ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版-   作:鈴神

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第八十二話 瞳の中の暗殺者

 朝田詩乃は、母子家庭の少女だった。父親は詩乃の幼少期に事故で他界し、共に暮らす家族は母親と祖父母の三人。母親は事故のショックで精神が少女時代へと回帰し、不安定な状態が続いていた。日常生活を送ることは一応可能とはいえ、他者からの悪意に対して無防備な精神状態にある以上、家族のフォローは必要不可欠だった。そんな状況が続いた所為か、詩乃には物心ついた時から、自分が母親を守らねばという想いが胸中にあった。

 母を支えるのは自分――――

 母は自分がいつでも傍にいなければ危険――――

 母を守るのは自分だけ――――

 

 

 

 母がいなくなったら、自分は独りになってしまう――――

 

 

 

 あまりに儚く、無抵抗な存在である母親を守る。そのためには、自分が強くなければならない。母や自分の平穏を脅かす存在を排除できるだけの力がなければならない。そんな、強迫観念染みた考えがあったからだろう。あのような悲劇が起こったのは……

 

 

 

 父親が亡くなり、母親が精神を病んだ詩乃の人生をさらに狂わせる事態が起きたのは、詩乃が十一歳の頃だった。ある土曜日の午後、詩乃は母親と連れ立って近所の郵便局を訪れた時に、それは起こった。詩乃が窓口で手続きを行っている母親を待っていたその時、一人の男が中へと入ってきたのだ。

 灰色っぽい服装で帽子を被り、ボストンバッグを持った痩せた体格の中年男性。だが、その目は焦点が定まっておらず、子供の詩乃から見ても正気には見えなかった。その姿を見て、一抹の不安を感じた詩乃だが、その予感は見事に的中した。

 母親が手続きする窓口に歩み寄った男は、必要書類に記入をしていた母親を突き飛ばし、ボストンバッグを窓口へ置く。そしてその中から禍々しく黒光りするものを取り出し、職員へと突き付け、叫び声を上げた。

 

『このカバンに、金を入れろ!警報ボタンを押すなぁっ!』

 

 白昼の銀行を突如襲った突然の事態に、詩乃をはじめとした来客達や、郵便局員達は皆騒然とした。拳銃を手に金銭を要求するこの男は、言うまでもなく銀行強盗である。しかも、ただの銀行強盗ではない。後から判明したことだが、この男は覚醒剤を摂取していた薬物中毒者だったらしい。現場で巻き込まれた当事者達にも、男が錯乱状態だったことは容易に理解できた。

 

『早くしろ!モタモタするな!』

 

 故に、その場に居た人間は全員、男を刺激しないよう、口を閉ざして沈黙した。郵便局員で窓口に立っていた人物は、男に言われるまま札束を持っていく。だが、

 

『ボタンを押すなと言っただろうがっ!』

 

 その叫び声と共に、響く銃声。次の瞬間には、札束を差し出した局員がワイシャツを真っ赤に染めて地面に倒れていた。果たして、対応に出た郵便局員が本当に警報ボタンを押そうとしたかは定かではない。だが、この男の精神は薬物によって完全に末期に達していることだけは確かだった。

 

『おいお前!代わりに金を詰めろ!』

 

 そして男の銃口は傍に立っていた女性局員へと向けられた。金を詰めろと要求する男だが、女性局員は同僚が射殺されたことで、涙目になって硬直していた。そんな、命令通りに動かない……否、動けない局員に苛立った男は、その矛先を変える。

 

『早くしねぇと……もう一人撃つからなぁっ!』

 

 男が新たに銃口を向けたのは、すぐ傍に倒れていた一般の利用者。即ち、詩乃の母親だった。

この男は、母を見せしめに殺そうとしている――――

それを悟った詩乃の行動は早かった。読んでいた本を放り出し、素早く男へと飛び掛かる。同時に、母に向けられていた拳銃を握る手に力の限り噛み付いた。

 

『ぎゃぁああ!』

 

 予想外な場所からの、予想外な人物からの攻撃をまともに食らってしまった。男は、驚き悲鳴を上げながらも、詩乃を振り払おうと腕を振り回す。そして、詩乃は窓口に身体をぶつけられて噛み付いた口を離してしまい、その弾みで拳銃も地面へ落ちた。

 

(お母さんを……守らないと!)

 

 幼い詩乃の中にあったのは、母親を守ることのみ。そのためには、命を奪おうとする凶器たる拳銃を、この男から遠ざけねばならない。そう考えた詩乃は、素早く拳銃へと飛び付いた。

 

『このぉっ!返せ!返せ!このガキィィイイ!』

 

『!』

 

 武器として持っていた拳銃を奪われた男は、当然の如く取り返そうと詩乃へ飛び掛かる。狂気に満ちた、殺気すら感じる顔で睨みつけるこの男に拳銃を返せば最期、自分は勿論、母親も諸共に殺される。そう考えた詩乃は、考えるよりも速く“指”を動かした。途端、

 

『ぐぁああっ!』

 

 鳴り響く、一発の銃声。それと同時に、仰け反る男。だが、怯んだのはほんの少しの間だけだった。血の滲み出る脇腹を押さえながらも、詩乃へと襲い掛かろうとする。対する詩乃は、条件反射に近い形で引き金に指をかけた。

 

『ごぉっ……!』

 

 詩乃が銃を手にしてから響いた、二発目の銃声。それと同時に、地面に倒れる男。だが、男は再び起き上がって詩乃へと腕を伸ばす。それを見た詩乃は、怯えた様子で、三度引き金を引いた。

 

『――――!』

 

 そして、遂に男は倒れた。その額には、黒子にも似た黒い点。そして、そこから流れる赤い血。倒れた男は、それ以上立ち上がることは無かった。ようやく全てが終わった。そう思い、安堵の溜息を吐いた詩乃だったが……

 

『?』

 

 ふと、すぐ傍に倒れていた母親の方へ目を向けてみる。すると、どうしたことだろう。先程まで自分達を殺そうとしていた脅威を退けたにも関わらず、何故か震えていた。一体、何に怯えているのだろうか。疑問に思い、その視線の先を辿ってみると……そこにいたのは、“自分自身”。

 視線を自分の周囲に向けてみると、拙眼に留まったのは、拳銃を手に持つ自分の手。先程の発砲で飛び散った男の血が斑点を描くように付着していた。そして、銃を向けていたその先にあったのは、ただただ只管に赤い、“血の池”。そして、

 

 

 

 血に塗れながら、詩乃へ腕を伸ばす男の姿――――

 

 

 

 

 

 

 

「…………!」

 

 その光景を見た途端、詩乃は目を覚ました。それと同時に、横たえていた身体を勢いよく起き上がらせる。呼吸が荒く、全身にびっしょりと汗を掻いている。

 

(また、あの夢……)

 

 顔に手を当てながら、あの日以来幾度となく見ている悪夢に溜息を吐く。銀行強盗の一件以来、詩乃は拳銃に対して重度の心的外傷後ストレス障害を抱えることとなった。本物の銃は勿論、玩具や銃を彷彿させるものを見ただけで発作を起こし、全身の硬直や嘔吐を起こし、果ては今回のように失神することすらあった。銃を握った時に見えるのは、血溜まりの向こうから腕を伸ばして近づいてくる、黒い影。詩乃の見る過去の幻の中に見る、瞳の中の暗殺者―――

 その、恐怖が具現したような影が齎す症状は、数年が経過した現在でも重篤であり、授業中に銃器の写真を見た時に嘔吐したことすらあった。無論、専門の医師のカウンセリングや処方薬による治療も試みている。だが、それらをもってしても、詩乃の心が癒えることは無く……今もこうして、酷く深い傷を引きずり続けていたのだった。

 

「…………ここは?」

 

 そこまで考えたところで、詩乃はふと気になった。ここは一体、どこなのだろう、と。自分が眠っていたのは、ベッドの上。それも、詩乃の自宅にあるベッドより高級なもののように思える。部屋の中はそれなりの広さで、家具はクローゼットやテーブル、椅子といった基本的なものが置かれているものの、シンプルで清楚なイメージを抱かせる。全体的に見て、それなりに高級なホテルの一室と言われても納得できる程度のものだった。同時に、自分の服も着替えさせられていたことに気付いた。上は純白のワイシャツで、下は黒のスカート。いずれもシミや皺の無い、恐らくは新品。思えば、あの路地裏で詩乃は嘔吐し、傘を落としてずぶ濡れになったのだ。保護してくれた人間がいるならば、着替えさせてくれてもおかしくない。気になるのは、それが男性であったか、女性であったかなのだが。

思い出すのも億劫な記憶を遡ってみると、学校帰りに遠藤達に絡まれて、かつてのトラウマを刺激されて倒れ伏したところまでは思い出せた。その後、遠藤にカツアゲをされそうになった詩乃のもとへ、誰かが現れたことまでは薄らとだが覚えているのだが……

 

(あれは、まさか……)

 

 気を失う間際、詩乃は自分を遠藤から救い、介抱してくれた男性の姿を見た気がした。そしてそれは、遠い昔に会ったことのある少年によく似ていたような気がする。

 

「おや、目が覚めましたか?」

 

 そこまで考えたところで、突然ベッドのある場所から遠い位置にある扉が開かれる。現れたのは、白髪に白い髭の老人。見慣れない人物だが、恐らく彼はこの場所の責任者に該当する人物なのだろうと、詩乃は思った。得体の知れない人物ではあるものの、世話になった身である。とりあえずは礼を言うために、詩乃はベッドから出て立ち上がろうとする。

 

「ああ、まだ起き上がるのもお辛いでしょう。そのままで結構ですから」

 

「えと……すみません。それと、倒れたところを助けていただいたようで、ありがとうございます。ところで、私は一体……?」

 

 嘔吐して倒れた影響で動くのが億劫なのを察してくれたのだろう。無理にベッドを出なくても良いと言われた詩乃は、言われるままに腰掛け、一先ずの感謝を口にすると共に、自分がどのような経緯でここへ運び込まれたのかを聞くことにした。

 

「ああ、申し遅れました。私はワタリと申します。このビルの管理を任されている者です。今は、路地裏で倒れてここへ運び込まれたあなたの介抱を頼まれて参りました」

 

「そう、ですか。ええと……私を助けてくれた人は……?」

 

「ああ、彼ならもうすぐ来ますよ」

 

 今現在、最も気になっていた事項。即ち、遠藤達に恐喝されていた自分を助けてくれた人物の所在である。行きずりに近い形で助けてもらった以上、既にここにいる可能性は低いのだ。しかし、ワタリと名乗る老紳士は、今会いたいと思っていた人物は、すぐに来ると答えてくれた。それと同時に、もしあの時自分が見たあの顔が、記憶に懐かしいあの人物のものだったならば……そう思うと、ある種の期待に胸が高鳴るような感覚に陥る。

 と、そこへ……

 

「目が覚めたようだな、詩乃」

 

「和人……!」

 

 再び開かれたドアの向こうから現れる新たな人物が現れる。大人しい黒の髪型に、女性と見紛うような線の細い顔の少年。かつて出会った時とほんど変わらない容姿のまま現れた彼――桐ヶ谷和人は、自分のことも覚えていてくれた。

 扉を閉めた和人は、そのままベッドに座ったまま驚いた表情をする詩乃のもとへと歩を進める。近づいてくるごとに分かったが、当然のことながら昔に比べて背が高くなっている。それに、表情も以前に比べて眼光も鋭くなったように思える。

 

「おや、お二人はやはりお知り合いだったのですか?」

 

 和人の姿を見てそんなことを考えていると、傍に立っていたワタリが二人の関係について問いかけてきた。和人にばかり視線を向けていた詩乃はびくりと身体を震わせてしまった。どうにか取り繕おうと口を開こうとしたが、和人が先に答えた。

 

「昔の知り合いです。とりあえず、あとは俺が引き受けますので、ワタリさんは彼のもとへ行ってください」

 

「向こうでの話は終わったようですね。かしこまりました。私は、とりあえずは失礼しますので、何かありましたらまたお呼びください」

 

「分かりました」

 

 それだけのやりとりを済ませると、ワタリは会釈してその場を後にする。部屋には和人と詩乃の二人が残される形となったところで、和人から口を開いた。

 

「四年ぶりといったところか。久しぶりだな、詩乃」

 

「私のこと、覚えていてくれたんだ……和人」

 

遠い昔の出来事ながらも、互いを覚えていたことに微かに笑みを浮かべる二人。和人は部屋の中央に置かれた椅子を手に取ると、ベッドに寄せて座った。

 

「まあな。しかし、東北を出てこっちに来ているとは思ってもみなかったがな」

 

「私も色々とあってね……お母さんのことは、お祖父ちゃん達に任せて、私はこっちで一人暮らしすることにしたのよ」

 

「そうか……それより、裏路地でのやりとりを見ていたんだが、やはりまだ発作は続いているのか」

 

「……ええ。前ほどは酷くないけれどね」

 

 和人の言葉に、苦々しい表情で頷く詩乃。桐ヶ谷和人は、詩乃の古くからの知り合いだった。どこまで経緯を見られていたかは分からないが、相手は勘の鋭い和人である。嘔吐して地面に蹲っている様子を見られていたならば、発作が原因であるという結論に達するのは容易だろう。

 

(……まさか、久しぶりに会ってあんなところを見られるなんて)

 

誰がどう見ても、苛められているようにしか見えない場面を見られてしまったことに対し、詩乃は羞恥の念に駆られていた。人に弱みを見せることを極端に嫌う詩乃は、苛められた場面など見られてしまえば、自己嫌悪に陥ることが常である。羞恥程度で収まっているのは、一重に和人が相手であるからにほかならない。

和人の存在は、詩乃の中でそれだけ特別なものだった。詩乃が抱える凄惨な過去と、それに端を発するトラウマ。和人はそれらを知りながらも、比較的友好的な付き合いができる数少ない人物なのだ。和人と詩乃、この二人が出会ったのは、あの忌まわしい事件が起きた年の末頃だった――――

 

 

 

 

 

 

 

「ほら人殺し女!どうした!?」

 

「反撃してみろよ!ほら!」

 

 雪の降る町中に、子供の罵声がこだまする。街の外れ、人気の無い通路では、小学校高学年の少年四人が、一人の少女――詩乃を取り囲んでいた。手から傘を落とし、頭を抱えた状態で冷たい地面の上に膝を突いて蹲る少女に対し、嗜虐的な笑みを浮かべる少年達の手には、『エアガン』が握られていた。

 

「ぃゃ……いや……!」

 

 二学期の始め頃に起こった銀行強盗事件の詳細については、マスコミ各社の自主規制によって報道されることは無かった。しかし、噂の出所を全て塞ぐことなどできる筈は無い。それが小さな町での出来事ならば、言わずもがな。郵便局の中で起こった出来事は、人から人へと伝播していき、詩乃の通う学校の生徒にまで知れ渡る結果となったのだった。

 そして、子供というものは自分達とは異なる存在を蔑視する傾向が強い。そして、異端と判断された子供というものは、得てして苛めの標的になりやすい。そして今も、こうして詩乃より一つ上の六年生男子率いる集団による、悪質な嫌がらせを受けていたのだった。

 

「やめて……もう、やめて…………!」

 

「ハッ!銀行強盗を殺したクセに、何怖がってんだ!?」

 

「人殺しのクセに!」

 

 父親を亡くし、母親が精神不安定な状態になって以来、心を強く持つように努めてきた詩乃だったが、数ヶ月前に心に刻み込まれた、このトラウマには抗いようが無かった。拳銃やそれに類するものを見るだけで、身体が震え、立っていることすらできない。玩具としての模造品に過ぎないエアガンの射撃音が鳴り響く度に、心臓が鷲掴みにされるような感覚に陥る。放たれるビービー弾も、玩具として威力がかなり抑えられているにも関わらず、拷問で鞭で打たれるよりも激しい苦痛を感じる。四方に立つ弾指四人の姿が、“あの時の男”に見えてしまう……

 

(誰か……誰か、助けてっ…………!)

 

 今の詩乃にとって、その目に映る四人の少年は、自分を殺そうとする存在にしか見えない。母のために、いつも強くあろうと努力してきた詩乃だったが、鮮血の記憶に端を発するトラウマの前には、あまりにも無力だった。

 このままでは、自分の心が壊れてしまう。その恐怖から、自分を助けてくれる存在を求めて、詩乃は心の中で叫んだ。

 

「ほらほら、どうしたどうし――――ごはっ!」

 

「な、なんだお前!」

 

 そして、それは唐突に起こった。先程まで詩乃にエアガンの銃口を向けて悪態を吐いていた少年の一人が、鈍い打撃音とともにその声を途切れさせたのだ。

 他の三人に至っても、何やら慌てふためいている様子である。何が起こったのだろうと、恐る恐る顔を上げてみると、そこには……

 

「明らかにやり過ぎだ。悪ふざけもその辺にしろ」

 

 詩乃にエアガンを向けていた四人とは違う、新たな少年が立っていた。剣道着に身を包んだ、黒髪の少年。その右手には、中身の入った竹刀袋が握られている。見た目からして、歳は詩乃と変わらないと思われるが、刃のように鋭い光を宿した瞳が、年齢に不相応な印象を与えていた。

 

「お前……どこのどいつだか知らねえが、俺達に喧嘩売ってんのか!?」

 

「ハッ!構わねえよ、ヤッちまえ!」

 

「泣いて謝ったって、聞いてやらねえからな!」

 

 その言葉と共に、再度エアガンを構える四人。銃口はいずれも、剣道着姿の少年に向けられている。しかも、詩乃へ向けていた時よりも剣呑な雰囲気を纏っている。詩乃が相手の場合と異なり、躊躇無く引き金を引くことは、詩乃の目から見ても明らかだった。

実銃ではないとはいえ、エアガンとて命中すれば、それ相応な痛みが伴う。目に当れば、失明の可能性すらある。そんな凶器を向けられれば、小学生の子供なら臆して竦み上がってもおかしくない。拳銃に対するトラウマを抱く詩乃にとっては、既に目を向けることすらできない光景である。だが、剣道着の少年は全く臆した様子が無い。まるで、エアガンの射撃など脅威になり得ないと言わんばかりの立ち姿である。そんな態度が気に食わなかったのか、エアガンを持った少年四人は遂に引き金を引いた。

 

「この野郎!」

 

「死ねぇえっ!」

 

 四方向からの一斉射撃、しかも至近距離で、顔面を狙っている。避けることなどできる筈も無い。放たれたビービー弾が少年の顔を直撃すると、詩乃は疑わなかった。

 

「…………やれやれだ」

 

だが、エアガンの引き金が引かれて尚、少年は動じなかった。

 

「なっ……!」

 

「んな馬鹿な……!」

 

 前方四方からの発砲に対して少年の取った行動は、右手に持った竹刀を翳しての防御だった。視線の先に銃口を捉えながら、しかし微動だにせず顔の前で竹刀を構え、僅かに動かすだけで飛来するビービー弾全てを弾いて防御したのだ。この間、少年は全くと言っていいほど動いていない。まるで、ビービー弾の軌道全てを、見切っていたかのように……

 

「早くその物騒な玩具をしまえ。そして家へ帰れ」

 

「……こ、んのぉっ!」

 

 少年の言葉が癇に障ったのだろう。エアガンの上部を手前へ引いて再度射撃による攻撃を行おうとする。だが、標的にされている少年も、ただ黙って撃たれるのを待つような真似はしない。

 

「やめろ」

 

「ぐっ!」

 

 引き金を引くよりも早く、エアガンを持つ手を竹刀で叩く。相当強く打ち据えたのだろう。エアガンの銃声よりも大きい、乾いた音が響いた。

 

「野郎!」

 

「……」

 

 少年の反撃に激昂した、もう一人のエアガン持ちが引き金を引く。だが、少年は銃口を僅かに一瞥した程度で弾道を予測したのだろう。身を逸らして紙一重でビービー弾を回避する。しかも、カウンターとして竹刀を振るってエアガンを叩き落とす。

 

「クソっ!」

 

 三人目による、頭を狙った射撃。竹刀を振るった直後の少年には、足で動いての回避が間に合わない、意図せず隙を突く形となった攻撃。だが、剣道着の少年はまるで慌てた様子も無く、首を横に曲げることでこれを避けた。

 

「……ぎゃぁっ!」

 

こめかみのあたりを掠めそうになるビービー弾には目もくれず、三人目が持つエアガンも的確に手の甲に一撃を入れて叩き落とした。相当に痛かったのだろう。前の二人同様、手を押さえて悶え苦しんでいた。

 

「くっ……うぉぉおおお!!」

 

 そして、四人目。先程の三人と同様、エアガンによる射撃が来るかと思った。だが、三人が返り討ちにされたことで、エアガンが通用しないと思ったのだろうか。エアガンによる射撃ではなく、拳で殴りかかるという手段に出た。

 

「ふん……」

 

「ごへぇっ!」

 

 だが、エアガンの射撃すら軽々避ける剣道着の少年にはそんなものが通用する筈もなく……拳は簡単に避けられた上、カウンターとして竹刀の柄尻で鳩尾を突かれて地面に蹲る結果となった。

 そうして、揃って返り討ちに遭った少年達を見据え、剣道着の少年が口を開いて問いかける。

 

「まだやるか?」

 

「ひっ……ひぃぃいいい!」

 

 ドスを利かせ、殺気すら伴ったその言葉に、少年四人はエアガンを拾うことすら忘れて揃って逃げ出した。剣道着の少年は、情けない声を上げて逃げ出す四人の背中をしばらく見ていた。やがて袋に入ったままの竹刀を下ろすと、後ろを振り返り、地面に蹲ったまま先程の攻防をずっと見ていた詩乃の方へと歩み寄った。

 詩乃の方は、エアガンを一発も受けずに四人を撃退した剣道着の少年を呆然と見つめるばかりだった。少年の方は、そんな詩乃の様子を見て心配になったのだろう。膝を突いて目線の距離を近づけて問いかけた。

 

「弾は当たっていない筈だが……大丈夫か?」

 

「う、うん……」

 

 少年が差し伸べた手を握り、蹲った状態から立ち上がる詩乃。こうして近い距離で見て気付いたが、剣道着の少年は中性的ながら整った顔立ちだった。怜悧な雰囲気を宿す瞳に見つめられた詩乃は、知らず知らずの内に顔が赤くなっていく。

 対する少年は、気恥ずかしさを抱く詩乃を気にした様子も無く、握った手を引いて詩乃を立ち上がらせる。ビービー弾は当たっていないようだが、一応怪我をしていないか確認するため頭から足まで視線を巡らせると、少年は再度口を開く。

 

「……大丈夫そうだな。それじゃあ、俺はこれで行く」

 

「あ、あの……ちょっと待って!」

 

 呆然と立ち尽くしていた詩乃だったが、足早に立ち去ろうとする少年を止めるべく声を上げた。待ったをかけられた少年は、大通りへと向けていた足を止めて詩乃へと向き直った。若干不思議そうな表情をする少年。詩乃の方はというと、呼び止めた立場でありながら、何を言うべきかと逡巡していた。

 

「その……あなたは……?」

 

 本来ならば、助けてもらったお礼を言うべきなのだろうが、あれこれ考えている中で、無意識の内に名前を尋ねていた。対する少年は、相変わらずの無表情ながらも答えを口にする。

 

「桐ヶ谷和人だ。見ての通り、剣道をやっている。ここへは、祖父に連れられて来たんだ。今は、すぐそこの道場で厄介になっている。」

 

「……朝田詩乃です。助けてくれて、ありがとうございました」

 

「そうか。それじゃあ、俺はもう行く」

 

「あ、あの!」

 

「?」

 

「……今度、見に行ってもいいですか?」

 

 先程の、エアガン相手に全く怯まず大立ち回りをやってのけたその姿が忘れられなくて、詩乃の口からそんな問いが、か細い言葉となって投げ掛けられる。対する剣道着の少年、和人はやはり表情を変えずに淡々と答えた。

 

「稽古は朝から夕方にかけてやっているが、道場にいるのは午後だけだ。来るのなら、その時間帯にするといい」

 

 それだけ言うと、和人は今度こそ竹刀片手に路地を去っていった。詩乃は、自分と然程変わらない年であろう少年が、上級生相手に無双していた光景を回想しながらその背中を見送った。一人佇む詩乃は、和人が見せた……否、魅せた剣技に想いを馳せながら、幻視するその姿に自分の追い求める“真の強さ”を感じていた……

 

 

 

 その翌日。詩乃は和人の下宿先であり、稽古場である道場を訪れた。エアガンを相手にまるで怯んだ様子の無かった和人だが、剣道の稽古においてもその胆力を遺憾なく発揮し、無双の限りを尽くしていた。

 有段者の大人すら圧倒するその姿には、相手に対する恐怖は微塵も感じられなかった。そして同時に、詩乃は確信した。エアガンを持つ少年四人を撃退した時に見た、自分の追い求める強さの片鱗は、幻などではなかったのだと――――

 

 

 

 

 

 

 

「まさか、銀行強盗事件のトラウマ克服のために剣道を始めて……翌年には一級を取得していたとは思わなかったがな。あれから、剣道は続けているのか?」

 

「……ううん。道場の師範の人には続けることを勧められたんだけど……結局、中学に入ったらやめちゃってね」

 

「そうか……」

 

 あまり変わらない表情ながら、残念がっている心情が分かる声色だっただけに、詩乃は少々申し訳ない気分になった。和人の剣技に魅せられて剣道を始めた詩乃だったが、剣道の腕は人並み外れた速度で上達したものの、銃のトラウマを克服するには至らなかったのだった。始めてから一年程度の身である以上、高望みが過ぎたのは言うまでもない。しかしそれでも、詩乃は求めずにはいられなかったのだ。強くなっていると確信できる、己自身の変化を。

 

「今更辞めてしまったものを無理強いするつもりは無いが……トラウマ克服のための活動は今も続けているのか?」

 

「……ええ」

 

「お前のやることに口出しはしないが……あまり無茶はするなよ」

 

 本当は、何か言いたいことがあったのだろう。しかし、内心を押し止めて口から出そうになった言葉を呑み込んだ様子だった。差し詰め、説教の類を言おうとしたのだろうが、詩乃の内心を慮ってか、敢えて口にしなかった。それは、和人なりの優しさなのか、或いは助言を与えずに自力で答えを見つけさせようという厳しさなのかは分からない。だが、本音を口にしないその態度には、詩乃はどこか不満に感じてしまう。だが、祖父母のようにトラウマ克服のための行動を止めようとはせず、多少の無理ならば看過してくれるのだから、その上助言を求めるのは贅沢でしかない。

 

「さて……それじゃあそろそろ、帰るか?」

 

 そこまで考えたところで、和人が帰宅を促す。詩乃は思考の海に沈みかけていた意識を浮上させ、その言葉に対して静かに頷いた。嘔吐し、気絶するほどに衰弱していたが、ベッドで寝たお陰で回復したのだから、これ以上この建物にいるわけにはいかない。そう考えた詩乃は、ベッドから立ち上がって帰り支度を始める。

 

「そういえば、私のバッグは?」

 

「そこに置いてある。服の方は、ワタリさんが乾かした上で隣の袋に入れてくれた」

 

「その……服のことなんだけど…………」

 

「ああ、お前の服を脱がせたのも、着せたのも、この建物で働く女性従業員だ。服については、ワタリさんが買ってきてくれたものだ」

 

 内心に抱いていた心配事の一部を悟った和人の言葉に、詩乃はほんの少し顔を赤くする。急ぎ、ここを出て帰るべく荷物をまとめる。だが、自分が助けてもらった立場であることを再認識し、もっと他に言わねばならないことがあることを思い出す。

 

「そう……けど、路地裏で倒れた私を助けてくれた上に、運んでくれたのは和人なんでしょう?久しぶりに会ったのに……迷惑かけて、悪かったわね」

 

「気にすることはない。それより、帰るなら入口まで送って行く」

 

 帰り支度が万端となったところで、和人に先導されて部屋を出る。そのまま建物の中を知らない詩乃を連れて、建物の正面入り口を目指す。道中、「貰った服はどうすればいいか」と詩乃が問うと、「ワタリさんがそのまま自分のものにしていいと言っていた」と返された。着心地からして相当な高級品であることは間違いないため、言葉通りに貰ってもいいかと判断に迷うが、祖父母からの仕送りで生活している自分の家計に相当な負担となる可能性を思うと、自分が支払うと口にすることはできなかった。

 そして、そうこう考えている間に、遂に二人は建物の入口へと到着する。自動で開く玄関の向こうには、一台の車――タクシーが停まっていた。

 

「タクシーはワタリさんが呼んでおいてくれた。金も先に支払われているから、安心しろ」

 

「……流石にそれは、悪いわよ。流石に今日すぐに用意はできないけど、今度しっかり支払うわ。さっきの、ワタリさんだっけ?あの人の連絡先、教えてくれる?」

 

「いや……仕事関連の連絡先しか俺も教えられていない。俺の連絡先を教えるから、俺が金を受け取ってワタリさんに渡そう。それと……もう一つ、聞いておきたいことがある」

 

「……何?」

 

表面上は常と変わらない表情ながら、僅かに視線を険しくして問い掛ける和人。対する詩乃は、一体何を聞くつもりなのだろうと若干緊張した。

 

「お前の身辺で、怪しい奴がうろついているとかの話は無かったか?」

 

「……えっと、それってストーカーが居ないかって意味?」

 

「心当たりが無いなら良い。大した意味は無い。ただ、カツアゲ紛いのことをする奴と同じ学校に通っているようだからな。そういった奴がお前に近付いていないかと、少しばかり心配になっただけだ」

 

「ふふ、和人は心配性ね。確かに、学校ではあんまり上手くやれてる方じゃないけど、ストーカーとかは今のところ居ないわ。安心して」

 

「そうか……まあ、気を付けろよ」

 

「ええ。それじゃあ、ワタリさんによろしく伝えておいてね」

 

そうして、互いに携帯電話を取り出して連絡先を交換した後、詩乃はワタリの呼んだタクシーへ乗り込んだ。和人は、タクシーが敷地外へ出るまで見送りを受けるのだった。

 

 

 

 

 

「和人、遅かったじゃねえか!」

 

「悪かったな、一」

 

 詩乃を見送ってから数分後。和人の姿は、地下にあった。竜崎こと世界的名探偵のLがこの日本で活動するための拠点であるこのビルの中枢は、地下にこそある。捜査に必要な高性能コンピュータがいくつも置かれたこの空間は、地震等の災害は勿論のこと、並大抵の爆弾等の衝撃ではビクともしない強度の設計が為されている。

そんな捜査本部である地下室には現在、和人のほかに三名の男性が揃っている。そんな中の一人、肩まで伸びた髪を後ろで束ねた和人と同年代の少年、一が遅れてやってきた和人へ声を掛ける。

 

「まあ、落ち着いてください、一君。偶然とはいえ、昔の友達が困っているところを助けたために遅れたんですから」

 

「詩乃さんといいましたか。彼女の具合は、もう大丈夫でしたか?」

 

「はい。タクシーまで呼んでもらいましたが、一人で帰るには十分なくらい回復していました」

 

 時間に遅刻した和人を咎める一を、竜崎が窘める。その傍らに立つ白髪・白髭の老紳士ワタリは、詩乃の容体について尋ね、和人は問題無しと返した。それに付け加えて、詩乃がタクシー代だけでも支払うと言っていたことを付け加えると、ワタリは苦笑した。

 

「お気遣いはありがたいのですが、そんなに無理はしなくても結構ですよ。そう詩乃さんに伝えておいてくれますか?」

 

「了解しました」

 

「和人君の友達だけあって、真面目で義理堅い人ですね」

 

 普段の無表情のまま、感心したように呟く竜崎のことばに、一とワタリはハハハ、と笑う。自分の遅刻に端を発した話題により、脱線している話題を戻すべく、和人は咳払いとともに真剣な表情で竜崎に問いを投げる。

 

「それより竜崎、早く始めるぞ」

 

 和人が口にした言葉によって、その場にいた全員に緊張が戻る。問いを投げられた竜崎は、先程まで僅かに軽かった口調から一変、和人と同じく真剣な表情――付き合いの長い人間には間違いなくそう見える――で口を開いた。

 

「分かりました。今回もよろしくお願いします」

 

「死剣なんて呼ばれる程に暴れているみたいだけど……やっぱり死銃の方は動かないのか?」

 

「俺の正体がSAOのイタチであることを知れば、間違いなくコンタクトを取ろうとする筈だ。そこから奴等の手掛かりを掴む」

 

 和人がGGOにダイブし、SAOの技術で無双することで名を馳せ、SAO生還者と思しき死銃を誘き出す。それは、既に竜崎と幾度となく打ち合わせていることである。一も詳細を竜崎から聞いているのだろうが、名うてのスコードロンをいくつも壊滅させても尚、姿を見せないという事実にはもどかしいものを感じているようだった。

 

「ゼクシードと薄塩たらこの両名殺害後は相変わらず音沙汰ありません。容姿の似ているプレイヤーの目撃情報についても収集を試みていますが、有力な手掛かりは得られていません。死銃の正体を暴く手段は、やはり仮想世界での接触以外にありません。和人君には申し訳ありませんが、敵が馬脚を表すまでよろしくお願いします」

 

「任せておけ」

 

 それだけ言葉を交わすと、地下室の奥へと向かう。捜査拠点にもなるこの地下室の一角にある扉を開けた先にあったのは、ベッドと周辺機器、そして次世代型フルダイブマシンであるアミュスフィアだった。既に連日の動作で慣れた通り、装置を頭にかぶり、すぐ傍に備え付けられたベッドに横たわる。

 

「それでは、行ってくる」

 

「はい。カンキチさんとボルボさんは、既にあちらへ行っています。今日の標的についても、いつもの場所で話すとのことです」

 

「了解した。それでは……リンク・スタート!」

 

 和人の意識の向かう先に待つのは、銃弾と鋼鉄の世界。その目的は、殺人者『死銃』の正体を暴くべく、その存在に接触すること。SAO時代からの因縁ある傀儡師が操る殺人鬼を相手するには、前世の自分――うちはイタチに戻らねばならない。故に和人は、仮想世界に立つ時には、現世の自分ではなく、前世のイタチに戻って戦うのだ。

 だが、前世に戻ることイコール現世を忘れることではない。SAOというデスゲームの中で、殺人者とはいえ幾人もの人間の命を奪った和人には、桐ヶ谷和人としての罪があるのだ。それを忘れたまま戦えば……SAOの因縁の敵たる『笑う棺桶』の地獄の傀儡師やその人形を打ち破ることは敵わない。過去を背負い、現世と向き合う……それこそが、和人の戦いには必要なのだ。

 久しく会っていなかった友人との思わぬ再会の中で、和人は一人、罪を背負うことの意味について考えていた――――

 


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