乱世を駆ける男   作:黄粋

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第百六話 戦い終えて。しばしの平和

「……ふぅ」

 

 白み始めた空を窓から見つめながら息を付く。

 董卓連合側による汜水関の放棄から既に三日が経過していた。

 

 

 殿を努めた俺はギリギリまで砦の外で待っていてくれた馬超たちと合流し、そのまま虎牢関へ撤退。

 ただし俺はその道中で意識を失ってしまい、気付いた時には虎牢関で宛がわれていた私室で横になっていたのだが。

 

 気絶した原因は分かっている。

 簡単に言えば疲労困憊だ。

 連日の防衛戦に加えて最後の殿では曹操軍の名だたる武将ほぼ全てを相手取る羽目になったせいだろう。

 そこに逃げ切れた安堵と相まって気が抜けてしまったというところだろう。

 

 

 馬上で意識を失ったはずだが、それによる怪我はしていなかった。

 あの時、並走していた馬超たちが上手く受け止めてくれたんだと聞いている。

 

 と言ってもそれまでの戦闘で身体は傷だらけになっていたから落馬して怪我が増えたところで今更というのが俺の感想だ。

 身体に負った傷はこの三日の休息でほとんど塞がっているから特に問題もない。

 前世と今世の回復力の差には未だに違和感が拭えないが、そういうものと受け入れるしかないんだろうな。

 

 俺は目を覚ました後、色々と無茶をしたという事を理由にとりあえず休めという意味合いでの謹慎を申しつけられた。

 虎牢関にいる武官、文官の満場一致という話だったが俺自身に否はない。

 身体が限界だった事、心配をかけた事の反省を込めてこうして篭もっているという訳だ。

 1日の終わりに誰かがその日の報告をしてくれるから、俺一人だけ状況に置いて行かれる事も無いので不便でもない。

 

 

 虎牢関の現状は悪くない。

 だが何もなかった訳でもない。

 

 まず撤退時に引き際を弁えられなかった張遼が自主的に謹慎した。

 まぁ彼女が夏侯惇との決闘に熱中してしまい、撤退の時機を逃した事は問題だ。

 それのせいで俺が殿として一度、反董卓連合に包囲される羽目になったのだから。

 しかも張遼は本来なら己を律して陣頭指揮を執らなければならない立場だ。

 どういう形であれ、罰は必要だろう。

 

 今、虎牢関の陣頭指揮は建業代表として黄蓋が執っている。

 一応、当初は董卓の配下が指揮を執るべきだという話になったらしいのだが、虎牢関にいる中で張遼と同等の武官である呂布はこういう事には向いておらず、文官の陳宮は全体の指揮をするにはやや力不足。

 賈駆は董卓やお嬢たちと共に色々と動いているが、まだ決行には時間がかかるようで洛陽を離れる事が出来ない。

 

 

 結局、張遼自身の現場判断で汜水関の時と同じく黄蓋へ一時的な権限委譲をしたとの事だ。

 黄蓋自身はあくまで代理として出しゃばるような真似はせず、反董卓連合への備えに関しては常に董卓軍、西平軍と協議し、合意を取った上で動くようにしている。

 祖茂や程普、韓当たちが補助しているし、陳宮や馬超たちも協力的なので当分の体制としては問題なさそうだ。

 

 汜水関を占拠した反董卓連合だが、こちらも今のところ軍に動きはない。

 まぁよりにもよって大将である袁紹の軍に内通者がいた事が判明したんだ。

 外からは窺い知れないが内部は大混乱だろうし、今頃他に内通者がいないか躍起になって調べているところだろう。

 そして袁紹がそうなってしまった以上、事は反董卓連合全体に波及する。

 大多数の勢力は自分たち、いや味方である他の諸侯全てに大なり小なり疑心を向けるだろう。

 

 内通者が一人や二人である保証はない為に、『勢力ごと内通者である』という最悪の可能性を否定出来ないのだから。

 

 僅かに話した印象だが、袁紹は自分を侮られる事に我慢ならない性質だ。

 そんな性格の人物が自分の配下となっている者たちの前で内通者の存在を露見させられたとなれば。

 十中八九、『恥を掻かされた』と怒髪天を衝くほど激怒しているだろう。

 

 曹操が連合全体の手綱を握ろうにも、ここまで事態が荒れてしまっては難しい。

 あの手の直情型の人物は無駄に行動的でかつ自分が納得するまで徹底的にやる。

 仮にも大将であり、単体の勢力としても対等である袁紹が相手では流石の曹操と言えど首根っこ掴んで大人しくさせる事は出来ない。

 反董卓連合が軍事行動を起こすまで少なく見積もっても数日は時間が稼げるだろう。

 

 なので総合して現在の虎牢関は平和なものだ。

 お蔭で俺個人としてもゆっくりと休む事が出来た。

 体調は既に万全だ。

 

 寝台から降りて、窓越しに登る太陽を見つめながら呟く。

 

「そろそろ起こすか」

 

 外に出たらまずこの鈍った身体を戻さないとな。

 朝の報告担当である賀斉にもう大丈夫だと伝え、ざっくりとした今日の予定を立てながら。

 俺の寝台に潜り込んですやすやと眠っている呂布を起こしにかかった。

 

 

 

「次っ!」

「はいっ!」

 

 虎牢関の訓練場に俺と隊員たちの声が響く。

 復帰初日という事でほとんど動かしていない身体を丁寧に解すつもりで虎牢関内の修練場にやって来たのだが。

 俺の復帰を聞きつけた自隊の隊員たちが混ざり始め、最終的に組み手合戦へと変わっていった。

 

 気持ちの良い汗を流しながら、飛びかかってくる隊員を殴り、蹴り、時に投げ飛ばす。

 最初こそ俺が病み上がりである事を考慮して手加減をしていた様子の隊員たちだが、俺がいつも通りに動いている事が分かってからは本当に普段通りに攻撃してくるようになった。

 実際に自分で思っていたよりも鈍っていなかったのでその判断はありがたい。

 なので容赦なく組み手相手を打ち倒していくと、喧噪に気付いて寄ってきた余所の隊も混ざり始めた。

 顔見知りの建業関係者たち、馬超隊から始まり、最終的には張遼隊や呂布隊までも。

 

 武官や文官がいないのは定例軍議に出ているからだろうな。

 

 次々と襲いかかる兵士たちを順繰りに倒していく。

 どの隊もしばらくすれば立ち上がってくる奴ばかりで、かれこれ一刻は戦いっぱなしだ。

 身体中から汗が流れっぱなしで俺はずぶ濡れになって重くなった上半身の服を脱ぎ捨てている。

 いつ終わるともしれない戦いはかなりきつい。

 だが組み手をし続けたお蔭で僅かにあった身体の違和感、気怠さのようなものは消えていた。

 

「うぉおおおっ!」

 

 次に迫ってきたのは華雄だった。

 一兵卒に降格されたが故に軍議に出る事はなく、こちらに来ていたらしい。

 

 大斧を半身になって避け、右拳を振るう。

 手甲でその攻撃を受け止められるが、そのまま相手の左腕を絡め取って引き寄せる。

 同時に足を払い、相手が踏ん張れない状態を作っての背負い投げ。

 

 しかし投げ飛ばす直前に華雄は斧を手放した。

 斧の分の重量が無くし、身軽になった華雄は空中で体勢を立て直して着地する。

 

「ほう?」

 

 以前の模擬戦の時と比べて動きが段違いに良くなっている。

 武器を無くしても拳を握って向き合う彼女と改めて対峙してみれば、彼女が纏う空気からして以前と変わっている事がわかった。

 俺たちに模擬戦を挑んでいた頃と比べて、周囲構わず撒き散らしていた暴力的な気配が抑え込まれている。

 一挙手一投足が研ぎ澄まされ、力の向け先が定まったとでも言う印象を受けた。

 どんな心境の変化があったかは分からないが、良い方向に変わったと見ていいだろう。

 

「「……っ!!」」

 

 特に語る言葉もなく、俺たちは同時に地面を蹴る。

 起き上がった他の隊員たちが乱入してきた為に一対一の時間はそう長くはなかったが、華雄が心身共に改善したという事実は頭の片隅に残った。

 機会があれば張遼に伝えてもいいだろう。

 董卓軍の人事に介入するつもりはないが、あくまで『個人の所感』を伝えるだけならば問題ない。

 華雄の件で迷惑をかけられた俺たちがいるこの戦いの間は、こちらへの示しもある為に武官への再起は望めないだろうしな。

 

「とはいえまだまだ甘い」

「がふっ……」

 

 華雄の拳を捌き、軽く顎を打ち抜いて昏倒させる。

 そこからさらに一刻ほどで修練場にはそこかしこに兵士が倒れ込むという、ある意味でとんでもない光景が広がることになる。

 

「今日の鍛錬はここまで。各自、しっかり身体を解しておけ。疲れたならしばらく寝たままでもいい」

 

 流石に他部隊も含めた連続組み手は疲れた。

 とはいえ今できる限界まで身体を酷使するという荒療治で、鈍っていた身体はすっかり元通りだ。

 

 俺はある種の開放感に満たされながらも、上がった息を整えるように深呼吸する。

 そしてその場で座り込み、柔軟を開始した。

 見慣れている建業と馬超隊の面々は俺の行動に倣ってそれぞれ動き出すが、董卓軍の関係者は俺たちの行動に戸惑っているようだ。

 まぁ運動の後の柔軟が身体に良いだなんて概念がない時代だ。

 戸惑うのは当然だろう。

 

「一朝一夕で効果が出る物ではないが、続けられれば間違いなく自分の為になるぞ。もちろん強制はしない。騙されたと思ってやってみようと思うなら柔軟について教えよう」

 

 俺の言葉に何人かが寄ってくる。

 その中にはいつの間に復活したのか華雄も混じっていた。

 

 この後、騒ぎに気付いた首脳陣に復帰初日から飛ばしすぎだとお叱りを受ける事になる。

 呂布は盛大に拗ね、馬超を初めとした身体を動かすことが好きな面々からは「次は自分も!」と強請られた。

 いずれ戦場になるはずの場所ではあるが、今この時は確かに平和な時間が流れていた。

 


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