乱世を駆ける男   作:黄粋

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第十四話 二人の妻との幸せを。遠征開始

 俺は街を適当に歩きながら目に留まった店を覗いていく。

 時々、街の住人に声をかけられ立ち止まっては軽い談笑。

 そんな平和な一時を噛みしめながら俺は城下町ぶらり行脚を続ける。

 

 今日は俺が任官してから初めての休暇だ。

 

 基本的に調練に明け暮れている俺たちだが、休日は当然のように存在する。

 部下たちにもローテーションで休暇は与えているが、俺の場合は管理職な事もあってさらに少ない。

 現在の勤務体制は彼らが週休二日なのに対して俺は週休一日程度だ。

 

 前世の日本ならば訴えれば確実に勝てる程の休日頻度である。

 尤もこの世界に労働基準法なんて気の利いた法律は存在しないので訴えられるような事はないだろうが、そこは俺個人の気持ちの問題だ。

 

 とはいえそうでもしなければ手が回らない程に遠征軍は急ピッチで準備を進めなければならないのが現状なので止むを得ないと諦めてもいる。

 物資の手配が終わるまでに部隊を最低限の形に整えておかなければならないのだから。

 

 周異たち文官勢が本来ならもっと時間がかかる三ヶ月分の物資を二ヶ月とかからずに調達してしまった事が俺たちの準備をさらに急がせる結果になっている。

 

 その手配の手際の良さにはさすがと感心した物だ。

 しかし調練をもう少し腰を据えてやりたかったと言う思いがあるのも事実である。

 

 とはいえ早急に領土全体の状況を把握したいという我らが主の言い分もよくわかる話。

 だからよほどの無茶でなければ文句など言うつもりはない。

 

 そしてなにより。

 今回のこれは無茶ぶりとしてはまだ軽い方だと俺の勘が告げている。

 この程度、乗り越えて見せろと言う蘭雪様の私念(誤字にあらず)も感じられるのでここは一つ期待通りに、いや期待以上の働きをしてみせようと俺は覚悟を決めていた。

 部下たちも君主の無茶ぶりには諦めているらしく、不満は出ていない。

 

「それでも強行軍には違いないがな」

 

 そんな事を考えて調練を進めてさらに二週間ほど。

 いよいよ遠征出発の時が迫ってきていた。

 

 今日は遠征を控えたガス抜きの一日でもあるのだ。

 故に俺の部隊は全員が今日は休暇になっている。

 各々が思い思いに休みを満喫しているだろう。

 

 俺も勿論、この休日を静かに過ごす予定だった。

 ……休みの前日までは、だが。

 

「おお、来たな駆狼」

「待たせたか?」

「いいや、それほどでもないぞ」

 

 晴れやかな笑みを浮かべる祭。

 

「確かにそんなに待っていないけれど女性よりも後に来るようじゃ駄目よ?」

「……すまんな」

 

 静かに微笑む陽菜。

 

 どこからか休暇の話を聞きつけたこの二人のせいで俺の予定は潰された。

 

 まぁ二人とも建業にとって重要な立場にある人間だ。

 俺が黙っていてもいずれ休暇の話は聞かれていただろう。

 

「ほれ、なにを黄昏れているんじゃ。しばらく会えぬのじゃから今日は騒ぐぞ!」

「そうよ! そんな辛気くさい顔してないで楽しみなさい!!」

 

 片腕ずつを彼女たちに抱え込まれ引っ張られる。

 仕方なしに自分で歩き始めるが二人は腕を離してはくれなかった。

 

 端から見れば美女二人を侍らせているろくでなしに見えるだろう。

 実際、公然と二股をかけているのでろくでなしには違いないが。

 

 

 そう。

 俺はつい先日、陽菜を愛する身でありながら祭を受け入れた。

 

 陽菜に祭を振る理由に自分を使うなと怒鳴られ。

 祭には俺がどれだけ否定しても、拒否をしても決して『自分の思いは折れない』という意志を見せつけられ。

 

 そして俺は陽菜だけでなく、祭の事も想っている自分の心に気付かされてしまった。

 

 ずっと目を逸らしてきたと言うのに。

 陽菜の存在が明らかになった事でようやく祭が諦める所までこぎ着けたと言うのに。

 

 結局、俺は最後までその意志を貫く事が出来なかった。

 正確には祭と陽菜に意志をへし折られたと言うべきか。

 

「別に妻が二人でもいいじゃない? どっちとも両想いなんだから」

 

 二人の女性を想うという決して許されない事をしている俺に向かってあっけらかんとした顔で告げる陽菜。

 

 その言葉を聞いた時は俺の苦悩はなんだったのかと怒りすらこみ上げてきた物だが。

 

「『前』の事を言い訳に持ち出すのは無しよ。貴方は私にとっては玖郎だけど、『今』は凌刀厘であり駆狼でもある。『玖郎』として私を愛してくれるのは嬉しい。でもそれなら『駆狼』として祭にも応えるべきよ」

 

 倫理感も常識もあったものじゃない。

 俺にとって陽菜のその言葉は悪魔の誘惑にもほどがあった。

 

 心中を完全に見破り、俺の想いを理解した上で諭そうとする陽菜。

 そして長く続いた俺との中途半端な関係を終わらせる為に不退転の覚悟を決めた祭。

 

 俺にとって万の軍勢にも勝る程の難敵だった。

 

 最終的に口では勝てず、俺は追いつめられて武力行使にすら及んだ。

 しかし揺れる心のままに振るった力で祭に打ち勝つ事も出来ず。

 必死に守ってきた心の壁は祭の拳で突き崩された。

 

 仰向けに打ち倒されて無様を晒した俺。

 こんな無様な人間に幻滅してくれれば良いと最後の足掻きにそう思った。

 

 しかし祭と陽菜は、俺から離れようとはしなかった。

 否、俺を離そうとはしなかった。

 

「お前が倒れても儂らが起こしてやる。膝と着きそうになったら肩を貸してやる。お前がずっと気を張っている必要はないんじゃ。儂はずっとお前と共におるから。儂はどんなお前だって受け入れるから……だから」

 

 倒れ込んだまま呆然とする俺を抱き起こしながら祭は語る。

 震える声で意を決し、村を出立する前と同じ意味の言葉を。

 

「お前も儂を受け入れてくれ」

 

 心の壁を打ち壊された俺に断る事など出来るはずがなかった。

 

 

 

「おい、どうしたんじゃ駆狼?」

「さっきからずっと黙り込んでるけれど」

 

 左右から顔を覗き込むようにして俺を見つめる二人。

 二人の声で我に返った俺は軽く頭を振って意識を『今』に戻す。

 

「……こんな風に収まった時の事を思い出していた」

 

 前世の頃よりもさらに勘が鋭くなった陽菜と長い付き合いの祭を誤魔化そうとする気にはならず、正直にぼうっとしていた理由を話す。

 

「ああ、儂の『長年』の想いがようやく実った日の事じゃな」

「わざわざ長年を強調するな。俺が悪いのは理解している」

「じゃあ当然、お前に冷たくあしらわれていた頃の埋め合わせはしてもらえるんじゃろうな?」

「……ああ」

 

 その時の事を引き合いに出されては俺に拒否権はない。

 肝心な事を誤魔化し続けて祭を傷つけてきたのは俺だ。

 これは俺の蒔いた種なのだからな。

 

「祭にばかり構うのは許さないわよ。私たち二人をしっかり面倒見てね」

「それもわかっている。決めたのは俺だからな」

「よろしい」

 

 不満げにしていたかと想えば一転、満足げに笑う陽菜。

 年老いてもその感情表現豊かな性格は変わらなかったが、生まれ変わってもそのままだ。

 

「さっさと行くぞ、今日は俺の奢りだ」

「ほう、言ったな駆狼。もう撤回させんぞ?」

「撤回するくらいなら最初から言わん」

「それじゃお言葉に甘えて贅沢させてもらおうかしらね」

 

 想い人と連れ添いあいながら歩く。

 諦めていたはずの光景がある事を嬉しく思う。

 多少、自分が思い描いた形とは違ってはいるが、それでも今この時の俺は幸せだった。

 

 俺は争いが耐えないこの世界でより一層気合いを入れて生きていく事を誓う。

 両腕に感じる異なった温もりを喪うことがないように。

 

 

 そして翌日。

 俺は鍛え上げた二百の兵と共に建業を出立する日になった。

 まずは北へ、そして長江に沿って東へ進路を取り、海沿いに領地内の村を見て回るという行程だ。

 他の領土との国境沿いはなるべく相手側を刺激しないように進んでいく事になる。

 俺たちは領地を上手くまとめられているが、それでも他の領土と事を構える程に余裕があるわけでもない。

 今は何よりも『地盤を固めるべき』というのが文官勢の共通した認識だ。

 

 その地盤固めの政策の第一歩が領内を巡回する軍の派遣。

 俺が想定した以上に今回の任務は重要度が高い。

 だからと言って俺がやる事が変わる訳でもないが。

 

 

 見送りはいらないと言ったのだが、君主も軍師もまるで聞き入れてくれず主だった武官、文官は出立場所である建業の北門に集まっていた。

 

「まったく、大袈裟な……」

「そう言うな、駆狼。ようやく取りかかれた新しい政策だ。幸先が良いように派手に見送りたいのさ」

「そういう事だ。これも兵たちの志気を少しでも上げる為の策さ」

「失敗する要素は可能な限り排除して事に当たりたいのですよ」

「まぁ話としては理解出来ますが、ね」

 

 後ろに居並ぶ部下たちには聞こえないように会話をするのは俺と蘭雪様、公共改め美命と深冬だ。

 

「お土産、よろしくね。駆狼〜〜」

「遊びに行くわけではないんだが。一応承知したと言っておく、雪蓮嬢」

「駆狼殿、道中お気をつけて」

「ありがとう、冥琳嬢。そちらはしっかり勉強に励めよ」

 

 調練の合間に談笑していたらいつの間にか心を開いてくれた公瑾嬢改め冥琳嬢とさらに懐いた雪蓮嬢の頭を撫でる。

 君主と筆頭軍師の子供に対してかなり慣れ慣れしい態度を取っているのだが、誰も咎めない。

 

「なんかあったらすぐに伝令寄越せよ。お前がどこにいたって出来る限り手助けするからよ」

「ああ。その時は頼りにさせてもらう、激」

「おう!」

 

「海沿いに行くんだから新鮮な魚とかお土産よろしくね」

「塁、魚はどうにか出来るかもしれんが新鮮なのは無理だぞ。海は行軍の前半部分だからな」

「ええ〜〜、なんとかしなさいよ〜〜〜」

「無茶を言うな」

 

「刀にぃ、気をつけて。成果、期待してますから」

「ああ、せいぜい期待に応えられるよう気張るよ、慎」

「言う必要はないと思うけれど、功を焦ったりしないでね」

「愚問だな。自分の身勝手で部下に余計な負担などかけんさ」

 

 幼馴染みたちからかけられる言葉に返答し、離れて見守っていた二人に俺から近づく。

 

「祭、陽菜。行ってくる」

「駆狼、しっかりお勤めを果たして来い」

「任せろ」

「体には気をつけてね。変な物、拾い食いしたら駄目よ?」

「俺は子供か? お前こそ護衛も付けずにぶらぶらと街をうろつくなよ?」

 

 いつもと変わらないやり取り。

 お互いがお互いを信頼しているから、態度を変える必要はない。

 俺は生きて帰ると二人に誓ったのだから。

 

 とはいえ最近、この二人にはやりこめられてばかりだからな。

 たまには攻勢にでも出てみるか。

 

「祭……」

「ん、なんじゃむぐッ!?」

 

 不意打ち気味に祭の唇を奪う。

 すぐに離して次の目標へ。

 

「え、んむっ!?」

 

 俺の行動に、珍しく目を見開いて驚いている陽菜の唇も奪う。

 

「うわぁ、駆狼ってば大胆」

「ば、馬鹿、雪蓮!! そんな食い入るように見る物じゃない!?」

 

「おお、派手にやったなぁ駆狼」

「まさか兵たちの前で接吻とは。沈着冷静だと思ったが案外、熱烈なのだな」

 

「うちの大将は秘めた熱血漢だからなぁ」

「そうだね。って言ってもさすがに吃驚したよ」

「それだけ二人の事が好きって事でしょ。いいなぁ、祭と陽菜様」

 

「ううむ、若いですなぁ。隊長殿も黄蓋殿も陽菜様も」

「あ、あわわわわ。す、すごいです隊長」

 

外野が何か言っているが、ここは聞き流す所だろう。

 

「それじゃ行ってくる」

「う、うむ……」

「い、行ってらっしゃい」

 

 顔を真っ赤にして視線を明後日の方向に向ける二人。

 その微笑ましい様子に自然と口元を緩ませながら俺は振り返り、配下二百人に命じた。

 

「これより凌操隊二百名は呉領内への遠征を開始する!!! 誰一人欠ける事なく再びこの建業の地を踏むぞ!!!!」

「「「「「「おおーーーーー!!!!!!」」」」」」

 

 男女合わせて総勢二百名の唱和を心地よく感じながら俺は隊の先頭を切って足を踏み出した。

 

 

 

「まったく駆狼のやつ」

 

 顔を赤くしたまま遠ざかる凌操隊を見送る祭と陽菜を見やる。

 出立前に好き勝手やっていきおって。

 もしかしたら今日は役に立たんかもしれんな、あの二人。

 

「どうした、蘭雪?」

「いや、本格的に妹を取られてしまったと思ってな」

 

 ずっと私を支えてくれた、手助けしてくれた妹。

 私が婚儀を上げた時も率先して式の手配をして祝福してくれた。

 子供が生まれた時も子育てなんぞした事がない私に付き添って雪蓮や蓮華(れんふぁ)、小蓮(しゃおれん)の世話をしてくれた。

 

 ずっとずっと私と一緒だなんて、なんとなくそう思っていた。

 

「ふふふ。いい加減、妹離れをしろと言う天命だろう」

「そんな軽い天命があってたまるか」

「ははは、まぁそうだな」

 

 笑い続ける美命を睨み付けるが、一向にこいつは笑みを消そうとはしない。

 

「しかし私は陽菜が見初めたのが駆狼で良かったと思っているよ。あいつならば陽菜を大切にしてくれる……そう思う」

「……二股かけてるヤツにそんな事ができるか?」

 

 これはただの八つ当たりだ。

 あやつは祭と陽菜、二人を幸せにして余りある事が出来る男だと私は認めている。

 ただそんな男であっても妹を取られたと思うと軽く嫉妬してしまう。

 我ながらなんと幼稚な事か。

 

「それは本心ではないでしょう? 妹を取られた嫉妬なんてみっともないわよ。三児の母だと言うのに」

「やかましい。わかってるよ。あんな妹の顔、見てしまっては認めないわけにはいかんだろうが」

 

 普段から雰囲気に流されず、空気を読み、時に頑なに自分を貫く頑固者である陽菜があんなにも無防備な姿をこれだけの人間の前に晒している。

 それだけ駆狼の接吻が効いたと言うことだろう。

 

「あいつは私の幸せを願ってくれた。なら私があいつの幸せを願わないわけにはいかないからな」

「だったら駆狼が戻ってきたら義姉と呼ばれる覚悟を決めておきなさい」

 

 それだけ言うと美命は私の傍を離れていった。

 もう既に皆、仕事に戻って行っている。

 

 ここに残っているのは長話をしていた私たちと未だぼうっとしている祭と陽菜、護衛の者たちだけだ。

 

「まったく好き勝手言ってくれる。……こら、祭! いい加減目を覚ませ!」

「うひゃうっ!? ら、蘭雪様?」

「ったく、こら陽菜!! さっさと政庁に戻るぞ!!!」

「わたっ!? ね、姉さん痛い……」

 

 ぐいぐいと二人の手を引いて北門を抜ける。

 一度だけ門の外に振り返り、絶対に聞こえていないだろう駆狼に告げる。

 

「さっさと成果をあげて帰ってこい。義弟(おとうと)よ」

 

 まだ事態が飲み込めていない二人を引きずりながら私は政庁に向かって歩きだした。

 


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