ソードアート・オンライン 仮想世界に降り立つ暁の忍 -改稿版- 作:鈴神
和人がアーガス社のソードアート・オンライン制作スタッフとなってから二カ月が経った。当初はもう一カ月以上かかるとされていたソードスキルのデータ蒐集は、既に目標量の7割以上が埋まった。作業がここまで短縮できた成果には、和人の貢献が大きい。本来ならば、方々に手を尽くさねば集まらない武術データが、たった一人の人間によってものの一カ月で揃えられたのだ。おかげで、空いた時間をモンスターやNPCのAI、フィールドオブジェクトの調整など他の作業に回すことができた結果、ソードアート・オンラインは飛躍的に完成に近づいた。
なにはともあれ、こうしてソードアート・オンラインというゲームが完成第一段階に至った事により、クローズドベータテストの実施が宣言されることとなった。ベータテストが始まったのは、ちょうど一週間前。その中には勿論、和人も入っている。
2022年7月10日
世界初のVRMMO、ソードアート・オンラインの舞台は、全百層からなる石と鉄でできた城、アインクラッドである。この世界のプレイヤーたちが目指す目標は、城の頂上を踏破することにある。そのためには、各階層を守護する強大なモンスターを倒していかねばならない。ベータテスト開始から一週間が経過している現在、プレイヤーたちは未だに最下層のはじまりの街に留まっている。
日曜日の今日、ソードアート・オンラインのサーバーは、テスター達でごった返していた。そんな街中を歩く、一人の少年がいた。上から下まで黒一色で、鎧のような金属製の防具は一切身に付けていない軽装である。
(今のところ、攻略は順調…ソードスキルの習熟も個々の差こそあれ、ほぼ問題はないか…)
西洋風の街並みを歩く黒衣の少年は、辺りの様子を見回しながら一人考える。切れ長の黒目に、女性とも男性ともとれる端正な横顔。額のあたりまで伸びている髪の下、氷のような冷たさを感じさせる表情は、どこか不思議な魅力に溢れていた。
これが、桐ヶ谷和人がソードアート・オンラインにダイブするために拵えたアバターである。プレイやネームは、「Itachi」――「イタチ」。
(前世と同じ姿に同じ名前…俺も未練が断ち切れていないのか…いや、仮想世界だからこそこの姿が相応しいのかもしれんな。)
自嘲気味にそんなことを想うイタチ。アバターを自作する技術があると知った時、どのような顔にするか考えた結果、自分の前世であるうちはイタチ14歳の姿をとることにした。だが、イタチ自身この年齢の姿には良い思い出など無い。うちは一族を殺戮せしめたのも、ちょうど同じ頃だったからだ。
(…だからといって、逃げる選択肢も放りだす選択肢も、俺には無い。)
自分が忍としてやらねばならないと思ってやってきたこと。他者から憎まれることを悲嘆するつもりなど毛頭ない。譬え自分のした事が原因で、自分の愛した者が不幸に陥る結末を迎えたとしても、それを後悔するつもりもない。自分にできることはただそれらを背負って生きていくことだけなのだから。尤も、それが自分のためなのか、誰のためなのかも未だ答えは出せていないが。
(…考えていても仕方のないことだな。今は、受けた依頼を遂行するのみだ。)
頭を切り替え、和人――イタチは、仕事を再開する。ベータテストに参加している彼が請け負っている主な仕事は、プレイヤー達を観察し、ソードアート・オンラインにて実装されているソードスキルの使用具合を確かめること。時にソードスキルの勝手が分からないプレイヤーに手解きし、技術を教示することもある。これによって、現状の難易度を確認し、正式版の調整を行うのだという。
(今日は迷宮区へ行ってみるか。)
ベータテスターは主に10代から20代の学生や社会人で構成されているため、土日や祝日は時間が多く取れる。次の層へ進出するための迷宮区攻略は、こういった日に盛んに行われる。そして、迷宮区には一般のフィールドに比べて強力なモンスターが犇いているため、ここ一週間でシステムに順応したトップクラスのプレイヤー達の実力を見ることができる。そう考えたイタチは、迷宮区が聳え立つ方へ向かって走り出すのだった。
第一層の天蓋を突き抜ける様にそそり立つ、直径三百メートルの迷宮区タワーの中は、昔からのRPGによくある石壁・石畳でできた遺跡を彷彿させる地形だった。そしてその中には、当然のようにモンスターが生息している。
「来たか。」
青白い光と共に、亜人型モンスター、「ルインコボルド・トルーパー」が目の前にポップする。イタチは背中に吊るした片手用直剣を抜取り、臨戦態勢を取る。
「ォォオオッ!!」
「…はっ!」
イタチは、コボルド兵が振り回す無骨な手斧を難なく回避し、脇腹に青い光を纏った水平の斬撃――ソードスキル、「ホリゾンタル」を見舞う。急所を狙ったおかげか、コボルドのHPはぐっと減少するが、致命傷には至らなかったらしい。
「オオオォォオオ!!」
怒りの雄叫びと共に、コボルド兵がお返しとばかりに赤いライトエフェクトを伴う垂直斬りを繰り出す。斧系武器ソードスキル、「チョッパー」である。斧系武器は総じて攻撃力が高く、ソードスキルも当りどころが悪ければ一撃でHP全損に持ち込まれるものも少なくない。それが真っ直ぐ、イタチ目掛けて振り下ろされる。
「ふん…」
だが、イタチはどこ吹く風と、ひょいと横に跳んでそれを回避する。斧はそのままイタチの真横の石畳に亀裂を入れただけだった。攻撃力の高い斧系ソードスキルだが、その軌道は単調なため、回避されやすい上に発動後の硬直も他の武器に比べてやや長い。イタチはその隙を見逃さず、今度は三連撃ソードスキル、「シャープネイル」を繰り出す。三発全て、急所を狙った攻撃に、今度こそコボルド兵はHPを全損してポリゴン片を撒き散らして消滅する。
(モンスターのAIも完成度は悪くない。初心者ならば苦戦は必至だが、迷宮区としては丁度良いだろう。)
モンスターの戦闘能力に評価を下しつつ、イタチは歩を進める。可能ならば、攻略中のプレイヤーの戦闘に居あわせ、その実力を確かめられるようにと思いながら。
和人が自宅の自室にて、ソードアート・オンラインから一時ログアウトしたのは、午後五時頃だった。今朝から昼食を挟んでプレイしていたが、迷宮区タワーで他のプレイヤーと合流した結果、ボス部屋の前に辿り着くことに成功した。そのままボスに挑戦しようかとその場で知り合った仲間が言っていたが、時間は夕方に差し掛かっていたため、夕食にするために一度街に戻ってログアウトしてからにしようという運びになった。
「……戻ったか。」
ベッドからナーヴギアを外して起きあがった和人は、背伸びをしながら部屋を出て行く。そろそろ夕飯の支度をする時間である。長時間横になっていたせいで固くなった体をほぐしながら、直葉の部屋へと向かい、扉をノックして声を掛ける。
「直葉、そろそろ夕食の支度をするぞ。」
「は~い。先に行って待ってて。」
返事を確認すると、和人は一人で一階へと降りて台所へと向かう。台所へ入った和人は、冷蔵庫を開いて夕飯を作るための材料を取り出し始める。やがて直葉も二階から降りくると、料理が始まった。
和人と直葉が協力しての調理がそろそろ終わる頃になって、翠が帰ってきた。話題のゲームであるソードアート・オンラインがクローズドベータテストを行っていることから、ここ数日の忙しさは〆切間際同然となっている。休日である日曜日も、仕事場へ出向いて編集作業を行わなければならない。若干疲れた顔をしながらも、和人と直葉に「ただいま」と言って自室向かい、着替えを終えて食卓へやってくる。峰嵩を除く三人が集まったところで、夕食は始まる。
「お母さん、疲れてるね。」
「そうなのよ~、ソードアート・オンラインのベータテストが始まったから、それに関する記事の編集に追われて、もう大変よ。」
直葉の言葉に愚痴る翠。和人と直葉は無言で「ふーん」と頷いているが、そんな和人に対して翠は唇を尖らせる。
「何よ~、その「自分は関係無いですよ」、って顔は。あんたが遊んでいるゲームのおかげで、私はこうやって夕飯時に家に帰ってくることもそうそうできないのよ。」
「…別に、ただ遊んでいるわけじゃない。茅場さんの依頼で、ゲームシステムが正常に稼働しているかの確認を…」
「はいはい、分かった分かった。ま、あんたのことだから、しっかり仕事しているんだろうけど、ほどほどにしておくのよ。」
「分かっている」
「それにしても、お兄ちゃんっていつゲームやってるの?剣道の稽古も、学校の勉強もしっかりやってて、そんな暇があるようには思えないんだけど?」
「時間なんて、やり方次第でいくらでも都合できる。要は、メリハリが大事なんだ。」
「ふ~ん、そうなんだ。私には無理かなー」
常日頃、無駄のない生活を送っていることが印象として強い和人の言葉である。直葉は疑うことなく納得し、自分にはとても真似できないと苦笑する。
「直葉も和人を見習いなさい。まあ、和人は和人で真面目すぎると思うけどね。ほんと、足して二で割りたいわよ。」
あはは、と明るい笑いに満ちた夕食もやがて終わると、和人と直葉は食器を片づけて皿洗いを行う。翠は、明日も仕事で早いので、先に風呂に入ってから寝るとのことだ。和人と直葉は各々の部屋へ戻り、風呂までは休むこととなる。和人は机に向かって学校の課題を片付けつつも、これから向かうソードアート・オンラインの世界について考えを浮かべる。
(あの調子なら、第一層突破も三日中くらいにできそうだな。あとは、ソードスキルの普及を進めていかねば………)
ソードアート・オンラインのベータテストに参加しているが、和人は一般のテスターとは違う。開発者である茅場晶彦から直々にベータテストにおける攻略の経過を観察するよう託っているのだ。仕事として引き受けている以上、和人は一切妥協するつもりはない。前世におけるうちはイタチがそうであったように、和人も受けた依頼は全力でこなすことを是としているのだ。
「お兄ちゃん、お風呂空いたよー」
一時間半くらいが経過した頃、扉越しに直葉から声がかかった。和人はベッドに横たえていた身を起こすと、着替えとタオルを持って風呂へと向かう。入浴を済ませると、自室へ戻って再びベッドに横になり、ナーヴギアを頭に装着する。そして、目を閉じると共に開始コマンドを口にする。
「リンク・スタート。」
その言葉と共に、和人の意識は再び仮想世界へとダイブするのだった。
その日、和人はソードアート・オンラインに夜十二時までダイブし続けた。迷宮区で知り合ったプレイヤーとパーティーを組んで、街にいたプレイヤーをいるだけ集めてレイドを結成してボスに挑んだものの、見事に全滅した。参加したプレイヤーはイタチを含め二十四人。四段あるボスのHPバーを一本削るまでに十二人が倒れた。残り三本になった時点で新たな取り巻きが現れた時点で、プレイヤー達は敗北を悟ったものの、攻撃パターンを可能な限り調べるために戦闘を続行。二本目のHPバーを削り切った時点で、レイドはイタチを除いて全滅した。だが、今回の戦闘のお陰でボスの行動パターンや取り巻きの湧出も分かった。第一層が突破されるのも時間の問題であると、イタチは結論付けた。
ちなみに、イタチが自身を除いてレイドが全滅した時点で撤退したのは、一人での攻略は無理と諦めたからではない。イタチの仕事は、プレイヤー達がどの程度ゲームに順応できるかを確かめることである。そのためには、制作サイドとしてベータテストに参加しているイタチは攻略への過干渉を控えねばならない。そのため、ゲーム攻略には参加するものの、重要な部分は一般のプレイヤーにやらせるスタンスで臨んでいるのだ。
イタチというプレイヤーの介入によって、プレイヤー達は次々ソードアート・オンラインの世界に順応し、ソードスキルはじめ様々なスキルを習得し、戦闘能力を強化していった。中には、オンラインゲームで定番化していた「ミスリード」や「スイッチ」といったシステム外スキルを確立して実践するパーティーも現れた。参加者千人のベータテストは、特に目立ったバグが露出することもなく、順調に進んでいった。そしてテスト最終日の8月31日。浮遊城アインクラッドの攻略は、十四層にまで及んだ。何はともあれ、こうしてソードアート・オンライン正式版の発売に向けて実施された、クローズドベータテストは無事に終了した。
2022年9月3日
7月から8月いっぱいまで行われていたベータテストが終了して三日後、和人はアーガス本社へと呼ばれていた。
「やあ、桐ヶ谷君。ベータテストへの参加、ご苦労だったね。」
和人を出迎えた茅場からの第一声は、労いの言葉だった。ここはアーガス本社の一室。広い部屋のいたる場所に置かれた丸テーブルの上に、ピザやフライドチキンなどの食べ物が並べられている。どうやらこれは、アーガスのソードアート・オンライン制作スタッフによるベータテスト完了を祝したパーティーらしい。茅場はじめ、ほかのスタッフも立食パーティーに興じている。
「そちらこそ、お疲れ様です。ベータテストの結果はレポートにしてそちらへ提出してありますが、完成度は十分高いものでした。」
「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいよ。あとはベータテストをもとに、モンスターのレベルや湧出率、ダンジョンの難易度を調節すれば、ほぼ完成だ。本来ならばベータテストは今頃になっていたところを、君のおかげで二カ月も計画を早めることができた。本当に感謝しているよ。」
「いえ、俺も最新の仮想世界を誰よりも長く体感できたんです。お互い様ですよ。」
「そうか………だが、これでやっと、私の長年の『夢』が実現する。」
「夢、ですか…」
遠くを見つめながら話す茅場。だが、その何気ない言葉と瞳に、和人は何か違和感を覚えた。ソードアート・オンラインの完成、正確にはその舞台である空に浮く鋼鉄の城、アインクラッドを作り出すことが茅場の夢であるという話は、和人も以前に聞いたことがある。だが、今の茅場の言葉には、それ以上の、もっと別の意味が秘められているような気がしてならない。さらに、自分は今、茅場に違和感以外の感情を抱いている。それは、かつて茅場と同じような言葉を聞いたことがあったかもしれないという…「既視感」。だが、和人にはそれが何を彷彿させるのかが思い出せない。少なくとも、桐ヶ谷和人として転生した後の記憶に該当するものはない。ならば、うちはイタチとしての前世に体験したものだろうか。ならばいつ、どこで自分はそれを感じたのか…
「桐ヶ谷君、どうしたのかね?」
「!」
茅場から声をかけられ、はっとなる。どうやら考え事に集中しすぎて周囲が見えなくなっていたらしい。常の自分ならばあり得ない行動を取ってしまったと思った和人。だが、すぐに落ち着いて茅場に向かい合う。
「いえ。ちょっと考え事をしていただけです。」
「そうかね…まあ、君も学生の身だ。いろいろとあるのだろう。しかし、今日ぐらいはゆっくりしてくといい。他のスタッフも、君と話をしたがっていたからね。」
「分かりました。それでは。」
スタッフのパーティーである以上、茅場ばかりと話をしているわけにはいかない。茅場に会釈すると、和人はデータ採取の際に世話になった茅場の部下や社員達に挨拶に行った。結局、茅場に感じた違和感の正体には気付けなかった。
もしこの時、和人が感じた既視感が何だったのかに気付けていたのなら、和人本人をはじめ、多くの人々の運命は大きく変わっていただろう。だが、この時の和人はそんなことに思い至る筈もなかった…
第五話には、ほとんど加筆修正を行った点はありませんでした。強いて言うならば、忍術が使えないという点から、和人が上手く時間のやりくりをしているという設定にしたところでしょうか。