして私は焦りながらも私たちのやりとりを見守っていた女性に改めてお願いする。

 

「軍の本隊も追って到着します。その前に事の次第だけでも村長様に!」

「わかりました。こちらです」

 

 女性の先導に従って私は駆け出す。

 

 力が強いだけでそれを扱う術を知らなかった私。

 持て余していた力で両親や生まれ故郷の村のみんなに迷惑ばかり掛けていた私。

 

 そんな私を拾って下さった美命様。

 歓迎すると笑いかけて下さった蘭雪様。

 こんな私の為にお忙しいのにわざわざ時間を作って会いに来て下さった陽菜様。

 時々、調練場に遊びに来られた雪蓮様と連れて来られた冥琳様、蓮華様。

 

 自分に自信が持てなくて軍に入ってからもずっとびくびくしていた私に目をかけて下さった豪人様。

 要領の良くない私に力の扱い方を根気強く教えて下さった隊長。

 

 優しく暖かいあの方々のご恩に報いる為にも、私はもっと努力するんだ。

 私が今持ってる力で出来るだけの事をするんだ。

 それが部隊の皆さんの助けになるんだから。

 

「こちらです!」

「はい!」

 

 私は女性が案内してくれた木製の大きな家に飛び込み、いきなり現れた私に目を白黒させている村長らしい男性に突然の無礼を頭を下げて謝りながら事の次第を説明し始めた。

 

 村長様は私からの説明を聞き終わると、とすぐに村全体に避難するようにと道案内をしてくれた女性に指示を出した。

 こちらで先に避難の誘導を行っている事を伝えたらすごく感謝されたけれど、私としては勝手な事をしてしまって申し訳ない気持ちで一杯だった。

 

「それだけ事態が切迫していると言う事なのでしょう? 一番大切なのは村の皆の命です。私に遠慮などなさる必要はございません」

「そう言ってもらえるとありがたいです。それでは私も避難を手伝いに行きますので! あちらから部隊が到着しますので村長様たちも避難はそちらの方へお願いします!」

「わかりました、我々もすぐに。……どうかこの村をよろしくお願いします」

 

 深く頭を下げる村長様と一緒に頭を下げている女性。

 

 その姿を見て、私は思った。

 誰かに何かを頼まれると言う事はこんなにも重かったのかと。

 

 その事を怖いとすら思った。

 だって私たちが海賊たちを退けられなかったらこの人たちは住む場所と平和な生活を無くす事になる。

 

 失敗は許されない。

 訓練とは違う、重苦しい緊張を感じて嫌な汗が背筋を伝うのが鮮明にわかってしまった。

 けれど。

 

「はい! 私たちが皆さんをお守りします!」

 

 そんな私の情けない内心を村長様たちに見せるような事はしなかった。

 

『守る立場である俺たちが守るべき民の前で弱さを見せる事は有ってはならない。民を不安にさせるからだ。常に堂々と胸を張れ。たとえそれが虚勢であっても』

 

『まず守るべきは民の心だ。その為に行動できる強い意志を持て。実力はこれからつけていけばいい、いや無理矢理にでもつけてもらう』

 

 隊長が就任した当初に語った言葉が私の脳裏によぎったからだ。

 

「それでは!」

 

 村長様のお宅を出て行き、岬から確認できた海賊船が迫ってきている方向に向かって走り出す。

 

 隊長たちと合流するまでの間、頭には『私』の心を守って下さった人たちの顔が浮かんでは消えていった。

 

 

 

 俺たちが村に到着する頃には既に村人の避難はほとんど完了していた。

 

 俺たちが村に入るのと入れ違いになるように村を出ていく人々。

 彼らを先導していた部下に荷車部隊の場所を教え、そちらへの村人たちの誘導を任せる。

 荷車部隊の場所までは護衛として二十人程、同伴させて万全を期している。

 

「あなた方の身の安全の為とはいえしばらく不自由を強いる事、先に謝罪させていただきます。申し訳有りません」

「い、いえいえ! これほど手厚く保護していただいていると言うのに不満などあろうはずがありません! どうか顔を上げて下さい!」

 

 恐縮しきりの村長の言に従い、下げていた頭を上げる。

 

「建業遠征軍総勢二百名、海賊の討伐及び貴方方の護衛に全力を尽くします」

「宜しくお願いいたします」

 

 村長以下、村人一同に対して敬礼しすぐに背後に控えた部下たちに向かって指示を出す。

 

「作戦を伝える。まず俺と三十名は海辺から乗り込んでくる海賊を迎撃、しかしこの組の目的は時間稼ぎだから敵を倒す事に拘る必要はない。残り百名は二手に別れて村を大回りし、連中を囲い込むように動け。そちらの指揮は賀副隊長、宋副隊長に任せる。俺たち時間稼ぎ組が上手く敵を引きつけた所を一気に攻め込んでほしい」

「心得ました」

「や、やってみます! あ、いえ……やって見せます!」

 

 二人の同意を得た上で俺はさらに話を進める。

 

「奴らを逃がすとまたいつ村が襲われるかわからん。ここで確実に全滅させる為にも有力な逃亡手段である船は奪うか、最低でも航行不能にする必要がある。如何に早く船を無力化出来るかが鍵だ。その事をしっかり心に留めて動け」

「「「「「おおっ!」」」」」

 

 俺と豪人殿、公苗の前に自発的に部隊が分かれて集まっていく。

 俺の部隊は作戦の要であり最も危険だ。

 よって成功率を上げる為に部隊全体の中でも精鋭で構成されなければならない。

 その辺りは言うまでもなく心得ているようで指示を出すまでもなく流れるように組分けは完了した。

 

「では三十名は俺に続け。俺たちが作戦の肝である以上、失敗は許されない。敵を引きつけると言う性質上、もっとも困難な役割だ。一瞬の気の緩みが死に直結すると思えッ!!!」

「「「「「はっ!!!!!」」」」」

 

 俺たちは各々に課した役割を果たすべく動き出した。

 

 

 この村は海に面している。

 地形としてはここまで俺たちが行軍してきた平原と海賊たちが航行している海とで挟まれる形だ。

 村の規模はそこそこ大きい物で人数は七十名程度。

 海に面して南北方向に民家がぽつぽつと並んでいる。

 

 公苗が賊を確認した岬は村から見て北側に当たる。

 そこから彼女にはこの村と村に迫る船が見えたのだと言う。

 岬から村までは俺の体感時間で十分とかからない位置だ。

 今、村からその岬を見上げてみても充分に村の様子を確認できる距離だろう。

 

 しかし近づいてくる船が海賊船であると識別出来るかと言えば首を傾げる。

 公苗によれば興覇たち錦帆賊と比べて、明らかに人相が悪く船の使い方が荒いとの事だ。

 

 しかしそんな細かい部分まで確認出来ると言うのは余りにも人間離れし過ぎているんじゃないか?

 面と向かって言ってしまうと彼女を傷つけてしまうから言わないが。

 

 村長たちから聞いた話では甘寧たちは既にこの村を巡回し、さらに南へ移動してしまった後だとの事だ。

 巡回していない大陸南方の海辺に村が点在している事から考えても彼らが引き返してくる理由は無いと言う。

 

 賊と目されている連中と彼らとでは船の編成が異なるので違うだろうと当たりは付けていたが、近づいている海賊が錦帆賊ではないという事は村長らの情報でほぼ確信出来た。

 

「……ここまで近づいてくれば俺たちでもヤツらが見えるな」

 

 海賊船は既に船上で動いている人間を目視出来る距離まで近づいていた。

 奴らが浜辺に到着するまでもう五分とかからないだろう。

 

「……まずは敵の目をこちらに引きつける。奴らが浜辺に上陸してきたらその進軍速度に合わせて下がるぞ」

 

 方針を確認しながら一瞥。

 部下たちが無言で頷くのを確認し、視線を前方に固定する。

 

「遠慮はいらねぇぞ!!! 金目のもん、女、なんでも好きなだけ奪い取れぇっ!!!!!」

「「「「「うおおおおおおっ!!!!」」」」」

 

 聞こえてくる声。

 追随する叫び声。

 まるで獲物に飛びかかる獣のようだと俺は考え。

 彼らは自分と同じ『人間』であるのだと思い直し。

 

 そして。

 彼らを叩き潰す事を改めて誓い、拳を握り締めた。

 

 

 

 楽な襲撃になるはずだった。

 

 錦帆賊の連中がいなくなったのを見計らって村を攻める。

 この日の為に、連中の動きを徹底的に洗った。

 

 何日も何日も村に偵察に出て連中がいなくなる時期を確認してようやくだ。

 奴らさえ邪魔しなけれりゃ俺たちをどうにか出来るような奴はいない。

 

 国の軍なんてただ威張り散らして、税金を絞り出すような見かけ倒しだけ。

 いざって時に何もしない、出来ない。

 兵士なんてただ鎧が大層なだけで、何の役にも立たねぇ奴の集まりで。

 運悪く出くわしても荒事で馴らした俺たちの敵じゃねぇ。

 

 この間、別の村を襲った時も奴らはなにもしなかった。

 お陰でこっちは楽しませてもらった。

 『楽しんだ後』の女を売ったお陰で金も結構ある。

 金が無くなった時の為に買い手が付いているガキを一人残してるから二、三週間は全然持つはずだ。

 

 全部、俺たちの思い通りだ。

 この時まではそう思っていた。

 

 

 最初は順調だった。

 ようやくやってきた絶好の機会で俺たち全員が気合い充分だったから、国の軍らしい連中がいたのにも構わず突撃した。

 突撃したら連中、こっちが近づく前に下がっていきやがった。

 臆病者どもがって罵りながら俺たちは良い気分で奴らを追い立てる。

 村の中までなんの抵抗もないまま来れた。

 

 この村には若い女が多かったから楽しめるかって期待してたんだが人の気配はまったくしない。

 たぶん目の前で逃げてる軍の連中が逃がしたんだろう。

 余計な手間かけさせやがってと舌打ちした。

 

 イライラしながらいつまでも逃げ続ける連中を追いかける。

 

 一応の警戒として船に残っていた仲間たちもどんどん俺たちに続いて船から降りてきたからもうこいつらにはどうしようもできねぇ。

 そう思って気分良く笑った瞬間だ。

 

「もうそろそろいいか」

 

 逃げていく軍の最後尾にいた男が呟いた声が聞こえた。

 追い立てられてるってのに妙に落ち着いた呟き声が耳に残る。

 

 次の瞬間、連中は逃げ回っていたのが嘘のようにこちらに向かって突撃してきた。

 

「へっ?」

 

 間の抜けた誰かの声が俺の耳を打つ。

 思わず呆然とするくらい奴らはいきなり動きを変えていた。

 情けなく逃げまどっていたはずの、役立たずどもだと思っていた連中が、今は俺たちを目だけで殺そうとするような恐ろしい視線を向けてきている。

 

「一人残らず叩き潰せぇえええええ!!!!」

 

 男の吼え声のような大音声。

 俺たちがその声に気圧されて今までの快進撃が止まった瞬間。

 足幅で十歩は離れていたはずの俺と吼えた男の距離が無くなり。

 ゴキリと言う腹に響く音と一緒に目の前が真っ暗になった。

 

 

 

「まず一人」

 

 完全に油断しきった海賊たち。

 その先頭にいた一人の無防備な横面に体重を乗せた裏拳を叩き込み、顔の骨をへし折った。

 

 手甲越しに感じる骨を折った感触を無視し、自分が死んだ事も理解していないだろう首が九十度曲がったままの体勢で吹き飛んだ賊が砂浜に叩きつけられる。

 

 仲間が一瞬にして殺された事で棒立ちになった海賊たちを前に俺は右手を掲げる。

 

 それを合図に俺の後ろから数十本の槍が飛翔。

 意識の空白を突かれた海賊たちの最前線は悲鳴を上げる事も出来ずに槍の雨の餌食になった。

 

「一気に蹴散らせぇ!!!」

 

 叫ぶと同時に槍が突き刺さって倒れた海賊を踏み越えてさらに槍の被害を免れた海賊を殴り飛ばす。

 その頃になってようやく自分たちの置かれた状況を認識し、動き始めた賊たちだがその動きに俺たちの猛攻から逃れられる程の素早さは無い。

 

 そして部下たちは槍のような長物を扱う場合の足運びをしっかり調練している。

 砂浜と言う踏み込みに適していない足場であっても、それなりの威力を誇れるようにぬかるんだ沼地で武器を振るう訓練までしたのだ。

 その威力は隙だらけの賊を一蹴するに申し分ない。

 

「「「「「うおおおおおおおお!!!」」」」」

 

 賊たちを威嚇するような大声と共に腰だめに両手で握った槍を構え部下たち十人が走り込み最前線にいる俺よりも前に出る。

 ようやく正気に戻り、武器を構え出した賊たちは既に渾身の一撃を放つ体勢の彼らから見れば格好の的だ。

 

「放てッ!!!」

「「「「「はぁあああああ!!!!」」」」」

 

 合図と共に彼らは前方に槍を突き出す。

 

「「「「「ぎゃぁあああああっ!!!!????」」」」」

 

 自分たちの前方にいた賊を一刺しにした十人は俺の指示を待つまでもなく武器を構えた姿勢のまま後ろに下がる。

 無事だった賊たちは反射的に彼らを追いかけようと走り出し。

 

「放てッ!!!」

「「「「「やぁああああッ!!!!」」」」」

「「「「「うぎゃぁああああああっ!?!?!?」」」」」

 

 槍撃部隊の第二陣の餌食になった。

 そして残りの十人が敵の断末魔を合図に畳みかけるように矢を放つ。

 時間差で最初に見事な突きを見せた槍撃第一陣が武器を持ち替えて矢を放つ。

 

 針鼠ならぬ槍鼠と化した者、体に槍で風穴を空けられ倒れ伏した者、彼らと同じように矢に穿たれて命を散らす者。

 等しく訪れる死と言う結果を前に海賊たちの志気は無いに等しいくらいに低下する。

 四十、いや五十人は殺しただろうか。

 数の上ではまだあちらが圧倒的に上だが形勢は既に逆転していた。

 

「な、なんだ。こいつら、馬鹿みたいにつえぇぞ!?」

「こんなのかなうわけねぇ。逃げろッ!!!」

 

 不利と見るや否や彼らは脇目も振らずに逃げ始めた。

 

「一人も逃がすな!」

「「「「「「はっ!!」」」」」」

 

 しかしこれだけ海岸から引き離された状態で引き返す決断をするのは愚策だ。

 どうやら奴らには俺たちが何故、最初から攻勢に出なかったのかは気づかれていないらしい。

 それならそれで構わない。

 奴らが知るのは自分たちの敗北と言う結果だけで良いのだから。

 

 そして彼らは海岸に辿り着くまでの追撃でさらに仲間を失い。

 

「あ、ああ……!!」

「う、うそだろぉっ!?」

 

 そして既に宋謙分隊、賀斉分隊によって制圧あるいは沈められている自分たちの船を見て絶望する事になった。

 

 

 錦帆賊からもらった情報によれば船舶は大型であればあるほど鈍重で頑丈、小型になればなるほど速度を上げる為に脆弱な造りになると言う。

 先登と艇はこの時代の船としては小型な部類だ。

 彼らが所有していた露橈かそれ以上の大型の船ならば無理だが、それ以下の型の船ならば航行不能にするくらいに破壊する事は難しくない。

 

 水上戦になれば今の俺たちでは勝利するのは難しい。

 だが今、連中は船を停泊させている状態ですぐに動かすことが出来ない。

 奇襲で船底に穴の一つでも空ける事が出来ればそれで終わりである。

 ちなみに公苗の持つ大型の棍棒とそれを振るう腕力ならば同じ箇所を数撃叩けば穴を空けられるだろう。

 豪人殿の大剣でも同様の事が可能だ。

 

 

 俺たち凌操分隊が敵を引きつけたお陰で敵はそのほとんどの戦力(目視確認で大体、百五十人と言った所)を船から離してしまった事で奇襲に抵抗する事も出来なかったようだ。

 

 先登は一隻を航行不能、一隻をほぼ無傷で確保。

 艇は三隻全てを航行不能にまで破壊し、乗組員は無力化させた。

 制圧した船には隊を象徴する『凌』の牙門旗が突き立てられている。

 

「貴様等に残された道は二つ。武器を捨てて投降するか死を覚悟して抵抗するか、だ。あいにくと腰を据えて考えさせる時間はやれん。五つ数える間に武器を捨てなければ容赦はしない」

 

 淡々と告げる。

 既に退路が無い事を察した海賊たちは武器を捨てていく。

 全員が武器を手放した事を確認した所で俺はヤツらを拘束するよう指示を出した。

 何人かを縄など拘束に使えそうな物を捜しに行かせ、その間に俺たちは海賊たちを村から遠ざけ一カ所に集めて包囲する。

 

「くれぐれも妙な気を起こすな。例え一人の行動であってもそいつ一人を処断するだけで済ませるとは限らないからな」

 

 要約すれば誰かが逃げようとすれば何人かを殺すと言っている訳だが。

 

 意図は伝わったらしく妙な動きをしようとしていた奴もおとなしくなった。

 と言うよりも周りの奴らがそいつを押さえつけて無理矢理おとなしくさせていた。

 

 誰でも自分の命は惜しい。

 既に逃げる事を諦めた者と自分だけでも助かろうとする者。

 意識の違いによる仲違いで既にこいつらの仲間意識は疑心暗鬼でズタズタだ。

 例えこいつら全員をなんらかの理由で取り逃がしたとしても二度と一つの海賊団として機能する事は出来ないだろう。

 

 そして一刻後。

 完全に海賊たちを拘束、遠征軍初の戦闘は軽傷者十数名を出しながらの敵勢力完全無力化と言う限りなく理想に近い結果で終わりを迎えた。

 

 

 

「隊長。船の中に少女が一人捕らえられておりました。ずいぶん弱っている様子でしたので保護しようとしたのですが……」

 

 奴らの悪行を象徴する心の傷を抱えた少女との出会い。

 この子との出会いによって俺は知識として知っていたこの時代の無法の一端をまざまざと見せつけられる事になる。

 


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