ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版-   作:鈴神

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第七十三話 鍍金の忍

 グランド・クエストにおいて目指すべき到達点へ通じる石扉にて、光の粒子となって扉の向こうに吸い込まれたサスケ。視界一面、目も開けられない程に眩い白一色の光に包まれたが、一分と経たずに瞼の奥の光は止んだ。ゆっくりと目を開くと、そこにあったのはまるで別の景色だった。

 

「パパ、大丈夫ですか?」

 

「ああ。それよりここは……世界樹の中、なのか?」

 

「はい。システム管理者の領域です」

 

 サスケとユイがグランド・クエストから通じる扉より手にした場所は、無機質造形の通路らしき場所だった。システム権限を使った影響か、ユイの身体は妖精のそれからもと子供の等身大へと戻っていた。西洋のファンタジー世界を舞台としているアルヴヘイム・オンラインらしからぬ、近代的で研究施設を彷彿させるデザインである。

 

(施設の用途は見たままなのだろうな……)

 

 サスケこと和人や、コイルこと竜崎が考えていたように、須郷はALOを隠れ蓑にSAO未帰還者達を監禁して脳を使った人体実験を行っているのだろう。一刻も早く囚われている者全てを解放する必要があるが、まず第一に安否を確かめねばならない人物がいる。

 

「ユイ、明日奈さんの居場所は分かるか?」

 

「はい。かなり近いです……こっちです!」

 

 明日奈のIDの所在を追って駆け出すユイを追い掛け、サスケもまた走り出す。止まることなく通路を右に左に曲がり、行方を塞ぐ扉をユイのアクセス権限で突破していく。そして、幾度目かの扉を突破した時だった。

 

「!……外か」

 

 先程までの無機質な施設内装とは全く異なる空間に出るサスケとユイ。目の前に広がっていたのは、四方八方に伸びる太い枝。その向こうには、紅の夕日の染まりつつある無限の空と、巨大な雲が流れている。雲の大きさや夕日の色の濃さが、ここが天空に近い場所であることを物語っていた。

 

「明日奈さんは、どこだ?」

 

「この道を真っ直ぐです。もうすぐ着きます」

 

「そうか……急ぐぞ」

 

「はい、パパ!」

 

 サスケに促され、木の枝でできた道を共に駆け抜けるユイ。三十メートル程走ったところで、枝の向こうに夕陽を反射する金色の何かが視界に入った。道を走り、接近する度にその輪郭が露になっていく。それは、竜崎から見せてもらった世界樹頂上の写真に写っていた金色の鳥籠だった。

 

(明日奈さんは……いる!)

 

 さらに、籠の中に女性のシルエットを確認する。横顔しか分からないが、栗色のストレートヘアやその容貌は間違いなく明日奈そのものだった。アクセス・コードを盗み出すような大胆な真似をした以上、須郷から何らかの危害を加えられているのではないかと危惧していたが、まだ無事なようだ。サスケはユイの手を取るとさらに加速して鳥籠の場所を目指していった。

 

 

 

 世界樹の頂上に吊るされた金色の鳥籠の中、物憂げな表情で明日奈は夕陽を見つめていた。昨夜遅く、須郷の不在の隙を突いてこの鳥籠を脱出し、アクセス・コードを奪取するという決死行をやってのけた彼女だったが、囚われたSAO未帰還者を解放する直前で施設を訪れていたナメクジのような姿の研究員によって捕まり、こうして元の鳥籠へ戻されたのだった。その後、脱走が失敗し、このことが主任の須郷に報告されてしまったことで、何らかの制裁が下される可能性が高いと、内心で怯えながら佇んでいた。だがつい数時間前、思わぬ希望が明日奈のもとへ飛び込んできた。

 

(……ユイちゃん、イタチ君……)

 

 それは、恐らくは地上から自分に対して呼び掛けていたのであろう、SAOで出会い、短い時間だったがイタチと三人で家族として過ごした少女、ユイの声だった。本来はSAOのシステムを管理するAIであった彼女は、世界を構成するシステムの根幹たるカーディナルの指示に逆らった末に消滅させられたものの、ギリギリでイタチのナーヴギアへとその本体を移すことに成功したのだ。そのユイがこの場所にいるということは、ユイの本体を所持しているイタチもまた、この世界に来ているということである。つまりこれは、イタチがナーヴギアを再び被って自分を救いに来てくれたことを意味する。明日奈の予想通り、イタチはSAO時代のトラウマを物ともせずに、仮想世界に飛び込んできたのだ。

 どういった経緯でアルヴヘイム・オンラインと呼ばれるこの仮想世界に至ったかは分からないが、須郷の野望を察知してやって来たことは間違いない。ならば、イタチは必ずここへ来る。どれ程の強敵が立ちはだかろうと、譬え世界の絶対的法則であるシステムがその行方を阻んだとしても、イタチならば必ずここへ来る。それまでの間、明日奈は待ち続けるのみ。須郷からどのような仕打ちを受けようとも、耐えてみせる。何故なら、イタチもまたそれ以上の痛みを背負って戦っている筈なのだから…………

 

「ママ……ママ!」

 

「!」

 

 だが、予期していた憎むべき相手から苦痛を受ける時間よりも早く、求めていた声がこの場所を訪れた。その声は、つい数時間前に自分に希望を齎したのと同じもの。そして、自分を『ママ』と呼ぶ存在を、明日奈は一人しか知らない。そして、彼女がいるのならば、“彼”もいる。

 息を呑んでゆっくりと後ろを振り返ると、そこにいたのは大小二つの人影。小さい方の影は、明日奈が予想した通り、SAO時代に出会った姿そのままの少女――ユイだった。そしてもう一つの大きい方の影は、SAOの時とは容姿が異なるが、瞳の色やそこに宿す光は見間違う筈が無い。SAOの最終決戦を終え、浮遊城アインクラッドの崩壊を共に見守った少年であり……そして、自身が想いを告げた相手。

 

「ユイちゃん……イタチ君……!」

 

「ママ!」

 

 ユイがより一層強く明日奈を呼ぶ。それと同時に、鳥籠とユイ達とを隔てていた鉄格子の扉がポリゴン片と共に消滅する。開け放たれた入口に飛び込んだユイは、一直線に明日奈のもとへ急ぐ。明日奈もまた、椅子から立ち上がりユイのもとへ駆け寄る。

 

「ユイちゃんっ!」

 

「ママ!良かった……ママ!」

 

 互いに抱き締め合い、頬擦りする明日奈とユイ。互いに名前を呼び合い、存在を確かめ合う。ここは仮想の世界ではあるが、そんなことは関係ない。今目の前にいるのは、間違いなく互いに求め合った人物なのだ。数々の苦難を乗り越えて再び会うことができた喜びを、二人は涙を流す程に感じていた。

 

「明日奈さん……遅くなりました」

 

「イタチ君……」

 

 ユイと抱きしめ合うことしばらく。名前を呼ばれて明日奈が顔を上げたそこにいたのは、浅黒い肌で坂だった髪の少年だった。耳の長い妖精のような姿をした少年だったが、赤い瞳だけは同じだった。必ず来ると信じていた、明日奈の思い人である。

 

「待っていた……きっと来てくれるって信じていた」

 

「……ありがとうございます」

 

 ユイから手を離して立ち上がると、サスケへ歩み寄るとそっと腕を回してその身体を抱き締めた。SAOクリア以降、この鳥籠に閉じ込められ、黒幕の須郷から陰湿な嫌がらせやおぞましい人体実験の計画を聞かされる日々に、幾度となく挫けそうだった。須郷の前では屈してはなるものかと強硬な姿勢でいたものの、それも限界だった。

そして今、待ち望んでいたサスケと相対したことで、今まで我慢してきたものが一気に溢れだすのを感じた。身体が震え、涙が止まらない。この場所に監禁されて以来感じてきた恐怖と、思い人と再会できた嬉しさの、相反する感情が止められない。そんな明日奈の心中を察したのか、サスケもまた、明日奈の身体を優しく抱きしめてくれた。

 

「感謝するのは私の方だよ……本当に、嬉しい」

 

「……俺も、無事でいてくれて安心しました」

 

 それが、サスケの心の底からの本音であると明日奈は悟った。彼もまた、須郷の囚われの身となっていた明日奈の身を案じていてくれたのだ。そして、今こうして再び会いに来てくれた。その喜びを互いの温もりと共に分かち合えることが、明日奈には何より嬉しかった。

 

 

 

 抱きしめ合い、再会を喜ぶことしばらく。抱擁を解いたサスケと明日奈は、この場所からの脱出について話し合うこととなった。

 

「ユイ、ここへ来た時に使ったアクセス・コードで明日奈さんをログアウトさせることはできるか?」

 

「……駄目です。ママのステータスは、複雑なコードによって拘束されています。解除するには、システム・コンソールが必要です」

 

 どうやら、そう簡単にはいかないらしい。他のSAO未帰還者とは別に、明日奈にだけアバターを与えてこうして閉じ込めている時点で須郷は彼女に対して相当な執着を抱いていることは間違いないが、ステータスもろとも厳重に拘束しているとは恐れ入る。ともかく、明日奈や他のSAO未帰還者の解放にはシステム・コンソール、もしくはより高位のアクセス権限が必要となれば、如何にサスケといえども手が出せない。ここはやはり、コイルこと竜崎の協力者であるファルコンが世界樹頂上のシステムの一切を掌握するのを待つしかないのだろうか。サスケがそう考えた

 

「そういえば……私、ラボラトリーの最下層でそれらしいものを見たわ」

 

「本当ですか?」

 

 何故明日奈がそんなことを知っているかは、問うまでも無いことである。サスケの予想した通り、世界樹頂上から落ちてきたアクセス・コードは明日奈が相当な無茶をしでかして入手したものだったのだ。だが、今それは問題ではない。選択すべきは、待つか動くかである。

 

(コイルが動いている以上、俺がここで余計な真似をするわけにはいかんな……)

 

 アバターを与えられて、全くありがたくない意味で特別扱いされている明日奈一人を解放する分には作戦に支障は無いだろう。だがそれは、ユイの手持ちのアクセス・コードでできれば、の話である。施設のシステム・コンソール本体を操作してログアウトさせるとなれば、現実世界からこの場所のシステムに干渉しているファルコンの動きを妨げかねない。今回の作戦は、仮想世界から敵地へ侵入するサスケと、現実世界からサスケが開けたセキュリティホールを通じて須郷の管理するシステムを乗っ取る竜崎とファルコンとの協力によって成り立っている。その足並みを乱す真似をするわけにはいかないと、サスケは考える。

 

「ここは敵地ですが、今は待ちましょう。現実世界からも俺達を解放するよう動いてくれている味方がいます。下手に動いて敵に見つかり、作戦に支障を来す事態は避けなければなりません」

 

「……分かったわ。イタチ君がそう言うなら、ここで待つわ」

 

今すぐに明日奈を含めたSAO未帰還者全員を解放する手段がすぐそこにありながらも、大人しく事態を静観することには抵抗を少なからず覚えないこともない。だが、須郷に囚われたSAO未帰還者全員の安全と作戦の効率を第一とするならば、ここは不動が最善であるとサスケは結論付けた。

対する明日奈は、サスケの提案に反対の意思を示すことは無く、大人しく救援を待つ方針を受け入れていた。明日奈とて、この忌ま忌ましい鳥籠から脱出して現実世界へ帰りたいのだろうが、感情に任せて動く危険性を承知しているのだろう。また、サスケが傍にいてくれるということも明日奈の精神を落ち着かせることに一役買っているようだった。

 

「ユイ、今ここの施設にログインしているプレイヤー……いや、研究員はいるか?」

 

「……いえ、今このフロアにはパパとママ以外のプレイヤーIDは確認されません」

 

「そうか……」

 

 ユイがAIとして持つ権限で周辺に敵がいないか確認させるサスケ。竜崎が下調べした通り、今の時間帯はフルダイブ技術研究部門の担当者である須郷とその部下達は部署への出入りを極端に減らすようだ。これならば、今のところは安心だろう。だが、明日奈が脱出を図ったことは間違いなく須郷に知られている。明日奈へ制裁を加えるためにすぐに戻ってくるのは容易に想像がつく。

 

「イタチ君……」

 

「?」

 

 竜崎とファルコンがSAO未帰還者を全員解放して事件を解決するのが先か、それとも須郷が戻ってくるのが先か。思考を走らせる中、ふと明日奈がサスケ――イタチの名前を呼ぶ。呼ばれたサスケはどうしたのだろうと疑問に思いつつ明日奈の方へと視線を向ける。ユイを抱きしめながら隣でサスケと共に助けを待っていた彼女の表情には、どこか不安の色があった。

 

「どうしました、明日奈さん?」

 

 やはり、須郷に閉じ込められ、散々嫌がらせを受けたであろう場所にいつまでもいたくなかったのだろうか。ともかく、精神的に不安定な状態にある彼女を落ち着かせる必要がある。そう考え、サスケは明日奈に対して口を開いた。

 

「……手、握ってもいいかな?」

 

 サスケの想像通り、明日奈は心細かったのだろう。遠慮がちにそう言ってきた。

 

「……ええ、いいですよ」

 

 SAO時代ならば、泣き言と断じて呆れた表情と共に突き離していたが、ここは既にかつての世界ではない。支えを求める明日奈の手を拒む理由は存在しないのだ。サスケは躊躇うことなく、恥ずかしそうに伸ばした彼女の手へと、自分の手を伸ばした。

 だが――――

 

「!」

 

「きゃぁっ!」

 

 その手が明日奈のもとへ届くことはなかった。突如周囲の世界が暗転し、二人の身体を押し潰さんとする凄まじい重圧が発生したのだ。身動きすることも儘ならない中、サスケは状況確認をするためにユイへと声をかけようとする。

 

「ユイ……!」

 

「パパ……ママ……!」

 

 だが、ユイの方も同様に身動きができない様子だった。それどころか、身体にノイズや紫色の電流のようなものが走っている。サスケと明日奈の二人と比べても危険なことは明らかだった。

 

「気を付けて……よくないモノが…………!」

 

「ユイちゃんっ!?」

 

 何かの警告を発そうとしていたユイだったが、その言葉が終わる前にその姿は消滅し、明日奈が伸ばした手は空を掴んだ。突然の事態にショックを受ける明日奈に、サスケはすかさず手を伸ばそうとする。

 

「明日奈さん!」

 

「イタチ君!」

 

 名前を呼ばれ、サスケの方へと手を伸ばす明日奈だったが、どんどん酷くなる重圧に指を動かすことさえ敵わない。互いに再び伸ばした手は、目の前のそれを掴むことなく地面に縫い付けられるように動けなくなった。

 いきなりの事態に不安を隠せない明日奈。サスケは急な事態に直面したにも関わらず、表情は冷静そのものだった。既にこの現象を引き起こした元凶は分かっている。この世界における絶対的権限によってこの身を拘束されている以上、その本人が現れるのを待つのみなのだ。そして案の定、サスケの予想した人物は高笑いと共に姿を現した。

 

「いやぁ……驚いたよ。小鳥ちゃんの籠の中に、ゴキブリが迷い込んでいるとはね」

 

 サスケが声のした方を振り向くと、そこにいたのは緑色の長衣を纏った端整な顔立ちの男性。容姿は現実世界のそれとは異なるが、声や喋り方からして間違いない。この男こそ、SAO未帰還者を監禁している黒幕、須郷伸之なのだとサスケは悟った。

 

「須郷伸之……」

 

「この世界でその名前はやめてくれるかな?妖精王オベイロン陛下と、そう呼べぇっ!!」

 

「ぐっ!」

 

 語尾の口調が荒くなると共に放たれた蹴りが、サスケの側頭部へ入る。重力による尋常でない圧力を受けていたサスケには避ける術は無く、直撃を受けて地面にうつ伏せで倒れることとなった。

 

「サスケ君!」

 

「どうだい、碌に動けないだろう?次のアップデートで導入予定の重力魔法なんだけど、ちょっと強過ぎるかな?」

 

「やめなさい……卑怯者!」

 

 須郷に頭をぐりぐりと踏み躙られるサスケの姿を見たアスナの罵倒が飛ぶが、須郷はどこ吹く風といった具合に厭味な程に余裕の表情であり、むしろ向けられる侮蔑の視線を楽しんでさえいた。

一方、頭を踏みつけられる不快な感触にサスケは顔を顰めていたものの、思考はいつも通り正常に働いていた。自分がこうして窮地に立たされている間にも、作戦は継続中なのだ。主犯でありシステム管理者の須郷が目の前に居ると言うならば、むしろ好都合。ファルコンがここのシステム全てを掌握するまで、この男を足止めすることができれば、成功する確率は上がる筈。ならばまずは、情報収集から行わねばならない。幸い須郷はサスケと明日奈を縛り付けて上機嫌かつ饒舌である。地面に這いつくばって悔しそうな表情でもしていれば、べらべらと情報を出してくれるだろう。そう考え、サスケは須郷を半ば本気の怒りを込めた双眸で睨みつけた。

 

「それにしても桐ヶ谷君……いや、イタチ君とでも呼んだ方が良いかな?どうやってここまで登って来たんだい?さっき、妙なプログラムが動いていたが」

 

「飛んで来たんですよ……この翅でね」

 

「ハッ!まあいい。君の頭の中に直接聞けば分かることさ」

 

 須郷の言うプログラムとは、恐らくユイのことだろう。本体はサスケのナーヴギアにある以上、彼女の身は安全な筈。そして、サスケと明日奈を前に、余裕と慢心に満ちた態度で話す様子からして、ファルコンのハッキングに気付いていないのは間違いない。サーバーへの干渉に気付かれないよう、一秒、一分でも長くこの場所に止めておく必要ができたとサスケは思った。

 

「三百人に及ぶ元SAOプレイヤー。彼等の献身的な協力によって、思考・記憶操作技術の研究は既に八割方終了している……かつて!誰も為し得なかった人の魂の制御という神の業を!僕はあと少しで我が物にできる!全く仮想世界様様だよ!」

 

 相当調子に乗っているのだろう。自分がSAO未帰還者を監禁していることだけでなく、人体実験を行っていることまで口走っている。これならば、予想以上に長く足止めができそうだと、サスケは思った。

 

「あなたのしたことは許されないわよ……絶対に!」

 

「誰が許さないのかな?残念ながらこの世界に神はいないよ、僕以外にはね!」

 

 己の研究を“神の業”と称するばかりでなく、自分すらも“神”と比喩する須郷に、サスケは内心で呆れかえると共にその精神の危険性を改めて感じていた。危険な思考だけでなく、なまじ頭が良いこの男を野放しにし続ければ、大惨事に発展する可能性も大いにある。前世のうちはイタチとしての忍時代にも、このような手合いを暗部の任務で幾人も屠ったことのあるサスケには、須郷という人間が内包する危険性を、より一層現実味を帯びて感じることができたのだった。

 

「さて!君達の魂を改竄する前に、楽しいパーティーと行こうか!」

 

 尚もハイな状態で続ける須郷が高らかにそう宣言すると共に、指をパチンと鳴らす。すると、深い闇に覆われた天蓋から二本の鎖が降ってくる。先端には手錠のような、鎖と同質の金属製リングが付いている。須郷はサスケと同様に地面に突っ伏して動けないアスナの両手にそれらのリングを嵌めると、鎖を操作して明日奈の身体を爪先が地面につくかどうかの高さに吊るし上げる。

 

「ハイ!」

 

「っ!」

 

 そして、立てない程の重力がかかっていた明日奈の身体に、さらなる重圧をかけたのだろう。彼女の表情が、さらなる苦痛に歪んだ。

 

「いい!いいねぇ!やっぱりNPCの女じゃそんな顔は出来ないよねぇ……」

 

 明日奈の苦悶の表情がさぞ愉快だったのだろう。須郷は醜悪な笑みを浮かべて哄笑した。また、彼女を助けに来たサスケが地面に這い蹲り、手も足も出ない状況にあることが嘲弄を助長しているのだろう。調子に乗った須郷は、身動きできない明日奈の髪の匂いを嗅ぎはじめた。

 

「いい香りだ……現実の明日奈君の香りを再現するのに苦労したんだよ……病室に解析機まで持ちこんだ僕の努力を評価して欲しいね……」

 

「うぅ……」

 

 鎖に吊るされる苦痛と、須郷が自身の匂いを嗅ぐ不快感に、明日奈の顔が歪む。抵抗する術の無い状況だが、心までは屈してはなるものかと、明日奈は自分に近づく須郷の顔を侮蔑と嫌悪に満ちた瞳で睨みつける。須郷に対する憤怒と、サスケが来たことによる希望が、挫けそうになる明日奈の精神を支えていた。

 

「今僕が考えていることを教えてあげようか?ここでたっぷり楽しんだら、君の病室へ行く。大型モニターに、今日の録画を流しながら、君ともう一度じっくりと楽しむ……君の本当の身体でね」

 

 その言葉を聞いた途端、明日奈の顔が恐怖に歪んだ。無理も無い。須郷はこれから仮想世界で心の純潔を奪い、続いて現実世界で肉体の純潔を奪おうとしているのだ。しかも、思い人であるイタチことサスケの前で。システム管理者である須郷の前では、自分もサスケも無力に等しい。故に抗う術は無く、明日奈の表情は絶望の色に染まっていく。このまま放っておけば、心が挫け果ててしまうだろう。

 

「醜いな」

 

 そんな時だった。この世界の絶対的存在たる須郷に向けて、これ以上無い程に冷え切った侮蔑の言葉が投げられたのは、サスケだった。明日奈と同様、絶望的な状況にあっても、サスケは微塵も動揺した素振りを見せない。そして、その姿は彼を最後の希望と信じて疑わなかった明日奈が何より望んだ姿でもあった。

 

「醜い……イタチ君。君は今、誰に向けてそんな言葉を放ったのかな?」

 

「お前以外に誰がいる?意にそぐわない物事が起これば悪辣な手段でそれをねじ曲げ、従わない者が現れれば、甚振り虐げて快楽を見出す…………まるで幼稚だ。子供と大して変わらん。ましてや、自らを“神”と称し、己を律する意志を持たずに権限を振るう……貴様の精神は、醜いとしか形容できん」

 

 サスケの口から出た容赦ない批判に、須郷はこめかみをぴくぴくと震わせる。先程までのハイテンションから一転、サスケの挑発に怒りを覚えていることは明らかだった。そんな須郷に対し、サスケは眉一つ動かさずに立ち上がろうとする。

 

「この程度のシステム権限で、俺をどうにかできると思ったか?」

 

「貴様ぁ……この僕に対して、そんな口を利いて良いと思っているのかぁああっ!!」

 

 重力に逆らって立ち上がったサスケの腹に、須郷の蹴りが炸裂する。衝撃にバランスを崩しかけるサスケだが、どうにか踏み止まる。本来ならば立てない程の重力の中でよろめきながらも二本の足で立って見せるその姿に、須郷は苛立ちを募らせる。

 

「それで終わりか?」

 

「チィッ……図に乗るなこのゴキブリがっ!システムコマンド!オブジェクトID『エクスキャリバー』をジェネレート!」

 

 須郷の手に現れたのは、サスケとリーファ、ランが地下迷宮『ヨツンヘイム』で偶然にも発見したレジェンダリィ・ウエポンの『エクスキャリバー』だった。ALO最強と目されるユージーンが使う『魔剣グラム』と同等以上の力を持つとされる剣を前にしても、サスケの表情は全く揺るがない。システム管理者としての権限とその優位性をいくらひけらかしても、まるで動じないサスケの姿に怒りを覚えた須郷は、さらなるシステムコマンドを唱える。

 

「システムコマンド!ペイン・アブソーバ、レベル8に変更!」

 

 須郷の手元に現れたウインドウ、そこに記されたメーターが、『8』の数字に引き下げられる。『ペイン・アブソーバ』という名前から、サスケはそれが何のメーターなのかは予想がついた。須郷はメーターの変更を確認すると、にやりと笑って剣を振り翳す。

 

「そぉらぁっ!」

 

「……!」

 

「イタチ君!」

 

 須郷が振り上げたエクスキャリバーの一振りによる袈裟斬りが、サスケに炸裂する。血こそ流れないが、血のように赤いライトエフェクトがサスケの胸に現れる。次いで、サスケの仮想の肉体を、本来感じない筈の鈍い痛みが走った。

前世で受けた痛みには及ばないが、桐ヶ谷和人としての現世では初めての、刀剣で傷付けられた痛みに、サスケの表情が僅かに歪む。今まで無表情だったサスケの顔に少しばかり苦悶の色が浮かんだことで、須郷が再び醜悪な笑みを浮かべる。

 

「痛いだろう?だが、まだつまみ二つだよ。これから段階的に強くしてあげるから、楽しみにしたまえ。まあ、レベル3以下にすると、現実の身体にまで……」

 

「この程度か?」

 

「……何?」

 

 仮想世界では本来有り得ない筈の痛覚が走ったのだ。常人ならば、恐怖して然るべきこの状況において、しかしサスケはやはり動じなかった。それどころか、須郷を挑発までして見せている。

 

「この程度かと聞いたんだ。安全装置で温くなった痛みで、俺を屈服させられるとでも思っているのか」

 

「こんの……クソガキがぁっ!ペイン・アブソーバ、レベル6に変更!」

 

 再度ペイン・アブソーバの操作ウインドウを呼び出し、そのメーターをさらに下げる須郷。エクスキャリバーを突きの構えで、怒りのままにサスケの腹部を貫く。

 

「どうだ!少しは思い知ったか、このクズが!」

 

「……何度も言わせるな。安全装置越しの痛み程度で、俺が根を上げることなど有り得ん」

 

「調子に乗るなクソが!これでどうだぁぁああ!!」

 

 常人ならば、苦痛に顔を歪ませて恐怖するばかりか、発狂してもおかしくない筈のこの状況。だがサスケは、まるで痛くも痒くもないと言わんばかりの反応しか見せない。そしてその姿は、須郷の神経を相当逆撫でだろう。先程と同様、エクスキャリバーを振り翳してサスケに斬りかかっていく。それでもなお反応を示さないため、須郷はさらにペイン・アブソーバのメーターを引き下げはめった斬り、めった刺しにする行為を繰り返していく……

 

(まだだ……まだこの程度で倒れるわけにはいかない……!)

 

 ペイン・アブソーバのレベルは既にゼロとなっているのだろう。文字通り、身を切るような痛みが全身に走り、足元がふらつきそうになる。忍としての前世を歩んでいた頃には、万華鏡写輪眼の瞳術発動に際して細胞一つ一つが悲鳴を上げるような痛みを経験したサスケである。本来ならば、どれ程の激痛に見舞われようが、気を失う事は無く、ましてや苦悶の声を上げることすら無い。だが、仮想の肉体であるアバターのダメージ蓄積は現実世界の肉体とは勝手が違う。激しく繰り出される刺突・斬撃に、アバターの肉体がサスケの意志とは無関係にぐらつく。

だが、ここで倒れるわけにはいかない。サスケが須郷の与える苦痛に屈した時、明日奈へと次に矛先が向けられるのは明らかだからだ。明日奈を含め、SAO未帰還者全員を救うと決意した以上、竜崎とコイルが現実世界からALOの全システムを掌握するまでは持ち堪えなければならない。その決意が、この世界の絶対の理たるGM権限を持つ須郷の前でサスケが立ち続けられる理由であり異議なのだった。

 

 

 

――――どうして、そうまでして立ち続けるんだい?

 

 

 

 須郷から幾十とも知れない斬撃を浴びた時、唐突にサスケの耳にそんな言葉が聞こえた。否、その声は耳で聴覚したというよりも、頭に直接響いたかのように感じられた。いきなり、何者とも知れない声に問いかけられたサスケは、しかし冷静に、自身もまた心の声で答えた。

 

(それが、かつて俺がすべきことだった……そして、今すべきことだからだ……!)

 

――――君一人だけ頑張って、彼を倒せるのかい?君の目の前にいるのは、システム管理者なんだよ?

 

(だとしても、今の俺は一人じゃない。信じるべき仲間達がいる……だからこそ戦える……忍として!)

 

――――忍……でもそれは、ゲームの中だけの話だ。並み居るモンスター相手に無双を誇った君でも、ゲームマスターの前では無力に等しい。それでも、諦めないのかい?

 

(忍とは、ただの戦闘巧者ではない……その本質は『忍び耐える者』だ!諦めない……それが、俺が選ぶべき道だった!)

 

 ――――どうあっても、システムには屈しない。その精神が、君を突き動かしているんだね。なら、僕にも見せて欲しい。システムを上回る人間の意志を

 

 

 

……異世界の忍である、うちはイタチの力を!

 

 

 

 

 

 須郷によるサスケへの一方的な制裁が加えられることしばらく。サスケが受けた斬撃は三桁に及ばないまでも、ペイン・アブソーバのレベル0で受け続けることによるダメージは、常人ならばショック死してもおかしくないレベルに達している。エクスキャリバーを振り回してサスケに斬りつけている須郷自身も、大分息が上がっている。

 

「ハァ……ハァ…………これだけ食らえば、流石に意識は保てまい……ようやく、この小憎らしい小僧に引導を渡せる!」

 

「やめなさい!イタチ君、しっかりして!イタチ君!」

 

 肩で息をする須郷の目の前に立つサスケは、完全に沈黙している。意識を失った状態で立っているように見えるサスケに、須郷は止めの一撃を加えるべく剣を振り上げる。明日奈の悲鳴がこだまするが、須郷は目の前の敵を斬殺することに夢中で気付かない。気付いたとしても、愉悦に醜悪な笑みを浮かべてそのまま斬りかかっていたことは間違いないが。

 

「死ねぇぇえええ!」

 

「いやぁぁあああ!」

 

 剣を振り下ろす須郷と、鎖に吊るされた状態でその様子を見せられ、悲鳴を上げる明日奈。二人とも、サスケの身体がエクスキャリバーの刃に両断される光景を想像した。

 

「!?」

 

 だが、その光景が現実のものとなることは無かった。須郷が振り下ろしたエクスキャリバーを握る右手が、サスケによって受け止められたのだ。先程まで人形のように動かなくなっていた筈のサスケが、いきなり動き出し、須郷と明日奈の顔が驚愕に染まる。だが、それだけで終わらない。次の瞬間にはサスケの口から、さらに驚くべき言葉が放たれる。

 

「システムログイン。ID『ノアズ・アーク』。パスワード『Old Time London』」

 

「な、何っ!……何だそのIDは!?」

 

 サスケがIDとパスワードを唱えると共に、その周囲に数えきれない程のシステムウインドウが展開される。全く未知のIDでありながら、最高位の管理者たる自分と同レベルと一目で分かる権限を行使しているのだ。それも、プレイヤーが展開するものではない、管理者が使用するタイプのものである。それを見た須郷の顔に、驚愕に加えて焦りを見せ始める。

 

「くっ……そんな虚仮威し!」

 

 即座に須郷も己の権限を発動してサスケを排除しようと動きだす。だが、サスケはそれより早く、さらなるコマンドを唱えた。

 

「システムコマンド、スーパーバイザ権限変更。ID『オベイロン』をレベル1に」

 

「んなっ……!?」

 

 そして、消滅する須郷のウインドウ。須郷は目の前で起きたことが信じられず、左手の指を振ってウインドウを必死に呼び出そうとするが、指は空を切るだけで何も起こらない。

 

「僕より高位のIDだと!?有り得ない……有り得ない……僕はこの世界の支配者……創造者だぞ!この世界の帝王……神……」

 

「醜いな」

 

 先程まで我が物顔で行使していた権限が消滅したことで焦燥と苛立ちを露にした須郷の怒声が響く。尚も自らを『支配者』、『神』と称して奢り高ぶる須郷を、サスケは一言で切って捨てた。

 

「何度も言わせるな。ゲームマスターとして、この世界を管理する立場を支配者だの神だのと幻視して己に酔い痴れる……妄信も大概にしろ。茅場晶彦の幻影を追い掛けて馬鹿踊をする虚構の王、それが貴様だ」

 

「茅場……そうか、分かったぞ!そのIDは、やっぱりあいつのものか!」

 

 サスケと、その背後にいると予測する人物を幻視しながら歯軋りする須郷。怒りのままに、虚空へ向けてエクスキャリバーを振るう。

 

「なんで……なんで死んでまで僕の邪魔をするんだよ!いつだって何もかも悟ったような顔しやがって!僕の欲しいもの端から攫って!!」

 

「だから、この世界を手に入れようとしたのか?」

 

 血走った須郷を前に、サスケは全く変わらぬ表情で淡々と言葉を紡ぐ。その澄ました顔が、茅場晶彦のそれと重なり、須郷の苛立ちを助長する。

 

「茅場晶彦を超えるために、自らも仮想世界を創造し、我が物顔で王だの神だのと自称して君臨。さらにはそこに住まう人間を利用して、人の道を外れた研究を完成させようとした……茅場晶彦という人物が持っていた物を自分の物にしたことで、あの人を超越したつもりなのだろうが、ただ手に入れただけで、貴様自身は何一つ進歩していない。その本質は、虚飾に塗れた薄汚いコソ泥と変わらん」

 

「このガキ……僕に向かって……!」

 

 侮蔑と嫌悪を露に、須郷を酷評するサスケだったが、心のどこかでは須郷に同情している面もあった。他者の力を自分の物と考え、自身に足りない物を余所から集めて自身に上塗りする。その行為は、うちはイタチに最初の転生を経験させ、忍世界を戦乱に陥れた黒幕の片割れを思い出させた。全てを自分の力で解決できると、自分や周囲の人間に嘘を吐いて失敗を犯した自分とよく似た男――薬師カブトを。

だが、今のサスケは万華鏡写輪眼を持っておらず、禁術『イザナミ』をもって凝り固まった考えを正すことはできない。故に、全くの無駄であることを承知の上で、最後の忠告を口にすることにした。

 

「いい加減に目を覚ませ。仮想世界やそこに生きる住人を奪い、手中に収めたところで、茅場晶彦を超えることはできん。何故ならその行為は、茅場晶彦という存在による自身の上書きに過ぎないからだ。貴様は所詮、亡霊の幻影に縛られていただけだ。だからこうして失敗した。今の自身の姿を見つめ直さなければ、己を見失い……失敗し続けるだけだ」

 

「黙れ!黙れ!黙れぇぇええ!!」

 

 半狂乱状態の須郷の姿を見て、最早これ以上の問答は無意味と悟ったサスケは、醜くも憐れなこの男の魂に引導を渡すことにした。

 

「システムコマンド、ID『オベイロン』ペイン・アブソーバ、レベル0に変更」

 

「なっ……!?」

 

 癇癪を起して地団太を踏む須郷だったが、サスケの宣言に顔を青くする。対するサスケ当人は、冷酷な表情のまま腰に差した剣を引き抜いた。

 

「決着を付ける時だ。前世という名の鍍金に覆われた忍と、亡霊の幻影に踊る虚構の王のな」

 

「くぅっ……」

 

「逃げ場は無いぞ。尤も、茅場晶彦ならば、この程度の修羅場で臆することなど無いだろうがな」

 

「このっ……畜生がぁぁああ!!」

 

 先程までの優位がひっくり返り、逆に追い詰められた須郷が、自棄を起こしてサスケに向けて剣を振り下ろす。だが、如何に振り翳される刃が伝説級武器といえども、滅茶苦茶な太刀筋で繰り出す斬撃などサスケにとって脅威になり得ない。振り下ろされるエクスキャリバーの太刀を軽く弾く中、反撃に転じる。

 

「痛ぁっ!」

 

 ほんの少し頬を掠めただけの切り傷だったが、ペイン・アブソーバのレベル0の境地における痛みに慣れない須郷には相当堪えたのだろう。傷無き傷の痛みに恐怖する須郷に対し、サスケは容赦なく追撃を加える。

 

「ひぃ……ひゃぁぁああ!」

 

 サスケの繰り出す剣戟を前に、須郷の身体が手首、足首、肘、二の腕、膝、脹脛と細切れにされていく。血の代わりに散る赤い光の残滓が宙を舞うと共に、凄まじい痛みによって声にならない須郷の絶叫が辺りにこだまする。足を断たれ、腕を失い、達磨となって地面にのたうつ須郷を前に、しかしサスケは無慈悲だった。

 

「これで終わりだ」

 

「ぐぅう…………ぎゃぁぁああっっ!」

 

 サスケの振り下ろした一撃によって、須郷の身体が頭頂から垂直に一刀両断される。この世界に『妖精王』と称して君臨していたゲームマスターが、断末魔の悲鳴と共にその身体をポリゴン片へと変えて爆散・消滅する。

 SAO未帰還者三百名を閉じ込め、その魂を弄び、自らの栄達に利用しようとした黒幕・須郷伸之が、たった一人のプレイヤーによってシステム権限という絶対の力を撃ち破られ、敗れた瞬間だった。

 


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