ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版-   作:鈴神

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第八十七話 絶海の剣士

 

(くっ……まさか、このワシがここまで追い込まれるとは!)

 

第三回BoB予選Dブロック第四試合。戦場となっているのは、いくつもの高層ビルが立ち並ぶ市街地――暗黒摩天楼と呼ばれているステージである。そのビルの一角にて、大会参加プレイヤーの一人であるカンキチは、太腿をダメージエフェクトの赤色に染めながら、呼吸を整えていた。

本来、仮想の肉体であるアバターは、生身の身体のように息切れを起こすことは無い。カンキチが現実世界の肉体でそうしているように、呼吸を荒くしているのは、一方的に追い詰められている現在の戦況が原因だった。

 

(クソッ……なんつー腕してやがるんだ!あそこからここまで、七百ヤードはあるぞ!)

 

今現在、カンキチは遠方のビルの屋上に居るであろう、対戦相手の狙撃に苦戦していた。対戦開始から、先手を取られて狙撃を受け、反撃を仕掛けるべくその姿を追ってフィールドを走り回るも、その姿を捉えることはできず、時間が過ぎるばかり。それどころか、思いもよらない方向からの狙撃による奇襲を受けてダメージが蓄積するばかり。まるで、思考を先読みされているかの如き立ち回る強敵に、カンキチは手も足も出ずにいた。

 

(だが、やるしかない……今回の大会、ワシは必ず本選に出場せねばならんのだ!)

 

このゲームにログインして以来、金儲けと遊びだけを考えてプレイしてきたカンキチだが、今回は事情が異なる。カンキチは今、彼のリアルである警察官・両津勘吉としての重みを背負ってこの大会に臨んでいるのだ。

かつて彼も巻き込まれていた、SAO事件に端を発する血の因縁に決着を着けるため。そして、それを成し遂げるために共闘することを誓った、同じくこの大会に参加している仲間を助けるためにも、今ここで敗れるわけにはいかない。そう自身に言い聞かせ、カンキチは柄にもなく警察官としての使命感を胸に、GGOプレイヤーとしての全力をもって、目の前に立ちはだかる強敵の攻略に乗り出していく。

 

(こっちの武装はアサルトライフル……なら、ワシの行動を先読みする奴の行動を、さらにワシが先読みして出し抜くのみだ!)

 

狙撃を得手とする対戦相手を仕留めるには、近接戦闘に持ち込むしかない。そう考えたカンキチは、敵の狙撃位置から死角となる場所を歩き続ける。それと同時に、狙撃手が自身を仕留めるために回り込んでいるであろうポイントを割り出すべく、対戦開始とともに予めチェックしていた建築物に思考を走らせる。

現実世界では、同僚とともにサバイバルゲームを嗜み、仮想世界の戦闘においては抽んでた適性を発揮してきたカンキチである。規格外の狙撃スキルを持っていたとしても、現実・仮想世界で鍛えた経験をフルに活かせば、勝ちを拾える可能性は十分にあるのだ。

 

(ここ、だな……!)

 

そうして、敵の動向を探りながら移動することしばらく。遂に、カンキチは敵の狙撃手が張っているであろうビルの屋上にある、狙撃ポイントへと到達した。

ここに至るまで、カンキチは相手の心理を逆手に取ったルートを幾重にも取ってきた。目の前にある屋上へと通じる扉を隔てた先では、対戦相手の狙撃手が、地上をスコープで覗いて自分を探していることだろう。その確信が、カンキチにはあった。

 

(中々苦戦させてくれたが、ここまでだな。接近戦に持ち込めば、ワシの勝ちだ!)

 

自身の勝利を揺るぎないものと確信し、アサルトライフルを構え、突撃の姿勢を取る。そして、屋上へと通じる扉を蹴り壊し、突入した。だが――――

 

「い、いないだとっ!?」

 

必勝を期して、息巻いて扉を蹴破って突入したカンキチだったが、ここに居るべき筈の敵の存在がどこにも見当たらなかった。一体、どこに隠れたのかと視線と銃口を周囲に向けるも、目標を視界に捉えることはできなかった。

 

「まさか……っ!」

 

ここに居る筈の敵の姿が無いことに、冷や汗を流すカンキチ。そしてその嫌な予感は、想像通りの形で的中した。

 

「がはぁっ!」

 

屋上に立つカンキチを襲う、頭部への強い衝撃。それと同時に、カンキチの操るアバターは地面へと崩れ落ちた。

 

(このワシが、手玉に取られた……だとっ!?)

 

意図の切れた操り人形のように倒れていくカンキチが見つめる先に立つビル。その屋上には、月灯りの光を反射して煌めく何かがあった。そして、視界の端には、何らかのダメージによって完全に削り取られて尽きたHPゲージが見えていた。

カンキチの顔の眉間と、その真後ろに相当する後頭部に刻まれた、赤いダメージエフェクトが迸っている。それは、カンキチを敗北に追いやったダメージの正体が、狙撃によるものであることを顕著に物語っていた…………

 

 

 

BoB上位常連で、ゼクシードや闇風に次ぐ実力者として知られたプレイヤー、カンキチ。しかし彼は、予選でぶつかった対戦相手との激しい心理戦の果てに、敗北を喫することとなった。

 

「日本のプレイヤーにも、中々出来る奴はいるものだな……」

 

誰もが予測しなかった、強豪プレイヤーであるカンキチの敗北。それをやってのけた狙撃手は、スコープ越しにポリゴン片へと爆散するアバターを眺めながら、そう呟いた。

 

(死銃とやらが出てくるのは、本選で間違いなさそうだな。そして、彼等が信頼しているという心強い助っ人も、きっと上ってくる筈……)

 

心中で、この大会の中でこれから対決するであろう強豪達との立ち合いを想像し、男は僅かに口角を上げた。だがそれと同時に、そう考えること自体が不謹慎だと感じた。なにせ今、自分がこの世界に来ているのは“仕事”であり、しかも人の生き死にが掛かっているのだ。楽しみを覚えるなど、言語道断だろう。

 

(この世界で俺が為すべきは、現実世界と同じ。ただ、標的を撃ち抜くのみだ……)

 

だからこそ、男は自身がこれから為すべきことを心中で再度呟いた。同時に、頭のスイッチを切り替え、再度仕事に臨む者としての姿勢を取り戻し、次の戦いへと思考を走らせていく。全ては、自身に与えられた仕事を全うするため…………

 

 

 

これが、Fブロック決勝戦の、イタチとシノンの対戦カードが決定した数分前の出来事だった。

 

 

 

 潮風が吹き荒ぶ、雲一つ無い快晴の空の下に、イタチは立っていた。遠くから寄せては返す波の音が聞こえているが、そこは海ではなかった。イタチの周囲には、廃棄されて風化しながらも、一応の原形を留めた乗用車がいくつも転がっている。地面には、掠れたり汚れたりした白や黄色の線が等間隔に引かれていた。

 

(海上に設けられた鉄橋の残骸……か)

 

 Fブロック決勝の『イタチVSシノン』の対戦カードに用意されたバトルフィールドの名前は、『絶海の廃橋』。地球滅亡前に建設された、海を介して隔てられた大陸同士を繋げるために設けられた吊り橋の残骸である。GGOの世界は、最終戦争後の地球が舞台であり、イタチが今立っている橋が廃橋と呼ばれる程に損傷が激しく、風化しているのも、戦争の余波によるものなのだろう。

 

(幅は、ざっと見積もって百メートル。奥行きは……大凡五百メートルといったところか)

 

 詰まるところ、細長い単純なマップなのだ。橋の外へ出ることに関しては、システム的に制限されてはいない。だが、水面からの橋桁までの高さは五十メートルを超える。落ちればまず、即死は免れない。

 

(マップの構造上、敵は橋の向こう側にいることは間違いない……か)

 

 百メートルの幅があるとはいえ、直線状のマップである。直進すれば、まず間違いなく鉢合わせする。そうでなくとも、試合である以上は接敵する必要があるのは間違いない。光剣使いのイタチならば、尚更である。結局のところ、イタチは対戦相手がいる場所目指して真っ直ぐ歩くほか無いのだ。

 

(シノン……か)

 

 今回対戦する相手――シノンのことは、イタチも知っていた。初めて遭遇したのは、スコードロン狩りの場面。先手を仕掛けたのは、シノン。千五百メートルもの距離から繰り出された、対物ライフルによる、必殺級の奇襲……それをイタチは、光剣の一振りで真正面から叩き伏せたのだ。

その後は、スコードロンの仲間達が全滅するや、得意の狙撃を捨てて接近戦を仕掛けてきたのだが……その得物はなんと、イタチと同じ『光剣』。狙撃兵には有り得ない得物を手に出てきた上に、その扱いも妙に堂に入っており、過去に戦ったプレイヤーの中でも、イタチの中で一際強く印象に残っていた。そしてその後、奇しくも首都グロッケンにて偶然にも再会したのだ。備え付けられたゲームを回ってハイスコアを出し続けていたイタチを、何故か尾行していたシノンを待ち伏せして対面。用件を問い質した。そして、出てきたのは「イタチの強さの理由を知るため」という答えだった。

スコードロン狩りの戦いの中で受けた、正確かつ強靭無比な狙撃と、近接戦で振るわれた光剣の斬撃。その中に、強さを求めて戦いに臨む強靭な意思と、その一方で酷く脆弱な精神を垣間見たイタチには、シノンが何故自分の強さに執着していたのか……その理由を、何となく悟っていた。

 

(お前は、俺が強いと言ったが……それは、見当違いだ)

 

 前世のうちはイタチは、うちは一族の血継限界の頂点たる万華鏡写輪眼を開眼した、間違いなく強力な忍だった。だが、それは単純に戦闘能力が高いというだけである。その力故に、何でも一人でできると全てを抱え込んだ末に数々の失敗を重ねたというのが、イタチの前世がある。強大な力を持つ忍だったイタチでも、手も足も出なかった、儘ならなかったことは多々あったのだ。

その最たるものは、弟のサスケだろう。二度目の生を受けて蘇った際に、サスケのことはその親友たるナルトに任せたのだが、本来自分が対処すべきことだったのには間違いない。そんな経緯故に、イタチは思う。戦うためだけの力では無い、ナルトが持っていたような“別の力”があったならば、多くを変えられたのではないか、と……

 

(今更考えても詮無きことだがな……)

 

 前世のことをあれやこれやと考えたところで、何が覆るわけでもない。十年以上前に忍界に置いてきた後悔について考えることは度々あるが、その行為には全く以て意味が無い。隔絶された異世界に、魂のみで来てしまったのだから、そんなことに思考を割くのは暗愚に等しいのだ。

そして、戻れる筈も無い世界よりも、今集中すべきは目先の戦い――その対戦相手たるシノンである。実力自体は高いものの、イタチを脅かす程ではない。だが、強さへの執着は他のGGOプレイヤーの比ではない。何をしでかすか分からないという点では、闇風をも凌ぎ得るFブロック中最大の危険人物と呼べる。

 

(お前がこの世界で如何に強くなろうが、所詮それはこの世界での強さに過ぎん。それに……強くなる目的を見失い、闇雲に戦い続けていけば……いずれは死銃のようになるぞ)

 

 強くなりたい――その一心で戦うシノンの姿には、手段と目的とが逆転している……そんな危うさを感じていた。意思というものは、強ければ強い程暴走しやすく、目的を見失って……終いには、守りたかったものすら傷つけてしまうことすらあるのだ。前世の忍時代に、そんな人が心に持つ闇の部分を散々見てきたイタチには、それがよく分かっていた。そして、だからこそ、これから戦う相手であるにも関わらず、その行く末を案じずにはいられなかったのだった。

 

 

 

 バトルフィールドへ飛ばされてから、一本道となっている橋の上を歩くことしばらく。フィールドの半分以上を踏破したにも関わらず、イタチに対してシノンからの狙撃が放たれる気配はまるで無かった。

 

(後退したことは確実だが……一体、何を考えている?)

 

不気味な程に静かな橋の上、ど真ん中を歩くイタチは、しかし視界全体に対して細心の注意を払いながら進んでいた。対物ライフルを持つシノンを相手に、物影に隠れる行為は無意味に等しい。故にイタチが取った行動は、銃弾が如何なる形で飛来したとしても、迎撃と回避の両方で対応できる、両サイドに開けた場所を歩くことだった。

 

(向こうも、正攻法の狙撃が通用するとは思っていない筈。直接的な狙撃以外の方法で勝負に臨むのならば……)

 

 未だ姿を見せず、虎視眈々と勝機を窺っているであろうシノンの出方について思考を走らせるイタチ。ゆっくりと、確実に距離を縮めてシノンを追い詰めているように見えるが、どのような手段で仕掛けてくるか分からない以上、イタチの行為自体がシノンによる誘導という可能性もある。一体、何が待ち構えているのか……まるで手の内が読めない敵の意図について考えながらさらに歩くことしばらく。イタチの目の前に、ある障害物が現れた。

 

(タンクローリーか……)

 

 イタチの目の前に転がり、進路を一部塞いでいるオブジェクト。長大な銀色のタンクを積載した車両――タンクローリーである。橋の真ん中を、横転した状態で転がっているそれは、車線に対してほぼ平行な位置取りで道路を二分していた。

 

(狙撃で爆破されれば、大ダメージは避けられん。それに、吹き飛ばされて落下すれば、一巻の終わり……厄介だな)

 

 タンクローリーとは、一般的に石油やガスといった可燃性物質や危険薬物等を運搬する際に用いられる。イタチの目の前にあるそれは、外装がところどころ風化して鍍金が禿げている部分があるものの、内容物が漏れだしている様子は無い。つまり、外から手を加えれば爆発炎上する危険なオブジェクトなのだ。

 しかも、シノンの対物狙撃銃の射程は一キロを超える。ここまで歩いて遭遇しなかったのも、イタチがここを通ることを見越して目一杯後方へ退避してタンクローリーを狙撃する道を選んだ可能性が高くなった。

 

(しかも、場所が悪過ぎる。周り道もできんとは……)

 

 タンクローリーがあるのは道路の中央部。そこが危険ならば、隅を通れば良いと考えるが、そうはいかない。タンクローリーの転がっている地点よりイタチから見て左側の車線は、イタチの立っているあたりから三十メートル強の長さがごっそり崩落して真下の海や橋の支柱が覗いている。

ならば右側はと視線を向ければ、完全に崩落こそしていないものの、至る場所に穴が開いており、風化・腐敗も激しい。爆破など起これば連鎖的に崩落することは確実だった。

通過するとなると、タンクローリーの爆破による落下のリスクは避け得ない。イタチの考える通り、今回は場所が悪過ぎた。

 

(不可避のリスクが待ち受けるこの場所で、必ず奴は動き出す。だが、ここで立ち往生したとしても、徒に時間が経過するだけ……ならば)

 

 敵に接近する上では、どの道リスクは避けられない。加えて、相手が狙撃手である以上、こちらが思い通りに動かなければ、梃子でも動くまい。そう考えたイタチは、敢えて罠が待ち受けているであろう目の前のタンクローリーの転がる場所へ踏み込んでいくことにした。

 

(索敵に反応は無い。狙撃するとすれば、タンクローリーの死角か、或いは橋の向こう側だが……)

 

 タンクローリーの爆破を警戒しながら歩くイタチは、シノンの居場所を探るべく間隔を研ぎ澄ませていた。先手として、長距離から狙撃が放たれると予め分かっているならば、イタチにとって対処は難しくない。周囲の地形やオブジェクトの情報をもとに、自分の立ち位置を狙撃するのに適した場所を割り出して警戒。弾道を予測して光剣で叩き落とせば、迎撃はできる。シノンと初めて遭遇した際に初撃の長距離狙撃を迎撃できた理由も、交戦前にシノンや彼女が属していたスコードロンについての情報を事前に入手していたことが大きい。ちなみに、情報元は協力者であるカンキチとボルボの二人である。

しかしそれは、口で言う程簡単なことではない。弾丸を弾くには、弾速……即ち音速で飛来する物体を見極める動体視力が必要とされる。加えて、コンクリートすら粉砕する程の威力を秘めた対物弾である。防御するには、うちはイタチとして忍界大戦を経験した前世と、弾丸をはじめあらゆるオブジェクトを切り裂く光剣があってこそ為せる、文字通りの“離れ業”なのだ。

 

(だが、今回はまるで殺気が感じられん…………奴は、どこだ?)

 

 イタチを狙撃することができると考えられる、前方の橋の向こうにある廃車系オブジェクトの中や、その物影に注意を払うも、殺気の類は一切感じられない。タンクローリーによって遮られている向こう側についても、警戒をしてはいるものの気配は全く無い。本当の橋の上にいるのか、とすら疑問に思いつつも歩みを続ける。そうして、タンクローリーの傍の、風化によって足場が脆くなっている部分をゆっくり歩き、タンクローリーの半分程の地点に差し掛かった。周り道をして、しかも細心の注意を払いながら歩いているため、踏み込んでから一時間以上が経過したかのように感じるイタチだが、実際には五分と経っていない。不気味なほどに静かな狙撃手の居場所を探りながら動くことしばらく。遂に、波の音ばかりが響いていたフィールドの静寂を一瞬にして破壊する事態が起こる。

 

カチリ……

 

「!」

 

 小波の音に紛れて聞こえた、金属音。気のせい、と言ってしまえばそれまでだが、その微かな音の中にイタチは確かに感じた。自分へ向けられる強烈な殺意と――――そして、身に降りかかる危険を。

 迫りくる“何か”を察知したイタチの動きは、速かった。道路の隅へと真っ直ぐ疾走。道路の向こう目掛けて一気に跳躍した。途端に聞こえたのは、銃声――

 

「ぐぅっ……!!」

 

 そして、タンクローリーから発生する、白い閃光。さらに、続け様に発生する、赤い奔流。それを横目で視認した途端、イタチの身体は衝撃に吹き飛ばされた。若干の呻き声を上げたイタチだが、このまま黙って海へと落下するつもりは毛頭無かった。爆発で吹き飛ばれる最中、道路の隅に備え付けられたガードレールの支柱目掛けて、左手の手首に仕込んでいた物を投擲する。支柱に巻き付き、空中に投げだされたイタチの身体を辛うじて橋へと繋ぎ止めたソレは、強靭な軍用ワイヤーである。

 タンクローリーの爆破を察知し、寸でのところで投げたワイヤーによって、海への落下を免れたイタチの身体は、衝撃に吹き飛ばされて海の上で静止した後、重力に従って落下する。だが、イタチに振りかかる危機はそれで終わらない。

 

「チッ……!」

 

 目の前の光景に対し、舌打ちするイタチ。爆発の余波によって、風化していた橋が崩れ始めたのだ。ワイヤーに引っ張られ、振り子のように橋の下へと身を投げ出されているイタチは、その意思とは無関係に落下する瓦礫の群れへと突っ込んでいく。橋の崩壊は広く及んでいる。当然ながら、回避など不可能である。

 

(突っ切るしかない……か!)

 

 正面突破。それ以外の方法が無いと悟ったイタチの行動は、やはり速かった。ベルトのカラビナに繋げられた光剣を、空いた右手に握る。そして、ワイヤーが水面と垂直になる、最も勢いが付くポイントで、手を離した。

 

「おぉぉおおお!!」

 

 海面へと落下していく瓦礫群にその身を投げ出したイタチは、目の前を落下中の瓦礫を、光剣の一太刀で縦に両断。分断された瓦礫の内、右側の瓦礫を足場に見立てて上へと跳躍。その後は、同様に進路を塞ぐ瓦礫を斬り捨て、瓦礫の群れを突破していく。

瓦礫の切断・跳躍を繰り返し、絶え間なく落下していく瓦礫の合間を縫うように突き進むイタチの表情には、逡巡というものがまるで無い。常人離れした動体視力で瓦礫群一つ一つの位置・大きさ・形状を見抜き、瞬時に最適なルートを割り出し、そこへ進むべく動いているのだ。複雑な思考・分析が伴う荒業にも関わらず、傍から見れば条件反射か、或いはそれ以上の動きである。

うちはイタチとしての忍時代には、崩れゆく瓦礫を足場に危険地帯を突破した経験が多々あった。この並外れた動きを可能としているのも、一重にうちはイタチとしての前世で培った経験に依るものである。

 

(目指すは……あのケーブル!)

 

 距離にして五十メートルに相当する、橋の片側車線の瓦礫を突破し、最後に着地するための足場、或いは落下を回避するために、瓦礫を足場に到達できる場所は無いかと周囲に視線を巡らせる。そして、イタチの並外れた動体視力は、目標物を即座に探し出した。中央部の橋げた、そこに垂れ下がったケーブルがある。これに掴まるべく、コースを瞬時に選択し、跳んで行く。だが、

 

「っ!」

 

 最後の瓦礫へと踏み込んだ、その時だった。橋の下に鳴り響く、一発の銃声。それと同時に、破砕される瓦礫。イタチの足裏は、足場として利用しようとしていた瓦礫に触れることはなく、空を蹴ったのだ。

 

(やはり、か……!)

 

 今にも落下を開始する、危機的な状況の中で、しかしイタチは冷静に思考を走らせていた。橋の上からではない、どこか別の場所から仕掛けられた、タンクローリー起爆。これが起こった時から、イタチには敵がどこに潜んでいるか、大凡見当が付いていた。恐らく相手は、自分が爆破を回避して橋の下へ入り込むことも、瓦礫の群れを突破するために動くことも、全て予測していたのだと、今では思う。

そして案の定、足を踏み外したイタチが、銃声のした方向へ視線を向けてみれば、そこでは対戦相手のプレイヤー――シノンが、先程のイタチと同様にワイヤーを鉄骨に引っかけてぶら下がっていた。その手には、得物たるウルティマラティオ・ヘカートⅡが構えられている。

 

(タンクローリーの爆破は囮……俺がここに来ることを予測して、待ち構えていたということか)

 

 正面からの狙撃でイタチを下すことが困難であることは、以前の遭遇戦で学習済み。だからこそ、シノンは正攻法以外の方法で確実に勝利できる方策を取ったのだ。

まず、フィールド内でタンクローリーを発見したシノンは、これを爆破する策略を考案。崩れ落ちていた車線の側、その下へとワイヤーで吊り下がった。そして、イタチが通りかかるタイミングを見計らって、橋の下からタンクローリーを狙撃したのだ。タイミングについては、腐敗と風化でところどころ穴だらけになっていた片側の車線を下から観察し、影が差した時を狙ったと考えられる。そうして、タンクローリーの爆破による余波をギリギリ受け付けない位置に潜んでいたシノンは、ワイヤーを使って真下へと移動することを見越して引き続き潜伏。落下から逃れるべく移動するイタチが、最後の足場として利用する瓦礫を撃ち抜いたのだ。

対物ライフルは、銃の重さ・長さに加えて、発砲による反動も非常に強い。現実世界においては、設置による支持状態以外の体勢での正確な射撃は、まず不可能とされている。仮に直立姿勢で射撃を行えば、脱臼・骨折は避けられない。GGOというゲーム内では、脱臼・骨折はシステム的に起こらないものの、ステータス不足で腕が吹き飛ぶことはある。筋力ステータスさえ備えていれば、反動によるダメージは避けられるものの、正確な射撃は不可能である。ワイヤーで吊られた状態ならば、尚更である。初手のタンクローリーへの狙撃は、的自体が大きかったものの、二発目の瓦礫への狙撃は、支持状態からの狙撃に匹敵する精度があった。

恐らく、射撃体勢の縛りという対物ライフルの欠点を補うために、シノンが独自に鍛えた技術なのだろう。それこそが、不安定且つ、危険な状態における狙撃。一見、地味に思える技術だが、落下の危険と隣り合わせの危険な体勢では、冷静に構えて着弾予測円を収縮させることは非常に難しい。しかも、射撃による反動が伴うのだから、銃口がブレて狙いが外れることも十分に有り得る。宙吊り姿勢は、その典型も典型。着弾予測円は、まるで役に立たない。そんな状態にも関わらず、シノンは正確にイタチが足場にしようとした瓦礫を撃ち抜いたのだ。その技量は、「凄まじい」の一言に尽きる。

瓦礫の群れの中を移動している間は、瓦礫そのものが視界を遮ってシノンの姿を視認することはできない。イタチそのものを狙ったのならば、狙いを悟られていた可能性は高かった。しかし、狙いが足元の瓦礫だったため、流石のイタチも反応が遅れたのだ。絶海に架かる橋という、独特の地形を最大限に利用したシノンの戦術は、確かにイタチを追い詰めていた。如何にイタチが規格外なプレイヤーであったとしても、足場を失って海に落ちてしまえば、為す術も無い。

 

(やるな……だが!)

 

 イタチとて、このまま海へと落ちて敗北するつもりは毛頭無い。右手に握っていた光剣を左手に放ってキャッチ。右手に仕込んだ、もう一つの切り札たるワイヤーを投擲し、橋の鉄骨に巻き付ける。それと同時に、身体を弓なりに反らし、橋から落ちた時のように、再度その身を振り子のように大きく揺らす。

 

「ハッ!」

 

 ターザンロープの要領で勢いに任せて跳躍。ワイヤーから手を離して、当初の目標としていたケーブルへと掴まる。さらに、掴まったケーブルもターザンロープのように使い、中央部に垂れ下がった別のケーブルへと続け様に飛び移る。ケーブルを足掛かりにして、シノンに接近、一気に決着を着ける作戦に出たのだ。だが、当然その心算を見逃すシノンではない。

 

(やはり、そうはいかんか)

 

先程と同様、宙吊りになった状態で、ヘカートを構え、イタチ目掛けて引き金を引いた。ケーブルにぶら下がっている状態であれば、移動ルートは限定される。加えて、イタチとシノンの距離は、片側車線分の五十メートル。シノンの技量をもってすれば、ほぼ真っ直ぐ向かってくるイタチを狙うことは不可能ではない。

 

「はっ!」

 

 だが、イタチとて黙ってはいない。光剣を振るい、飛来する対物弾を叩き落とす。弾丸を防がれたシノンの方はといえば、今更この程度のことで驚き、思考を停止させるような失態は犯さない。シノンとイタチとの距離は、徐々に縮まりつつある。早々に対処せねばならない、追い詰められた状況にあるのだ。シノンは持ち前の氷のような精神を働かせ、目の前の脅威に対処する。ヘカートの弾丸を再度装填すると、再び銃口をイタチへと向けた。だが、今回の狙いはイタチ自身ではない。構えたヘカートの銃口は、僅かに上を向いていた。

 

(ケーブルを切断するつもりか!)

 

 イタチがシノンへ接近するためのターザンロープとして利用しているケーブルは、文字通りの命綱。GGOにおけるワイヤーは、ブレスレット型のアイテムであり、両手に一個ずつしか装備できない。両方とも使いきってしまったイタチには、ケーブルに掴まる以外の方法で落下を避けることはできない。しかも、イタチの主武装である光剣の刀身も届かない。ケーブルを対物ライフルの弾丸で撃ち抜かれれば、イタチは落下。結果、シノンの勝利が確定する。

 

「させん!」

 

 ケーブルの破壊を防ぐためにイタチが取った手段は、光剣の投擲。手裏剣のように回転し、赤い円盤を形作りながら飛来する光剣は、ケーブルに向かっていた弾丸を切り裂いた。間一髪、落下を免れたイタチは、次なるケーブルへと飛び移る。シノンとの距離は、十メートルを切っている。残り二本程度、ケーブルを渡ることができるならば、シノンに一太刀浴びせることができる。

 しかし、対するシノンはここに至っても冷静だった。イタチが光剣を投擲するよりも先に弾丸をリロードし、再度銃身を構え、引き金を引いた。

 

(成程な……)

 

シノンがスコープに捉えて狙った目標は、イタチが飛び移ろうとしていた残りのロープ二本。それらはシノンから見て、直線状に並んでいるため、弾丸一発で二本ともまとめて海へと落ちた。文字通り、進退窮まる状態に追い込まれたイタチ。このままでは、シノンのヘカートの格好の的となってしまう。そうでなくとも、ケーブルを落とされれば一巻の終わりである。

 

(だが、詰めが甘い!)

 

 接近する方法を奪われたイタチだが、この程度の事態は既に想定済みである。イタチは海へと落ちるケーブルに一切目もくれず、腰に装備していたプラズマグレネードのピンを引き抜き、天井へと投げつけた。途端、響き渡る爆音。そして、崩れ落ちる道路の瓦礫。イタチは、シノンとの間に落下していく瓦礫の中への突入を敢行する。瓦礫を足場に、シノンへと一気に接近するつもりなのだ。

 

 

 

 

 

(流石は死剣……この状況でも、恐れ一つ抱かずにこんな大それた真似をするなんてね)

 

対するシノンは、瓦礫の中を突き進むイタチの行動選択に内心で感心しつつも、その進路を反射に近い速度で見極め、狙いを定めていた。狙うべきは、イタチの身一つ。この距離では、足場の破壊はほとんど意味を為さない。何より、死剣ことイタチの武器である光剣は、既に投擲して海に落ちているのだ。防ぎようが無い。

加えて、シノンはイタチのことを正面対決にて決着を着けねばならない相手であると思っている。ここまでの戦いでは、勝利優先の戦術を取ってきたが、やはり本当の勝利とは、愛銃たるヘカートの一撃でその身を打ち砕いてこそのものであると、内心では思っていた。

 

(今度こそ、息の根を止める!)

 

 強者を倒し、己を昇華させる。この世界での戦いは全てそのためのものなのだ。そして今、GGOをプレイしてきた中で最強と呼ぶに相応しい相手を討ち取ることができる。着弾予測円を収縮させる心拍こそゆっくりと落ち着いていたが、その内心は冷たい機械のような身体に反して執念に燃えていた。

 

「終わり(ジ・エンド)よ」

 

 その宣言と共に、引き金は引かれた。互いの距離は十メートルを切り、狙いなど外しようもないこの状況である。放たれた弾丸は、狙い違わずイタチの心臓に吸い込まれていき……

 

 

 

しかし、その身を打ち砕くことはなかった――――

 

 

 

 

「!」

 

 突然の事態に困惑するシノン。だが、何が起こったかはすぐに分かった。至近距離の狙撃からイタチの身を守ったのは、その左手に握られていた――自分でもよく見知っていた、“青”の閃光だったのだ。

 

「私の、光剣……!」

 

 見紛う筈も無い。それは、シノンがイタチと初めて遭遇して戦った際に用いた光剣だった。ランダムドロップとしてフィールドに残されたその武器を、イタチは二本目の切り札として用意していたのだ。

 

「くっ!」

 

 だが、唖然としている暇は無い。既にイタチは、すぐ目の前まで迫っているのだ。七発まで装填できるヘカートの、最後の弾丸を装填し、再度イタチへと狙いを定める。距離にして五メートル強。イタチの光剣は、まだ届かない。これで最後の勝負とばかりに、前方上方から跳び掛かってくるイタチへ照準を定め、素早く引き金に指をかける。そして、最後の一発を放とうとした瞬間――――

 

「え?」

 

 シノンの視界が、ブレた。それに伴い、ヘカートの銃口も大きく反れる。引き金を引くことこそできたが、狙いは完全に外れた。身体を拘束するものが何も無い、そんな感覚の中でシノンは、どんどん遠ざかっていくイタチの姿と、視界の端を回転しながら落下していく青い棒状の光を視界に捉えていた。

 

(ああ、私……負けたんだ)

 

 目に映った光景から、シノンは冷静な頭で全てを察した。シノンがイタチに向けて引き金を引こうとしたあの瞬間、イタチは光剣をシノンの頭上、支店たるワイヤー目掛けて投擲したのだ。結果、命綱を失ったシノンは橋の下に広がる海へと落下していったのだ。シノンを海へ落としたイタチは、シノンがそれまで支えにしていたワイヤーを掴むことで、落下を免れたのだろう。

 

(勝ちたかった、な……)

 

 今思い返せば、そんな勝利への執念が仇となったのだろう。イタチをヘカートの弾丸で撃ち抜くことを考えるあまり、光剣へ注意を向けることができなかった。あの至近距離でどこまで反応できたのか、反応できたとしても対処できたか怪しいところだが、それでも結果が変わっていた可能性はあるのだ。

 

(けど……また一歩、あなたに近付けたかしら)

 

 どうしても勝ちたいと思っていた相手に、二度目の敗北を突きつけられたにも関わらず、シノンはどこか満足していた。もとより勝算の低い相手であり、今回は善戦した方だが、それだけが理由ではない。最大の理由は、視界の中でどんどん小さくなっていくイタチの姿――その、肩から先が喪われている左腕だった。先程の狙いが大幅に外れた狙撃だったが、どうやら左腕を捉えることには成功したらしい。前回の戦いでは、終始圧倒されていた自分が、あの死剣相手に片腕をもぎ取った。その成果が、シノンの心を僅かながらに満たしていた。

 

(けど、今度は負けない……絶対に、あなたを、倒す!)

 

 海へと投げ出されたその身が沈む中、さらなる執念を胸の中で燃やしながら、シノンはそのアバターを爆散させ、消滅させた。

 

 

 

 そんな彼女の姿を、死剣ことイタチが、赤い双眸に憐憫の情を宿し、見つめていたことにも気付かずに――――

 


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