乱世を駆ける男   作:黄粋

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第九十二話 洛陽にて

 同盟相手の西平から裏切らない証として寄越されていた翠、蒲公英、お目付役としての鉄心殿。

 彼女らは精鋭騎馬隊と共にこの時代の行軍速度としてはありえないほどの速度でやってきた。

 

 西平と建業は大陸中央を挟んで真逆と言っていい場所だ。

 最短距離を真っ直ぐ突っ切る事が出来るわけではなく、何より俺たちも含めて董卓に与する陣営はその動きをなるべく秘匿しなければならない。

 気をつけなければならない事柄が多い中での行軍で神経をすり減らしただろうに到着した者たちは、長旅の疲労など感じさせなかった。

 

「涼州馬氏の名代として同盟である建業は孫家に加勢に来た! 馬孟起です」

「同じく馬岱です!」

「同じく鳳令明です」

 

 無論、彼らとは気心の知れた仲だ。

 堅苦しい名乗りを返せば、お互いに屈託無く笑い合える。

 よく見れば精鋭騎馬隊も以前来た事がある者か、俺があちらで見た顔ばかりのようだ。

 

 こちらとの連携がやりやすい顔見知りで固めてくれたのだろうその心遣いを台無しにする事は許されない。

 否、そんな真似は俺たち自身の心も許容出来ない。

 

 西平側を休ませている間に軍備の最終確認を終え、『建業、西平同盟軍』は一路、洛陽を目指して出立。

 洛陽までの道程には相当に気を遣わなければならない。

 間違っても反董卓連合側の軍勢と接触する事がないように。

 

 偵察部隊を日に何度も先行させて道中の安全を確保させた。

 時に予定されていた経路を遠回りし、時に部隊を分散して行軍する。

 

 それだけ慎重に行軍しつつも、袁紹らが動き出すよりもなるべく前に洛陽に到着しなければならない。

 

 なにせ洛陽に到着した後こそ本番なんだからな。

 董卓軍との折衝、軍議、その方針に従っての行動。

 軍の維持なども含めれば思いつくだけでこれだけの事をやらなければならない。

 

 それも董卓軍とはほぼ間違いなく衝突する事になるだろうし、それにどれだけ時間を取られ、その後の軍略にどれほど影響するかも未知数だ。

 ならばこそなるべく時間的余裕を確保する為に急がなければならないのだが、だからといって洛陽到着前に問題を起こすわけにもいかない。

 

 急がなければならないからこそ慎重に。

 慎重に動きつつもなるべく最短の道を。

 

 俺たちの戦いはもう始まっている。

 

 

 そうして到着した洛陽は、まぁ事前の調査通り平穏そのものだった。

 そこかしこに十常侍の民を顧みない政(まつりごと)の爪痕が残っているようだが、当時の情報と照らし合わせれば民の生活水準は雲泥の差だということがわかる。

 

 いざ都入りするという段で、俺たちは董卓側からの出迎えと接触する事になる。

 

「出迎え。呂布……」

「うちは張文遠。西平の馬家、そして建業の孫家。皆様からの此度の援軍、感謝いたします。洛陽を預かる董卓の名代として我らは貴方方を歓迎いたします」

「西平馬家の名代。馬孟起です」

「建業は孫家当主。孫伯符よ」

 

 以前の接触で抜群のインパクトを俺に与えた呂布、そして三国志にて有名な武将の一人である張遼(ちょうりょう)が出迎えであった。

 

 

 張遼文遠(ちょうりょう・ぶんえん)

 丁原→何進→董卓→呂布→曹操と数多の勢力を渡り歩いた武将。

 武力の高さを丁原によって見出されたのが歴史に現れた最初だったか。

 有名どころの戦働きは曹操の元にいる頃が最も多い印象だ。

 袁紹と曹操の決戦である官渡の戦いで顔良(がんりょう)の軍を打ち破り、合肥の戦いでは孫権をあと一歩のところまで追い詰めたと言われている。

 武勇伝として最も印象深いのは張遼が来る事を恐れた敵軍が『遼来遼来』と彼を恐れて言っていた事か。

 一部では『遼来来』と書かれる事もあったとか。

 

 

 呂布はコミュニケーション能力に欠けている為か、出迎えの段取りはほぼすべて張遼がやっていた。

 

「とまぁ堅苦しい挨拶はここまでや。これからはしばらく背中を預けるんやさかい。お互い肩の力抜いていこうや」

「あら、話が合うじゃない。そういうの嫌いじゃないわ」

 

 この世界の張遼はノリの良い関西訛りの女性のようだ。

 その不快に感じない明け透けな態度に雪蓮嬢がさっそく意気投合し始めた。

 

 しかし明け透けだが、軽い態度の中にもこちらに対する礼節が感じられる。

 とても親しみやすく、快活な性質はうちや西平の殴り合い親睦向けだとすぐに読み取れた。

 まぁそれでも交流のあった翠たちと比較して建業軍に対する警戒はかなりあるように見受けられたが、それは想定内の事だ。

 

「ほな、城に案内するわ。申し訳ないんやけど、今日入るのは代表とその護衛としての武官のみにしてほしいんや……」

「そうでしょうね。建業からは私と周瑜、凌操、黄蓋、祖茂、程普、韓当が入城するわ。悪いけど他の皆は軍の統制をよろしくね」

「西平は私と鳳徳だ。馬岱は軍の取りまとめを頼む」

「はぁい!」

 

 簡単に自軍の今後の行動を打ち合わせる。

 城に入る人数を絞られる事も予想されていたから、すんなりと入る者を上げる事が出来た。

 

「軍の誘導はうちの部下に対応させるわ。という訳で頼むで」

「はっ!」

 

 こちらの方針に対して張遼も予め決めていたのだろう指示を出す。

 彼女の部下の誘導に従い、今日は入城しない面々は動き出す。

 

 ここまでは張遼の親しみやすい人格以外は想定内だったんだが。

 

 

 想定外だったのはこの後の呂布の行動だった。

 前からそうだったが、何故か彼女は俺を異様に気に入っている。

 いやもはや懐いているといっても過言ではない。

 

 雪蓮嬢や祭たちに対しては興味が無いように見えて、その一挙手一投足に反応出来るようにしているというのに。

 何故か俺に対しては挙動を監視するような気配が一切無いのだ。

 

 それどころか、仕事中にもかかわらず話が一段落していざ移動するという流れになると、俺の背中に回って抱きつき、あまつさえ頬摺りなどし始める始末。

 これにはその場の誰もが、もちろん俺も含めて唖然とした。

 

「呂布殿?」

「思った通り。とっても落ち着く……」

 

 おまけに俺の背中を堪能するのに夢中で会話にもならないと来た。

 誰かに似ているから興味を持たれたのだと推測しているが、それにしたってここまで無防備な行動をするとは思っていなかった。

 いったい何が彼女の琴線に触れたのか、ここまでの事をされる理由は流石に検討も付かない。

 

 助けを求めて、彼女の同僚である張遼に視線を向ける。

 こんな姿の呂布を見た事がないのか下手すると俺たち以上に困惑していた。

 

「奉先~、仕事そっちのけは感心できんで? 仕事終わってからにしぃ」

 

 それでも呂布を注意出来るのはこの場で自分だけだと分かっているのか、すぐに対応してくれたのはありがたかった。

 

「…………わかった」

 

 しかし混乱の原因である呂布は名残惜しげに俺から離れるも、離れがたいのか俺の服の裾を掴んだままだ。

 彼女が三国最強と謳われた武将だと信じる者が果たしてどれほどいるだろう。

 右手の方天画戟が無ければ、ただの少女が猫のようにじゃれついているだけにしか見えない。

 

「いやあんさん。なんで呂布にここまで懐かれてんねん」

「大変申し訳ないのですが、私にはとんと心当たりがありません」

 

 張遼もそうだが、俺も困惑するばかりだ。

 それでも移動する事が出来るようになったので気を取り直して移動を始める。

 尚、この間にも呂布は俺の服の裾を掴んだままである。

 

「お主、いつの間に鬼神をたらし込んだんじゃ?」

「いや本当にに心当たりがない。前に会ったときも確かに俺に対して好意的だったんだが、なぜそうなったかはさっぱりだ」

 

 子供が親に甘えるような態度のため、色恋感情ではないと祭も察して追求はどこか軽くからかい交じりだ。

 

「いやでもほんとすごく懐いているよ、この子」

「雰囲気が子烈ちゃんとよく似てるせいでいつもの光景に見えてきたわ、あたし」

「同感だ。なんでこんな違和感ないんだ?」

 

 気心知れた幼馴染みたちも混乱の度合いは少ないが、何故という気持ちは取れない。

 

「なぁ伯符殿。あないに奉先が懐く理由なんか知っとる?」

「う~ん、理由はさっぱりね。ただ奉先将軍の態度には見覚えがあるわ」

「ほ~ん? そらいったいどこで?」

「うちの城で、刀厘の執務室に集まって父親に群がる子供たち。父親に触れて安心してる子供と同じよ、今の呂将軍の顔」

「そうですね。刀厘殿の子供たちと同じ顔です」

 

 雪蓮嬢の表現とまったく同じ印象を俺も抱いている。

 今の呂布の態度は俺に構ってもらって喜ぶ子供たちと同じだ。

 だがやはりそこまで好意を向けられる理由がわからない。

 

「なぜ貴方は私をここまで?」

 

 結局、考えてもわからないならば聞くしかないだろうと開き直って聞いてみることにした。

 

「優しいし、暖かい……」

 

 物言いが感覚的で聞いてもよく分からなかった。

 ただ俺に何か感じ取っている事は間違いないようだ。

 

「誰かと同じ雰囲気だから、という事でしょうか?」

 

 前の接触の時に言っていた似ているという言葉からの推測を口にすると、彼女は音が付きそうな勢いで首を横に振った。

 

「似ているとは思った。とても、とても似ていると今もそう思う。でも触ってみてそうじゃないってわかった」

 

 服の裾を握っていた手はいつの間にか俺の手に移っていた。

 何度も握って開いて、手の感触を確かめるような行動をしている。

 その行動すらも楽しいのか、呂布は無邪気に笑う。

 

「貴方の近くは、すごく心地良い。似ているのと心地良いのは関係ない」

 

 その顔と行動で漠然と彼女の心境を理解した。

 

「本気でただただ気に入られた、という事ですね」

 

 興味を持つ切っ掛けこそ誰かに似ている事だったようだが、今こうして俺にべったり引っ付いているのはこの子自身が俺を気に入ったからに他ならない。

 理屈無用な一目惚れに近いものに論理的な思考を求めても無駄だ。

 であるならば、俺としてやることは一つだろう。

 

「今はお互いに仕事をいたしましょう」

 

 俺の手を玩具にしている少女の手を諫めるようにそっと抑える。

 

「私どもはしばらくここにおります。仕事のない時になら、手遊びでも話し相手にもなります。約束いたしましょう」

 

 嫌がられたのかと思って不安そうにしている少女と目を合わせ、ゆっくり言い聞かせるように告げる。

 

「……約束」

 

 そう言って自分の右手の小指を差し出される。

 俺の心に動揺が走った。

 それを表に出さないで済んだかはこの時の俺にはわからない。

 

 この世界で初めて見るその動作を、俺はよく知っている。

 『この世界に存在しないはず』のその約束の仕方を俺は知っている。

 

「それ、は……?」

「指切り。約束を守る事を誓い合うおまじない。教えてもらった」

 

 『なぜ、それを』という意味で聞いた俺の言葉を『何をするのか』という意味で捉えたらしい呂布が説明してくれる。

 同じように小指を出せと視線で催促され、俺は言われるままに自分の小指を差し出す。

 彼女は嬉しそうに目を細め、武器を持つとは思えない細い小指を俺の無骨な指と絡ませた。

 

「ゆーびきーりげーんまん、うそついたらはりせんぼんのーます。指切った!」

 

 棒読みながら、それでも無邪気におまじないの文句を唱えて呂布は小指を離す。

 

「約束」

「はい、約束しました」

 

 動揺を無理矢理抑え込みながら、彼女の言葉に応える。

 満足げに一度頷くと、無邪気な少女のふわりとした雰囲気が掻き消え、いつかの戦場で見た鬼神呂布が姿を現した。

 

「ついてきて。張遼、行く」

「はいはいっと。まったくやりたいことやって満足しおってからに。ほな、ちょっと色々あったけど改めて案内するわ、ついてきてや~」

 

 呂布の奇行をいつもの事と切り替えたらしい張遼の先導に従い、俺たちは董卓の待つ城へと歩みを再開する。

 物言いたげな妻と幼馴染み、主と筆頭軍師の視線を受けながら。

 

 当初想定していたものとまったく方向性の違う疲労感と緊張感を抱えながら、俺は一先ず向けられている視線の全てに気付かないふりをしながら少しずつ近付いてくる城を見上げる。

 

 指切りを呂布に教えた『誰か』が何者なのかを考えながら。

 呂布が俺に似ていると言っていた『誰か』が何者かなのかを考えながら。

 

 勝ち筋の極めて難しい戦だけでなく、『別の何か』が起こる予感を抱きながら。

 

 


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