ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版-   作:鈴神

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第六十八話 グランド・クエスト

 ALOの舞台、妖精郷・アルヴヘイム。妖精のアバターを駆る数多のプレイヤーが目指す最終目標地点たる世界樹、その麓に栄える央都・アルンにサスケとリーファ、ラン、そしてユイの姿はあった。

 

「昨日の今日で、よく来てくれたな。翌朝までプレイして、碌に睡眠時間も取れなかっただろうに」

 

「気にしないで。たまの夜更かしくらい、どうってこと無いわ」

 

「私の方も大丈夫よ。お父さんは仕事で家を空けているし、学校は休みだしね」

 

 予期せぬアクシデントによって到達の遅延が危惧されていた央都・アルンへの到着だが、紆余曲折を経て竜崎ことコイルが率いるスプリガン攻略部隊との合流には間に合った。見知らぬ土地であるシルフ領のスイルベーンからここまで来ることができたのは、リーファとランの協力によるところが大きい。サスケとしては、今尚協力してくれている二人に頭が上がらない思いだった。これ以上の協力をするとなれば、それはグランド・クエストへの参加に他ならない。流石にこれ以上巻き込むわけにはいかないと考えるサスケは、そろそろパーティーを解散する頃合いかと考えていたのだが、ここまで一緒に修羅場を潜って来た間柄であることもあり中々切り出せずにいた。

 

「そういえばサスケ君。グランド・クエストに挑むために、スプリガンの攻略部隊と合流するって言っていたけれど、その人達はいつごろ到着するの?」

 

「順調にいけば、今日中に合流して物資の補充を終えて、明日攻略という流れだろうな」

 

「ああ~……やっぱり大部隊となれば、動かすのには時間が掛かるものね」

 

「そういうことだ。加えて、スプリガン領主のエラルド・コイルが組織した連合軍も、動かすのは初めてだ。そんな状態での移動となれば、何かと起こるアクシデントへの対応に追われるのは必定だろう」

 

 尤も、並大抵のトラブルでは、スプリガン=レプラコーン連合パーティーが崩れることは無いだろう。何せ、あの“L”が率いているのだ。現実世界で警察やFBIといった捜査機関の指揮を取り、数多の犯罪組織を壊滅させてきた名探偵ならば、烏合の衆であろうと見事に束ねてみせることだろう。夕方までには確実に合流できるとサスケは踏んでいる。

 竜崎率いる部隊との合流が近づいている以上、いい加減にリーファとランの二人とのパーティーを継続するか否かについて明らかにせねばなるまい。二人の性格から考えて、十中八九参加を希望するだろうと思いつつ、半ば以上確認の意味合いを込めてサスケは尋ねることにした、その時――――

 

「二人とも、グランド・クエストについてだが……」

 

「パパ!!」

 

 サスケの胸ポケットに入っていたプライベート・ピクシーのユイが、突然飛び出して言葉を遮った。狼狽した様子で上空を見つめるユイの視線の先にあるのは、アルヴヘイム中央から四方へ広がる世界樹の枝だった。

 

「どうした、ユイ?」

 

「ママ……ママがいます」

 

「!……それは本当か?」

 

 ユイの発した言葉に、僅かに目を見開くサスケ。ユイが言う『ママ』とは、SAO事件時にイタチと並んで最前線で戦った指揮官こと『閃光のアスナ』であり、解決後も未だ帰らぬ三百人のプレイヤーの一人でもある、『結城明日奈』のことを指している。その彼女が、目の前に聳え立つ世界樹の頂上にいるということは、即ち未帰還者達を幽閉している牢獄も同じ場所にあることを意味している。

一方、ユイの発言の意味を理解できなかったリーファとランは、疑問符を浮かべて互いに顔を合わせて首を傾げていた。ただ、二日程度行動を共にしたことで気付いたのだが、常日頃から表情に乏しいサスケが珍しく驚いていることだけは分かった。

 

「…………」

 

「……サスケ君?」

 

 ユイの一言によって一瞬硬直したサスケだが、それが解けるとユイ同様に空を見上げる。険しい表情で世界中の枝を睨みつけるサスケに対し、リーファが名前を呼び掛けるものの、本人からは全く反応が返って来ない。視線の先に見据えている何かに集中する余り、周りが見えていないのだろうか。或いは、何か考えに耽っているようにも見える。いずれにしても、注意が散漫になった、常の彼らしからぬ状態だった。

 

「……やはり、間違いないようだな。ユイ、上空には進入禁止の障壁が張り巡らされている筈だ。内部への突入口は……世界樹のグランド・クエストか」

 

「はい!世界樹の根元のドームから上へ繋がる入口があります」

 

 ユイの言葉に得心し、同時に安堵するサスケ。世界樹のグランド・クエストが、頂上に囚われているであろうSAO未帰還者を安全に解放するための唯一の突破口であるという、和人と竜崎の予想は間違っていなかったのだ。

和人と竜崎の予想では、ALO制作スタッフ全員が須郷の違法研究に関与しているわけではないとされる。ゲーム自体が人体実験に供するための仕様でない以上、グランド・クエストを通じて世界樹の頂上に到達できるという仕組みだけはどうしても変更できない。恐らく、SAO帰還者を監禁するにあたり、レクト・プログレスの人事に働きかけてALO運営スタッフを須郷の息のかかった人間を中心に構成すると同時に、空中都市を実験施設へと密かに改築、頂上へ通じる入口はシステム的にロックしたと考えられる。一般プレイヤーの身では正攻法で突破することができない設定になっているのだろうが、通用口としての機能が残っているのならば話は別である。竜崎が当初計画した通り、ファルコン謹製のハッキングプログラムで入り口をこじ開け、セキュリティホールから実験施設を掌握すれば、正攻法によるハッキングによる未帰還者達へのリスクを最小限に止めて安全に解放できる筈である。

だが、最終目標を達成するためには、肝心要のグランド・クエストを攻略する必要がある。竜崎ことコイルが率いる攻略部隊とは未だ合流できていないが、今の内に難易度を測っておくに越したことは無いだろう。そう考えたサスケは、世界中の根元を速足で目指す。

 

「ちょっ!サスケ君!?」

 

「いきなりどうしたのよ?」

 

 肩に乗るユイと一言二言交わした途端、世界樹の根元を目指して脇目も振らずに歩き出したサスケに、リーファとランは狼狽する。歩く速度を速めると言うサスケの行動は、傍から見れば然程おかしなものには見えないが、彼が冷静沈着な性格であることを知るリーファとランにとっては顕著な変化だった。目的地まで一気に飛行しようとしないあたり、まだ落ち着いている方なのだろうが、ユイの口にした言葉がサスケを駆り立てたことは間違いない。

 一体、彼の内心に何が起こったのかと首を傾げる二人だったが、そうこうしている内に遂に三人と一人は世界樹の根元にある巨大な扉の前へと差し掛かった。ALOのグランド・クエストへの参加を受諾し、空中都市への道へ挑むためのゲートである。

 

『未だ天の高みを知らぬ者よ。王の域へと到らんと欲するか』

 

 聳え立つ巨大なゲートへ近づくと、両サイドに並び立つ石造から、重々しい声が響いてきた。それと同時に、サスケの目の前にグランド・クエストへの挑戦の是非を問うウインドウが開く。サスケはそれを見るや、迷うことなく『YES』のボタンも指を伸ばす。

 

「サスケ君っ!?」

 

『さればそなたが背の双翼の、天翔に足ることを示すがよい』

 

 グランド・クエスト参加の意思を示したサスケの行動に、リーファが静止を掛けようとしたが、サスケは聞く耳を持たず『YES』をクリックした。そして、地響きと共に開いた扉の奥へと足を踏み入れて行く。

 

「ユイ、頭を引っ込めておけ。相当揺れるぞ」

 

「はい、パパ」

 

 サスケの言いつけに従い、胸ポケットに入って縮こまるユイ。それを確認したサスケは再度グランド・クエストへと続く扉を目指す。

 

「ちょっと!いきなりグランド・クエストに挑むなんて……無茶だよサスケ君!」

 

 だが、常のサスケらしからぬ暴挙を前に、見ていられなくなったリーファが腕を掴んでその歩みを止めにかかる。そのすぐ後ろに立っていたランも同様の表情を浮かべている。

 

「本気で攻略しようと思っているわけじゃない。グランド・クエストがどの程度のものかを調べるための様子見だ」

 

「で、でも……」

 

「今回はただの様子見だ。二人とも、無理に付き合う必要は無い。ここで待っていてくれ」

 

 既にアルンでセーブをしている以上、譬えグランド・クエストでHPを全損したとしても、またシルフのホームタウンから振り出しになることは無い。しかし、ALOの仕様上、一度死ねば一定のデスペナルティが生じることは避けられない。故に、負け戦と分かっているクエストに挑むのは極力控えるべきなのだ。だが、グランド・クエストへ臨もうとするサスケは一歩も退く気配が無い。

 

「問題無い。ある程度の様子見が終われば、すぐに戻ってくる。HP全損に陥るまで続けるつもりは無い」

 

「でも……」

 

 言いよどむリーファに、しかしサスケはそれ以上対話をしようとはしなかった。リーファの腕を払うと、止めていた歩みを再開し、世界樹の中へと通じる大扉をくぐる。

 

「あれがゴールというわけか」

 

 とてつもなく広大なドーム状の空間の天蓋に見えるゲートらしきものを見据えるサスケ。樹の根や蔦が床から天井へ向けて幾重にも絡まって構成されたその頂上部に、四枚の石盤にぴったり閉ざされたゲートらしきものが存在している。天蓋の部分からはその密度が疎らになり、地上へ向けて光が注いでいる。これならば、飛行に無理は無さそうだ

 

「行くか……!」

 

目標地点を確認するや、サスケは意を決して剣を引き抜くと共に翅を広げる。腰を落として垂直に跳躍する姿勢をとり、次の瞬間には二十メートル近くの高さを一気に飛び立つ。だが、目標のゲートまでの距離は一割も稼げていない。スピードを落とさずに垂直に飛び続けるサスケだったが、グランド・クエストもそう簡単にクリアできる仕様にはできていない。世界樹の頂上を目指すサスケの姿を認識したシステムが、その行方を遮るべく無数のガーディアンをポップさせる。白銀の鎧に身を包んだ巨躯の騎士達が、右手に剣を携えてサスケへと殺到する。

 

(数が多いな。成程……適正を逸しているという意見は尤もだ)

 

 アインクラッド攻略における戦闘でも、無数のモンスターの群れを相手にすることは多々あったが、ALOのグランド・クエストはその比ではない。目標地点への到達がクリア条件であり、向かってくる敵を全滅させる必要は無いとはいえ、その数も質も桁違いである。仮にかつてSAO事件時に攻略パーティーを結成したメンバーを集めて戦いに臨んだとしても、突破できるとは思えない程の物量だった。

 

(止まるわけにはいかんな……向かってくる敵は全て無視する……!)

 

襲い来るガーディアンを迎撃するために一度でも空中で止まれば、より多くのガーディアンを相手する必要がある。既に最上層部でもガーディアンが並外れた勢いでポップを始めているのだ。一秒、一瞬でも進行を止めれば、突破できない程に密集されてしまう。故に、天蓋に達するためには敵との戦闘を徹底的に回避し、迫る刃を流しながら飛ぶしかない。非常に高い敏捷性と忍時代から受け継いでいる優れた動体視力を有するサスケだからこそできる攻略法だった。

そうして、向かってくる刃を徹底的に捌いて飛び続けることしばらく、サスケは攻略開始から一分足らずで目標地点までの距離の五割を飛行することに成功した。だが、サスケの思惑もそうそう上手くはいかない。

 

「!」

 

 突如感じた下層部分から迫る攻撃の気配に対し、サスケは身を逸らすことで回避を試みる。次の瞬間には、サスケが移動した軌跡を辿って無数の矢が通過していた。下方に展開しているガーディアン部隊を見やれば、そこにはガーディアン達が弓矢を構えていた。

 

(予想はしていたが、ガーディアンの武装には遠隔武器もあったか……)

 

 ガーディアンの武装が大剣一本だけならば、グランド・クエストが難攻不落の関門となる事は有り得ない。圧倒的な物量も然ることながら、遠近両方の攻撃手段を持っているからこそ、幾多のプレイヤーが世界樹頂上へ到達することはできなかったのだ。ガーディアンが振るう大剣のパラメーターも相当なものだが、矢の威力・速度・命中率も上級プレイヤーに迫るものがある。

対するサスケは、上昇しつつも前後左右に進路をずらしてガーディアンのAIを翻弄する。一人のプレイヤーに狙いを定め、時間差で放っている点からしても、矢による攻撃は相当な脅威だが、SAOは勿論ALOにおいてもトップクラスのスピードで飛行するサスケには当たらない。だが、蛇行しながらの飛行は上昇に際して著しい減速を齎す。

 

(ここまで……か)

 

 上昇速度が僅かに落ちたその間に、上空に展開しているガーディアンの部隊は隙間なく密集してしまっていた。サスケが狙っていた突破口も、既にガーディアンで埋め尽くされている。突破するには正面から突っ込んでなぎ倒していくしか無いが、流石のサスケも全方位からの攻撃を完全に防ぐことなどできはしない。前方に展開するガーディアンに斬り込んでいる間に下から矢で針鼠のようにされてしまうだろう。

ここに至るまで無傷で、まだ余力はあるが、戦力調査という目的は既に達成している。引き際としては妥当なところだろうと判断したサスケは、百八十度方向転換してグランド・クエストの出口を目指して飛行する。途中、ガーディアンによる剣や矢による襲撃に見舞われたが、行きと同様に全てを往なして無傷のまま出口へと到達することに成功するのだった。

 

「サスケ君!」

 

 グランド・クエストの入り口からの脱出に成功したサスケを待っていたのは、悲痛な顔をしたリーファとラン。難易度を調べる目的で挑んだだけだったが、相当心配をかけたのだろう。体力がほとんど減っていないサスケを見た二人は心底安堵した様子だった。

 

「グランド・クエストがどのようなものかはよく分かった。確かに適正なバランスのもとに設定された難易度とは思えないレベルだ」

 

「もう……いきなりこんな無茶やらかして!」

 

「……すまない」

 

 サスケが犯した突然の無茶に対して尚も咎めるリーファに、サスケは若干申し訳ない気持ちになった。グランド・クエストの様子見については、明日奈の所在が判明するか否かに関係無く行う予定だったが、やはりいきなり過ぎたと感じたからだ。

 モンスター相手の殺し合いが常のSAO内部で過ごした二年間において、忍としての前世に立ち帰ったつもりでいたが、感情を殺し切れていない自分がいる。SAO解放の瞬間に告白されたという、ある意味特別な関係にある明日奈だが、サスケ自身は彼女に対して特別な感情を抱いているつもりは無い――尤も、彼女の気持ちに対しては、答えを出さねばならないということは自覚しているが。今回サスケがリーファ達から見て先走りに近い形でグランド・クエストに挑戦したのは、SAO未帰還者達を解放せねばならないと言う責任感、あるいは焦燥感に駆られたことが原因なのだ。

 

(いかん……このままでは……)

 

 須郷伸之が進めている企みは、SAO事件の延長線上で起こっている。それ即ち、サスケこと和人が遠因となっていることに等しく、SAO未帰還者達の現在の境遇もサスケ自身の咎とも言えるのだ。己の罪を清算するために仮想世界に立つ時だけは、前世の自分に立ち帰る。それがサスケの決意だった。故に、些細な事で冷静さを欠くことなどあってはならない。前世のうちはイタチらしからぬ行動なのだ。無論、サスケとて何もかも失敗した前世の在り様をそのまま継承するつもりは無い。変えるべき点は変え、変えざるべき点はそのままでいようと考えている。

 幸い、明日奈の所在を知ってグランド・クエストに駆け込んだ自分は、退き際を弁えて行動するだけの分別はあったのだ。激情に駆られて闇雲に突っ込み、HPを全損させる無茶をやらかさなかっただけマシだろう。これ以上己としての道を踏み外さないよう気をつけねばと気持ちを新たに、サスケは現状の再確認に思考を向けた。

 

「グランド・クエストを見てきたわけだが、ソロではおろか、並大抵のレイドでは突破できそうにない」

 

「当たり前だよ!あのユージーン将軍率いるサラマンダーのレイドだって全滅したんだよ!?シルフとケットシーが同盟を組んでも突破できるか分からないのに……」

 

「ああ。話には聞いていたが、本格的な攻略に臨む前に一度はどんなものか知っておく必要があった。ある程度の想像はしていたが、予想以上だったな」

 

「そう……それで、後からやってくるスプリガン=レプラコーン同盟のレイドとなら、攻略できると思う?」

 

 サスケの無茶を糾弾するリーファに続き、ランが攻略の可否を問う。サスケの表情に難色はあったが、攻略を諦めたという様子は無い。即ちそれは、攻略の望みはまだあることを意味している。ランに問われたサスケは、首肯しながら口を開いた。

 

「クエスト開始間も無いタイミングならば、ガーディアンの群れの密集度が疎らな箇所がいくらかある。集中攻撃を掛けつつ、周囲の遠距離攻撃部隊を退けることができれば、突破は不可能ではない」

 

「そう。ならやっぱり、味方は多い方が良さそうね」

 

 腰に手を当てながら得意気な顔になるラン。後ろに控えるリーファはジト目でサスケを睨むが、言いたいことは同じらしい。二人の反応に苦笑しながら、サスケは改めて依頼をすることにした。

 

「そうだな。グランド・クエストをクリアするには、お前達のような強力なプレイヤーの支援は不可欠だ。改めて、共に攻略してもらえるか?」

 

「言われなくてもそのつもりよ。リーファちゃんもだよね?」

 

「フン!……まあ、サスケ君がどうしてもって言うなら仕方ないけどね」

 

 ランは快諾してくれたが、リーファはサスケの無茶に未だに腹を立てていた様子だった。尤も、攻略に協力する意思があることは間違い無さそうだが。

 

「本格的な攻略は、スプリガンとレプラコーンのレイドが到着してからだな。それまでは、何も動きは取れない。待機するが、二人ともそれで良いな?」

 

「うん、大丈夫だよ」

 

「…………」

 

 レイド本隊との合流までは待機する他無いと結論付けたサスケに対し、ランは頷き、リーファは未だに唇を尖らせていた。どうやらリーファは、相当ご機嫌斜めなようである。これから行うグランド・クエスト攻略に向けて、関係をこのままにしておくわけにもいかないので、謝罪を兼ねてアルンの高級レストランあたりで美味しい料理を御馳走した方が良いかとサスケは考えた。そして、いざ二人を食事に誘おうとした時、サスケの胸ポケットから小さな妖精――ユイが飛び出した。

 

「?……どうしたんだ、ユイ」

 

「……パパ、ママのところに連れて行ってもらえませんか?」

 

 空中で静止しながら上空に広がる世界樹の枝葉を見つめることしらばらく、ユイはそう言った。グランド・クエストは容易に突破できる難易度では無いと結論付けた傍から、何を言い出すんだと若干呆れるサスケ。『無理だ』と言おうとしたサスケだったが、彼女の悲痛な表情を見て、冷たく言い放つのは止めた。

 

「……悪いが、今すぐには会わせてやることはできない。もうすぐレイド本隊が到着するから、それまで待っていて……」

 

「いえ、そうじゃないんです」

 

「?」

 

 グランド・クエストをクリアして明日奈のもとへ連れて行って欲しいというわけではないらしい。では、どうやって世界樹の頂上付近にいる明日奈のもとへ連れて行って欲しいというのだろうか?少しばかり考えた末、サスケは一つの結論に至った。

 

「……障壁が張られている限界飛行高度まで飛んで欲しいということか?」

 

「はい。私なら、ママのところまでギリギリまで近付けば、警告モードで音声を届けることが出来る筈です。お願いできませんか?」

 

「…………良いだろう」

 

 上目遣いで訴えかけるユイの要請を、サスケは承諾することにした。傍から見れば、サスケが情に絆され籠絡されたように見えるが、決して情に流されての判断ではない。現在世界樹の上に囚われている明日奈は、他の未帰還者とは異なり、アバターを与えられた状態で二カ月以上もの間監禁されているのだ。恐らく、婚約するに当って須郷から陰湿な嫌がらせを受けていると考えられる。SAO内部で攻略最前線に立って活動していた彼女ならば、須郷相手に屈するとは思えないが、少なからず精神的に追い詰められている可能性もある。そこへ自分達が救援に来ていることを伝えることができれば、彼女に安心感をもたせることができる筈。

加えて、昼間に竜崎から得た情報によれば、須郷は出張で明後日までは本社のVR部門へ出入りすることは無いらしい。そのため、見張りが居ない今ならば、明日奈へ声を伝えたとしても、こちらの動きがバレる心配は無い。そこまで考えたところで、サスケはユイの要請に従って飛び立つことにした。

 

「リーファ、ラン。悪いが少しばかり用ができた。先に宿へ戻っていてくれ」

 

「サスケ君?」

 

 サスケの行動を訝るリーファだったが、当のサスケは既に飛び立っていた。

 

「ユイ、方向はこっちで合っているか?」

 

「はい、このまま真っ直ぐ上昇してください」

 

 ユイに指示されるままに飛びことしばらく。サスケは周囲に浮かぶ浮遊オブジェクトの位置から大凡の限界飛行高度を目測で判断し、障壁に激突しないよう注意しながら上昇していった。プレイヤーが世界樹の頂上へ迫ることを防ぐための障壁だが、どこまでの高さに設定されているかはサスケにも分からない。五人掛かりで飛行高度を稼いで上昇されたことをきっかけに作られた障壁だが、一体何人分の飛行高度が許容されているのか……

 

「むっ!」

 

「パパ?」

 

 減速して上昇することしばらく、上方へ手を伸ばしながら飛行していたサスケの手の平が、見えない何かに衝突した。どうやらここが、世界樹上空に設定された限界飛行高度らしい。

 

「ここまでだな……ユイ、明日奈さんに呼び掛けてくれ」

 

「分かりました」

 

 それからしばらく、ユイは障壁に遮られた虚空へ向けて、「ママ、ママ」と必死に叫び続けた。傍から見れば、親と離れ離れになった子供が泣きながら母親を呼び求めているようにしか見えない。その姿は非常に悲痛で、常はほとんど感情を露にしないサスケですら、放置することに躊躇いを覚える程だった。だが、彼女が名前を呼ぶ明日奈はシステムというこの世界の絶対的な障壁によって遮られた向こう側にいる。今のサスケには、ユイを明日奈のもとへ送り届けることはできないのだ。

 

「サスケ君!」

 

 ユイが明日奈へ声を届けている間に、リーファとランがサスケのもとへ合流してきた。言うまでも無く、急に飛び立ったサスケを心配してのことだろう。サスケの近くへ来た二人は、揃ってその傍で障壁を叩きながら頻りに叫ぶユイに目をやる。

 

「サスケ君、ユイちゃんは……」

 

「…………今は、何も聞かないでくれないか?」

 

 母親の名前を頻りに叫ぶ少女の姿を見て、事情が全く分からないリーファとランは、サスケに事情を尋ねる。だが、サスケは首を横に振って何も語ろうとはしない。ALOがSAO未帰還者を監禁している牢獄として利用されており、ユイがママと呼ぶ女性がこの上に囚われている……などと馬鹿正直に説明したところで、信じてもらえるかも怪しいものである。それに、如何に傍から聞けば絵空事のような話で信憑性が低いと言えど、重要機密に等しい情報である以上は無暗やたらに話すわけにはいかない。

話せない事情を察してくれと視線で頼み込むサスケに、リーファとランはそれ以上の追求をしなかった。事情が事情と言えども、本気で心配してくれる二人に真実を話せないことに罪悪感を抱くサスケ。二人をこれ以上空中で待たせるわけにはいかないと判断したサスケは、世界樹の枝の向こうにいるであろう明日奈に語りかけるユイにそろそろ止めるよう言うことにした。

 

「ユイ、そろそろ引き上げるぞ」

 

「パパ…………分かりました」

 

 サスケの静止に対し、ユイは一瞬その場を離れることを渋った。だが、サスケのみならずリーファとランにまで迷惑を掛けているのだから、これ以上我儘を言うわけにはいかないと考え、素直に言う事を聞くことにした。

 

「心配かけてごめんなさい。リーファさん、ランさん」

 

「ううん、全然」

 

「気にしてないから、大丈夫だよ」

 

 申し訳なさそうに謝るユイに、しかしリーファとランは笑顔で返す。二人ともユイの我儘については全く怒ってはいなかったし、むしろこうして素直に謝る姿を微笑ましく思っていた。母親を頻りに呼ぶ姿に悲痛なものを感じたことも理由として挙げられるが。

 

「それじゃあ、一度街へ戻るか。グランド・クエストに勝手に挑んだお詫びに……」

 

「あれ?……サスケ君、見て!」

 

「?」

 

 ランが指差す先を、サスケも同調して見上げる。仮想の太陽の光で分かり辛いが、確かに枝葉の間に紛れて何かが落ちている。太陽の煌めきを反射しながら落下しているそれは、形状からしてカードのようだ。一体、どうしてそんなものがシステム的に侵入不可能な場所から落ちてきているのか。

 

「何かしら?」

 

「もしかして、世界樹関連のクエストフラグ?」

 

 世界樹の真実を知らないリーファとランは、何かのクエストが始まったのではないかと思っている。だが、サスケだけは目の前に落ちてくる物体を険しい目つきで見つめていた。

 現実世界ならば風に吹かれて真っ逆さまに落ちるなど有り得ないが、ここは仮想世界。不規則に飛ばされること無く、仮想の重力に従って真下へ落ちていく。そして数秒後、障壁の向こう側を舞っていたカードは、サスケの手の中に収まった。

 

「……」

 

 手の中にある銀色のカードを見つめるサスケ。妖精の国が舞台であるファンタジー世界には大凡有り得ない、機械的なデザインのカードだった。

 

「リーファ、ラン。これが何か分かるか?」

 

「ううん……見たこと無いアイテムだわ」

 

 空から降ってきた銀色のカードについて、リーファとランに見覚えがあるかと尋ねるサスケ。だが、リーファは否定し、ランも首を横に振るのみだった。ALOのプレイヤーが知らないアイテム。それが世界樹から――明日奈が囚われている場所から降って来たというのだ。ならば、答えは自ずと限られてくる。

 

「ユイ」

 

「……どうやらこれは、システム管理用のアクセス・コードのようです」

 

 ユイの口から出た答えはサスケの予想していた通りのものだった。だが、そんなものが実際に降って来たとなれば、流石のサスケといえども、予想できていたか否かに関わらず、驚きを隠せない。何故なら、システム管理者が有するカードなど、自然に降ってくるものではないからだ。

そして、これが降ってきたであろう場所には、明日奈がいるという。となれば、これを落としたのは必然的に彼女ということになる。

 

(こんなものを監禁されている明日奈さんが入手できる筈が無い……まさか…………)

 

 システム権限を行使できるようなアイテムを監禁対象に渡すことなどは有り得ない。いくら詰めの甘そうな須郷やその部下といえども、そんな間抜けなことはしないだろう。そこまで考えれば、明日奈がこれを手に入れられた経緯は大凡察しがつく。

恐らく、明日奈自信も自ら動いて、何らかの方法で脱出を試みたのだ。その末に、管理者用のアクセス・コードを入手したが、間も無く見つかり、再び鳥籠へ閉じ込められた。脱出を試みようとしても、このカードが監禁場所から脱出できる類の権限を有していなかったか、明日奈自身が権限を行使できず、脱出は叶わなかったのだろう。そして、ユイの声を聞いて一縷の望みを託してこのカードを落とした、というのがサスケの推測だった。

 

(明日奈さん……!)

 

明日奈の監禁場所から降って来たという僅かな情報から導き出した推理だったが、サスケの考えはほぼ正鵠を射ていた。サスケ自身も、それを直感していた。そして、同時に考える。このカードを管理者側から奪うために、鳥籠を抜け出して違法研究を行っているエリアへ入り込んだ明日奈を、果たして須郷が許すだろうか?

 

(一刻の猶予も無い、か……)

 

 須郷は明後日まで出張で本社にはいない。だが、あの陰険な性格である。明日奈の脱走を知ったとなれば、必ず戻ってくる筈。他の未帰還者とは別に扱い、鳥籠に閉じ込めるという真似をしているあたり、現実世界で婚約者となる相手として精神的に嬲って楽しんでいるのだろう。だが、明日奈がこんな勝手な行動に出たとなれば、今までとは対応を変えるだろう。何らかの苦痛を与える等して、本格的に明日奈を追い詰めに掛かる可能性が高い。

 事態が予想以上に深刻化していることを実感させられて、しかしサスケは目的地を目の前に立ち往生するしかできない。その表情は焦燥の色が濃く、手に持つカードを握る力は自然と強まっていた……

 


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