乱世を駆ける男   作:黄粋

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第百八話 迫る決戦の時

 虎牢関を目指して進撃する反董卓連合軍。

 しかし目的地に辿り着く前、何度となく董卓連合側の騎馬隊による襲撃を受けることになる。

 

 ただでさえ袁紹の癇癪を宥めるのに一週間もの時間を費やしてしまった反董卓連合。

 汜水関から虎牢関までの順路には身を隠すような場所はほとんどない。

 ただただ広い平原である為、奇襲する事は不可能だった。

 彼らの大多数が『汜水関を撤退した以上、董卓連合は虎牢関で待ち構えている』と考えていた。

 故に張遼、馬超を中心とした騎馬隊による襲撃への動揺と混乱は当然のものと言えた。

 

 

 虎牢関方面から巻き起こる砂塵。

 迫り来る何かに最初に気付いたのは意外な事に袁紹軍の兵士であった。

 袁紹自身はともかく兵士たちや諸将は汜水関での戦いが限り無く敗戦に近いものである事を理解している。

 彼らの心には圧倒的な軍勢を手玉に取った董卓連合に対する恐怖心にも似た警戒心があった。

 それが功を奏した形だ。

 

「その程度の軍勢で襲撃なんて片腹痛いですわっ!」

 

 報告を受けると袁紹は止める顔良や文醜らを無視してまでわざわざ近付いてくる軍勢を確認しに最前戦まで出張るという暴挙に出る。

 どうやら予備があったらしい神輿の上でふんぞり返りながら迎撃指示を出す姿は友軍から見ても滑稽だ。

 とはいえ兵士たちに彼女へ苦言を呈する事が出来るはずもなく、げんなりしながらも槍や楯を構えて騎馬隊を待ち受けた。

 

 いよいよ激突かというところまで近付いた両軍。

 しかし襲撃者は最大限警戒する反董卓連合軍を確認するや否や、そのまま突っ込む事無く左右に別れて大軍を避けるように走り抜けた。

 激突を覚悟していただろう反董卓連合は肩透かしされた形になるが、騎馬隊は弓射による追撃が行われない程度に距離を離すと弧を描くように反転。

 軍勢の背後を突こうと再度の突撃を敢行するも、今度は余裕をもった弓兵隊による迎撃を受ける事になる。

 すると騎馬隊は一射目が届くかどうかの距離であっさりと突撃を中断し、軍勢に対して一当てする事無くまた距離を取った。

 

 この時点で聡い者たちはこの襲撃がただの揺さぶりであちらに積極的な攻撃を仕掛ける気はないのではと考え始める。

 その予想を裏付けるように数度の突撃の後、騎馬隊は悠々と撤退していった。

 

 袁紹は即座に追撃を指示し、諸侯は慌てて自軍の騎馬隊を派遣するも大陸で上位に位置する張遼、馬超たちに追い付く事は出来なかった。

 結果として被害は矢の消耗のみで、互いに人的被害は無し。

 程なくして止まっていた行軍は再開され、袁紹は何の成果も上がらなかった鬱憤を逃げ帰っていく騎馬隊、引いては董卓連合をあらん限りの言葉で罵倒する事で溜飲を下げる事になる。

 もちろんそれは袁紹に限った話であり、軍の大部分は今回の襲撃の意図を読み取る事に努めていた。

 

「春蘭、どう思う?」

「戦う事そのものが目的ではありません。間違いなく時間稼ぎ、揺さぶりの類です。ただ……」

 

 既に見えなくなった騎馬隊の背を追うように夏侯惇は視線を動かす。

 襲撃者の中に張遼を見つけた瞬間、反射的に駆け出そうとした彼女だったが主である曹操に強く制止されてしまえば動く事は出来なかった。

 行軍最中で全軍が一塊になっている今の状況で汜水関の時のような一騎打ちを始められてしまえば、本人たちより周囲への被害が馬鹿にならないのだから曹操の判断は正しいだろう。

 

「張遼、馬超という精鋭を使ってまでやる事なのかという点が引っかかっています」

 

 その引っかかる点を具体的な言葉に置き換える事が出来ず、彼女は眉間に皺を寄せて唸る。

 

「秋蘭はどう?」

「姉者と同じ意見です。ただ最初の突撃時と比べ、騎馬隊が軍の背後に回り込んだ時、そして撤退した時。それぞれで騎馬隊の数が僅かながら減っているように見受けられました」

「数が、減っている?」

 

 それは弓矢という遠距離武器を使用する為に、近付いてくる軍勢に対して可能な限り全体を見るようにしていた彼女だからこそ気づけた事だろう。

 曹操は秋蘭の言葉が事実である前提でその意味を考える。

 

「今回の襲撃、本命はもしかして『そちら』なのかしら?」

 

 今から『どこか別の目的地に向かった騎馬』を追いかけようにも具体的な行き先が分からないのであればどうしようもない。

 どこに向かったか方角だけでもが確認出来ていればと思うも、今更の事だと言葉を飲み込むと正面に向き直る。

 

「(秋蘭の言うようにこの襲撃に乗じて別の場所へ向かった者がいたとして、その目的は……汜水関への襲撃はまずありえない。あそこにもかなりの数の兵を残している以上、私たちを無視してまでそっちに戦力を割く余裕はないはず)」

 

 幾つもの考えが曹操の頭を駆け巡る。

 

「(向かった先が汜水関ではないのなら他の領地? 伝令、工作兵の類だとするならわざわざ突撃隊に組み込む意味は? ……ああ、こうして気付いた人間に考え込ませる事こそが狙いなのかもしれないわね)」

 

 そこまで考えたところで結論を出すにはあまりにも情報が足りないと判断した彼女はこの思考をいったん頭の隅に追いやることにした。

 消えた騎馬隊の目的がなんであれ、恐らく直接自分たちに危害を加える策ではない。

 となれば影響が出るのは所有する領地の方と考え、最低限の指示を出す。

 

「秋蘭、自領へ伝令を。市中への警戒を強化するように。何らかの異変が起きた場合、即座にこちらに伝えるように手配して。どんなに小さい事でもよ。可能なら他の領地についてもね」

「はっ!」

「(残した者たちなら領地になにかあっても対処は可能。想定外の何かが起きたとしてもその時の情報を握っていればこちらから指示を出すことも出来る)」

 

 最低限の対策は取ったと判断した曹操は意識を切り替えて行軍へ集中する。

 同じ頃、彼女と近い結論を出した者たちも動き出す。

 

 この後も襲撃は日を跨いで何度も行われる事になる。

 だが全てにおいて互いの被害はほとんどなく、前哨戦は静かに終わりを迎える。

 虎牢関はまだ見えない。

 

 

 

「まぁ完全な嫌がらせなのだがな……」

「せいぜい深読みして頭痛にでもなればいいわ」

 

 この策を予め指示していた周瑜、賈駆の顔は反董卓連合の識者があーだこーだと考え込む様子を思い浮かべているのか愉悦の笑みを浮かべていた。

 ここ連日の激務で精神的にだいぶ来ている二人の形相は鬼か悪魔かと言うほど酷いものになっている。

 もしも今の二人の様子を目撃していた者がいたならば、音を発てないよう最大限注意しつつも可及的速やかにその場から逃げ出していただろう。

 

「こちらの準備は順調だ。とはいえやはり強行軍だからな、予定よりは早く終わりそうだが……それでもまだ時間がかかるだろう」

「元々無茶な事をしているんだもの。多少予定を繰り上げられるならそれだけでよくやってくれているわ」

 

 二人は会議室を目指しながら今できる情報交換を始める。

 

「こちらの担当分も概ね予定通りね」

「概ね、とは?」

 

 賈駆の言葉に引っかかりを覚えた周瑜はすかさず聞き返す。

 想定通りに事が進んでいない状況を面白くないと感じているのだろう賈駆は不満を隠しきれず、語調を荒くしたまま彼女に応えた。

 

「曹操の領地、そして自領に篭もっている劉表の領地については成果が芳しくないわ」

「曹操は対策している事を予想していたが……反董卓連合へ参加の意思を示しながら領土の荊州北部に広がった病を理由に直前で取りやめた男か。……どう見る?」

 

 周瑜が問題の人物について持っている情報を提示すると、賈駆は眉間に皺を寄せて唸り声を上げる。

 

「十常侍がのさばっていた頃、奴らの呼び出しに応じて都を訪れた事があると陛下のお世話役筆頭から聞いているわ。言葉を交わす事はなく、陛下の名代として顔合わせに同席したらしいのだけど……感情がまったく読めなかったとおっしゃっていたわ。おまけに十常侍の命をにべもなく断り、後日差し向けられた間者は潜ませていた間者で返り討ち。悠々と自領に帰還し、以降は呼び出しに応じる事もなく都に寄りつかなかったそうよ」

 

 陛下、現在の献帝の『お世話役筆頭』とは、つまり荀彧の事だ。

 周瑜は自分と互角の知恵者と認識している彼女をして『感情がまったく読めなかった』という評価をしている事実に目を細める。

 さらに当時、中華を牛耳っていた十常侍に対して恭順とは真逆の対応を取り、しかし袁紹のように十常侍の排除に動く事も無いその姿勢。

 賈駆に釣られるように周瑜の眉間にも皺が寄った。

 

「面倒な相手だという事は分かった。とりあえずこんな相手が意図は分からずとも反董卓連合へ参加していない事は幸運だったかもしれんな」

「ええ。単純な勢力としても袁紹に引けを取らないというのが私の考えよ。配下の大将『黄祖(こうそ)』なんかは長年その地位を預かる名将だし、広大な領地を治める兵力も相当なものだもの。戦わずに済むならこちらからすれば儲けもの、なのだけど……」

「やはりその意図が読めないのは引っかかるな。その上、こちらの工作が上手くいかないとなれば尚更だ」

 

 この戦いが終わった後も警戒する必要がある。

 劉表の存在を頭の片隅に刻み、周瑜はこの男の話を切り上げることにした。

 

「今やっている下準備に劉表たちはそこまで関与しないだろう。工作を撥ね除けられたのなら深入りしない方が良い」

「何が琴線に触れるかも分からない相手なのだし、そのつもりよ。藪をつついて蛇を出しては元も子もない。曹操のところもそうする予定だし、正直一つ一つの領地に固執して時間をかけるだけの余裕もないもの」

 

 軍師の語り合いはいつまでも続き、会議室に到着する事には二人の頭の中で既に今後の行動方針がまとめられていた。

 阿吽の呼吸と言ってもよい掛け合いで軍議に参加する面々にそれらが伝えられ、軍議そのものは驚くほどすんなりと進む。

 懸念事項は多々あれど、今ある最善を求めて洛陽では着々と『その時』に向けた準備が進められている。

 

 


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